彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

生まれて初めての同人誌を作ろうと3ヶ月間悪戦苦闘してついに発売に至った話

みなさまお久しぶりです。3ヶ月ほどご無沙汰しておりました。これには理由があるのです・・・。

ことの始まりはGW目前の4月の終わり。ひょんなことがきっかけで、むくむくとある気持ちが沸き起こってきました・・・。

本を!本を作りたい・・・!!!

はい、それから3ヶ月。生まれて初めての「同人誌」作りに没頭していたというわけです。カクカクジカジカで一言では説明できない様々なことがあり(あとで順を追って説明しますので興味のある方は最後までお付き合いくださいませ)、結果から申しますと7月21(日)についに本が到着・・・!!!!!

日曜日に届いたばかりのほやほや

そんなわけで、7月21日(日)の夜、BOOTHにて販売スタート!!!(現在売り切れ中)

こんな予告画像作ってSNSで宣伝してました

選んだ題材は「悪石島のボゼ」。2022年の夏、ボゼに会いに行くために初めての島ソロキャンプに挑戦した思い出深いひとり旅です。ブログでは公開済みの旅行記ですが、今回のために文章はすべて書き下ろしました。巻末にはボゼ解説や悪石島MAPなども掲載。旅行記としてだけでなく、ちょっとした観光案内本、民俗本、写真集としても楽しめるのかな・・・?(まだ客観的に見れない)

『彷徨記Ⅰ  悪石島のボゼ』

A5判、84頁、フルカラー(モノクロフィルム使用により一部モノクロあり)
◎以下はサンプルページ

購入していただいた皆さまにはなんと!ボゼシールをプレゼント!!!

旅で撮影したボゼをくりくり抜き抜き

BOOTHで用意していたのは30部。なんと、ありがたいことに販売を開始してから3日後には売り切れてしまいました・・・。10部ですら危ういと思っていたのでホッとしております。ご購入してくださった方々や、RP等で宣伝に協力してくださった方々のお陰です。本当にありがとうございます。感謝の気持ちと同時に、ガッカリされないか恐怖でぷるぷると震えております・・・。

ブログで宣伝する前に売り切れてしまったので、7月27日の夜にでも3冊ほど追加しようと思っています。

ありがたいことに、福岡は馬屋谷のLUMO&BOOKSさんでも、先週の日曜日からお取り扱いしていただいています!(現時点で残り9冊。もちろんボゼシール付き)。金土日の営業ですのでお近くの方はぜひ。

イメージ写真を勝手に撮る

さて、ここからが本題。本作りに没頭していた3ヶ月に渡るあれやこれやを書き綴ってまいります。これから同人誌を作ってみたいという方には良い反面教師になるかと…。どうぞ笑いながら見てやってください。では、さろめり劇場のはじまりはじまり〜。

CONTENTS

4月末日、急に本を作りたい気持ちが燃え上がる

みなさま、「同人誌」という言葉を聞いて何を思い浮かべますか?わたしは今までアニメや漫画の二次創作のことだと思っていました。ニュースでコミケの様子流れたりするもんね。実はそれだけじゃないということを知ったのがここ数年の話だったりする。SNSで旅アカや建築アカさんたちを多くフォローするようになってから、写真集や旅行記、建築を紹介したものなど様々なジャンルの同人誌があるということを知ったのです。

今はオンデマンド印刷という版を作らなくても安くてそこそこ品質もいい印刷物を小部数作れる時代。皆さまが同人誌(「薄い本」と呼ぶことも初めて知った)を意外にも多く作っていることを知り、「あれ?もしかして本を作るコトってそんなにハードル高くないのかも・・・?」。そう思わせてくれました。だからといって、すぐに作ろうとかそんなことまったく思っていなくて、もしかしたらいつか作るかもしれないなぁ・・・というぼんやりとしたものでした。

それが、ちょっとしたことがきっかけで4月末に急上昇!!!

「いっちょ作ったろうやないかーーーい!!!」

そう思い至ったのでございます。

1.ページ構成を考える

いざ本を作ろうと思った時に、一番最初に頭に浮かんだのが「悪石島のボゼ」でした。わたしの人生史上一番過酷で最高に楽しかった悪石島でのひとり旅。これなら書ける。そう思ったのです。

まずはページ構成を考えることから始めました。数年前にすでに悪石島のボゼの旅ブログは書いていたので、それを見ながら構成を組み立て、さらに分かりやすくなるようにページを入れ替え、ついにサムネイルが完成。実はとっても簡単な作業でした。

手描きのサムネイル

何にも考えないで書きたいことを加えていったら、全部で84頁になりました(4の倍数になるように帳尻を合わせたのですが、製本が中綴じじゃなくて無線綴じの場合はその必要なかったのね・・・今知った)。

2.写真のレイアウト

データは比較的使い慣れているillustratorで作ることにしました(InDesign使った方が楽とは思いつつ)。好きな写真は全放出が基本なわたくしのブログなもので、必然的に公開済みの写真を使って構成することになります。新鮮味はないけど仕方がない・・・。写真を配置していくのも簡単でとても楽しかった!楽しかったんです!!この時までは・・・。

3.文章を書く

ブログは公開済みではあるものの、本ではくだけた「ですます」調ではなく、「だ・である調」で書くことに決め、ブログの文章をコピペするのではなく、一から全て書き下ろすことにしました。 これがぜんぜん書けない・・・。書けないのでございます。己の文才のなさに打ちひしがれる日々 ・・・。それでもなんとか文章を絞り出し、全ページ分を書き終えたのが5月末。それから何度も何度も読み返して校正を重ね、もう何が正解のわからないまま自分の中でGOサインを出し、入稿データとして仕上がったのは6月9日(ロックの日)でした。(奥付けに6月9日と入れたくてこの日に無理矢理校了したという噂も・・・)

ペンネームもね、悩んだのよ。新しく作ろうかなって。でも、しっくりこなくて。結局SNSで昔から使ってるsalomeryになりました・・・。当時、もっとちゃんと考えてつけてればよかったなぁ(ちなみにビアズリーの絵のサロメからきています)

4.印刷所、紙、部数を決める

どこで印刷するのがいいんだろう?周りに同人誌作っている人がまったくいないため、とりあえず仕事で使ったことがあったラスクルを見てみると、初回1冊無料で無線綴じが作れるではありませんか・・・!これを使わない手はありません。9日に入稿して翌日出荷されるという最速っぷり・・・(驚愕)。しかし届いたものを確認してみると、うーん、なんだか安っぽい・・・なんでだろう・・・。紙は表紙も本文もマットで、厚みは表紙が135kg、本文を110kgにしていました。

自分だけの力ではもう限界・・・というわけで、福岡の古書店LUMO&BOOKSさんに相談しに行くことにします。店主お2人はイラストレーターとグラフィックデザイナーなので、きっと紙ものに詳しいだろうと思いまして・・・(甘えてすんません)。

紙サンプルも取り出して一緒に選んでくれました。ありがたや・・・

「色が沈む」と言われたけれど、安っぽいのが嫌で表紙には「ヴァンヌーボ VG スノーホワイト130kg」を選び、本文は厚さを90kgに落とすことにしました。そして印刷所には、株式会社グラフィックを選ぶことに。色が綺麗とのことだったので。

それにわたしが好きな本『 村を守る不思議な神様』もグラフィックで印刷されていたのでこれはもう間違いない!わたしも奥付けにグラフィックって書きたい・・!!というミーハー心で、ちょっと他の簡易印刷所よりお高めの金額だけれどグラフィックで印刷することに決めました。紙の種類も選べるのでね。

さて、印刷所も決まり、あとは印刷するのみです。最初は自分のためだけの1冊を作ろうと思っていました。だんだん形になるにつれて、誰かに見てほしいという欲が出てきて、10冊、いや20冊刷ろうかなぁという気持ちに。そのことをLUMOさんに伝えると「少ない!100部!!!」と言われ「無理無理無理無理!!お金ない!!!!!」という押し問答。同人誌は薄い本なのに印刷部数が少ないため、どうしても高くなってしまいます。多く刷れば刷るほど単価が安くなるのですが、先立つものがない。大量に売れ残って印刷費も回収できずに赤になるのも避けたい。・・・というわけで、結局在庫が残っても自分的にギリギリセーフな30部印刷することに。SNSやブログで鳴かず飛ばずな無名のわたしの本を一体誰が買ってくれるというの!??そんな不安を胸に抱きつつ、清水の舞台から飛び降りたのでした。

5.入稿

6月16日。ついに印刷会社に入稿!同人誌を作ろうと思い立ってから早1ヶ月半。3度の飯より眠ることが大好きなわたくし。毎日平均睡眠8時間は確保したいのに、この期間毎日遅くまでパソコンと睨めっこ。食事もろくなものも食べておらず、人間やめた状態になっていました・・・。でも、やっと、やっと人としての生活に戻れる・・・。そんな風に思っていました・・・。

入稿したはいいけれど、最終的な仕上がりの確認ができないシステム。仕上がりが不安!超不安!!レイアウトの崩れやページネーションの不備があったりしないのかしら・・・。一番長い製作日数で注文したので(その分安い)、待っている間はまるで裁判の判決を待っている囚人のような気分・・・。来月から旅も控えているのに他のことは何にも手がつかず、本のことばかり考えていました。

6.シールや名刺作りとBOOTHの準備

わたしは形から入るタイプ。やるならとことん!本が届くのを待っている間、BOOTHという同人誌を作っている人がよく販売しているサイトをよくわからないまま準備したり、ボゼのシールを作ったり、必要のない名刺を作ったりもしました。あとは梱包材の準備も忘れずに!

シールはラクスルで製作

名刺は「名刺21」で製作。なんと初回100枚無料!ほんとは箔押ししたかったけど対象外だったのでまたいつか・・・

7.販促計画

30部も印刷するのだから販促計画を立てねば!!!そう思い立って、発売予定日の1週間前から毎日一回ずつ宣伝するための文章と画像を用意。準備万端で納品される日を今か今かと待っていました。

当初は6月29日発売予定で、こんなのを数枚作って準備してたのですよ・・・

ついに納品!そして地獄の日々が待っていた・・・

グラフィックさん、早く印刷が終わったら早く納品してくれるのね!思ったよりも早く出荷され、翌日の6月24日。ついに届くという日の昼に、わたしはある重大なことに気付いてしまったのです・・・。

どこにも許可とってねぇぞ・・・

そう、驚くべきことに好き勝手作るだけ作って、どこにも掲載許可をもらっていなかったのです・・・(サーーーっと青ざめるわたくし)。著作権、肖像権などというものがとてつもなく厳しい現代。同人誌を作るということに一直線で没頭していたせいか、掲載許可を取るということが頭からスコーンと抜け落ちてしまっていたよ・・・。

夜、グラフィックから本が納品されます。ワクワクしながら待っていたはずなのに、今は許可取りのことで頭がいっぱい!届いてからすぐ宣伝しまくる予定だったけどもちろん無理!!

30冊

仕上がりについてはほぼ問題は無かったのですが、表紙に選んだヴァンヌーボ・・・色が沈んでしまったよ・・・(LUMOさんで言われた通りだ!)鮮やかなのを抑えたくてあえて選んだのですが、思ったような沈み方じゃなくてなんだか白っぽくてねむいような・・・。実際に印刷してみないとわからないものですね・・・。紙ってむずかしい。ただ、本文はアドバイス通り110kgから90kgに落としたことで良い感じになっていました(その分厚みが減るからますます「薄い本」になってしまうんだけどね!)。

しかし問題は許可取りです。なんで納品された当日に気付いてしまったんだろう・・・。いや、配布する前に気付いてよかったと思うべきか。でも、印刷する前に気付いてほしかったよぼかぁ・・・。何事もなくすべてOKが出てこのまま発売できることを祈りながら眠りにつくのであった・・・。

暗黒の15日間、そして本の刷り直し

翌日、慌てて思いつく限りの場所に連絡しまくって許可取りするという地獄のような日々。何を隠そうわたしは人見知りで大の電話ぎらい・・・。初日から掲載許可は出たものの間違った情報を掲載していることが判明。もう心はぺしゃぺしゃのぺしゃんこです・・・。諦めようと思ったりしたかもしれませんが(今はもう忘れてしまった)、そんな時に「頑張ろう」と思い直すきっかけがあったりもして・・・。とりあえずやれるところまでやることにしました。

間違っている部分や掲載できないものはシールで隠すなり、正誤表を差し込む等の方法もあったとは思います。でも、もしかしたらこれが最初で最後の作品になるかもしれない。それなら完璧な状態で世に出したい!そう思って、諭吉 (もう諭吉ではないのね。まだ出会えてないけど )をドブにブシャーーーっと捨てることを決意・・・。

はい、わたくし、刷り直します!!!

10箇所ほど連絡したでしょうか。すべての許可取りを終え(許可がすぐにおりないことが分かり掲載をやめた写真もあります)、再入稿できたのが7月11日。気が大きくなって50部印刷することに(ちょうどボーナスが入ったんじゃあ)。

当初の計画では6月末から販売を開始し、7月から始まるボゼツアーの募集も勝手に絡めて宣伝するという販促計画を立てていましたが、募集期間もすっかり過ぎ去り、その計画もすべておじゃんに・・・(自分のせい)。実は入稿の翌日から久しぶりの本格的な旅に出る(2月の山形以来)というギリギリセーフっぷりでした。いやはやしかし、旅の前に解決できてほんとよかった・・・!!!

約3ヶ月もの時を経て、ついに完成!

7月12日の夜から16日までの旅から帰ってきて(ブログにまた書きますね)、販促計画を練り直し、やっとやーーーっと届いたのが先週の日曜日の朝でした。

各印刷所による仕上がりの違い

今回、ラスクル(お試し)とグラフィック(本ちゃん)の2社で印刷。同じ印刷所でも紙を変えたりしたので見比べることができるという利点も・・・!!!(高い色校正代だなぁおい・・・・)

写真だけだとよくわかりませんが、紙の厚みや質感、色が3つとも違います

紙や印刷所で色味の仕上がりが違うし、なんなら同じ印刷所でも色味が違うんだよね・・・。これがオンデマンドの限界なのか。グラフィックの色味は1回目の方がもっと鮮やかでよかったなぁ。ただし、表紙はヴァンヌーボではなく、マットコートでやっぱり正解でした。

にっくきトーンジャンプ!

今回とても悩んだのが、おそらく原因がトーンジャンプというものでした。オンデマンド印刷はグラデの表現が苦手のようで、例えば満月の輝きのグラデーションでその違いが顕著に現れました!お試し印刷のラスクルが実は一番グラデが綺麗に出ていました・・・。 

満月のグラデーションの表現の違い。解りにくいでしょうけども

全体的な色はグラフィックが綺麗だけど、薄いグラデや、モノクロではラスクルの方が好みの仕上がりで、金額が高いからと言って100%優れているというわけではなく、一長一短なんだなぁと思いました。グラフィックの1回目と2回目の印刷の違いにも驚いた。1回目のグラデがひどかったので、トーンジャンプを軽減させる方法を調べて画像を調整したら2回目ではかなり改善されていてホッとしたものの、全体の色味が前回の方が良かったという・・・。あと、断裁がイマイチで、端の余白がギリギリになってしまった。うーん、こんなにも安定しないものなのですね。最初から余白に余裕を持たせてレイアウトすることが必要ということを改めて感じました。次は気を付けます(え!次も作るの!?)。

LUMO&BOOKSへ納品

さて、完成した本を抱えて真っ先に向かった先はLUMO&BOOKSさんでした。なんとなんと!恐れ多いことにLUMOさんでお取り扱いいただけることに・・・。その提案があったから、予定よりも多く印刷することが出来、販売価格を下げることが出来ました。本当に感謝です。

うっとりロマンティック!

LUMOさんに10冊納品した後に早速連絡があって、1冊売れたとのご報告が・・・!!SNSでわたしの存在を知らないであろう人が実際に中身を見て購入を決めてくれたという事実がとても嬉しい・・・。一人でもそんな人が存在しているということを知り、ちょっとホッとしました。ありがとうございます。

可愛いポップもつけてもらえて嬉しい!!!

BOOTH「彷徨する旅の本屋」での販売

そして家に帰ってからは、せっせと本の宣伝&BOOTH販売開始です!!!BOOTHでの屋号はブログの名前にちなんで彷徨する旅の本屋に。ちなみに自分の中で「彷徨」と「咆哮」(ひとりで人生に踠き苦しみながら叫ぶイメージや、満月の夜に狼が遠吠えしている孤高なイメージ)をかけていたりするのだよ。たぶん、初めて明かすトリビアだよ。「彷徨する旅」って変な日本語だと思うけどわたしは気に入っているよ。

トップのイラストにはLUMO&BOOKSの店主のお一人であるイラストレーターの渕上コウジさんの絵を使わせていただきました。渕上さんの描く絵が大好きなのです・・・!!!

使わせてもらえて嬉しい!

今回勇気を出して印刷した50冊のうち10冊はLUMOさんへ。さらに10冊はストックや許可取りのお礼で渡す用に。つまり残ったのは30冊。何年かかってもいいから売り切ろうと決意したのでした。

・・・が!!

リアルでお付き合いのある方をはじめ、XやInstagramで仲良くしてくださっている方々、そしておそらくフォロー外からも購入してくださる方もいて、3日目にしてノルマの30冊が完売するという・・・(嬉し涙)。

ひとえに購入してくださった方や、SNSでRPして宣伝にご協力してくださった方々のお陰です。BOOTHでは上乗せして支払うことができるBOOSTという機能があって(販売開始してから初めて知った)、販売金額よりも多く支払ってくれる方々もいて・・・!!神ですか・・・?神なんですね・・・???もうびっくり感謝感激涙涙でございます・・・。

梱包、発送作業

しかし、本を売ることが一番の目的ではありません。せっせとメッセージ書いたり梱包作業に勤しむ日々。やっと先日すべての注文分の発送を終えることができました。ぼちぼち届いているところではないでしょうか・・・(ドキドキ)。

ちなみに本を購入してくださったすべての人にプレゼントしているシール。本当は販売するつもりでしたが、保存会の方に確認したところ自分だけの一存では決められないとのことで、無料だったらOKとの返事をいただきました。よかったー!もしプレゼントもNGだったら自分が楽しむだけのシールになるところでした(貼り放題でそれはそれで良いけども笑。しかし今回自分用がなくなってしまったのでまた作りたい・・・今度はキラキラのホログラムとかで)。

ボゼシールの台紙にぴったりだったカナリアカラーの名刺

真っ白な封筒だと誰から届いたのかわからないと気付き、途中からボゼのイラストのシールを貼ることにしました。一番最初の発送した方には貼ってないのでゴメンなさい・・・

本が購入してくださった方の手元に届いてからが本番です。私は楽しんで作ったけれど、それとこれとは話が別だものね。少しでも楽しんでもらえるといいのですが・・・。ガッカリされたら申し訳ない。すぐゴミ箱行きにならないことを願っております・・・。

本を作ることの楽しさと難しさ

今回、肖像権、著作権といったものについて考えるきっかけとなりました。ブログを書く上でも大事なことだものね・・・。写真は映り込みや群衆ならOKとか、 建物は外観だけだったら大丈夫で実際に同じような建物を建てた場合に著作権の侵害になるとか、ただし太陽の塔などの個性的な建物の場合は例外とかとかとか(詳しくはご自身でお調べくださいね)。

本を作ることはとーーーーーっても楽しかったんです!自分の天職なんじゃないかと思うほど。実は作りたい本は何冊もあって、ボゼの本を作りはじめた当初はこれからたくさん作るぞ!!と、ワクワクが止まりませんでした。でも、今回許可取りしていく中で、世の中で商業誌として出版されている本のほとんどはきっと100%作りたいものを作れているわけではないんだなと初めて気付きました。100%作りたいものを作れないのなら、自分が本を作る意味なんてないのでは・・・もうブログ書くのも無理・・・筆を折ってしまおうか・・・。これからのわたしの人生もうお先真っ暗だ・・・くらいのマインドになってしまいました。

わたしはお祭りなどで人を撮ることも多いし、普段からスナップ写真を撮るのが大好き!写真を撮る身としては「昭和の時代はよかったな・・・」なんてつい思ってしまうのですが、時代に合わせて表現方法も変わっていくのは仕方がないことだと思う、思うけど、けど!!!

表現の自由ぅぅぅーーーーー!!!!!

なかなかその線引きというのは難しいですが、 自分の中でルールを決めて最低限のマナーを守り、これからもブログを書いていこうと思い直しました。だって、自分の生き甲斐がなくなってしまうもの。名刺も作ったし、旅先で必要がありそうな場所には渡していこうとも思っています。

そんなわけで、怒涛の3ヶ月間(主に自分の中での一人相撲)がようやく終わりを迎えようとしています。が、最後の最後にやらなければいけない大事なミッションが残ってる!!!

ラストミッション、国立国会図書館に納本するぞ

今回初めて知ったのですが、ある一定の数を頒布した本には、商業誌、同人誌に関わらず納本の義務というものがあるそうなのです(義務とはいっても納本しなかったからといって罰せられるわけではない)。 納本された本は、半永久的に国立国会図書館の書庫に保管されることになります。つまり、わたしが死んでも残り続けるのです!!

調べてみるとオフセット印刷なら100部以上の刊行、オンデマンド印刷なら15部が実際に頒布された場合に対象となるようです。つまり、わたしの本もその条件をクリアしている・・・!!!

以下、国立国会図書館HPのQ&Aより抜粋

Q6:初版の刊行部数が決まっていない出版物(オンデマンド出版等)については、どのように考えればよいですか?

A6:オンデマンド出版の場合は、15部が実際に頒布されたことを基準とします。

早速2冊納本することにしました。1冊でも良いのですが、2冊納本すると東京本館と関西館に置かれるそうです。つまり、そこに行けば誰でも閲覧できるというわけ。わたしも自分の本が置かれたら実際に見に行ってみたい・・・。

あと、国立国会図書館のデータベースで検索できるようになるもよう。あぁ!検索して自分の本が出てくるのを見たい見たい!!無事納本されたらこちらの記事でこっそりご報告しますね!!!(1ヶ月くらいかかるらしい)

今回、納本する際にとても参考になったのがこちらのブログでした。解りやすくまとめてくださってありがたや〜。みなさまも本を作ったらぜひ納本してみましょう。

おわりに

良いことなのか悪いことなのか、とても忘れっぽいわたし。今回の苦しみも時が経てばすっかり忘れてしまうことでしょう・・・(というかすでに忘れつつあり、また本を作りたいという気持ちがぼんやりと)。どこでスイッチが入るのか自分でもわからないので、今のところなんとも言えません。「彷徨記Ⅱ」が発売される日がくるかは神のみぞ知る・・・いや神様も知らないかも。ひとまず今回はお疲れ様でした。感想ぷるぷると震えながらお待ちしております・・・(受け止めます・・・)。

さて、グラフィックさんからは発注部数よりも少し多く納品されていたようなので(ありがたや)7月27日(土)の夜、BOOTHに最後の3冊を追加予定。相当な数のご要望がない限り、再販はありません(が、お蔵入りとなった30冊をあれやこれやしてどうにか世に出せる形にできたら販売するかも?)。もしかしたら最初で最後の作品になるかもしれませんので、この機会をお見逃しなく。うすーい、うすーい本ですが、魂込めて作りました!どうぞ宜しくお願いいたします!!(LUMOさんにもどうぞ遊びに行ってね!!!)

8月20日追記▼▼▼

お蔵入りになった30冊を修正シールを貼ったり正誤表を作ったりと配布できる準備を進めていたのですが・・・なんと!増刷してしまいました!!!

だってね、たった3人だけど、BOOTHの入荷お知らせメールに登録してくれてる人がいたんだよ・・・。相当の数の要望がない限り再販はないと言ってたくせに!たった3人のためにコロッと考えを変えるカンタンなわたくしです・・・。

さらに、自分がほしいというだけで、シールがホログラムにグレードアップ!!在庫抱える覚悟で増刷しましたので、どうぞよろしくお願いいたします・・・!!!

『彷徨記Ⅰ 悪石島のボゼ』*ボゼのホログラムシールのおまけ付き - 彷徨する旅の本屋 - BOOTH

ボゼとホログラムの親和性よ

これまでありがたいことに数十冊旅立って言ったわけですが、もちろんみんながみんな私の本を気に入ってくれるわけではありません(何を言われたとかではないけれど)。それでも、数人の方たちから熱いメッセージをいただいたりもして・・・涙が出るほど喜んでいます。よかったらで良いので、いいなぁと少しでも思ってくれた方は、感想いただけると嬉しいです。生きる糧になるんで!もしかしたら2作目を作る原動力になるかもなので・・・!!

本業(?)の旅ブログはたぶんおそらくもしかしたらもうすぐ再開されるかもかもかも・・・(あやしい)。が、がんばります!!!!!

06.冬の山形ひとり旅2024【山形市・建築めぐり編】最終回

かみのやま温泉駅から山形駅へと到着。 山形旅最後の舞台は山形市。陽は沈み、あたりはすでに薄暗くなっていました。

山形駅

CONTENTS

カラフルな団子で彩られたホテル

増えてしまった荷物(ワイン3本も買ってしまったからな)を自宅に発送手続きしてからお宿にチェックイン!情緒ある木造のレトロ旅館に宿泊・・・したいところですが、今回は駅前の普通のビジネスホテル。その名もホテルNew最上屋。名前が昭和を醸し出しています。

エレベーターで2階にあるフロントへと上がります。扉が開くと目に飛び込んできた色とりどりの飾り!

なにこれなにこれなにこれーーーーー!!!

チェックインの手続きをしながらもう気持ちは木にぶら下がった鯛や達磨、野菜のような形の飾りに夢中。手続きが終わると早速フロントの女性に聞いてみます。するとすぐさまパソコンで調べてくれて、これが「団子の木」と呼ばれるものであることを教えてくれました。

全国で行われている伝統行事〜団子の木〜

「団子の木」とは、小正月(1月15日)に行われる伝統行事。五穀豊穣や無病息災等の願いを込めて、ミズキの木の枝に団子や「ふな(船)せんべい」(餅で作られた縁起のいい飾り物のこと)を飾るのだそう。山形市では初市などで団子の木や「ふなせんべい」が売られているそうです。いつか見に行ってみたいな!そして我が家にも飾りたい〜。

実は山形だけに限らず全国で行われていて、地域によって「繭玉」や「餅花」など呼び方も異なり、飾りものにも特色があるようです。そういえば、去年岩手県遠野市に行ったときにも展示されてたなぁ。

遠野市の伝承館にて(2023年8月)
①台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【遠野編】 - 彷徨する旅のアーカイブ

わたしの地元、鹿児島県でも行われているのか調べてみると、奄美大島や徳之島の一部では「ナリムチ」、南九州では「めの餅」などがあるようです。あまりネットで検索しても出てこなかったので、今度両親にも小さい頃にやっていたのか聞いてみようかな。

小正月が終わった後は、正月飾りを燃やす「どんと焼き」で一緒に焼いて食べたり、ひな祭りに雛あられにして食べたりする地域もあるようです。ちょっと調べるだけで芋蔓式に面白そうなことが出てくるので困りますね!(よろこび)

以下サイトから要約させていただきました▼▼▼

小正月をめでたく彩る「餅花」の由来と作り方 – 結わえるオンラインストア本店 寝かせ玄米公式販売

だんご木のこと - 霞城セントラル Kajo Central

小正月彩る餅の花 五穀豊穣祈り「ナリムチ」(南海日日新聞) - Yahoo!ニュース

高貫げんき市のめの餅 - FMさつませんだい 87.1MHz

居酒屋でひとり酒

チェックインが終わった後は、ごはんを求めて夜の街へと繰り出します。宿近くの狙っていたオシャレ燻製バーは連休中のためか満席の張り紙。まぁ、人気店っぽいし「ですよねー」ってなりながら、飲食店のある山形駅前エリアをぷらっとしてみることにします。どうせなら山形の郷土料理的なものが食べたい!このお店はどうかしら・・・???

赤い提灯が誘っています

「山海の味 三文銭」さん。渋い店構えにドキドキしながら足を踏み入れます。連休中なのにお客さんも少なく、とても静かでいい感じ(お店的には大丈夫じゃないでしょうが)。座敷の大きなテーブル席に通されてとても快適・・・!

まずは酒だ酒だ!酒を持ってこーーーい!!!

山形県内のさまざまな日本酒が揃っています

ブログを読んでくださっている方はわたしが飲兵衛だと勘違いしている人もいるかもしれませんが、普段はほとんどお酒を飲まないわたくし。お酒の味もよくわかりません。でも、旅先ではその土地のものを存分に味わいたいのだ。

何を注文したかはすっかり忘れました!

お酒を選んだあとは、まずは印刷された手元のメニュー表ではなく、壁のボードに貼られた手書きメニューに目を通します。ふむふむ、牛すじ煮込み・・・。胃袋が欲している・・・!赤線引かれているし、これは間違いないのでは・・・!??

やっぱり手書きのを選びたくなるよね

マジで美味い。最高。大好き。

牛すじ煮込み、日本酒、お通しの枝豆。黄金のトライアングルの完成である

胃にしみしみ染み渡る美味しさ・・・。もしかしたら今朝からちゃんと食事をしていなかったから(中華そばはオヤツね)、より一層美味しく感じられたのかもしれません。それでも、この組み合わせが最高であることは飲兵衛の皆さまならわかっていただけることでしょう。

お次はタコの唐揚げ。 お酒もお代わりして、最後にあと一品くらい何か頼みたいなぁ・・・。

よし、気になっていた「山形名物 青菜漬」にしてみよう。山形名物なら食べないわけにはいきません。

青菜漬と雪の淡雪

想像通りの見た目と味なんだけど、これが日本酒のアテとして食べるのにとても良い。そもそもわたくし青菜系のお漬物が大っっっっっ好きなんですよ・・・。

ちびちびやっていい気分になってたら、すでに出来上がっているおじさまたちがやってきて騒々しくなってきました(入ってきた瞬間店の雰囲気に思わず「静かっ!」って叫んでたのがちょっと面白かった)。この心地よい気分がすべて消えてしまわないうちに急いで残りを平らげてお会計。食事をしている間、ちょっとだけお喋りした奥さまがとても優しかったし、日本酒も牛すじ煮込みも最高でした。このお店を選んでよかったなぁー。

もちろんお酒を呑んだ後はコレでしょ!と、 ほろ酔いながら山形駅のコンビニへ。

アイスクリーーーム!!!

嗚呼、愛しのグレース。これはきっとご当地アイス? めっちゃ美味しそうなんだけど・・・。もちろん乙女心をくすぐるさくらんぼ、選ばせていただきます!!

さくらんぼ粒入りですって。素敵

ホテルに戻っで至福の時。ちゃんと、さくらんぼを感じて美味しい。

 お酒を飲んだ後のアイスは最高である

朝ごはんはリーフパイ

夜が明け、旅の最後の1日が幕を開けます。

朝がきた

まずは朝ごはんをいただきましょう。かりんとうを購入したかみのやま温泉の大國屋さんでジャケ買いした「上山リーフパイ」。もちろんお味も美味しかったけど、昭和な洋菓子の包装デザインが可愛すぎる〜。

全国の昭和な洋菓子を食べ歩きたい

甘いものでチャージ完了!山形市内建築巡りへと出発です・・・!!

カトリック山形教会

早朝の山形市内はまだひんやりとしています。まずは宿から一番近いカトリック山形教会へ。1900(明治33)年創立で、現在の聖堂は1926(大正15)年に建てられたものだそうです。

清々しいお姿の聖堂

大正15年の創建当時を伝える献堂記念ハガキ(カトリック山形教会パンフレットより)

オレンジの球が連なった変わった形の十字架も当時のまま。大正時代の雰囲気を感じさせます。その下の八角形の鐘楼の中には、1936(昭和11)年に製造され1937(昭和12)年に山形教会へとやってきたドイツ製の鐘が設置されています。

中央では大正時代にヨーロッパから取り寄せたというキリスト像が見守っています

現在では日曜のミサ前や結婚式などでのみ鳴らされるという鐘の音。今回は残念ながら聞くことはできませんでした。いったいどんな音色がするんだろう〜。

ラテン語が刻まれたドイツ製の鐘(カトリック山形教会パンフレットより)

無人の聖堂内は自由に入れるようになっていました。失礼のないように帽子を脱いで、静かに見学させていただきます。

素朴で可愛らしいステンドグラス

2010(平成21)年には耐震補強を兼ねた改装が行われ、その際に聖堂内部は畳敷から床に変更になったそうです。畳の教会大好き人間のわたしとしては、畳のままであってほしかったなぁとちょっぴり残念・・・。

山形教会のパンフレットには、昭和12年頃の聖堂内部の写真が載っていました。

着物姿の信者たちの姿も(カトリック山形教会パンフレットより)

古写真と比べると、畳だけでなく正面の祭壇部分もだいぶ現在の姿とは異なっているように見えます。写真の左側に見えている絵はおそらく「十字架の道行」。きっと聖堂の両側にはこの美しい装飾の木造の額で額装された絵がずらっと並んでいたんだろうなぁ。

現在の「十字架の道行」の絵

「十字架の道行」について知りたい方はこちらのブログをどうぞ▼▼▼

③キリシタンを巡る旅2023・ 鹿児島【ザビエル教会編】 - 彷徨する旅のアーカイブ

カトリック山形教会を後にしてひたすら歩く、歩く。お堀に囲まれた敷地内へと足を踏み入れます。

左上にちょっぴり顔を出して建物に会いに行くよ!

旧済生館本館(山形市立郷土館)

訪れたのは山形城跡を整備した霞城公園内に建っている旧済生館本館。山形市内で一番見てみたかったのがこちらの建物でした。数年前にSNSで見て初めて山形に行ってみたいと思ったんだよなぁ。

旧済生館本館は、1878(明治 11 )年に建てられた擬洋風建築の病院。 1966(昭和 41 )年に国の重要文化財に指定され、これを機に山形市七日町から今の場所に移築復元されたそうです。

以下サイトに詳しい歴史や見所などが書かれています▼▼▼

山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館)|山形市公式ホームページ

旧済生館本館/Old Saiseikan Hospital | 空間芸術研究所/vectorfield architects 写真がべらぼうにいい・・・!!移築前の古写真等もたくさん載っているのでオススメです。

美しい光にうっとり

印象的な建物正面からは入ることができず、裏側にくっついている別棟の新しい建物から入るようになっています。そちらに向かって歩いていると、こんな物騒なものが・・・。

こ、怖いよ?

この上に頭が乗っかっていたんですね・・・??ちょっとひやっとしたところで、建物の中へ・・・。

想像してしまいました

先ほどの外観写真からもちょっと不思議な形をしているなと感じたかと思いますが、こちらの建物はドーナツのように真ん中に穴が空いた円形になっているのです。

館内地図

もちろんわたしのカメラでは360度は撮りきれません・・・。

影すらも美しい

各部屋には医療関係の展示物等があって、わたしの性癖に一番ビビビときた部屋は残念ながら撮影禁止。

この部屋がわたしの推しです!

そんなわけで、撮影OKだった別のお部屋の写真をお届けいたします。

顕微鏡萌え

部屋の他に、2階へと続く扉があります。

この先には・・・

一歩一歩進んでいくと、さらに魅惑的な夢の螺旋階段がぁーーーーー!!!

唐草模様の螺旋階段

残念ながら3階へと続くこちらの階段は登ることができません。ちなみに2階は展示室になっています(撮影禁止)。先ほど登ってきた階段を降りていくと、ちょうど美しい光がドアの隙間から溢れていて、その美しさに惚れ惚れしてしまいました。

別の世界に繋がっているような扉

この場所だけでだいぶ建築欲が満たされてしまったよ・・・。しかし建築めぐりはまだまだ続きます。胸いっぱいになりながら、次なる建物を目指して再び歩き始めます。

錆び錆びの琺瑯看板に萌え

昭和かわいいベンチにキュン

一輪の薔薇にトキメキ

文翔館(山形県郷土館)

そしてたどり着いたのが、1913(大正2)年に竣工した旧県庁舎と会議事堂からなる文翔館(ぶんしょうかん)。

正門の柵には印象的な雷紋が並んでいます

旧県庁舎

門をくぐると真っ正面に現れるのが威風堂々とした旧県庁舎です。

青空が眩しい

山形にはこんな立派な建物が残っているんですね。

美しい赤い絨毯と繊細な彫刻が施された階段の手すり

2階のお部屋には、白を基調とした気品のある空間が広がっていました。

復元された漆喰天井やクリーム色の壁やテーブル

濃淡の異なる木片で描かれてた美しい床に、優しい陽の光が差しています。

門扉と同じくこちらにも雷紋が

こちらの部屋からバルコニーに出ることもできます。

上部には時計塔

モスグリーンのカーテンや壁紙の模様が可愛らしい知事室は、映画「るろうに剣心」の撮影にも使用されたことがあるそうです。とってもお洒落で可愛らしいお部屋。マントルピースの装飾も素敵でした。

知事室がこんなに乙女チックでよいのだろうか

アールの美しい廊下や、まるで外国にいるような雰囲気の中庭もあります。

まるでヨーロッパ

山形の郷土史に関する展示室も設けられていました。

おまえも蝋人形にしてやろうか!(突然の聖飢魔Ⅱ)

今回行けなかった米沢市の巨大「おたかぽっぽ」。いつか工房に行ってみたい

展示物で一番気になったのがこちらの「紅餅(花餅)」。最初その名前から単純に食べ物なのかと思ったら(お土産にほしいなーくらいに思ってた)、紅花から作られた染料のことなのですね!

紅餅(花餅)

江戸時代、「紅一匁(もんめ)、金一匁」と言われ、金と同等の価値があると言われるほど高価な商品として取引されていたそうです。「匁」は重さの単位。「はないちもんめ」ってそういう意味だったのか・・・

参考文献:『伝統と文化』No.47 発行/公益財団法人 ポーラ伝統文化振興財団

これを持って江戸時代にタイムスリップしたら一儲けできるかな

実はわたくし、小さい頃に見たアニメのワンシーンがどうにも忘れられなくて・・・。観たことがある人も多いとおもいますが、ジブリの「おもひでぽろぽろ」という作品。これに紅花摘みのシーンが出てくるのです。調べてみると、アニメの舞台はまんま山形県だったもよう。知らなかった・・・。

なぜかこのシーンが忘れられずにいる不思議。いつか実際に紅花摘みや、紅餅作りをしてみたい・・・!そんな気持ちがむくむくとわき起こってきました。どうやら紅花を求め、再び山形を旅するしかないようですね。

県会議事堂

旧県庁舎を見学した後は、渡り廊下で繋がっている県会議事堂へと参ります。

胸ときめく渡り廊下

渡り廊下を歩いていると、どこからともなく音楽が聴こえてきました。県会議事堂のホールを覗くとそこには管楽器の演奏練習をしている人たちの姿が・・・。

楽器の演奏ができる人たちを無条件に尊敬してしまうのだ

ちょっと得した気分! 生演奏を聴いて心が清められました。しばしの間その音に耳を傾け、そっとその場を後にします。

旧山形師範学校本館(山形県立博物館教育資料館)

次に訪れたのは、1901(明治34)年竣工の旧山形師範学校本館。可愛らしくてとっても素敵!いやはやしかし、こんな素敵建築がぽこぽこある山形市すごすぎやしませんか・・・?

はい、よーく見てみてください。

もっと近づいて・・・

閉!館!?

通常なら開館日のはずが、前日が祝日だったため振替休日になっていたようです・・・。せめて外観だけでも・・・見学させてくださいね・・・・・・。

裏側にもかわいい入口

こちらは何の建物なのでしょう?

本館だけでなく正門や正門近くの門衛所も国指定文化財だったらしいけど、門衛所の存在にはちっとも気づかず・・・(お前の目は節穴なのか、そうなのか)。嗚呼、内部も見学したかったなー。

花小路と旧千歳館

さらに歩いて今度はかつて花街として賑わっていた七日町の花小路へ。現在は飲屋街になっています。

きっと夜に魅力100%になる入口の看板

道の曲線美

「バー さむらい」

花小路入口のすぐお隣には、花小路を花街として発展させた創業1876(明治9)年の老舗料亭、旧千歳館が建っています。現在の建物は1915(大正4)年竣工。残念ながらコロナの影響で2021年に営業を休止。現在は公開されていないので、遠目からちょっとだけ見学させていただきます。

とっても素敵だわー!

営業休止後、国登録有形文化財の主屋等は山形市に寄付され、今後は改修して2026年に運用を開始する方向で進んでいるようです。よかったー!

できるだけ建物はこのままの状態で保存活用してほしいですね

すっかり正午を過ぎてしまいましたが、時間が足りない、足りないんだ。リーフパイしか食べていないし、朝からずっと歩き通しでふらふらではありますが、まだまだ歩きます!!!

なんだか見てて切なくなる飛行機

あ!目的地を通り過ぎてしまった・・・!!

でも、そのお陰で秋田県の横手市で初めて見て胸がキュン!と高鳴った「ママ、クリーニング小野寺よ」と再会できたから良しとする・・・!!!

なにもかもが愛しすぎる。どうやら山形県に本社があるらしい

たぬきケーキ

やってきたのは三木や洋菓子店。どうやら旅人は建築巡りを一旦休止し、食に走りだしたようである・・・。

シックでオシャンな外観です。てっきりレトロな洋菓子店かと思ってたのでビックリ!

「たぬきを、たぬきをください・・・」

そう、わたしは旅先でたぬきケーキを求めずにはいられない生き物なのである

乃し梅本舗 佐藤屋 本店

無事たぬきの捕獲に成功し、その足で今度は乃し梅本舗 佐藤屋本店へ。 お店の名前に「乃し梅」とあるように、梅を原料とした山形県生まれのお菓子「のし梅」の元祖として有名なお店です。

 1821(文政4)年創業という老舗で、現在の建物は1939(昭和9)年に住宅兼店舗として建てられた木造モルタル耐火建築。当時は家族の他に職人さんも住んでいたそうです。

のし梅とは

江戸時代後期に、山形の医者が長崎に遊学した際に中国人から学んだと伝えられ、当初は梅の酸味を利用した薬としても位置付けられていたそうです。

実は山形の特産である「紅花」とも関係していて、紅花の発色を良くするために梅の酸を用いられたため、良質の梅が多くあったことが「のし梅」が山形で広がった理由だと思われます。ここでも「紅花」が出てくるとは〜。

梅をすり潰し寒天に練り込み、薄く伸ばして乾燥させ、最後は竹皮で挟みます

板状の乃し梅を短冊状に切って砂糖をまぶした梅しぐれという商品は、気軽に食べられるのでお土産としてもオススメ。あまじょっぱくて、不思議と昆布のような味がしました。味音痴なので的外れなこと言ってるかもしれません・・・。

梅しぐれ

乃し梅と濃厚チョコが組み合わさった“ネオ和菓子”玉響(たまゆら)は、梅の酸っぱさと相まって、まるでオランジェットのような爽やかさで美味。つまり、オランジェット好きにはたまりません!見た目も美しいので女性へのプレゼントにも喜ばれそうです。

「たまゆら」という言葉の響きも美

山の携帯食「ウヤムヤ」

その他にも店頭には様々なお菓子が並んでいたのですが、実はわたしのイチオシは看板商品の「乃し梅」でもオシャンな「たまゆら」でもなく、摩訶不思議なネーミングとユーモラスな版画のイラストが印象的なウヤムヤ

砂糖を使っていないというショートブレッド(4枚入り)も、素朴な美味しさでとても好きでした

「ウヤムヤ」は、山形と宮城の県境「有耶無耶関」に住むという霊鳥をイメージして作られたお菓子。

この峠には山鬼が住んでいて、人を取って食らっていた。しかしいつのころからか、仙台側の「無耶の観音」と山形側の「有耶の観音」の霊鳥が峠に住み着き、鬼がいる時は「有耶」、いない時は「無耶」と鳴いて旅人に知らせたという。

有耶無耶の関跡 | 宮城県川崎町観光ポータルサイト かわさきあそびより抜粋

昔ながらの和菓子「のし梅」も大切にしつつ、「たまゆら」や「ウヤムヤ」の他にもレモンとラム酒等を使った羊羹「りぶれ」、乙女心をくすぐる「空ノムコウ」など、若い人にも喜ばれそうな商品を次々に生み出していて、とても魅力的なお店だと感じました。ネットショップでも購入できるので、気になる方はぜひお取り寄せしてみてください。

山形和菓子「乃し梅本舗 佐藤屋」のし梅からネオ和菓子まで200年重ねても若い老舗

さて、時間はすでに13時過ぎ。そろそろわたしもエネルギー切れだよ・・・朝から歩き通しで足も痛いし、胃袋にはリーフパイしか入っていない(とっくの昔に消化済だよ?)。倒れるのも時間の問題です。遅めの昼食を食べるために今度こそ街中へと戻ろうとするも、ただ歩いているだけなのに素敵な建物に次から次へと遭遇します。

ゴリゴリのクリーニング店だけど実はすんごい素敵な建物

そして疲労困憊の中、最後の最後に心を鷲掴みされる最強のラスボスとついに出会ってしまったのである・・・。

旧吉池医院

その姿を見た瞬間、空腹と足の痛みのこともすっかり忘れ、夢中になって写真を撮っている自分がいました。

トキメキが止まらない

扉には一枚の張り紙。

なんと、去年の2023年1月に閉院したばかりではないか。というか、それまで現役の病院だったというのだから驚き!

やはりこの素晴らしすぎる建物を名残惜しく思う人も多かったようで、地元の有志たちが協力し合って、建物内の見学イベント等が頻繁に行われているようです。

近代建築山形ミュージアム 旧吉池医院 | 山形市 | Japan, Yamagata, 山形市,山形県

「近代建築山形ミュージアム at 旧吉池医院 3rd」と題し、2024年5月19日〜9月21日までの間、毎月第三日曜日から1週間内部公開のイベント等が行われるようなので、お近くの方はわたしの代わりにぜひ中を舐めまわすように見てきてください。

素敵すぎる受付。玄関扉のガラスにへばりついて中を食い入るように見つめていた怪しい人物はわたしです

ふがふが鼻息を荒くしながらじっと中を見つめていても、奥まで透視することはできません・・・。あきらめて今度こそお昼ごはんを食べに行きましょうね。

このまま保存活用されることを願います

珈琲専科煉瓦家

胃袋と喉を潤しに訪れたのは芸術的なマダムが営む珈琲専科煉瓦家さん。

何が芸術的って、手書きのメニュー表が凝り過ぎてて・・・!メニューを伝えたい気持ちよりも、見た目の美しさの方が勝っています(正直言って読みにくい)。でもそのメニュー表もこの喫茶店の魅力の一部になっていると思われるので、ぜひ実際に見てほしいです(写真無し)。

店前のメニューのボードから想像していただけたらと

そして肝心の喫茶メニュー。わたしが食べようと思っていたご飯系はなんと時間が時間だったので売り切れ・・・(号泣)。仕方ないので蜂蜜とシナモンがかかったトーストをいただくことに・・・。

ひもじいよぉぉぉ・・・(自業自得)

でもね、これがとーーーーーっても美味しかったの!!!(腹ペコだったからなのかもしれないけど)すっかり息を吹き返しました。

糖分万歳

あとはもう宿に荷物を取りに帰るだけ。そう、山形ひとり旅は終焉へと近づいていました・・・。

最後の山形散策

時に遠回りをしながら、気になる道を歩きつつ、宿に向かって歩きます。

また見つけた「団子の木」

素敵な持ち送りを持つ建物も

時間があったら行きたかった山形市立第一小学校旧校舎を活用したやまがたクリエイティブシティセンターQ1も通り過ぎます。

昭和初期竣工の国登録有形文化財の建物

何気に校舎前(裏側?)のバス停のフォルムも可愛くて好きでした。

かわゆす

あっという間に宿へと到着し、荷物を受け取りそのまま山形駅へ。新幹線に飛び乗り、山形ひとり旅は終わりを迎えたのでした。(このやっつけ感どうよ?)

新幹線の中ではもちろん「たぬきケーキ」

おまけ

夕方に東京に到着し、夜はちょっぴり寄り道して見たかった展示にすべり込み鑑賞。

「面の界-神楽面が表現するかたち-」より

翌朝、朝一番の飛行機に飛び乗り福岡へ。

まだ暗い早朝の飛行機

福岡空港に到着したその足で会社へと向かい、白目を剥きながら仕事をするのでありました・・・(おつかれわたし)。

おわりに〜フィルム写真集〜

生まれて初めての山形旅。温泉や加勢鳥、自然が生み出した奇石と信仰、近代建築などなど、様々な山形の顔を見れたような気がします。それでもきっとほんの一部。次に山形県を訪れるなら、今回取りこぼした「ムカサリ絵馬」、そして「紅花」がメインでしょうか。でも絶対わたし好みの建築であふれていると思われる酒田市にも行きたいし、酒田市に行くなら未踏の地である新潟県にも行きたい。その他にもまだまだたくさん行きたい場所がある。

ちっともあらがうことができない煩悩の渦に引きずり込まれながら、今宵もまた次なる旅に想いを馳せたいと思います。 最後まで読んでいただきありがとうございました!

またね

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:Konica AUTOREX + HEXANON AR57mm F1.4(モノクロ:自家現像)

⑤竹崎島正月ひとり旅2024【竹崎観世音寺修正会鬼祭・日中行編】

CONTENTS

雨の竹崎観世音寺

土砂降りではないものの、わたしの願いも虚しく相変わらずの雨・・・。昨日準備が行われていた建物に向かってみると、ちょうどお祭り前のお経を唱えているところでした。

入口上部には「平井坊」の文字

見学もほどほどに、早速お寺へと向かうことにします。

雨だねぇ・・・

お祭りが始まる前に、本堂内をじっくり見るチャンスです・・・!!!

千手観音さまのお隣にはカッコイイ仏様もいた(不動明王さま?)

祭壇には鏡餅や稲穂、野菜や柑橘などがお供えされています。童子たちの貝に入れる稲穂もここから取っていました。

お供えもの

そもそも鏡餅ってどんな意味があるんだっけ?気になったので調べてみました。

鏡餅(かがみもち)とは、餅を神仏に供える日本の伝統的な正月飾り(床飾り)であり、穀物神である「年神(歳神)」への供え物であり、「年神(歳神)」の依り代である。鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。鏡はこの世とあの世の境界と捉えていた。昔の鏡は青銅製の丸形である銅鏡で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。

鏡餅 - Wikipedia より抜粋

へーへーへー。歳神さまへのお供物&依り代で、「鏡餅」の名前は昔の鏡に似ていることからそう呼ばれるようになったのね!内陣正面の両側に飾られている装飾されたお餅はまんま鏡の形だよ・・・!!

最初鏡餅と言われた時はピンとこなかったけど、銅鏡と言われるとしっくり

本来なら日中行でも昨晩と同じように荷を抱えながら階段を登ってくるはずなのですが、すべて本堂に置かれたまま。やはり今日は雨のため本来の形では行わず、すべて室内で行われるようです・・・。

祭壇両側の畳の上には、子どもたちが頭に被る魚笠や籾殻を入れてた貝などの道具が一式置かれています。そしてその奥には・・・

子どもたちが使うアイテム

・・・異形の面!??

荒々しい真っ黒フェイス

ぐりっと飛び出た目玉にとんがった鼻、ぐっと食いしばった口。真っ黒な肌に白い線が躍動し、荒々しくて迫力あるのにどこかひょうきんなお顔。なんて味わい深い面なのでしょう!!

もしかしてこれが鬼・・・???

と思ったけれど、どうやら「翁面」らしい。翁=お爺ちゃんのイメージだけどちっともそのようには見えず、まるで鬼か天狗のようだ・・・。
鬼の逢瀬を阻止するための祭りですが、肝心の鬼の面は鬼箱に入れられたまま、代々の住職ですら見てはいけない秘面であるという。トキメキがすぎるではないか・・・!!(鼻血案件)いつの時代に作られたもので、一体どんな姿形をしているのでしょうね・・・どきどきわくわく。

ちなみに昔(少なくとも1665年頃まで)は、実際に鬼の面をつけて責める形の行事が行われていたようです。

現行の行事では、鬼は鬼箱に閉じ込められたまま四名の鬼副に擁護されて、最後までその姿を表すことはないが、古くは鬼面をつけた者を実際に責める行事であったという。市場直次郎氏は、寛文九年(一六六五)大木英鉄の序ある『肥前古跡縁起』に、「古へ故ありて鬼祭と云祭礼をなす事あり(略)毎年正月六日、此神事をなすこと、白布の袋に人を入、口をくくり、鬼面をかけさせ、拝殿におどり出れば、人々首に縄を付てあたりを引き廻す。所在のわらべども、竹の枝など面々持て、此鬼舞を打ちたたく(略)」と記されており、現在とは異なる鬼責めを行っていたようであると記しておられる。

「追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―」中村茂子著 より

今では鬼箱に収められている秘面が、その鬼責めに使われていたものなのかは分かりませんが、時代が下るにつれてどんどん祭りの形が変容していったのですね。おもしろい〜。

お堂内には、一番賑わっていた頃というお祭りの写真が飾られていたました。今では行われていない鬼箱の鬼を封じ直す「鬼攻め」のシーンです。見てみたかったなー。

こんなに若者が溢れていた時代があったのだ

壁には祭りの流れが書かれた張り紙も。その時にはちっとも気づかず全部撮れてなかったよね・・・(相変わらず残念な我が注意力)

見切れていても撮っててよかった

そろそろお祭りが始まる13時。撮影スポットで待機せねば・・・!!!

雨・・・ですね・・・

日中行

本堂から太鼓と鉦の音が鳴り響きます。

昨晩とは違う始まり方にワクワク!

その音を合図に、階段から傘を差した人々が次々に登ってきます。晴れていれば遠くには青い海と空が広がってさぞ美しい光景だったろうなぁ・・・。

ま、これはこれでレアということで

鬼副と呼ばれる若者ふたりが2本の棒を槍投げのようにお堂(というよりも空?)に向かって掲げたかと思うと、勢いよくお堂に向かって走り出します。

裸足で駆け抜けます!がんばれ若人!!

後に続いてぞろぞろぞろ。わたしたちも本堂の中へと参りましょう!

太鼓経・フレイ経

本堂内では昨晩と同じようにお坊さまのお経ソロに始まり、お経&太鼓セッション、子どもたちの籾殻わっしゃー!へと続きます。

いつみてもかわいい抱っこ

籾殻をわっしゃー最後にぶちまけるフレイ経がやっぱり好き!このフレイ経は初夜行、今では行われていない後夜行、日中行すべての行で行われるからとても大事なものなんだろうなぁ。

わっしゃーーーーー!

大聖棒(だいしょうぼう)打ち切り(1回目)

お次は鬼副ボーイズの一人が48本の樫の木を一つに束ねた大聖棒を担いで現れます。この鬼副は毎回かっこいい青年が選ばれると、昨日焚き火していた時に少しお話させていただいたおじさまが教えてくれました。

他の地域の牛王杖(ごおうづえ)に相当するものらしい

「だいしょーーーう だいしょーーーう」

周囲の掛け声に囃し立てられながら、お堂の入口で大聖棒の束をゆらゆら床に向かって揺らした後、振りかぶって階段の角に勢いよく打ち付けます。

ドーン!

どうやら結んでいる縄を切らないといけないらしい。何度も挑戦するのですがなかなか切れず・・・(思わずガンバレーと言ってしまう)。

そんな時はおじいちゃんの七つ道具、カッターのご登場だよ!

縄に切れ目をいれるのであります

と思ったら・・・切り過ぎたようで、振りかぶる前に切れちゃった・・・!!!

顔を見合わせて苦笑い

しゃーないので、このまま振りかぶってーーーー

ドーーーーーン!!!

するけど、やっぱり切れない・・・。このぐだぐだっぷりが可笑しくて愛しい!

もうえーじゃろーーーっと、棒をひっぱり抜いてバラバラバラーーー

傍観者だった人たちが一斉に棒に群がります・・・!その勢いにびっくり・・・!!!

老若男女入り乱れ、あっという間になくなってしまいました・・・。

どうやらこの大聖棒にはご利益があるらしく、2本も3本もゲットしている人もいました。欲が深いねぇ〜(人のこと言えない)。

天狗拍子

そして再び童子たちの出番。本来ならここから庭に降りて行われるのですが、あいにくの雨。すべて本堂の中で執り行われます。

童子たちがそれぞれ赤と緑の扇を持った左手同士を繋いで引き合いながら、右手のマラカスみたいな鈴をふりふりーーーふりふりーーーーー。お坊さまの言葉に合わせて舞いを披露します。

大聖棒打ち切り(2回目)

そして2度目の大聖棒打ち切り。相変わらずのぐでぐでっぷりでカッターおじいちゃんが何度も登場していました笑

なんとか縄を切って棒をぶち撒けます。棒に群がる人々の熱量もやっぱりすごい!今回もあっとう間になくなってしまいました。すると、その棒をお坊さんに頼んで地面にバシバシ叩いてもらっています。

こうするとご利益が増し増しになるの・・・?

牛王杖(大聖棒)について少し調べてみると、お堂の床を叩いたりすることで悪霊を退散させるという意味があるようです。なるほど〜。

ヒザツキ

棒叩きタイムが終わると再び童子さまたちのご登場。一番やること多いのこの子たちだね!がんばれーーー!!

鈴をふりふりする「天狗拍子」と同じ?と思いきや、さっきとは違う膝を曲げる所作があります。

鈴を振る時はお坊さんが「ふってふってーーーーー」って言ったり、動作を指示してその通りに動く童子たちの姿がなんだかとてもほんわかしてて好きだったなぁ。

男面と女面

一番最初に舞うフレイ経では大人の男面をつけていましたが、2回目の「天狗拍手」と3回目の「ヒザツキ」では大人の女面を被っています。わたしはその場にいる時は違う面をつけているとはまったく気づかず、後で調べて知るという・・・。だって、わからなくない???

(左)男面 (右)女面

・・・あれ?よーーーーくみたら、もしかして女面「お歯黒」してる・・・!??(あと、男面にはもみ上げがある?)

お、おもしろーーーい!!!

このことからも古い時代から行われてきた祭りなのだということがわかりますね・・・。ちなみに以前の祭りの映像を見ると、女面の時は色とりどりの紙で作られた飾りを頭に被るようです。やはり雨で完全版ではなかったのか、それとも今年からやめたのかは不明。見たかったな・・・。

ビサラモンポー(毘沙羅門棒)

これ以降はすべて面なしの素顔での舞。一本の大聖棒を手に、お坊さまの「びさーらもんぽー びさーらもんぽー」のリズムに合わせてステップを踏みます。

びさーらもんぽー びさーらもんぽー 頭から離れなくなるー

童子舞には陰陽師等でも知られる足で地を踏みつける「反閇(へんばい)」の所作をはじめ、全体に呪法的色合いの濃い動きが見られるそうです。本日何度目かのトキメキ・・・!!!

鉾突き

お次は鬼副ボーイズの出番!囃し立てるように一斉に法螺貝や鐘の音が鳴り響きます。

笛吹のおいちゃんたち

法螺貝吹いてるおいちゃん

鉾を交差させ擦り合わせると、ぐるっとゆっくり半回転。そしてその交差させた鉾の間をお坊さまたちがくぐり抜け、再び鬼副がゆっくりと半回転して元の位置に戻ります。

ぞろぞろぞろ

鬼副ボーイズが色とりどりの紙飾りをずっとくわえているのも面白いと思いました。

どんな意味があるのだろう?

翁面

鬼副ボーイズが童子たちに例の翁面を持ってきました!大聖棒の先に翁面をあてて、お坊さまの「なよーい  うよーい」の言葉に合わせ、翁面をこくん、こくんと頷くように揺らします。(意味は・・・わからん!)

向かい合って、こくんこくんと翁面を揺らします

それが終わると鬼副が再び翁面と大聖棒を受け取ります。

まるで童子たちの助手みたい

青蓮華・赤蓮華(しょうれんげしゃくれんげ)

まだまだ続くよ童子舞!お次に鬼副が持ってきたのは赤と緑の風車のような飾りもの。どうやら蓮華を表しているようです。この飾りを片手で持ち、お坊さんの言葉に合わせてステップを踏み、最後はその場でぐるーっと回って「なりけりー!」の声に合わせて決めポーズ!!

お坊さまの「なりけりー!」の掛け声に合わせ、天に蓮華を掲げる童子たち

五大忿怒王(ごだいふんぬおう)

鬼副が蓮華の飾りを受け取り戻ると、今度は童子たちの父親と思われる両副たちが刀を差し出します。

「ごだーいふんぬーおーう ごだーいふんぬーおーう」

お坊さまの言葉に合わせ、ステップを繰り返します。単調ではあるものの、途中で後ろ向きにステップを踏む動きがあるので慣れるまで難しそう!

後ろ向きでもぶつかることなく舞を終えます

そして毎度お馴染み両副による童子だっこ!これにて童子舞はすべて終了です。

大役 お疲れ様でした!

以上の7つの舞すべての前後では、この両副が童子たちを抱えて決して歩かせることはありません。

今回は雨ですべてお堂内で行われましたが、通常ならこれらすべての舞ごとに両副がお堂内から童子たちを庭へと運び出し、舞を終えたら再びお堂へと運び入れるという姿を見ることができます。

移動の時に地に足をつけさせない理由は、堂内は霊界であって童子は聖なる霊体として扱われていることを示しており、その聖なる霊体の出現を演出しているものと考えられているそうです。しみじみとおもしろいなぁーーー。

この後に行われていたはずの鬼攻めはもちろん今回も人手不足により行われることはありません。お坊さまによる最後のお経が行われ、竹崎観世音寺修正会鬼祭は終了となります。

最後のお経

お疲れ様でございました!!!

「平井坊」へと戻る人々

大聖棒ラストチャンス

帰ろうとしているおいちゃんにどこに大聖棒を飾るのか聞いたら、縁起物だから玄関に飾ることが多いと言っていました(後日読んだ資料には、床の間に飾って農家では田畑の虫除けにするとも)。

わたしが大聖棒を持っていないことに気づき何度も「あげよか?」と言ってくれたけど、そのままバスや電車に乗ってたら不審者なのでは・・・?それにもらっても場所に困りそう・・・と思って気持ちだけもらってお断りしたんだけど、今更ながらちょっと後悔。今年一年約束されたご利益を取り逃しました・・・。でも、きっとその場にいたことでご利益のおこぼれもらえてるはずーーー!!!次はぜひとも大聖棒の壮絶なる争奪戦に果敢に参加したいと思いますっ。

さて、祭りの様子はYouTubeに色々と転がっていますので、もっと詳しい祭りの様子を見てみたいという方はぜひとも検索してみてください。実際に観に行くのが一番オススメだけどね!

さよなら竹崎島

竹崎観世音寺近くのバス停でバス待ちしてたら、バス停隣に車停めてたおいちゃん(大聖棒のおいちゃんとは別)が駅まで乗せてってあげるという!でもあと数分でバスが来そうだったのでこれまた丁重にお断り。ほんと、世間にはやさしい人が多いね。ありがたい・・・。

すぐにやってきたバスに乗り込みます

バスに乗るとなんと「無料」と言われてびっくり!え?そんなことあるの!??聞き間違いかなぁと思ったら、次々に乗ってくる人たちに無料って言ってて、みんな「え?無料??」って驚いているのも面白かった。正月だから??無料すごいわ!ありがたやー!!今回の旅ではスマホ壊れたり雨降ったりしたけど、なんだかんだで色々と幸せな気持ちになれてもしかしてラッキーなのでは・・・???

バスの車窓からはキリスト看板も発見できたし!

有明海にもさよなら

あ!佐賀でよく見かける交通安全子ちゃんだ!!!(わたし命名)

好き!

鹿島市観光物産センター

あっという間に肥前鹿島駅へと到着。少し時間があったので、駅内にある鹿島市観光物産センターを物色することにします。

地方の練り物はなんでこんなにも美味しく見えるのか・・・(エビマヨカツ買って食べたら美味しかったよ!)。

ご当地感満載のお菓子を見るのも楽しいよね。

鹿島市には有名な祐徳稲荷神社があるのですが、稲荷ようかんなるものが売られていました。

有明海ならではの「わらすぼ」や「むつぼろう」関係の品々も充実!!!

B級ホラー映画感満載のマグネットたまらんね

自分へのお土産にムツゴロウ爪楊枝入れを購入。

とりあえず持ち帰った籾殻入れてみた

最後にアイスコーナーを覗いてみると・・・

ご当地感満載なトラキチ!?これは買わずにはおられない・・・!!!

大好物は「昭和の香り」です

調べてみると、なんと作っているのはあのブラックモンブランと同じ会社だというではありませんか!

商品紹介|ブラックモンブラン|竹下製菓株式会社

早速駅のホームでもぐもぐ。みんな大好きチョコバナナ。美味しくないわけがない。

ちょっと寒いけど!

クジまでついてて最高です。

運は貯めておきたい人間なので「ハズレ」で結構!

電車に乗り込み、乗り継ぎしながら自宅に帰り着く頃には真っ暗になっているのでした。年末に突然思いついた旅ではありましたが、とっても実りある旅になったように思います。スマホは壊れたけど!壊れたけど!!(半泣き)行ってよかったです。

最後に

竹崎島という小さな島の中に、お祭りをはじめ火山や蟹、恵比寿等といった魅力がぎゅっとつまっていて、とっても大好きになってしまいました。

モノクロフィルム(自家現像)

そして2日間続けて体験した竹崎観世音寺修正会鬼祭。完全版ではなかったものの、とっっっても楽しくて!!!何の知識もないまま向かったお祭りでしたが、今回ブログを書くにあたって、ずっと気になっていた国東半島の修正鬼会と同じ系統の行事であったことを知り、行きたすぎて息が詰まるほどにブルブルと震えております・・・!!!(色々と共通点がありそうなので実際に見てみたい!)

モノクロフィルム(自家現像)

さらに全国各地で行われる修正会や鬼が出てくるお祭りも気になり出して・・・。

鬼すべ

こちらはたまたまお誘いされて今年の1月に訪れた太宰府天満宮の鬼すべ。鬼すべの前に行われた鷽替え神事もたのしかった!!

火を操る男たちが眩しかった!

今は猛烈に修正会に行きたい・・・。またまた追いかけたいテーマが増えてしまったよ。生きているうちに興味のあるすべての場所に行くことができるのだろうか・・・若干途方に暮れつつ興味が尽きないことは幸せなことだなぁとしみじみと思うのでありました。

■参考文献・サイト

「追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―」中村茂子著

喜多文庫民俗芸能資料 

文化遺産データベース

童子舞(どうじまい) |太良町ホームページ

奈良県の祭りと芸能 - 奈良県無形文化遺産アーカイブ

仏僧の独り言

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria + Planar 50mm f1.4

⑪台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【黒川さんさ踊り編】最終回

大慈寺の門前に次々に集まり出したカラフルな装束の人々。果たして彼ら彼女らの正体は・・・???

逢う魔が時

CONTENTS

黒川さんさ踊り

門前で準備しているのは「黒川さんさ踊り」の踊り手さんたち。鮮やかな牡丹が咲いた花笠、腰には7色の布が垂れ下がり動くたびにゆらゆらと揺れています。白地の衣に染められた桔梗の花と「黒川」の文字は、昭和レトロでとっても可愛らしい。

絶賛準備中

「伝統さんさ踊り」と「統一さんさ踊り」

「さんさ踊り」とは、藩政時代から踊られている盆踊りで、一部県北地域をのぞく岩手県全域に見られる郷土芸能。「さんさ踊り」の中には「伝統さんさ踊り」「統一さんさ踊り」の2種類あって、前者は藩政時代からの踊りを「芸能」の域にまで高め、現在まで受け継いできたもの(かっこいいな!)。地域ごとに独自の笛や太鼓、踊り、装束が存在しており、「黒川さんさ踊り」もそのひとつ。後者は、地域ごとに異なる「伝統さんさ踊り」を誰もが踊れるように統一化し新しく創作されたもので、毎年8月のはじめに盛岡市で開催される夏祭り「盛岡さんさ踊り」のパレードで見ることができるそうです。

■参照サイト

残したい盛岡のお盆 黒川さんさの門付 | NPO法人盛岡まち並み塾

郷土芸能じぶんち 7号特集「伝統さんさ踊り」

実は今まで「さんさ踊り」の存在をまったく知りませんでした(ごめんなさい)。生まれて初めて見る岩手の盆踊り。一体どんな踊りなのかしら・・・?

お寺さんと反対方向へぞろぞろと大移動してスタンバイ

いよいよ岩手ひとり旅、最後の夜が始まります・・・!!!

大慈寺

提灯を手にした貫禄あるおじさまが先導し、一列になって太鼓や笛を奏でながら大慈寺へと向かいます。その姿に早くも胸ときめき・・・。

左には道化役の「一八(いっぱち)」の姿

列に参加せずに道路脇でひとり見守っていた道化役の「一八(いっぱち)」が、列の最後に加わります。山門へと吸い込まれる姿が、この世のものとは思えない雰囲気を醸し出していました。その姿に誘われるかのように、わたしもその後に続いてお寺さんへと向かいます。

なんだかドキドキしてきました

境内に太鼓と笛と歌が鳴り響き、大きく円を描きながら黒川さんさ踊りが始まります。軽快な太鼓のリズムと流麗な笛の音色、踊りは緩急があってとても柔らかいのに不思議と力強さも感じます。腰の色とりどりのカラフルな布が踊りのリズムに合わせて揺れてより一層華やかに。どこか愉快さも感じる穏やかな歌はずっと聴いていられる心地よさ・・・。シンプルに言って、

とても、とても良い・・・!!!

楽器を弾きながら踊るのもすごい!笛の息継ぎどうやってるの・・・??

おじさまたちも頭におっきなお花つけてるのがとても可愛い

お寺の雰囲気にもとても合っています

そして、ひとり規格外の動きをするのが道化役の「一八(いっぱち)」。衣装も他の人たちとは異なっています。他の踊り手さんに比べて動きがとっても柔らかい!(気がする!)まるで骨がないような角のない滑らかな動き。とても不思議で面白かったです。

円の中心でみんなに見守られながらひとりで踊る「一八」

よーーーく見たら・・・イタチ!??手にはなぜかイタチを持っています笑(害虫を食べてくれるからという説もあるようですが、理由ははっきりしていないそうです)

ふさふさもこもこ。本物の剥製?

実はわたくし、ダンススクールでバリバリ踊ってた過去を持っている・・・わけではもちろんない。むしろ小学校低学年時のダンス練習で、先生に名指しで動きが変と注意されたことがあるくらい苦手である(今でもはっきりと覚えてるくらいショックだったらしい)。

そんなダンス音痴なわたくしなので、見てても何がどうなってるのかまったくわからないのですが、円になって踊るだけじゃなくて向かい合ってダイナミックに交差したりして(よくぶつからないね!?)なんだかとってもすごい!気がする!!(語彙力)

かっこいいんだよー!!!

見た目はとっても乙女チックで可愛いのに実はめちゃくちゃ骨太でカッコイイ!「勇壮」という言葉がピッタリのような気がします。

踊りはクライマックスへ

大慈寺での踊りを終えると、再び一列になって山門をくぐって外へと静かに出てきます。

この一列で歩く姿も好き

休憩

階段を降りると、休憩している踊り手さんの姿がありました。

雨が降ったことに感謝する瞬間

これから場所を変えて踊りは夜まで続きます。もちろんわたしは最後まで!ついていく覚悟よ・・・!!

吾輩は金魚のふんである

山門前から移動する踊り手さんたちの後をついていくと、着いた先はわたしの大好きな湧き水場でした。

なにかと縁のある青龍水

これからどんな流れになるのかしら?まぁ、こうしてくっついてたら問題ないでしょ!・・・なーんて余裕ぶっこいていたら・・・

え?ここで踊るわけじゃないの・・・!??

再びみなさまてくてく歩いて行ってしまいます・・・(イケズな後ろ姿)

黒川さんさ踊りの門付(かどづけ)

かつて、お盆の時期には各地域の踊り組が盛岡の中心市街地に出向いて門付を行っていたそうです。黒川さんさ踊りでは、昭和40年代以降にほぼ消滅したと言われる門付を復活。

鉈屋町​界隈の家々では、お盆の時期に先祖の霊を迎え、送るかがり火を焚く風習が残っています。今日は14日。ご先祖さまのこの世への道標である迎え火が道路の真ん中で焚かれていました。観客に混じって黒川さんさ踊りを一緒に観て楽しんでるんだろうなぁ(もしかしたら踊ってたり?)

かがり火

夕闇に浮かび上がるかがり火を囲み、黒川さんさ踊りの門付が始まります。

あ、あれ?最後に到着したはずなのに、棚ぼた的にベスポジをゲットしてしまったようだぞ?

鉈屋町の風情ある街並みと、時折火の粉を夜空に散らしながら燃えるかがり火。あたりがどんどん暗くなるにつれ、黒川さんさ踊りがどんどん輝きを増していきます。

か、かかかかっこいいーーーーー!!!!!

なんていうんでしょう?まるで戦隊モノのヒーローのような?そんなカッコよさ!!!踊り終わった瞬間すべての悪が浄化されて世界が平和になるのでは・・・???というような妄想にかられてしまうほどの圧倒的パワーでした。

わたしも成仏しちゃいそうだよ

ところで、すっかり陽も落ち、かがり火で照らされた雰囲気満点の空間が出来上がっているにも関わらず、わたしの腕不足&カメラのパワー不足でまともな写真がぜんぜん撮れず・・・(ISO感度上げるとザラザラになるし、下げるとブレッブレの写真しか撮れないし)。もう・・・完全にお手上げです!!!

ブレがいい味出してると思ってくれ

そんなわけなので、動画をおたのしみください・・・。一八にイタチで頭ちょんちょんされる女の子かわいいな!(わたしもちょんちょんされたかった!!)

お寺さんの境内での踊りもとてもよかったけれど、この場所で見た黒川さんさ踊りが一番大好きでした。鉈屋町の風情ある建物に囲まれ、踊り手の息遣いが感じられるような小さな空間で、かがり火に照らされた迫力満点の踊りをこんな間近で見ることができるだなんて・・・最高に幸せだよ・・・・・。

踊りが終わると次の場所にみんなでぞろぞろ大移動するのもたのしかったです。

照明が星型なのはたぶんオールドレンズつけてたからだと思うけど、なんのレンズ使ってたっけ・・・(記憶力・・・)

最後の舞台は「もりおか町屋物語館」。もうこのあたりではあきらめてほとんど写真撮ってなかったよ?

はい、ブレてまーす

写真を撮らず、踊りに集中できるのも喜び。だけど自分の実力で写真がうまく撮れないのがとても悔しい・・・

踊りを見てたらこっちに向かってコロンコロン!と落ちてきた小さなシルバーの鈴。踊り手さんたちの装束の背の襟下には可愛らしい小さな鈴が付いているのです。

3つの鈴がリン!

踊ってる最中に取れて踏んずけぐにゃりと潰れたようで音も鳴らないけれど、記念に持って帰ることに。きっとこれは幸運の鈴に違いない!大切にしたいと思います。

どの踊り手さんのものだったのかなぁ

最後にちょっとしたプレゼントをもらって(勝手に)、黒川さんさ踊りは終了。18時から20時過ぎまで約2時間ほどでした。あっという間だったけど、色々な場所でたっぷり踊りを見ることができてとっても楽しかった!台風で1日早く帰っていたら見れたなかったんだよなー(みんな忘れてると思うけど、わたしももう忘れてたけど、深刻に台風危機一髪旅だったのじゃよ・・・?)岩手旅最後の夜を、黒川さんさ踊りで終わることができて本当によかったです。

ところで、記念に最強の失敗写真でも最後に載せておこうかね?

嗚呼、愛しき失敗写真

最後の盛岡観光

実はこの黒川さんさ踊りの最中に、色々とよくしてくれたカメラマンおじさまがおりました(さんさ踊りの撮影スポット教えてくれたり)。最後のさんさ踊り会場では陣取った場所で偶然隣同士になり、なんと帰りは宿へ車で送ってもらえることに・・・!さらに宿へ送ってもらう前にちょっとした盛岡観光をして帰ることにっ。何から何まで本当にありがとうございます・・・!!!

鹿島精一記念展望台

まずは盛岡の夜景を一望できる展望台へ。UFOみたいな面白い形してた・・・!好き!!

夜でよく見えなかったけどたぶん好き
三角形の螺旋階段も!好き!

個人的に気分がアガる好きな展望台でした。

あ、もちろん盛岡の夜景も拝んできましたよ。そしてついでに夜景の撮り方も教えてもらいます(夜の撮影、これからは頑張りたい)。

無駄にボケさせたくなる病

おぉ、わたしなんだか普通に観光してるっぽい!観光してるっぽいぞ!!

夜景を楽しんだ後は、夜の近代建築巡りをして(再び人魚の写真館、その前にある肉屋さん、盛岡銀行等)、美味しい冷麺のお店を教えてもらって宿に届けてもらいました。歩いてだと絶対に行けなかった展望台にも連れて行ってもらえたし、鉈屋町から離れていた宿にも車でひとっとび!ほんとになんてラッキーなのだ・・・。旅先でいい人に出会えてしまう、もうこれは才能なのではないだろうか・・・(自画自賛がすぎるぜ)。

大盛り冷麺

時計の針はすでに22時前。入店したのは宿近くのぴょんぴょん舎。最後の最後にやっと本場の盛岡冷麺にありつけたー!そう、わたしは岩手ならではの食べ物がずっと食べたかったのだ・・・涙

盛岡冷麺

荒ぶってうっかり大盛り頼んだら、大盛りすぎて最後は苦しみながら食べるはめに・・・。美味しかったけど、なんでもほどほどに・・・ですね(毎回そう思うのに、同じ過ちを何度も繰り返すのである)。

カメラマンおじさまにオススメされた盛岡フードの「じゃじゃ麺」(3回目くらいにクセになる味らしい)、今度旅した際にはぜひ挑戦したい。あと、人魚の写真館前の肉屋さんのお肉も。朝市で食べれなかったひっつみも食べたいよー!喫茶店にも行けなかったし。次の旅では郷土色の強いものをいろいろと貪欲に食べ尽くしたいと思います!!

岩手最後の朝

朝目覚めると、雨が降っていました。今日はもう福岡へと帰るだけ。でも、わたしには最後にやらなければならないことがあるのだ・・・!!!

雨に濡れたさんさ踊り

福田パン

盛岡滞在中、2日続けて振られ続けた福田パン。知らなかったんだけど・・・盛岡駅の中にもお店があるんだね???ただし、こちらで扱っているのはすべて出来合いのコッペパン。自分で中に挟む具材を選ぶことはできません。次は必ずや本店で自分チョイスのコッペパンを食べたいと思います!

どれにしようかな♪

心残りの岩手ミッションを完全ではないまでもひとつ回収し、とうとう初めて旅した岩手とのお別れです。遠野から始まり、盛岡、江剌、一関と駆け抜けた約4日間。ちっとも足りない!足りないよ!!再びこの地を訪れることを夢見て・・・。

さらば!

東京へと向かう新幹線の中ではもちろん買ったばかりの福田パンで朝食タイム。昨日雨で当初の目的の鹿踊が中止にならなければ行くはずだった「うれいら通り商店街」。その近くにある鍾乳洞から汲まれたという水が使用された「龍泉洞珈琲」を飲み、「いつかかならずここにも行くぞ・・・」そう心に誓いながらパンをもぐもぐ頬張ります。

精神を研ぎ澄まして15%を感じ取りたい

正午すぎに東京駅に到着し、羽田空港へ。神戸、大阪あたりを攻めてる台風を避けて福岡へと到着!!!最初はどうなるかと思われた岩手ひとり旅。台風の直撃は免れたものの、遠野や盛岡では悪天候に振り回され予定変更を余儀なくされました。でも、そんなハプニング含めとっても思い出深い旅に・・・。

Googleマップと飛行機のモニターより

最後に

いつもは公共の交通機関と己の足で辺境の地を巡る旅をしがちですが、今回は人に助けられた旅になりました。ひとり旅だけど、たまにひとりじゃない。人に会いに行く旅の形も、たまにはいいかもしれないなぁー。全国にそんな人たちを増やしていけたらいいな。なーんて、人見知りなりにそんな風に思ったりもして、新しい視点を得た旅にもなったような気がします。

しかし、おんぶにだっこしすぎて「このままでいいのか!??」と不安になったのも事実。自分を追い込んだ旅も、無理しない程度に続き続けていきたいと思います!そのためにはいつまでも健康でいなきゃね・・・!!

思い出のカケラたち

さて、今回の黒川さんさ踊りで、夜の撮影、しかも動いている人物の撮影の難しさを痛感したわたくし・・・。今までAPS-CサイズのFUJIFILMのカメラを使っていたのですが、この件をきっかけについにフルサイズのカメラに手を出してしまいました!(底なし沼にずぶずぶずぶ・・・)新しいカメラを手に、これらも全国各地を巡っていきたいと思います・・・!!!

【完。そして旅は続く】

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑩台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【アラハバキ大神の巨石を祀る神社編】

一関市から今朝出発した盛岡へと戻ります・・・!行ったり来たりと忙しい〜(ってわたしは運転せずに優雅に運ばれているだけでありますが)

 

CONTENTS

アルテイ・モレの碑

盛岡に戻る途中、どこかに寄る時間があるとのことだったので「神さびた神社」をリクエスト。東北マスターY氏の脳内データベースの中から選び出された神社へと案内してもらうことに。

そこへ向かっていると、「アルテイ・モレの碑」と書かれた看板をたまたま発見。折角なので寄ってみることにしました。

ところで、アルテイ・モレ・・・?とは???初めて聞く言葉の響き。蝦夷(エミシ)の長アルテイとモレ(アルテイさんとモレさんだったのか!一人の名前かと思ってた)は、8世紀から9世紀にかけて現在の岩手県胆沢地方に実在した人物(蝦夷は知ってるよ!)。大和朝廷と戦って最後には敗れて処刑されてしまったんだって。アルテイ・モレの碑はあちこちに建立されているようで、ここもその中のひとつのようでした。

森に囲まれた荒れた細い道路をぐんぐん進んでいきます・・・

車を走らせていると、ここかな・・・???(不安)という空間にたどり着きました。

コテッと斜めになった小さな看板を発見。どうやら滝などもあるようです

矢印の指す方に行こうとするも地面は草でボーボー。このことからも、あまり人が訪れない場所ということがわかります。だが、ゆくぞ!この先に何があるのか確かめるのだ・・・!!!

熊が出そうな雰囲気

神社を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいきます。

その先に、アルテイ・モレの碑と、さらに奥に櫓が建っていました。

碑石がちゃんと撮れてなかったので解説板でご勘弁を

よーく見ると草に埋もれた櫓の下には古墳を示す看板があります。が、草が生い茂っていて降りれるような雰囲気でもなかったような・・・?やはり荒れ果てたままになっているのだろうなぁ。

アルテイ・モレ。今は存在を知ったばかりであまりよくわからなかったけれど、今後またどこかで出会うことがあるかもしれません。その時に興味がわけば、もっとホリホリすることもあるかも?その機会を待ちたいと思います。

さて、再び神さびた神社を目指してレッツゴー!!!

KAWAII

すると今度はキュン!とする建物を発見。それを伝えると車をわざわざUターンして停めてくれるというではありませんか・・・!やはり神か仏なのでしょうか・・・。ありがたく堪能させていただきます!!

た、たまらん!!

たまらんぞ・・・!!!

キリスト看板も・・・(2枚あるぞ)

そして・・・極め付きの・・・

!!!!!

ね、猫の足跡ーーーーー!!!!!

フロントガラスにぴっしりと猫の足跡が

す、すべってる・・・。すべってるよ・・・!!

嗚呼、その瞬間を想像すると可愛すぎて発狂しそうだよーーー!!!(鼻血)

この写真が今回の岩手旅で撮った中で一番可愛い写真に違いない。テンションが爆上がった瞬間でした。

巨岩を祀る丹内山神社

素晴らしい建物と猫の足跡に興奮して再び車に乗り込み、やっと到着した神さびた神社。そこは花巻市東和町にある丹内山神社でした。

入口

自然に囲まれたとても静かでひっそりとした場所(車がないと絶対来れない)。神社の一番上には「アラハバキ大神」という、これまた初めて聞くような響きの神様を祀った巨石が鎮座しているそうです。

実は巨石や磐座信仰というものに興味があって、太宰府にあるお稲荷さんの記事を書いたこともありました(アラハバキ神とは関係ありませんのであしからず)。巨石・・・古代の信仰・・・。なんでこんなに胸が高まるのでしょう・・・。

アラハバキ大神とは

アラハバキ大神は、古事記や日本書紀に登場することのない謎の神さま。蝦夷の神や製鉄の神等、他にもいくつか説があるらしいのですが、本当のところはわかっていないらしい。アラハバキ大神が祀られているところには必ず磐座があると言われいるそうです。た、高まるーーーー!!

以下サイトよりまとめさせていただきました▼▼▼

参拝へ

駐車場で降ろしてもらい、ひとり参拝しに向かいます。敷地案内図の看板をみると結構な規模の神社のようです。

どうやら参拝の順序は一番上のアラハバキ大神の巨石「胎内石」から下へ下へと参拝していくのが正式なルートだったもよう・・・。無礼にも下から上に逆方向に進んでしまいました。情報がたくさんあると・・・瞬時に処理できないんだ・・・・・。

入口には立派なお馬さん

空はどんより曇っているし、境内の雰囲気もなんだかもの悲しくて、急に孤独感が襲ってきました・・・。

「なんでわたしはここにいるんだろう・・・」(深い意味で)

そんな言葉がふっと頭をよぎります。

境内には見事な彫刻が刻まれた建物があったらしいのですがちっとも気付かず。

可愛い生き物の2枚しか撮ってなかった

この建物の側面だったのか、それとも他の建物だったのか。孤独感に支配されていたため、あちこちちゃんと見れていなかったようです・・・。

橋を渡り、本殿へ。

そしてついに・・・!!!

胎内岩

木々の隙間から現れた苔むした巨石。しめ縄がぐるりと巻かれ、神聖な岩であることが一目でわかります。

パワー感じてる人がいた

近づいてみると、岩の上には一本の木が生えていて、より神秘的な雰囲気を醸し出していました。神様として祀る気持ちがわかる気がします。

後ろから見た姿。正面に見める建物が本殿

2枚の重なり合った岩の隙間は潜り抜けれるようになっていて、壁面に触れることなく通り抜けると願いが叶うと言われているそうです。が、壁についても一応願いは叶えられるようです(アバウトだな笑)。

ブレてる解説板

こういうのは率先してやりたいタイプ!もちろん挑戦してみましたが、えーーーっと、これは子供じゃないと無理!!!隙間の中に小さな岩があって、簡単には通り抜けれないようになっていました。

中から見た入口がまるで刀傷のよう

胎内石くぐりをしているタイミングで、なんと空から大粒の雨が・・・!!!傘はもちろん持ってきてないし、神社の一番上からダッシュで戻るには駐車場は遠すぎる・・・。仕方ないのでしばしの間、御神体の中で雨宿りさせてもらうことに・・・。

さっきまでの悲しい気持ちは一体どこへやら。突然の雨と巨石での雨宿りに一気に気分は高揚し、すっかり楽しい気分になっていました。

雨はすぐに止み、満ち足りた気持ちで神社を後します。

アラハバキ大神さま、幸せな時間をありがとうございました!!!

ご当地グルメ。松葉商店のたこ焼き

盛岡へと戻る途中、花巻の松葉商店さんでちょっと腹ごしらえ。

無国籍感あふれる旗

ここのたこ焼きが、ご当地グルメとして有名らしい。

ラーメンもあるんだね!

プレーンとマヨネーズの2パックいただきます。

たこ焼き大好き!

生地がふわふわで美味しかった気がする・・・!!!(つまり食べてからだいぶ時間が経っているのでよく覚えていない・・・でも美味しかったことは覚えてる)

ただし2パックは多すぎましたな・・・。最後は味変できる何かがほしくなりました。

盛岡に帰還

ちょっとしたプチ観光をして、再び盛岡へと戻ってきました。2日続けて鹿踊を案内してくれたY氏さまとはここで解散。ご案内いただき本当に感謝です!移動距離、すさまじかったです・・・。

さて、夕方からは昨日下見をしたお寺さんへ参ります(そこで何があるのかは最後のお楽しみ!)。それまでぽっかりと時間が空いてしまいました。残された時間は約3時間ほど。盛岡散策はある程度してしまったし、遠出するには時間も気力も足りていない・・・。

あ、オススメされたあそこに行ってみよう!再び歩きはじめます。

何度往復したかわからない橋

光原社

盛岡に行くと言ったら数人にオススメされた光原社。きっと好きだよ、と言われたけれど、その通りとても好きでした!

ビー玉の模様のような色ガラスや床のタイルもかわいい

ショップがいくつか連なった集合施設になっていて、民藝が好きなら大好きな空間だと思います。宮沢賢治好きにもオススメです。

 

で、ここで事件勃発。

スマホ紛失!!!

光原社を出てスマホを取り出そうとすると、いつもなら入っているはずのポケットにない・・・・!おや?っと思い、ショルダーバックをごそごそ。ない・・・。リュックの中身を全部ひっくり返しても・・・ど、どこにも!

な!い・・・・!!!

ななななんと!スマホを落としてしまったようです・・・(真っ青)

ホテルからスマホの地図を見ながらここに辿り着いたので、間違いなくそれまではありました。まずは光原社のスタッフに確認するも見つからず。ここにないとすると一体どこに・・・?

ひとつ思い当たることがありました。一度荷物を整理するためにどこかのバス停のベンチに座ったのです。ただ、普段ぼーっとして地図だけを頼りに歩いているから自分がどこから来たのかちんぷんかんぷん!超焦ってるから同じ場所を行ったり来たり・・・。だって、スマホなくなったら新幹線や飛行機も乗れないし、警察に行ったりなんやこんやでこれからの予定も吹っ飛びます!!!

顔面蒼白になりながら、無意識の自分を信じおぼつかない足取りでベンチのある場所を探し歩いていると・・・

あああああったーーーーー!!!(号泣)

いやぁー、ほんと肝を冷やしました・・・。上の写真は、歓喜しながら足早に駆け寄ってスマホを手にとった後にハッと思い直して、再び同じところに置いて撮ったヤラセ写真です。

福田パン本店

大大大ハプニングで、精神的にも体力的にもぐったり・・・。とりあえず昨日食べれなかった福田パンの本店に向かったらお盆休み・・・。ま、軽く想像はしてたので、平気です・・・平気ですよ?(涙目)

どどん!

思い返せば、昨日の朝は中華そば、昼はクエン酸ゼリー、夜はコンビニ冷麺。今朝もちょっとしたコンビニ飯、お昼はたこ焼き。うぅん、どうやらエネルギーが足りてないようだ。だからこんなにも朦朧としてるんだ・・・。

果たしてこれから盛岡らしい食事をすることができるのだろうか!?

どこまでも運に見放される

その後は再び雨が降ってきて・・・不思議な歯医者さんの建物で雨宿りすることに。なんで今日は傘持ってこなかったんでしょう。昨日はちゃんと用意してたのに・・・。

木のために作られたような不思議な建物でグッときたからここを雨宿りの地とする

やっと雨が止んだので、再び移動開始。街中へと向かうことにします。何か・・・心躍るスイーツが食べたい・・・。昨日訪れた神社の近くまできました(もうへとへと)。

昨日参拝できなかった巨石を遠目に拝見

参道にいい感じの喫茶店を見つけたので入ってみると、もう閉店したことを告げられる・・・。

無念

意外にも盛岡のカフェ関係は閉まるの早いのですね・・・。盛岡に戻ってきてから無駄な動きをしすぎて、ゆっくりできる時間があまりないことに気付きます。もうどこにも行かずに早く落ち着きたい。そうだ、あの場所でゆっくりしよう・・・。

コンビニで今回の旅で何度目かのクエン酸ゼリーを購入し向かった先は・・・

青龍水で癒しの時間

昨日訪れて大大大好きだった青龍水ふたたび!ここ、ほんと大好きだ!!

命の水

クエン酸ゼリーをちゅーちゅー飲んで栄養補給&湧き水ごきゅごきゅ。ほっと一息ついて、ちょっと回復。

青龍水からは今日の最終目的地であるお寺さんが見えます。そこにはカラフルな装束に身を包んだ人たちの姿が・・・。

岩手ひとり旅、最後の夜が始まろうとしていました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑩台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

⑧台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【都鳥鹿踊 編】

盛岡駅から電車で50分ほどの北上駅へ。珍しくここからはひとりではありません。旅の前に某SNSで東北マスターY氏に鹿踊情報をお尋ねしたところ、なんとアテンドしてくれることに・・・!!世の中には仏のような方がいるものですね。ありがたや・・・。

北上駅

構内には賑やかな郷土芸能レリーフ

CONTENTS

鹿踊(シシオドリ)とは

鹿さまに会いにいく前に、まずは鹿踊についてちょっとお勉強。

*間違ってる部分があったらごめんなさい〜。参考にしたサイトは一番最後にまとめています。

日本の郷土芸能で「シシ」と聞くと、みなさまパッと思いつくのは獅子舞ではないでしょうか?文字通り獅子(ライオン)のことで、こちらは大陸から都(京都や奈良)に伝わってきたものだそうです。

高良山獅子舞(久留米市  高良大社)
2023年1月1日撮影

一方、東北のシシオドリの「シシ」は獅子と発音は同じでもまったく別のもの。狩猟や食糧の対象となる山の獣の肉のことを日本の古語で「シシ」と言い、猪や鹿などの山に住む獣を踊りにしたのが日本発祥の「シシオドリ」とされています。

鹿をモチーフにした鹿踊(シシオドリ)は、岩手県や宮城県で多く踊られていて、岩手だけでもおよそ150もの団体があるといわれています。旧南部領では幕を持って踊る「幕踊系」(今回の旅でも遠野で鹿頭を見せてもらったね!)、旧伊達領では腰に太鼓をつけて歌い踊る「太鼓踊系」が多いそうです。「太鼓踊系」にも春日流・金津流・流行山と3つの流派があるらしい。なんてバリエーション豊かなのでしょう!

そして東北から遠く離れた四国の地にも鹿踊り(しかおどり)が存在しており、1600年代前半に仙台の伊達政宗の長男、秀宗が宇和島藩に移った際に鹿踊が伝わったとされています。伊達領から輸入されたから四国の鹿踊りは「太鼓踊系」なんだね。

四国の鹿踊りも太鼓を打ち鳴らし歌い踊ります
(愛媛県宇和島市吉田町の「鹿の子」2019年11月3日撮影)

2019年に宇和島で初めて見た鹿踊りがきっかけで、そのルーツである東北の鹿踊を求めてついにここまでやってきました。北上駅でYさまと合流して車で出発!これから見学しに行くのは「太鼓踊系」の鹿踊。いよいよ東北の鹿さまと初対面いたします・・・!!(ドキドキドキ)

宝寿寺

青々とした美しい田園が広がる道路を走り抜け、たどり着いたのは岩手県奥州市胆沢南都田地区にある宝寿寺。

お盆のお墓参りにたくさんの人たちが訪れていました

あたりには美しい田園が広がっています

東北の鹿踊はもともとは鎮魂・供養としての意味合いが強く、それに豊作祈念や感謝の意味が加わり、お盆の頃から始まって9月くらいまで神社の秋祭りなどでも踊られているそうです。

今日は8月13日。鹿踊の本質ともいえる盆供養踊りを見学させてもらいます。部外者がうろちょろして写真を撮っても大丈夫なのかしら・・・。と、ちょっと心配だったのですが、確認したらOKとのことでホッ。個人のお墓がガッツリ写ったりしないようにもちろん気をつけます!

行山流 都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)

お寺さんに到着するとすでに変身前の都鳥鹿踊さんたちがすでにスタンばっておりました。寛政5(1793)年に鹿踊が伝わったとされ、現在まで一度も途切れることなく踊られているそうです。

鹿踊の装束がズラリ

つい開口一番に

「たのしみにしてます!!!」

と、場違いな一言を発してしまい(盆供養なんだから・・・楽しみってあなた)、しょっぱなからやらかしてしまうわたくし・・・反省。

リハーサル風景から見学させてもらいます

3つの宗教が交わるお寺

踊りが始まるのを待っていると、鹿踊メンバーのお一人が話しかけてくれました。ここは曹洞宗のお寺だけど「キリシタン」や「隠れ念仏」にも縁があるお寺であることを教えてくれます。

き、キリシタンーーーーーー!!!?

はい、わたしは3度の飯よりキリシタンが大好物。今年の初めに長崎に行ったことをきっかけに上半期はキリシタンにどっぷり浸かり、弾圧された江戸時代の潜伏キリシタンたちに思いを馳せ、涙する日々を送っておりました・・・(安心してください、今は落ち着きました)。

竹田キリシタンを巡る旅に出たことも記憶に新しいですね・・・。

わたしからは何も聞いていないのに、突然そのような話が飛び出したので吃驚&興奮・・・!!福岡から来たということを知り、九州は長崎や熊本など潜伏キリシタンゆかりの地が世界遺産にもなってて有名だからそういう話に繋がったのかな?

隣町がキリシタンの街だったそうです(水沢のことかしら?旅の前に調べたらキリシタン関係の場所や、他にも色々気になる場所があってちょっと観光したかったのだ)。お寺さんから見える山の上を指差して、キリシタンが儀式をしていたという場所を教えてくれました。

山の上の建物があるところって言ってた気がするけど・・・

何てとこなのか聞けばよかったー

墓石?か、何かに逆卍が刻まれていたりもするらしい(相変わらずいい加減な記憶力)。鹿踊が始まるまでまだ時間があるみたいなので、いてもたってもおられずお盆のお客さんたちの邪魔にならないようにちょっとだけ墓地をぐるっと周ってみることにします。しかし残念ながら自力でキリシタンの痕跡のようなものを見つけることはできず・・・。

少しずつ陽が傾いてきました

は!わたしの今回の目的は鹿踊だよ・・・!!

我にかえってお墓から戻ってみると、ちょうどお着替えタイムが始まろうとしていました。雨が降ったら中止になると聞いていて、ちょっと怪しい雲行きにヒヤヒヤしていたのですがなんとか大丈夫そう!?

準備風景

着替えているところを見学させてもらっていると、その装束についても色々と気になってきます。

ササラ

背中から空高くそびえ立っている白い紙が巻かれた竹製の棒は「ササラ」と言って、神様を下ろす役割があるそうです。一人で「よいしょー!」っと背負えるようになっててすごーい!!都鳥鹿踊さんのように、垂直ではなく斜め(V字型)になっているのは珍しいそうです。

よいしょー!!!

鹿角

鹿踊の衣装の中で、一番最初に目についたのが鹿の角でした。

鹿頭の角の断面が真っ赤に塗られていて、それをみた瞬間・・・

「赤!血液!!生命!!!」

と、胸がきゅきゅきゅーーーんと高鳴ってしまいました。

血管や赤い珊瑚を連想

なんで赤く塗られてるのか尋ねてみると、言われて初めて気付いた(意識した)とのこと(つまり特に意味はないらしい)。単なる装飾的なものっぽいけど、わたしにとっては最高の萌ポイントだよ・・・!!ちなみに本物の鹿の角を使用する団体もあるのですが、鹿踊が盛んな奥州市の江刺や胆沢地方などでは、鋳物で作られることが多いそうです。

そしてこの鹿頭をひっくり返すと現れたのはヘルメット・・・!!!どうなって固定してるんだろうと思ってたので、あまりにも現代的でビックリしてしまいました。通常、「エンツコ」(全然馴染みのない言葉の響きだ)という藁等で編んだものでシシ頭を固定するらしい。都鳥鹿踊さんではエンツコが重すぎるのでヘルメットを使ってるのだとか。エンツコも生で見てみたいな〜。

まさかのヘルメット

現在の鹿頭は昭和50年くらいに作られた2代目の鹿頭で、修理しながら使っているそうです。お顔を隠してしまうほどの長い髪の毛は馬の毛。鹿なのにお顔が真っ黒なのは、山伏が伝えた神楽の最高神「権現様(ごんげんさま)」(獅子舞)の影響があるからだとか。頭に載せる前に、手を合わせて拝んでいるのがとても印象的でした。

それだけ神聖なものなんだね。この瞬間を見れてうれしい

どんどん準備が進んでいきます。

流し

背中には「流し」といわれる布が垂れ下がっていて、各団体によって絵であったり文字であったりと描かれるものは様々。

鹿さまたちがお互いの着替えを手伝ってる姿も可愛かった

腰についてる布も「流し」って言うのかな?

雌鹿のものはエロい絵柄と言われて(今回の盆供養踊りではなかった)テンション上がったのですが、もしかしてこれ?これのこと??

めちゃくちゃイイ・・・!!!しかも左下の黒いものは熊だそうです笑。このゆるゆるな感じたまりません・・・。雌鹿の登場する演目は余興的なものになるらしく、どうやら秋祭り等で踊られるようです。いつか見てみたいなー。

隙間から見える鹿さまの眼光が鋭くてドキドキ

ついに変身完了!!!

着替えが終わると、駐車場の隅に集まって太鼓を叩き始めました。

これはどういう意味があるのかな?ならしみたいなもの??

男性だけではなく、小柄な女性の踊り手さんもいます。昔は女人禁制の時代もあったようですが、現在では女性の踊り手も多いようです。なんと装束は全部で約15kgほどもあるとのこと。男性でも女性でもその重さは変わらないというから大変!

紅一点。かっこいいー!!

駐車場での太鼓が終わると、ついに盆供養踊りのはじまりです・・・!!!

盆供養踊り

旗を持ち先導する方に続き、黒装束の鹿さまたちが一列になって行進する姿からしてとてつもなくカッコいい!!!

頭がクイっと上を向いているのがイカす

実際に見るまでは、東北の鹿踊は黒の印象が強かったけど、麻布に大きく染め抜かれた九曜紋と呼ばれる伊達藩の家紋や、袴の裾の鮮やかな朱が際立っていてとっても華やか!!赤、緑、黄、青、紫に染められた小さな家紋も可愛らしくて特にお気に入りでした。コテの刺繍も好き。

目は鋭くキリッ!なかなかのイケメンです

山門をくぐって中へと入っていきます。

ぞろぞろ後に続きます

今回は盆供養踊りということで、どちらかというとしめやかで大人しい踊りだったようなのですが、ところどころ激しく踊る場面もあって興奮!(四国の穏やかな鹿踊りを先に見ている自分にとっては十分激しく見えたのだ)。歌も腹の底から出すような節回しのある力強いものでした。

お盆ということもあってかたくさんの人。浴衣姿の人たちも!

カッコいい後ろ姿

たまに激しく動いて、背中のささらが勢いよくしなります。

こりゃ腰が強くないと踊るの無理だー!

お墓と田園を背景に黒装束の鹿さまたちが踊り狂う姿はとても不思議な感じがしました。

座ったかと思えば・・・

再び踊り出す!

歌や踊りが違うので、いくつかの演目が組み合わさっていることはなんとなくわかるのですが、もちろんわたしにはその中身まではわからず・・・。ひとつひとつ理解できたらより楽しいんだろうなぁ。

お祝い

そうそう、今回「お花(ご祝議)」というものを初めて渡しましたよ・・・!舞台とかで投げ銭みたいのがあるのはうっすら知ってたけれど、郷土芸能の世界でも行われているとは知らなかったのです。

じぶんち 第13号「特集 お祝い」:こちらで勉強させていいただきました。

拝見させてもらってる以上なにかしらお礼したいし、ずっと続けていってほしい。ドキドキしちゃうけど、渡せる機会があれば勇気を出して渡していきたいと思います。

ところで後日、撮った写真を見返してて初めて気づいたんだけど・・・

こ、ここここれは・・・!!!

わたしがお花を包んだとっておきのポチ袋が写ってるよー!!!

中冨記念くすり博物館(鳥栖市)のミュージアムグッズのポチ袋。大好きすぎてこれだけ大切に残していたの!こんなのに入れていいのかなぁと若干迷った笑

つまりこの時「お花ありがとう〜!!!」ってしてくれてたんだね・・・!??まったく気付いてなかったよーーーーー涙涙涙

同時にひとつのことしかできない人間なので、写真撮ってたらなんも入ってこないんだ。やはり自分の分身が3人くらいほしい・・・。

墓前にて

本堂前での踊りが終わったかと思うと、太鼓を打ち鳴らしながらお墓の方へと向かっていきます。

優しい飴色の夕陽が辺りを照らし、なんだか懐かしいような切ないような・・・。

墓前での盆供養踊り。やっぱり朱い角が映える!

踊り終えて再びお寺へと戻っていく鹿さまたちのうしろに、ピッタリとくっついて歩く一人の少年の姿が・・・。

未来の鹿踊ボーイかな?

これにて本日の盆供養踊りは終了!

最後の記念撮影にもちゃっかり便乗させていただきました。決めポーズめちゃかっこいい!!!

山門前にて

美しい田園前でも

都鳥鹿踊のみなさんほんとにいい人たちで、質問にも色々答えてくれるし感激してしまいました。とっても居心地がよかったー!初めての鹿踊体験が都鳥鹿踊さんでよかったです。見学させていただきありがとうございました!!

鹿さまから人に戻ったみなさま(お片付け中)

Tシャツの後ろの文章も気になりました

お疲れ様でございました!

ちなみに都鳥鹿踊さん、人手不足で地区内外問わず会員を募集しているようです。興味のある方は是非!鹿踊してるって言ったらきっとめっちゃモテるよ〜!!(わたしにな)

▼都鳥鹿踊さんのX(旧Twitter)とブログ

すたさん@行山流都鳥鹿踊 (@gyozan_todori) / X

行山流都鳥鹿踊保存会

昭和の残照〜水沢駅周辺を散策

はじめての鹿踊をしっかりタンノーしたあとは、再び盛岡へと戻りましょう。一番近い水沢駅で降ろしてもらいます。すると!なんと!次の電車が来るのが1時間後というではありませんか・・・!!

それなら駅周辺を散策するまでさ・・・!!!

え?え?え??

めっっっっっっっちゃ素敵じゃん・・・!!!!!

ニューオリオン・・・!たまりません

そしてとんでもなく大大大好物の建物を見つけてしまう・・・!!!

鼻血物件

他にもこんなのや・・・

キ、キティ・・・!!!

こんなのまで・・・・・

ゴースト飲み屋街

えぇ、水沢駅周辺。猥雑でどこか寂しくて・・・とてもわたし好みでした・・・・・。少し歩いただけでこんなに素敵な風景に出会ってしまうのだから、まだまだ素敵な建物が眠っていると思われます(現に車で通り過ぎる時に素敵な建物を見たんだー!でも道がわからなくて駅から近いのに辿り着けなかった・・・)。

これは再訪しなければなりませぬ。水沢はキリシタン縁の街だし、水沢競馬場にはホルモンが美味しいお店もあって桜並木も綺麗らしい(実はここで初の競馬体験したかったのだけど、滞在中にレースしてなかったので水沢観光を旅の候補から外したのでした)。再訪する時は桜の時期かな?その時を楽しみにしたいと思います!

水沢駅の窓が可愛かった。ポスト上のアンテナ?も

盛岡ふたたび

盛岡駅に到着したのは20時頃。外に出ると地面が濡れていました。どうやらまた雨が降ってたらしい。もしかしてわたしが着くと同時に止んだっぽい?都鳥鹿踊さんの時も降りそうで降らなかったし、もしかしてわたし晴れ女・・・??なーんて昨日ドシャドシャドシャ降りの遠野&盛岡だったことをすっかり忘れてそんな風に思ったり。

盛岡冷麺

今回の旅では遠野で食べたジンギスカン以来、ほとんどご当地グルメを食べれていません。せっかく盛岡にいるんだから「盛岡冷麺」食べたい!と思って駅近くのお店に向かってみるも・・・。

無・・・理・・・・・

すぐに心折れて、コンビニで盛岡冷麺買ってホテルで食べるという。明日こそは岩手らしいごはん食べたいなぁ・・・。

福岡でも売ってるしなんなら食べたことあるし

さぁて、明日は5時起きだよ(白目)。本日に引き続きY氏の案内で、盛岡から車で約2時間ほど(遠い!)の場所で行われる幕踊系の菅窪鹿踊を見に行きます。東北のデフォルメされた鹿頭ではなく、どちらかというと四国の鹿頭と同じくリアル鹿に近いとのことだったので、気になって訪問をリクエストしていたのでした。

明日も早いしそろそろ眠ろうとしていたところにY氏より連絡が・・・(嫌な予感)。ななななんと!明日の早朝行われる予定だった菅窪鹿踊が雨で中止に・・・!!!さっきまで晴れ女と確信したばかりだったのに・・・やはりわたしは雨女なのか。

悲しみに暮れていると別の鹿踊を案内してくださるとのこと。さすが東北マスター!ありがたい・・・。中止は残念だけど、行き先が変更になったことで1時間多く眠れることになったのでよかったことにす・・・る・・・・・(ぱたり)。

■参考にしたサイト

「鹿踊のある風景から」(第4回「先覚に聴く」レポート) | 伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィス - TARO…東日本大震災時の様子がとても印象に残りました。死者供養としての鹿踊についてリアルに知ることができます。とてもよい記事だったから読んでほしい。

東北STANDARD | 鹿踊 - 02.鹿踊の意味と発祥 - 

東京鹿踊/ TOKYO SHISHI-ODORI — シカノツノ力

郷土芸能じぶんち東北の郷土芸能を紹介する情報誌。第9号と第10号で、鹿踊についてわかりやすく特集されています(都鳥鹿踊さんも対談で登場)。第13号は「お花(ご祝儀)」について。他にもいろんな特集が組まれているので、東北の芸能について楽しく分かりやすく知りたい方にオススメです。

行山流都鳥鹿踊

SaSaLa(ササラ) Vol.11

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑨台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

【後編】真夏の田園ラプソディ!市来の七夕踊

2022年8月7日。いちき串木野市の大里地区で、市来の七夕踊の最後の奉納が行われました。本来なら2020年に行われるはずでしたが、コロナ・パンデミックにより延期を重ね、前回の奉納から3年後の2022年にやっと開催されることに。そのラスト奉納を、しかとこの目に焼き付けてきました。

CONTENTS

8月6日(土)

七夕踊は朝の8時から始まります。つまり当日ちんたら福岡を出発してたら間に合わない・・・。というわけで、七夕踊最後の奉納を見届ける旅は、その前日からスタートしました。博多駅から新幹線に乗り、川内駅で在来線に乗り換え、串木野駅に降り立ちます。いちき串木野市に来たからには必ず行かねばならない場所があるのです・・・。

その場所に向かって歩いていると、鹿児島や宮崎の田園地帯でよく見られるという田の神さぁがお出迎え。

第一村人発見

田の神さぁに挨拶をすませ、さらにてくてく歩いていくとついにそれが現れます。

パラゴン(喫茶店)

そう・・・、みんな大好きパラゴンです!!!

蔦に彩られた憩いの場

知らないよ!という方のために簡単に説明しますと、蒼井優もかき氷を食べに来たことがあるあのパラゴンです・・・!!(雑すぎる説明。かき氷本に載ってるらしい)

いつか食べたかき氷

地元に人にも愛されていて、夏はかき氷で大繁盛・・・!いつも多くの人で賑わっています。

店内にある「パラゴン」(スピーカー)

わたしも何度も何度も訪れたことがある大好きな喫茶店。2019年の七夕踊の際にも、もちろんここでお昼ご飯のピザを食べました。

サクッ!ペロッ!と食べれちゃうミニピザ

以前は車移動だったので、七夕踊当日にそんなこともできたのですが、今回は公共交通機関&徒歩移動。少し離れたところにあるので明日行くのはちょっと厳しい・・・。というわけで、今日訪問することにあいなりました。いちき串木野に来てパラゴンに行かないなんてそんな無礼は許されないのだ・・・!!

かき氷と迷いつつ、今回はパフェを注文。上に乗っている昔ながらの緑色のアンゼリカ(フキの砂糖漬け)にもなんだかホッとします。

嗚呼、写真見てたらまた行きたくなってきた・・・

自宅を出たのが遅い時間だったため、すでに時間は夕方。束の間のパラゴンを満喫した後は、徒歩で1時間ほどのお宿にのんびり散策しながら向かうことにします。

可愛い遊具の公園

貝殻が均一に並べられた見事なブロック塀

目と口の部分に穴を開けてお面にしたい大きな葉っぱ

植田正治的影と熊

真夏の強い日差しが濃い影を作り出します。

どうやら明日も暑くなりそうだ

民宿パレス

ふらふらと写真を撮りながら到着した本日のお宿。

レトロな丸窓

眉毛のキリリッとしたなんだか愉快なおじさまが出迎えてくれました。話が面白くてとっても印象に残っています。

80歳近くだけどすごい元気!外国の船長?してて、少し前までイタリアかスペインに行ってたとか、4ヶ国語くらいペラペラとか(ほ、ほんとに???)、ちょいちょい自慢挟んできて面白かったです(好き)。

わたしの部屋は「青木」でした

寝泊まりするだけならじゅーぶんなお宿。素泊まりだったのでご飯を調達。すぐ近くの肉々しい炭火焼き工房半バーク・ステーキ黒平さんでテイクアウトします。

勝負の日の前日には必ず肉を喰らうという大事な儀式

う、うううううまーーーい!!!

いやぁー、やっぱりThe 肉!!というような美味しいお肉を食べるとテンションあがりますね。明日のために体力もつけねばなりません。胃袋を幸せで満たし、今日は早々に就寝です。

8月7日(日)

市来駅

翌朝、電車に乗って一駅の市来駅へ。七夕踊最後の奉納にふさわしいスッキリとした青空が広がっています。

あ!虎発見!!!

七夕踊のモチーフがあちこに。電車で訪れるのは初めてだったから知らなかったよー!

駅舎のステンドグラス

駅舎前には立派な虎と虎捕りのモニュメントもありました。黒っぽい金属で出来ててめちゃくちゃかっこいい!!調べてみたらその筋で有名な会社が製作していて納得・・・。

モニュメント

虎も髪を逆立ててなんだかとてもパンキッシュ!!!

こんな最高にイケてるモニュメントもあるのに、今日その長い歴史に終止符が打たれるのかと思うと悲しくなってきます・・・。

七夕踊が最初に奉納される堀内之庭までは駅から歩いて約20分ほどの距離。もうあまり時間がないので急いで向かうことにします。

余談ですが、今回のブログで突然現れるモノクロ写真は生まれて初めて自家現像したフィルム写真です。そんな意味でも特別な最後の七夕踊になりました。

田の神さぁ!

堀之内庭

堀之内庭が見えてきました。すでにたくさんの人が集まっているようです。

まずは保存会の方から、七夕踊休止について話がありました。今回は感染症対策として、規模を縮小しての開催。虎や牛等の張り子のツクイモンは展示のみで、一部の行列も今回は出さないとのことでした。残念・・・。

前回はなかった集合写真の撮影も行われます。最後の奉納の思い出のための写真。悲しい・・・悲しすぎるよ・・・・・。

そして花笠を頭に乗せ、太鼓踊りの準備が始まります。

いい顔してる男の子

最後の奉納をカメラに収めようといろんなところで人がスタンバってます

いよいよ最後の七夕踊奉納がスタートです!!!

七夕踊についての由来や流れ等については、前回のブログに書いているのでここでは省略。知りたい方は前編を読んでね。

がんばれ男の子!

最初の太鼓踊りが奉納されると、お酒が振る舞われました。一番ドンが先に飲み、次にヤッサ(役者)、庭割(にわわい)・・・と、どうやら飲む順番があるらしい。昔は「到住免」という田んぼからとれた米で白酒を造っていたけれど、昭和15年酒税法に触れるとのことで、それ以後酒造りは禁止になったそうです。

中身は田崎酒造の「七夕」だろうか

ちなみに庭割というのは、踊に詳しい人が選ばれて七夕踊の全てを取り仕切る役目。踊りが行われている最中も、踊り手たちに色々と指示をしていました。頭に陣笠を被って、腰に毛皮を巻いているのも印象的!

かわいい・・・狸?

七夕踊大移動

掘之内庭での奉納が終わり、各々は次の踊り場へと大移動。

キラキラと光輝く田んぼの海の上をトラックで運ばれる虎

おそらく堀之内庭の端っこに置かれていたツクイモンたちは、トラックに乗せられ三番目の踊り場である門前河原へと向かうのでしょう。

あれ?今年の牛、なんだかいつもよりお顔が可愛い気がする・・・!!!(超好み)

このあとお牛もドナドナ運ばれていきました

ちなみに子のが2019年の時の牛。

牛は各部落が年によって交代で作るみたいだから、地区によって作り方が違ったりもするのだろうか?

ツクイモン以外の人たちは、みんなてくてく歩いて近くの神社へと向かいます。

あ!よくみたら左に田の神さぁが見切れてるよ・・・!!

通りには道標のような七夕飾り

一日中強い陽射しの中で踊り続ける人たちのために、とある民家の前には自由に飲めるように水とグラスが用意されていました。

なんて優しい世界。昔ではこれが普通だったのだろうけど、今ではとても珍しいもののように思えてしまいます。

鶴ヶ岡八幡宮(金鐘寺)

2番目の踊り場へと到着。

手水に映る夏

夏休み中の子供たち

境内をうろうろしてたら、なぜか地元のおっちゃんに呼ばれて、好きな飲み物とっていいといわれます。え?他の人たちはもらってなさそうなんだけど・・・いいの???

トラックの上のバケツでキンキンに冷やされているペットボトルたちの中から麦茶をチョイス。たま〜に旅先でおっちゃんに可愛がられる才能があるわたくし・・・。実はまた後で再びその才能が爆裂するのである。

ありがたくいただきます!

そして、奉納が始まります。

花笠がとても重そう

庭割のおいちゃんたち。かっこいい!

中心で踊るのは七夕踊の主役「太鼓踊り」

大名行列

美しい影

花笠や行列の飾りの影と木漏れ日が地面でゆれる姿がとても美しい。わたしはここでの奉納が本当に大好きです。

奉納を終え、再び次の踊り場へと大移動!休む暇もりません。

トンガリ帽の琉球行列

わたしを残してみんな車でひとっとび???あっという間にいなくなってしまいます。

ま、待ってよぉーーーーー!!!

人々を見送る田の神さぁの背中

門前河原

次の踊り場の門前河原ってどこだっけ!?

2度来たことあるのにちっとも場所を覚えられません。こっちかな?ちょっと焦りながら歩いていると、関係者っぽいおっちゃんを発見!早速捕まえて場所を聞くと、自分も行くところだからと案内してくれることになりました。ありがたや〜。

門前河原

門前河原ではいつもなら今頃暴れまくっているツクイモン(作り物)たちが、大人しく横一列に並んでじっとしていました。そう、今回は残念ながら展示だけなのだ・・・。

ミニ虎もかわいい〜

牛の前でにこやかな牛使
18歳の頃からずっと虎捕りしてるおいちゃん。めっちゃいい顔してる・・・

ここでもしっかり集合写真。

展示だけって思ってたら・・・

え!!虎の寸劇始まったよ・・・!!!!?

トラ!トラ!!トラ!!!

まさか見れるとは思ってなかったのでめちゃくちゃ嬉しかったーーー!!!!!!

虎に夢中になって他の写真あんま撮ってない・・・

午前中の奉納はここで終わり。ツクイモンが次々と運ばれていきます。

なんだか悲しい後ろ姿の鹿

お牛を積むのも一苦労

束の間の休憩

次の奉納まで4時間ほど。なかなかの空き時間です。ちょうどお昼ご飯の時間。きっとみんなも束の間の休息をとっていることでしょう。

近くのラーメン屋さんに向かって歩いていると、さっきまで門前河原にいたと思われる鹿ちゃんを発見〜。うれしい!

鹿も休憩中

「ラーメン 潮騒」で腹ごしらえ。歩いて行けるお店がここくらいしかなかったのだー。でも美味しかった!はず(一年前だから覚えてないんだ・・・ごめんよ)

ラーメンと半チャーハン。ほんとは餃子も食べたい欲張り人間です

その後はもちろんコンビニでクエン酸!

そう、わたしはクエン酸信者

実はこの日は殺人的な日差しで、先ほどの門前河原では人が倒れて救急車で運ばれるほどの猛暑でした・・・。わたしもぶっ倒れないために、クエン酸で体力回復を狙います。

奉納まであと3時間ほど。まだまだたっぷり時間があります。近くの田の神さぁ巡りもしたいけど歩き回るには暑すぎる。さぁて今から何をしよう・・・?

ひとまず先ほど奉納が行われた神社で涼むことにします。

夏の神社、なんて絵になるんだ・・・

近くにはポンポンポンとリズミカルに百合が咲いていました

蝉の鳴き声を全身に浴びながら、境内へと続く階段を登っていきます。

青空へと向かう階段

さっきまで多くの人でひしめき合っていた境内にはポツンと提灯だけが残っています。

ひっそりとした今の方がきっといつもの姿

提灯下の水の入った桶には、大きな葉っぱが被さっていました。

とても気になる

なんの葉っぱ?なんで葉っぱを乗せてるんだろう???そんな疑問が次々に浮かびます。すると片づけにきたと思われる地元の人が現れました。聞いてみると、里芋の葉とのこと。そういえば昨日同じ形をした葉っぱを見たことを思い出します。そうか、あれは里芋の葉っぱだったのか。

昨日見た里芋の葉っぱ

汚れが入らないように乗せていると言っていたと思うんだけど・・・一年前のことで自信がない。というか会話した気がするだけかも・・・もしかしたら人が来たこと自体暑さが見せた幻だったかもしれない・・・・・。

金鐘寺

地図や幟旗には「鶴岡八幡宮」と書いているのに、七夕踊の日程表には「金鐘寺」と書かれているのは一体なんでだろう?と疑問に思っていたら、神社の拝殿横に仏像が安置された小さな祠がありました。

解説板

金鐘寺自体は、明治2年の廃仏棄釈によって廃寺になったそうです(寺跡が近くにあるらしい)。鹿児島は廃仏毀釈が激しかったと聞くもんね・・・。つまり、太鼓踊はこの金鐘寺の和尚に向かって奉納されるもののようでした。なるほど〜。

一通り境内をぐるりと見たあとは椅子に座ってのんびり。時間はたっぷりあるのです。

嗚呼、なんてここは居心地がいいんだろう・・・。ここで奉納される七夕踊だけでなく、この神社自体がどうやら自分に合っていたようです。気付けばあっ・・・・という間に数時間が過ぎていました。何してたのかまったく覚えてないけれど、とても気持ちよかったことだけは覚えています。

少し早めに4番目の踊り場である「払い山」へと向かうことにします。すると今度はとある店先で可愛いミニ虎を発見!

かわいいよぉーーー

七夕から1週間後のお盆に、かつて大里一帯から周辺部落では、子どもたちが小さな牛や虎の張り子を作って引き回す習俗があったそうです。それを「盆トラ」や「盆のウシ」と呼んでいたとか。(昭和54年9月14日の新聞記事より)昭和54年の記事の時点で、「今では数部落でしか行われていない」と書かれていたので、果たして今も行われているのかどうか・・・。気になります(盆トラほしい。むしろ作ってみたい。盆トラ作りワークショップやりませんか??)。

払い山

払い山に到着。

払い山にずらりと並ぶのぼり旗も好き

払い山へと続く美しい田園に囲まれたここから再び行列が始まります。

直視できないほど眩しい緑

こんなとこまで感染対策のアルコール。いる???笑

この道から一番最初に現れるのは、本来なら鹿から始まるツクイモンたちなのですが、今回はひと足先に踊り場の払い山でくつろいでいました。

トラックで運ばれ登場する虎

払い山に到着。右にいるミニ虎はさっきの子なのかな?

鶴の餌撒きも見れました。

鶴も今回で見納め・・・

不思議な格好の琉球王行列も好きだったなぁ。

面白い踊り

プオーーーーー

とぼけた笛が特に好きでした

薙刀行列が太鼓踊りを先導します。

薙刀行列

女性ものの浴衣を着て、「粟踏み」と言ってトコトコ小刻みに進むのがとても印象的。太鼓踊りの前だけでなく後にもついて、後払いの役をします。

美しい動作で薙刀を振ります
住吉社中

写真で薙刀を振っているのは、いちき串木野市を中心に活躍する町芸者「住吉社中」の小糸さん。わたしは数年前にたまたま鹿児島市の天文館でその芸を見る機会があったのですが、それがとっても可笑しくて楽しすぎて・・・!!!

2019年の9月のことでした

2019年の9月に天文館で初めて住吉社中さんを知った時には、まさか七夕踊に出ている方とはまったく知りませんでした。でも、見返してみるとなんと約1ヶ月前に訪れた七夕踊の写真にしっかりと写っていたという・・・笑。そんな偶然もあるんだねぇ・・・。

小糸さんのインスタでは、その愉快なお人柄と共に、住吉社中の活動や、知らなかった日本文化や習俗などを垣間見ることができてとても興味深いです。

https://www.instagram.com/koito_sumiyoshi/

 

さて、話は薙刀行列に戻ります。

七夕の日には、薙刀行列が神社の前で薙刀のさやを払うと、必ず雨が降ったという伝えがあるそうです。戦後は薙刀を没収されて偽物を使っているので、いくらさやを払って天をにらんでも雨は降らないとか・・・。(「かごしま探検」昭和54年9月26日の新聞記事より)今年も降ることはありませんでした。

薙刀行列の後には、太鼓踊りが鮮やかな花笠を揺らしながら続きます。

なんてカラフルな世界

ここで写真をパシャパシャ撮っていると、門前河原に案内してくれたおっちゃんが再び現れました。なんと!七夕踊に関する資料をたんまり印刷して持ってきてくれたのです・・・!!(おっちゃんになぜかよくしてもらえる才能を発揮)

特に昔の新聞記事の切り抜きの内容が面白くて(歴史を感じて泣けてきた…)、それらの資料に助けられながら今回のブログをしたためております。ありがとうおっちゃん!!!!!

荒々しくホッチキスで止められてて可笑しかった

夜の堀内之庭での最後の奉納まで見届けたかったけれど、残念ながら翌日は仕事。帰りの電車の時間が迫っています。払い山で太鼓踊りが奉納されている途中で、泣く泣くこの場を去ることに・・・。

輪の中心で踊る太鼓踊りを見守る少年たち。これが最後に撮った七夕踊の写真になりました。

こうしてわたしの最後の七夕踊を見届ける旅は終わりを迎えたのでした。

帰りに撮った写真たち

映像で生き続ける七夕踊

なんと!わたしが払い山を去った後に、予定のなかった虎の寸劇が行われたそうです!!みたかったよーーー!!!

ありがたいことに、MBC鹿児島放送で特集された映像がアップされていました。18歳からずっと虎捕りをやり続けてきたおっちゃんのインタビューまで!ほんと泣いちゃうよ・・・!!!もうわたしの中で永久保存版の映像です。

奉納当日の映像だけでなく、準備映像の特集もありました。実際に見てみたかったツクイモンの作り方も・・・!!!なんとミニチュアの虎も出てました。「盆トラ」はこのくらいの大きさだったのかなぁ・・・。1960年の白黒の七夕踊の映像も流れてめちゃくちゃ貴重。昔は橋も河原も観客でびっしり!!こんな時代があったんだね・・・。

動画作っちゃいました!

プロが編集した映像の後になんですが・・・愛が溢れすぎて気付いたら動画作ってました!!(処女作にして最後の作品!??)

ほぼ初めての動画編集。ピンはあってないし手ブレも酷いのですが、3年間撮りためた映像や写真を元に、七夕踊の由来や流れについて簡単に紹介しています(約6分)。めちゃくちゃ頑張って作ったので!(アピール)よかったら優しい眼差しで見てもらえると嬉しいです。

※映像内に誤字あり(×堀内之庭→◯堀之内庭)

これからも受け継がれていく太鼓踊り

2022年で一旦休止となった七夕踊。なんと、一番の要である太鼓踊りは、今年も引き続き奉納されます!七夕踊保存会にかわり、新たに七夕踊伝承会が発足。2023年8月6日(日)10:00〜11:00に堀内之庭で奉納が予定されているようです。

太鼓踊りもほんと素晴らしいんだよー!!!

わたしもまた必ず見に行きたいと思っています。みなさまも是非。

まずは七夕踊休止後の一発目が無事奉納できるよう願っております。今世間を翻弄しているのろのろ台風よ、邪魔するんじゃないよ・・・???  七夕踊休止後初めての太鼓踊りは無事奉納されたようです!よかったーーー!!!(2023年8月7日追記)

最後に

七夕踊に出会えていなかったら、今のような旅する人生を送っていなかったかもしれません。本当に楽しくて大好きなお祭りでした。これまで400年以上守り続けてくれたことに感謝します。ありがとう&お疲れ様でした!!!

そしてまたいつか、完全な七夕踊が復活することを願っています(4年に1度とかでもいいから・・・ずっと待つから・・・・・)。

払い山での集合写真

集合写真を撮った後の、素が出るこの瞬間が密かに好きだったりする

終。

■参考文献・サイト

・『市来町郷土史』(市来町郷土史編集委員会 編)

・『速報七夕踊』(七夕踊保存会 発行)

・七夕踊で偶然出会ったおじさまにもらった資料(新聞記事の切り抜き等)

【使用カメラ】digital: SIGMA dp3 quattro、iPhone、film:CONTAX Aria、CONTAX T2

【前編】真夏の田園ラプソディ!市来の七夕踊

鹿児島県いちき串木野市の大里地区で400年以上も続く「市来の七夕踊」。巨大な張り子の動物たちが暴れ回り、美しい装飾の花笠を揺らしながら踊る太鼓踊り、琉球王行列や大名行列等、総勢数百人規模でおこなわれる賑やかな真夏のお祭りです。

張り子の虎

CONTENTS

はじめに

わたしと七夕踊の最初の出会いは、お祭りを写した白黒写真からでした。巨大な張り子の虎が暴れ回る様子が写されていて「なんだこのお祭りは・・・!!」と、衝撃を受けたのが始まり。実際にその虎に会ってみたい・・・そんな思いが募り、初めて訪れたのが今から10年前(!)の2013年夏でした。

場所もよく分からず、車を止める場所にも手間取りながら、ようやく近くと思われる場所に到着すると、田園の隅にはカメラを構えポジションを確保しているおじおばさまがいました。

未来のわたし

もしかして何かがこっちにやってくる・・・???

・・・!!!

!!!!!

目の前に現れたのは巨大な鹿・・・!!

夏の日差しを浴びて青々と輝く田園に囲まれた一本道を張り子の鹿が練り歩くそのシュールで牧歌的な光景に一瞬で心を奪われます。この後にもさまざまな素晴らしい光景がわたしの前に現れ、夏の猛烈な暑さと共に鮮烈にわたしの心に刻まれたのでした。

この体験がとんでもなく楽しすぎて「毎年ぜったい行くぞ!!」そう強く思ったはずなのに・・・1年、2年とあっという間に時は過ぎ、次に訪れたのはなんと6年後の2019年でした。

そしてこの年に重大な事実を知ることになります。

「来年の2020年で市来の七夕踊りは休止」

高齢化や過疎化により今までの規模で行うことが難しくなったことが理由。もちろんわたしは大ショック!!!大大大好きな七夕踊が見れなくなる日がくるなんて・・・。これまで何度もチャンスがあったのに行かなかったことを激しく後悔しました。「休止」という言葉にわずかながら希望を持たずにはおられません・・・。

「ラスト奉納の来年は必ず行くぞ!!!」(今度は本気だ!)そう心に誓ったのに、ご存知の通りコロナ・パンデミック襲来・・・。もちろん七夕踊の最後の奉納も延期を余儀なくされ(このままフェードアウトしないかヒヤヒヤしてた)、実際に開催されたのは疫病との共存を模索し始めた2022年のことでした。

前編では2013年と2019年に訪れたコロナ禍前の完全版「市来の七夕踊」の写真をもとに、お祭りの由来や構成等を紹介。後編は去年奉納された最後の七夕踊を旅行記として綴りたいと思います。

今年からは完全な形で見ることができないお祭りではありますが、ブログを読んでまるで七夕踊を実際に体験したかのように感じてもらえると嬉しいです。

市来の七夕踊の由来

市来の七夕踊の歴史は、豊富秀吉の時代まで遡ります。秀吉の朝鮮出兵の際に大活躍した島津兵たち。当時島津藩の直轄地であった市来ではその活躍をことのほか喜び、当時の人々は思い思いに趣向を凝らした郷土色豊かな踊りを創案。祝賀会場で踊ったのがその始まりと言われています。

青空を泳ぐのぼり旗ときらきら煌めく七夕飾りが眩しい

その様子が島津藩主の耳に入り大変喜ばれ、以来この踊りに島津家の家紋である丸十の使用が許されます。現在でも七夕踊で使用される道具や衣装等に丸十を見ることができます(上の写真ののぼり旗にもあるね!)。

その後、金鐘寺の住職と地頭の床濤到住(とこなみとうじゅう)の2人が協力して田んぼの開拓を行い、1684(天和4)年に完成。その祝賀会の余興として大々的に踊られ、以来豊作祈願や神への感謝を込めて毎年踊り続けられ現在に至っています。

堀之内庭(朝)

お盆前の一番暑い時期に朝から晩まで集落のあちこちで奉納される七夕踊。一番最初に奉納されるのは「堀之内庭」と呼ばれる場所で、敷地内には開田者のひとりである地頭の床濤到住の碑があります。

床濤到住の碑

碑を囲む煉瓦にも島津家紋の丸十

七夕踊の日は毎年旧暦の7月7日でしたが、時代の移り変わりと共に1972(昭和47)年からは8月7日に近い日曜日に開催。七夕の日の踊りとはいえ、到住の霊を慰めるために行なわれるとの伝承や、張り子たちも動物の精霊を示すものと考えられ、亡き霊を供養する盆行事の前祭りの性格もうかがわれるそうです。

堀之内庭の片隅で出番を待つ張り子の動物たち

8時30分頃。堀之内庭で最初の太鼓踊りが奉納されます。

踊り手さんたちを団扇で仰ぐのも昔から変わらない光景

見た目も動きも派手な虎の張り子をはじめとする賑やかな動物たちに目を奪われがちですが(わたしのことですね・・・)、七夕踊の主役はこの太鼓踊り。その姿を実際に目にして大好きになりました。

ここでの奉納を終えると皆様ぞろぞろと移動し始めます。

とんがり帽は琉球王行列

窓が切り取る田園が美しい

ある民家では日の丸旗が掲げられていました

なぜか泣きたくなる風景

鶴岡八幡宮(金鐘寺)

後をついていくと、堀之内庭から歩いて数分の場所にある鶴岡八幡宮(金鐘寺)へと辿り着きます。

ぞろぞろぞろ

ごつごつした味のある階段の先には小さな空間が広がっていました。

中央には七夕踊の提灯。このようなこじんまりとした地元の神社が大好きです

神社の片隅では、太鼓踊りの人たちが被る美しい花笠がまるで風鈴のようにゆらゆら揺れています。

美しい

金の丸十や、籠目(魔除けの意味だろうか?)、ぐるっと周りを囲う日の丸旗、太陽や山等の様々なシンボルも気になります。わたしはこの花笠がとっても美しくて大好き・・・!!!

色とりどりの色紙で華やかに彩られた花笠

いつもは人気がなくひっそりとしているであろう神社に続々と人が集まってきました。

子供たちはカメラマンたちにとって最高の被写体

そうこうしていると琉球王行列をはじめとする行列物が円を描きながらぐるぐる踊り始めます。これには中心で踊る太鼓踊りを守り、見物人などをあまり近寄せないように整備する意味があるそうです。

琉球王行列。ラッパの音がなんだかおまぬけで可愛くて大好きなんだよー

太鼓踊り

みんなが見守る中、輪の中心で太鼓踊りが始まりました。

鹿児島は太鼓踊りの宝庫と言われていて、中には戦での武士を鼓舞するかのような躍動感のある踊りも多く見られますが、七夕踊の太鼓踊りは哀調ただよう踊り。それは念仏踊りの流れを組んでいるからだそうです。

木漏れ日が地面に模様をつくる

大里地区に生まれた男性は必ず生涯に一度はヤッサ(役者)と呼ばれる太鼓踊りを務めないといけない決まりがあるらしい。ヤッサの中でも一番踊りと歌のうまい人が「一番ドン」(踊り全体のリーダー)で、その補佐的な役割をするのが「二番ドン」。これらに選ばれるのが最も名誉なことなのだとか。

改めてよーく花笠を見てみると、一番上の丸十部分の片側に「頭」と書かれているものがありました。おそらくこれを被っている人が「一番ドン」。

見れば見るほど美しい花笠

他の花笠も丸十の色が金や銀だったり、中が赤に塗られていたりと微妙にデザインが異なっていることに気付きます。それぞれ意味があるのだろうか?気になる・・・。

ちょっと待って。右の花笠、通常では松や山、鳥居等が描かれてる絵の部分がアニメのイラストなんですけど・・・!(伝統的な絵じゃなくてもいいんだ!?)

一番ドンにはソロパートもあります。カッコいい!!!こりゃ憧れちゃうね〜。

2013年の一番ドン

2019年の一番ドン

太鼓踊りに花を添えるカネウチの子供たちの花笠も魅力的。大人たちにはない色とりどりの紙の飾りがひらひらとたなびき、その愛らしさに磨きをかけています。

暑い中がんばってる!

張り子の動物たちにを目的に訪れた七夕踊でしたが、実際に太鼓踊りを目にして大好きになってしまいました。特に神社の境内で見る太鼓踊りが好き。

風にゆれる花笠の飾りと色とりどりな境内の七夕飾り

門前河原

神社での奉納が終わります。地元の人でなければここで路頭に迷うこと必至!車でなければちょっとした距離を歩くことになります。

早くあの場所に飛んでいきたい!!!

次の踊り場である門前河原に到着した頃には、すでに虎や牛たちの張り子は大暴れ!琉球王行列や大名行列等も勢揃いして大賑わいです。午前中、ここで最初のクライマックスを迎えます。

飛んでいきたいぃぃぃ!!!

行列の構成

ツクイモン(作り物)

七夕踊を一層賑やかなものにしているのが「ツクイモン(作り物)」と呼ばれる巨大な動物の張り子たち。鹿、虎、牛、鶴の4種類あり、それぞれ作る部落が決まっています。

・鹿

まず行列の先頭を切るのはシャープなお顔立ちの鹿。わたしがファースト七夕踊にコンタクトした時に一番最初に見た動物ですね!張り子の中に入って操る人たちの他に鹿捕りの狩人が数人いて、暴れる動物たちと愉快な寸劇が繰り広げられます。

鹿捕りピンチ・・・!!!

・虎

次に続くのが、わたしが七夕踊に行きたいと思うきっかけとなった虎。

「虎がくっどーーーーー!!!」

この叫び声と共に繰り広げられる七夕踊の目玉のひとつともいえる野外劇。秀吉の朝鮮の役での虎狩りがモチーフになっています。虎の姿もとっても凶暴で愛くるしいのですが、この虎と虎捕りおっちゃんとのやりとりが最高に楽しいのです・・・!!!

虎と槍一本で戦います

もう・・・っっっ最高に大好きです!!!

桶に入った焼酎をぐびぐび飲みながら演じるのがこれまたいいんだよね。

左で焼酎飲んでる虎撮りのおっちゃん

なんとこのおっちゃん、驚くことに18歳の時から約60年もの間ずっと虎捕りをしてたんだって・・・!!

若者の誰よりも動きまわる虎捕りのおっちゃん

おっちゃんの生き甲斐ともいえる虎捕りをもう演じることができないだなんて・・・。代わりにわたしが泣いちゃうよ・・・。

・牛

虎の後には目がくりくり可愛らしいお牛が続きます。

動きもとってもユーモラス!牛使(うしつけ)の合図で、巨大な牛はお尻をぐいっと空高く跳ね上げます(すごい!!)。これを「牛が飛ぶ」という言うそうです。素敵!!!

持ち上げているところを後ろから

先ほどの堀之内庭にはちびっこ牛使いもいました!かわいい〜。

2019年撮影

・鶴

ツクイモンの最後は鶴。こちらは暴れん坊の虎や牛などとは違い(鹿もちょっとおとなしい印象)、喧騒などどこ吹く風とっいったようにのんびりゆるやかに動きます。他の張り子は数人で動かしていましたが、こちらはひとり。鶴の前には餌撒きがいて、稲の籾殻をこんもり盛った桶を肩で天秤のように支え、周囲に巻きながら鶴を誘導します。

餌の籾殻

足の動きが面白い

こちらにも可愛いちびっこ鶴がいました!!

2013年撮影

4体の動物の張り子たちがじゃらじゃら体にまとっている茶色の植物は、山から採ってきて天日干ししたガラメ(山ブドウ)。例えようのない香ばしい薫りがするそうですが、わたしは嗅ぎそびれてしまいました・・・。

こちらはお尻ふりふり鶴のガラメ

これら愉快なツクイモンの後に、琉球王行列(琉球王が島津義弘の戦勝を祝って貢物を持って薩摩を訪れたことに由来)や、大名行列、薙刀行列が続きます。薙刀行列は太鼓打ちのヤッサ(役者)の前と後ろにつき、その露払い、後払いの役をするそうです。

払い山

午前中に1度目のフィナーレを迎え昼食を挟んだ後、16時頃から「払い山」と呼ばれる踊り場で奉納が行われます。

払い山

ぽんかんの看板の下にも色褪せた虎いた!

開始時刻前、払い山へと向かう田園に囲まれた道を歩いていると、おじさまたちが大きな牛の体の影に身を隠し休んでいました。

わたしもお牛の体に守られたい…

時間が近づくにつれ、人々や動物たちが集まってきます。

胸が苦しくなるほど美しい日本の原風景を垣間見る

この田園風景から再びお祭りがスタート!

鹿と鹿捕り

めちゃ愛くるしい密生した鼻毛

虎の写真が他より多くてすんません・・・好きがあふれてシャッターが止まらなかったんだ

牛が飛んだ!!!

稲穂をくわえた優雅な鶴

行列も続きます

田園にかこまれた道を抜け、舞台は払い山の踊り場へ。

大名行列の馬簾振り(バリンフリ)。おいちゃんが持つ傘の骨みたいな道具(見えにくい・・・)をピョーンと飛ばしてもうひとりが受けとるのですが、操るのが最も難しいらしい。

だんだん夏の夕方のやわらかくて少しせつない飴色の光に・・・

ツクイモンや行列がすべて揃うのはこの踊り場が最後。まるで大団円といったような雰囲気に包まれます。

円の中心には太鼓踊り

払い山での奉納が終わり、ツクイモンの動物たちも次々にトラックに積まれ運ばれていきます。役目を終えた子たちはどうなるのかしら・・・。

まさしくドナドナ

堀之内庭(夜)

2013年時は払い山での奉納後に帰宅したのですが、2019年のわたしは最初から最後までみっちり七夕踊を満喫するつもりで臨んでいたのだ・・・!!!

そして、夜

日も沈み、真っ暗になった19時頃に再び堀之内庭へ。

長い1日が終わろうとしています

2019年の七夕踊、最後の奉納が始まりました。

夜になるとよりお盆の前祭りの雰囲気をより感じます

朝から晩まで駆け抜けた市来の七夕踊はこれで終わり。田んぼを開田した床濤到住の碑があるこの場所で始まり、再び同じ場所で終わるのですね。いかにここが大切な場所で、太鼓踊りがこのお祭りの要であることがわかります。

ぼっちゃん、遅くまでご苦労さまでした!

最後に

コロナ禍前のなんの縛りのない賑やかで最高に楽しい七夕踊。2019年に訪れた時点では、これが最後の七夕踊(完全版)になるとは思ってもみませんでした。2020年、世界的なコロナ蔓延により休止前の最後の七夕踊は延期に。2019年の奉納から3年後の2022年、規模を縮小し最後の七夕踊が行われました。

わたしが民俗芸能巡りに目覚めるきっかけとなった思い入れのある特別なお祭り。次回はその最後の七夕踊の様子を旅行記として綴りたいと思います。最後まで読んでいただけると嬉しいです。

■参考文献・サイト

・『市来町郷土史』(市来町郷土史編集委員会 編)

・『速報七夕踊』(七夕踊保存会 発行)

・七夕踊で偶然出会ったおじさまにもらった資料(新聞記事の切り抜き等)

市来の七夕踊 文化遺産オンライン

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T10、オールドレンズ、iPhone、film:LOMO LC-A

真夏の田園ラプソディ!市来の七夕踊【後編】につづく▼▼▼

長崎カメラさんぽ2023④【最終回】

外国人墓地を後にし、散策しながら再び街中へと歩いて戻ることにします。

大好きな「愛犬の栄養食」看板

CONTENS

歩いて街中へ

「信徒発見」の舞台である大浦天主堂や、周辺に点在する素晴らしい歴史的建造物を見学したいところですが、時間がまったくもってたりません・・・。とりあえず帰り道の方角へと歩きはじめます。

すると遠くでなにやら賑やかな音楽が聞こえてきました。振り向くと、おそらく長崎孔子廟と思われる場所で変面ショーが行われているようでした(実は一度も見たことない)。

屋根がかっこいい

てくてくてく。どこを歩いたら楽しいかしら??

左の写真にはショーウィンドウに飾られていた「長崎凧」が。この凧の工房にも行きたかったのよー。波に千鳥をはじめ、デザインがめちゃオシャレなの!

どうせ歩くならやっぱり階段の長崎を歩きたい・・・!!

この先には何が待っているんだろう?

階段を挟んだ両側には普通の民家が並んでいました。

人の営み

どこまでも果てしなく続く階段。果たしてわたしは街中に戻ることができるのだろうか・・・。

一抹の不安を覚えながら自分が登ってきた階段を降りむくと、赤く焼けた夕焼け空と長崎の街が広がっていました。

夕焼け見えないけど・・・!!!

長崎猫もどこかに帰るのかな?

帰り道を指し示すアンテナ

もっと味わいたかった階段とは、思いのほかすぐにお別れ…。またいつかうろうろしにいくから待っててね。

焼き菓子工房コリーヌ

そしてもちろん途中で抜かりなく美味しいお菓子をゲット・・・!!!1ピース250円とお手頃価格なのも嬉しかったです。

おいしかったー!特にアールグレイのタルト大好き。また食べたい

街中に帰り着く頃には陽も沈み、あっという間に夜が・・・。

長崎の夜と月

ついに思案橋へと戻ってきました。

やっぱり夜に歩きたい街

ランタンフェスティバル

最後はやっぱりランタンフェスティバルだよね・・・!!

怪しく赤いランタンの下を歩いていきます

が、しかし!!

目の前にうごめく人・人・人・・・!!!!!

橋の上にいるのはみんな人・・・

お昼間のそれとは比べ物にならないほどの大量の人が、ランタンフェスティバルのメイン会場である中華街に押し寄せていたのです・・・(絶望)

早くこの場を立ち去りたい・・・。そんな気持ちに襲われ、一番の目的である湊公園の祭壇のみ急いで見学することに。

豚の祭壇

突然ですが、グロ注意です!!!

本物の豚の生首、丸焼き写真が現れますので、苦手な方はコチラへ飛んでください。

カラーもあるけどエグいので、控えめにモノクロフィルムでお届けしますね

野菜やフルーツ、お菓子等の数々のお供物の中でひときわ目立つのがズラリとならんだ豚の生首ズ・・・・・。

これらのお供物はその奥にいらっしゃる「関帝」さまへのお供物。三国志にも登場する人物で(三国志ぜんぜん知らぬ)、商売繁盛などにご利益ある神さまとして祀られているとのことです。

豚の頭に尻尾がブッ刺さっていることにもちゃんと意味があるようで。詳しくはいろんな人のブログに書かれてるので気になる方は調べてみてね(公式ページに由来などが見つけられなかったのでここに書くのは控えます。やっぱグロいから大々的に宣伝とかはできんのかな・・・)。

最後に比較的グロくないカラー写真も載せとくね。

一見分かりずらいけど右上にテリテリとした豚の丸焼きの後ろ姿

人の多さに参ってしまい(豚の生首にじゃなくて)、早足にこの場を立ち去り、市電に乗って長崎駅へと向かいます。

夜ごはん

朝からパフェ、フルーツサンドとスイーツしか食べていなかったわたくし・・・。夜ごはんに何を食べるかは決めていました。もちろん・・・

CHANPON!!!

そう、ちゃんぼんです・・・!!!(なぜローマ字表記にした)

やはり長崎にきたからには本場のちゃんぽんを食べて帰らねば。さて、どこに行こう?検索してみると昔ながらお店を発見。ちょうどご飯時だったので急いで向かってみると、バッチリ行列ができてました・・・。そ、そうだよね、人気店のようだし無理だよね・・・。

仕方ないので近場をうろうろうろ。ちゃんぽんを出してるお店を発見!時間もないしここでいただくことにします。

実はそこまでちゃんぽん好きじゃないから、感想は「ふつう」としか言えなかったりする・・・ごめん

長崎に来た証としてちゃんぽん食べれてよかったです!!今回入れなかったお店もいい感じだったので、またチャレンジしてみたいです。

西坂の夜

さて、お腹を満たした後は、駅近くの小高い丘の上で光り輝くあの場所へ・・・。

今日の昼間に訪れた「日本二十六聖人記念館」と「聖フィリッポ教会(西坂教会)」です。

この時は日本二十六聖人の処刑をはじめとするキリシタン弾圧の歴史についてほぼノー知識で、「この場所でキリシタンが処刑された」という事実を認識しているくらいでした。

二十六聖人以外にも多くのキリシタンがこの地で処刑され、それがどんな酷い処刑方法であったか詳しく知ってしまった今では恐ろしくて一人でこの場所に立とうとは到底思えません・・・ぶるぶる。

とはいえ、この時もちょっと怖かったのは事実。ただ、わたしの他にもかわいい野良猫ちゃんたちがいたので心強かったです。

闇にまぎれる長崎猫

時間ぎりぎりまで長崎をたのしみ、福岡行きのラストバスに乗り込みます。自宅に帰り着いたのは0時前。こうして朝から晩までみっちり遊びつくした長崎カメラさんぽを無事終えたのでした。

最後に

たった1日だけ訪れた長崎。元々興味がある分野だったとはいえ、この日をきっかけに自分がまさかこんなにキリシタンについて入れ込むことになるとは・・・。正直ブログを書いていなければ、ここまで深掘りすることはなかったとは思いますが、ちゃんとキリシタンの歴史について学ぶことができて本当に良かったです。

そしてつい1週間ほど前のこと。高まる気持ちを抑えることができず、某所へとキリシタンの痕跡を巡る旅に行ってきました!!(さて、一体どこでしょう?)

相変わらずの猪突猛進っぷりに我ながら驚きです。近々その旅レポも公開予定ですので、どうぞ気長にお待ちくださいませね。最後まで読んでいただきありがとうございました!

この日の翌日(2月5日)が、二十六聖人が処刑された日だったようです

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、FUJIFILM X-T3、iPhone SE2、film:KONICA AUTOREX(自家現像とお店)

長崎カメラさんぽ2023③【長崎ぶらぶら編】

あっっっっという間に正午を通り越して14時過ぎ。まだ行きたいところがあるのにぜんぜん時間が足りないよ・・・!!!

CONTENTS

だがしかし、朝パフェしか食べてないのでちょっくら一息入れたい・・・。というわけで、大好きな喫茶店を目指し電車でGO!!

ままままさかの長蛇の列。恐るべし、らんたんふぇすてぃばる・・・
増便しているのか意外にも早く乗れたからよかった

たくさんの人たちで賑わっている思案橋駅で下車。商店街を歩いていると、賑やかな音と人々がざわめく声が聞こえてきました。

中華な格好をした女の子たち

皇帝パレードに遭遇!!!ランタンフェスティバルの催しのひとつです。ゆっくり見学したいけど早足に駆け抜けて喫茶店へ。だってだって、人気の喫茶店なんだもの!満席で入店できなかったら泣いちゃうーーーー

愛しの「冨士男」に会いにゆく

大大大好きな冨士男!!またあなたに会いに来たよ!!!

長崎に行ったら必ずと言っていいほど訪れる喫茶店。まず外観からしてイケメンです。

まるで甲冑のような外観(未撮影だったので、2020年1月末のランタンフェス時に撮影した写真をば)

The 純!喫!茶!な、温かみのある内装もとっても素敵なのよ〜。

クラシカルな空間と芸者を描いた洋画の組み合わせがとっても素敵だし、白タイルの壁も特徴的(2020年撮影)

へっへっへ、みんなが皇帝パレードに釘付けになってる間に滑り込んでやったぜ・・・!!(わたしの後に入った人たちは断られていた)

店内からパレードを眺めるのも乙なものです

冨士男にきたら是非とも食べてほしいのがフルーツサンドたまごサンド(冨士男のメニュー表ではエッグサンドでした)。今までいろんなところで食べてきたけど、もしかしてここが一番美味しいのではないか・・・??(あ、あと東京の「はまの屋パーラー」さんも好き!)

うんうん唸りながらすっごい悩んでフルーツサンドを注文することに。ハーフ&ハーフできたらいいんだけどなぁ。だってどっちも食べたいいいい!!!

なーんとわたしのすぐ後に注文した人がパンの品切れで断られてました。あと一歩注文が遅れてたらフルーツサンドにありつけないとこだったよ!想像するだけでふるえる・・・っ

瑞々しきフルーツとクリームの断面

やっぱめちゃくちゃ美味しいな!!!

けど、そういえばつい数時間前にいちごパフェ食べたばっかりだったよな・・・たまごサンドにすればよかったな・・・(いつもメニュー選ぶ時に思考停止しちゃう人)

今回食べれなかったたまごサンドの写真も載せておきますね!こちらは去年の10月に食べた時のです(どんだけ行ってんだ)。

この時は同伴者がいたのでフルーツサンドも注文してシェア

ちなみに冨士男さんではお持ち帰りもできます。旅の帰りにで電車の中で食べるフルーツサンドのなんと美味しいことよ・・・(2020年撮影)。

わたしが女優だったら撮影現場に差し入れするわ!

長崎ぶらぶら

大好きな冨士男を満喫して、再び長崎カメラさんぽスタートです。

思案橋

まずは長崎を代表する歓楽街、思案橋周辺をぶらぶらぶら。道路の突き当たりに現れる印象的な石造りの建物はなんと交番・・・!!!

いつ頃の建物なのかは調べてもよくわからなかった・・・

この辺りはその昔日本三大花街のひとつといわれた「丸山遊郭」があった場所。交番の写真を撮った位置のすぐ横にはカステラの福砂屋本店があって、近くには見返り柳と当時の思案橋の一部が残っていたらしい。残念ながら見逃したー!(けど目の端には写ってた気がする)。

福砂屋本店の柵にはかわいい蝙蝠がいらっしゃいました

今回は丸山遊郭については深掘りせずに、歓楽街を抜けていきます。

「ロマン街」という名前がロマン

歓楽街ではスナックの名前やフォントをチェックしてしまうわたくしです。

「ニュー六本木」、「ます」いいね。新旧入り乱れてる感じ。

「新宿」(憧れからきたと思われる都会の地名を使った名前にグッとくる)や、「むぎばたけ」がお好みです。「恋連」のルビもいいね。

「淑子」や「恵子」など人名だと「淑子さんがママなのかな?いったいどんな女性なんだろう・・・」とか、「高千穂」などの地方名だと「宮崎から流れてきたのかな?どんな人生歩んできたんだろう・・・」とか。妄想がむくむくむくむくとふくらんできて楽しいです。

以上、スナック看板の楽しみ方のススメでした。

ギザギザギザ

生活を垣間見る

唐人屋敷

歓楽街を抜けると、唐人屋敷のある通りへとたどり着きました。

にゃん!

自家現像のモノクロフィルム、リールの巻き取りに失敗してなかなか不明瞭な写真になってしまいました(粗悪なスキャンのせいもある)。でもそれが逆に幻想的な雰囲気を醸し出していて、まるで昔の中国のように見えて(昔の中国知らないけど)お気に入りです。キョンシーでそうじゃない!?

カラーだとこんな感じ

こちらは「丸金温泉」という元銭湯の建物で、前々から一度訪れてみたかった場所でした。以下サイトに廃業前の昔の取材記事が載っていたので気になる方はどうぞ。

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

なんと、わたしが訪問した2月初めの頃には存在していたのに、3月初め頃(それとも2月末?)に取り壊されたもよう・・・。2月に上映されたばかりの映画『湯道』のモデルのひとつになった銭湯だったようで(すごいタイミングでの取り壊しだ)、残っていたら何かと活用できただろうに。残念でなりません・・・。

階段ぶらぶら

唐人屋敷の通りを抜け、自分がどこにいるのかよくわからないまま細い階段をワクワクしながら登っていきます。

長崎の階段を歩くのはたのしい

そして、長崎といえばねこ。ねこねこねこです。

君はNo.5?

長崎は尾曲がり猫が全国的に一番多いと言われているらしいのですが、今回は意識して見てなかったので確認することができず・・・。

カラスよけのカラス

そしてついにたどり着いたのが・・・

大浦国際墓地

そう、わたしは墓地に行きたかったのだ・・・!!!

墓地は墓地でも外国人が埋葬されている外国人墓地。長崎市内には3箇所の国際墓地があります。今回訪れたのは大浦国際墓地。1861(文久元)年に外国人居留地に近いこの地に作られ、1888(明治21)年に閉鎖。埋葬されたのは主に長崎港に停泊中に死亡した乗組員たちですが、長崎で生活して功績を残した外国人も眠っているそうです。

解説板

大浦国際墓地について詳しく書かれた下記サイトがおもしろかったです。長崎の調べごとをするとこちらのサイトがよく出てくる。すごい。

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

中でも興味深かったのが、つい先ほどぷらぶらしたばかりの丸山で起きた殺害事件について。

1867(慶応2)年の夏、英国船の乗組員の青年2人が丸山で泥酔して外で寝てしまったところ、近くの茶屋で呑んでいた筑前藩の武士の目に止まり、もてあそぶかのように滅多切りにされてしまいます。筑前藩が殺害された2人の家族に賠償し、犯人たちは切腹ということで決着したものの、英国側は「江戸幕府は港町を徘徊する浪人から外国人居留地を守る力なし」と判断。 事件が遅まきの解決を見た頃には幕府は崩壊し、実権は維新の志士らの手にありました。上記サイトよりまとめさせていただきました

その殺害された外国人もこの墓地に眠っているのですね・・・。

もちろん墓地ですから、眠っている人たちに不敬があってはいけません。心の中で写真を撮らせてくださいとお願いしながらシャッターを押していきます(撮る行為自体が不敬と言われたらもう何もいえません・・・!)。

右奥のお墓には水兵さんが眠っているのか錨マークが描かれています

※これ以降のモノクロ写真は自家現像ではなく、お店でやってもらいました(スキャンはセルフ)。

やはりここにも猫

すでに17時を過ぎ、あたりが少しずつ暗くなってきました。

・・・こわい!こわいよ!!!

好き好んで墓地にきてるくせに今さらなんだと思われそうですが、やっぱり怖いんです超ぉーーー怖がりなんです。何も起こらないうちに急いで墓地を後にすることに・・・(ドキドキドキ)。

最後に

実は今回、長崎を訪れた理由のひとつが外国人墓地でした。外国の墓地って装飾がとても美しかったりするんですよね。あとやはり十字架に惹かれてしまいます。長崎市内にある残りの2か所の墓地もいずれ訪れてみたいです。

さて、前回のブログで今回が最終回と言ってましたが、勘のいい方ならお気づきでしょう・・・。そう、なんと最終回ではありません・・・!!!思いのほか長くなってしまったので次回へと続きます・・・嘘ついてごめんなさい。今度こそほんとに最後だから!!どうぞお付き合いくださいませ・・・ね?

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、FUJIFILM X-T3、iPhone SE2、film:KONICA AUTOREX(自家現像とお店)

長崎カメラさんぽ2023④【今度こそほんとに最終回】につづく▶︎▶︎▶︎