彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

⑤竹崎島正月ひとり旅2024【竹崎観世音寺修正会鬼祭・日中行編】

CONTENTS

雨の竹崎観世音寺

土砂降りではないものの、わたしの願いも虚しく相変わらずの雨・・・。昨日準備が行われていた建物に向かってみると、ちょうどお祭り前のお経を唱えているところでした。

入口上部には「平井坊」の文字

見学もほどほどに、早速お寺へと向かうことにします。

雨だねぇ・・・

お祭りが始まる前に、本堂内をじっくり見るチャンスです・・・!!!

千手観音さまのお隣にはカッコイイ仏様もいた(不動明王さま?)

祭壇には鏡餅や稲穂、野菜や柑橘などがお供えされています。童子たちの貝に入れる稲穂もここから取っていました。

お供えもの

そもそも鏡餅ってどんな意味があるんだっけ?気になったので調べてみました。

鏡餅(かがみもち)とは、餅を神仏に供える日本の伝統的な正月飾り(床飾り)であり、穀物神である「年神(歳神)」への供え物であり、「年神(歳神)」の依り代である。鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。鏡はこの世とあの世の境界と捉えていた。昔の鏡は青銅製の丸形である銅鏡で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。

鏡餅 - Wikipedia より抜粋

へーへーへー。歳神さまへのお供物&依り代で、「鏡餅」の名前は昔の鏡に似ていることからそう呼ばれるようになったのね!内陣正面の両側に飾られている装飾されたお餅はまんま鏡の形だよ・・・!!

最初鏡餅と言われた時はピンとこなかったけど、銅鏡と言われるとしっくり

本来なら日中行でも昨晩と同じように荷を抱えながら階段を登ってくるはずなのですが、すべて本堂に置かれたまま。やはり今日は雨のため本来の形では行わず、すべて室内で行われるようです・・・。

祭壇両側の畳の上には、子どもたちが頭に被る魚笠や籾殻を入れてた貝などの道具が一式置かれています。そしてその奥には・・・

子どもたちが使うアイテム

・・・異形の面!??

荒々しい真っ黒フェイス

ぐりっと飛び出た目玉にとんがった鼻、ぐっと食いしばった口。真っ黒な肌に白い線が躍動し、荒々しくて迫力あるのにどこかひょうきんなお顔。なんて味わい深い面なのでしょう!!

もしかしてこれが鬼・・・???

と思ったけれど、どうやら「翁面」らしい。翁=お爺ちゃんのイメージだけどちっともそのようには見えず、まるで鬼か天狗のようだ・・・。
鬼の逢瀬を阻止するための祭りですが、肝心の鬼の面は鬼箱に入れられたまま、代々の住職ですら見てはいけない秘面であるという。トキメキがすぎるではないか・・・!!(鼻血案件)いつの時代に作られたもので、一体どんな姿形をしているのでしょうね・・・どきどきわくわく。

ちなみに昔(少なくとも1665年頃まで)は、実際に鬼の面をつけて責める形の行事が行われていたようです。

現行の行事では、鬼は鬼箱に閉じ込められたまま四名の鬼副に擁護されて、最後までその姿を表すことはないが、古くは鬼面をつけた者を実際に責める行事であったという。市場直次郎氏は、寛文九年(一六六五)大木英鉄の序ある『肥前古跡縁起』に、「古へ故ありて鬼祭と云祭礼をなす事あり(略)毎年正月六日、此神事をなすこと、白布の袋に人を入、口をくくり、鬼面をかけさせ、拝殿におどり出れば、人々首に縄を付てあたりを引き廻す。所在のわらべども、竹の枝など面々持て、此鬼舞を打ちたたく(略)」と記されており、現在とは異なる鬼責めを行っていたようであると記しておられる。

「追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―」中村茂子著 より

今では鬼箱に収められている秘面が、その鬼責めに使われていたものなのかは分かりませんが、時代が下るにつれてどんどん祭りの形が変容していったのですね。おもしろい〜。

お堂内には、一番賑わっていた頃というお祭りの写真が飾られていたました。今では行われていない鬼箱の鬼を封じ直す「鬼攻め」のシーンです。見てみたかったなー。

こんなに若者が溢れていた時代があったのだ

壁には祭りの流れが書かれた張り紙も。その時にはちっとも気づかず全部撮れてなかったよね・・・(相変わらず残念な我が注意力)

見切れていても撮っててよかった

そろそろお祭りが始まる13時。撮影スポットで待機せねば・・・!!!

雨・・・ですね・・・

日中行

本堂から太鼓と鉦の音が鳴り響きます。

昨晩とは違う始まり方にワクワク!

その音を合図に、階段から傘を差した人々が次々に登ってきます。晴れていれば遠くには青い海と空が広がってさぞ美しい光景だったろうなぁ・・・。

ま、これはこれでレアということで

鬼副と呼ばれる若者ふたりが2本の棒を槍投げのようにお堂(というよりも空?)に向かって掲げたかと思うと、勢いよくお堂に向かって走り出します。

裸足で駆け抜けます!がんばれ若人!!

後に続いてぞろぞろぞろ。わたしたちも本堂の中へと参りましょう!

太鼓経・フレイ経

本堂内では昨晩と同じようにお坊さまのお経ソロに始まり、お経&太鼓セッション、子どもたちの籾殻わっしゃー!へと続きます。

いつみてもかわいい抱っこ

籾殻をわっしゃー最後にぶちまけるフレイ経がやっぱり好き!このフレイ経は初夜行、今では行われていない後夜行、日中行すべての行で行われるからとても大事なものなんだろうなぁ。

わっしゃーーーーー!

大聖棒(だいしょうぼう)打ち切り(1回目)

お次は鬼副ボーイズの一人が48本の樫の木を一つに束ねた大聖棒を担いで現れます。この鬼副は毎回かっこいい青年が選ばれると、昨日焚き火していた時に少しお話させていただいたおじさまが教えてくれました。

他の地域の牛王杖(ごおうづえ)に相当するものらしい

「だいしょーーーう だいしょーーーう」

周囲の掛け声に囃し立てられながら、お堂の入口で大聖棒の束をゆらゆら床に向かって揺らした後、振りかぶって階段の角に勢いよく打ち付けます。

ドーン!

どうやら結んでいる縄を切らないといけないらしい。何度も挑戦するのですがなかなか切れず・・・(思わずガンバレーと言ってしまう)。

そんな時はおじいちゃんの七つ道具、カッターのご登場だよ!

縄に切れ目をいれるのであります

と思ったら・・・切り過ぎたようで、振りかぶる前に切れちゃった・・・!!!

顔を見合わせて苦笑い

しゃーないので、このまま振りかぶってーーーー

ドーーーーーン!!!

するけど、やっぱり切れない・・・。このぐだぐだっぷりが可笑しくて愛しい!

もうえーじゃろーーーっと、棒をひっぱり抜いてバラバラバラーーー

傍観者だった人たちが一斉に棒に群がります・・・!その勢いにびっくり・・・!!!

老若男女入り乱れ、あっという間になくなってしまいました・・・。

どうやらこの大聖棒にはご利益があるらしく、2本も3本もゲットしている人もいました。欲が深いねぇ〜(人のこと言えない)。

天狗拍子

そして再び童子たちの出番。本来ならここから庭に降りて行われるのですが、あいにくの雨。すべて本堂の中で執り行われます。

童子たちがそれぞれ赤と緑の扇を持った左手同士を繋いで引き合いながら、右手のマラカスみたいな鈴をふりふりーーーふりふりーーーーー。お坊さまの言葉に合わせて舞いを披露します。

大聖棒打ち切り(2回目)

そして2度目の大聖棒打ち切り。相変わらずのぐでぐでっぷりでカッターおじいちゃんが何度も登場していました笑

なんとか縄を切って棒をぶち撒けます。棒に群がる人々の熱量もやっぱりすごい!今回もあっとう間になくなってしまいました。すると、その棒をお坊さんに頼んで地面にバシバシ叩いてもらっています。

こうするとご利益が増し増しになるの・・・?

牛王杖(大聖棒)について少し調べてみると、お堂の床を叩いたりすることで悪霊を退散させるという意味があるようです。なるほど〜。

ヒザツキ

棒叩きタイムが終わると再び童子さまたちのご登場。一番やること多いのこの子たちだね!がんばれーーー!!

鈴をふりふりする「天狗拍子」と同じ?と思いきや、さっきとは違う膝を曲げる所作があります。

鈴を振る時はお坊さんが「ふってふってーーーーー」って言ったり、動作を指示してその通りに動く童子たちの姿がなんだかとてもほんわかしてて好きだったなぁ。

男面と女面

一番最初に舞うフレイ経では大人の男面をつけていましたが、2回目の「天狗拍手」と3回目の「ヒザツキ」では大人の女面を被っています。わたしはその場にいる時は違う面をつけているとはまったく気づかず、後で調べて知るという・・・。だって、わからなくない???

(左)男面 (右)女面

・・・あれ?よーーーーくみたら、もしかして女面「お歯黒」してる・・・!??(あと、男面にはもみ上げがある?)

お、おもしろーーーい!!!

このことからも古い時代から行われてきた祭りなのだということがわかりますね・・・。ちなみに以前の祭りの映像を見ると、女面の時は色とりどりの紙で作られた飾りを頭に被るようです。やはり雨で完全版ではなかったのか、それとも今年からやめたのかは不明。見たかったな・・・。

ビサラモンポー(毘沙羅門棒)

これ以降はすべて面なしの素顔での舞。一本の大聖棒を手に、お坊さまの「びさーらもんぽー びさーらもんぽー」のリズムに合わせてステップを踏みます。

びさーらもんぽー びさーらもんぽー 頭から離れなくなるー

童子舞には陰陽師等でも知られる足で地を踏みつける「反閇(へんばい)」の所作をはじめ、全体に呪法的色合いの濃い動きが見られるそうです。本日何度目かのトキメキ・・・!!!

鉾突き

お次は鬼副ボーイズの出番!囃し立てるように一斉に法螺貝や鐘の音が鳴り響きます。

笛吹のおいちゃんたち

法螺貝吹いてるおいちゃん

鉾を交差させ擦り合わせると、ぐるっとゆっくり半回転。そしてその交差させた鉾の間をお坊さまたちがくぐり抜け、再び鬼副がゆっくりと半回転して元の位置に戻ります。

ぞろぞろぞろ

鬼副ボーイズが色とりどりの紙飾りをずっとくわえているのも面白いと思いました。

どんな意味があるのだろう?

翁面

鬼副ボーイズが童子たちに例の翁面を持ってきました!大聖棒の先に翁面をあてて、お坊さまの「なよーい  うよーい」の言葉に合わせ、翁面をこくん、こくんと頷くように揺らします。(意味は・・・わからん!)

向かい合って、こくんこくんと翁面を揺らします

それが終わると鬼副が再び翁面と大聖棒を受け取ります。

まるで童子たちの助手みたい

青蓮華・赤蓮華(しょうれんげしゃくれんげ)

まだまだ続くよ童子舞!お次に鬼副が持ってきたのは赤と緑の風車のような飾りもの。どうやら蓮華を表しているようです。この飾りを片手で持ち、お坊さんの言葉に合わせてステップを踏み、最後はその場でぐるーっと回って「なりけりー!」の声に合わせて決めポーズ!!

お坊さまの「なりけりー!」の掛け声に合わせ、天に蓮華を掲げる童子たち

五大忿怒王(ごだいふんぬおう)

鬼副が蓮華の飾りを受け取り戻ると、今度は童子たちの父親と思われる両副たちが刀を差し出します。

「ごだーいふんぬーおーう ごだーいふんぬーおーう」

お坊さまの言葉に合わせ、ステップを繰り返します。単調ではあるものの、途中で後ろ向きにステップを踏む動きがあるので慣れるまで難しそう!

後ろ向きでもぶつかることなく舞を終えます

そして毎度お馴染み両副による童子だっこ!これにて童子舞はすべて終了です。

大役 お疲れ様でした!

以上の7つの舞すべての前後では、この両副が童子たちを抱えて決して歩かせることはありません。

今回は雨ですべてお堂内で行われましたが、通常ならこれらすべての舞ごとに両副がお堂内から童子たちを庭へと運び出し、舞を終えたら再びお堂へと運び入れるという姿を見ることができます。

移動の時に地に足をつけさせない理由は、堂内は霊界であって童子は聖なる霊体として扱われていることを示しており、その聖なる霊体の出現を演出しているものと考えられているそうです。しみじみとおもしろいなぁーーー。

この後に行われていたはずの鬼攻めはもちろん今回も人手不足により行われることはありません。お坊さまによる最後のお経が行われ、竹崎観世音寺修正会鬼祭は終了となります。

最後のお経

お疲れ様でございました!!!

「平井坊」へと戻る人々

大聖棒ラストチャンス

帰ろうとしているおいちゃんにどこに大聖棒を飾るのか聞いたら、縁起物だから玄関に飾ることが多いと言っていました(後日読んだ資料には、床の間に飾って農家では田畑の虫除けにするとも)。

わたしが大聖棒を持っていないことに気づき何度も「あげよか?」と言ってくれたけど、そのままバスや電車に乗ってたら不審者なのでは・・・?それにもらっても場所に困りそう・・・と思って気持ちだけもらってお断りしたんだけど、今更ながらちょっと後悔。今年一年約束されたご利益を取り逃しました・・・。でも、きっとその場にいたことでご利益のおこぼれもらえてるはずーーー!!!次はぜひとも大聖棒の壮絶なる争奪戦に果敢に参加したいと思いますっ。

さて、祭りの様子はYouTubeに色々と転がっていますので、もっと詳しい祭りの様子を見てみたいという方はぜひとも検索してみてください。実際に観に行くのが一番オススメだけどね!

さよなら竹崎島

竹崎観世音寺近くのバス停でバス待ちしてたら、バス停隣に車停めてたおいちゃん(大聖棒のおいちゃんとは別)が駅まで乗せてってあげるという!でもあと数分でバスが来そうだったのでこれまた丁重にお断り。ほんと、世間にはやさしい人が多いね。ありがたい・・・。

すぐにやってきたバスに乗り込みます

バスに乗るとなんと「無料」と言われてびっくり!え?そんなことあるの!??聞き間違いかなぁと思ったら、次々に乗ってくる人たちに無料って言ってて、みんな「え?無料??」って驚いているのも面白かった。正月だから??無料すごいわ!ありがたやー!!今回の旅ではスマホ壊れたり雨降ったりしたけど、なんだかんだで色々と幸せな気持ちになれてもしかしてラッキーなのでは・・・???

バスの車窓からはキリスト看板も発見できたし!

有明海にもさよなら

あ!佐賀でよく見かける交通安全子ちゃんだ!!!(わたし命名)

好き!

鹿島市観光物産センター

あっという間に肥前鹿島駅へと到着。少し時間があったので、駅内にある鹿島市観光物産センターを物色することにします。

地方の練り物はなんでこんなにも美味しく見えるのか・・・(エビマヨカツ買って食べたら美味しかったよ!)。

ご当地感満載のお菓子を見るのも楽しいよね。

鹿島市には有名な祐徳稲荷神社があるのですが、稲荷ようかんなるものが売られていました。

有明海ならではの「わらすぼ」や「むつぼろう」関係の品々も充実!!!

B級ホラー映画感満載のマグネットたまらんね

自分へのお土産にムツゴロウ爪楊枝入れを購入。

とりあえず持ち帰った籾殻入れてみた

最後にアイスコーナーを覗いてみると・・・

ご当地感満載なトラキチ!?これは買わずにはおられない・・・!!!

大好物は「昭和の香り」です

調べてみると、なんと作っているのはあのブラックモンブランと同じ会社だというではありませんか!

商品紹介|ブラックモンブラン|竹下製菓株式会社

早速駅のホームでもぐもぐ。みんな大好きチョコバナナ。美味しくないわけがない。

ちょっと寒いけど!

クジまでついてて最高です。

運は貯めておきたい人間なので「ハズレ」で結構!

電車に乗り込み、乗り継ぎしながら自宅に帰り着く頃には真っ暗になっているのでした。年末に突然思いついた旅ではありましたが、とっても実りある旅になったように思います。スマホは壊れたけど!壊れたけど!!(半泣き)行ってよかったです。

最後に

竹崎島という小さな島の中に、お祭りをはじめ火山や蟹、恵比寿等といった魅力がぎゅっとつまっていて、とっても大好きになってしまいました。

モノクロフィルム(自家現像)

そして2日間続けて体験した竹崎観世音寺修正会鬼祭。完全版ではなかったものの、とっっっても楽しくて!!!何の知識もないまま向かったお祭りでしたが、今回ブログを書くにあたって、ずっと気になっていた国東半島の修正鬼会と同じ系統の行事であったことを知り、行きたすぎて息が詰まるほどにブルブルと震えております・・・!!!(色々と共通点がありそうなので実際に見てみたい!)

モノクロフィルム(自家現像)

さらに全国各地で行われる修正会や鬼が出てくるお祭りも気になり出して・・・。

鬼すべ

こちらはたまたまお誘いされて今年の1月に訪れた太宰府天満宮の鬼すべ。鬼すべの前に行われた鷽替え神事もたのしかった!!

火を操る男たちが眩しかった!

今は猛烈に修正会に行きたい・・・。またまた追いかけたいテーマが増えてしまったよ。生きているうちに興味のあるすべての場所に行くことができるのだろうか・・・若干途方に暮れつつ興味が尽きないことは幸せなことだなぁとしみじみと思うのでありました。

■参考文献・サイト

「追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―」中村茂子著

喜多文庫民俗芸能資料 

文化遺産データベース

童子舞(どうじまい) |太良町ホームページ

奈良県の祭りと芸能 - 奈良県無形文化遺産アーカイブ

仏僧の独り言

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria + Planar 50mm f1.4

⑪台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【黒川さんさ踊り編】最終回

大慈寺の門前に次々に集まり出したカラフルな装束の人々。果たして彼ら彼女らの正体は・・・???

逢う魔が時

CONTENTS

黒川さんさ踊り

門前で準備しているのは「黒川さんさ踊り」の踊り手さんたち。鮮やかな牡丹が咲いた花笠、腰には7色の布が垂れ下がり動くたびにゆらゆらと揺れています。白地の衣に染められた桔梗の花と「黒川」の文字は、昭和レトロでとっても可愛らしい。

絶賛準備中

「伝統さんさ踊り」と「統一さんさ踊り」

「さんさ踊り」とは、藩政時代から踊られている盆踊りで、一部県北地域をのぞく岩手県全域に見られる郷土芸能。「さんさ踊り」の中には「伝統さんさ踊り」「統一さんさ踊り」の2種類あって、前者は藩政時代からの踊りを「芸能」の域にまで高め、現在まで受け継いできたもの(かっこいいな!)。地域ごとに独自の笛や太鼓、踊り、装束が存在しており、「黒川さんさ踊り」もそのひとつ。後者は、地域ごとに異なる「伝統さんさ踊り」を誰もが踊れるように統一化し新しく創作されたもので、毎年8月のはじめに盛岡市で開催される夏祭り「盛岡さんさ踊り」のパレードで見ることができるそうです。

■参照サイト

残したい盛岡のお盆 黒川さんさの門付 | NPO法人盛岡まち並み塾

郷土芸能じぶんち 7号特集「伝統さんさ踊り」

実は今まで「さんさ踊り」の存在をまったく知りませんでした(ごめんなさい)。生まれて初めて見る岩手の盆踊り。一体どんな踊りなのかしら・・・?

お寺さんと反対方向へぞろぞろと大移動してスタンバイ

いよいよ岩手ひとり旅、最後の夜が始まります・・・!!!

大慈寺

提灯を手にした貫禄あるおじさまが先導し、一列になって太鼓や笛を奏でながら大慈寺へと向かいます。その姿に早くも胸ときめき・・・。

左には道化役の「一八(いっぱち)」の姿

列に参加せずに道路脇でひとり見守っていた道化役の「一八(いっぱち)」が、列の最後に加わります。山門へと吸い込まれる姿が、この世のものとは思えない雰囲気を醸し出していました。その姿に誘われるかのように、わたしもその後に続いてお寺さんへと向かいます。

なんだかドキドキしてきました

境内に太鼓と笛と歌が鳴り響き、大きく円を描きながら黒川さんさ踊りが始まります。軽快な太鼓のリズムと流麗な笛の音色、踊りは緩急があってとても柔らかいのに不思議と力強さも感じます。腰の色とりどりのカラフルな布が踊りのリズムに合わせて揺れてより一層華やかに。どこか愉快さも感じる穏やかな歌はずっと聴いていられる心地よさ・・・。シンプルに言って、

とても、とても良い・・・!!!

楽器を弾きながら踊るのもすごい!笛の息継ぎどうやってるの・・・??

おじさまたちも頭におっきなお花つけてるのがとても可愛い

お寺の雰囲気にもとても合っています

そして、ひとり規格外の動きをするのが道化役の「一八(いっぱち)」。衣装も他の人たちとは異なっています。他の踊り手さんに比べて動きがとっても柔らかい!(気がする!)まるで骨がないような角のない滑らかな動き。とても不思議で面白かったです。

円の中心でみんなに見守られながらひとりで踊る「一八」

よーーーく見たら・・・イタチ!??手にはなぜかイタチを持っています笑(害虫を食べてくれるからという説もあるようですが、理由ははっきりしていないそうです)

ふさふさもこもこ。本物の剥製?

実はわたくし、ダンススクールでバリバリ踊ってた過去を持っている・・・わけではもちろんない。むしろ小学校低学年時のダンス練習で、先生に名指しで動きが変と注意されたことがあるくらい苦手である(今でもはっきりと覚えてるくらいショックだったらしい)。

そんなダンス音痴なわたくしなので、見てても何がどうなってるのかまったくわからないのですが、円になって踊るだけじゃなくて向かい合ってダイナミックに交差したりして(よくぶつからないね!?)なんだかとってもすごい!気がする!!(語彙力)

かっこいいんだよー!!!

見た目はとっても乙女チックで可愛いのに実はめちゃくちゃ骨太でカッコイイ!「勇壮」という言葉がピッタリのような気がします。

踊りはクライマックスへ

大慈寺での踊りを終えると、再び一列になって山門をくぐって外へと静かに出てきます。

この一列で歩く姿も好き

休憩

階段を降りると、休憩している踊り手さんの姿がありました。

雨が降ったことに感謝する瞬間

これから場所を変えて踊りは夜まで続きます。もちろんわたしは最後まで!ついていく覚悟よ・・・!!

吾輩は金魚のふんである

山門前から移動する踊り手さんたちの後をついていくと、着いた先はわたしの大好きな湧き水場でした。

なにかと縁のある青龍水

これからどんな流れになるのかしら?まぁ、こうしてくっついてたら問題ないでしょ!・・・なーんて余裕ぶっこいていたら・・・

え?ここで踊るわけじゃないの・・・!??

再びみなさまてくてく歩いて行ってしまいます・・・(イケズな後ろ姿)

黒川さんさ踊りの門付(かどづけ)

かつて、お盆の時期には各地域の踊り組が盛岡の中心市街地に出向いて門付を行っていたそうです。黒川さんさ踊りでは、昭和40年代以降にほぼ消滅したと言われる門付を復活。

鉈屋町​界隈の家々では、お盆の時期に先祖の霊を迎え、送るかがり火を焚く風習が残っています。今日は14日。ご先祖さまのこの世への道標である迎え火が道路の真ん中で焚かれていました。観客に混じって黒川さんさ踊りを一緒に観て楽しんでるんだろうなぁ(もしかしたら踊ってたり?)

かがり火

夕闇に浮かび上がるかがり火を囲み、黒川さんさ踊りの門付が始まります。

あ、あれ?最後に到着したはずなのに、棚ぼた的にベスポジをゲットしてしまったようだぞ?

鉈屋町の風情ある街並みと、時折火の粉を夜空に散らしながら燃えるかがり火。あたりがどんどん暗くなるにつれ、黒川さんさ踊りがどんどん輝きを増していきます。

か、かかかかっこいいーーーーー!!!!!

なんていうんでしょう?まるで戦隊モノのヒーローのような?そんなカッコよさ!!!踊り終わった瞬間すべての悪が浄化されて世界が平和になるのでは・・・???というような妄想にかられてしまうほどの圧倒的パワーでした。

わたしも成仏しちゃいそうだよ

ところで、すっかり陽も落ち、かがり火で照らされた雰囲気満点の空間が出来上がっているにも関わらず、わたしの腕不足&カメラのパワー不足でまともな写真がぜんぜん撮れず・・・(ISO感度上げるとザラザラになるし、下げるとブレッブレの写真しか撮れないし)。もう・・・完全にお手上げです!!!

ブレがいい味出してると思ってくれ

そんなわけなので、動画をおたのしみください・・・。一八にイタチで頭ちょんちょんされる女の子かわいいな!(わたしもちょんちょんされたかった!!)

お寺さんの境内での踊りもとてもよかったけれど、この場所で見た黒川さんさ踊りが一番大好きでした。鉈屋町の風情ある建物に囲まれ、踊り手の息遣いが感じられるような小さな空間で、かがり火に照らされた迫力満点の踊りをこんな間近で見ることができるだなんて・・・最高に幸せだよ・・・・・。

踊りが終わると次の場所にみんなでぞろぞろ大移動するのもたのしかったです。

照明が星型なのはたぶんオールドレンズつけてたからだと思うけど、なんのレンズ使ってたっけ・・・(記憶力・・・)

最後の舞台は「もりおか町屋物語館」。もうこのあたりではあきらめてほとんど写真撮ってなかったよ?

はい、ブレてまーす

写真を撮らず、踊りに集中できるのも喜び。だけど自分の実力で写真がうまく撮れないのがとても悔しい・・・

踊りを見てたらこっちに向かってコロンコロン!と落ちてきた小さなシルバーの鈴。踊り手さんたちの装束の背の襟下には可愛らしい小さな鈴が付いているのです。

3つの鈴がリン!

踊ってる最中に取れて踏んずけぐにゃりと潰れたようで音も鳴らないけれど、記念に持って帰ることに。きっとこれは幸運の鈴に違いない!大切にしたいと思います。

どの踊り手さんのものだったのかなぁ

最後にちょっとしたプレゼントをもらって(勝手に)、黒川さんさ踊りは終了。18時から20時過ぎまで約2時間ほどでした。あっという間だったけど、色々な場所でたっぷり踊りを見ることができてとっても楽しかった!台風で1日早く帰っていたら見れたなかったんだよなー(みんな忘れてると思うけど、わたしももう忘れてたけど、深刻に台風危機一髪旅だったのじゃよ・・・?)岩手旅最後の夜を、黒川さんさ踊りで終わることができて本当によかったです。

ところで、記念に最強の失敗写真でも最後に載せておこうかね?

嗚呼、愛しき失敗写真

最後の盛岡観光

実はこの黒川さんさ踊りの最中に、色々とよくしてくれたカメラマンおじさまがおりました(さんさ踊りの撮影スポット教えてくれたり)。最後のさんさ踊り会場では陣取った場所で偶然隣同士になり、なんと帰りは宿へ車で送ってもらえることに・・・!さらに宿へ送ってもらう前にちょっとした盛岡観光をして帰ることにっ。何から何まで本当にありがとうございます・・・!!!

鹿島精一記念展望台

まずは盛岡の夜景を一望できる展望台へ。UFOみたいな面白い形してた・・・!好き!!

夜でよく見えなかったけどたぶん好き
三角形の螺旋階段も!好き!

個人的に気分がアガる好きな展望台でした。

あ、もちろん盛岡の夜景も拝んできましたよ。そしてついでに夜景の撮り方も教えてもらいます(夜の撮影、これからは頑張りたい)。

無駄にボケさせたくなる病

おぉ、わたしなんだか普通に観光してるっぽい!観光してるっぽいぞ!!

夜景を楽しんだ後は、夜の近代建築巡りをして(再び人魚の写真館、その前にある肉屋さん、盛岡銀行等)、美味しい冷麺のお店を教えてもらって宿に届けてもらいました。歩いてだと絶対に行けなかった展望台にも連れて行ってもらえたし、鉈屋町から離れていた宿にも車でひとっとび!ほんとになんてラッキーなのだ・・・。旅先でいい人に出会えてしまう、もうこれは才能なのではないだろうか・・・(自画自賛がすぎるぜ)。

大盛り冷麺

時計の針はすでに22時前。入店したのは宿近くのぴょんぴょん舎。最後の最後にやっと本場の盛岡冷麺にありつけたー!そう、わたしは岩手ならではの食べ物がずっと食べたかったのだ・・・涙

盛岡冷麺

荒ぶってうっかり大盛り頼んだら、大盛りすぎて最後は苦しみながら食べるはめに・・・。美味しかったけど、なんでもほどほどに・・・ですね(毎回そう思うのに、同じ過ちを何度も繰り返すのである)。

カメラマンおじさまにオススメされた盛岡フードの「じゃじゃ麺」(3回目くらいにクセになる味らしい)、今度旅した際にはぜひ挑戦したい。あと、人魚の写真館前の肉屋さんのお肉も。朝市で食べれなかったひっつみも食べたいよー!喫茶店にも行けなかったし。次の旅では郷土色の強いものをいろいろと貪欲に食べ尽くしたいと思います!!

岩手最後の朝

朝目覚めると、雨が降っていました。今日はもう福岡へと帰るだけ。でも、わたしには最後にやらなければならないことがあるのだ・・・!!!

雨に濡れたさんさ踊り

福田パン

盛岡滞在中、2日続けて振られ続けた福田パン。知らなかったんだけど・・・盛岡駅の中にもお店があるんだね???ただし、こちらで扱っているのはすべて出来合いのコッペパン。自分で中に挟む具材を選ぶことはできません。次は必ずや本店で自分チョイスのコッペパンを食べたいと思います!

どれにしようかな♪

心残りの岩手ミッションを完全ではないまでもひとつ回収し、とうとう初めて旅した岩手とのお別れです。遠野から始まり、盛岡、江剌、一関と駆け抜けた約4日間。ちっとも足りない!足りないよ!!再びこの地を訪れることを夢見て・・・。

さらば!

東京へと向かう新幹線の中ではもちろん買ったばかりの福田パンで朝食タイム。昨日雨で当初の目的の鹿踊が中止にならなければ行くはずだった「うれいら通り商店街」。その近くにある鍾乳洞から汲まれたという水が使用された「龍泉洞珈琲」を飲み、「いつかかならずここにも行くぞ・・・」そう心に誓いながらパンをもぐもぐ頬張ります。

精神を研ぎ澄まして15%を感じ取りたい

正午すぎに東京駅に到着し、羽田空港へ。神戸、大阪あたりを攻めてる台風を避けて福岡へと到着!!!最初はどうなるかと思われた岩手ひとり旅。台風の直撃は免れたものの、遠野や盛岡では悪天候に振り回され予定変更を余儀なくされました。でも、そんなハプニング含めとっても思い出深い旅に・・・。

Googleマップと飛行機のモニターより

最後に

いつもは公共の交通機関と己の足で辺境の地を巡る旅をしがちですが、今回は人に助けられた旅になりました。ひとり旅だけど、たまにひとりじゃない。人に会いに行く旅の形も、たまにはいいかもしれないなぁー。全国にそんな人たちを増やしていけたらいいな。なーんて、人見知りなりにそんな風に思ったりもして、新しい視点を得た旅にもなったような気がします。

しかし、おんぶにだっこしすぎて「このままでいいのか!??」と不安になったのも事実。自分を追い込んだ旅も、無理しない程度に続き続けていきたいと思います!そのためにはいつまでも健康でいなきゃね・・・!!

思い出のカケラたち

さて、今回の黒川さんさ踊りで、夜の撮影、しかも動いている人物の撮影の難しさを痛感したわたくし・・・。今までAPS-CサイズのFUJIFILMのカメラを使っていたのですが、この件をきっかけについにフルサイズのカメラに手を出してしまいました!(底なし沼にずぶずぶずぶ・・・)新しいカメラを手に、これらも全国各地を巡っていきたいと思います・・・!!!

【完。そして旅は続く】

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑩台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【アラハバキ大神の巨石を祀る神社編】

一関市から今朝出発した盛岡へと戻ります・・・!行ったり来たりと忙しい〜(ってわたしは運転せずに優雅に運ばれているだけでありますが)

 

CONTENTS

アルテイ・モレの碑

盛岡に戻る途中、どこかに寄る時間があるとのことだったので「神さびた神社」をリクエスト。東北マスターY氏の脳内データベースの中から選び出された神社へと案内してもらうことに。

そこへ向かっていると、「アルテイ・モレの碑」と書かれた看板をたまたま発見。折角なので寄ってみることにしました。

ところで、アルテイ・モレ・・・?とは???初めて聞く言葉の響き。蝦夷(エミシ)の長アルテイとモレ(アルテイさんとモレさんだったのか!一人の名前かと思ってた)は、8世紀から9世紀にかけて現在の岩手県胆沢地方に実在した人物(蝦夷は知ってるよ!)。大和朝廷と戦って最後には敗れて処刑されてしまったんだって。アルテイ・モレの碑はあちこちに建立されているようで、ここもその中のひとつのようでした。

森に囲まれた荒れた細い道路をぐんぐん進んでいきます・・・

車を走らせていると、ここかな・・・???(不安)という空間にたどり着きました。

コテッと斜めになった小さな看板を発見。どうやら滝などもあるようです

矢印の指す方に行こうとするも地面は草でボーボー。このことからも、あまり人が訪れない場所ということがわかります。だが、ゆくぞ!この先に何があるのか確かめるのだ・・・!!!

熊が出そうな雰囲気

神社を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいきます。

その先に、アルテイ・モレの碑と、さらに奥に櫓が建っていました。

碑石がちゃんと撮れてなかったので解説板でご勘弁を

よーく見ると草に埋もれた櫓の下には古墳を示す看板があります。が、草が生い茂っていて降りれるような雰囲気でもなかったような・・・?やはり荒れ果てたままになっているのだろうなぁ。

アルテイ・モレ。今は存在を知ったばかりであまりよくわからなかったけれど、今後またどこかで出会うことがあるかもしれません。その時に興味がわけば、もっとホリホリすることもあるかも?その機会を待ちたいと思います。

さて、再び神さびた神社を目指してレッツゴー!!!

KAWAII

すると今度はキュン!とする建物を発見。それを伝えると車をわざわざUターンして停めてくれるというではありませんか・・・!やはり神か仏なのでしょうか・・・。ありがたく堪能させていただきます!!

た、たまらん!!

たまらんぞ・・・!!!

キリスト看板も・・・(2枚あるぞ)

そして・・・極め付きの・・・

!!!!!

ね、猫の足跡ーーーーー!!!!!

フロントガラスにぴっしりと猫の足跡が

す、すべってる・・・。すべってるよ・・・!!

嗚呼、その瞬間を想像すると可愛すぎて発狂しそうだよーーー!!!(鼻血)

この写真が今回の岩手旅で撮った中で一番可愛い写真に違いない。テンションが爆上がった瞬間でした。

巨岩を祀る丹内山神社

素晴らしい建物と猫の足跡に興奮して再び車に乗り込み、やっと到着した神さびた神社。そこは花巻市東和町にある丹内山神社でした。

入口

自然に囲まれたとても静かでひっそりとした場所(車がないと絶対来れない)。神社の一番上には「アラハバキ大神」という、これまた初めて聞くような響きの神様を祀った巨石が鎮座しているそうです。

実は巨石や磐座信仰というものに興味があって、太宰府にあるお稲荷さんの記事を書いたこともありました(アラハバキ神とは関係ありませんのであしからず)。巨石・・・古代の信仰・・・。なんでこんなに胸が高まるのでしょう・・・。

アラハバキ大神とは

アラハバキ大神は、古事記や日本書紀に登場することのない謎の神さま。蝦夷の神や製鉄の神等、他にもいくつか説があるらしいのですが、本当のところはわかっていないらしい。アラハバキ大神が祀られているところには必ず磐座があると言われいるそうです。た、高まるーーーー!!

以下サイトよりまとめさせていただきました▼▼▼

参拝へ

駐車場で降ろしてもらい、ひとり参拝しに向かいます。敷地案内図の看板をみると結構な規模の神社のようです。

どうやら参拝の順序は一番上のアラハバキ大神の巨石「胎内石」から下へ下へと参拝していくのが正式なルートだったもよう・・・。無礼にも下から上に逆方向に進んでしまいました。情報がたくさんあると・・・瞬時に処理できないんだ・・・・・。

入口には立派なお馬さん

空はどんより曇っているし、境内の雰囲気もなんだかもの悲しくて、急に孤独感が襲ってきました・・・。

「なんでわたしはここにいるんだろう・・・」(深い意味で)

そんな言葉がふっと頭をよぎります。

境内には見事な彫刻が刻まれた建物があったらしいのですがちっとも気付かず。

可愛い生き物の2枚しか撮ってなかった

この建物の側面だったのか、それとも他の建物だったのか。孤独感に支配されていたため、あちこちちゃんと見れていなかったようです・・・。

橋を渡り、本殿へ。

そしてついに・・・!!!

胎内岩

木々の隙間から現れた苔むした巨石。しめ縄がぐるりと巻かれ、神聖な岩であることが一目でわかります。

パワー感じてる人がいた

近づいてみると、岩の上には一本の木が生えていて、より神秘的な雰囲気を醸し出していました。神様として祀る気持ちがわかる気がします。

後ろから見た姿。正面に見める建物が本殿

2枚の重なり合った岩の隙間は潜り抜けれるようになっていて、壁面に触れることなく通り抜けると願いが叶うと言われているそうです。が、壁についても一応願いは叶えられるようです(アバウトだな笑)。

ブレてる解説板

こういうのは率先してやりたいタイプ!もちろん挑戦してみましたが、えーーーっと、これは子供じゃないと無理!!!隙間の中に小さな岩があって、簡単には通り抜けれないようになっていました。

中から見た入口がまるで刀傷のよう

胎内石くぐりをしているタイミングで、なんと空から大粒の雨が・・・!!!傘はもちろん持ってきてないし、神社の一番上からダッシュで戻るには駐車場は遠すぎる・・・。仕方ないのでしばしの間、御神体の中で雨宿りさせてもらうことに・・・。

さっきまでの悲しい気持ちは一体どこへやら。突然の雨と巨石での雨宿りに一気に気分は高揚し、すっかり楽しい気分になっていました。

雨はすぐに止み、満ち足りた気持ちで神社を後します。

アラハバキ大神さま、幸せな時間をありがとうございました!!!

ご当地グルメ。松葉商店のたこ焼き

盛岡へと戻る途中、花巻の松葉商店さんでちょっと腹ごしらえ。

無国籍感あふれる旗

ここのたこ焼きが、ご当地グルメとして有名らしい。

ラーメンもあるんだね!

プレーンとマヨネーズの2パックいただきます。

たこ焼き大好き!

生地がふわふわで美味しかった気がする・・・!!!(つまり食べてからだいぶ時間が経っているのでよく覚えていない・・・でも美味しかったことは覚えてる)

ただし2パックは多すぎましたな・・・。最後は味変できる何かがほしくなりました。

盛岡に帰還

ちょっとしたプチ観光をして、再び盛岡へと戻ってきました。2日続けて鹿踊を案内してくれたY氏さまとはここで解散。ご案内いただき本当に感謝です!移動距離、すさまじかったです・・・。

さて、夕方からは昨日下見をしたお寺さんへ参ります(そこで何があるのかは最後のお楽しみ!)。それまでぽっかりと時間が空いてしまいました。残された時間は約3時間ほど。盛岡散策はある程度してしまったし、遠出するには時間も気力も足りていない・・・。

あ、オススメされたあそこに行ってみよう!再び歩きはじめます。

何度往復したかわからない橋

光原社

盛岡に行くと言ったら数人にオススメされた光原社。きっと好きだよ、と言われたけれど、その通りとても好きでした!

ビー玉の模様のような色ガラスや床のタイルもかわいい

ショップがいくつか連なった集合施設になっていて、民藝が好きなら大好きな空間だと思います。宮沢賢治好きにもオススメです。

 

で、ここで事件勃発。

スマホ紛失!!!

光原社を出てスマホを取り出そうとすると、いつもなら入っているはずのポケットにない・・・・!おや?っと思い、ショルダーバックをごそごそ。ない・・・。リュックの中身を全部ひっくり返しても・・・ど、どこにも!

な!い・・・・!!!

ななななんと!スマホを落としてしまったようです・・・(真っ青)

ホテルからスマホの地図を見ながらここに辿り着いたので、間違いなくそれまではありました。まずは光原社のスタッフに確認するも見つからず。ここにないとすると一体どこに・・・?

ひとつ思い当たることがありました。一度荷物を整理するためにどこかのバス停のベンチに座ったのです。ただ、普段ぼーっとして地図だけを頼りに歩いているから自分がどこから来たのかちんぷんかんぷん!超焦ってるから同じ場所を行ったり来たり・・・。だって、スマホなくなったら新幹線や飛行機も乗れないし、警察に行ったりなんやこんやでこれからの予定も吹っ飛びます!!!

顔面蒼白になりながら、無意識の自分を信じおぼつかない足取りでベンチのある場所を探し歩いていると・・・

あああああったーーーーー!!!(号泣)

いやぁー、ほんと肝を冷やしました・・・。上の写真は、歓喜しながら足早に駆け寄ってスマホを手にとった後にハッと思い直して、再び同じところに置いて撮ったヤラセ写真です。

福田パン本店

大大大ハプニングで、精神的にも体力的にもぐったり・・・。とりあえず昨日食べれなかった福田パンの本店に向かったらお盆休み・・・。ま、軽く想像はしてたので、平気です・・・平気ですよ?(涙目)

どどん!

思い返せば、昨日の朝は中華そば、昼はクエン酸ゼリー、夜はコンビニ冷麺。今朝もちょっとしたコンビニ飯、お昼はたこ焼き。うぅん、どうやらエネルギーが足りてないようだ。だからこんなにも朦朧としてるんだ・・・。

果たしてこれから盛岡らしい食事をすることができるのだろうか!?

どこまでも運に見放される

その後は再び雨が降ってきて・・・不思議な歯医者さんの建物で雨宿りすることに。なんで今日は傘持ってこなかったんでしょう。昨日はちゃんと用意してたのに・・・。

木のために作られたような不思議な建物でグッときたからここを雨宿りの地とする

やっと雨が止んだので、再び移動開始。街中へと向かうことにします。何か・・・心躍るスイーツが食べたい・・・。昨日訪れた神社の近くまできました(もうへとへと)。

昨日参拝できなかった巨石を遠目に拝見

参道にいい感じの喫茶店を見つけたので入ってみると、もう閉店したことを告げられる・・・。

無念

意外にも盛岡のカフェ関係は閉まるの早いのですね・・・。盛岡に戻ってきてから無駄な動きをしすぎて、ゆっくりできる時間があまりないことに気付きます。もうどこにも行かずに早く落ち着きたい。そうだ、あの場所でゆっくりしよう・・・。

コンビニで今回の旅で何度目かのクエン酸ゼリーを購入し向かった先は・・・

青龍水で癒しの時間

昨日訪れて大大大好きだった青龍水ふたたび!ここ、ほんと大好きだ!!

命の水

クエン酸ゼリーをちゅーちゅー飲んで栄養補給&湧き水ごきゅごきゅ。ほっと一息ついて、ちょっと回復。

青龍水からは今日の最終目的地であるお寺さんが見えます。そこにはカラフルな装束に身を包んだ人たちの姿が・・・。

岩手ひとり旅、最後の夜が始まろうとしていました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑩台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

⑧台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【都鳥鹿踊 編】

盛岡駅から電車で50分ほどの北上駅へ。珍しくここからはひとりではありません。旅の前に某SNSで東北マスターY氏に鹿踊情報をお尋ねしたところ、なんとアテンドしてくれることに・・・!!世の中には仏のような方がいるものですね。ありがたや・・・。

北上駅

構内には賑やかな郷土芸能レリーフ

CONTENTS

鹿踊(シシオドリ)とは

鹿さまに会いにいく前に、まずは鹿踊についてちょっとお勉強。

*間違ってる部分があったらごめんなさい〜。参考にしたサイトは一番最後にまとめています。

日本の郷土芸能で「シシ」と聞くと、みなさまパッと思いつくのは獅子舞ではないでしょうか?文字通り獅子(ライオン)のことで、こちらは大陸から都(京都や奈良)に伝わってきたものだそうです。

高良山獅子舞(久留米市  高良大社)
2023年1月1日撮影

一方、東北のシシオドリの「シシ」は獅子と発音は同じでもまったく別のもの。狩猟や食糧の対象となる山の獣の肉のことを日本の古語で「シシ」と言い、猪や鹿などの山に住む獣を踊りにしたのが日本発祥の「シシオドリ」とされています。

鹿をモチーフにした鹿踊(シシオドリ)は、岩手県や宮城県で多く踊られていて、岩手だけでもおよそ150もの団体があるといわれています。旧南部領では幕を持って踊る「幕踊系」(今回の旅でも遠野で鹿頭を見せてもらったね!)、旧伊達領では腰に太鼓をつけて歌い踊る「太鼓踊系」が多いそうです。「太鼓踊系」にも春日流・金津流・流行山と3つの流派があるらしい。なんてバリエーション豊かなのでしょう!

そして東北から遠く離れた四国の地にも鹿踊り(しかおどり)が存在しており、1600年代前半に仙台の伊達政宗の長男、秀宗が宇和島藩に移った際に鹿踊が伝わったとされています。伊達領から輸入されたから四国の鹿踊りは「太鼓踊系」なんだね。

四国の鹿踊りも太鼓を打ち鳴らし歌い踊ります
(愛媛県宇和島市吉田町の「鹿の子」2019年11月3日撮影)

2019年に宇和島で初めて見た鹿踊りがきっかけで、そのルーツである東北の鹿踊を求めてついにここまでやってきました。北上駅でYさまと合流して車で出発!これから見学しに行くのは「太鼓踊系」の鹿踊。いよいよ東北の鹿さまと初対面いたします・・・!!(ドキドキドキ)

宝寿寺

青々とした美しい田園が広がる道路を走り抜け、たどり着いたのは岩手県奥州市胆沢南都田地区にある宝寿寺。

お盆のお墓参りにたくさんの人たちが訪れていました

あたりには美しい田園が広がっています

東北の鹿踊はもともとは鎮魂・供養としての意味合いが強く、それに豊作祈念や感謝の意味が加わり、お盆の頃から始まって9月くらいまで神社の秋祭りなどでも踊られているそうです。

今日は8月13日。鹿踊の本質ともいえる盆供養踊りを見学させてもらいます。部外者がうろちょろして写真を撮っても大丈夫なのかしら・・・。と、ちょっと心配だったのですが、確認したらOKとのことでホッ。個人のお墓がガッツリ写ったりしないようにもちろん気をつけます!

行山流 都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)

お寺さんに到着するとすでに変身前の都鳥鹿踊さんたちがすでにスタンばっておりました。寛政5(1793)年に鹿踊が伝わったとされ、現在まで一度も途切れることなく踊られているそうです。

鹿踊の装束がズラリ

つい開口一番に

「たのしみにしてます!!!」

と、場違いな一言を発してしまい(盆供養なんだから・・・楽しみってあなた)、しょっぱなからやらかしてしまうわたくし・・・反省。

リハーサル風景から見学させてもらいます

3つの宗教が交わるお寺

踊りが始まるのを待っていると、鹿踊メンバーのお一人が話しかけてくれました。ここは曹洞宗のお寺だけど「キリシタン」や「隠れ念仏」にも縁があるお寺であることを教えてくれます。

き、キリシタンーーーーーー!!!?

はい、わたしは3度の飯よりキリシタンが大好物。今年の初めに長崎に行ったことをきっかけに上半期はキリシタンにどっぷり浸かり、弾圧された江戸時代の潜伏キリシタンたちに思いを馳せ、涙する日々を送っておりました・・・(安心してください、今は落ち着きました)。

竹田キリシタンを巡る旅に出たことも記憶に新しいですね・・・。

わたしからは何も聞いていないのに、突然そのような話が飛び出したので吃驚&興奮・・・!!福岡から来たということを知り、九州は長崎や熊本など潜伏キリシタンゆかりの地が世界遺産にもなってて有名だからそういう話に繋がったのかな?

隣町がキリシタンの街だったそうです(水沢のことかしら?旅の前に調べたらキリシタン関係の場所や、他にも色々気になる場所があってちょっと観光したかったのだ)。お寺さんから見える山の上を指差して、キリシタンが儀式をしていたという場所を教えてくれました。

山の上の建物があるところって言ってた気がするけど・・・

何てとこなのか聞けばよかったー

墓石?か、何かに逆卍が刻まれていたりもするらしい(相変わらずいい加減な記憶力)。鹿踊が始まるまでまだ時間があるみたいなので、いてもたってもおられずお盆のお客さんたちの邪魔にならないようにちょっとだけ墓地をぐるっと周ってみることにします。しかし残念ながら自力でキリシタンの痕跡のようなものを見つけることはできず・・・。

少しずつ陽が傾いてきました

は!わたしの今回の目的は鹿踊だよ・・・!!

我にかえってお墓から戻ってみると、ちょうどお着替えタイムが始まろうとしていました。雨が降ったら中止になると聞いていて、ちょっと怪しい雲行きにヒヤヒヤしていたのですがなんとか大丈夫そう!?

準備風景

着替えているところを見学させてもらっていると、その装束についても色々と気になってきます。

ササラ

背中から空高くそびえ立っている白い紙が巻かれた竹製の棒は「ササラ」と言って、神様を下ろす役割があるそうです。一人で「よいしょー!」っと背負えるようになっててすごーい!!都鳥鹿踊さんのように、垂直ではなく斜め(V字型)になっているのは珍しいそうです。

よいしょー!!!

鹿角

鹿踊の衣装の中で、一番最初に目についたのが鹿の角でした。

鹿頭の角の断面が真っ赤に塗られていて、それをみた瞬間・・・

「赤!血液!!生命!!!」

と、胸がきゅきゅきゅーーーんと高鳴ってしまいました。

血管や赤い珊瑚を連想

なんで赤く塗られてるのか尋ねてみると、言われて初めて気付いた(意識した)とのこと(つまり特に意味はないらしい)。単なる装飾的なものっぽいけど、わたしにとっては最高の萌ポイントだよ・・・!!ちなみに本物の鹿の角を使用する団体もあるのですが、鹿踊が盛んな奥州市の江刺や胆沢地方などでは、鋳物で作られることが多いそうです。

そしてこの鹿頭をひっくり返すと現れたのはヘルメット・・・!!!どうなって固定してるんだろうと思ってたので、あまりにも現代的でビックリしてしまいました。通常、「エンツコ」(全然馴染みのない言葉の響きだ)という藁等で編んだものでシシ頭を固定するらしい。都鳥鹿踊さんではエンツコが重すぎるのでヘルメットを使ってるのだとか。エンツコも生で見てみたいな〜。

まさかのヘルメット

現在の鹿頭は昭和50年くらいに作られた2代目の鹿頭で、修理しながら使っているそうです。お顔を隠してしまうほどの長い髪の毛は馬の毛。鹿なのにお顔が真っ黒なのは、山伏が伝えた神楽の最高神「権現様(ごんげんさま)」(獅子舞)の影響があるからだとか。頭に載せる前に、手を合わせて拝んでいるのがとても印象的でした。

それだけ神聖なものなんだね。この瞬間を見れてうれしい

どんどん準備が進んでいきます。

流し

背中には「流し」といわれる布が垂れ下がっていて、各団体によって絵であったり文字であったりと描かれるものは様々。

鹿さまたちがお互いの着替えを手伝ってる姿も可愛かった

腰についてる布も「流し」って言うのかな?

雌鹿のものはエロい絵柄と言われて(今回の盆供養踊りではなかった)テンション上がったのですが、もしかしてこれ?これのこと??

めちゃくちゃイイ・・・!!!しかも左下の黒いものは熊だそうです笑。このゆるゆるな感じたまりません・・・。雌鹿の登場する演目は余興的なものになるらしく、どうやら秋祭り等で踊られるようです。いつか見てみたいなー。

隙間から見える鹿さまの眼光が鋭くてドキドキ

ついに変身完了!!!

着替えが終わると、駐車場の隅に集まって太鼓を叩き始めました。

これはどういう意味があるのかな?ならしみたいなもの??

男性だけではなく、小柄な女性の踊り手さんもいます。昔は女人禁制の時代もあったようですが、現在では女性の踊り手も多いようです。なんと装束は全部で約15kgほどもあるとのこと。男性でも女性でもその重さは変わらないというから大変!

紅一点。かっこいいー!!

駐車場での太鼓が終わると、ついに盆供養踊りのはじまりです・・・!!!

盆供養踊り

旗を持ち先導する方に続き、黒装束の鹿さまたちが一列になって行進する姿からしてとてつもなくカッコいい!!!

頭がクイっと上を向いているのがイカす

実際に見るまでは、東北の鹿踊は黒の印象が強かったけど、麻布に大きく染め抜かれた九曜紋と呼ばれる伊達藩の家紋や、袴の裾の鮮やかな朱が際立っていてとっても華やか!!赤、緑、黄、青、紫に染められた小さな家紋も可愛らしくて特にお気に入りでした。コテの刺繍も好き。

目は鋭くキリッ!なかなかのイケメンです

山門をくぐって中へと入っていきます。

ぞろぞろ後に続きます

今回は盆供養踊りということで、どちらかというとしめやかで大人しい踊りだったようなのですが、ところどころ激しく踊る場面もあって興奮!(四国の穏やかな鹿踊りを先に見ている自分にとっては十分激しく見えたのだ)。歌も腹の底から出すような節回しのある力強いものでした。

お盆ということもあってかたくさんの人。浴衣姿の人たちも!

カッコいい後ろ姿

たまに激しく動いて、背中のささらが勢いよくしなります。

こりゃ腰が強くないと踊るの無理だー!

お墓と田園を背景に黒装束の鹿さまたちが踊り狂う姿はとても不思議な感じがしました。

座ったかと思えば・・・

再び踊り出す!

歌や踊りが違うので、いくつかの演目が組み合わさっていることはなんとなくわかるのですが、もちろんわたしにはその中身まではわからず・・・。ひとつひとつ理解できたらより楽しいんだろうなぁ。

お祝い

そうそう、今回「お花(ご祝議)」というものを初めて渡しましたよ・・・!舞台とかで投げ銭みたいのがあるのはうっすら知ってたけれど、郷土芸能の世界でも行われているとは知らなかったのです。

じぶんち 第13号「特集 お祝い」:こちらで勉強させていいただきました。

拝見させてもらってる以上なにかしらお礼したいし、ずっと続けていってほしい。ドキドキしちゃうけど、渡せる機会があれば勇気を出して渡していきたいと思います。

ところで後日、撮った写真を見返してて初めて気づいたんだけど・・・

こ、ここここれは・・・!!!

わたしがお花を包んだとっておきのポチ袋が写ってるよー!!!

中冨記念くすり博物館(鳥栖市)のミュージアムグッズのポチ袋。大好きすぎてこれだけ大切に残していたの!こんなのに入れていいのかなぁと若干迷った笑

つまりこの時「お花ありがとう〜!!!」ってしてくれてたんだね・・・!??まったく気付いてなかったよーーーーー涙涙涙

同時にひとつのことしかできない人間なので、写真撮ってたらなんも入ってこないんだ。やはり自分の分身が3人くらいほしい・・・。

墓前にて

本堂前での踊りが終わったかと思うと、太鼓を打ち鳴らしながらお墓の方へと向かっていきます。

優しい飴色の夕陽が辺りを照らし、なんだか懐かしいような切ないような・・・。

墓前での盆供養踊り。やっぱり朱い角が映える!

踊り終えて再びお寺へと戻っていく鹿さまたちのうしろに、ピッタリとくっついて歩く一人の少年の姿が・・・。

未来の鹿踊ボーイかな?

これにて本日の盆供養踊りは終了!

最後の記念撮影にもちゃっかり便乗させていただきました。決めポーズめちゃかっこいい!!!

山門前にて

美しい田園前でも

都鳥鹿踊のみなさんほんとにいい人たちで、質問にも色々答えてくれるし感激してしまいました。とっても居心地がよかったー!初めての鹿踊体験が都鳥鹿踊さんでよかったです。見学させていただきありがとうございました!!

鹿さまから人に戻ったみなさま(お片付け中)

Tシャツの後ろの文章も気になりました

お疲れ様でございました!

ちなみに都鳥鹿踊さん、人手不足で地区内外問わず会員を募集しているようです。興味のある方は是非!鹿踊してるって言ったらきっとめっちゃモテるよ〜!!(わたしにな)

▼都鳥鹿踊さんのX(旧Twitter)とブログ

すたさん@行山流都鳥鹿踊 (@gyozan_todori) / X

行山流都鳥鹿踊保存会

昭和の残照〜水沢駅周辺を散策

はじめての鹿踊をしっかりタンノーしたあとは、再び盛岡へと戻りましょう。一番近い水沢駅で降ろしてもらいます。すると!なんと!次の電車が来るのが1時間後というではありませんか・・・!!

それなら駅周辺を散策するまでさ・・・!!!

え?え?え??

めっっっっっっっちゃ素敵じゃん・・・!!!!!

ニューオリオン・・・!たまりません

そしてとんでもなく大大大好物の建物を見つけてしまう・・・!!!

鼻血物件

他にもこんなのや・・・

キ、キティ・・・!!!

こんなのまで・・・・・

ゴースト飲み屋街

えぇ、水沢駅周辺。猥雑でどこか寂しくて・・・とてもわたし好みでした・・・・・。少し歩いただけでこんなに素敵な風景に出会ってしまうのだから、まだまだ素敵な建物が眠っていると思われます(現に車で通り過ぎる時に素敵な建物を見たんだー!でも道がわからなくて駅から近いのに辿り着けなかった・・・)。

これは再訪しなければなりませぬ。水沢はキリシタン縁の街だし、水沢競馬場にはホルモンが美味しいお店もあって桜並木も綺麗らしい(実はここで初の競馬体験したかったのだけど、滞在中にレースしてなかったので水沢観光を旅の候補から外したのでした)。再訪する時は桜の時期かな?その時を楽しみにしたいと思います!

水沢駅の窓が可愛かった。ポスト上のアンテナ?も

盛岡ふたたび

盛岡駅に到着したのは20時頃。外に出ると地面が濡れていました。どうやらまた雨が降ってたらしい。もしかしてわたしが着くと同時に止んだっぽい?都鳥鹿踊さんの時も降りそうで降らなかったし、もしかしてわたし晴れ女・・・??なーんて昨日ドシャドシャドシャ降りの遠野&盛岡だったことをすっかり忘れてそんな風に思ったり。

盛岡冷麺

今回の旅では遠野で食べたジンギスカン以来、ほとんどご当地グルメを食べれていません。せっかく盛岡にいるんだから「盛岡冷麺」食べたい!と思って駅近くのお店に向かってみるも・・・。

無・・・理・・・・・

すぐに心折れて、コンビニで盛岡冷麺買ってホテルで食べるという。明日こそは岩手らしいごはん食べたいなぁ・・・。

福岡でも売ってるしなんなら食べたことあるし

さぁて、明日は5時起きだよ(白目)。本日に引き続きY氏の案内で、盛岡から車で約2時間ほど(遠い!)の場所で行われる幕踊系の菅窪鹿踊を見に行きます。東北のデフォルメされた鹿頭ではなく、どちらかというと四国の鹿頭と同じくリアル鹿に近いとのことだったので、気になって訪問をリクエストしていたのでした。

明日も早いしそろそろ眠ろうとしていたところにY氏より連絡が・・・(嫌な予感)。ななななんと!明日の早朝行われる予定だった菅窪鹿踊が雨で中止に・・・!!!さっきまで晴れ女と確信したばかりだったのに・・・やはりわたしは雨女なのか。

悲しみに暮れていると別の鹿踊を案内してくださるとのこと。さすが東北マスター!ありがたい・・・。中止は残念だけど、行き先が変更になったことで1時間多く眠れることになったのでよかったことにす・・・る・・・・・(ぱたり)。

■参考にしたサイト

「鹿踊のある風景から」(第4回「先覚に聴く」レポート) | 伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィス - TARO…東日本大震災時の様子がとても印象に残りました。死者供養としての鹿踊についてリアルに知ることができます。とてもよい記事だったから読んでほしい。

東北STANDARD | 鹿踊 - 02.鹿踊の意味と発祥 - 

東京鹿踊/ TOKYO SHISHI-ODORI — シカノツノ力

郷土芸能じぶんち東北の郷土芸能を紹介する情報誌。第9号と第10号で、鹿踊についてわかりやすく特集されています(都鳥鹿踊さんも対談で登場)。第13号は「お花(ご祝儀)」について。他にもいろんな特集が組まれているので、東北の芸能について楽しく分かりやすく知りたい方にオススメです。

行山流都鳥鹿踊

SaSaLa(ササラ) Vol.11

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑨台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

【後編】真夏の田園ラプソディ!市来の七夕踊

2022年8月7日。いちき串木野市の大里地区で、市来の七夕踊の最後の奉納が行われました。本来なら2020年に行われるはずでしたが、コロナ・パンデミックにより延期を重ね、前回の奉納から3年後の2022年にやっと開催されることに。そのラスト奉納を、しかとこの目に焼き付けてきました。

CONTENTS

8月6日(土)

七夕踊は朝の8時から始まります。つまり当日ちんたら福岡を出発してたら間に合わない・・・。というわけで、七夕踊最後の奉納を見届ける旅は、その前日からスタートしました。博多駅から新幹線に乗り、川内駅で在来線に乗り換え、串木野駅に降り立ちます。いちき串木野市に来たからには必ず行かねばならない場所があるのです・・・。

その場所に向かって歩いていると、鹿児島や宮崎の田園地帯でよく見られるという田の神さぁがお出迎え。

第一村人発見

田の神さぁに挨拶をすませ、さらにてくてく歩いていくとついにそれが現れます。

パラゴン(喫茶店)

そう・・・、みんな大好きパラゴンです!!!

蔦に彩られた憩いの場

知らないよ!という方のために簡単に説明しますと、蒼井優もかき氷を食べに来たことがあるあのパラゴンです・・・!!(雑すぎる説明。かき氷本に載ってるらしい)

いつか食べたかき氷

地元に人にも愛されていて、夏はかき氷で大繁盛・・・!いつも多くの人で賑わっています。

店内にある「パラゴン」(スピーカー)

わたしも何度も何度も訪れたことがある大好きな喫茶店。2019年の七夕踊の際にも、もちろんここでお昼ご飯のピザを食べました。

サクッ!ペロッ!と食べれちゃうミニピザ

以前は車移動だったので、七夕踊当日にそんなこともできたのですが、今回は公共交通機関&徒歩移動。少し離れたところにあるので明日行くのはちょっと厳しい・・・。というわけで、今日訪問することにあいなりました。いちき串木野に来てパラゴンに行かないなんてそんな無礼は許されないのだ・・・!!

かき氷と迷いつつ、今回はパフェを注文。上に乗っている昔ながらの緑色のアンゼリカ(フキの砂糖漬け)にもなんだかホッとします。

嗚呼、写真見てたらまた行きたくなってきた・・・

自宅を出たのが遅い時間だったため、すでに時間は夕方。束の間のパラゴンを満喫した後は、徒歩で1時間ほどのお宿にのんびり散策しながら向かうことにします。

可愛い遊具の公園

貝殻が均一に並べられた見事なブロック塀

目と口の部分に穴を開けてお面にしたい大きな葉っぱ

植田正治的影と熊

真夏の強い日差しが濃い影を作り出します。

どうやら明日も暑くなりそうだ

民宿パレス

ふらふらと写真を撮りながら到着した本日のお宿。

レトロな丸窓

眉毛のキリリッとしたなんだか愉快なおじさまが出迎えてくれました。話が面白くてとっても印象に残っています。

80歳近くだけどすごい元気!外国の船長?してて、少し前までイタリアかスペインに行ってたとか、4ヶ国語くらいペラペラとか(ほ、ほんとに???)、ちょいちょい自慢挟んできて面白かったです(好き)。

わたしの部屋は「青木」でした

寝泊まりするだけならじゅーぶんなお宿。素泊まりだったのでご飯を調達。すぐ近くの肉々しい炭火焼き工房半バーク・ステーキ黒平さんでテイクアウトします。

勝負の日の前日には必ず肉を喰らうという大事な儀式

う、うううううまーーーい!!!

いやぁー、やっぱりThe 肉!!というような美味しいお肉を食べるとテンションあがりますね。明日のために体力もつけねばなりません。胃袋を幸せで満たし、今日は早々に就寝です。

8月7日(日)

市来駅

翌朝、電車に乗って一駅の市来駅へ。七夕踊最後の奉納にふさわしいスッキリとした青空が広がっています。

あ!虎発見!!!

七夕踊のモチーフがあちこに。電車で訪れるのは初めてだったから知らなかったよー!

駅舎のステンドグラス

駅舎前には立派な虎と虎捕りのモニュメントもありました。黒っぽい金属で出来ててめちゃくちゃかっこいい!!調べてみたらその筋で有名な会社が製作していて納得・・・。

モニュメント

虎も髪を逆立ててなんだかとてもパンキッシュ!!!

こんな最高にイケてるモニュメントもあるのに、今日その長い歴史に終止符が打たれるのかと思うと悲しくなってきます・・・。

七夕踊が最初に奉納される堀内之庭までは駅から歩いて約20分ほどの距離。もうあまり時間がないので急いで向かうことにします。

余談ですが、今回のブログで突然現れるモノクロ写真は生まれて初めて自家現像したフィルム写真です。そんな意味でも特別な最後の七夕踊になりました。

田の神さぁ!

堀之内庭

堀之内庭が見えてきました。すでにたくさんの人が集まっているようです。

まずは保存会の方から、七夕踊休止について話がありました。今回は感染症対策として、規模を縮小しての開催。虎や牛等の張り子のツクイモンは展示のみで、一部の行列も今回は出さないとのことでした。残念・・・。

前回はなかった集合写真の撮影も行われます。最後の奉納の思い出のための写真。悲しい・・・悲しすぎるよ・・・・・。

そして花笠を頭に乗せ、太鼓踊りの準備が始まります。

いい顔してる男の子

最後の奉納をカメラに収めようといろんなところで人がスタンバってます

いよいよ最後の七夕踊奉納がスタートです!!!

七夕踊についての由来や流れ等については、前回のブログに書いているのでここでは省略。知りたい方は前編を読んでね。

がんばれ男の子!

最初の太鼓踊りが奉納されると、お酒が振る舞われました。一番ドンが先に飲み、次にヤッサ(役者)、庭割(にわわい)・・・と、どうやら飲む順番があるらしい。昔は「到住免」という田んぼからとれた米で白酒を造っていたけれど、昭和15年酒税法に触れるとのことで、それ以後酒造りは禁止になったそうです。

中身は田崎酒造の「七夕」だろうか

ちなみに庭割というのは、踊に詳しい人が選ばれて七夕踊の全てを取り仕切る役目。踊りが行われている最中も、踊り手たちに色々と指示をしていました。頭に陣笠を被って、腰に毛皮を巻いているのも印象的!

かわいい・・・狸?

七夕踊大移動

掘之内庭での奉納が終わり、各々は次の踊り場へと大移動。

キラキラと光輝く田んぼの海の上をトラックで運ばれる虎

おそらく堀之内庭の端っこに置かれていたツクイモンたちは、トラックに乗せられ三番目の踊り場である門前河原へと向かうのでしょう。

あれ?今年の牛、なんだかいつもよりお顔が可愛い気がする・・・!!!(超好み)

このあとお牛もドナドナ運ばれていきました

ちなみに子のが2019年の時の牛。

牛は各部落が年によって交代で作るみたいだから、地区によって作り方が違ったりもするのだろうか?

ツクイモン以外の人たちは、みんなてくてく歩いて近くの神社へと向かいます。

あ!よくみたら左に田の神さぁが見切れてるよ・・・!!

通りには道標のような七夕飾り

一日中強い陽射しの中で踊り続ける人たちのために、とある民家の前には自由に飲めるように水とグラスが用意されていました。

なんて優しい世界。昔ではこれが普通だったのだろうけど、今ではとても珍しいもののように思えてしまいます。

鶴ヶ岡八幡宮(金鐘寺)

2番目の踊り場へと到着。

手水に映る夏

夏休み中の子供たち

境内をうろうろしてたら、なぜか地元のおっちゃんに呼ばれて、好きな飲み物とっていいといわれます。え?他の人たちはもらってなさそうなんだけど・・・いいの???

トラックの上のバケツでキンキンに冷やされているペットボトルたちの中から麦茶をチョイス。たま〜に旅先でおっちゃんに可愛がられる才能があるわたくし・・・。実はまた後で再びその才能が爆裂するのである。

ありがたくいただきます!

そして、奉納が始まります。

花笠がとても重そう

庭割のおいちゃんたち。かっこいい!

中心で踊るのは七夕踊の主役「太鼓踊り」

大名行列

美しい影

花笠や行列の飾りの影と木漏れ日が地面でゆれる姿がとても美しい。わたしはここでの奉納が本当に大好きです。

奉納を終え、再び次の踊り場へと大移動!休む暇もりません。

トンガリ帽の琉球行列

わたしを残してみんな車でひとっとび???あっという間にいなくなってしまいます。

ま、待ってよぉーーーーー!!!

人々を見送る田の神さぁの背中

門前河原

次の踊り場の門前河原ってどこだっけ!?

2度来たことあるのにちっとも場所を覚えられません。こっちかな?ちょっと焦りながら歩いていると、関係者っぽいおっちゃんを発見!早速捕まえて場所を聞くと、自分も行くところだからと案内してくれることになりました。ありがたや〜。

門前河原

門前河原ではいつもなら今頃暴れまくっているツクイモン(作り物)たちが、大人しく横一列に並んでじっとしていました。そう、今回は残念ながら展示だけなのだ・・・。

ミニ虎もかわいい〜

牛の前でにこやかな牛使
18歳の頃からずっと虎捕りしてるおいちゃん。めっちゃいい顔してる・・・

ここでもしっかり集合写真。

展示だけって思ってたら・・・

え!!虎の寸劇始まったよ・・・!!!!?

トラ!トラ!!トラ!!!

まさか見れるとは思ってなかったのでめちゃくちゃ嬉しかったーーー!!!!!!

虎に夢中になって他の写真あんま撮ってない・・・

午前中の奉納はここで終わり。ツクイモンが次々と運ばれていきます。

なんだか悲しい後ろ姿の鹿

お牛を積むのも一苦労

束の間の休憩

次の奉納まで4時間ほど。なかなかの空き時間です。ちょうどお昼ご飯の時間。きっとみんなも束の間の休息をとっていることでしょう。

近くのラーメン屋さんに向かって歩いていると、さっきまで門前河原にいたと思われる鹿ちゃんを発見〜。うれしい!

鹿も休憩中

「ラーメン 潮騒」で腹ごしらえ。歩いて行けるお店がここくらいしかなかったのだー。でも美味しかった!はず(一年前だから覚えてないんだ・・・ごめんよ)

ラーメンと半チャーハン。ほんとは餃子も食べたい欲張り人間です

その後はもちろんコンビニでクエン酸!

そう、わたしはクエン酸信者

実はこの日は殺人的な日差しで、先ほどの門前河原では人が倒れて救急車で運ばれるほどの猛暑でした・・・。わたしもぶっ倒れないために、クエン酸で体力回復を狙います。

奉納まであと3時間ほど。まだまだたっぷり時間があります。近くの田の神さぁ巡りもしたいけど歩き回るには暑すぎる。さぁて今から何をしよう・・・?

ひとまず先ほど奉納が行われた神社で涼むことにします。

夏の神社、なんて絵になるんだ・・・

近くにはポンポンポンとリズミカルに百合が咲いていました

蝉の鳴き声を全身に浴びながら、境内へと続く階段を登っていきます。

青空へと向かう階段

さっきまで多くの人でひしめき合っていた境内にはポツンと提灯だけが残っています。

ひっそりとした今の方がきっといつもの姿

提灯下の水の入った桶には、大きな葉っぱが被さっていました。

とても気になる

なんの葉っぱ?なんで葉っぱを乗せてるんだろう???そんな疑問が次々に浮かびます。すると片づけにきたと思われる地元の人が現れました。聞いてみると、里芋の葉とのこと。そういえば昨日同じ形をした葉っぱを見たことを思い出します。そうか、あれは里芋の葉っぱだったのか。

昨日見た里芋の葉っぱ

汚れが入らないように乗せていると言っていたと思うんだけど・・・一年前のことで自信がない。というか会話した気がするだけかも・・・もしかしたら人が来たこと自体暑さが見せた幻だったかもしれない・・・・・。

金鐘寺

地図や幟旗には「鶴岡八幡宮」と書いているのに、七夕踊の日程表には「金鐘寺」と書かれているのは一体なんでだろう?と疑問に思っていたら、神社の拝殿横に仏像が安置された小さな祠がありました。

解説板

金鐘寺自体は、明治2年の廃仏棄釈によって廃寺になったそうです(寺跡が近くにあるらしい)。鹿児島は廃仏毀釈が激しかったと聞くもんね・・・。つまり、太鼓踊はこの金鐘寺の和尚に向かって奉納されるもののようでした。なるほど〜。

一通り境内をぐるりと見たあとは椅子に座ってのんびり。時間はたっぷりあるのです。

嗚呼、なんてここは居心地がいいんだろう・・・。ここで奉納される七夕踊だけでなく、この神社自体がどうやら自分に合っていたようです。気付けばあっ・・・・という間に数時間が過ぎていました。何してたのかまったく覚えてないけれど、とても気持ちよかったことだけは覚えています。

少し早めに4番目の踊り場である「払い山」へと向かうことにします。すると今度はとある店先で可愛いミニ虎を発見!

かわいいよぉーーー

七夕から1週間後のお盆に、かつて大里一帯から周辺部落では、子どもたちが小さな牛や虎の張り子を作って引き回す習俗があったそうです。それを「盆トラ」や「盆のウシ」と呼んでいたとか。(昭和54年9月14日の新聞記事より)昭和54年の記事の時点で、「今では数部落でしか行われていない」と書かれていたので、果たして今も行われているのかどうか・・・。気になります(盆トラほしい。むしろ作ってみたい。盆トラ作りワークショップやりませんか??)。

払い山

払い山に到着。

払い山にずらりと並ぶのぼり旗も好き

払い山へと続く美しい田園に囲まれたここから再び行列が始まります。

直視できないほど眩しい緑

こんなとこまで感染対策のアルコール。いる???笑

この道から一番最初に現れるのは、本来なら鹿から始まるツクイモンたちなのですが、今回はひと足先に踊り場の払い山でくつろいでいました。

トラックで運ばれ登場する虎

払い山に到着。右にいるミニ虎はさっきの子なのかな?

鶴の餌撒きも見れました。

鶴も今回で見納め・・・

不思議な格好の琉球王行列も好きだったなぁ。

面白い踊り

プオーーーーー

とぼけた笛が特に好きでした

薙刀行列が太鼓踊りを先導します。

薙刀行列

女性ものの浴衣を着て、「粟踏み」と言ってトコトコ小刻みに進むのがとても印象的。太鼓踊りの前だけでなく後にもついて、後払いの役をします。

美しい動作で薙刀を振ります
住吉社中

写真で薙刀を振っているのは、いちき串木野市を中心に活躍する町芸者「住吉社中」の小糸さん。わたしは数年前にたまたま鹿児島市の天文館でその芸を見る機会があったのですが、それがとっても可笑しくて楽しすぎて・・・!!!

2019年の9月のことでした

2019年の9月に天文館で初めて住吉社中さんを知った時には、まさか七夕踊に出ている方とはまったく知りませんでした。でも、見返してみるとなんと約1ヶ月前に訪れた七夕踊の写真にしっかりと写っていたという・・・笑。そんな偶然もあるんだねぇ・・・。

小糸さんのインスタでは、その愉快なお人柄と共に、住吉社中の活動や、知らなかった日本文化や習俗などを垣間見ることができてとても興味深いです。

https://www.instagram.com/koito_sumiyoshi/

 

さて、話は薙刀行列に戻ります。

七夕の日には、薙刀行列が神社の前で薙刀のさやを払うと、必ず雨が降ったという伝えがあるそうです。戦後は薙刀を没収されて偽物を使っているので、いくらさやを払って天をにらんでも雨は降らないとか・・・。(「かごしま探検」昭和54年9月26日の新聞記事より)今年も降ることはありませんでした。

薙刀行列の後には、太鼓踊りが鮮やかな花笠を揺らしながら続きます。

なんてカラフルな世界

ここで写真をパシャパシャ撮っていると、門前河原に案内してくれたおっちゃんが再び現れました。なんと!七夕踊に関する資料をたんまり印刷して持ってきてくれたのです・・・!!(おっちゃんになぜかよくしてもらえる才能を発揮)

特に昔の新聞記事の切り抜きの内容が面白くて(歴史を感じて泣けてきた…)、それらの資料に助けられながら今回のブログをしたためております。ありがとうおっちゃん!!!!!

荒々しくホッチキスで止められてて可笑しかった

夜の堀内之庭での最後の奉納まで見届けたかったけれど、残念ながら翌日は仕事。帰りの電車の時間が迫っています。払い山で太鼓踊りが奉納されている途中で、泣く泣くこの場を去ることに・・・。

輪の中心で踊る太鼓踊りを見守る少年たち。これが最後に撮った七夕踊の写真になりました。

こうしてわたしの最後の七夕踊を見届ける旅は終わりを迎えたのでした。

帰りに撮った写真たち

映像で生き続ける七夕踊

なんと!わたしが払い山を去った後に、予定のなかった虎の寸劇が行われたそうです!!みたかったよーーー!!!

ありがたいことに、MBC鹿児島放送で特集された映像がアップされていました。18歳からずっと虎捕りをやり続けてきたおっちゃんのインタビューまで!ほんと泣いちゃうよ・・・!!!もうわたしの中で永久保存版の映像です。

奉納当日の映像だけでなく、準備映像の特集もありました。実際に見てみたかったツクイモンの作り方も・・・!!!なんとミニチュアの虎も出てました。「盆トラ」はこのくらいの大きさだったのかなぁ・・・。1960年の白黒の七夕踊の映像も流れてめちゃくちゃ貴重。昔は橋も河原も観客でびっしり!!こんな時代があったんだね・・・。

動画作っちゃいました!

プロが編集した映像の後になんですが・・・愛が溢れすぎて気付いたら動画作ってました!!(処女作にして最後の作品!??)

ほぼ初めての動画編集。ピンはあってないし手ブレも酷いのですが、3年間撮りためた映像や写真を元に、七夕踊の由来や流れについて簡単に紹介しています(約6分)。めちゃくちゃ頑張って作ったので!(アピール)よかったら優しい眼差しで見てもらえると嬉しいです。

※映像内に誤字あり(×堀内之庭→◯堀之内庭)

これからも受け継がれていく太鼓踊り

2022年で一旦休止となった七夕踊。なんと、一番の要である太鼓踊りは、今年も引き続き奉納されます!七夕踊保存会にかわり、新たに七夕踊伝承会が発足。2023年8月6日(日)10:00〜11:00に堀内之庭で奉納が予定されているようです。

太鼓踊りもほんと素晴らしいんだよー!!!

わたしもまた必ず見に行きたいと思っています。みなさまも是非。

まずは七夕踊休止後の一発目が無事奉納できるよう願っております。今世間を翻弄しているのろのろ台風よ、邪魔するんじゃないよ・・・???  七夕踊休止後初めての太鼓踊りは無事奉納されたようです!よかったーーー!!!(2023年8月7日追記)

最後に

七夕踊に出会えていなかったら、今のような旅する人生を送っていなかったかもしれません。本当に楽しくて大好きなお祭りでした。これまで400年以上守り続けてくれたことに感謝します。ありがとう&お疲れ様でした!!!

そしてまたいつか、完全な七夕踊が復活することを願っています(4年に1度とかでもいいから・・・ずっと待つから・・・・・)。

払い山での集合写真

集合写真を撮った後の、素が出るこの瞬間が密かに好きだったりする

終。

■参考文献・サイト

・『市来町郷土史』(市来町郷土史編集委員会 編)

・『速報七夕踊』(七夕踊保存会 発行)

・七夕踊で偶然出会ったおじさまにもらった資料(新聞記事の切り抜き等)

【使用カメラ】digital: SIGMA dp3 quattro、iPhone、film:CONTAX Aria、CONTAX T2

【前編】真夏の田園ラプソディ!市来の七夕踊

鹿児島県いちき串木野市の大里地区で400年以上も続く「市来の七夕踊」。巨大な張り子の動物たちが暴れ回り、美しい装飾の花笠を揺らしながら踊る太鼓踊り、琉球王行列や大名行列等、総勢数百人規模でおこなわれる賑やかな真夏のお祭りです。

張り子の虎

CONTENTS

はじめに

わたしと七夕踊の最初の出会いは、お祭りを写した白黒写真からでした。巨大な張り子の虎が暴れ回る様子が写されていて「なんだこのお祭りは・・・!!」と、衝撃を受けたのが始まり。実際にその虎に会ってみたい・・・そんな思いが募り、初めて訪れたのが今から10年前(!)の2013年夏でした。

場所もよく分からず、車を止める場所にも手間取りながら、ようやく近くと思われる場所に到着すると、田園の隅にはカメラを構えポジションを確保しているおじおばさまがいました。

未来のわたし

もしかして何かがこっちにやってくる・・・???

・・・!!!

!!!!!

目の前に現れたのは巨大な鹿・・・!!

夏の日差しを浴びて青々と輝く田園に囲まれた一本道を張り子の鹿が練り歩くそのシュールで牧歌的な光景に一瞬で心を奪われます。この後にもさまざまな素晴らしい光景がわたしの前に現れ、夏の猛烈な暑さと共に鮮烈にわたしの心に刻まれたのでした。

この体験がとんでもなく楽しすぎて「毎年ぜったい行くぞ!!」そう強く思ったはずなのに・・・1年、2年とあっという間に時は過ぎ、次に訪れたのはなんと6年後の2019年でした。

そしてこの年に重大な事実を知ることになります。

「来年の2020年で市来の七夕踊りは休止」

高齢化や過疎化により今までの規模で行うことが難しくなったことが理由。もちろんわたしは大ショック!!!大大大好きな七夕踊が見れなくなる日がくるなんて・・・。これまで何度もチャンスがあったのに行かなかったことを激しく後悔しました。「休止」という言葉にわずかながら希望を持たずにはおられません・・・。

「ラスト奉納の来年は必ず行くぞ!!!」(今度は本気だ!)そう心に誓ったのに、ご存知の通りコロナ・パンデミック襲来・・・。もちろん七夕踊の最後の奉納も延期を余儀なくされ(このままフェードアウトしないかヒヤヒヤしてた)、実際に開催されたのは疫病との共存を模索し始めた2022年のことでした。

前編では2013年と2019年に訪れたコロナ禍前の完全版「市来の七夕踊」の写真をもとに、お祭りの由来や構成等を紹介。後編は去年奉納された最後の七夕踊を旅行記として綴りたいと思います。

今年からは完全な形で見ることができないお祭りではありますが、ブログを読んでまるで七夕踊を実際に体験したかのように感じてもらえると嬉しいです。

市来の七夕踊の由来

市来の七夕踊の歴史は、豊富秀吉の時代まで遡ります。秀吉の朝鮮出兵の際に大活躍した島津兵たち。当時島津藩の直轄地であった市来ではその活躍をことのほか喜び、当時の人々は思い思いに趣向を凝らした郷土色豊かな踊りを創案。祝賀会場で踊ったのがその始まりと言われています。

青空を泳ぐのぼり旗ときらきら煌めく七夕飾りが眩しい

その様子が島津藩主の耳に入り大変喜ばれ、以来この踊りに島津家の家紋である丸十の使用が許されます。現在でも七夕踊で使用される道具や衣装等に丸十を見ることができます(上の写真ののぼり旗にもあるね!)。

その後、金鐘寺の住職と地頭の床濤到住(とこなみとうじゅう)の2人が協力して田んぼの開拓を行い、1684(天和4)年に完成。その祝賀会の余興として大々的に踊られ、以来豊作祈願や神への感謝を込めて毎年踊り続けられ現在に至っています。

堀之内庭(朝)

お盆前の一番暑い時期に朝から晩まで集落のあちこちで奉納される七夕踊。一番最初に奉納されるのは「堀之内庭」と呼ばれる場所で、敷地内には開田者のひとりである地頭の床濤到住の碑があります。

床濤到住の碑

碑を囲む煉瓦にも島津家紋の丸十

七夕踊の日は毎年旧暦の7月7日でしたが、時代の移り変わりと共に1972(昭和47)年からは8月7日に近い日曜日に開催。七夕の日の踊りとはいえ、到住の霊を慰めるために行なわれるとの伝承や、張り子たちも動物の精霊を示すものと考えられ、亡き霊を供養する盆行事の前祭りの性格もうかがわれるそうです。

堀之内庭の片隅で出番を待つ張り子の動物たち

8時30分頃。堀之内庭で最初の太鼓踊りが奉納されます。

踊り手さんたちを団扇で仰ぐのも昔から変わらない光景

見た目も動きも派手な虎の張り子をはじめとする賑やかな動物たちに目を奪われがちですが(わたしのことですね・・・)、七夕踊の主役はこの太鼓踊り。その姿を実際に目にして大好きになりました。

ここでの奉納を終えると皆様ぞろぞろと移動し始めます。

とんがり帽は琉球王行列

窓が切り取る田園が美しい

ある民家では日の丸旗が掲げられていました

なぜか泣きたくなる風景

鶴岡八幡宮(金鐘寺)

後をついていくと、堀之内庭から歩いて数分の場所にある鶴岡八幡宮(金鐘寺)へと辿り着きます。

ぞろぞろぞろ

ごつごつした味のある階段の先には小さな空間が広がっていました。

中央には七夕踊の提灯。このようなこじんまりとした地元の神社が大好きです

神社の片隅では、太鼓踊りの人たちが被る美しい花笠がまるで風鈴のようにゆらゆら揺れています。

美しい

金の丸十や、籠目(魔除けの意味だろうか?)、ぐるっと周りを囲う日の丸旗、太陽や山等の様々なシンボルも気になります。わたしはこの花笠がとっても美しくて大好き・・・!!!

色とりどりの色紙で華やかに彩られた花笠

いつもは人気がなくひっそりとしているであろう神社に続々と人が集まってきました。

子供たちはカメラマンたちにとって最高の被写体

そうこうしていると琉球王行列をはじめとする行列物が円を描きながらぐるぐる踊り始めます。これには中心で踊る太鼓踊りを守り、見物人などをあまり近寄せないように整備する意味があるそうです。

琉球王行列。ラッパの音がなんだかおまぬけで可愛くて大好きなんだよー

太鼓踊り

みんなが見守る中、輪の中心で太鼓踊りが始まりました。

鹿児島は太鼓踊りの宝庫と言われていて、中には戦での武士を鼓舞するかのような躍動感のある踊りも多く見られますが、七夕踊の太鼓踊りは哀調ただよう踊り。それは念仏踊りの流れを組んでいるからだそうです。

木漏れ日が地面に模様をつくる

大里地区に生まれた男性は必ず生涯に一度はヤッサ(役者)と呼ばれる太鼓踊りを務めないといけない決まりがあるらしい。ヤッサの中でも一番踊りと歌のうまい人が「一番ドン」(踊り全体のリーダー)で、その補佐的な役割をするのが「二番ドン」。これらに選ばれるのが最も名誉なことなのだとか。

改めてよーく花笠を見てみると、一番上の丸十部分の片側に「頭」と書かれているものがありました。おそらくこれを被っている人が「一番ドン」。

見れば見るほど美しい花笠

他の花笠も丸十の色が金や銀だったり、中が赤に塗られていたりと微妙にデザインが異なっていることに気付きます。それぞれ意味があるのだろうか?気になる・・・。

ちょっと待って。右の花笠、通常では松や山、鳥居等が描かれてる絵の部分がアニメのイラストなんですけど・・・!(伝統的な絵じゃなくてもいいんだ!?)

一番ドンにはソロパートもあります。カッコいい!!!こりゃ憧れちゃうね〜。

2013年の一番ドン

2019年の一番ドン

太鼓踊りに花を添えるカネウチの子供たちの花笠も魅力的。大人たちにはない色とりどりの紙の飾りがひらひらとたなびき、その愛らしさに磨きをかけています。

暑い中がんばってる!

張り子の動物たちにを目的に訪れた七夕踊でしたが、実際に太鼓踊りを目にして大好きになってしまいました。特に神社の境内で見る太鼓踊りが好き。

風にゆれる花笠の飾りと色とりどりな境内の七夕飾り

門前河原

神社での奉納が終わります。地元の人でなければここで路頭に迷うこと必至!車でなければちょっとした距離を歩くことになります。

早くあの場所に飛んでいきたい!!!

次の踊り場である門前河原に到着した頃には、すでに虎や牛たちの張り子は大暴れ!琉球王行列や大名行列等も勢揃いして大賑わいです。午前中、ここで最初のクライマックスを迎えます。

飛んでいきたいぃぃぃ!!!

行列の構成

ツクイモン(作り物)

七夕踊を一層賑やかなものにしているのが「ツクイモン(作り物)」と呼ばれる巨大な動物の張り子たち。鹿、虎、牛、鶴の4種類あり、それぞれ作る部落が決まっています。

・鹿

まず行列の先頭を切るのはシャープなお顔立ちの鹿。わたしがファースト七夕踊にコンタクトした時に一番最初に見た動物ですね!張り子の中に入って操る人たちの他に鹿捕りの狩人が数人いて、暴れる動物たちと愉快な寸劇が繰り広げられます。

鹿捕りピンチ・・・!!!

・虎

次に続くのが、わたしが七夕踊に行きたいと思うきっかけとなった虎。

「虎がくっどーーーーー!!!」

この叫び声と共に繰り広げられる七夕踊の目玉のひとつともいえる野外劇。秀吉の朝鮮の役での虎狩りがモチーフになっています。虎の姿もとっても凶暴で愛くるしいのですが、この虎と虎捕りおっちゃんとのやりとりが最高に楽しいのです・・・!!!

虎と槍一本で戦います

もう・・・っっっ最高に大好きです!!!

桶に入った焼酎をぐびぐび飲みながら演じるのがこれまたいいんだよね。

左で焼酎飲んでる虎撮りのおっちゃん

なんとこのおっちゃん、驚くことに18歳の時から約60年もの間ずっと虎捕りをしてたんだって・・・!!

若者の誰よりも動きまわる虎捕りのおっちゃん

おっちゃんの生き甲斐ともいえる虎捕りをもう演じることができないだなんて・・・。代わりにわたしが泣いちゃうよ・・・。

・牛

虎の後には目がくりくり可愛らしいお牛が続きます。

動きもとってもユーモラス!牛使(うしつけ)の合図で、巨大な牛はお尻をぐいっと空高く跳ね上げます(すごい!!)。これを「牛が飛ぶ」という言うそうです。素敵!!!

持ち上げているところを後ろから

先ほどの堀之内庭にはちびっこ牛使いもいました!かわいい〜。

2019年撮影

・鶴

ツクイモンの最後は鶴。こちらは暴れん坊の虎や牛などとは違い(鹿もちょっとおとなしい印象)、喧騒などどこ吹く風とっいったようにのんびりゆるやかに動きます。他の張り子は数人で動かしていましたが、こちらはひとり。鶴の前には餌撒きがいて、稲の籾殻をこんもり盛った桶を肩で天秤のように支え、周囲に巻きながら鶴を誘導します。

餌の籾殻

足の動きが面白い

こちらにも可愛いちびっこ鶴がいました!!

2013年撮影

4体の動物の張り子たちがじゃらじゃら体にまとっている茶色の植物は、山から採ってきて天日干ししたガラメ(山ブドウ)。例えようのない香ばしい薫りがするそうですが、わたしは嗅ぎそびれてしまいました・・・。

こちらはお尻ふりふり鶴のガラメ

これら愉快なツクイモンの後に、琉球王行列(琉球王が島津義弘の戦勝を祝って貢物を持って薩摩を訪れたことに由来)や、大名行列、薙刀行列が続きます。薙刀行列は太鼓打ちのヤッサ(役者)の前と後ろにつき、その露払い、後払いの役をするそうです。

払い山

午前中に1度目のフィナーレを迎え昼食を挟んだ後、16時頃から「払い山」と呼ばれる踊り場で奉納が行われます。

払い山

ぽんかんの看板の下にも色褪せた虎いた!

開始時刻前、払い山へと向かう田園に囲まれた道を歩いていると、おじさまたちが大きな牛の体の影に身を隠し休んでいました。

わたしもお牛の体に守られたい…

時間が近づくにつれ、人々や動物たちが集まってきます。

胸が苦しくなるほど美しい日本の原風景を垣間見る

この田園風景から再びお祭りがスタート!

鹿と鹿捕り

めちゃ愛くるしい密生した鼻毛

虎の写真が他より多くてすんません・・・好きがあふれてシャッターが止まらなかったんだ

牛が飛んだ!!!

稲穂をくわえた優雅な鶴

行列も続きます

田園にかこまれた道を抜け、舞台は払い山の踊り場へ。

大名行列の馬簾振り(バリンフリ)。おいちゃんが持つ傘の骨みたいな道具(見えにくい・・・)をピョーンと飛ばしてもうひとりが受けとるのですが、操るのが最も難しいらしい。

だんだん夏の夕方のやわらかくて少しせつない飴色の光に・・・

ツクイモンや行列がすべて揃うのはこの踊り場が最後。まるで大団円といったような雰囲気に包まれます。

円の中心には太鼓踊り

払い山での奉納が終わり、ツクイモンの動物たちも次々にトラックに積まれ運ばれていきます。役目を終えた子たちはどうなるのかしら・・・。

まさしくドナドナ

堀之内庭(夜)

2013年時は払い山での奉納後に帰宅したのですが、2019年のわたしは最初から最後までみっちり七夕踊を満喫するつもりで臨んでいたのだ・・・!!!

そして、夜

日も沈み、真っ暗になった19時頃に再び堀之内庭へ。

長い1日が終わろうとしています

2019年の七夕踊、最後の奉納が始まりました。

夜になるとよりお盆の前祭りの雰囲気をより感じます

朝から晩まで駆け抜けた市来の七夕踊はこれで終わり。田んぼを開田した床濤到住の碑があるこの場所で始まり、再び同じ場所で終わるのですね。いかにここが大切な場所で、太鼓踊りがこのお祭りの要であることがわかります。

ぼっちゃん、遅くまでご苦労さまでした!

最後に

コロナ禍前のなんの縛りのない賑やかで最高に楽しい七夕踊。2019年に訪れた時点では、これが最後の七夕踊(完全版)になるとは思ってもみませんでした。2020年、世界的なコロナ蔓延により休止前の最後の七夕踊は延期に。2019年の奉納から3年後の2022年、規模を縮小し最後の七夕踊が行われました。

わたしが民俗芸能巡りに目覚めるきっかけとなった思い入れのある特別なお祭り。次回はその最後の七夕踊の様子を旅行記として綴りたいと思います。最後まで読んでいただけると嬉しいです。

■参考文献・サイト

・『市来町郷土史』(市来町郷土史編集委員会 編)

・『速報七夕踊』(七夕踊保存会 発行)

・七夕踊で偶然出会ったおじさまにもらった資料(新聞記事の切り抜き等)

市来の七夕踊 文化遺産オンライン

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T10、オールドレンズ、iPhone、film:LOMO LC-A

真夏の田園ラプソディ!市来の七夕踊【後編】につづく▼▼▼

長崎カメラさんぽ2023④【最終回】

外国人墓地を後にし、散策しながら再び街中へと歩いて戻ることにします。

大好きな「愛犬の栄養食」看板

CONTENS

歩いて街中へ

「信徒発見」の舞台である大浦天主堂や、周辺に点在する素晴らしい歴史的建造物を見学したいところですが、時間がまったくもってたりません・・・。とりあえず帰り道の方角へと歩きはじめます。

すると遠くでなにやら賑やかな音楽が聞こえてきました。振り向くと、おそらく長崎孔子廟と思われる場所で変面ショーが行われているようでした(実は一度も見たことない)。

屋根がかっこいい

てくてくてく。どこを歩いたら楽しいかしら??

左の写真にはショーウィンドウに飾られていた「長崎凧」が。この凧の工房にも行きたかったのよー。波に千鳥をはじめ、デザインがめちゃオシャレなの!

どうせ歩くならやっぱり階段の長崎を歩きたい・・・!!

この先には何が待っているんだろう?

階段を挟んだ両側には普通の民家が並んでいました。

人の営み

どこまでも果てしなく続く階段。果たしてわたしは街中に戻ることができるのだろうか・・・。

一抹の不安を覚えながら自分が登ってきた階段を降りむくと、赤く焼けた夕焼け空と長崎の街が広がっていました。

夕焼け見えないけど・・・!!!

長崎猫もどこかに帰るのかな?

帰り道を指し示すアンテナ

もっと味わいたかった階段とは、思いのほかすぐにお別れ…。またいつかうろうろしにいくから待っててね。

焼き菓子工房コリーヌ

そしてもちろん途中で抜かりなく美味しいお菓子をゲット・・・!!!1ピース250円とお手頃価格なのも嬉しかったです。

おいしかったー!特にアールグレイのタルト大好き。また食べたい

街中に帰り着く頃には陽も沈み、あっという間に夜が・・・。

長崎の夜と月

ついに思案橋へと戻ってきました。

やっぱり夜に歩きたい街

ランタンフェスティバル

最後はやっぱりランタンフェスティバルだよね・・・!!

怪しく赤いランタンの下を歩いていきます

が、しかし!!

目の前にうごめく人・人・人・・・!!!!!

橋の上にいるのはみんな人・・・

お昼間のそれとは比べ物にならないほどの大量の人が、ランタンフェスティバルのメイン会場である中華街に押し寄せていたのです・・・(絶望)

早くこの場を立ち去りたい・・・。そんな気持ちに襲われ、一番の目的である湊公園の祭壇のみ急いで見学することに。

豚の祭壇

突然ですが、グロ注意です!!!

本物の豚の生首、丸焼き写真が現れますので、苦手な方はコチラへ飛んでください。

カラーもあるけどエグいので、控えめにモノクロフィルムでお届けしますね

野菜やフルーツ、お菓子等の数々のお供物の中でひときわ目立つのがズラリとならんだ豚の生首ズ・・・・・。

これらのお供物はその奥にいらっしゃる「関帝」さまへのお供物。三国志にも登場する人物で(三国志ぜんぜん知らぬ)、商売繁盛などにご利益ある神さまとして祀られているとのことです。

豚の頭に尻尾がブッ刺さっていることにもちゃんと意味があるようで。詳しくはいろんな人のブログに書かれてるので気になる方は調べてみてね(公式ページに由来などが見つけられなかったのでここに書くのは控えます。やっぱグロいから大々的に宣伝とかはできんのかな・・・)。

最後に比較的グロくないカラー写真も載せとくね。

一見分かりずらいけど右上にテリテリとした豚の丸焼きの後ろ姿

人の多さに参ってしまい(豚の生首にじゃなくて)、早足にこの場を立ち去り、市電に乗って長崎駅へと向かいます。

夜ごはん

朝からパフェ、フルーツサンドとスイーツしか食べていなかったわたくし・・・。夜ごはんに何を食べるかは決めていました。もちろん・・・

CHANPON!!!

そう、ちゃんぼんです・・・!!!(なぜローマ字表記にした)

やはり長崎にきたからには本場のちゃんぽんを食べて帰らねば。さて、どこに行こう?検索してみると昔ながらお店を発見。ちょうどご飯時だったので急いで向かってみると、バッチリ行列ができてました・・・。そ、そうだよね、人気店のようだし無理だよね・・・。

仕方ないので近場をうろうろうろ。ちゃんぽんを出してるお店を発見!時間もないしここでいただくことにします。

実はそこまでちゃんぽん好きじゃないから、感想は「ふつう」としか言えなかったりする・・・ごめん

長崎に来た証としてちゃんぽん食べれてよかったです!!今回入れなかったお店もいい感じだったので、またチャレンジしてみたいです。

西坂の夜

さて、お腹を満たした後は、駅近くの小高い丘の上で光り輝くあの場所へ・・・。

今日の昼間に訪れた「日本二十六聖人記念館」と「聖フィリッポ教会(西坂教会)」です。

この時は日本二十六聖人の処刑をはじめとするキリシタン弾圧の歴史についてほぼノー知識で、「この場所でキリシタンが処刑された」という事実を認識しているくらいでした。

二十六聖人以外にも多くのキリシタンがこの地で処刑され、それがどんな酷い処刑方法であったか詳しく知ってしまった今では恐ろしくて一人でこの場所に立とうとは到底思えません・・・ぶるぶる。

とはいえ、この時もちょっと怖かったのは事実。ただ、わたしの他にもかわいい野良猫ちゃんたちがいたので心強かったです。

闇にまぎれる長崎猫

時間ぎりぎりまで長崎をたのしみ、福岡行きのラストバスに乗り込みます。自宅に帰り着いたのは0時前。こうして朝から晩までみっちり遊びつくした長崎カメラさんぽを無事終えたのでした。

最後に

たった1日だけ訪れた長崎。元々興味がある分野だったとはいえ、この日をきっかけに自分がまさかこんなにキリシタンについて入れ込むことになるとは・・・。正直ブログを書いていなければ、ここまで深掘りすることはなかったとは思いますが、ちゃんとキリシタンの歴史について学ぶことができて本当に良かったです。

そしてつい1週間ほど前のこと。高まる気持ちを抑えることができず、某所へとキリシタンの痕跡を巡る旅に行ってきました!!(さて、一体どこでしょう?)

相変わらずの猪突猛進っぷりに我ながら驚きです。近々その旅レポも公開予定ですので、どうぞ気長にお待ちくださいませね。最後まで読んでいただきありがとうございました!

この日の翌日(2月5日)が、二十六聖人が処刑された日だったようです

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、FUJIFILM X-T3、iPhone SE2、film:KONICA AUTOREX(自家現像とお店)

長崎カメラさんぽ2023③【長崎ぶらぶら編】

あっっっっという間に正午を通り越して14時過ぎ。まだ行きたいところがあるのにぜんぜん時間が足りないよ・・・!!!

CONTENTS

だがしかし、朝パフェしか食べてないのでちょっくら一息入れたい・・・。というわけで、大好きな喫茶店を目指し電車でGO!!

ままままさかの長蛇の列。恐るべし、らんたんふぇすてぃばる・・・
増便しているのか意外にも早く乗れたからよかった

たくさんの人たちで賑わっている思案橋駅で下車。商店街を歩いていると、賑やかな音と人々がざわめく声が聞こえてきました。

中華な格好をした女の子たち

皇帝パレードに遭遇!!!ランタンフェスティバルの催しのひとつです。ゆっくり見学したいけど早足に駆け抜けて喫茶店へ。だってだって、人気の喫茶店なんだもの!満席で入店できなかったら泣いちゃうーーーー

愛しの「冨士男」に会いにゆく

大大大好きな冨士男!!またあなたに会いに来たよ!!!

長崎に行ったら必ずと言っていいほど訪れる喫茶店。まず外観からしてイケメンです。

まるで甲冑のような外観(未撮影だったので、2020年1月末のランタンフェス時に撮影した写真をば)

The 純!喫!茶!な、温かみのある内装もとっても素敵なのよ〜。

クラシカルな空間と芸者を描いた洋画の組み合わせがとっても素敵だし、白タイルの壁も特徴的(2020年撮影)

へっへっへ、みんなが皇帝パレードに釘付けになってる間に滑り込んでやったぜ・・・!!(わたしの後に入った人たちは断られていた)

店内からパレードを眺めるのも乙なものです

冨士男にきたら是非とも食べてほしいのがフルーツサンドたまごサンド(冨士男のメニュー表ではエッグサンドでした)。今までいろんなところで食べてきたけど、もしかしてここが一番美味しいのではないか・・・??(あ、あと東京の「はまの屋パーラー」さんも好き!)

うんうん唸りながらすっごい悩んでフルーツサンドを注文することに。ハーフ&ハーフできたらいいんだけどなぁ。だってどっちも食べたいいいい!!!

なーんとわたしのすぐ後に注文した人がパンの品切れで断られてました。あと一歩注文が遅れてたらフルーツサンドにありつけないとこだったよ!想像するだけでふるえる・・・っ

瑞々しきフルーツとクリームの断面

やっぱめちゃくちゃ美味しいな!!!

けど、そういえばつい数時間前にいちごパフェ食べたばっかりだったよな・・・たまごサンドにすればよかったな・・・(いつもメニュー選ぶ時に思考停止しちゃう人)

今回食べれなかったたまごサンドの写真も載せておきますね!こちらは去年の10月に食べた時のです(どんだけ行ってんだ)。

この時は同伴者がいたのでフルーツサンドも注文してシェア

ちなみに冨士男さんではお持ち帰りもできます。旅の帰りにで電車の中で食べるフルーツサンドのなんと美味しいことよ・・・(2020年撮影)。

わたしが女優だったら撮影現場に差し入れするわ!

長崎ぶらぶら

大好きな冨士男を満喫して、再び長崎カメラさんぽスタートです。

思案橋

まずは長崎を代表する歓楽街、思案橋周辺をぶらぶらぶら。道路の突き当たりに現れる印象的な石造りの建物はなんと交番・・・!!!

いつ頃の建物なのかは調べてもよくわからなかった・・・

この辺りはその昔日本三大花街のひとつといわれた「丸山遊郭」があった場所。交番の写真を撮った位置のすぐ横にはカステラの福砂屋本店があって、近くには見返り柳と当時の思案橋の一部が残っていたらしい。残念ながら見逃したー!(けど目の端には写ってた気がする)。

福砂屋本店の柵にはかわいい蝙蝠がいらっしゃいました

今回は丸山遊郭については深掘りせずに、歓楽街を抜けていきます。

「ロマン街」という名前がロマン

歓楽街ではスナックの名前やフォントをチェックしてしまうわたくしです。

「ニュー六本木」、「ます」いいね。新旧入り乱れてる感じ。

「新宿」(憧れからきたと思われる都会の地名を使った名前にグッとくる)や、「むぎばたけ」がお好みです。「恋連」のルビもいいね。

「淑子」や「恵子」など人名だと「淑子さんがママなのかな?いったいどんな女性なんだろう・・・」とか、「高千穂」などの地方名だと「宮崎から流れてきたのかな?どんな人生歩んできたんだろう・・・」とか。妄想がむくむくむくむくとふくらんできて楽しいです。

以上、スナック看板の楽しみ方のススメでした。

ギザギザギザ

生活を垣間見る

唐人屋敷

歓楽街を抜けると、唐人屋敷のある通りへとたどり着きました。

にゃん!

自家現像のモノクロフィルム、リールの巻き取りに失敗してなかなか不明瞭な写真になってしまいました(粗悪なスキャンのせいもある)。でもそれが逆に幻想的な雰囲気を醸し出していて、まるで昔の中国のように見えて(昔の中国知らないけど)お気に入りです。キョンシーでそうじゃない!?

カラーだとこんな感じ

こちらは「丸金温泉」という元銭湯の建物で、前々から一度訪れてみたかった場所でした。以下サイトに廃業前の昔の取材記事が載っていたので気になる方はどうぞ。

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

なんと、わたしが訪問した2月初めの頃には存在していたのに、3月初め頃(それとも2月末?)に取り壊されたもよう・・・。2月に上映されたばかりの映画『湯道』のモデルのひとつになった銭湯だったようで(すごいタイミングでの取り壊しだ)、残っていたら何かと活用できただろうに。残念でなりません・・・。

階段ぶらぶら

唐人屋敷の通りを抜け、自分がどこにいるのかよくわからないまま細い階段をワクワクしながら登っていきます。

長崎の階段を歩くのはたのしい

そして、長崎といえばねこ。ねこねこねこです。

君はNo.5?

長崎は尾曲がり猫が全国的に一番多いと言われているらしいのですが、今回は意識して見てなかったので確認することができず・・・。

カラスよけのカラス

そしてついにたどり着いたのが・・・

大浦国際墓地

そう、わたしは墓地に行きたかったのだ・・・!!!

墓地は墓地でも外国人が埋葬されている外国人墓地。長崎市内には3箇所の国際墓地があります。今回訪れたのは大浦国際墓地。1861(文久元)年に外国人居留地に近いこの地に作られ、1888(明治21)年に閉鎖。埋葬されたのは主に長崎港に停泊中に死亡した乗組員たちですが、長崎で生活して功績を残した外国人も眠っているそうです。

解説板

大浦国際墓地について詳しく書かれた下記サイトがおもしろかったです。長崎の調べごとをするとこちらのサイトがよく出てくる。すごい。

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

中でも興味深かったのが、つい先ほどぷらぶらしたばかりの丸山で起きた殺害事件について。

1867(慶応2)年の夏、英国船の乗組員の青年2人が丸山で泥酔して外で寝てしまったところ、近くの茶屋で呑んでいた筑前藩の武士の目に止まり、もてあそぶかのように滅多切りにされてしまいます。筑前藩が殺害された2人の家族に賠償し、犯人たちは切腹ということで決着したものの、英国側は「江戸幕府は港町を徘徊する浪人から外国人居留地を守る力なし」と判断。 事件が遅まきの解決を見た頃には幕府は崩壊し、実権は維新の志士らの手にありました。上記サイトよりまとめさせていただきました

その殺害された外国人もこの墓地に眠っているのですね・・・。

もちろん墓地ですから、眠っている人たちに不敬があってはいけません。心の中で写真を撮らせてくださいとお願いしながらシャッターを押していきます(撮る行為自体が不敬と言われたらもう何もいえません・・・!)。

右奥のお墓には水兵さんが眠っているのか錨マークが描かれています

※これ以降のモノクロ写真は自家現像ではなく、お店でやってもらいました(スキャンはセルフ)。

やはりここにも猫

すでに17時を過ぎ、あたりが少しずつ暗くなってきました。

・・・こわい!こわいよ!!!

好き好んで墓地にきてるくせに今さらなんだと思われそうですが、やっぱり怖いんです超ぉーーー怖がりなんです。何も起こらないうちに急いで墓地を後にすることに・・・(ドキドキドキ)。

最後に

実は今回、長崎を訪れた理由のひとつが外国人墓地でした。外国の墓地って装飾がとても美しかったりするんですよね。あとやはり十字架に惹かれてしまいます。長崎市内にある残りの2か所の墓地もいずれ訪れてみたいです。

さて、前回のブログで今回が最終回と言ってましたが、勘のいい方ならお気づきでしょう・・・。そう、なんと最終回ではありません・・・!!!思いのほか長くなってしまったので次回へと続きます・・・嘘ついてごめんなさい。今度こそほんとに最後だから!!どうぞお付き合いくださいませ・・・ね?

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、FUJIFILM X-T3、iPhone SE2、film:KONICA AUTOREX(自家現像とお店)

長崎カメラさんぽ2023④【今度こそほんとに最終回】につづく▶︎▶︎▶︎

長崎カメラさんぽ2023①【浦上地区編】

去年の怒涛の旅人生活から一転・・・1月のキャンプ以来どこにも・・・どこにも行ってないよ・・・・・(旅の資金がつきた)。

焦燥感からいてもたってもいられず、これが最後!最後だから・・・!!!と、自分を甘やかし高速バスに飛び乗ったのは2月はじめのことでした。

朝日がのぼる時間帯に博多を出発!

CONTENTS

長崎へ

モノクロ写真の自家現像を始めたこともあり、写真を撮りたい気持ちがふくれあがっていました(そんなわけで、へたっぴな自家現像モノクロ写真見てやってください)。向かった先はちょうどランタンフェスティバル期間中の長崎。

ランタンフェスティバルに行きいというよりも(それはオマケのようなもの)、ただ長崎をぶらぶらと歩いて写真を撮りたいという気持ちがありました。長崎って何気ない風景がほんと絵になるんだよね。自分にとって写欲が刺激される土地のひとつだったりします。

平和公園

高速バス九州号に約2時半ほど揺られ(もちろん一番安い交通手段で!)、下車したのは「平和公園」前。日本人であればおそらく誰でも一度は写真や映像で目にしたことがある像がここにあります。

平和祈念像

後ろ姿初めて見た

ずっと九州に住んでいながら実は訪れたのは初めて・・・!!!(のはず)

実際は小学生とかの修学旅行で行ってる可能性あり。ただ、ほんとに子供の頃の記憶ほぼないのよ・・・なんも考えないで生きてたんだろね・・・・・

長崎刑務所浦上刑務支所跡

この公園にはもともと刑務所があったということも初めて知りました。平和祈念像の前には、原爆で破壊された建物の一部が現在でも残されています。

爆心地より北へ最短約100mの場所にあり、爆心地にもっとも近い公共の建物だったそうです(解説板より)。

浦上刑務支所戦災跡(解説板より)

像の前に備えられた百合と平和祈念像。像の前には被爆遺構の刑務所跡。
(意図せず多重露光になってしまったモノクロフィルム写真)

刑務所跡でくつろぐ平和の鳩

小高い丘の上にある公園を抜けると、浦上天主堂を遠望できる場所に出ました。

浦上天主堂

階段を降りて向かった先は、その浦上天主堂・・・ではなく、天主堂前にあるフルーツイワナガさん。

フルーツいわなが

福岡を発つ前から朝パフェするって決めてたんだ・・・!!!

 

が、しかし、着いてみると目の前に現れたのは人、人、人・・・!!!!!オープンしてまだ数分しかたっていないというのに、なんと外まで溢れていました・・・。

これはやっと中に入れたところ・・・

並ぶの大嫌いなんだけど(なんならちょっと小馬鹿にしてる)、もう並ぶ!並んじゃうよ!!!(小馬鹿にしていいよ!)

魅力的なショーケース内のスイーツ

というわけで、約40分(!)ほど並んでたどり着いたのがこちらの高級ぱっふぇです。

てっぺんには鳩

きゃ、きゃわゆいいいいい!!!

パフェに箸がついてきたのが何気にツボで面白かった。そしてありがてぇ!

いちごたっぷりで大変おいしゅうございました。いちごジュースも酸っぱ甘で美味しかったなぁー!

向かいに見えるのが浦上天主堂

イワナガさんは果物屋さん。カフェ使用以外のお客さんも並んでいて、しかもなんと丁度コロナ禍に突入して以来の「いちごフェア」の開催初日だったらしい!(店頭にはたくさんの苺が並び、デザート類もいつもより安くなっていました)土曜日でなおかつランタンフェスも重なっていたこともあり、このような長蛇の列になったのではないかと推測・・・。

お高級なシャインマスカットも!た、食べてみたい・・・・・(自力では無理)

日帰りだというのにしょっぱなからだいぶ時間をロスってしまったけれど胃袋は大満足!!いよいよ目の前の浦上天主堂へと向かいます。

浦上天主堂

と、その前に、少しだけ(と言いつつもちょーっと長くなってしまった)浦上地区のキリシタンの歴史について触れておこうと思います。活字が苦手な方はすっとばして旧浦上天主堂の原爆遺跡へとお進みくださいませ!

浦上地区の潜伏キリシタンと旧浦上天主堂

1571年、ポルトガルとの貿易港として開港されて以来、長崎はキリスト教の中心として栄えていました。1587(天正15)年、豊臣秀吉が伴天連(バテレン)追放令を発布。1597(慶長7)年、京都や大阪で宣教師を含む日本人信徒26名が捕まり、長崎の西坂で十字架にかけられて処刑されます(日本二十六聖人)。あの陰陽師で有名な一条戻り橋で耳を削ぎ落とされたらしい・・・。

1612(慶長17)年及び、翌1613(慶長18)年の江戸幕府による禁教令で、キリシタンへの弾圧が本格化。それでも信徒たちは表面上は仏教徒を装い、密かに信仰を続けていました(いわゆる「潜伏キリシタン」)。

1637年(寛永14)には、天草四郎率いる「島原の乱」が起きるも一揆は失敗に終わり、幕府軍により根絶やしにされます。1639(寛永16)年、幕府がポルトガル船の入港を禁止すると、日本は長い鎖国の時代に突入。

幕末の開国後、1865年(慶応元年)に、当時外国人の居住地であった南山手地区(旧グラバー邸を初めとする歴史的建造物が多く存在する観光名所)に、フランス人専用として日本最古の教会である大浦天主堂が建てられます。

創建当時の大浦天主堂(wikipediaより)

翌年、そこを訪れたのが浦上地区の十数名の潜伏キリシタンたち。信徒たちは教会の神父に自分たちがキリスト教徒であることを秘密裏に告白し、弾圧によって日本に信徒がいなくなったと考えていたヨーロッパの人々に強い衝撃を与えます(「信徒発見」)。

数年前に大浦天主堂を訪れた際にフィルムで撮った写真。なぜかこんな夕暮れのような不思議なセピア色に・・・(実際はこんなんじゃなかった、たぶん)

いまだ禁教令下にあった日本。この「信徒発見」が、浦上の信徒たちへの最大の迫害となる「浦上四番崩れ」に繋がっていきます。怪しんだ奉公所がスパイを送り込んで発覚したらしい・・・。

1868(明治元)年には、浦上のほぼ全村民約3,400人の流罪が決定。全国各地に流され拷問を受け、約660人が殉教したとされています。

その流刑地の一つである島根県津和野町に「乙女峠」と呼ばれる信徒たちが幽閉・拷問された場所があります。2019年の夏、とある民俗芸能を見に津和野を訪れた際に、この地を訪れたことがあったのですが、まさか浦上から送られてきた信徒たちに縁のある場所だったとは・・・。良い機会なので、津和野旅の記録もおいおいまとめようと思います。

1873(明治6)年、世論に屈して明治政府は禁教令を撤廃。「旅」(信徒たちは配流をそう呼んだ)に出ていた浦上の信徒たちも戻ってきます。食べるものにも困っていた信徒たちが一番に欲しがったのが祈りの場である教会でした。

1880(明治13)年、約250年もの間、浦上村民の信仰の取り締まりを行い、踏絵を強制された場所でもある旧庄屋屋敷を買い取り、仮聖堂として使用。1895(明治28)年には「旅」から戻ってきた信徒たちを中心に旧浦上天主堂の建設が始まります。

資金が足りず工事を中断しながらも1915(大正4)年に完成。さらに1925(大正14)年には、長崎県を中心に多くのカトリック教会堂を手掛けた鉄川与助により正面の双塔が建設され、ロマネスク様式では東洋一の大聖堂がついに完成します。双塔にはフランス製のアンジェラスの鐘がつけられました。

原爆投下前の浦上天主堂(wikipediaより)

しかし、信徒たちの努力の末に建てられた旧浦上天主堂は、1945(昭和20)年の原爆により一瞬にして失われてしまいます・・・。

倒壊した天主堂 1946年(wikipediaより)

浦上地区の信徒約12,000人のうち約8,500人もの命が奪われました。禁教令が解かれやっと苦難から解放されたにも関わらず、長い年月をかけて作られた教会はたったの30年でこんな最悪の形で消失してしまうなんて・・・残酷すぎる・・・。

それでも被爆後、翌年には木造の仮聖堂が作られるのだから信仰心というものはすごい・・・。(その信仰心が一方では戦争を引き起こしたりもするから恐ろしくもある)

以上の内容は、以下サイトをメインにまとめさせていただきました。読みながらその弾圧の様子に思わず泣いてしまったのは年のせいかな・・・。

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

また、以下サイトでは、長崎〜天草地方のキリシタンの歴史について分かりやすくまとめられていてとても面白かったので、興味のある方はぜひ。

旧浦上天主堂の原爆遺跡

さて、お勉強したところで、やーっと浦上天主堂へと足を踏み入れますよ!

現在の建物は1959(昭和34)年に再建された建物ですが、外壁には被爆した旧天主堂に設置されていた石像の一部が使用されています(ちゃんと写真撮ってなかったよ・・・)。

天主堂前の石像

天主堂前の一角にも石像たちが設置されていて、ここが個人的にとっっってもよかった・・・!!!

敷地内で静かに眠る被爆した石像たち
原爆遺物展示室

浦上天主堂の敷地内には原爆遺物展示室があり無料で見ることができました。原爆によってぐにゃりと曲がった杯や溶けて幾重にも重なったステンドグラス、たくさんの石像たち・・・。

原爆の恐ろしさを伝えます

展示室解説より(東松照明  1961年撮影)

天使の像の頭

解説

旧浦上天主堂の石像はなんと!天草の石仏師が彫ったものなのね・・・!!印象的だったのが通常の教会には設置されないであろう神社の狛犬のような姿の獅子がいること。石仏師が作ったからこのような姿になったのだろうか。とても興味深いです。

聖人像の横にもちょこん。かわゆ!
被爆マリア

浦上天主堂は「被爆マリア」の存在でも知られています。

ガラスの瞳が溶けて伽藍堂になったマリア像(天主堂敷地内の解説板より)

天主堂の祭壇に設置されているらしいけれど、近くには入れなかったので、ちゃんとどこにいらっしゃるのか認識しないまま外に出てしまったよ・・・。近くで見れるように教会内にはレプリカが置いてありました。

ずっと浦上で保存されていたわけでなく、原爆投下後は北海道のトラピスト修道院で保存されていたということを初めて知った!浦上出身の神父が瓦礫の山から救出して持ち帰って大切に保存していたらしい。

以下のサイトには、その神父からの手紙が掲載されていて、当時の発見の様子を知ることができます。

The Madonna of Nagasaki: 聖母像の首

まるで運命のような話・・・。神父さまに失礼な話かもだけど、浦上天主堂のマリアさまに恋していたんじゃないかな・・・。

アンジェラスの鐘

爆心地から0.5kmに位置していた浦上天主堂は一部の堂壁を残して全壊しました。

天主堂に於ける慰霊祭。1945年(wikipediaより)

天主堂敷地内の解説版より

以下サイトには、浦上天主堂の原爆前後の写真がたくさん載っていてとてもよかったです!

長崎原爆と浦上天主堂 — Google Arts & Culture

双塔の鐘楼は、南側のものが天主堂内に落下。北側のものは天主堂の北側に落下し、崖下を流れる小川まで滑落。北側の鐘楼は、1950年に河川改修により石垣の中に一旦埋められるも1971(昭和46)年に発掘され、現在でもその姿を見ることができます。

川に落下した北側の鐘楼

旧浦上天主堂の双塔の鐘楼にはそれぞれ大きさの違う大小の鐘がついていて、交差するように鳴り響き、浦上の町に時を告げていたそうです。

川まで吹き飛んだ鐘楼についていた小さい鐘は、敷地内の原爆遺物展示館に展示されています。

原爆により破壊された小鐘

小さい鐘の方は破壊されてしまったけれど、なんと大きい鐘の方は健在!!浦上天主堂の右手の鐘楼へと戻され、今でも1日に3回その美しい音色を響かせています。わたしも運良くその音色を聴くことができました。その時は聴けてラッキーくらいに思ってたけど、今回ブログを書くにあたってキリシタン弾圧の歴史や原爆を耐え抜いた鐘であることを知った今では重みがぜんぜん違う・・・。もう一度ちゃんとその音色を生で聴きたいです。

たった10秒ほどの短い動画だけど鐘が鳴り響く天主堂を撮ったので、どうぞご覧ください。ほんと一瞬で終わっちゃうけど・・・

浦上天主堂の鐘楼について調べていたら、またまた興味深いページを見つけたので載せておきます。

ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「宗教を越えて鳴り響く“長崎の鐘”」

以下に抜粋。

教会の鐘の音が鳴り響く長崎の町は、禁教令とともに一変。建ち並ぶ教会堂は破壊され、その跡地の多くには寺社が建てられていった。本蓮寺(ほんれんじ)や大音寺(だいおんじ)など、初期に建立された長崎の寺院はすべて教会堂跡に建立されている。さらに、寛永年間(1624~44)、それはまるで旧市街である内町を取り囲むように二つの列となって神社仏閣が建てられた。元和7年(1621)、ミゼリコルディア本部跡に建てられたのが、現在、鍛冶屋町にある大音寺。この寺に、どの教会堂のものかは定かではないが、破却された教会堂の鐘のひとつが与えられた。おそらくはベル型の鐘であったことだろう。しかし、島原の乱後、この鐘は仏寺の鐘の本来の形に鋳造しなおされた。残念ながら第二次世界大戦中に供出され、現存してはいない。たとえキリスト教の鐘として十字架を刻印して鋳造されたとしても、鋳物としての鐘は重んじられ、一度、寺院の鐘に鋳造しなおされると、その鐘はそのまま存続する可能性が高かったという。現在、寺院に設置された梵鐘のなかにも聖鐘から梵鐘へと改鋳されたものがあるのかもしれない。

長崎のお寺の鐘の中に、もしかしたら元々は教会の鐘があるかもしれないだなんて・・・!!確かめる術はありませんが、このことを知っているだけで長崎のお寺を見る目が変わります。ちゃんと勉強してから観光することも大事だなと今更ながら思うのであった。

いやはやしかし、付け焼き刃の知識では何も語ることができないとここにきて気付く。頭パンク気味なので、今回はここらへんにして・・・。ネットでの調べ物ではなく、ちゃんと専門書の一冊でも読んでみたいと思います(そうして積読が増えていくのだ)。

最後に

中学時代、学校の先生が平和教育に熱心で、文化祭の時に舞台で長崎の原爆を体験した人の手記を朗読したことを今でも覚えています(正確ではないけれど、その時の台詞も言えるほど)。

今回初めて浦上天主堂や平和公園を訪れることで、原爆だけではなくキリシタン弾圧の歴史についてもほんのさわりだけど勉強する機会を得たことは本当によかったです。

平和公園

旧浦上天主堂も、広島の原爆ドームのようにそのままの形で残しておけばよかったのにとは思うけれど、信徒にしたら元に戻したい気持ちの方が強いだろうし、迫害の地の象徴でもある場所に再建したいという気持ちもとてもよくわかる。外野がどうこう言えることじゃないんだよね。観光のために信仰をしてるわけではないのだし。保存ではなく再建を決定した当時の市長の思惑については、wikiで読む限り譲れない思想というものはなさそうだけど・・・。

旧浦上天主堂の石像

長崎の原爆遺跡は他にも色々とあるようなので、また次回訪れたいと思います。爆心地の公園には、旧浦上天主堂の外壁の一部が移設されているようなのでぜひ見に行きたい。

原爆、キリシタン弾圧と、内容が内容だけで軽く扱うことができず、旅行記ブログにしてはちょっと重い内容になってしまいました。もう2度とこのようなことが起きないことを願いたい・・・ね・・・。

平和を祈る猫

最後まで読んでいただきありがとうございました!次回はもっと軽めに・・・できる気がしない・・・・・。

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、FUJIFILM X-T3、iPhone SE2 film:KONICA AUTOREX(自家現像)

長崎カメラさんぽ2023②につづく▶︎▶︎▶︎

2023年ことはじめ・後編【直方散策の回】

直方駅のロッカーに荷物をつっこみ直方散策スタートです!

CONTENTS

須崎町商店街

直方駅に到着して真っ先に向かったのはこちら。

におう、におうぞ・・・!!!

前日、キャンプ場へ向かう前に少しだけ直方散策した時に遠目に見かけて、アンテナがピーン!と反応。ぜったい歩きたいと思ってた場所でした。

ぶるぶるぶる・・・よすぎてふるえる!!!

大好きな空間がそこには広がっていました。

やはり!俺の嗅覚に間違いはなかった・・・!!!

炭住と駅を結ぶ通りとして明治の頃から店が立ち並んでいたという須崎町商店街。今回は見逃してしまったけれど、カフェーの鑑札も残ってたみたい。

このアーケード商店街を抜けた先にも何やら哀愁漂う通りがあって歩きたくてワナワナしたけど、行きたい場所と正反対だったので今回は断念・・・。

印象的な電柱

どうやらこのまま進むと近くには筑豊電気鉄道の駅があったもよう。またローカル鉄道にも乗りたいなー。次のお楽しみにしたいと思います。

再び駅に近い方の商店街へと戻り・・・

ステンドガラス調のドームもあります

錆びた街灯

元銀行のある通りを抜けて・・・

ちょっと私は好きじゃない使われ方をしてて残念でした

向野堅一記念館(旧讃井病院)

たどり着いたのは向野堅一記念館。

可愛らしいハート

細部が美しい

元病院の建物だからなのか、十字や門の上にはハートのモチーフが。ちょっと可愛い教会のような雰囲気でとても印象的でした。

枯れた赤い薔薇が素敵でした

写真撮っていたらめちゃくちゃいい匂いが・・・。お隣は中華屋さんでとってもそそられたけど準備中の看板がーーー!坦々麺っ食べたかったよーーーっ!!!

江浦医院

この通りには他にも古い建物がいくつも点在しており、建築好きにはたまらない通りとなっております。すぐ近くにはまだ現役と思われる江浦病院も。玄関にはしめ縄飾りがありました。(1月前半は正月の雰囲気が感じられるので地方を歩くのがとても好き!)

直方谷尾美術館(旧奥野医院)

こちらも元病院。病院が連なる通りだったんだねぇ。奥にお続く木造建築は自宅として作られており、茶室も備えています。今回はさらりと外だけ見学。中はまた時間がある時に・・・。

本館(左)と新館(右)

右側の新館は1998年に増築した建物らしいのだけど、検索してもぜんぜん情報を見つけられず。この木の門とか凄すぎません・・・!??ライオンと不思議な生き物、わたしは大好物だよ・・・?

カッコいい!!!!!!

本館の建物に合わせてこんな美しい建物を新築したってこと?だよね??誰か詳細知ってる人教えてください・・・。

向かいの茂みには流れ星が落ちてた

収蔵庫(旧篠原邸)

近くには直方谷尾美術館(旧篠原邸)の収蔵庫もあります。当初は旅館を営んでいたそうで、その後篠原邸となり、米屋としても活用されたとのこと。

連鎖するWの影

多賀神社

そういえば遠征しているのにどこにも神社にお参りしてないな・・・と、一番近かった神社にもお参りに。

もももももも!!!

鳥と桃の土鈴も〜

神社の階段が印象的でした

帰ろうと駅に向かう途中、最後の最後にとても好みの廃スナックビルに出会えて嬉しかったです。

特に狸穴(マミアナ)が大好き

アーケードが夕焼け色に染まっていました

美しき光

直方散策これにて終了。またね!

最後に

2023年はモノクロフィルムの自家現像からスタート。冬キャンプと直方散策の現像は、大幅に現像時間を間違うという大ポカをやらかしてしまい、だいぶシャープでコントラストの強い仕上がりになってしまいました・・・。

ゆくゆくは写真によって現像方法も使い分けれるスキル身につけたい。こういう写真はコントラスト強い方がカッコいいもんね!

実は一番最初に現像したフィルムの仕上がりがとても気に入っているので(ビギナーズラック??)、まずはそれに近づけられるようになりたいです。今年は現像も頑張るぞ!という気持ちを込めて、一番最初の記事は自家現像写真多めにしてみました。早く遠くを旅して写真たくさん撮って現像したいな・・・。(いろいろと)がんばります!!!

一番最初に現像したフィルム。まるで夢の中のような柔らかい雰囲気がとっても好き!

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:OLYMPUS PEN FT(自家現像)※最後の写真のみKONICA AUTOREX