彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

④秋田・青森ひとり旅2024-2025【男鹿・ナマハゲのお勉強編】

本日の終着地は秋田県男鹿市。秋田駅から出てる電車の本数が1時間に1本くらいと意外にも少なくてビックリ!食いしん坊のわたしは鶴形駅から秋田駅への電車の中で、今晩のごはんについて頭をめぐらしていました。

CONTENTS

秋田ハタハタ事情

男鹿駅周辺には飲食店が少なく、年末だし食事にありつけるかとても心配・・・。それなら秋田駅周辺の居酒屋で男鹿発祥である「しょっつる鍋」(魚醤・塩魚汁の出汁にハタハタを入れた鍋料理)でもいただきながら地酒でもかっこみたい。最初はそんな風に思っていました。でも、今朝十文字駅からご一緒したおばあさまから、昔は大漁すぎてもらうのが普通だったハタハタが不漁続きで今では高級魚!特に今年は不漁で、北海道で獲れたハタハタを使ったりしているらしいということを知ったのである。

(どうせなら秋田産のハタハタで食べたいな・・・)

気が変わって秋田駅でお弁当でも買い込みさっさと男鹿入りすることにしました。

男鹿市へGO!

秋田駅に着いたら急いでごはんを買ってコインロッカーの荷物を回収し、男鹿行きの電車に飛び込むのだ!イメトレしながら秋田駅へ到着し改札に向かうと、なんと清算待ちの長蛇の列が待ち構えていたのである・・・。

どうやら大雪の影響でチケットの払い戻し手続きなどのなんやかんやでこんな事態になっているらしい・・・(オーマイガー)。鶴形駅では切符を購入できなかったら、外に出るには必ずこの列に並ばねばなりません。

「あぁっ、わたしの華麗なる計画が・・・!!!」

ハラハラしながら20分ほど待ってなんとか改札を抜けるも夕ご飯を買い込む時間はない!大急ぎでコインロッカーの荷物を回収して男鹿行きの電車に乗り込むのであった・・・。

男鹿といえば「ナマハゲ」

まだ17時半頃ではあるにも関わらず、男鹿駅に着く頃にはすっかり真っ暗。

男鹿駅。待合室にもナマハゲさま

まず楽天家のわたくしは男鹿駅に着いたその足で、実は狙っていた居酒屋へと足を運ぶことにしました。もしかしたらお目当ての「しょっつる鍋」にありつけるのでは・・・?期待に胸を膨らませながら、歩きにくい半分溶けた凸凹雪道を重いキャリーケースをずるずる引きずりながら歩きます・・・(必死の形相)。やっとのことで居酒屋へと到着。雪もちらちらと降っていたのでちょっとした濡れ雑巾になりながら中に入るとたくさんの人・人・人・・・!!!

たくさんのお客さんで賑わっていた居酒屋

待機している若い店員たちはわたしの姿を見てもちっとも寄ってくる気配がない・・・(え?わたし透明人間・・・?それとも濡れ雑巾だから・・・??)。でもそんなことではめげない!「しょっつる鍋」食べたい!!!(ちなみにメニューにあるかどうかもわからない)とりあえず駆け寄って聞いてみると今日は予約でいっぱいとのこと・・・まぁね、そんな気はしてた・・・。しょんぼりしながらひとまず宿へと向かうことにします・・・。

雪道でキャリーケースを運ぶのはなかなかの重労働であることを身をもって知る

宿「ひるね」にチェックイン

男鹿、何気に若い人たちが起業していて、洒落たお店が色々とあるもよう。本日宿泊する宿「ひるね」もそのひとつ。

すぐ近くにあるクラフトサケ醸造所稲とアガベが運営するスタッフの常駐していないお宿。スマホや宿に設置されているタッチパネルでチェックイン、アウトを自分自身で行ういまどきスタイルです。

翌朝撮影した「稲とアガベ」。今回は時間の都合で行くことができず

敷地内の3棟のうち2棟は1棟貸しで、今回わたしが宿泊したのはゲストハウス棟の個室。ゆっくりしたかったのよー。

クイーンベッド!

しかし宿には着いたがメシはない。やっぱり秋田駅周辺で食べてくればよかったな・・・そんな風に思っても後の祭り。身軽になったし!はりきって食事の調達へと出掛けましょう!!

ドジャース男鹿店

雪が降り続く中、10分ちょっと歩いてたどり着いたのはドジャース男鹿店。秋田県内で数店舗展開しているご当地スーパーです。

疲労困憊のわたしにはちょっと遠かったね・・・

宿のキッチンで料理できないこともなかったけど、時間も時間なので惣菜コーナーに一直線。居酒屋も捨て難いけど、ご当地スーパーの惣菜も大好物なのだ。しかし閉店1時間前だったからか惣菜コーナーはスカスカ・・・。仕方ないのでちっともご当地色のない食べ物をいくつか購入してズコズコと宿へ・・・(あれ?なんか旅の雲ゆきあやしい?? )。

すると玄関には脱ぎ散らかした靴が2足。狭いキッチンでは若いカップルが楽しそうに料理しているではないか・・・。いや、それは別にいいんだよ(靴は揃えろと心の中の姑が怒っているがな)。ただ、残念なことにダイニングには大きなテーブル1つと椅子2脚しかなかったのだ・・・(絶望)。

あえて密にならないように対策?

肩身を狭くしながらキッチンの電気ポットでお湯だけ沸かせてもらい、カップラーメンにお湯を注ぎ、泣く泣く部屋へと引き篭もるのであった・・・。 実はこのカップル、「お前さんたちの家なのかい・・・??」ってことを色々とやらかしてましてな。常駐しているスタッフがいない分、泊まる人のマナーがなっていないとやりたい放題だなぁ。何事もタイミングですねぇ。

切ない夕ごはん

実は旅から帰ってから気づいたのですが、前日に宿からメールで使用マニュアルが送られてきていたのです。確認してみるとなんと食は共用スペースのダイニングのみと書かれているではありませんか!申し訳ありません ・・・。これから泊まる人は気をつけましょうね・・・(言い訳すると、部屋にはマニュアルなかった気がするんだよね、たぶん ・・・あったらますますごめん)。

さて、色々と感じることはありましたが「カップヌードルまじ美味い・・・」なんてことを改めて思いながら、ふかふか広々のクイーンサイズのベッドに身を沈めるのでありました(ベッドはめちゃ寝心地よかった・・・)。 きっと明日は良いことあるよね ・・・?

男鹿での長い一日がはじまる

翌朝、7時には起きて早々と準備。外に出ると、雪は昨晩からだいぶ溶けていました。

センスのよいシックな壁色

バスに乗るために、再びキャリーケースを引きずりながら男鹿駅へと向かいます。

通りがけの建物(市役所かも)には「ナマハゲ」の看板

この日の一番の問題はキャリーケース問題。宿が無人だったので預けることもできず、男鹿駅にはコインロッカーもありません。駅内の観光案内所の営業時間(9時〜17時)内であれば預かってもらえるのですが、わたしがこれから乗ろうとしてるバスの時間は8時50分なのである・・・。

千羽鶴までナマハゲ!??

実はお土産こけしパラダイスな男鹿駅。駅内のあちこちで発見!一時期骨董市などでお土産こけしを集めるのが趣味だったので、めちゃくちゃツボでした。

2枚目は観光案内所のお土産こけし展示コーナー

そうこうしているうちにもうそろそろバスの出発時間。乗り場に向かおうとすると、観光案内所に人の気配が・・・!慌てて事情を話してオープン前だけど荷物預かってもらえることに!やったーーーーー!!!これから向かう場所でも預かってはもらえたけれど、ここで預かってもらった方が身軽に動けてめっちゃ助かる。ありがとうございます!!(実はちょっと期待してた)

受付にもお土産こけし

なまはげシャトルに乗って

今日はなんだか良いことありそう!!(単純)

予約してたちっこい乗り合いタクシーなまはげシャトルに飛び乗り出発です!!!

同乗者には外国人観光客の姿も

朝ごはんには木村屋(横手市)の「かまくらペルル」。 バターサンド?めちゃ美味しかった!可愛いし最高!!

民俗行事としてのナマハゲに会う方法

ところで今日は12月31日。つまりは大晦日。もうおわかりですよね・・・?わざわざこの日に男鹿を訪れた理由はただ一つ。「ホンモノ」のナマハゲ(いわゆる「観光ナマハゲ」ではなく大晦日の夜に訪れる民俗行事としてのナマハゲ)に会うためなのだ・・・!!!

実は事前に役所に電話で尋ねたところ、観光客には各集落のナマハゲの準備が行われる時間や場所等は教えられないという回答・・・(悲しみ)。ただ、その場で直で聞いてOKであれば見学できるという風に教えられ、もうこうなりゃ当日に突撃するっきゃないと男鹿行きを決めたのが旅の約2ヶ月前。その後、ありがたいことに秋田在住のフォロワーさまの協力もあり、確定ではないけれどもしかしたら一番会いたいナマハゲさまの追っかけをできるかもしれない!!その知らせが届いたのが東京から秋田への夜行バスの中というギリギリの状況でした(ハラハラドキドキ)。まだ会えるかわかんないけど行ってみればきっとなんとかなる!!!そう、わたしの根っこは楽天家なのだ。

なまはげ館

「ホンモノ」(なんていうのが正解なのか、むずかしい)のナマハゲに会う前に、まずはお勉強をせねばなるまい・・・。そう思って訪れたのは、男鹿駅から乗り合いタクシーで約20分。男鹿市は真山地区にあるなまはげ館でした。

なまはげ館

受付で「なまはげ館」とお隣の「男鹿真山伝承館」の共通券(1,000円)代を支払うと、まずは伝承館の開始時間を案内されます。伝承館ではここ真山地区の大晦日の夜に行われるナマハゲ行事を再現!なんと大晦日じゃなくても疑似体験できるのです。開始時間まで少し時間があったので先に「なまはげ館」を見学することにします。

百花繚乱!「なまはげ」勢ぞろい

民俗行事に興味のない人でも日本人なら誰でも知ってるんじゃないかってくらい超有名なナマハゲ。「泣く子はいねがー」と怖い顔した鬼が包丁を振り回して子供が大泣きする映像を見たことがある人も多いのではないでしょうか?

誰もが思い描く「なまはげ」の見本のような「なまはげ」

きっとこの姿が誰もが思い描く「なまはげ」像。・・・そんなあなたにこちらをお届け!!!

わたしには「チョベリバ〜!!」って言ってるヤマンバギャルにしか見えないんだ・・・

こんなにバリエーション豊かなの・・・!人間の想像力が爆発したかのような面の数々。こうしたらもっと怖いんじゃないか?って言いながらどんどんエスカレートしていった様子が目に浮かびます・・・。
迫力満点の面に目が行きがちだけど、中には木の素材を生かしたこんな素朴なものもあったりして・・・。笑ってるし、角というよりも耳みたいだし・・・。

実はこの子が一番好きだったりする。可愛い・・・

これらは男鹿市内各地で使用されていた「なまはげ面」たち。約60地区の面が展示されていて、その数は150を超えるという。興味深く眺めていると、あちこちで面が写真に挿げ替えられていることに気付きます。

こ、これは・・・!!!

今日が大晦日だからですね・・・!!???(興奮)

そう、今夜実際に使うから一時的に展示されていないのです・・・!!!(心の中で鼻血ぶしゃー!)

聞いたところによると、面は1月1日の午前中に各集落に取りに行き、夕方には再び設置設置されるとのことでした。 ここが保管場所でもあるんだね〜。

男鹿のナマハゲとは?

そもそもナマハゲとはなんぞ?という方のためにわたくしめの付け焼き刃の説明をば・・・。文字で説明されてもぜんぜん頭に入ってこないよ・・・!!!(わたしもそう)という方にはこちら(ピョーンと下に飛びます)にとても素晴らしい講座(無料動画)がありますのでどうぞご覧くださいませね。

ナマハゲは年の節目にやってきて人々の怠け心を諌め、無病息災、田畑の実り、山の幸や海の幸をもたらす来訪神。もともとは小正月(1月15日)の行事で、現在では12月31日の大晦日に行われています。2015年度時の調査では85の集落で行われていたようですが、2023年時には70近くに減っているもよう。2024年はどうだったのでしょうか・・・。

菅江真澄の描くナマハゲ

男鹿のナマハゲの一番古い記録は江戸時代の紀行家である菅江真澄による「雄鹿乃寒かぜ」。そこには現在と同じように包丁を持った鬼の姿をしたナマハゲや(左下にはひょっとこ面)、ナマハゲに餅を差し出す家の主人、衝立の後ろに隠れる母親と子供が描かれています。つまりこの時点で現在のナマハゲの形が確立されているということは、それ以前から行われていたということ!たかまるぅーーーっっっ!!

「なまはげ館」展示より。菅江真澄は東北に興味が出てきてから色んなところで出会います。その生き方は全旅人、フィールドワーカーの憧れ・・・?
ナマハゲの起源

ナマハゲの起源には「山の神説」、「修験者説」、「漢の武帝説」、はたまた「漂流異邦人説」など諸説ありますが、いずれも確証はなくてすべては謎。ただ、男鹿半島は古くから海との結びつきが強く、日本海を行き交う人々にとって航海の目印だった真山や本山は神の宿る場所であり、信仰の場として栄えて多くの修験者が生活していたそうです。ナマハゲはその真山・本山の神々の使者で、大晦日の夜に山から里に下りてくると言われています。

男鹿で実際に使用されていたと思われる「丸木舟」
「ナマハゲ」の語源は「ナモミ剥ぎ」

菅江真澄の紀行文では、ナマハゲのことを「ナモミハギ」と紹介しています。「ナモミ」(方言)とは冬に囲炉裏で長く暖をとっているとできる「火型(火斑)」のこと。怠け者にできるこの「ナモミ」を剥ぐから「ナモミハギ」。つまり、ナマハゲの持つ包丁はこの「ナモミ」を剥ぐためのものなのだ・・・!怖すぎる〜!!わたしが男鹿に住んでたら絶対ナモミだらけだしめちゃくちゃ剥がされて血みどろだし・・・!!!語源を知った瞬間、その様子をぶるぶる想像してしまいましたね・・・。

秋田をはじめ、全国に分布する来訪神

実はナマハゲに似た来訪神は、男鹿の地域だけでなく秋田県の海沿いをはじめ全国に分布。そのいくつかは「来訪神:仮面・仮装の神々」としてユネスコ無形文化遺産にも登録されています。以下はわたしが実際に見学させていただいた有名どころの来訪神たち。

甑島のトシドン(2017年)

悪石島のボゼ(2022年)

宮古島のパーントゥ(2024年)
まだブログに書けてないので、年末年始旅ブログを書き終えたらどうぞわたしの尻をたたいてくださいませ・・・

秋田県内だけでも、「ヤマハゲ」、「ナゴメハギ」、「ヤマハゲ」等、様々な名前で呼ばれています。ちなみに今わたしが秋田でめちゃくちゃ気になってる来訪神はこちら。

桟俵を使った面!(「なまはげ館」展示より)
特に三つ編みみたいなアンテナ生やしたチャイナ風味の右側の子がすきぃぃぃ!!!ほんとキャラ立ちしすぎだよ・・・

一番行きたい地区のは現在でも小正月に行われている行事らしく、調べてみるとむこう数年は平日開催でなかなか行けそうになくて悲しい。でもいつか必ず行く、行くんだからな・・・!!

なんて素晴らしきナマハゲ講座

ナマハゲ解説長すぎて読めないよ!ぜんぜん頭に入って来ないよ!!って方にはこちらの講座(無料動画)がとてもオススメです。

「神々と生きる町、秋田の民俗学入門~ナマハゲはどこから来るか~」

講師/齊藤 壽胤氏(秋田県民俗芸能協会会長)

旅の前にタイムリーに公開されていたので、こちらを見てから旅にのぞみました。ナマハゲに限らず秋田の色々な伝統行事を見ることができておもしろーい!!先ほどわたしが行きたいと言ってた地区の行事も紹介されています(さて、どれのことでしょう?)。

あなどるなかれ、男鹿真山伝承館

そろそろ伝承館でのナマハゲ再現が始まる時間。なまはげ館のお土産コーナーは最後のお楽しみにすることにして、お隣の伝承館へと急ぎます。

伝承館の建物はなんと築100年以上経っているという男鹿地方の民家を移築したものだから雰囲気満点・・・!!

素敵な時計もありました

中にはすでに多くの観光客の姿がありました。一日に何度も行われていますが、どんどん人が多くなるそうなので早い時間がオススメです。

最初にナマハゲについての簡単な説明を聞いてから大晦日の夜の再現がスタート。まずは「先立(さきだち)」と呼ばれる者が、ナマハゲが入っても良いか確認するためにやってきます。この時、家に不幸があったりするとナマハゲは入ることはできません。

左が家の主人。右が先立

OKが出たところで「ウ゛ォーーーッ」と野太い奇声をあげてナマハゲさまがご登場・・・!!!

ナマハゲさま、観光客が座ってる真後ろの障子をバーン!!!と開けて入ってきたりと超ノリノリ。カメラ構えてるとめちゃくちゃ近寄ってきてくれるしサービス精神も旺盛です(ありがてぇ)。その完成されたナマハゲパフォーマンスに感心してしまいました。

うひょーーー

ひと通り暴れたあとは、用意された立派なお膳の前に座って海の幸山の幸、お酒をいただくナマハゲさま。この間にナマハゲさまと主人の間ではおきまりの問答が繰り広げられます。ちなみにお酒は行く先々で振る舞われるので、最後はぐでんぐでんになるそうです。酔っ払ったナマハゲさま見たーーーい!!!

海の幸山の幸(もちろんこちらはフェイク)

ナマハゲさまはただ暴れたり問答するだけではありません。その所作にも色々と決まりがあって、面白いのが要所要所で四股を踏むこと。四股を踏むのは邪気を払うためで、まず最初は家に入った時に7回、次にお膳の前に座る前に5回、立ち上がる際に3回と決まっているのだって。おもしろーーーい!!!

7・5・3て数字になんか聞き覚えがあるなーと思ったら七五三?(子供の成長を祝う行事)この数字にどんな意味があるの?有識者教えてーーー!!!!!ちなみに四股を踏む動作については以前十五夜ソラヨイのブログに書きましたので興味のある方はどうぞ。

四股を踏むナマハゲ

そして最後のひと暴れをするナマハゲさまズ・・・!!!

きたきたきたーーー!!!

こちらの真山地区のナマハゲ面の特徴は角がないこと。一番古い形なのではないかと言われているんだって。

みんなわちゃわちゃ楽しそう

「来年もまた来るぞ!」

そう最後に言い残して去るナマハゲさま。

ナマハゲさまが去った後にはケデ(衣装)から落ちたたくさんの藁が・・・。これにはもちろん無病息災などの御利益が・・・!!

藁を拾う人々

約20分ほどのナマハゲ再現はあっという間!「ただの観光ナマハゲでしょ?」なんて侮るなかれ(いや、侮ってたのわたしでした、ごめんなさい)、めっちゃ楽しいから!!!ぜひ体験してみることをオススメします。

伝承館で再現される真山地区のナマハゲ問答の流れはこちらに詳しいので興味のある方はどうぞ。

最後は深々とお辞儀して送り出してくれました

真山神社

お次はちょっと歩いて真山神社へと向かいましょう!

すべーーーる気配むんむんの溶けた道路

おそるおそる歩いて数分の場所にある真山神社へと到着。ここでは毎年2月上旬、大晦日のナマハゲ行事と1月3日に真山神社で行われる神事「柴灯祭(さいとうさい)」を一度に見ることができる観光行事「なまはげ柴灯(せど)まつり」が行われることでも有名です(一度で二度美味しいやつだ)。

どうやら登山道にもなっているらしい。

「真山」と「本山」の位置関係がやっとわかった

門の両脇には江戸時代中期作という仁王像。

上部にはナマハゲが描かれた奉納絵馬も。昔の千社札を見るのも好き〜

刃物の奉納物も!

門を抜け、階段を登り、社務所を通り過ぎ、まずはお参りいたしましょう。

端正な階段

絵馬にもナマハゲ

さらに左奥へと続く石で積まれた階段があったので、おそるおそる雪に注意しながら登ってみることにします。


薬師堂

どうやらこちらは薬師堂のようです。ひとめ見るなり「好き!!!」となってしまった素朴な仏さまたち。仏像も天井絵もとても古そうです。

中央の薬師如来蔵は南北朝時代の作といわれています

そして小さな堂内の右下に目を向けるとこれまた年季の入った扁額が存在感をびしばし放っておりました。

武士?絵柄が特徴的。ちょっと恐いけどひきこまれる・・・

同じく「僕だよ!こっちだよ!!」と、訴えかけてきたのは愛くるしい角大師。

もちろん見逃さないゾ! 好っきゃで!!

「うれしいな、ここ、好きだな〜」なんて思いながら、まだまだ上へと続いている石段を見つめる・・・。うん、ここまでだな。

どうやらこの奥には五社殿があったようです。どのくらいで着いたのだろう・・・

石段を下っていると、一面真っ白な雪の敷地奥にある建物が目に入りました。どうやら「なまはげ柴灯まつり」の会場にもなっている敷地で、この建物は神楽殿のようでした。そん時は全然知らなくて遠くから写真だけ撮って後で確認してみると・・・

するどい牙・・・!!!

歓喜天堂にも行きたかったのですが一体どこに・・・。あの登らなかった石段の先にあったのかなぁ・・・。時間もあまりなかったので、社務所に戻ってお守り等を物色することにします。

やっぱり角大師さまをお迎え!

そしてもちろん・・・!!!

ひとりでも!ノリノリで!!撮ってもらうぞ!!!
巫女さんありがとう

社務所向かいには和船が展示されて、「何故ここに?奉納されたのかなぁ」と不思議に思って訊ねてみると、技術伝承のために作ってもらったのだって。実際に漁には使用されてはいないけれど、真山神社の宮司さんが実際に乗って進水式を行ったらしい。素晴らしい〜。

社務所に飾られていた進水式の様子

ちょっと心残りなのが「万体仏」を見る時間がなかったこと。だって「なまはげ館」から歩いて15分ほどかかるんだもの・・・(雪道だからきっともっとかかる)。昔は真山神社の境内にあったそうなのですが、明治時代に今の場所に移動したらしい。神仏分離ってやつなのかしらね、いやぁーね。そんなわけで「万体仏」もまたの機会に・・・。

忘れちゃいけない!なまはげ館・お土産コーナー

そして最後はおたのしみのナマハゲお土産コーナーだよ・・・!!

展示を見終わった最後にあるのがお土産コーナー。ナマハゲ面を初め、お菓子やTシャツ、様々なナマハゲグッズがずらーっと並んでいます。

『人形道祖神』の本を発見!

そして昭和感あふれるグッズも・・・!!!

たまらん

悩みに悩んでお買い上げしたものたち勢ぞろいの図。(一部、別の場所で購入したものとかもあるけど・・・)

真山神社でいただいた御朱印帳は「なまはげ柴灯まつり」デザインでこれまた購入不可避でしたね・・・

特に「なまはげ館」限定という「てぬぐい」がめちゃくちゃ可愛いくてオススメです!!!てぬぐいは何枚あってもいいんやで・・・(数えたことないけど我が家にはすごい数ある・・・)

泣く子はいねがー!

ナマハゲのお勉強をして(したつもりになって)、両手いっぱいにお土産を買い込みほくほく!!!再び乗り合いタクシーに乗り込み、さらなるナマハゲを求めて街中へと戻るのでありました。

ワクワクするあまり帰りのタクシーで窓に「なまはげ」と書いてしまうの巻

■参考文献・サイト

「男鹿のナマハゲ」パンフレット(男鹿市発行)

「真山神社」パンフレット

なまはげ館|出かけませんか?なまはげに出会う旅へ

「神々と生きる町、秋田の民俗学入門〜ナマハゲはどこから来るか〜」(動画)

男鹿のナマハゲの今

実施地区の減少続く男鹿のナマハゲ 受け入れ望まぬ家増加 続く模索 [秋田県]:朝日新聞デジタル

⑤秋田・青森ひとり旅2024-2025へとつづく▼▼▼

【03】鹿児島GW帰省旅2024・桜島大正大噴火編

今回の旅は故郷鹿児島の象徴ともいえる火山、“桜島”のことを知りたくて始まった旅。今日も今日とて窓から桜島を眺めながらバスにゆられて進みます。

CONTENTS

桜島大正大噴火とは

桜島は約26,000年前の誕生以来、17回の“大噴火”を繰り返してきたそうです。一番近い時代の大噴火は大正3(1914)年1月12日午前10時過ぎから始まった大正大噴火噴火が収束するまで1年数ヶ月もかかったといいます。

垂水市牛根麓地区から撮影された大正大噴火時の桜島(解説板より)

最初、私は前触れもなく突然噴火が起きて人々が逃げ惑ったのかと思っていたのですが、大正大噴火の起きる前年から南九州では地震や噴火、地盤の隆起などの異変が起こっていたそうです。1、2ヶ月前からは井戸水の水位の変化等、数日前からは地震も頻発し、噴火2時間前には桜島の一部から白煙が上昇。これらの異変に不安を感じた島民は、現在の鹿児島地方気象台である測候所に問い合わせますが、「避難の必要はない」との返答。各集落で自主的に避難を始めたものの、測候所の言葉を信じて残った者は噴火後の避難となり、島民の人的被害は30名にのぼることに・・・。うち20名は噴火による直接的な被害ではなく、溺死で亡くなったといいます。避難するための船が足りず、地震や激しい降灰の中でパニックになり、避難しようと1月の極寒の海に飛び込み溺死した人も多かったようです ・・・。つらい。

昨日海潟の海岸から見た桜島。大正大噴火時はもちろん海潟にも被害がおよびました。桜島から海潟を経由して垂水方面に避難する人たちも多かったようです

大正大噴火により桜島の5つの集落は溶岩に埋め尽くされ、そのほかの集落の多くは火山灰に埋没、あるいは火砕流で消失。噴火開始から約8時間後の午後6時半には、桜島と鹿児島市間の錦江湾を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生し、桜島以外の地域もあわせると噴火による死傷者は171名にのぼりました。新年が始まったばかりで正月気分もまだ完全に抜け切っていない人々の身に容赦なく襲いかかる自然災害。今年の元旦に起きた能登半島地震をいやおうなく思い出してしまいますね・・・。

鹿児島市内にも裏側に大正大噴火の様子が記された「桜島爆発記念碑」があります(2022年撮影)

地震を予知するのは難しいけれど、噴火には予兆があるということを知れたのは良かった。あと、他人の言うことを鵜呑みにせず、自分自身でもちゃんと考えて判断し、行動することがいかに大事かということも痛感。自然災害に限らず、人災や、日常生活においての些細なことでも通じることだよなぁ・・・。そんなことを今回噴火について調べていて感じました。常にぼんやりしがちなので、自分の「あたま」でちゃんと考えるようにしたいね・・・。あ、脱線しました ・・・。戻ります。

牛根麓稲荷神社の埋没鳥居

まず最初に向かったのは、この大正大噴火によって埋まってしまった「埋没鳥居」。「埋没鳥居」というと桜島内にあるものが有名なのですが、実は大正大噴火によって埋没したもうひとつの鳥居が大隅半島の垂水市にひっそりと存在しているのです。

バスを降りて鮮やかな赤い花に導かれながら奥へと進んでいきます。

数軒の民家を抜けて、鬱蒼とした森に囲まれた場所に辿り着きました。

ずいぶん前に遊歩道として整備され、そのまま放置されたかのような寂しい階段を登ってきます。

地面から少しだけ顔をだした鳥居が目の前に現れました。

真ん中はまるで最初からそうだったかのように、端正な形でスライドしています

牛根神社帳によると、「鳥居石高一丈一尺五寸」(約3.7m)あるらしい。大正大噴火の降灰によって埋没し、現在は約1.45mまで掘り出した鳥居が現存するのみ。ここら辺一体は灰に沈んでしまったのですね・・・。

さらに階段を登っていくと小さな祠がありました。お参りは大事です。

一瞬曇り空に光が差してとても綺麗でした

埋没鳥居より少し手前には、桜島を遠望できる空間もありました。

ては、これからあそこへ・・・

歩いて向かいますぞ!!!

こっから「ピョーン!」て飛んでいけないかな?

歩いて桜島に行こうとしたことを後悔するの巻

さっきまでいたちょっとした森から里に降り立ち、桜島を目指して歩き始めます。Googleマップで時間を確認すると「約2時間」。いけるっしょ!やれるっしょ!!自分を鼓舞しながら歩きます。

桜島へ近づいていることを実感させる電光掲示板にも胸ときめきです。

森の上からも見えていた白い牛根大橋を渡っていきます。見渡すと海にぽつりぽつりと浮かぶ小さな船と、味わい深い建物と煙突の印象的な景色が広がっていました。

不思議な魅力

こっから鹿児島市に突入です・・・!!!

噴火によって地形が変わった「桜島口」

橋を渡ると、道路の端にゴツゴツとした岩が並べられている不思議な光景が見えてきました。

ちょっと異様な光景

ここ一帯は「桜島口」と呼ばれる場所。

なんと桜島は大正大噴火によって流れ出した溶岩によって大隅半島と繋がった“元”島なのでございます!そう、ここは噴火が起こる前、幅300〜400m、深さ70〜80mの瀬戸海峡だったのです。噴火後の約2週間ほどで溶岩により埋めたてられ、大隅半島と陸続きになったのだといいます。そんな自然の神秘が凝縮した場所に私は今立っているのだ・・・!わなわなぶるぶる・・・(ということを、その場じゃなくて今初めて知りました!!)

溶岩に埋め立てられた直後のこのあたりの写真。右側はゴツゴツとした桜島の溶岩、左側は大隅半島。解説板より

桜島を歩く歩く歩く

ついに桜島に足を踏み入れた!やったーーーー!!!

とはまだまだなりませぬ!目的地はまだまだ着かない、着かないよーーーーー!!!!!

なんで歩こうなんて思ったんだろう・・・

赤と緑の葉っぱが不思議

歩いても歩いても・・・ぜんぜん着かない・・・!!!重い荷物を持ってほぼ何もない道路を歩くのは、根性なしのわたしには1時間が限界だよ・・・。

歩きなので、降ってきても避けられませんよ?

車やロードバイクで走っていく人たちを多く見かけたけど・・・歩いている人は・・・わたしだけでしたね・・・。

あ!なんか見えてきた!!!

桜島火山展望台

とうの昔に潰れてるっぽいね・・・?(でも好きな感じよ)

「桜島火山展望台」というだけあって、桜島のもくもく感がよく見える・・・!!(あ、でももしかしたらもう少し歩いたとこから撮ったかも )

歩いて歩いて歩いて向かった先は・・・

塩屋ヶ元 退避舎・避難港

桜島には噴火の際に避難するシェルターや、避難港があちこちに設置されているのです。建物には「8」の数字が書かれています。

シェルターを通り過ぎると海面に鮮やかな緑を映した港が見えてきます。

この辺りの地区の人は、ここから避難するのね。住民は噴火の際の訓練や、学校では火山島独自の授業があったりするのでしょうか

港で休憩がてら青空ごはんするつもりが、関係者以外立ち入り禁止になっていてがっくし・・・。わいの足はもう限界をとっくに過ぎているんじゃよ・・・。

おじいさんと、古いお墓と、白い猫

仕方ないので桜島での本命だったもうひとつの埋没鳥居へと向かっていると、車で休んでるおじいさんに話しかけられました。みたところ80〜90歳くらい?ちょっと心配になるくらい。

「何しにきたの?」とおじいさん。避難港や埋没鳥居を見にきたことを伝えると、「この辺りはみんな通りすぎていくけど、昭和の噴火の土石流でできてるんだよ」と教えてくれました。

大正大噴火についてはぼんやり知っていたのだけど、昭和の噴火についてはよく知らず、その時はいまいちピンとこなくて何にも質問が思い浮かばず・・・。もしかしたら当時の昭和の噴火を経験している方だったのだろうか?貴重な話を聞けたかもしれないのに・・・!頭の回転が遅いので、こうやって事前に調べないことでチャンスを取りこぼしていくことが多い。嗚呼、もっと会話が上手な人間になりたいな・・・。

白猫さんたちにも会いました

おじいさんと別れて再び埋没鳥居に向かっていると、草がぼーぼーの空間にとても古い墓石が不揃いに並ぶ光景に引き寄せられます。気軽に踏み入れてはいけない雰囲気に息を呑む・・・。敷地の外から眺めるだけに留めたのだけれど、明治、大正の文字が見て取れます。もしかしたらもっと古いものもあったかもしれません。

古い墓石。このあたりも噴火の被害を受けているのだろうなぁ

そこに先ほど出会った1匹の白猫がとことこやってきて、お供えの器に溜まった水を飲んでいる。なんて胸が締め付けられる光景。最後はわたしを睨んでいたよ。キュン!

ふいに訪れる大好きな光景との出会い。やっぱりそんな瞬間にこそ、大好きな写真が撮れるのだ。

黒神埋没鳥居

素敵な空間に出会えたことにドキドキしながら、歩いて数分の埋没鳥居へ。

やっと本命の場所に着いた!着いたぞ!!うぉぉぉーーーーー(喜びのあまり叫ぶ)。腹五社神社内にある黒髪埋没鳥居です。

埋没鳥居の天狗の葉っぱ添え

埋没鳥居横で根を張るアコウの木にも釘付けに。火山で埋没した鳥居と、噴火を生き延びたアコウの木。時の流れと、生命力を強く感じる場所でした。

アコウの木は母校の小学校にも立派なものがたっていたので、私にとっては特別な木

鳥居があるということは、もちろん奥には拝殿があります。ちゃんとお参りしましょうね。

大正大噴火で御神体の一部は燃えたものの、無事であったものについては現在もそのまま祀られているそうです

こちらの埋没鳥居、GWということもあってかめっっっっっっちゃくちゃ観光客が多い!多い!多過ぎて!!なかなかうまいこと写真が撮れず・・・。(垂水市の埋没鳥居では人っこひとり会わなかったのに・・・)ねばって人が少ない瞬間をぱしゃり。

女性が拝んでいた祠の中では松ぼっくりがお供えされていました

昭和噴火〜黒神ビュースポット〜

実は時間との戦い・・・!!帰りのバスの時間が刻一刻と迫っていたのであった。わたしはフェリーに乗って鹿児島市街地へと渡り、そこからさらに電車で数時間揺られて実家へと帰らねばならないのだ。

ゆっくり休む間もなく埋没鳥居からちょっと離れた黒神ビュースポットへと競歩で向かいます。

桜島を歩いていると、噴火の痕跡を感じるようなゴツゴツとした岩や若い木々をあちことで見かけました

やってきたのは避難壕。

暗号のような数字はなんだろう?

この避難壕は上に登れるようになっていて、ここからは昭和噴火によって溶岩が流れた「昭和火口」を眺めることができるビュースポットにもなっています。

実はいまいちよくわからなくて、なんにも写真撮ってませんでしたね・・・。この時いったい何を見てたんだろう・・・。なぞ。

ちなみに噴火している時はこんな景色が見れるそうです(解説板より)

さっき出会ったおじいさんが話していたのはこの昭和噴火のことだったのね。昭和21(1946)年3月に起きた噴火は、爆発の規模はあまり大きくなかったものの、溶岩の流出量は意外に多く、黒神地区は全滅、有村地区はその大半を失ったそうです。今いるのがまさにその場所。あぁ、このことを知った上で、おじいさんにもっと話聞きたかったなぁ・・・。

水色の部分が「昭和噴火」で溶岩に飲み込まれた範囲。他にも文明、安永、大正時代の噴火による溶岩も。噴火の度に地形が変わっていったんだろうな(解説板より)

ちゃんぽんチャレンジ!椿の里

歩いて行ける範囲での噴火の痕跡をまわり、再び埋没鳥居の近くに戻ります。よしよし、ちょっと時間に余裕がある。これならバスに間に合うわ!よかったーーーーー。

ふと、ちゃんぽんの幟に目が止まる。

そして、中から出てきたカップルの会話が耳に入ってきたのである。

「美味しかったねー」

おいしかったねーおいしかったねーおいしかったねーーー(リフレイン )

・・・未だ昼ごはんを食べてらおらず、疲労は最高潮。バスまであと40分しかないけど・・・よし、

レッツ!ちゃんぽんチャレンジだ!!

お店にはいってドキドキしながらちゃんぽんを注文。はやく料理してほしいけどこっちの都合なのでなんにも言わずにただひたすら神に祈る・・・。どうか!間に合ってちょーだい!!!

鹿児島市ではお馴染みの大根のおつけものをポリポリ食べながら祈る

あぁっ、あと10分ほどでバスが出てしまう・・・っ(ハラハラドキドキ)というところでついにちゃんぽん様のご登場・・・!!

え、なんかおもてたんと違う!!(いい意味で )めちゃくちゃ美味しそう!!!

そして!なんと!ありがたいことに!人肌!!!!!熱々だったらもうぜったいにバスに乗るのは無理だったよ・・・っっっ。

これならいける・・・!!!(確信)

ぱくり。う、うまい!!まじでうまい!!!野菜がたっぷりなのも女子的にうれしい。味が沁みた分厚いお肉も最高。超特急でかっこみ約7分ほどで完食!おら頑張った。スープを全部飲めなかったことだけが心残りよ・・・。そして店主とゆっくりお話しできなかったことも。せっかく話しかけてくれたのにーーー。

「バスの時間があって!でもめちゃくちゃほんとに美味しかったです!!」

別れ際に店内に響き渡るように大声で告白して、バス停に猛ダッシュ!!!(今思うとちょっと恥ずかしい )

なんとか間に合ったーーー!!!ちゃんぽんダッシュ、成功です!!!!!賭けだったけど、お店に入ってほんとよかったなぁ。

桜島のほんの一部しか観光できなかったのでまた行きたい

無事バスにも乗れて余裕しゃくしゃくでフェリー乗り場に到着すると、なんと!長蛇の列・・・!!!ご、ごーるでんうぃーく・・・まじか・・・・・。出航時間が過ぎてるのにフェリーに乗り込めなくて超焦った!焦ったけど!!なんとか乗り込み出発っ。

フェリーに乗ったらアイス食べたい人間なのですが、ぐるぐる歩いて探しまわったけれど自販機が見つからない・・・。ないの?それとも見つけらなかっただけ・・・!?アイス食べた過ぎて気が狂いそうだったけど、ビタミンC摂取してなんとか気持ちを落ち着かせました・・・。

地元の友人曰く、行きの時に桜島についてから道の駅でみかんソフトクリームを食べるのかセオリーらしい。次はぜひともそのコースでゆきたい!まだまだぜんぜん桜島を見れていないので、また行きたいと思います。

願わくば、もう大噴火は起こらないでほしいね・・・。それは人間に息をするなと言っていることに等しいことなのかもしれないけれど

さて、その後は予定通りの電車にもなんとか間に合って無事帰省することができました。よかったー!

最後に

今年のブログは偶然なのか、必然なのか。火山で始まり、火山で終わるのでした。

今年の1本目。2024年1月2日に一泊二日の弾丸で訪れた火山島「竹崎島」での旅のはなし▼▼▼

ひそかに来年、一番行きたい場所も火山の島なのだ。行けるかな、行きたいな。行く、行くぞ・・・!!!(ことだまっ)

それではみなさま、今年もわたしの好き勝手な旅劇場にお越しいただきありがとうございました。良い年をお迎えください。来年もどうぞ、どうぞよろしくお願いいたします。

おまけ

帰省時に父親に連れていってもらった場所の写真をランダムに・・・。

帰りの新幹線の中では池田パンの「ジェットパン」と、海潟のキヌサヤ最中を食べて最高の〆!!!

【2024年・完】

参考文献・サイト

報告書(1914 桜島噴火) : 防災情報のページ - 内閣府

桜島の大正大噴火 - Wikipedia

30 桜島口 - みんなの桜島

照国神社近くに建つ「桜島爆発記念碑」: 鹿児島ぶら歩き

腹五社神社 - Wikipedia

【01】鹿児島GW帰省旅2024・大隅半島編

2014年の正月。長崎と佐賀の県境にある小さな火山島を旅したことがきっかけで、火山というものが少し気になる存在になりました。鹿児島出身の自分にとって一番身近な火山は桜島。でも、遠くから眺めることはあっても観光した記憶がない・・・(小さい時にもしかしたらあるかもしれないけれど)。いい機会と思い、GWの帰省ついでに桜島に寄ってから帰ることにしました。ついでに数年前に旅程を組み立てたにも関わらず、直前に熱を出して行けなかった旅の一部を組み込んで、帰省にかこつけたプチ旅行のはじまりはじまりです。

CONTENTS

長時間睡眠人間の尻を叩いて、目覚めたのは朝の5時。早朝の新幹線に飛び乗り、まずは鹿児島中央駅へ。

鹿児島中央駅前に咲くブーゲンビリアが好き

フェリーに乗って大隅半島へ

さらにバスに乗り込み、向かった先は鴨池港ターミナル。

道路の両側を彩る植物に南国を感じる

港では桜島を見つめながら釣りをする人たちの姿がたくさん

立入禁止の看板にも桜島

すでに港にはこれから乗り込むフェリーが停泊していました。

チケットを購入して、出港の時を待ちます。

かわいい「きっぷ うりば」

待合室

タイムリーに大正大噴火の企画展をやっていたらしい。そのタイトルは「シン・サクラジマ」・・・!

ここからは短時間の船の旅。

フェリーの上から眺める桜島

目的地は垂水港。鹿児島市の反対側にある大隈半島に足を踏み入れます。新幹線が通っていない大隅半島は車じゃないとなかなか行く機会がないかもしれません。

大隅半島ももしかしたら初めて!?

歩く、歩く、歩く

ここからはバスと自分の足を駆使した観光スタート!

お気に入りの土偶トレーナーを見てくれ

バスでは想像してなかった山の方に連れて行かれて下車したのは「古里」。こっから40分ほど歩くぞ!

BENCHI   CLUB

いつものように人が歩かないような車道を歩いて海を目指します。

遠くに海!

可愛らしい虫食いの葉っぱ

鋭い嘴を持ったモンスターがいた

お墓を通り過ぎ・・・

墓じまい

鮮やかな赤を通り過ぎ・・・

眩しいね

猫にじっと見つめられながら・・・

鼻の下のほくろがセクシー

GWな日の丸旗に萌えたりもして・・・

鳩が豆鉄砲なクマがぶら下がっていた

廃墟も通り過ぎ・・・

ついに辿り着いたのは海に浮かぶ神社。

菅原天神(荒平天神)

菅原道真公を祀る菅原天神でございます。

足元を見ると・・・砂鉄!集めたすぎてテンション上がる!!!

磁石!磁石をください・・・!!!

写真は人が少ない瞬間を狙って撮っているけれど、さすがGW。観光客がひっきりなしにやってきます。

まるで鳥居がゴールかのようにダッシュ!

砂浜を渡って小さな岩山へ。

茶褐色の岩に咲く野花にときめき

紐を握りしめながら急斜面を登ります。プチ修験者気分を味わえて楽しい!

登った先の小さな祠でお参り。

謎のアマビエクッキー!?

心配していたトイレも向かいの駐車場ににあってほっとしました。長時間徒歩移動は切実なおトイレ問題がありますね・・・。

たけのこちゃん。ショック!!!

再び歩いて移動開始です(近くにバスがないねん・・・なんでやねん・・・)。

やっぱり海が好きだ

耳元に花を飾った猫にも会いました

ごはん食べに行こうと某所に行ったらやっぱりGW。観光客がたくさん並んでました・・・。早々にあきらめて隣のショップに行ったら店先に亜土ちゃんみたいな可愛い絵を発見!!!

タケノコちゃん!

店内にもたくさんの絵が飾られていました。テンション上がってお水を購入するついでにお店のお爺さんに尋ねてみると、なんとこの絵を描いたご本人という!さっきも女の子に描いてあげたらしい。「わたしも描いてもらえますかー?」なんて軽く聞いてみたら、「可愛い子しか描けないんです~」って耳を疑うような言葉が・・・。マジでショックで落ち込みました・・・。この時の出来事を引きずりながら、重い足取りで再び歩き始めるのであった。

今まで忘れてたのにブログ書くために思い出して鮮やかに蘇る悲しみと殺意。言われた瞬間「可愛くなくて哀しい~」って笑いながら返した自分が今思い出しても可哀想すぎる・・・。冗談だとしても本気だとしても、女性にそんなこと・・・言っちゃいかん、いかんよ・・・。

歩く、歩く、歩く

初めて歩く道で気になるものや風景を写真におさめながら、心を慰める・・・。

古びた鳥居

テトラポッドが整列!

雰囲気のあるお宅と植物

そしてやーっと見えてきた廃墟・・・

2階にある謎の扉

室内には発光する蔦

野趣あふれるテイエム牧場温泉

・・・ではなく、その隣にあるテイエム牧場温泉。

可愛いニャンがお出迎え

地層!大地!!大自然!!!

といったような野趣あふれる温泉でとってもよかった。茶褐色の岩を加工して作られた自然の湯船。 ぬるめのお湯でずっと入れる感じで、窓からは海が見える。なんだこれ、最高のロケーションではないか。

ご主人からは浴室内の撮影許可はもらえてはいたものの、人が多すぎて残念ながら写真は撮れず・・・。地元の人たちをはじめ、旦那さんが秘湯の会に入っているという大阪から来たという女性や、登山に来たという若い女性2人組など。この場に集まった人たちで自然に始まる井戸端会議が面白かった。たくさんの人たちに愛されている温泉なんだなぁー。お爺さんもとってもいい人だったし、温泉で傷ついた心が癒されました・・・。

たけのこ爺さんのばっきゃやろーーーー!!!(今頃叫ぶ)

源泉掛け流しのお湯が外の砂浜に流れ出ていってたのでその先を見に行ってみることにします。

すると、なにがどうなってこうなってるの???というような不思議な光景が・・・!!!

神秘!

触ってみると固い。植物のようなのに石のような。これは一体どんな変化によってこのような状態になっているのだろう?自然の力って不思議だー!!

ところでテイエム温泉牧場という名前。なんで牧場?って不思議に思っていたら、もとは競馬の馬を育てる牧場があったのだとか。そんな話もお客さんが多くて伺えなかったので、今度はGWじゃなくてもっと人が少なそうな時期に訪れたいと思います。

体と心はポカポカに温まり、バスに乗って本日のお宿へと向かいましょう。

 

⑨初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024【鎌倉・後編(完)】

昨日は箱根で土砂降られたりもしたけれど、比較的お天気に恵まれていました。最後の最後に梅雨の野郎に捕まってしまうとは・・・(そーなんです、もう11月も終わりだというのにこれは今年の7月の旅なんです・・・)。バスでゆらゆら鎌倉観光に向かいましょう。

「岐れ道(わかれみち)」。いい名前!

CONTENS

杉本寺

降ったり止んだりの雨の中、バスに揺られてまず最初に向かったのは杉本寺

新緑が雨に濡れて鮮やかに色づいていた

長い階段を登ると迫力満点の仁王像が待ち構えていました。

手前の木の柵がまるで着物姿の女性の後ろ姿みたい

仁王さまズの先には苔むした階段が続いていて、ここを登り切ると正面に本堂があるのですが立入禁止。きっと危ないからでしょう。

登れない階段

ガタガタしてるし雨だと苔でつるっと滑って転げ落ちてしまいそう。でもでもとっても魅力的で登りたくてウズウズ!昔から残ってる階段なんだろうなぁー。仕方ないのでぐるーっとまわり道して本堂へ。

本堂内は撮影禁止で写真はありませんが、天井の護摩焚きで煤けた無数の千社札が迫力があってドキドキしました。

絵心経(えしんぎょう)

本堂ではとっても面白い「絵心経」という絵で描かれた般若心経を購入。お寺めぐりをする方には結構知られているものなのかしら?わたしは今回の旅で初めて知りました。

江戸時代に文盲の人のために作られたもので、今では放送禁止用語の「盲(めくら)心経」とも呼ばれています。この絵心経には「田山版」と「盛岡版」の2種類あり(厳密には他にもあるらしい)、元禄年間の田山村(現在の岩手県八幡平市)で、庄屋の書き役を務めていた善八によって描かれた前者の「田山版」が起源で、その後盛岡に広がっていったとされています。

初めて全国に紹介されたのは、江戸時代後期の医者である橘南渓によって書かれた『東遊記』。おそらく田山版と思われます。

橘南谿子 著『東西遊記・北窓瑣談』より
東西遊記・北窓瑣談 - 国立国会図書館デジタルコレクション

わたしが入手したものと比べて見るとシンプルで素朴な印象。どうやらわたしのは盛岡版で、より遊び心がプラスされてデザイン的にも完成されている!現在は田山版は途絶えて盛岡版しか伝わっていないそうなのですが、それはやっぱり盛岡版の方がより楽しくて人気だったからなんだろうなぁーと思います。

さて、我が家は浄土真宗なのですが、どうやら般若心境は唱えないらしい。「なむあみだぶつ〜」しか知らないもの。んなわけで、般若心経(正式名称は「摩訶般若波羅蜜多心経」)は馴染みがなくてちっともわかりません。

ちなみに一番最初に書かれている 「摩訶般若波羅蜜多心経」の絵心経は次の通り。 令和の時代に合わせて作ったらまったく違うものができるんだろうなぁー。

他にもいろんな絵柄があるので、盛岡版から気になる絵柄をピックアップ。まずは猿。読み方は鳴き声の「ぎゃ」。絵柄も読み方も可愛くて最高!!!

「ぎゃ」

しかもぜんぶ顔が全部違う〜!!!

「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」

日本にも江戸時代以前(16世紀)にはすでに活版印刷は伝わっていましたが浸透しておらず、版画や写しが一般的。同じ読み方でも全部微妙に絵柄が違うのだ!嗚呼、なんて味わい深い・・・。

その他にもこんな可愛らしいものがイロイロイロ。

左から「ぼじ(坊主の方言)」「さー・さつ(サーっとおしっこしてるお犬)」、「ほう(頬)」

絵心経(盲心経)の他にも盲暦などといったものもあるらしく奥が深い・・・。いつか実物を見てみたいものです。

報国寺

お次に向かったのは 「竹の寺」として有名な報国寺。入園料を払って竹の庭へと参ります。

竹林

遠目に洞窟が見えてドキドキ(近くには行けない)。昔の修行場なのだろうか?と思ったら、「やぐら」と呼ばれるお墓なのだそう。足利一族が眠っているそうです。

洞窟とお墓

雰囲気ある石仏

最初に訪れたお寺さんではまだ時間も早かったためか人も少なかったのですが、報国寺ではたくさんの外国人観光客で賑わっていました。

「みざるきかざるいわざる」。路傍の石仏にときめきます

バスに乗って再び街中へと戻ります。降りるバス停を間違えて脳がフリーズ・・・。すべてのやる気を失わせる雨、雨、雨・・・。鎌倉といえば鶴岡八幡宮。大河ドラマの鎌倉殿はわたしも楽しんで見てました!が、その鶴岡八幡宮に行く気すら失われるのであった・・・。

鶴岡八幡宮の二の鳥居。このずーーーーっと先に神社があると思われる

とりあえずお土産を買いにうろうろ。

鳩サブレ本店やRomi-Unie(ジャム美味しかった!)へ

江ノ電に乗って・・・

無事お土産も購入し、今度は江ノ電に乗って移動します。晴れてたら江ノ島にも行ってみたかったなぁー。

長谷駅に降り立って鎌倉散策開始。

いい感じの塀と看板

浮(ブイ)

事前情報で今日はお休みということはわかっていたんだけど、奇跡が起きないかなぁと真っ先に向かってみるも、やっぱりお休みでした。

close

船モチーフ。きっと好きな喫茶店だ。

船長フィギュア

美味しそう

いつか、いつか。

シラス丼を食す

あちこちで幟や張り紙で見かけて知ったのだけど、鎌倉はシラスが有名なのね?そうなのね??思考停止モードだったのでとりあえずもうどこでもいいから近くのお店へ。生シラスならどこも同じじゃろいと。外国人観光客に混じってどんぶりかっこむ。

ふつう・・・でした ・・・・・。

鎌倉大仏を見に行こう!

鎌倉といえば、鎌倉大仏ですか???

実物拝みにいくかぁーっと向かうも・・・

人ごみ!無理!!団体客にくらくらして中に入らずUターン・・・。

インバンド!インバウンド鎌倉ぁーーー!!!

を感じた鎌倉旅でした(まだ終わってない)。観光地が無理な体になってしまったかも・・・。ぐったり。

門の前の石仏がとてもよかった。それでもう満足よ

ていうか、鎌倉大仏もう見たし(飴で)。可愛い可愛い可愛いーーーー!!!!!

テンションあがったの鎌倉大仏あめ

大仏グミと湘南グミも気になる

鎌倉建築めぐり

王道の観光地巡りはやめにして、建築巡りへと繰り出します。

柴崎牛乳本店

明治22年創業の柴崎牛乳本店。当時は牧場も経営して製造販売もしていたようですが、現在は明治牛乳の販売代理店をしているようです。建物自体は昭和12年に建て替えられたもの。アールデコな意匠の門構えがとっても可愛らしい!

好き

意を決して中に入ってみるも買えないと言われたので、宅配や卸ししかしてないのかなぁ・・・?

旧加賀谷邸

牛乳屋さんからも近い旧加賀谷邸へ。お休みということはわかってたんだけど、やっぱり休みでしたね!この日は平日の月曜日。他にも色々と見学したい洋館はあったのですが、ことごとくお休みです・・・。

外観だけ楽しみましょう

旧諸戸邸

そして!わたしの性癖にギュンギュン刺さりまくったのがこちらの建物!!!

真っ白のワンピースを着た少女の姿が見える・・・(怖い話ではなくてイメージ)

ペパーミントの色合い、バルコニーの手すりの装飾・・・好きすぎる。このお家に住みたい!!広大な敷地にドドーンと建っている建物よりも、このくらいの規模のこじんまりとした洋館が大好きなのです。でも悲しいかなボロボロ・・・。素晴らしい建物なのにもったいない。

装飾のすみずみまで美しい

建築様式については以下ページに詳しかったです。

鎌倉市/鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)

内部もまた大変クラシックな意匠をとどめており、階段の親柱や手すり子、 天井コーニスの刳形や垂れ飾り、天井の中心飾りやコーニスの漆喰装飾、 各室で文様を変えるフローリングなどがそうであり、これらもまた明治でしかありえない造形である。(上記の鎌倉市HPより抜粋)

あぁ!中も見てみたいよーーーー。ぜひ修復して公開してほしいです。

旅館 對僊閣(たいせんかく)

こちらは泊まりたかった旅館。明治末期創業の對僊閣。現在の建物は昭和初期に建てられたもののようです。コロナを機に休業してたそうですが、今はどうなのかしら・・・。今回はホテルニューカマクラに泊まったので電話しなかったのですが、次回鎌倉近辺を旅する時はぜひ泊まってみたいです。

玄関を覗き見

長谷寺

旅館からすぐ近くの長谷寺へ。ここも人がいっぱい!外国人観光客いっぱい!!(ぴえぇぇーーーーん)本堂の金ピカ大仏さまを拝んですぐに出ました・・・。

かきがら稲荷大明神〜かきがら絵馬

広大な敷地内の一角にあるかきがら(牡蠣殻)の絵馬がめずらしかった。 なんで牡蠣殻・・・?と思ったら、ご本尊の長谷観音は、海を漂泊していた時に体に付着した「かきがら」のお導きでこの地に降臨したと伝えられているそうです。

牡蠣殻

お狐さんのお顔がとても可愛くて好き!こっち方面特有なの?たまたまなのか、今回の旅ではわたし好みのお狐さまにたくさん出会えて幸せでした。

かわゆい

弁天窟

同じく長谷寺の敷地内にある弁天窟へ。江戸時代から「出世弁財天」の名で世に知られていたそうです。洞窟を利用したお寺さん大好き。

わくわく

どきどき

廃棄米で作られたというミニ弁天さまが!

みっしりと

こちらの弁天さまは金運と仕事運にご利益があるそうですが、わたしは技芸上達にあやかりたいなぁ〜。宜しくお願いいたします!

やっぱり外に出れるとほっとするね

そろそろアイスコーヒーが飲みたいね!ほっとひといきつくためにカフェへ。メロンのかき氷とアイスコーヒー飲んで鎌倉フィニッシュ。

そして、再びどしゃ降り・・・。ホームから見えるホテルニューカマクラに別れを告げるのでありました。

朝はホテルニューカマクラの部屋からホームを眺めてたね

雨の飛行機

おわりに

今年は「人との縁を大事にしよう」。そんな思いを頭の隅に置いて行動していましたが、すでに11月も終わろうとしています。思い返せば、例年よりも初めましての人と交流できた1年になったのではないかなぁ。まだブログに書いていない旅ストックを今年中に放出できぬまま2025年を迎えてしまいそうですね・・・。ひとまず7月の旅を書き終えることができて良かったです(次は伊豆方面をみっちり攻めてみたいな)。このような遅筆ブログを最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!

さて、今年も残すところ約1ヶ月。今はちょっと色々とお休み中なのですが、年末年始は東北を旅する予定。ひとまずそれを楽しみに今はのんびり過ごそうと思います。

(完)

羽田空港で食べたオシャンカレーうどん

参考文献・サイト

絵心経・般若絵心経-絵で読む般若心経-盛岡系舞田屋版絵文字・判じ絵の解読【みんなの知識 ちょっと便利帳】

岩手県で300年も愛用されてきた「南部めくらもの」 - その1

絵心経 - Wikipedia

【報国寺】の歴史と見どころは?鎌倉が誇る絶景の竹林へ!|THE GATE|日本の旅行観光マガジン・観光旅行情報掲載

旅館 對僊閣 - 鎌倉タイム

⑦初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024【宮城野・湯立獅子舞編】

バスに乗り込み、数分ほど揺られてすぐに下車。遠くからわたしを歓迎しているのはトーテムポール・・・!?

ん?ちょっと待って・・・???

下!下を見て下ぁぁぁ・・・!!!

歯を食いしばり睨みつけるまなこ・・・!

ま、まさか獅子舞トーテムポール・・・???

そう、わたしは箱根町のほぼ中心に位置する宮城野で行われる湯立獅子舞を見にきたのでございます・・・!!!

CONTENTS

湯立獅子舞(ゆたてししまい)とは

湯立獅子舞は、獅子が湯立神楽を舞うという全国でも箱根と御殿場市の沼田しか残っていない伝承芸能。毎年7月15日の天王祭で、諏訪神社内の津島神社に公開奉納されています。安永5(1776)年に現在の山梨県の萓沼義兵衛によって宮城野と仙石原に伝えられ、主に天災や病気を防ぐ悪疫退散、五穀豊穣を祈る大切な行事として、今日まで舞い継がれてきました。(公式サイトより)

箱根町 [湯立獅子舞 ゆたてししまい] 国指定重要無形民俗文化財 箱根宮城野獅子舞保存会 公式ページ

宮城野諏訪神社

開始時刻も迫っていたので急いで獅子舞が奉納される諏訪神社へと向かいます。

あ!ここにも獅子舞!!!

雰囲気のある苔むした石垣沿いの道をてくてく歩いていくと・・・

獅子舞の文字が書かれた幟が

ながぁーーーーい階段が待ち構える神社へと到着!

異世界に繋がるような長い階段好きよ

階段の両側にはファニーフェイスな狛犬ズ。

お邪魔します!

長い長い階段を登り切ると、境内はすでにたくさんの人で賑わっていました。敷地の端っこに受付が設けられています。う、受付・・・。はっ!もしやこれは「ご祝儀」を渡すタイミング!?すっかり忘れてたーーーーー。

民俗芸能おっかけ初心者で周りにも詳しい人がいなかったため、その存在を知ったのはつい2、3年前のSNS。実際に渡せたのは去年のお盆旅での鹿踊が初めてでした。それ以降、渡すチャンスがなかなか巡ってこないまま早数ヶ月。今の今まですっかり忘れておったのでございます・・・。

「ご祝儀」ってなんぞ?って方はこちらをどうぞ▼▼▼

芸能居酒屋 じぶんち  第13号 「特集:お祝い」

実は昨日、下田のお寺さんで未公開の仏様たちを拝ませていただいたお礼として渡すつもりでいたポチ袋を(お寺さんでは受け取ってもらえず)、少しでも荷物を減らしたくて宿で処分してたのであった・・・。裸銭を渡すのってよくないよね・・・???そんなわけで、今回もご祝儀を渡しそびれしまいました。うぅ、スマートに渡せる日が来るのはいつになるのやら・・・。今度から旅する時は必ずポチ袋をバッグにしのばせておこう。七道具の中の一つにするのじゃ(決意)。

(後日、獅子舞を演じていた子から写真提供のお願いがあり、喜んで送らせていただきました。それがご祝儀がわりということで・・・ゆるして!)

さて、気を取り直して、湯立獅子舞が始まるまでの間、準備中の境内を見学させてもらうことにします。

さっそく社殿の床には獅子頭が並んでいてトキメキ・・・!!!

その横の小さなお社の前には祭壇が設けられ、御幣と竹で作られた「青竹幣」と熊笹(くまざさ)を束ねた「湯笹」が置かれています。これらは湯立獅子舞にかかせないもの。どのように使われるかは後ほど明らかに・・・。

 「青竹幣」と「湯笹」

「にかぁぁぁっ」と祠の両側にもファニーフェイスな狛犬さま。愛くるしい・・・

その横にいらっしゃる苔むした石の祠にみっしりお狐さまや、今日つきたてっぽい美味しそうなお餅、さらに隣にはお猫さま・・・!たまらんたまらぁぁぁーーーん!!!

猫は養蚕に関係するんだっけ?

紙垂で飾られたの四角形の縄の結界に囲まれた一角の中心には大きな釜。中にはお湯がぐっつぐっつ!!!時折勢いよく吹きこぼれます。

ぐっつぐっつ

湯立獅子舞スタート

そしてついに・・・!狼煙があがった・・・!!!

始まりの合図

小さなお社の祭壇前にみんなずらりと並んで頭を下げ、神主さまの祝詞が始まりました。

祝詞をあげる神主

それが終わるとみんなでお神酒ごきゅり!

まずは社殿で獅子舞が始まります。とてもかっこいい!!

グリーン×オレンジの配色は大好物

湯立獅子舞に参加する会員たちは1週間ほど前から一切の不浄を経って、前日は全員が社殿に籠もって何度も水垢離(みずごり)を取って身を清め行事に臨むそうです。すごい・・・。そして獅子舞を舞うのはまだ若い男女であることにも吃驚。古くから地元で受け継がれている伝統芸能を若い人たちが担っていることをとても頼もしく思いました。

社殿での舞が終わると今度は外で始まります。

まるでマタドールにも見える

特等席で見られてしあわせ

こちらの獅子舞を見て面白いなぁと思ったのが、2人で布の中に入って舞うバージョンと、頭が獅子で体は人の半人半獣バージョンの2パターンあるということ。

布の後ろ側に入っていた人が出て、布をねじねじ。

ねじねじねじ

それをくるっと首に巻きつけ、半人半獣の獅子の完成!!後ろの人はまるで黒子(隠れてないけど )のように獅子にくっついて一緒に移動します。

メジャーリーガーにも見えてきた

実はわたくしこの頭が獅子で体が人のお姿が大好きでしてね・・・。この獅子舞に限らず、なぜか昔から半人半獣の姿にときめいてしまうのです。

手元をよーく見ると・・・印を結んでる!!!

ポーズの一つ一つに意味があるのでしょうね。気になる・・・。

すると今度はシャンシャン音の鳴る道具と刀が登場。 この舞がね・・・めちゃくちゃかっこよかったんですよ・・・・・。

任侠映画にすら見えてきた

右手と左手を別々の方向に動かしながら(わたしなら混乱して一緒の方向に突き出しちゃう自信ある)、社殿をぐるーっと一周するのを繰り返します。

よーく見ると、カラフルなお団子してるみたいで可愛いね

次はふたたび体も獅子の姿に戻り、次の舞がスタート。

躍動

宮舞、平舞、剣の舞、行の舞という4つの舞が行われた後は、入れ替わりで獅子を演じていた男女総動員で舞いながら煮え立つ湯釜へと向かいます。

ついにこの時が・・・!

獅子様の背後に回ってもっと間近で見たかったけど、なかなかいけるタイミングがなくてほぼ同じ場所からの鑑賞になったことがちと悔しい

ここまではおそらくさっき見た舞と同じ(たぶん)。お次は祭壇に置かれていた「青竹幣」を手に取って釜の前へ。

写真を撮っていると、「空間に“風”の字を書いている・・・」とかなんとか面白そうな話が後ろの方から聞こえてきて、え!なにそれ!って思ったけどよく聞こえずその理由とか聞き漏らしましたよね・・・。

最後は湯の中にぐるーりぐるり。ゆっくりと回し入れます。

そしてお次はわっさわっさ束ねられた「湯笹」を手に取り湯の中へ・・・。湯笹を手にしたまま本殿や境内の各祠へと駆け足で向かう獅子。

大忙し!

そしてみんなのお待ちかね・・・

「湯花」大盤振る舞いタイムだよぉぉぉーーー!!!

 この「湯花」を浴びると一年無病息災になるんだって (熱いのかと思ったらちっともそんなことなくてほっ)。最近ちっとも病気にならないのは全国各地の祭祀祭礼を巡ってご利益を得まくってるからなのでは・・・???

ところで肝心の・・・お獅子さまが湯を放っているところを撮り逃したポンコツのわたくしです・・・。つらい・・・。

そして再び舞が行われ・・・

後ろ姿もよき

最後の最後、社殿で締めの舞。

かわいいお顔。やっぱりお団子してるように見える

獅子舞の最中、時折小雨が降ることはあったけれど、なんとか持ち堪えていたお天気。最後の獅子舞が終わるや否や、とんでもないごごご豪雨!!!雷鳴もーーーーー!!!!!

もう激しく吃驚。こんなことってあるのね・・・!??舞の音とか、大気を震わせた関係で雨が降るとか??科学的に検証したら何かあったりするのかしら・・・。

土砂降りの雨でも燃え続ける炎

その場にいた関係者の方に興奮しながら尋ねると、「実はよくあるんですよ。神さまごとだから・・・」と。人智を超えた存在というものが本当にあるのかもしれない・・・そう感じた瞬間でした。

水に濡れて青々としている「湯笹」

土砂降り中だけど、バスの時間が近づいていたので、濡れることを覚悟して神社を後にします。階段転げ落ちそうで怖かったね・・・。

狛犬たちもびしょ濡れ。でもニンヤリ顔は変わらず・・・

するとバス停に着く頃には雨も控えめに・・・。うん、そういう運命だよね。もっと待ってればよかったな・・・・。

行きは情緒あるロマンスカー。帰りはバスで小田原駅にひとっとび!箱根では渋滞に巻き込まれてひやひやしたけど、それを抜けてしまえばスムーズでとっても楽でした。でも、急ぎでなければロマンスカーで訪れることをオススメします。めちゃ楽しかったから!!

バスの中から

駆け足の箱根滞在ながら、ご利益のありそうな金精温泉にレトロ可愛いレモンパイ、湯立獅子舞とバリエーションに富んだ愉快なひとときを過ごすことができました。今度はまるでジョンレノンとオノヨーコのようなカップル(死語)でのんびりゆっくり訪れたいものですねぇ・・・(遠い目)。

■参考文献・サイト

箱根町宮城野木賀観光協会 イベント【宮城野 湯立獅子舞】国指定重要無形民俗文化財

⑧初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024につづく▼▼▼

④初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024【ペリーとアロエとお狐の街、下田編】

朝はちょっぴり寝坊したので、のんびり出発することに。目指すは伊豆方面。横浜から始まった旅は、どんどん南へ・・・。

熱海駅へ向かう途中で買った柑橘入り杏仁豆腐で朝ごはん

向かった先はハトヤホテルな伊東?まぼろし博覧会??それとも熱川バナナワニ園???

いいえ、ちがいます(でも、どれもいきたい)。

熱川駅では車窓から湯煙がもくもくと立ち上る景色が見えて、思わず降りたくなりました。熱川、いつかぜったい行く

一番最初に旅程を組み立てた時にはこれらの候補があがっていたのですが、とある大事な任務を遂行するために到着したのは伊豆急下田駅でした。

CONTENTS

伊豆急下田駅

ペリーが初めて来航(黒船来航)したのは現在の横須賀市。その後現在の横浜市で日米和親条約が結ばれ、さらに交渉の場を下田に場所を移し下田条約が結ばれたのでございます。もちろん知ったかぶり!義務教育で習ってるかもだけどすべて忘却の彼方。今回調べて初めて知りました。残念な我が脳みそです・・・。

駅前には黒船。今年で下田開港170周年なんですね

時計を見ると11時半前。お昼をとるのにちょうどいい時間です。下田の町をてくてくしながら、まずは喫茶店へと向かいましょう。

港町であることを感じさせるお宅にキュン

邪宗門

寄り道しながら到着したのは昭和41年に開店した邪宗門(じゃしゅうもん)。なまこ壁が印象的な建物は江戸末期の船大工の手によるもの。船底を逆さにした屋根の中央には竜骨(船底中央に伸びる木材)が貫いているそうです(訪れた時には船大工による建築とまったく知らなかったから確認できなかった・・・!無念)。

なまこ壁が印象的

「邪宗門」は、一人の魅力的なマジシャンが戦後間もなく吉祥寺にお店を構えたのが始まり。その人柄に心酔した常連たちが次々に同名のお店を構えていったそうです。様々な理由により閉店していき、現在残っているのは5店のみ。この下田の邪宗門もそのうちのひとつです。

以下の記事よりまとめました▼▼▼

レトロ喫茶「邪宗門」 語り継がれる物語 - 日本経済新聞

東京に邪宗門という喫茶店があることは知っていたけど、こんな魅力的な歴史があったとは・・・。

中に足を踏み入れると、木のぬくもりを感じる落ち着く空間が広がっていました。

命の水

店内は様々な古道具で飾られています。

かわいいネコのイラストも

船大工による建物らしく、船にまつわる道具もちらほら。

船のコンパス

トイレにはこんなプレートも

とりあえず喫茶メニューの中で一番食事っぽいハニーバター・トーストと珈琲を注文。他にも開店当時から変わらない味というクリームゼリー(メロンゼリーとバニラアイス!メロンゼリーというのがたまらないね・・・)や美味しそうなケーキが色々あってとてつもなく悩みました・・・。

そして運ばれてきたトーストには、蜂蜜にシナモン。そして極めつけのアイスクリーム・・・!朝から杏仁豆腐しか食べていない胃袋に染み染み染み込んでいきます・・・。

美味しくないわけがない

とても・・・とても居心地がよかったんですよ・・・・・。まだまだこの空間を味わいたくて、追加でチーズケーキも注文してしまいました。

美味しかった!けど時がたちすぎてどんな味だったかは忘れた・・・!

ゆっくり、のんびり・・・しているのには、実は理由があったのです。とある任務のために訪れた下田。それは人と会う約束をしていたからなのである。ご存知の通り人見知りのワタクシ。じわじわ・・・しわじわと緊張が高まっていく。

嗚呼、もうどこにも行きたくない・・・ここにじっとしていたい・・・。そんな強い思いにかられますが、夕方には下田を離れなければなりません。貴重な下田散策の時間を逃してはならない。心を決めて外に飛び出します。

邪宗門の近くにも立派ななまこ壁のお宅がありました

海を見つめるお狐さま

約束の時間まであと数時間。下田といえばペリー!ひとまずペリーに会いに行ってみよう・・・!!Googleマップが示す道とは違ったけれど、遠くに海が見えたので自然とそちらに足が向かってしまいます。そう、海育ちのわたしは海が大好きなのだ。

とっても好きな雰囲気の港。こういうなんてことない風景にキュンとするんだよなぁー。ふと、道路に顔を向けると鮮やかな赤が目の端に飛び込んできました。

お稲荷さんだ!

もうね、その風景に胸を鷲掴み!海と鳥居。住んでる人たちの生活の中にある小さな神社。・・・もう100点満点だよ!!!キュンキュンしながら中に入ると、てっきり恵比寿さまとか海に関係する神様かと思ったらお稲荷さん。

とてもとても小さな神社。旅の安全祈願と写真の撮影のお願いをとりつけます(一方的に)

しかも、大好き!大好きなお狐さんがいらっしゃったの!!!

昭和6年生まれのお狐さまでした。海を眺めている姿もツボ

こういう偶然の出会いにしあわせを感じるの・・・。それを求めているの・・・。さっきまでの緊張が嘘のよう。この子たちをみつけた瞬間、喜びと興奮で満たされてしまいました。そうか、体を動かしていた方が気が紛れるのか。知らない土地を散策するのたのしい・・・!!!

とっても好みのお狐さまに出会えて多幸感に満たされながら、寄り道しつつ再びペリーを目指します。

こんな風景も好き

1829年製の大砲!?

鬼百合が鮮やかに咲いていた

増殖するアロエとペリー

ついにペリーとご対面だ!

ペリー!

そして、アロエ・・・!!!!!

好き・・・

ペリーよりもこ化け物みたいなアロエ越しの海と山の景色に心を奪われてしまいました・・・。目の前の「寝姿山」(右手)や「下田富士」(左手)は、かつて火山の地下にあった「マグマの通り道」が地上に姿を表した「火山の根」だそうです(解説板より)。

下田の街と「火山の根」

火山、怖いけど、詳しくないけど、興味のある分野です・・・。

ペリーロードを歩く

近くにはペリーロードと呼ばれる通りがあって、川沿いには情緒ある建物が連なっています。この通りをペリーが下田条約締結の場である了仙寺まで、大砲をひく水兵約300人を先頭に軍楽隊の演奏とともに行進したといわれています。

ペリーロードで蜻蛉が休んでいたよ

青島理容室

ペリーロードから少し脇道にそれたところにある青島理容室。なんとあの三島由紀夫がここで髪を切ってもらったらしい。店先のガラス窓には三島由紀夫に関する記事やサイン色紙が飾られていました。

色紙には昭和44年8月2日の文字

ペリーロードの最終地点あたりには、明治時代の橋も残されています。わたしは小さな昔の石橋にときめいてしまうんだ・・・。

そしてここにも増殖するアロエが!

了仙寺

橋を渡った先にあるのがペリーが条約を締結しにやってきた了仙寺。そんな歴史あるすごいお寺さんな上に、本堂奥にはなんと古墳まであるという・・・。

 了仙寺横穴遺跡

ただものではない感で満ちあふれてる了仙寺を後にして、愛しいあの子をお迎えしに参ろうぞ。

愛くるしいキューピーに会えるお菓子店

訪れたのは雑賀屋(さかいや)さん。

入口の貼り紙からしてもうたまりません。

メジェドのメ・・・!??

好き!好き好き好き!!

江戸時代の終わり頃からのお店で、安政時代の看板が残っているらしいです。最初は明治時代に砂糖とかの卸業(?)を営んでいたとか。相変わらず記憶力&理解力がなくて聞いた側から忘れていくので間違ってたらごめんね・・・。

キューピーサブレの他にもたくさんの商品が並んでしました。可愛いし美味しそうだし、しかもどれも安い!!

「メジェドのメ」を撮り忘れた・・・!目の形をしたスパイスのきいたクッキーとのことでした。なんでこれをモチーフにしたのかとか色々聞いてみればよかったな・・・

なのに、なんでなんで少ししか買わなかったのーーー!!!毎回いく先々で控えめに買ってしまって後で後悔するのよね。買いすぎくらいがいいのかもしれない。これからはそうする!

キューピーサブレはめちゃくちゃ可愛くて美味しかった!

お土産と自分用に購入。飴は昔ながらの製法で作っているらしい。黒玉を人にあげたらとても美味しかったそうです。ニッキ飴はピリピリと刺激が強くて癖になる味でした

そして、ついにその時がやってきた・・・。

了仙寺、再び

向かった先はペリーロードの終着地点、明治時代の橋を抜けた先にある了仙寺。あれ?さっきも行ったじゃん!なんで戻ってきたの・・・??

瓦に刻まれた「磊」の家紋がおもしろい

それは!公開されていない秘仏コレクションの一部を拝見させていただくためなのである・・・!!!

了仙寺のご住職と会う約束を取り付けていたのでした。

『へんな仏像』

ことの始まりは数年前に購入した一冊の本でした。

『へんな仏像 由来も形も不思議な神仏たちの大図鑑!』 | 学研出版サイト

この本に載っていた「性神」にスポットをあてた数ページに釘付けになったのだった。中でも興味深く感じた像たちの所蔵先を確認すると「了仙寺秘仏コレクション」の文字が。いつか、いつか絶対見に行きたい・・・。そのように思って、だいたいの場所だけを記憶に刻みつけていたのです。そして今回、唐突に思いついた神奈川&静岡旅。了仙寺秘仏コレクションのことを思い出したのでした。

ネットであらためて調べてみると、以前は宝物館で展示されていたことは確認できるものの、MoBS黒船ミュージアムとして2016年にリニューアルされてからは情報がとんと出てこない。もしや公開されていないのでは・・・?よし、わからないなら問い合わせてみよう!それで公開されてなかったら諦めよう!そう思ってスッポンパワーで問い合わせたところやはり非公開・・・。だけど!なんと!!見せていただけるというではありませんか・・・!!!!!

今は研究者たちにのみ公開しているという秘仏クレクション。何者でもないわたしに見せても大丈夫なんですか・・・???不安で仕方ありません・・・。そんなこんなで旅立つ前からドキドキ。何か失礼があったらどうしよう。不安になりながら向かったのでした。

そしてついに到着した了仙寺。目の前に現れたのは・・・・

救急車と警察・・・!??

一体なにがあったの・・・???もう約束の時間だけど本堂に近寄れる雰囲気じゃない・・・。とりあえず敷地内の黒船ミュージアムで事情を尋ねることにします。

MoBS黒船ミュージアム

館内に入った目の前で出迎えてくれる巨大なペリーさんのお顔(ここのみ撮影OK)

どうやら観光客のひとりが昏倒してドクターヘリで運ばれていったらしい。幸運なことにすぐ近くに病院とヘリポートがあって、しかも倒れたその場にお医者様もいて応急処置もされたとか!そんなラッキーなことってある!?仏様のご加護だね。きっと、助かったはず・・・そうであることを願います。

そんなわけで、約束していたご住職は事情聴取があるとのことで、それが終わるまで待つことに。えーっと、わたしやっぱり何か憑いてるんですかね・・・??

とりあえず展示を見ながら待たせてもらえることになりました。これが小規模ながらめちゃくちゃ面白くて、地図の形が人で表されていたり、 ユーモアのある絵がたくさん!すべて黒船の絵に関するもので、約3000を超える収蔵品があるというからすごい。

ミュージアムショップでは団扇を購入。表はペリー、裏は黒船。自分へのお土産に

そしてついにお呼びがかかります。どうやら事情聴取が終わったようです。ドキドキドキ。ご住職とご対面です。

了仙寺秘仏コレクション

メールでやり取りしてはいましたが、かくかくじかじかと事情を説明し、全部で6体の像を拝見させてもらえました。 製作された年代は不明で、ざっくりとした時代くらいしかわからないらしい。それぞれの像が収められている箱も面白い形をしててとても興味深かった。撮影させてもらったものの掲載許可はとってないのでここに載せることはできません・・・。すべて先に載せた本に載っているものなので、興味のある方はぜひ。現在は絶版ですが中古で安く購入できるようです。

が、せっかくなので、へっぽこ絵師さろめり(わたし)に描いてもらいました!

厨子入り稲荷神。 思ったよりもうまく描けたのでは・・・?

収蔵品を見せてもらいながらお話を聞かせてもらったのですが、研究者から問い合わせが来たのは10年に2回ほどらしい(何者でもないわたしがそこに追加ということですね・・・)。大学等でぜんぶまとめて引き受けてくれるならありがたいとも。どなたか、ぜひお願いします!そしてどこかに展示、もしくはデータ化して公開するとか、本を出すとかしてほしい・・・。

ちなみに伊藤晴雨の地獄絵図も10枚収蔵しているらしいぞ。うぅ、見たすぎる・・・。先代が親交があったらしい。すごいなぁー。さすが歴史あるお寺だ。

そんなわけで、秘仏コレクションは現在はミュージアムでは非公開。実物を拝んでみたいという方は、ぜひ問い合わせてみてください。写真を使用する際には企画書を提出し、掲載許可が必要になります。誤解されることの多い対象なので、慎重になっておられるようです。祀っている人は真剣なのだから、秘宝館的なイロモロとして扱われることを危惧しているのでしょう。これらは役目を終えた信仰の対象。ここに保管されてる以上、そうでなければならない (確かに、信仰の対象であるなら今も人々のそばにあるべきだもんね)。だから資料として提供する。仏に仕えている身であるからこそ出てくる言葉だなと感じました。

わたしもいつかテーマにそった本を出す機会ができた時にはまた連絡させてもらおうと思います。その日まで写真は温存。いつか、いつか・・・。了仙寺さま、貴重な時間を割いていただき本当にありがとうございました!!!

重大な任務を無事終え、心は晴れやか・・・!心でスキップ踏みながら了仙寺を後にします。

近くにいい建物あった

ロロ黒船の黒船もなか

下田を去る前に、ロロ黒船へ。

可愛い名前ね

この地ならではな黒船もなかをゲットだぜ!!!

 その名も「開国キャラメル」

最近旅先で可愛い最中をゲットすることに燃えているワタクシです。そのおかげで生まれた時からの餡子ぎらいを克服できそうな予感・・・。苦手な餡子と大丈夫な餡子があることも判明しました。でも、今回は小豆ではなくてキャラメル味の最中!一か八かの挑戦しなくても美味しい最中にありつけることができて幸せです(お土産にオススメ)。

江戸時代から下田を見つめるお狐さま

あとは駅に向かうだけ。のんびり散策してたらちょうどいい時間になってそう。余裕しゃくしゃくで駅へと向かいます。

すると・・・

遠くに鳥居が見えます

またもや可愛いお稲荷さんを発見!!!

子持ち狛狐さま!

こちらは八重歯がキュルルン!アイドル狛狐さま

この子たちは昭和15年生まれのお狐さまでした。さらに奥に進むと・・・

だ、だだだだだだだ大好きじゃん・・・!!!

み、耳・・・!!!

特に蝉の抜け殻の耳飾りをつけたこの子が愛しすぎて・・・。首元にはダンゴムシもいるよ。ギュッと抱きしめたくなるくらい大好き。大好きよ・・・。

住吉稲荷神社の慶應元年(1865年)生まれの狛狐さまたち。なんでもこの神社は1854年の安政の大津波で一度流されているようで・・・。お狐さまたちは再建時からこの場所にいらっしゃるなかなかの古株のようでした。

『ペリー艦隊日本遠征記』(1856年発刊)に描かれた神社の絵がありました

最初に出会ったお狐さまに引き続き、こちらのお狐さまたちもとっても愛くるしくて、わたしの中で下田はお稲荷さんの街であると強烈に印象づけられたのでした(あとアロエも)。

Googleマップで検索してみると下田ではこの他にも狭い範囲にたくさんのお稲荷さんがあるみたい。お稲荷さんは商売繁盛の神さまというイメージがあるのだけれど、漁師町であったこのあたりでは豊漁祈願、海上安全のご利益で信仰を集めているそうです。九州では体感的に恵比寿さまが多い気がするので、恵比寿さまじゃなくてお稲荷さんなのがほんと不思議。地域によって流行った神様が違うのでしょうか。面白いです。

伊豆、さよならまたね

「いいね、いいね、可愛いよぉ〜」なんてなりながら夢中でお狐さまたちを撮ってたらいつの間にか電車の時間ギリギリに!!大急ぎで下田駅へダッシュ・・・!!!

なんとか間にあったーーーーー

ロロ黒船で買った爽やかゼリーで初夏を感じながら、今朝来た道をUターン!!! とっても短い伊豆滞在となったのでした。

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わたし、絶対に伊豆大好きだ。今回の訪問で強くそう感じたので、必ずや再び訪れよう。そう決意したのでした。

⑤初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

03.冬の山形ひとり旅2024【垂水遺跡編】

CONTENTS

移動開始

瀬見温泉に別れを告げ、車窓から見える雪を名残惜しく眺めながら電車は進みます。

新庄駅に着いてさらに電車を乗り換えると、すっかり雪は姿をひそめてしまいました。さみしいな・・・。

同じ車両に乗っていた外国人観光客が、日本人の乗客におそらく乗り換えについて尋ねてバタバタと電車を降りたので、わたしも慌てて下車。たぶん行き先が一緒な気がする・・・!

仙台行き

再び電車を乗り換えると、中は外国人観光客でいっぱい・・・!!日本人の方がすくないのではないかと思えるほど。外国人に人気のスポットと聞いてはいたけれどまさかここまでとは・・・。

山寺駅

瀬見温泉駅から約2時間ほどかけて山寺駅へと到着。外国人観光客と一緒にぞろぞろおります。まずはコインロッカーに荷物を預け、身軽になってから徒歩移動スタート!

山寺駅

観光客の姿もたくさん

通りには華やかさはないものの、昔ながらの土産物屋や飲食店がぽつぽつと並んでいます。

いも煮気になる

お昼の時間をとっくに過ぎていたので食べたいのは山々ですが、わたしに残された時間は少なんだよーーーーー。

憂をおびた猫

宝珠山立石寺(山寺)

駅周辺には860(貞観2)年に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が開山した宝珠山立石寺(通称山寺)があります。駅周辺・・・とはいっても「山寺」という別名の通り、東北を代表する霊山全体が修行の場。登山口から最終地点である奥之院までは約1時間ほどかかるらしい。

いい運動になりそうだ

実はこのブログを書き始めるまで、全国的にも有名な観光地であることを全く知りませんでした・・・。そう、つまりわたしの行こうとしている場所はその立石寺ではないのです。

目的地に向かって歩いていると、どんどん観光地っぽい雰囲気は消え、民家も通り過ぎ、最後には道路と川と山に・・・。

お札のようなものが落ちていた

最上三十三観音 第2番 山寺(天台宗 宝珠山 千手院)

駅から20分ほど歩いてたどり着いたのは同じく山寺のひとつである千手院。本尊である秘仏の千手観世音菩薩立像は、山寺を開山した慈覚大師によって作られたといわれています。

鳥居をくぐり階段を登ると、踏切のない線路が現れるのが印象的。

電車がこないことを確認して線路を渡り階段を登ると、ビニールに覆われたお堂の姿が。今だけこんな姿なのかしら・・・?情緒ある姿を想像していたのでちょっとしょんぼり。

旅の七つ道具のひとつを取り出す

ひとまず千手院へのお参りは後にすることにして、これを取り出します・・・。

東北旅のお守り

そう、熊鈴・・・!!!

わたしはなによりも熊が!熊が!怖いんだ・・・!!!!!

だって、ほら

冬だし冬眠してるでしょ・・・?とも言えないのが最近の熊事情。現にわたしは12月の北海道で野生のヒグマに遭遇したことがあるのだ・・・。

車の中で助かった

森を抜けた先には・・・

千手院から横道に入り、お墓を抜けて山道へ。リーンリーン!と涼やかな鈴の音を響かせながら雪が残る森の中を歩いていきます。

熊・・・こわいよ熊・・・・・

登っていくにつれて少しずつ雪が増えてきました。本当は雪が積もった状態で訪れたかったのだけど、経験値の低いわたしでは道標のない雪に埋もれた道を探し出せず、目的地までたどり着くことができなかったかも・・・。

暖冬でよかったことにする

垂水遺跡

千手院から15分ほど歩いたところでそれは姿を現しました。

生き物のように増殖しているような姿

目の前に立ちはだかる巨大な岩壁には、蜂の巣状に広がる穴。珊瑚や何かの骨のようにも見えてきます。計算されたかのように美しい。何百年、何千年かけて形作られた自然の姿なのでしょうね・・・。

大正時代頃までは実際に修行をする山伏の姿が見られたとか。熊、怖くないのかな・・・(そればっかり)立石寺を開山した慈覚大師円仁もここで修業をしインスピレーションを得て、山寺を東北における天台宗布教の拠点に定めたともいわれています。

慈覚大師円仁の宿跡と伝えられる窪み

垂水遺跡の中でひときわ美しい網の目模様が広がる中央の窪みには木の鳥居が建っていて、手前には登れるように小さな階段が掘られています。山道を歩くというのにロングスカートを履いてきていたわたくし。しかしここまで来たからには何が何でも登らねば・・・!

ちょういい大きさの窪みで落ち着く。わたしも住めるかも〜

さらに登ったところにはお稲荷さんが。

岩肌に鮮やかな赤が一際目立っていました

さらに上の方にも小ぶりの窪み

ちょうどお稲荷さんのところにいる時に下界から楽しそうに会話するカップルの気配が・・・。じっと息を潜めていたら登ってきたときにきっと驚かせてしまうに違いない。

ここに人がいるよ!!わたしがいるよ!!!わざと音を立ててアピールしながらそろそろ下へと降りましょうね・・・。

いきはよいよい、かえりはこわい。おそるおそる降りました・・・

鳥居の隣にも鈴が取り付けられた拝所があります。見事に垂直に伸びた木を見上げると、岩と岩の隙間に何かがあるのが見えました。暗がりに目を凝らすと・・・

氷柱と不動明王さまのお姿が・・・!

驚くべき信仰心。こんなところにまで仏像がいらっしゃるとは・・・。一体どうやって登ったのでしょう。

この場に限らずあちこちに氷柱があったけれど、午前中の晴天によりすでに溶け出していました。落ちてヒヤッとする瞬間も!ささったら一大事です・・・。

凶器の氷柱

北の地での冬旅は「氷柱」に気をつけろ。またひとつ学びました

実はこの垂水遺跡、立石寺からは少し離れてはいるものの、やっぱり人気の観光スポットのようで、1時間ほどの滞在中6組ほどの観光客と遭遇。荘厳な雰囲気を期待して行ったのですが、実際はワイワイしながら訪れる観光客が多く、じっくり見学することはできませんでした・・・。この時間帯だったら熊鈴もいらなかったね・・・

早朝だったら雪や氷柱もまだ生き生きとしていただろうし、感じ方もまた違ったかもしれません。だかしかし、観光客が多いということには利点もあります。

うれしい

わーい!記念写真を撮ってもらったよーーー!!!

満満満足したので、最後に千手院にお参りして帰りましょう。

地面の雪も溶け出していた

ムカサリ絵馬

実は、もうひとつ山形でとっても見たいものがありました。それはムカサリ絵馬。(いつまでたってもムカサリが覚えられない・・・カタカタ文字が苦手なのだ)

ムカサリとは山形県村山地方の方言で、「迎える」から転じて「結婚」を意味する。ムカサリ絵馬は、未婚で亡くなった人の供養のため、婚礼の様子を描いて近親者が奉納する絵馬のことである。村山地方にのみ見られる習俗で、現存する作例では明治時代後期以降のものが確認されている。

ムカサリ絵馬について|〇五 祈りの絵馬と山寺と|現代山形考 藻が湖伝説より転載

ずっと気になっていたこのムカサリ絵馬。千手院にも奉納されているという情報をネットで得たので、どうしても見に行きたかったのです。

猿が入ってくるらしい

ドアを開けて中に入ってみると、ビニールで囲まれた空間までは入れるけど、中の本堂は締め切られていて入れなくなっていました。張り紙には11月から3月までお休みと書かれています。なんということ・・・(冬期だからとか???)。

本堂の外側の壁にないだろうか・・・?探してみるけど、紙を剥がしたような跡と、「コロナ収束祈願」しかない・・・。

このお札もずっとこのまま残っていれば、何十年後には貴重なものになっている気がする

失礼します・・・と心の中で念じながら中を覗いてみるも、ムカサリ絵馬らしいものは見当たりません。見えないところにあるのか、それとも・・・。

見事な千手観音さまがいらっしゃった

うぅ、密かに大きな目的のひとつであったのでショック・・・。さらにショックを受けたのが実はつい昨日のことだったりする。ブログを書くために千手院のムカサリ絵馬について調べていたら、以下のような記述を見かけたのです・・・。

立石寺では明治二年火災で奥の院が消失しており、現存するのは明治中期のものであるが、それ以前のことは不明である。また、ムカサリ絵馬が奉納されているのは奥の院、中性院、金乗院などである。

ムカサリ絵馬 - Wikipediaより抜粋

なんと!完全にスルーしていた立石寺(山寺)の奥の院等にムカサリ絵馬が奉納されているというではありませんか・・・!なんということだ・・・あんなに近くまで行ったというのに・・・。

今回の旅では拝見することは叶いませんでしたが、ムカサリ絵馬についてはメインでがっつり旅してみたい風習ではあるので(山寺以外のお寺は公共の交通機関ではなかなか行きづらい場所にあったりするんだけど)、次の機会にとっておこうと思います。

お昼ごはんは、さくらんぼソフト

さて、そろそろ電車の時間が近づいているよ・・・!急げ急げーーーー!!急いでさくらんぼソフト食べにいくぞ!!!(え?そっち?)

だってだって、お店を通った時から帰りに食べるって心に決めていたのだ・・・!

レトロな絵がよき

行きの時にはとってもいいお天気でちょっと暑いくらいだったのに、すでに空はどんより曇り空。ちょっと肌寒くなってきたよ・・・。でも、さくらんぼソフトを食べないで帰るだなんてできないよ・・・!!!

もう味はすっかり忘れたけど美味しかった

店内でゆっくり食べる時間はもちろんありません。お行儀悪いけど食べながらダッシュ!!なんとか間に合ったーーー。

ホームから何気なく撮った写真を後でまじまじとみてみたらなんと奇怪な崖の上にお堂らしきものが・・・。立石寺(山寺)の壮大さに吃驚してしまいました。

まるで中国の山水画に描かれそうな世界

山寺駅を出発し、山形駅で乗り換えて、本日の宿泊地へ。そこでまさかあんな予想外の展開が待ち受けているとは・・・。

昨日から移動ばかりしている気がするよ・・・

■参考サイト

市長のやまがた自慢「垂水遺跡」|山形市公式ホームページ

宝珠山 千手院(天台宗)/ 最上三十三観音 第2番 山寺|観光スポット(山形市・村山地方)|やまがたへの旅 - 山形県の公式観光・旅行情報サイト

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:Konica AUTOREX + HEXANON AR57mm F1.4

04.冬の山形ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

01.冬の山形ひとり旅2024【嗚呼、麗しの喜至楼・前編】

冬の東北に行きたい!雪にまみれたい・・・!!!

そんな気持ちで何ヶ月も前から計画していた冬の東北旅。しかし今年は暖冬というではありませんか・・・。果たして夢の雪旅を体験することができるのか・・・。

生まれも育ちも生粋の九州の民は雪への憧れを胸に、2月のはじめに山形県へと旅立ったのであった。

CONTENTS

福岡から宮城へ

今回は宮城県から山形入り。まずは福岡空港から仙台空港へ。午前9時のフライトなので、いつものハードな旅とは違いのんびりな朝です。ほんとはもっと早く向かいたいけど福岡からだと便数が少なくてもどかしい・・・。

7:30の空

空港でプチトラブルがあって(すべてはわたしのうっかりのせい)、もしかして飛行機乗れないのでは・・・!?と、めちゃ焦ったけどなんとか飛行機に乗れて無事出発!!!

心はいつまでたっても子供だから、ずーーーっと外を眺めてしまう

機内で可愛い手拭い売ってて、まだ東北に着いてないのにうっかりお土産(自分への)買いそうになったよ・・・

雪!もしかして、雪旅できちゃう???

雪山を飛び越えて仙台空港へと到着。

やっぱり雪、積もってないね・・・

宮城から山形へ

ここからは時間との戦いです・・・!まずは電車に乗って仙台駅へ向かいます。

乗り継ぎがうまくいかなかったら仙台駅でお昼ごはんを食べてこうと思ってたけど・・・うん、賭けてみよう!

電車移動しながらスマホで新幹線のチケットを購入してICカードを紐付けます。発券する時間を短縮して、改札を素早く作戦です(便利な時代じゃのう)。

あっという間に仙台駅に到着。初めて訪れる場所での乗り継ぎはドキドキ!乗り換えの時間は約12分。駆け足で新幹線乗り場へ・・・!ちょっと迷ってパニクったけどなんとか間に合った!!

初めまして仙台。でも、すぐにさようなら。今度はあなたメインで訪れるから待っててね・・・!

新幹線に乗ったのも束の間、たった13分で降りちゃうよ!(なんて贅沢な新幹線の使い方なのだ)だって、1秒でも早く目的地に着きたかったんだもの・・・。下車したのは古川駅。実はまだまだ宮城県。再び乗り換えるために在来線乗り場へと向かいましょう。

鳴子温泉郷って書いてる!もしかしてここから近い・・・??

少し待ち時間があったので、お昼ごはんを調達しようと土産物を物色。うーん、ご飯ぽいものがないなぁ・・・。仕方ないのでおやつを買ってホームへ。

やっぱり鳴子温泉が近いんだ!

正午過ぎの電車で出発。おやつごはんを食べながら車窓からの景色を楽しみます。

どちらも美味しかったよ

山形へと向かうにつれて少しずつ増えていく雪・・・(ときめき!)。暖冬で雪には会えないと思っていたからとても嬉しい。テンション急上昇です。

鳴子温泉も通過・・・っ。いつか行ってみたいな。

こけしこけしこけし

雪景色を走る、走る。

そしてついに目的地に到着!時計を見ると14時前。11時前に仙台空港を出発してから約3時間、福岡からカウントすると約5時間・・・!!遠かったーーーーー。乗り継ぎに失敗してたら夕方に着いてたとこだったよ・・・。

 

瀬見温泉

旅の最初に訪れたのは、山形県の北東部に位置する最上町の瀬見(せみ)温泉。

雪だ!雪だ!雪だーーーーー!!!

きっと本来ならもっと積もっているのだろうけど、普段1mmも積もらない福岡の都市部に住んでいる身としてはこれでもじゅーぶんテンション上がるのだ。ほんとは吹雪くくらいの雪を欲していたけどね!

もっと、もっと雪ください!

無人駅を出て瀬見温泉へ向かっていると、歩道に「義経通り」と書かれた石柱がありました。

義経通り

そう、ここは源義経にまつわる伝説が残る温泉地。

源頼朝の追手を逃れて亀割山中で一夜を過ごしていたところ、義経の奥さまが産気づいて赤子を出産。弁慶が産湯を求めたどりついた川辺で大岩を薙刀で突き破ると温泉が吹き出したそうで、これが瀬見温泉のはじまりと伝えられています。義経と弁慶の伝説に彩られた瀬見温泉は、江戸時代には領内随一の温泉場として賑わい、歴代藩主の入湯場にもなっていたとか。

義経と弁慶モチーフがあちこちに

喜至楼(きしろう)に泊まる

橋を渡ってほどなくすると、さまざまな様式の建物をテトリスみたいにくっつけたかのような印象的な建物群が現れました。本日宿泊する喜至楼です。明治・大正・昭和の建物が混在した山形県内に残る最古の旅館といわれています。

駅から歩いていると、一番最初に見えてくるのがこちらの木造建築。

木造なのにモダンな雰囲気にキュン!

そしてそのお隣が喜至楼別館。宿泊する人はこちらから入るようです。

「別館」ということは、もちろん「本館」があります。

その素晴らしきお姿がこちら・・・!!!

魅惑の木造4階建

喜至楼の創業はなんと江戸安政年間で、立ち寄り湯の入口にもなっている本館玄関の建物は明治元年に建てられたものだそうです。

本館玄関上には「㐂至楼」の文字(「㐂」は「喜」の異字体)

別館でチェックイン

外観の見学はこのくらいにして、まずはチェックインをしに別館へと向かいます。

左奥に見えるのが別館

たぬきがこんにちは

フロントには喜至楼のすべてを知り尽くしているかのようなおばあさま。

市松模様の床が印象的

夕食は18時から。あ、朝食の時間も決めなきゃね。明日は早い電車に乗りたいから6時30分くらいに食事できないかなぁ・・・って聞こうとする前に「朝食開始は7時30分から」と言われ撃沈!早速予定が狂うことに・・・。

明日どうするかはまた後で考えよう!夕食の時間まで約3時間半ほど。部屋に荷物を置いて館内の散策と温泉街をお散歩をするぞーーー!!

温泉まんじゅうや、去年の岩手旅で生まれて初めて食べた「しそ巻き」のお土産も!

部屋に案内される通路にも興味深いものたちが置かれていて目移りしちゃう。展示室のような空間もありました。

イタチの剥製?

部屋の名前も味わい深い・・・。

「横笛」が義経っぽい!わたしは鈴虫か乙女の部屋に泊まりたいな・・・(永遠の乙女より)

廊下の隅には年季の入った将棋の台も。たくさんの人がこの台で将棋を指したんだろうなぁー(ちなみにわたしは「と」だけで遊ぶやつか、将棋崩しの遊びしかできません)

別館・部屋

わたしのお部屋は別館の「須磨」。本館に泊まりたかったな・・・。数ヶ月前に予約したにも関わらず別館のお部屋しか空いていなかったのだ。

浮かび上がる須磨

広縁(ひろえん)のあるお部屋っていいよね

荷物を置いてほっと一息・・・つく暇もなく、まずは館内探検へと出発!!

永遠に彷徨いたい喜至楼本館

ローマ式千人風呂

まずは一番楽しみにしていた本館の温泉へ。本館と別館は中で繋がっていて、増築に増築を重ねてこのような姿になったのだろうなぁーというような構造をしています。

別館と本館を繋いでいる階段

喜至楼にはいくつもの浴室があって館内で湯巡りすることができるのですが、一番の花形はなんといっても「ローマ式千人風呂」。もう名前を聞くだけでワクワクしちゃうでしょ!?

階段を降りると左には本館玄関、右に向かうと「ローマ式千人風呂」と「あたたまり湯」のふたつの温泉が待っています。

なんだか玄関もすごそうだけど・・・まずはお風呂お風呂お風呂ですっ。

洗面所も素敵

この先にあるのがお目当ての「ローマ式千人風呂」。

実はこちらのお風呂、女性は15時〜19時、男性は19時〜22時と時間帯が決まっていて、その他の時間は混浴タイムになるのです。つまりちょうど今が入るチャンス!

だけど館内を探検したいしお散歩にも行きたい!そんなわけで、ダッシュでもろもろ終わらせて、5時半頃に戻って温泉に入る計画です。もちろんこの時点ですでに中には入っていて興奮しながら写真を撮りまくってはいるのですが(めちゃくちゃ素敵で大好きだった!!!)、それは温泉に入ってからのお楽しみ・・・というわけで、お次は明治に建てられたという一番歴史のある本館玄関へと向かいましょう。

本館・玄関

めでたや、めでたや〜。な、さまざまなモチーフが装飾された玄関。

スリッパにも「キシロウ」

なんと言っても旅館の名前が「喜至楼」だもの。気持ちが明るくなるねぇ。

そして玄関を入って左側には「いらっしゃいませ」とお客さまを迎え入れる着物姿の女性の姿が。

天井が放射状になっていて遠近法!?なのもおもしろーーーい!

そして右側には「ありがとうございました」と見送る女性。なーんて愉快な装飾なのかしら!

見送る女性の左上には鶴、迎え入れる女性の左上には亀がいました。彼女たちを鶴子さんと亀子さんとお呼びしましょうね

下駄箱である戸には竹の立体的な彫刻が彫られています。

にょきっと筍

向かいの襖には立派な松

正面の大きな時計も明治時代のもの。古い金庫の上では福々しい大黒様が見守っています。

ストーブの上にヤカンが置いてあるのも好き

昔の金庫の美しさよ
本館2階・3階

玄関から階段を登り、今度は客室のある本館2階へと向かいます。ひそかに方向音痴であるわたくし。外ならGPS付きMAPでどうにかなるのですが、室内だとそういうわけにもいきません。

まず目の前に現れたのはとてもいい雰囲気の炊事場。

昔から貼られたままであろう案内をみるのもたのしい。

旧漢字にグッとくる性癖

階段を降ったり登ったりくねくね通路を曲がったりしているうちにどこをどう歩いているのかちっとも分からなくなり、まるで迷宮を彷徨っている気分に・・・。

自分がどの建物にいるのかよくわからないまま、客室の連なる通路へと到着。

ひょうたん!

後ろを振り向くと一目みたら目が離せなくなる魅惑的な福助の姿が・・・!!

いらっしゃいませ〜

福助に誘われるようにふらふらと3階へ・・・。

階段の脇には時代を感じさせる火鉢も

目の前に飛び出してきたふたつの生き物がわたしの心を奪い去ります。

うさぎとかめぇぇぇーーーーー!!!

壁にぼんやりと浮かびあがる兎と亀。もはや動悸が止まりません・・・。この不思議な一角には電話機が置かれていたのでしょうか。

横には客室が続いています

嗚呼、本館に泊まりたかった・・・。

そう強く思わせる素晴らしい装飾の数々にうっとり・・・。

本館・部屋

名残惜しく思いつつ2階へと降りると、お仕事中の旅館の青年と出くわします。するとなんと!部屋を見せてくれるというではありませんか・・・!!

襖に雪の結晶〜!!!

泊まれなくても、実際に部屋の中を見ることができてよかった。ありがとう、青年!君に幸あれ・・・!!

別館・大宴会場

素晴らしい意匠がてんこ盛りで目が離せず、どんどん時間が押していくよ!そろそろ外に出ないとローマ式千人風呂に入れなくなる・・・!!慌てて別館玄関へと向かいます。

するとまた2階の部屋を見せてくれた青年と遭遇。大宴会場も見せてくれるって・・・。うぅ、君は仏さまなのかい??ありがとうだよ・・・・・!!!

歓迎の暖簾に導かれ足を踏み入れるとステージのあるお座敷が広がっていました。

昔は芸者さんも呼んだりしてたのかしら

ここにも義経と弁慶の絵が飾られています。

マッサージ椅子。たまらーん

瀬見温泉をあるく

建築欲(浴)はだいぶ満たされたので、いよいよ瀬見温泉散策へと繰り出します!時計の針はすでに16時半。1時間で帰って来れるかしら・・・?

いってきまーす!

湯前神社

別館と本館の間には湯前神社があります。

神社の前には飲む温泉が!もちろん飲みたいっ。でもめちゃくちゃあっつい!大袈裟じゃなくあっつい!!手ですくってもふーふーして冷めるのを待てないくらいの熱湯っぷり・・・。頑張ってちょっぴり飲んで味を確かめたけど、普通に飲みやすいお味でした。大大大昔の大学生の頃にチェコのカルロヴィ・ヴァリで飲んだ温泉はもっと不味かった・・・気がする・・・(遠い記憶)

温泉街をすたすたと進みます。

酒屋さんや和菓子屋さんもあって寄り道したいけど・・・わたしには行きたいところがあるのだ!

いい看板

橋を渡り・・・

川をのぞむ

10分ほど歩くと・・・

かわいいほっかむりおばあちゃま

亀割子安観音

たどり着いたのは亀割子安観音(かめわりこやすかんのん)。

いらっしゃった・・・!!!

しめじかな?

うむ、予は満足である・・・!!!

大事なミッションを終えたので、ぷらっとしつつ早々に旅館へと戻りましょう。

行きの時も渡った橋を歩いていると、さっきは気づかなかった真っ赤な鳥居が目に入りました。

橋の先には真っ赤な鳥居と素敵な蔵も

どうやら鳥居の先には、自然林に近い「三吉山自然植物園」が広がっていたようですが、この雪の状態ではどう登ってよいのやらちっともわからず・・・。

すぐそばに誰にも汚されていないまっさらな雪が積もっていたので、ずぼずぼと踏みしめる遊びを存分に楽しんでからUターン!!

もっと!雪をたのしみたいんだ!!

再び喜至楼が見えてきました。温泉が・・・わたしを呼んでいる・・・・・。

ただいま、喜至楼

ついにその時が来たようです。

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:Konica AUTOREX + HEXANON AR57mm F1.4

02.冬の山形ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

⑤竹崎島正月ひとり旅2024【竹崎観世音寺修正会鬼祭・日中行編】

CONTENTS

雨の竹崎観世音寺

土砂降りではないものの、わたしの願いも虚しく相変わらずの雨・・・。昨日準備が行われていた建物に向かってみると、ちょうどお祭り前のお経を唱えているところでした。

入口上部には「平井坊」の文字

見学もほどほどに、早速お寺へと向かうことにします。

雨だねぇ・・・

お祭りが始まる前に、本堂内をじっくり見るチャンスです・・・!!!

千手観音さまのお隣にはカッコイイ仏様もいた(不動明王さま?)

祭壇には鏡餅や稲穂、野菜や柑橘などがお供えされています。童子たちの貝に入れる稲穂もここから取っていました。

お供えもの

そもそも鏡餅ってどんな意味があるんだっけ?気になったので調べてみました。

鏡餅(かがみもち)とは、餅を神仏に供える日本の伝統的な正月飾り(床飾り)であり、穀物神である「年神(歳神)」への供え物であり、「年神(歳神)」の依り代である。鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。鏡はこの世とあの世の境界と捉えていた。昔の鏡は青銅製の丸形である銅鏡で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。

鏡餅 - Wikipedia より抜粋

へーへーへー。歳神さまへのお供物&依り代で、「鏡餅」の名前は昔の鏡に似ていることからそう呼ばれるようになったのね!内陣正面の両側に飾られている装飾されたお餅はまんま鏡の形だよ・・・!!

最初鏡餅と言われた時はピンとこなかったけど、銅鏡と言われるとしっくり

本来なら日中行でも昨晩と同じように荷を抱えながら階段を登ってくるはずなのですが、すべて本堂に置かれたまま。やはり今日は雨のため本来の形では行わず、すべて室内で行われるようです・・・。

祭壇両側の畳の上には、子どもたちが頭に被る魚笠や籾殻を入れてた貝などの道具が一式置かれています。そしてその奥には・・・

子どもたちが使うアイテム

・・・異形の面!??

荒々しい真っ黒フェイス

ぐりっと飛び出た目玉にとんがった鼻、ぐっと食いしばった口。真っ黒な肌に白い線が躍動し、荒々しくて迫力あるのにどこかひょうきんなお顔。なんて味わい深い面なのでしょう!!

もしかしてこれが鬼・・・???

と思ったけれど、どうやら「翁面」らしい。翁=お爺ちゃんのイメージだけどちっともそのようには見えず、まるで鬼か天狗のようだ・・・。
鬼の逢瀬を阻止するための祭りですが、肝心の鬼の面は鬼箱に入れられたまま、代々の住職ですら見てはいけない秘面であるという。トキメキがすぎるではないか・・・!!(鼻血案件)いつの時代に作られたもので、一体どんな姿形をしているのでしょうね・・・どきどきわくわく。

ちなみに昔(少なくとも1665年頃まで)は、実際に鬼の面をつけて責める形の行事が行われていたようです。

現行の行事では、鬼は鬼箱に閉じ込められたまま四名の鬼副に擁護されて、最後までその姿を表すことはないが、古くは鬼面をつけた者を実際に責める行事であったという。市場直次郎氏は、寛文九年(一六六五)大木英鉄の序ある『肥前古跡縁起』に、「古へ故ありて鬼祭と云祭礼をなす事あり(略)毎年正月六日、此神事をなすこと、白布の袋に人を入、口をくくり、鬼面をかけさせ、拝殿におどり出れば、人々首に縄を付てあたりを引き廻す。所在のわらべども、竹の枝など面々持て、此鬼舞を打ちたたく(略)」と記されており、現在とは異なる鬼責めを行っていたようであると記しておられる。

「追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―」中村茂子著 より

今では鬼箱に収められている秘面が、その鬼責めに使われていたものなのかは分かりませんが、時代が下るにつれてどんどん祭りの形が変容していったのですね。おもしろい〜。

お堂内には、一番賑わっていた頃というお祭りの写真が飾られていたました。今では行われていない鬼箱の鬼を封じ直す「鬼攻め」のシーンです。見てみたかったなー。

こんなに若者が溢れていた時代があったのだ

壁には祭りの流れが書かれた張り紙も。その時にはちっとも気づかず全部撮れてなかったよね・・・(相変わらず残念な我が注意力)

見切れていても撮っててよかった

そろそろお祭りが始まる13時。撮影スポットで待機せねば・・・!!!

雨・・・ですね・・・

日中行

本堂から太鼓と鉦の音が鳴り響きます。

昨晩とは違う始まり方にワクワク!

その音を合図に、階段から傘を差した人々が次々に登ってきます。晴れていれば遠くには青い海と空が広がってさぞ美しい光景だったろうなぁ・・・。

ま、これはこれでレアということで

鬼副と呼ばれる若者ふたりが2本の棒を槍投げのようにお堂(というよりも空?)に向かって掲げたかと思うと、勢いよくお堂に向かって走り出します。

裸足で駆け抜けます!がんばれ若人!!

後に続いてぞろぞろぞろ。わたしたちも本堂の中へと参りましょう!

太鼓経・フレイ経

本堂内では昨晩と同じようにお坊さまのお経ソロに始まり、お経&太鼓セッション、子どもたちの籾殻わっしゃー!へと続きます。

いつみてもかわいい抱っこ

籾殻をわっしゃー最後にぶちまけるフレイ経がやっぱり好き!このフレイ経は初夜行、今では行われていない後夜行、日中行すべての行で行われるからとても大事なものなんだろうなぁ。

わっしゃーーーーー!

大聖棒(だいしょうぼう)打ち切り(1回目)

お次は鬼副ボーイズの一人が48本の樫の木を一つに束ねた大聖棒を担いで現れます。この鬼副は毎回かっこいい青年が選ばれると、昨日焚き火していた時に少しお話させていただいたおじさまが教えてくれました。

他の地域の牛王杖(ごおうづえ)に相当するものらしい

「だいしょーーーう だいしょーーーう」

周囲の掛け声に囃し立てられながら、お堂の入口で大聖棒の束をゆらゆら床に向かって揺らした後、振りかぶって階段の角に勢いよく打ち付けます。

ドーン!

どうやら結んでいる縄を切らないといけないらしい。何度も挑戦するのですがなかなか切れず・・・(思わずガンバレーと言ってしまう)。

そんな時はおじいちゃんの七つ道具、カッターのご登場だよ!

縄に切れ目をいれるのであります

と思ったら・・・切り過ぎたようで、振りかぶる前に切れちゃった・・・!!!

顔を見合わせて苦笑い

しゃーないので、このまま振りかぶってーーーー

ドーーーーーン!!!

するけど、やっぱり切れない・・・。このぐだぐだっぷりが可笑しくて愛しい!

もうえーじゃろーーーっと、棒をひっぱり抜いてバラバラバラーーー

傍観者だった人たちが一斉に棒に群がります・・・!その勢いにびっくり・・・!!!

老若男女入り乱れ、あっという間になくなってしまいました・・・。

どうやらこの大聖棒にはご利益があるらしく、2本も3本もゲットしている人もいました。欲が深いねぇ〜(人のこと言えない)。

天狗拍子

そして再び童子たちの出番。本来ならここから庭に降りて行われるのですが、あいにくの雨。すべて本堂の中で執り行われます。

童子たちがそれぞれ赤と緑の扇を持った左手同士を繋いで引き合いながら、右手のマラカスみたいな鈴をふりふりーーーふりふりーーーーー。お坊さまの言葉に合わせて舞いを披露します。

大聖棒打ち切り(2回目)

そして2度目の大聖棒打ち切り。相変わらずのぐでぐでっぷりでカッターおじいちゃんが何度も登場していました笑

なんとか縄を切って棒をぶち撒けます。棒に群がる人々の熱量もやっぱりすごい!今回もあっとう間になくなってしまいました。すると、その棒をお坊さんに頼んで地面にバシバシ叩いてもらっています。

こうするとご利益が増し増しになるの・・・?

牛王杖(大聖棒)について少し調べてみると、お堂の床を叩いたりすることで悪霊を退散させるという意味があるようです。なるほど〜。

ヒザツキ

棒叩きタイムが終わると再び童子さまたちのご登場。一番やること多いのこの子たちだね!がんばれーーー!!

鈴をふりふりする「天狗拍子」と同じ?と思いきや、さっきとは違う膝を曲げる所作があります。

鈴を振る時はお坊さんが「ふってふってーーーーー」って言ったり、動作を指示してその通りに動く童子たちの姿がなんだかとてもほんわかしてて好きだったなぁ。

男面と女面

一番最初に舞うフレイ経では大人の男面をつけていましたが、2回目の「天狗拍手」と3回目の「ヒザツキ」では大人の女面を被っています。わたしはその場にいる時は違う面をつけているとはまったく気づかず、後で調べて知るという・・・。だって、わからなくない???

(左)男面 (右)女面

・・・あれ?よーーーーくみたら、もしかして女面「お歯黒」してる・・・!??(あと、男面にはもみ上げがある?)

お、おもしろーーーい!!!

このことからも古い時代から行われてきた祭りなのだということがわかりますね・・・。ちなみに以前の祭りの映像を見ると、女面の時は色とりどりの紙で作られた飾りを頭に被るようです。やはり雨で完全版ではなかったのか、それとも今年からやめたのかは不明。見たかったな・・・。

ビサラモンポー(毘沙羅門棒)

これ以降はすべて面なしの素顔での舞。一本の大聖棒を手に、お坊さまの「びさーらもんぽー びさーらもんぽー」のリズムに合わせてステップを踏みます。

びさーらもんぽー びさーらもんぽー 頭から離れなくなるー

童子舞には陰陽師等でも知られる足で地を踏みつける「反閇(へんばい)」の所作をはじめ、全体に呪法的色合いの濃い動きが見られるそうです。本日何度目かのトキメキ・・・!!!

鉾突き

お次は鬼副ボーイズの出番!囃し立てるように一斉に法螺貝や鐘の音が鳴り響きます。

笛吹のおいちゃんたち

法螺貝吹いてるおいちゃん

鉾を交差させ擦り合わせると、ぐるっとゆっくり半回転。そしてその交差させた鉾の間をお坊さまたちがくぐり抜け、再び鬼副がゆっくりと半回転して元の位置に戻ります。

ぞろぞろぞろ

鬼副ボーイズが色とりどりの紙飾りをずっとくわえているのも面白いと思いました。

どんな意味があるのだろう?

翁面

鬼副ボーイズが童子たちに例の翁面を持ってきました!大聖棒の先に翁面をあてて、お坊さまの「なよーい  うよーい」の言葉に合わせ、翁面をこくん、こくんと頷くように揺らします。(意味は・・・わからん!)

向かい合って、こくんこくんと翁面を揺らします

それが終わると鬼副が再び翁面と大聖棒を受け取ります。

まるで童子たちの助手みたい

青蓮華・赤蓮華(しょうれんげしゃくれんげ)

まだまだ続くよ童子舞!お次に鬼副が持ってきたのは赤と緑の風車のような飾りもの。どうやら蓮華を表しているようです。この飾りを片手で持ち、お坊さんの言葉に合わせてステップを踏み、最後はその場でぐるーっと回って「なりけりー!」の声に合わせて決めポーズ!!

お坊さまの「なりけりー!」の掛け声に合わせ、天に蓮華を掲げる童子たち

五大忿怒王(ごだいふんぬおう)

鬼副が蓮華の飾りを受け取り戻ると、今度は童子たちの父親と思われる両副たちが刀を差し出します。

「ごだーいふんぬーおーう ごだーいふんぬーおーう」

お坊さまの言葉に合わせ、ステップを繰り返します。単調ではあるものの、途中で後ろ向きにステップを踏む動きがあるので慣れるまで難しそう!

後ろ向きでもぶつかることなく舞を終えます

そして毎度お馴染み両副による童子だっこ!これにて童子舞はすべて終了です。

大役 お疲れ様でした!

以上の7つの舞すべての前後では、この両副が童子たちを抱えて決して歩かせることはありません。

今回は雨ですべてお堂内で行われましたが、通常ならこれらすべての舞ごとに両副がお堂内から童子たちを庭へと運び出し、舞を終えたら再びお堂へと運び入れるという姿を見ることができます。

移動の時に地に足をつけさせない理由は、堂内は霊界であって童子は聖なる霊体として扱われていることを示しており、その聖なる霊体の出現を演出しているものと考えられているそうです。しみじみとおもしろいなぁーーー。

この後に行われていたはずの鬼攻めはもちろん今回も人手不足により行われることはありません。お坊さまによる最後のお経が行われ、竹崎観世音寺修正会鬼祭は終了となります。

最後のお経

お疲れ様でございました!!!

「平井坊」へと戻る人々

大聖棒ラストチャンス

帰ろうとしているおいちゃんにどこに大聖棒を飾るのか聞いたら、縁起物だから玄関に飾ることが多いと言っていました(後日読んだ資料には、床の間に飾って農家では田畑の虫除けにするとも)。

わたしが大聖棒を持っていないことに気づき何度も「あげよか?」と言ってくれたけど、そのままバスや電車に乗ってたら不審者なのでは・・・?それにもらっても場所に困りそう・・・と思って気持ちだけもらってお断りしたんだけど、今更ながらちょっと後悔。今年一年約束されたご利益を取り逃しました・・・。でも、きっとその場にいたことでご利益のおこぼれもらえてるはずーーー!!!次はぜひとも大聖棒の壮絶なる争奪戦に果敢に参加したいと思いますっ。

さて、祭りの様子はYouTubeに色々と転がっていますので、もっと詳しい祭りの様子を見てみたいという方はぜひとも検索してみてください。実際に観に行くのが一番オススメだけどね!

さよなら竹崎島

竹崎観世音寺近くのバス停でバス待ちしてたら、バス停隣に車停めてたおいちゃん(大聖棒のおいちゃんとは別)が駅まで乗せてってあげるという!でもあと数分でバスが来そうだったのでこれまた丁重にお断り。ほんと、世間にはやさしい人が多いね。ありがたい・・・。

すぐにやってきたバスに乗り込みます

バスに乗るとなんと「無料」と言われてびっくり!え?そんなことあるの!??聞き間違いかなぁと思ったら、次々に乗ってくる人たちに無料って言ってて、みんな「え?無料??」って驚いているのも面白かった。正月だから??無料すごいわ!ありがたやー!!今回の旅ではスマホ壊れたり雨降ったりしたけど、なんだかんだで色々と幸せな気持ちになれてもしかしてラッキーなのでは・・・???

バスの車窓からはキリスト看板も発見できたし!

有明海にもさよなら

あ!佐賀でよく見かける交通安全子ちゃんだ!!!(わたし命名)

好き!

鹿島市観光物産センター

あっという間に肥前鹿島駅へと到着。少し時間があったので、駅内にある鹿島市観光物産センターを物色することにします。

地方の練り物はなんでこんなにも美味しく見えるのか・・・(エビマヨカツ買って食べたら美味しかったよ!)。

ご当地感満載のお菓子を見るのも楽しいよね。

鹿島市には有名な祐徳稲荷神社があるのですが、稲荷ようかんなるものが売られていました。

有明海ならではの「わらすぼ」や「むつぼろう」関係の品々も充実!!!

B級ホラー映画感満載のマグネットたまらんね

自分へのお土産にムツゴロウ爪楊枝入れを購入。

とりあえず持ち帰った籾殻入れてみた

最後にアイスコーナーを覗いてみると・・・

ご当地感満載なトラキチ!?これは買わずにはおられない・・・!!!

大好物は「昭和の香り」です

調べてみると、なんと作っているのはあのブラックモンブランと同じ会社だというではありませんか!

商品紹介|ブラックモンブラン|竹下製菓株式会社

早速駅のホームでもぐもぐ。みんな大好きチョコバナナ。美味しくないわけがない。

ちょっと寒いけど!

クジまでついてて最高です。

運は貯めておきたい人間なので「ハズレ」で結構!

電車に乗り込み、乗り継ぎしながら自宅に帰り着く頃には真っ暗になっているのでした。年末に突然思いついた旅ではありましたが、とっても実りある旅になったように思います。スマホは壊れたけど!壊れたけど!!(半泣き)行ってよかったです。

最後に

竹崎島という小さな島の中に、お祭りをはじめ火山や蟹、恵比寿等といった魅力がぎゅっとつまっていて、とっても大好きになってしまいました。

モノクロフィルム(自家現像)

そして2日間続けて体験した竹崎観世音寺修正会鬼祭。完全版ではなかったものの、とっっっても楽しくて!!!何の知識もないまま向かったお祭りでしたが、今回ブログを書くにあたって、ずっと気になっていた国東半島の修正鬼会と同じ系統の行事であったことを知り、行きたすぎて息が詰まるほどにブルブルと震えております・・・!!!(色々と共通点がありそうなので実際に見てみたい!)

モノクロフィルム(自家現像)

さらに全国各地で行われる修正会や鬼が出てくるお祭りも気になり出して・・・。

鬼すべ

こちらはたまたまお誘いされて今年の1月に訪れた太宰府天満宮の鬼すべ。鬼すべの前に行われた鷽替え神事もたのしかった!!

火を操る男たちが眩しかった!

今は猛烈に修正会に行きたい・・・。またまた追いかけたいテーマが増えてしまったよ。生きているうちに興味のあるすべての場所に行くことができるのだろうか・・・若干途方に暮れつつ興味が尽きないことは幸せなことだなぁとしみじみと思うのでありました。

■参考文献・サイト

「追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―」中村茂子著

喜多文庫民俗芸能資料 

文化遺産データベース

童子舞(どうじまい) |太良町ホームページ

奈良県の祭りと芸能 - 奈良県無形文化遺産アーカイブ

仏僧の独り言

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria + Planar 50mm f1.4

④竹崎島正月ひとり旅2024【雨と猫と恵比寿の港町編】

CONTENTS

はじめてのモーニングコール

(何度も言うけど)スマホが壊れてアラームが使えないので、生まれて初めてお宿にモーニングコールをお願いすることに。翌日のお祭りは13時から。朝はちょっとのんびりしようかな・・・。そう思って8時にお願いしたのに、自然に目が覚めたのは予定より1時間早い7時でした。カーテンを開けるとまだほんのり暗く、空も海も鈍い青色。もしや雨の野郎、これから降る気満々だな・・・?

AM7:00

のろのろのろ。のんびり準備しながら朝ごはんのゼリー飲料をゴクリ。少しずつ外が明るくなってきました。まだ雨は降ってない・・・?お願いだから持ち堪えて・・・。

8:00

のろのろのろ。あれ?あっとう間にまた1時間過ぎてたよ・・・?(ちなみに部屋の電話が壊れていたようで、初のモーニングコール体験は不発に・・・残念)

9:00

さて、今日はどうへ行こう。頼れるのは「竹崎島ひょうたんめぐりMAP」と、旅の前にスケジュールやバスの時間等を書いた手書きメモ(いつもはスマホのメモに入れているのに今回は奇跡的に持っきていた)。無くさないようにしなければ・・・。厳重に折りたたんでポケットに入れます。

このマップに助けられました

のろのろのろ。あれ?そうこうしているうちに、さらに1時間過ぎてしまったよ???結局時間ぎりぎりまでゆっくりしてしまいました・・・。

慌ててチェックアウトをすませて外にでると、灰色の空からぽつり、ぽつりと雨粒が・・・。雨の竹崎島散策のはじまりはじまり〜。

赤岩島(あかいわさん)

竹崎港前には、木がこんもり茂った小さな一角があります。通称「あかいわさん」と呼ばれる「赤岩島」は、かつてこの場所が海だったことの証。

まるで鬼が作った盆栽といったような可愛らしさ

埋め立てられる前は、海中にある「あかいわさん」の穴をくぐって子供たちが遊んでいたそうです。素敵エピすぎて胸が締め付けられる・・・!「あかいわさん」に登れるらしいので行ってみることにします。

階段

坂と階段を登ってぐるりと曲がると、ボーボーの草と木々の隙間から碑石が顔を出していました。

荒々しき道

草を跨いで通り抜けると目の前に現れたのは「竹崎漁港修築記念碑」。

その前には毘沙門天さまと恵比寿さまがいらっしゃいます。左の毘沙門天さまは小さくてとても可愛らしいけれど、頭には蛇がとぐろぐるぐる。これは、より位の高い神様であることを表しているのだそう。

ニヒルな笑み

そして右側には立派な恵比寿さま・・・!!!

にっこり

とってもいいお顔をしていて思わずこちらも微笑んでしまいます。脇に抱えているぷっくりしたお魚も可愛らしい。首にはじゃらじゃらとお金のネックレスも!立派な福耳もお持ちでめちゃくちゃご利益ありそうです。

なんて福々しい

ちゃんとお正月に飾りつけたと思われる南天やみかん、お酒等もお供えされていて、町の人たちにとても大切にされていることがわかります。

キュンとしちゃう

朝から早速ときめいてしまいました。

雨の鹿山を登る

写真を撮るのに夢中になっていると、いつの間にか大粒の雨に・・・。

海を鴨が行進

波紋

本降りの雨の中、「あかいわさん」を降りて今度は昨日訪れた「竹崎カニ発祥の地」からも近い神社へ向かうことにします。地図を片手にてくてくてく。てっきり平地を行くのかと思ったら、どうやら坂の上にあるようです。

民家の塀からも恵比寿さまがこんにちはしてました。

坂の上から見下ろすと、港横の朽ちた建物の中に古そうな樽が転がっているのが見えます。

何が入っていたのだろう?

港を見下ろす

アスファルトで舗装された坂は途中まで。この先は荒れた道が続いているようです。

坂・・・というか、ちょっとした山???(鹿山というようです)あまり人がこないところなのか、道の真ん中で休んでいた大きな鷹(鷲?)がバサァっと羽を広げて飛び立つのが見ました。驚かしてごめんよ・・・。

鹿大明神(ジャミジンサン)

ほどなくして小さなお社のある空間に出ました。鹿大明神を祀る鹿山神社です。

行基菩薩を案内した鹿の夫婦

地元ではジャミジンサンと親しまれる鹿大明神さまが祀られています。昨晩お祭りを見に行った竹崎観世音寺とも縁の深い神さまです。

奈良時代にお寺を創建した行基菩薩が肥後の国を通る途中、橋が怪しい光を放って人々を悩ませていました。行基菩薩は、霊木を橋桁(はしげた)に使っていることが原因だと気付き、この霊木を7つに切って有明海に流し、霊木の流れ着いた場所に観音像を刻み祀ることにします。行基菩薩が肥前の国に来ると、多良岳に住む2匹の夫婦鹿が現れて道案内を申し出て、竹崎島の「観音ほき」という場所に案内すると、そこには一本の霊木が流れ着き芳香を放っていました。行基菩薩はこの霊木で千手観音像を刻み、竹崎観世音寺の本尊仏としました。道案内をしたこの鹿夫婦はその後末永く子孫が栄え、現在は鹿大明神として鹿山神社で祀られています。(『太良町の文化財と祭と民俗芸能』より要約)

お社に入ってガラス戸の中を覗いてみると、古い神像さまが数体と可愛らしい2対の狛犬が祀られていました。

なんとなく写真を撮るのがはばかられ、可愛らしい狛犬の姿だけを収め、あとは記憶の中だけに留めることに(もうすっかり忘れちゃったけど・・・)。

右にも同じように愛くるしい狛犬がいたよ

そして鹿夫婦の話に出てくる霊木が流れ着いたという「観音ほき」の場所。マップにも書かれていたけれど、どうにも位置がよくわからず・・・。また次回行った時に突き止めたいと思います(いつになることやら)。

鹿山を降りましょう

猫の雨宿り

まだ島内全部を周れていないし、行きたい場所もいくつか残ってはいるのですが、この雨ではなかなか思うように動けません。もうマップは気にしないで、歩いていない道を気の向くままに散策することにしました。

曇り空に美しい群舞

猫もあちこちで雨宿りしています。

雨でやんなっちゃうね?

恵比寿さまの住む港町

そういえば竹崎観世音寺から石段を下ることはあっても、港から観世音寺に向かって登っていなかったな。そう思って、昨日すでに何度か歩いた石段へと向かってみると・・・。

!!!

なんて可愛らしい恵比寿さまと大黒さま・・・!!!

きゅんきゅん!

昨日まったく気付かなかったのは、この石段を歩いたのが真っ暗な夜でなおかつ上から降りてきたから。歩く方向や時間が違うとまったく違った景色が見えて、気付けなかった魅力を発見できる。何度も歩いてみるものですね。

さらに石段を登っていくと、民家の門柱にぴょっこり恵比寿さまが次々に現れます。

漁師の家だったりするのかな?竹崎島では個人で恵比寿さまを祀っている人が多いのでしょうか?

鮮やかな赤いおべべから顔を出すお魚

わたしが見た恵比寿さまはすべて海に顔を向けていたような気がします。やはりあえてそうやって置いているのでしょうね。

どの恵比寿さまもとってもいいお顔で、竹崎島の恵比寿さまが大好きになってしまいました。まだまだあちこちにいらっしゃる気がするので、また竹崎島の恵比寿さま巡りしたいなぁ!

竹崎城址展望台でランチ

ひょうたん島をすべて周れないままあっという間にお昼の時間。ランチの場所はあそこしかない!昨日の夕方も訪れた竹崎城址展望台へと向かいます。こんな雨だけど展望台へと登る家族の姿がありました。

子供の「ぎゃー!」という叫び声。なんだなんだと後に続くと、怖がって後退りする女の子の姿が・・・。

漁具資料館

!!!!!

あなたさまはぁーーー!!!

昨日太良町に着いた時、一番最初にご挨拶したヘルメット式潜水服さまではありませんか・・・!!!これに怖がっていたのねぇ。

しかしまさかこんなとこにもいらっしゃるとは・・・。展望台には漁具資料館が併設されていて、どうやら昨日来た時は時間が遅くてすでに閉館していたようです。

このような貝を潜水服で捕っていたのね

気になるお狐さまの写真も展示されていました。

平浜神社の野狐踊り

実はこの時すでに時間がなくてばったばた!漁具資料館もばったばたで写真だけ撮ってじっくり見れず・・・。急いでランチを食べてお祭りが行われる竹崎観世音寺へと向かうのであった・・・(いつもこのパターン)。

ピーナッツクリームは裏切らない

■参考サイト、資料

太良町の文化財と祭と民俗芸能

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria Planar 50mm f1.4

⑤竹崎島正月ひとり旅2024【最終回】へつづく▼▼▼