またもや雪がたくさん降ってきた・・・!
CONTENTS
- 白銀の西のカクチ
- 大日堂へ
- 修祓の儀〜地蔵舞
- 幡綜(はたへい)
- 花舞(神子舞、神名手舞、権現舞)、籾押し(もみおし)
- 幡上げ
- 神子舞(みこまい)、神名手舞(かなてまい)
- 大小行事(だいしょうぎょうじ)、修法(しゅほう)
- 本舞
- 最後に
白銀の西のカクチ
ピュン!っとタクシーで西のカクチの入口である平安神社へ。まだちょっと早い時間なので、建物内でちょっと雪をしのがせてもらうことに・・・。
でも!やっぱり!!様子を見にいきたいっ。はやる気持ちを抑えきれず、 ひとり西のカクチへと向かうことにします。少しずつ明るくなり始めた雪深き一本道。純白の雪がぼんやりと浮かび上がり、目の前には幻想的な風景が広がっていました。
ずぼっ、ずぼっ。昨日歩いた道と同じなのに、夜中に降り積もった雪で簡単に歩くことができません。そしてまだ誰もいない静寂の西のカクチが現れます。
そのことを確認できただけで満足!再び屋根のある平安神社へ戻り、待つこと約30分。わたしたち以外にも追っかけカメラマンの姿が現れ始めたので再び西のカクチへ。さっきよりもさらに明るくなり、雪はより白く輝き始めます。
すでに数人の関係者の姿があり、さっきはなかったと思われる龍神幡が西のカクチ前で目印のようにそそり立っていました。
ここが小豆沢集落と大里集落の合流地点。一体どこから現れるのだろう・・・っ!ハラハラドキドキ。その時が来るのを今か今かと待っていると・・・
下側の道から太鼓と笛のお囃子と共に現れたのは大里集落の人々。
今度は上側の道から同じように小豆沢集落の能衆たちが現れました。
夜明け前から各集落で舞いながら歩いてここまでやってきた小豆沢と大里の能衆たちがついにご対面・・・!!!
あっという間に吹雪始める西のカクチ。ほどなくして小豆沢集落による権現舞が始まりました。
続いて大里集落による工匠舞。
雪が降り続く白銀の世界。清められた神に近い人々が、清浄の地で神々に向けた舞を奉納しています。 これが何百年、何千年と繰り返されてきた光景なのだ・・・。
西のカクチでの舞が終わり、平安神社へと向かう道へと抜けいく人々を追いかけます。
平安神社で休憩する能衆たちを先回りして神社前で待機しようと雪の坂道を降ろうとすると、滑って滑って止まることができずに危うくずっこけそうに!(ほんとは見た目から滑りそうなのはわかってた)なんとか持ち堪えてセーーーフ!!!
平安神社前では笛吹きの人たちが待機していてちょっと恥ずかしかったね・・・。藁ぐつだと滑らないのか聞いてみたらぜんぜん滑らないらしい!なんとこの方と、お父さん(お父さんも笛吹き)の2人で編んものとのことでした。谷内ではもう編める人がいないということだったけど、こちらの集落(どこだったかは確認しそびれた)ではまだ継承されているんだなぁ。
大日堂へ
もっと話を聞きたかったけど平安神社から能衆たちが降りてきた!大日堂への移動が始まります。
あとね、あんまりこの道通っちゃいけなかったらしい。神様が通る道だから。横に滑らなそうな道もちゃんとあるからそっち通ろうね
てくてくてく。明るくなった早朝の八幡平は昨日よりも一段と真っ白でまぶしい〜。
午前8時。大日堂では4つの集落が大集結。すでに社殿の上では能衆たちを見守る多くの観覧客であふれていました。
修祓の儀〜地蔵舞
人々が見守る中、修祓の儀(お祓い)が行われ、旧地蔵堂の前では地蔵舞が始まります。
地蔵舞とは、先ほど西のカクチでも舞った小豆沢集落の権現舞のこと。 雪を背景に舞う幻想的な姿はこの地ならではで、九州に住むわたしにはまるで夢の中の出来事のように感じます。
幡綜(はたへい)
地蔵舞が終わると、境内をぐるっと3周ぐるぐる周り始めました。谷内での時と同じだ・・・!これを幡綜というらしい。


さらに龍神旗の行列は大日堂の外廊を3回ぐるぐるぐる。あとで能衆たちも同じく3回周るそうです。
花舞(神子舞、神名手舞、権現舞)、籾押し(もみおし)
再びふわふわ綿毛のような雪が舞い始めた大日堂。お堂の階段下に勢揃いした各集落の能衆たちによって花舞が行われます。これは神子舞、神名手舞、権現舞を舞う一連の動きのことをいうそうです。
権現舞の途中から、堂内では「籾押し」という脱穀の様子を表した舞が行われていたようですが、わたしは権現舞に夢中でまったく見れませんでした・・・。
幡上げ
堂内に入ると、いよいよ中はたくさんの人、人、人。「危ないから後ろにさがって」などと警備の人たちが案内をし始めると、あのかわいいイキモノがついた幡持ちの人たちが勢いよく外からかけててきた!
そして幡を天に突き刺すかのように、ぽーーーーーん・・!!!
次々に投げられる龍神幡を上で待ち構えている人々が受け取り、下にするすると垂らしていきます。堂内はあっという間に各集落の龍神幡で賑やかに彩られました。
そして!ついに!能衆たちのご登場!!
トップバッターは権現舞だぁーーーーー!!!(ぱふぱふぱふ)
舞台の上で奏でられるお囃子をバックに、各集落の能衆たちが次々に目の前を通り過ぎていきます。まるでスターの入場シーンを見ているかのよう。
神子舞(みこまい)、神名手舞(かなてまい)
ここからは能衆全員による神子舞と神名手舞が行われます。神子舞は「天の神」、神名手舞は「地の神」を礼拝する舞とされているそうです。
大小行事(だいしょうぎょうじ)、修法(しゅほう)
続いて大小行事。烏帽子に白い衣装を召した大行事、小行事と呼ばれる二人がお米とお金をまきまき!これには舞台を祓い清める意味があるそうです。この後、宮司と禰宜によって修法が行われ、いよいよ本舞の開始です。
この頃のわたしはといえば、「ここでもない」「あそこでもない」とあちこち移動して撮影スポット探していたらすっかり争奪戦に敗れ、分厚い人人人の壁に阻まれて一番外側になってましたね・・・(自業自得)。
お米をちょびっとゲット!お金にはまったく気付きませんでした・・・
本舞
小豆沢、大里、長嶺、谷内の4つの集落に伝承される7つの舞がこれから奉納されます。
権現舞(ごんげんまい) 小豆沢集落
まず最初は小豆沢の権現舞。獅子頭は権現さまと呼ばれています。「五ノ宮大権現の舞」といわれ、五ノ宮獄に入山したまま戻らなかった吉祥姫と天皇に生まれた五ノ宮皇子の霊を慰めるため、獅子頭を奉納して舞われるようになったと伝えられています。
権現さま、かなり激しく動くのですよ。夜明け前からあちこちで練り歩き舞を奉納しているからきっともうへとへとなはず。でもその疲れを微塵も感じさせない力強さ・・・!!
駒舞(こままい)大里集落
その五ノ宮皇子の御馬の舞などといわれる駒舞。全国に伝承される駒踊りの原型ともいわれています。
大人の男性の体に白い羽がもこもこついててなんだか可愛い。馬というよりまるでペガサスみたい!見た目は可愛いけど両の腕で力強く馬の頭を振り上げる様はめちゃくちゃカッコよかったです。
烏遍舞(うへんまい)長嶺集落
わー!なんかかっこいいのがやってきたーーーー!!!!!
こちらは今回わたくし初めましての長嶺集落に伝わる烏遍舞。吉祥姫の遺体を葬る様子を振り付けた「墓固めの舞」ともいわれています。どこか不吉な感じがしたのは、死者を弔う舞だったからなのかもしれません。ちなみに舞の最後にお御守をまくらしい(それ見てなぁーーーい!)。
わたくしどうにも黒衣の衣装の者に惹かれてしまう性分らしい・・・(谷内の四大明王もそうだった)。しかも顔に白い布を垂らして神秘的かつ不吉な感じがするところもたまらん・・・。一気に惹き込まれてしまいました。
舞台の両脇に設られた控室めいた場所へ、ぞろぞろと能衆たちが移動する姿も好きでした。
しかし遠い!遠すぎて見えないぃぃーーー!!!
というわけで、舞の最中だけどちょっと息抜きに外に出てみたり・・・。
境内では、大日堂そばなるものも売られていました。どうやら大日堂舞楽の舞にちなんで作られたお蕎麦のようで、風味がそれぞれ異なるようです。
鳥舞(とりまい)大里集落
スペース空いてないかなぁ・・・って戻ってみるも、そんな甘い話は転がってませんっ。
堂内では大日堂舞楽で唯一子供たちのみで行われる可憐な鳥舞が奉納されていました。だんぶり長者夫婦が飼っていた鶏が遊んでいる様を舞にしたものといわれていて、頭のてっぺんに鶏がくっついた鳥甲(とりかぶと)をかぶっています。めんこい!
五大尊舞(ごだいそんまい)谷内集落
いよいよもっと近くで拝みたいよー!なんて思いながらウロウロしていると、ついに特等席をゲット!するとなんとお次は我らが五大尊舞ではないか・・・!!!五大尊舞についての解説は一つ前のブログにてっ。
夜明け前から追っかけて、大日堂では正面でかぶりき。めちゃくちゃファンみたいじゃんっ。ていうか(たまたまだけど)間違いなくファンです・・・!!!
天井が高く、空間が広い分、谷内集落の小さなお堂で見た時とはまた違った印象を受けます。寒い寒い大日堂内で、威風堂々とした力強い舞と共に面の隙間からは真っ白な吐息が何度も吐き出されます。
その姿がとてつもなくカッコよくてシビれるっ・・・!!!
やっぱり一番最初に触れた谷内集落の舞に特別な感情を持ってしまいますね。これがインプリンティングというものなのでしょうか・・・
肩に手を乗せてぞろぞろ一列で控室に戻っていく姿も愛しすぎるぅぅぅーーー!!!!
工匠舞(こうしょうまい)大里集落
だんぶり長者の舞が終わると、西のカクチでも目にした工匠舞が始まります。この舞は、大日神の御神体を刻む様を舞にしたものといわれています。
田楽舞(でんがくまい)小豆沢集落
いよいよ大日堂舞楽ラスト。田楽舞が始まります。だんぶり長者夫婦が農民の労を慰めるために舞わせたものとも、農耕の様子を表現したものとも伝えられています。全国に残る田楽舞の中で、最も古い形式を残しているそうです。
大日堂舞楽は小豆沢集落の舞で始まり、最後も小豆沢集落の舞で終わるのですね。小豆沢はだんぶり長者の出身地。死後は夫婦共に (娘の吉祥姫も)この地に葬られたというから、やっぱりより深い役割を担っているのだなぁ。
最後に
すべての舞が終わったのは時間はちょうど正午頃。外に出ると吹雪いていた雪もいつの間にかおさまっていました。午前4時の谷内集落から始まり、8時間ぶっ続けでおっかけたわたしの大日堂舞楽はついに終わりを迎えたのでありました。
両国旅館への帰り道。世界がキラキラと輝いて見えたのは、雪に埋もれた八幡平の街並みのせいなのか。それとも夜明け前から能衆たちが舞うごとに、この地が清められたからなのか・・・。
誰にも汚されていない早朝の雪のように、真っ白で、清らかで、凛とした美しさを感じた大日堂舞楽。わたし自身も清められたかのような清々しい余韻に浸りながら、両国旅館でほっと一息つくのでありました。
参考文献・動画・サイト
『千三百年の歴史 大日堂 舞楽』おじいさんにいただいた本
大日堂に掲示されている大日堂舞楽の解説パネル
大日堂舞楽 前編|「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する
大日堂舞楽 後編|「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する
【Photos】祭堂:東北の雪深い山里で1300年続く舞楽 | nippon.com
大日堂舞楽 | 国指定重要無形民俗文化財|ユネスコ無形文化遺産|約1300年の歴史をもつ秋田県内最古の舞楽
昭和の頃と思われる大日堂舞楽の映像を見つけてとても面白かったので興味のある方はどうぞご覧くださいませ▼▼▼
⑪秋田・青森ひとり旅2024-2025につづく▼▼▼