彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

03.冬の山形ひとり旅2024【垂水遺跡編】

CONTENTS

移動開始

瀬見温泉に別れを告げ、車窓から見える雪を名残惜しく眺めながら電車は進みます。

新庄駅に着いてさらに電車を乗り換えると、すっかり雪は姿をひそめてしまいました。さみしいな・・・。

同じ車両に乗っていた外国人観光客が、日本人の乗客におそらく乗り換えについて尋ねてバタバタと電車を降りたので、わたしも慌てて下車。たぶん行き先が一緒な気がする・・・!

仙台行き

再び電車を乗り換えると、中は外国人観光客でいっぱい・・・!!日本人の方がすくないのではないかと思えるほど。外国人に人気のスポットと聞いてはいたけれどまさかここまでとは・・・。

山寺駅

瀬見温泉駅から約2時間ほどかけて山寺駅へと到着。外国人観光客と一緒にぞろぞろおります。まずはコインロッカーに荷物を預け、身軽になってから徒歩移動スタート!

山寺駅

観光客の姿もたくさん

通りには華やかさはないものの、昔ながらの土産物屋や飲食店がぽつぽつと並んでいます。

いも煮気になる

お昼の時間をとっくに過ぎていたので食べたいのは山々ですが、わたしに残された時間は少なんだよーーーーー。

憂をおびた猫

宝珠山立石寺(山寺)

駅周辺には860(貞観2)年に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が開山した宝珠山立石寺(通称山寺)があります。駅周辺・・・とはいっても「山寺」という別名の通り、東北を代表する霊山全体が修行の場。登山口から最終地点である奥之院までは約1時間ほどかかるらしい。

いい運動になりそうだ

実はこのブログを書き始めるまで、全国的にも有名な観光地であることを全く知りませんでした・・・。そう、つまりわたしの行こうとしている場所はその立石寺ではないのです。

目的地に向かって歩いていると、どんどん観光地っぽい雰囲気は消え、民家も通り過ぎ、最後には道路と川と山に・・・。

お札のようなものが落ちていた

最上三十三観音 第2番 山寺(天台宗 宝珠山 千手院)

駅から20分ほど歩いてたどり着いたのは同じく山寺のひとつである千手院。本尊である秘仏の千手観世音菩薩立像は、山寺を開山した慈覚大師によって作られたといわれています。

鳥居をくぐり階段を登ると、踏切のない線路が現れるのが印象的。

電車がこないことを確認して線路を渡り階段を登ると、ビニールに覆われたお堂の姿が。今だけこんな姿なのかしら・・・?情緒ある姿を想像していたのでちょっとしょんぼり。

旅の七つ道具のひとつを取り出す

ひとまず千手院へのお参りは後にすることにして、これを取り出します・・・。

東北旅のお守り

そう、熊鈴・・・!!!

わたしはなによりも熊が!熊が!怖いんだ・・・!!!!!

だって、ほら

冬だし冬眠してるでしょ・・・?とも言えないのが最近の熊事情。現にわたしは12月の北海道で野生のヒグマに遭遇したことがあるのだ・・・。

車の中で助かった

森を抜けた先には・・・

千手院から横道に入り、お墓を抜けて山道へ。リーンリーン!と涼やかな鈴の音を響かせながら雪が残る森の中を歩いていきます。

熊・・・こわいよ熊・・・・・

登っていくにつれて少しずつ雪が増えてきました。本当は雪が積もった状態で訪れたかったのだけど、経験値の低いわたしでは道標のない雪に埋もれた道を探し出せず、目的地までたどり着くことができなかったかも・・・。

暖冬でよかったことにする

垂水遺跡

千手院から15分ほど歩いたところでそれは姿を現しました。

生き物のように増殖しているような姿

目の前に立ちはだかる巨大な岩壁には、蜂の巣状に広がる穴。珊瑚や何かの骨のようにも見えてきます。計算されたかのように美しい。何百年、何千年かけて形作られた自然の姿なのでしょうね・・・。

大正時代頃までは実際に修行をする山伏の姿が見られたとか。熊、怖くないのかな・・・(そればっかり)立石寺を開山した慈覚大師円仁もここで修業をしインスピレーションを得て、山寺を東北における天台宗布教の拠点に定めたともいわれています。

慈覚大師円仁の宿跡と伝えられる窪み

垂水遺跡の中でひときわ美しい網の目模様が広がる中央の窪みには木の鳥居が建っていて、手前には登れるように小さな階段が掘られています。山道を歩くというのにロングスカートを履いてきていたわたくし。しかしここまで来たからには何が何でも登らねば・・・!

ちょういい大きさの窪みで落ち着く。わたしも住めるかも〜

さらに登ったところにはお稲荷さんが。

岩肌に鮮やかな赤が一際目立っていました

さらに上の方にも小ぶりの窪み

ちょうどお稲荷さんのところにいる時に下界から楽しそうに会話するカップルの気配が・・・。じっと息を潜めていたら登ってきたときにきっと驚かせてしまうに違いない。

ここに人がいるよ!!わたしがいるよ!!!わざと音を立ててアピールしながらそろそろ下へと降りましょうね・・・。

いきはよいよい、かえりはこわい。おそるおそる降りました・・・

鳥居の隣にも鈴が取り付けられた拝所があります。見事に垂直に伸びた木を見上げると、岩と岩の隙間に何かがあるのが見えました。暗がりに目を凝らすと・・・

氷柱と不動明王さまのお姿が・・・!

驚くべき信仰心。こんなところにまで仏像がいらっしゃるとは・・・。一体どうやって登ったのでしょう。

この場に限らずあちこちに氷柱があったけれど、午前中の晴天によりすでに溶け出していました。落ちてヒヤッとする瞬間も!ささったら一大事です・・・。

凶器の氷柱

北の地での冬旅は「氷柱」に気をつけろ。またひとつ学びました

実はこの垂水遺跡、立石寺からは少し離れてはいるものの、やっぱり人気の観光スポットのようで、1時間ほどの滞在中6組ほどの観光客と遭遇。荘厳な雰囲気を期待して行ったのですが、実際はワイワイしながら訪れる観光客が多く、じっくり見学することはできませんでした・・・。この時間帯だったら熊鈴もいらなかったね・・・

早朝だったら雪や氷柱もまだ生き生きとしていただろうし、感じ方もまた違ったかもしれません。だかしかし、観光客が多いということには利点もあります。

うれしい

わーい!記念写真を撮ってもらったよーーー!!!

満満満足したので、最後に千手院にお参りして帰りましょう。

地面の雪も溶け出していた

ムカサリ絵馬

実は、もうひとつ山形でとっても見たいものがありました。それはムカサリ絵馬。(いつまでたってもムカサリが覚えられない・・・カタカタ文字が苦手なのだ)

ムカサリとは山形県村山地方の方言で、「迎える」から転じて「結婚」を意味する。ムカサリ絵馬は、未婚で亡くなった人の供養のため、婚礼の様子を描いて近親者が奉納する絵馬のことである。村山地方にのみ見られる習俗で、現存する作例では明治時代後期以降のものが確認されている。

ムカサリ絵馬について|〇五 祈りの絵馬と山寺と|現代山形考 藻が湖伝説より転載

ずっと気になっていたこのムカサリ絵馬。千手院にも奉納されているという情報をネットで得たので、どうしても見に行きたかったのです。

猿が入ってくるらしい

ドアを開けて中に入ってみると、ビニールで囲まれた空間までは入れるけど、中の本堂は締め切られていて入れなくなっていました。張り紙には11月から3月までお休みと書かれています。なんということ・・・(冬期だからとか???)。

本堂の外側の壁にないだろうか・・・?探してみるけど、紙を剥がしたような跡と、「コロナ収束祈願」しかない・・・。

このお札もずっとこのまま残っていれば、何十年後には貴重なものになっている気がする

失礼します・・・と心の中で念じながら中を覗いてみるも、ムカサリ絵馬らしいものは見当たりません。見えないところにあるのか、それとも・・・。

見事な千手観音さまがいらっしゃった

うぅ、密かに大きな目的のひとつであったのでショック・・・。さらにショックを受けたのが実はつい昨日のことだったりする。ブログを書くために千手院のムカサリ絵馬について調べていたら、以下のような記述を見かけたのです・・・。

立石寺では明治二年火災で奥の院が消失しており、現存するのは明治中期のものであるが、それ以前のことは不明である。また、ムカサリ絵馬が奉納されているのは奥の院、中性院、金乗院などである。

ムカサリ絵馬 - Wikipediaより抜粋

なんと!完全にスルーしていた立石寺(山寺)の奥の院等にムカサリ絵馬が奉納されているというではありませんか・・・!なんということだ・・・あんなに近くまで行ったというのに・・・。

今回の旅では拝見することは叶いませんでしたが、ムカサリ絵馬についてはメインでがっつり旅してみたい風習ではあるので(山寺以外のお寺は公共の交通機関ではなかなか行きづらい場所にあったりするんだけど)、次の機会にとっておこうと思います。

お昼ごはんは、さくらんぼソフト

さて、そろそろ電車の時間が近づいているよ・・・!急げ急げーーーー!!急いでさくらんぼソフト食べにいくぞ!!!(え?そっち?)

だってだって、お店を通った時から帰りに食べるって心に決めていたのだ・・・!

レトロな絵がよき

行きの時にはとってもいいお天気でちょっと暑いくらいだったのに、すでに空はどんより曇り空。ちょっと肌寒くなってきたよ・・・。でも、さくらんぼソフトを食べないで帰るだなんてできないよ・・・!!!

もう味はすっかり忘れたけど美味しかった

店内でゆっくり食べる時間はもちろんありません。お行儀悪いけど食べながらダッシュ!!なんとか間に合ったーーー。

ホームから何気なく撮った写真を後でまじまじとみてみたらなんと奇怪な崖の上にお堂らしきものが・・・。立石寺(山寺)の壮大さに吃驚してしまいました。

まるで中国の山水画に描かれそうな世界

山寺駅を出発し、山形駅で乗り換えて、本日の宿泊地へ。そこでまさかあんな予想外の展開が待ち受けているとは・・・。

昨日から移動ばかりしている気がするよ・・・

■参考サイト

市長のやまがた自慢「垂水遺跡」|山形市公式ホームページ

宝珠山 千手院(天台宗)/ 最上三十三観音 第2番 山寺|観光スポット(山形市・村山地方)|やまがたへの旅 - 山形県の公式観光・旅行情報サイト

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:Konica AUTOREX + HEXANON AR57mm F1.4

04.冬の山形ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

01.冬の山形ひとり旅2024【嗚呼、麗しの喜至楼・前編】

冬の東北に行きたい!雪にまみれたい・・・!!!

そんな気持ちで何ヶ月も前から計画していた冬の東北旅。しかし今年は暖冬というではありませんか・・・。果たして夢の雪旅を体験することができるのか・・・。

生まれも育ちも生粋の九州の民は雪への憧れを胸に、2月のはじめに山形県へと旅立ったのであった。

CONTENTS

福岡から宮城へ

今回は宮城県から山形入り。まずは福岡空港から仙台空港へ。午前9時のフライトなので、いつものハードな旅とは違いのんびりな朝です。ほんとはもっと早く向かいたいけど福岡からだと便数が少なくてもどかしい・・・。

7:30の空

空港でプチトラブルがあって(すべてはわたしのうっかりのせい)、もしかして飛行機乗れないのでは・・・!?と、めちゃ焦ったけどなんとか飛行機に乗れて無事出発!!!

心はいつまでたっても子供だから、ずーーーっと外を眺めてしまう

機内で可愛い手拭い売ってて、まだ東北に着いてないのにうっかりお土産(自分への)買いそうになったよ・・・

雪!もしかして、雪旅できちゃう???

雪山を飛び越えて仙台空港へと到着。

やっぱり雪、積もってないね・・・

宮城から山形へ

ここからは時間との戦いです・・・!まずは電車に乗って仙台駅へ向かいます。

乗り継ぎがうまくいかなかったら仙台駅でお昼ごはんを食べてこうと思ってたけど・・・うん、賭けてみよう!

電車移動しながらスマホで新幹線のチケットを購入してICカードを紐付けます。発券する時間を短縮して、改札を素早く作戦です(便利な時代じゃのう)。

あっという間に仙台駅に到着。初めて訪れる場所での乗り継ぎはドキドキ!乗り換えの時間は約12分。駆け足で新幹線乗り場へ・・・!ちょっと迷ってパニクったけどなんとか間に合った!!

初めまして仙台。でも、すぐにさようなら。今度はあなたメインで訪れるから待っててね・・・!

新幹線に乗ったのも束の間、たった13分で降りちゃうよ!(なんて贅沢な新幹線の使い方なのだ)だって、1秒でも早く目的地に着きたかったんだもの・・・。下車したのは古川駅。実はまだまだ宮城県。再び乗り換えるために在来線乗り場へと向かいましょう。

鳴子温泉郷って書いてる!もしかしてここから近い・・・??

少し待ち時間があったので、お昼ごはんを調達しようと土産物を物色。うーん、ご飯ぽいものがないなぁ・・・。仕方ないのでおやつを買ってホームへ。

やっぱり鳴子温泉が近いんだ!

正午過ぎの電車で出発。おやつごはんを食べながら車窓からの景色を楽しみます。

どちらも美味しかったよ

山形へと向かうにつれて少しずつ増えていく雪・・・(ときめき!)。暖冬で雪には会えないと思っていたからとても嬉しい。テンション急上昇です。

鳴子温泉も通過・・・っ。いつか行ってみたいな。

こけしこけしこけし

雪景色を走る、走る。

そしてついに目的地に到着!時計を見ると14時前。11時前に仙台空港を出発してから約3時間、福岡からカウントすると約5時間・・・!!遠かったーーーーー。乗り継ぎに失敗してたら夕方に着いてたとこだったよ・・・。

 

瀬見温泉

旅の最初に訪れたのは、山形県の北東部に位置する最上町の瀬見(せみ)温泉。

雪だ!雪だ!雪だーーーーー!!!

きっと本来ならもっと積もっているのだろうけど、普段1mmも積もらない福岡の都市部に住んでいる身としてはこれでもじゅーぶんテンション上がるのだ。ほんとは吹雪くくらいの雪を欲していたけどね!

もっと、もっと雪ください!

無人駅を出て瀬見温泉へ向かっていると、歩道に「義経通り」と書かれた石柱がありました。

義経通り

そう、ここは源義経にまつわる伝説が残る温泉地。

源頼朝の追手を逃れて亀割山中で一夜を過ごしていたところ、義経の奥さまが産気づいて赤子を出産。弁慶が産湯を求めたどりついた川辺で大岩を薙刀で突き破ると温泉が吹き出したそうで、これが瀬見温泉のはじまりと伝えられています。義経と弁慶の伝説に彩られた瀬見温泉は、江戸時代には領内随一の温泉場として賑わい、歴代藩主の入湯場にもなっていたとか。

義経と弁慶モチーフがあちこちに

喜至楼(きしろう)に泊まる

橋を渡ってほどなくすると、さまざまな様式の建物をテトリスみたいにくっつけたかのような印象的な建物群が現れました。本日宿泊する喜至楼です。明治・大正・昭和の建物が混在した山形県内に残る最古の旅館といわれています。

駅から歩いていると、一番最初に見えてくるのがこちらの木造建築。

木造なのにモダンな雰囲気にキュン!

そしてそのお隣が喜至楼別館。宿泊する人はこちらから入るようです。

「別館」ということは、もちろん「本館」があります。

その素晴らしきお姿がこちら・・・!!!

魅惑の木造4階建

喜至楼の創業はなんと江戸安政年間で、立ち寄り湯の入口にもなっている本館玄関の建物は明治元年に建てられたものだそうです。

本館玄関上には「㐂至楼」の文字(「㐂」は「喜」の異字体)

別館でチェックイン

外観の見学はこのくらいにして、まずはチェックインをしに別館へと向かいます。

左奥に見えるのが別館

たぬきがこんにちは

フロントには喜至楼のすべてを知り尽くしているかのようなおばあさま。

市松模様の床が印象的

夕食は18時から。あ、朝食の時間も決めなきゃね。明日は早い電車に乗りたいから6時30分くらいに食事できないかなぁ・・・って聞こうとする前に「朝食開始は7時30分から」と言われ撃沈!早速予定が狂うことに・・・。

明日どうするかはまた後で考えよう!夕食の時間まで約3時間半ほど。部屋に荷物を置いて館内の散策と温泉街をお散歩をするぞーーー!!

温泉まんじゅうや、去年の岩手旅で生まれて初めて食べた「しそ巻き」のお土産も!

部屋に案内される通路にも興味深いものたちが置かれていて目移りしちゃう。展示室のような空間もありました。

イタチの剥製?

部屋の名前も味わい深い・・・。

「横笛」が義経っぽい!わたしは鈴虫か乙女の部屋に泊まりたいな・・・(永遠の乙女より)

廊下の隅には年季の入った将棋の台も。たくさんの人がこの台で将棋を指したんだろうなぁー(ちなみにわたしは「と」だけで遊ぶやつか、将棋崩しの遊びしかできません)

別館・部屋

わたしのお部屋は別館の「須磨」。本館に泊まりたかったな・・・。数ヶ月前に予約したにも関わらず別館のお部屋しか空いていなかったのだ。

浮かび上がる須磨

広縁(ひろえん)のあるお部屋っていいよね

荷物を置いてほっと一息・・・つく暇もなく、まずは館内探検へと出発!!

永遠に彷徨いたい喜至楼本館

ローマ式千人風呂

まずは一番楽しみにしていた本館の温泉へ。本館と別館は中で繋がっていて、増築に増築を重ねてこのような姿になったのだろうなぁーというような構造をしています。

別館と本館を繋いでいる階段

喜至楼にはいくつもの浴室があって館内で湯巡りすることができるのですが、一番の花形はなんといっても「ローマ式千人風呂」。もう名前を聞くだけでワクワクしちゃうでしょ!?

階段を降りると左には本館玄関、右に向かうと「ローマ式千人風呂」と「あたたまり湯」のふたつの温泉が待っています。

なんだか玄関もすごそうだけど・・・まずはお風呂お風呂お風呂ですっ。

洗面所も素敵

この先にあるのがお目当ての「ローマ式千人風呂」。

実はこちらのお風呂、女性は15時〜19時、男性は19時〜22時と時間帯が決まっていて、その他の時間は混浴タイムになるのです。つまりちょうど今が入るチャンス!

だけど館内を探検したいしお散歩にも行きたい!そんなわけで、ダッシュでもろもろ終わらせて、5時半頃に戻って温泉に入る計画です。もちろんこの時点ですでに中には入っていて興奮しながら写真を撮りまくってはいるのですが(めちゃくちゃ素敵で大好きだった!!!)、それは温泉に入ってからのお楽しみ・・・というわけで、お次は明治に建てられたという一番歴史のある本館玄関へと向かいましょう。

本館・玄関

めでたや、めでたや〜。な、さまざまなモチーフが装飾された玄関。

スリッパにも「キシロウ」

なんと言っても旅館の名前が「喜至楼」だもの。気持ちが明るくなるねぇ。

そして玄関を入って左側には「いらっしゃいませ」とお客さまを迎え入れる着物姿の女性の姿が。

天井が放射状になっていて遠近法!?なのもおもしろーーーい!

そして右側には「ありがとうございました」と見送る女性。なーんて愉快な装飾なのかしら!

見送る女性の左上には鶴、迎え入れる女性の左上には亀がいました。彼女たちを鶴子さんと亀子さんとお呼びしましょうね

下駄箱である戸には竹の立体的な彫刻が彫られています。

にょきっと筍

向かいの襖には立派な松

正面の大きな時計も明治時代のもの。古い金庫の上では福々しい大黒様が見守っています。

ストーブの上にヤカンが置いてあるのも好き

昔の金庫の美しさよ
本館2階・3階

玄関から階段を登り、今度は客室のある本館2階へと向かいます。ひそかに方向音痴であるわたくし。外ならGPS付きMAPでどうにかなるのですが、室内だとそういうわけにもいきません。

まず目の前に現れたのはとてもいい雰囲気の炊事場。

昔から貼られたままであろう案内をみるのもたのしい。

旧漢字にグッとくる性癖

階段を降ったり登ったりくねくね通路を曲がったりしているうちにどこをどう歩いているのかちっとも分からなくなり、まるで迷宮を彷徨っている気分に・・・。

自分がどの建物にいるのかよくわからないまま、客室の連なる通路へと到着。

ひょうたん!

後ろを振り向くと一目みたら目が離せなくなる魅惑的な福助の姿が・・・!!

いらっしゃいませ〜

福助に誘われるようにふらふらと3階へ・・・。

階段の脇には時代を感じさせる火鉢も

目の前に飛び出してきたふたつの生き物がわたしの心を奪い去ります。

うさぎとかめぇぇぇーーーーー!!!

壁にぼんやりと浮かびあがる兎と亀。もはや動悸が止まりません・・・。この不思議な一角には電話機が置かれていたのでしょうか。

横には客室が続いています

嗚呼、本館に泊まりたかった・・・。

そう強く思わせる素晴らしい装飾の数々にうっとり・・・。

本館・部屋

名残惜しく思いつつ2階へと降りると、お仕事中の旅館の青年と出くわします。するとなんと!部屋を見せてくれるというではありませんか・・・!!

襖に雪の結晶〜!!!

泊まれなくても、実際に部屋の中を見ることができてよかった。ありがとう、青年!君に幸あれ・・・!!

別館・大宴会場

素晴らしい意匠がてんこ盛りで目が離せず、どんどん時間が押していくよ!そろそろ外に出ないとローマ式千人風呂に入れなくなる・・・!!慌てて別館玄関へと向かいます。

するとまた2階の部屋を見せてくれた青年と遭遇。大宴会場も見せてくれるって・・・。うぅ、君は仏さまなのかい??ありがとうだよ・・・・・!!!

歓迎の暖簾に導かれ足を踏み入れるとステージのあるお座敷が広がっていました。

昔は芸者さんも呼んだりしてたのかしら

ここにも義経と弁慶の絵が飾られています。

マッサージ椅子。たまらーん

瀬見温泉をあるく

建築欲(浴)はだいぶ満たされたので、いよいよ瀬見温泉散策へと繰り出します!時計の針はすでに16時半。1時間で帰って来れるかしら・・・?

いってきまーす!

湯前神社

別館と本館の間には湯前神社があります。

神社の前には飲む温泉が!もちろん飲みたいっ。でもめちゃくちゃあっつい!大袈裟じゃなくあっつい!!手ですくってもふーふーして冷めるのを待てないくらいの熱湯っぷり・・・。頑張ってちょっぴり飲んで味を確かめたけど、普通に飲みやすいお味でした。大大大昔の大学生の頃にチェコのカルロヴィ・ヴァリで飲んだ温泉はもっと不味かった・・・気がする・・・(遠い記憶)

温泉街をすたすたと進みます。

酒屋さんや和菓子屋さんもあって寄り道したいけど・・・わたしには行きたいところがあるのだ!

いい看板

橋を渡り・・・

川をのぞむ

10分ほど歩くと・・・

かわいいほっかむりおばあちゃま

亀割子安観音

たどり着いたのは亀割子安観音(かめわりこやすかんのん)。

いらっしゃった・・・!!!

しめじかな?

うむ、予は満足である・・・!!!

大事なミッションを終えたので、ぷらっとしつつ早々に旅館へと戻りましょう。

行きの時も渡った橋を歩いていると、さっきは気づかなかった真っ赤な鳥居が目に入りました。

橋の先には真っ赤な鳥居と素敵な蔵も

どうやら鳥居の先には、自然林に近い「三吉山自然植物園」が広がっていたようですが、この雪の状態ではどう登ってよいのやらちっともわからず・・・。

すぐそばに誰にも汚されていないまっさらな雪が積もっていたので、ずぼずぼと踏みしめる遊びを存分に楽しんでからUターン!!

もっと!雪をたのしみたいんだ!!

再び喜至楼が見えてきました。温泉が・・・わたしを呼んでいる・・・・・。

ただいま、喜至楼

ついにその時が来たようです。

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:Konica AUTOREX + HEXANON AR57mm F1.4

02.冬の山形ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

⑤竹崎島正月ひとり旅2024【竹崎観世音寺修正会鬼祭・日中行編】

CONTENTS

雨の竹崎観世音寺

土砂降りではないものの、わたしの願いも虚しく相変わらずの雨・・・。昨日準備が行われていた建物に向かってみると、ちょうどお祭り前のお経を唱えているところでした。

入口上部には「平井坊」の文字

見学もほどほどに、早速お寺へと向かうことにします。

雨だねぇ・・・

お祭りが始まる前に、本堂内をじっくり見るチャンスです・・・!!!

千手観音さまのお隣にはカッコイイ仏様もいた(不動明王さま?)

祭壇には鏡餅や稲穂、野菜や柑橘などがお供えされています。童子たちの貝に入れる稲穂もここから取っていました。

お供えもの

そもそも鏡餅ってどんな意味があるんだっけ?気になったので調べてみました。

鏡餅(かがみもち)とは、餅を神仏に供える日本の伝統的な正月飾り(床飾り)であり、穀物神である「年神(歳神)」への供え物であり、「年神(歳神)」の依り代である。鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。鏡はこの世とあの世の境界と捉えていた。昔の鏡は青銅製の丸形である銅鏡で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。

鏡餅 - Wikipedia より抜粋

へーへーへー。歳神さまへのお供物&依り代で、「鏡餅」の名前は昔の鏡に似ていることからそう呼ばれるようになったのね!内陣正面の両側に飾られている装飾されたお餅はまんま鏡の形だよ・・・!!

最初鏡餅と言われた時はピンとこなかったけど、銅鏡と言われるとしっくり

本来なら日中行でも昨晩と同じように荷を抱えながら階段を登ってくるはずなのですが、すべて本堂に置かれたまま。やはり今日は雨のため本来の形では行わず、すべて室内で行われるようです・・・。

祭壇両側の畳の上には、子どもたちが頭に被る魚笠や籾殻を入れてた貝などの道具が一式置かれています。そしてその奥には・・・

子どもたちが使うアイテム

・・・異形の面!??

荒々しい真っ黒フェイス

ぐりっと飛び出た目玉にとんがった鼻、ぐっと食いしばった口。真っ黒な肌に白い線が躍動し、荒々しくて迫力あるのにどこかひょうきんなお顔。なんて味わい深い面なのでしょう!!

もしかしてこれが鬼・・・???

と思ったけれど、どうやら「翁面」らしい。翁=お爺ちゃんのイメージだけどちっともそのようには見えず、まるで鬼か天狗のようだ・・・。
鬼の逢瀬を阻止するための祭りですが、肝心の鬼の面は鬼箱に入れられたまま、代々の住職ですら見てはいけない秘面であるという。トキメキがすぎるではないか・・・!!(鼻血案件)いつの時代に作られたもので、一体どんな姿形をしているのでしょうね・・・どきどきわくわく。

ちなみに昔(少なくとも1665年頃まで)は、実際に鬼の面をつけて責める形の行事が行われていたようです。

現行の行事では、鬼は鬼箱に閉じ込められたまま四名の鬼副に擁護されて、最後までその姿を表すことはないが、古くは鬼面をつけた者を実際に責める行事であったという。市場直次郎氏は、寛文九年(一六六五)大木英鉄の序ある『肥前古跡縁起』に、「古へ故ありて鬼祭と云祭礼をなす事あり(略)毎年正月六日、此神事をなすこと、白布の袋に人を入、口をくくり、鬼面をかけさせ、拝殿におどり出れば、人々首に縄を付てあたりを引き廻す。所在のわらべども、竹の枝など面々持て、此鬼舞を打ちたたく(略)」と記されており、現在とは異なる鬼責めを行っていたようであると記しておられる。

「追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―」中村茂子著 より

今では鬼箱に収められている秘面が、その鬼責めに使われていたものなのかは分かりませんが、時代が下るにつれてどんどん祭りの形が変容していったのですね。おもしろい〜。

お堂内には、一番賑わっていた頃というお祭りの写真が飾られていたました。今では行われていない鬼箱の鬼を封じ直す「鬼攻め」のシーンです。見てみたかったなー。

こんなに若者が溢れていた時代があったのだ

壁には祭りの流れが書かれた張り紙も。その時にはちっとも気づかず全部撮れてなかったよね・・・(相変わらず残念な我が注意力)

見切れていても撮っててよかった

そろそろお祭りが始まる13時。撮影スポットで待機せねば・・・!!!

雨・・・ですね・・・

日中行

本堂から太鼓と鉦の音が鳴り響きます。

昨晩とは違う始まり方にワクワク!

その音を合図に、階段から傘を差した人々が次々に登ってきます。晴れていれば遠くには青い海と空が広がってさぞ美しい光景だったろうなぁ・・・。

ま、これはこれでレアということで

鬼副と呼ばれる若者ふたりが2本の棒を槍投げのようにお堂(というよりも空?)に向かって掲げたかと思うと、勢いよくお堂に向かって走り出します。

裸足で駆け抜けます!がんばれ若人!!

後に続いてぞろぞろぞろ。わたしたちも本堂の中へと参りましょう!

太鼓経・フレイ経

本堂内では昨晩と同じようにお坊さまのお経ソロに始まり、お経&太鼓セッション、子どもたちの籾殻わっしゃー!へと続きます。

いつみてもかわいい抱っこ

籾殻をわっしゃー最後にぶちまけるフレイ経がやっぱり好き!このフレイ経は初夜行、今では行われていない後夜行、日中行すべての行で行われるからとても大事なものなんだろうなぁ。

わっしゃーーーーー!

大聖棒(だいしょうぼう)打ち切り(1回目)

お次は鬼副ボーイズの一人が48本の樫の木を一つに束ねた大聖棒を担いで現れます。この鬼副は毎回かっこいい青年が選ばれると、昨日焚き火していた時に少しお話させていただいたおじさまが教えてくれました。

他の地域の牛王杖(ごおうづえ)に相当するものらしい

「だいしょーーーう だいしょーーーう」

周囲の掛け声に囃し立てられながら、お堂の入口で大聖棒の束をゆらゆら床に向かって揺らした後、振りかぶって階段の角に勢いよく打ち付けます。

ドーン!

どうやら結んでいる縄を切らないといけないらしい。何度も挑戦するのですがなかなか切れず・・・(思わずガンバレーと言ってしまう)。

そんな時はおじいちゃんの七つ道具、カッターのご登場だよ!

縄に切れ目をいれるのであります

と思ったら・・・切り過ぎたようで、振りかぶる前に切れちゃった・・・!!!

顔を見合わせて苦笑い

しゃーないので、このまま振りかぶってーーーー

ドーーーーーン!!!

するけど、やっぱり切れない・・・。このぐだぐだっぷりが可笑しくて愛しい!

もうえーじゃろーーーっと、棒をひっぱり抜いてバラバラバラーーー

傍観者だった人たちが一斉に棒に群がります・・・!その勢いにびっくり・・・!!!

老若男女入り乱れ、あっという間になくなってしまいました・・・。

どうやらこの大聖棒にはご利益があるらしく、2本も3本もゲットしている人もいました。欲が深いねぇ〜(人のこと言えない)。

天狗拍子

そして再び童子たちの出番。本来ならここから庭に降りて行われるのですが、あいにくの雨。すべて本堂の中で執り行われます。

童子たちがそれぞれ赤と緑の扇を持った左手同士を繋いで引き合いながら、右手のマラカスみたいな鈴をふりふりーーーふりふりーーーーー。お坊さまの言葉に合わせて舞いを披露します。

大聖棒打ち切り(2回目)

そして2度目の大聖棒打ち切り。相変わらずのぐでぐでっぷりでカッターおじいちゃんが何度も登場していました笑

なんとか縄を切って棒をぶち撒けます。棒に群がる人々の熱量もやっぱりすごい!今回もあっとう間になくなってしまいました。すると、その棒をお坊さんに頼んで地面にバシバシ叩いてもらっています。

こうするとご利益が増し増しになるの・・・?

牛王杖(大聖棒)について少し調べてみると、お堂の床を叩いたりすることで悪霊を退散させるという意味があるようです。なるほど〜。

ヒザツキ

棒叩きタイムが終わると再び童子さまたちのご登場。一番やること多いのこの子たちだね!がんばれーーー!!

鈴をふりふりする「天狗拍子」と同じ?と思いきや、さっきとは違う膝を曲げる所作があります。

鈴を振る時はお坊さんが「ふってふってーーーーー」って言ったり、動作を指示してその通りに動く童子たちの姿がなんだかとてもほんわかしてて好きだったなぁ。

男面と女面

一番最初に舞うフレイ経では大人の男面をつけていましたが、2回目の「天狗拍手」と3回目の「ヒザツキ」では大人の女面を被っています。わたしはその場にいる時は違う面をつけているとはまったく気づかず、後で調べて知るという・・・。だって、わからなくない???

(左)男面 (右)女面

・・・あれ?よーーーーくみたら、もしかして女面「お歯黒」してる・・・!??(あと、男面にはもみ上げがある?)

お、おもしろーーーい!!!

このことからも古い時代から行われてきた祭りなのだということがわかりますね・・・。ちなみに以前の祭りの映像を見ると、女面の時は色とりどりの紙で作られた飾りを頭に被るようです。やはり雨で完全版ではなかったのか、それとも今年からやめたのかは不明。見たかったな・・・。

ビサラモンポー(毘沙羅門棒)

これ以降はすべて面なしの素顔での舞。一本の大聖棒を手に、お坊さまの「びさーらもんぽー びさーらもんぽー」のリズムに合わせてステップを踏みます。

びさーらもんぽー びさーらもんぽー 頭から離れなくなるー

童子舞には陰陽師等でも知られる足で地を踏みつける「反閇(へんばい)」の所作をはじめ、全体に呪法的色合いの濃い動きが見られるそうです。本日何度目かのトキメキ・・・!!!

鉾突き

お次は鬼副ボーイズの出番!囃し立てるように一斉に法螺貝や鐘の音が鳴り響きます。

笛吹のおいちゃんたち

法螺貝吹いてるおいちゃん

鉾を交差させ擦り合わせると、ぐるっとゆっくり半回転。そしてその交差させた鉾の間をお坊さまたちがくぐり抜け、再び鬼副がゆっくりと半回転して元の位置に戻ります。

ぞろぞろぞろ

鬼副ボーイズが色とりどりの紙飾りをずっとくわえているのも面白いと思いました。

どんな意味があるのだろう?

翁面

鬼副ボーイズが童子たちに例の翁面を持ってきました!大聖棒の先に翁面をあてて、お坊さまの「なよーい  うよーい」の言葉に合わせ、翁面をこくん、こくんと頷くように揺らします。(意味は・・・わからん!)

向かい合って、こくんこくんと翁面を揺らします

それが終わると鬼副が再び翁面と大聖棒を受け取ります。

まるで童子たちの助手みたい

青蓮華・赤蓮華(しょうれんげしゃくれんげ)

まだまだ続くよ童子舞!お次に鬼副が持ってきたのは赤と緑の風車のような飾りもの。どうやら蓮華を表しているようです。この飾りを片手で持ち、お坊さんの言葉に合わせてステップを踏み、最後はその場でぐるーっと回って「なりけりー!」の声に合わせて決めポーズ!!

お坊さまの「なりけりー!」の掛け声に合わせ、天に蓮華を掲げる童子たち

五大忿怒王(ごだいふんぬおう)

鬼副が蓮華の飾りを受け取り戻ると、今度は童子たちの父親と思われる両副たちが刀を差し出します。

「ごだーいふんぬーおーう ごだーいふんぬーおーう」

お坊さまの言葉に合わせ、ステップを繰り返します。単調ではあるものの、途中で後ろ向きにステップを踏む動きがあるので慣れるまで難しそう!

後ろ向きでもぶつかることなく舞を終えます

そして毎度お馴染み両副による童子だっこ!これにて童子舞はすべて終了です。

大役 お疲れ様でした!

以上の7つの舞すべての前後では、この両副が童子たちを抱えて決して歩かせることはありません。

今回は雨ですべてお堂内で行われましたが、通常ならこれらすべての舞ごとに両副がお堂内から童子たちを庭へと運び出し、舞を終えたら再びお堂へと運び入れるという姿を見ることができます。

移動の時に地に足をつけさせない理由は、堂内は霊界であって童子は聖なる霊体として扱われていることを示しており、その聖なる霊体の出現を演出しているものと考えられているそうです。しみじみとおもしろいなぁーーー。

この後に行われていたはずの鬼攻めはもちろん今回も人手不足により行われることはありません。お坊さまによる最後のお経が行われ、竹崎観世音寺修正会鬼祭は終了となります。

最後のお経

お疲れ様でございました!!!

「平井坊」へと戻る人々

大聖棒ラストチャンス

帰ろうとしているおいちゃんにどこに大聖棒を飾るのか聞いたら、縁起物だから玄関に飾ることが多いと言っていました(後日読んだ資料には、床の間に飾って農家では田畑の虫除けにするとも)。

わたしが大聖棒を持っていないことに気づき何度も「あげよか?」と言ってくれたけど、そのままバスや電車に乗ってたら不審者なのでは・・・?それにもらっても場所に困りそう・・・と思って気持ちだけもらってお断りしたんだけど、今更ながらちょっと後悔。今年一年約束されたご利益を取り逃しました・・・。でも、きっとその場にいたことでご利益のおこぼれもらえてるはずーーー!!!次はぜひとも大聖棒の壮絶なる争奪戦に果敢に参加したいと思いますっ。

さて、祭りの様子はYouTubeに色々と転がっていますので、もっと詳しい祭りの様子を見てみたいという方はぜひとも検索してみてください。実際に観に行くのが一番オススメだけどね!

さよなら竹崎島

竹崎観世音寺近くのバス停でバス待ちしてたら、バス停隣に車停めてたおいちゃん(大聖棒のおいちゃんとは別)が駅まで乗せてってあげるという!でもあと数分でバスが来そうだったのでこれまた丁重にお断り。ほんと、世間にはやさしい人が多いね。ありがたい・・・。

すぐにやってきたバスに乗り込みます

バスに乗るとなんと「無料」と言われてびっくり!え?そんなことあるの!??聞き間違いかなぁと思ったら、次々に乗ってくる人たちに無料って言ってて、みんな「え?無料??」って驚いているのも面白かった。正月だから??無料すごいわ!ありがたやー!!今回の旅ではスマホ壊れたり雨降ったりしたけど、なんだかんだで色々と幸せな気持ちになれてもしかしてラッキーなのでは・・・???

バスの車窓からはキリスト看板も発見できたし!

有明海にもさよなら

あ!佐賀でよく見かける交通安全子ちゃんだ!!!(わたし命名)

好き!

鹿島市観光物産センター

あっという間に肥前鹿島駅へと到着。少し時間があったので、駅内にある鹿島市観光物産センターを物色することにします。

地方の練り物はなんでこんなにも美味しく見えるのか・・・(エビマヨカツ買って食べたら美味しかったよ!)。

ご当地感満載のお菓子を見るのも楽しいよね。

鹿島市には有名な祐徳稲荷神社があるのですが、稲荷ようかんなるものが売られていました。

有明海ならではの「わらすぼ」や「むつぼろう」関係の品々も充実!!!

B級ホラー映画感満載のマグネットたまらんね

自分へのお土産にムツゴロウ爪楊枝入れを購入。

とりあえず持ち帰った籾殻入れてみた

最後にアイスコーナーを覗いてみると・・・

ご当地感満載なトラキチ!?これは買わずにはおられない・・・!!!

大好物は「昭和の香り」です

調べてみると、なんと作っているのはあのブラックモンブランと同じ会社だというではありませんか!

商品紹介|ブラックモンブラン|竹下製菓株式会社

早速駅のホームでもぐもぐ。みんな大好きチョコバナナ。美味しくないわけがない。

ちょっと寒いけど!

クジまでついてて最高です。

運は貯めておきたい人間なので「ハズレ」で結構!

電車に乗り込み、乗り継ぎしながら自宅に帰り着く頃には真っ暗になっているのでした。年末に突然思いついた旅ではありましたが、とっても実りある旅になったように思います。スマホは壊れたけど!壊れたけど!!(半泣き)行ってよかったです。

最後に

竹崎島という小さな島の中に、お祭りをはじめ火山や蟹、恵比寿等といった魅力がぎゅっとつまっていて、とっても大好きになってしまいました。

モノクロフィルム(自家現像)

そして2日間続けて体験した竹崎観世音寺修正会鬼祭。完全版ではなかったものの、とっっっても楽しくて!!!何の知識もないまま向かったお祭りでしたが、今回ブログを書くにあたって、ずっと気になっていた国東半島の修正鬼会と同じ系統の行事であったことを知り、行きたすぎて息が詰まるほどにブルブルと震えております・・・!!!(色々と共通点がありそうなので実際に見てみたい!)

モノクロフィルム(自家現像)

さらに全国各地で行われる修正会や鬼が出てくるお祭りも気になり出して・・・。

鬼すべ

こちらはたまたまお誘いされて今年の1月に訪れた太宰府天満宮の鬼すべ。鬼すべの前に行われた鷽替え神事もたのしかった!!

火を操る男たちが眩しかった!

今は猛烈に修正会に行きたい・・・。またまた追いかけたいテーマが増えてしまったよ。生きているうちに興味のあるすべての場所に行くことができるのだろうか・・・若干途方に暮れつつ興味が尽きないことは幸せなことだなぁとしみじみと思うのでありました。

■参考文献・サイト

「追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―」中村茂子著

喜多文庫民俗芸能資料 

文化遺産データベース

童子舞(どうじまい) |太良町ホームページ

奈良県の祭りと芸能 - 奈良県無形文化遺産アーカイブ

仏僧の独り言

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria + Planar 50mm f1.4

④竹崎島正月ひとり旅2024【雨と猫と恵比寿の港町編】

CONTENTS

はじめてのモーニングコール

(何度も言うけど)スマホが壊れてアラームが使えないので、生まれて初めてお宿にモーニングコールをお願いすることに。翌日のお祭りは13時から。朝はちょっとのんびりしようかな・・・。そう思って8時にお願いしたのに、自然に目が覚めたのは予定より1時間早い7時でした。カーテンを開けるとまだほんのり暗く、空も海も鈍い青色。もしや雨の野郎、これから降る気満々だな・・・?

AM7:00

のろのろのろ。のんびり準備しながら朝ごはんのゼリー飲料をゴクリ。少しずつ外が明るくなってきました。まだ雨は降ってない・・・?お願いだから持ち堪えて・・・。

8:00

のろのろのろ。あれ?あっとう間にまた1時間過ぎてたよ・・・?(ちなみに部屋の電話が壊れていたようで、初のモーニングコール体験は不発に・・・残念)

9:00

さて、今日はどうへ行こう。頼れるのは「竹崎島ひょうたんめぐりMAP」と、旅の前にスケジュールやバスの時間等を書いた手書きメモ(いつもはスマホのメモに入れているのに今回は奇跡的に持っきていた)。無くさないようにしなければ・・・。厳重に折りたたんでポケットに入れます。

このマップに助けられました

のろのろのろ。あれ?そうこうしているうちに、さらに1時間過ぎてしまったよ???結局時間ぎりぎりまでゆっくりしてしまいました・・・。

慌ててチェックアウトをすませて外にでると、灰色の空からぽつり、ぽつりと雨粒が・・・。雨の竹崎島散策のはじまりはじまり〜。

赤岩島(あかいわさん)

竹崎港前には、木がこんもり茂った小さな一角があります。通称「あかいわさん」と呼ばれる「赤岩島」は、かつてこの場所が海だったことの証。

まるで鬼が作った盆栽といったような可愛らしさ

埋め立てられる前は、海中にある「あかいわさん」の穴をくぐって子供たちが遊んでいたそうです。素敵エピすぎて胸が締め付けられる・・・!「あかいわさん」に登れるらしいので行ってみることにします。

階段

坂と階段を登ってぐるりと曲がると、ボーボーの草と木々の隙間から碑石が顔を出していました。

荒々しき道

草を跨いで通り抜けると目の前に現れたのは「竹崎漁港修築記念碑」。

その前には毘沙門天さまと恵比寿さまがいらっしゃいます。左の毘沙門天さまは小さくてとても可愛らしいけれど、頭には蛇がとぐろぐるぐる。これは、より位の高い神様であることを表しているのだそう。

ニヒルな笑み

そして右側には立派な恵比寿さま・・・!!!

にっこり

とってもいいお顔をしていて思わずこちらも微笑んでしまいます。脇に抱えているぷっくりしたお魚も可愛らしい。首にはじゃらじゃらとお金のネックレスも!立派な福耳もお持ちでめちゃくちゃご利益ありそうです。

なんて福々しい

ちゃんとお正月に飾りつけたと思われる南天やみかん、お酒等もお供えされていて、町の人たちにとても大切にされていることがわかります。

キュンとしちゃう

朝から早速ときめいてしまいました。

雨の鹿山を登る

写真を撮るのに夢中になっていると、いつの間にか大粒の雨に・・・。

海を鴨が行進

波紋

本降りの雨の中、「あかいわさん」を降りて今度は昨日訪れた「竹崎カニ発祥の地」からも近い神社へ向かうことにします。地図を片手にてくてくてく。てっきり平地を行くのかと思ったら、どうやら坂の上にあるようです。

民家の塀からも恵比寿さまがこんにちはしてました。

坂の上から見下ろすと、港横の朽ちた建物の中に古そうな樽が転がっているのが見えます。

何が入っていたのだろう?

港を見下ろす

アスファルトで舗装された坂は途中まで。この先は荒れた道が続いているようです。

坂・・・というか、ちょっとした山???(鹿山というようです)あまり人がこないところなのか、道の真ん中で休んでいた大きな鷹(鷲?)がバサァっと羽を広げて飛び立つのが見ました。驚かしてごめんよ・・・。

鹿大明神(ジャミジンサン)

ほどなくして小さなお社のある空間に出ました。鹿大明神を祀る鹿山神社です。

行基菩薩を案内した鹿の夫婦

地元ではジャミジンサンと親しまれる鹿大明神さまが祀られています。昨晩お祭りを見に行った竹崎観世音寺とも縁の深い神さまです。

奈良時代にお寺を創建した行基菩薩が肥後の国を通る途中、橋が怪しい光を放って人々を悩ませていました。行基菩薩は、霊木を橋桁(はしげた)に使っていることが原因だと気付き、この霊木を7つに切って有明海に流し、霊木の流れ着いた場所に観音像を刻み祀ることにします。行基菩薩が肥前の国に来ると、多良岳に住む2匹の夫婦鹿が現れて道案内を申し出て、竹崎島の「観音ほき」という場所に案内すると、そこには一本の霊木が流れ着き芳香を放っていました。行基菩薩はこの霊木で千手観音像を刻み、竹崎観世音寺の本尊仏としました。道案内をしたこの鹿夫婦はその後末永く子孫が栄え、現在は鹿大明神として鹿山神社で祀られています。(『太良町の文化財と祭と民俗芸能』より要約)

お社に入ってガラス戸の中を覗いてみると、古い神像さまが数体と可愛らしい2対の狛犬が祀られていました。

なんとなく写真を撮るのがはばかられ、可愛らしい狛犬の姿だけを収め、あとは記憶の中だけに留めることに(もうすっかり忘れちゃったけど・・・)。

右にも同じように愛くるしい狛犬がいたよ

そして鹿夫婦の話に出てくる霊木が流れ着いたという「観音ほき」の場所。マップにも書かれていたけれど、どうにも位置がよくわからず・・・。また次回行った時に突き止めたいと思います(いつになることやら)。

鹿山を降りましょう

猫の雨宿り

まだ島内全部を周れていないし、行きたい場所もいくつか残ってはいるのですが、この雨ではなかなか思うように動けません。もうマップは気にしないで、歩いていない道を気の向くままに散策することにしました。

曇り空に美しい群舞

猫もあちこちで雨宿りしています。

雨でやんなっちゃうね?

恵比寿さまの住む港町

そういえば竹崎観世音寺から石段を下ることはあっても、港から観世音寺に向かって登っていなかったな。そう思って、昨日すでに何度か歩いた石段へと向かってみると・・・。

!!!

なんて可愛らしい恵比寿さまと大黒さま・・・!!!

きゅんきゅん!

昨日まったく気付かなかったのは、この石段を歩いたのが真っ暗な夜でなおかつ上から降りてきたから。歩く方向や時間が違うとまったく違った景色が見えて、気付けなかった魅力を発見できる。何度も歩いてみるものですね。

さらに石段を登っていくと、民家の門柱にぴょっこり恵比寿さまが次々に現れます。

漁師の家だったりするのかな?竹崎島では個人で恵比寿さまを祀っている人が多いのでしょうか?

鮮やかな赤いおべべから顔を出すお魚

わたしが見た恵比寿さまはすべて海に顔を向けていたような気がします。やはりあえてそうやって置いているのでしょうね。

どの恵比寿さまもとってもいいお顔で、竹崎島の恵比寿さまが大好きになってしまいました。まだまだあちこちにいらっしゃる気がするので、また竹崎島の恵比寿さま巡りしたいなぁ!

竹崎城址展望台でランチ

ひょうたん島をすべて周れないままあっという間にお昼の時間。ランチの場所はあそこしかない!昨日の夕方も訪れた竹崎城址展望台へと向かいます。こんな雨だけど展望台へと登る家族の姿がありました。

子供の「ぎゃー!」という叫び声。なんだなんだと後に続くと、怖がって後退りする女の子の姿が・・・。

漁具資料館

!!!!!

あなたさまはぁーーー!!!

昨日太良町に着いた時、一番最初にご挨拶したヘルメット式潜水服さまではありませんか・・・!!!これに怖がっていたのねぇ。

しかしまさかこんなとこにもいらっしゃるとは・・・。展望台には漁具資料館が併設されていて、どうやら昨日来た時は時間が遅くてすでに閉館していたようです。

このような貝を潜水服で捕っていたのね

気になるお狐さまの写真も展示されていました。

平浜神社の野狐踊り

実はこの時すでに時間がなくてばったばた!漁具資料館もばったばたで写真だけ撮ってじっくり見れず・・・。急いでランチを食べてお祭りが行われる竹崎観世音寺へと向かうのであった・・・(いつもこのパターン)。

ピーナッツクリームは裏切らない

■参考サイト、資料

太良町の文化財と祭と民俗芸能

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria Planar 50mm f1.4

⑤竹崎島正月ひとり旅2024【最終回】へつづく▼▼▼

③竹崎島正月ひとり旅2024【竹崎観世音寺修正会鬼祭・初夜行編】

CONTENTS

時計と地図のない旅のはじまり

今回の旅の一番の目的はなんといっても竹崎観世音寺で2日間に渡って行われるお祭り。今夜は19時から始まると聞いていました。いつものごとく準備する様子も見たいから、余裕をもって18時にはお寺に着いていたい。しかし時計がわりにしていたスマホは沈没・・・一体どうしたら・・・・・。

そうだ!カメラで写真を撮って時間を確認すればいいじゃないか・・・!!!

華麗に解決

もちろん時計だけでなく便利な地図アプリ(GPS)も使えません。いつもスマホに頼り切っているからこんなことになるのよね。これを機会に体内時計や方向感覚を磨いて原始の力を目覚めさせるのだ・・・!!

竹崎城址展望台

ひとまず真っ暗になる前に展望台へと向かうことにします。うーん、確かこっちだったような・・・?宿でもらった「ひょうたん島巡りマップ」と己の感覚を頼りに歩いていきます。

早くしないと!陽が沈んでしまうよ〜!!

交通安全子ちゃん発見

耳がぼわっと大きいお犬。かわいい

お猫も近寄ってきたけどごめんね!急いでるんだ・・・!!

目の前に夕闇に浮かぶお城が現れました。

こちらは竹崎城・・・ではなく、竹崎城を再現した展望台。ちなみに本物の竹崎城跡は展望台のすぐ近くにあるのですが、現在は石垣の一部と空の壕だけが残るのみ。南北朝時代に島原の有馬氏によって築城され、島原の乱後に取り壊されたと伝えられています。

道路沿いにあるひっそりとした城跡

早速展望台に登ってみます。

展望台へと続く階段

看板の上の黄色い丸は月。太良町のキャッチプレーズは「月の引力が見える町」なのであります・・・!なかなかのパワーワード。きらいじやないぜ・・・。

海と空は夕焼けの残照で淡く柔らかに色づいています。陽の沈んだあとの夕闇の時間も大好きだけど、もっと早く来れていたら夕焼けの空を余すところなく味わうことができていたのになぁ(スマホさえ落としていなければ・・・ぐぬぬ)。

島原方面の景色。あれは雲仙岳だろうか

360度見渡せる展望台からは、有明海を挟んで大牟田市や島原市、雲仙岳、そして佐賀市や諫早市などを見渡すことができます。

展望台を降りて、さらに海側へと歩いていくと、遊歩道が整備されていました。

猫の道案内

夜燈鼻(やとうばな)灯台跡

猫に案内されてたどり着いたのは、1954(昭和29)年に造られた夜燈鼻灯台。竹崎沖は潮流の分岐と合流の複雑な浪立ちから「竹崎沖の三角浪」といわれ、海難事故も多く、海の難所として昔から恐れられていたそうです。

現在の灯台の前にも何度か造られており、1869(明治2)年には日本初の十一面ガラス鏡式洋風展望台が建てられました十一面ガラス鏡式洋風展望台・・・なんてハイカラなのだ!もうその言葉だけでよだれダラダラでちゃいませんか・・・!??見てみたかったーーーー!!写真だけでも残ってないものか・・・。

その灯台跡には照海燈(しょうかいとう)の碑が残されています。

なんだか地味だな・・・って思ってたら(失礼)、実はこちらは裏面だったらしい。表には大きく「照海燈」と書かれているようです。ぜんぜん気づかなかったよ・・・

さらに奥へ奥へ、海に向かって歩いていきます。あたりには街頭はなく、どんどん暗くなっていく・・・(恐怖)。

海を眺められる休憩所もあります

休憩所を通り過ぎるともう目の前は不安になるような鈍い青色の海・・・!行き止まりの小さな岩場で立ちすくんでいると、巣へと帰る鳥たちが次々に頭上を通り過ぎていきます。あと10分もすればきっと海は漆黒の闇に取り込まれていることでしょう・・・。

足を踏み外せばボチャン!

「いったいここへ何のために・・・???」

そう思う方もいるでしょうが、わたしがここまで来たことにはちゃんと理由があるのです。

夜燈鼻沖に住む鬼

夜燈鼻沖の海中に住む鬼と、竹崎観世音寺の鬼箱の中に封じ込められている鬼の夫婦が、正月5日の夜、満ち潮に乗じてお互いに呼び合い一緒になると、竹崎島がひっくり返る。

竹崎島にはこのような言い伝えがあるそうです・・・。

今回竹崎島を実際に巡ったり調べたことで感じたのですが「竹崎島がひっくり返る」というのが、火山の噴火や地震を意味しているのかな・・・と、ちょっと感じてしまいました。この日は2024年1月2日。そう、前日に能登半島地震が起こったばかりでした。そんな状況での旅だったので、いつもと違う感覚で竹崎島を巡っていたような気がします。

この海の底に鬼がいるのかい・・・?

この2匹の鬼夫婦を逢わせないために行われるのが、これから見に行く竹崎観世音寺修正会鬼祭(しゅしょうえおにまつり)。祭りを体験する前にその鬼の住処を見に行かないわけにはいきません!

現在、お祭りは正月2日から3日にかけて行われていますが、平成2年までは5日夕方から6日午後にかけて行われており、さらに前には満ち潮の具合で開始時間を決めていたとか。ときめき〜!

夜燈鼻沖をしばらく眺めながら、鬼の逢瀬とそれを防ごうとする人間たちとの戦いに思いを馳せます。

・・・気分が盛り上がってきたぜ!!!

はっ、いよいよ真っ暗になってしまう・・・!!上に戻りまーすっ!!!

すでに真っ暗な遊歩道

展望台、再び

海から地上に戻るといつの間にかお城の展望台がライトアップされていました。ちなみに展望台が建っている場所は、かつての竹崎観世音寺の拝み堂があった場所。すぐ近くには夜燈鼻があります。この場所に拝み堂があったのは、夜燈鼻沖の鬼と関係しているのでしょうか・・・。

新しい夜燈鼻灯台ができる前までは、灯台は竹崎観世音寺が管理していたそうです。昔はどこの地域でもお寺さんが町の中心になってあれこれ管理していたんだろうか。今の感覚だと不思議な感じがします。

あれ?なんだかもしかして空がいい感じ・・・???夕焼け最後のともしびです。

風景を切り取る額縁

また展望台に寄るなら先に夜燈鼻に行ってから展望台に行くべきでしたね。明らかに順番間違えました・・・。夜燈鼻海岸にも降りてみたかったなー。

そうこうしているうちに陽が完全に沈み・・・夜。

すでに18時をまわろうとしています。急いで竹崎観世音寺へと向かわねば・・・!!

街灯が少なくて夜道が暗い

竹崎観世音寺修正会鬼祭(しゅしょうえおにまつり)

竹崎観世音寺修正鬼会は、はっきりとした起源はわかっていませんが、一千年も前(!)から続けられているお祭り。別名裸祭ともいわれ、お祭りの終盤でふんどし姿の勇壮な若者たちが観音堂内の鬼の面箱を封じ直すのですが・・・実は、この部分は人手不足によりもう十数年行われていません・・・。

同じように「鬼追い」をともなう修正会を行うお寺は近畿や九州北部にもありますが、竹崎観世音寺の修正会には他の地域では見られない独自のものがあり、行事全体に古い形式を色濃く残した貴重なお祭りとして国の無形民俗文化財にも指定されています。

準備

観世音寺に着くと、お堂には灯りは灯っているものの人の気配がありません。境内にもひとっこひとりおらず・・・。

階段途中にあった建物で準備してたりしないかな・・・?そう思って向かってみると、案の定そこには焚き火を囲む人たちの姿がありました。

あったかい

焚き火に加わっておじさんたちに少し話を伺います。昔はふんどし姿の男衆がたくさんいて、暖をとるためこの焚き火で身を温めていたんだって。出店も出てとても賑わっていたらしい。もっと色々と聞きたかったけど、このお祭りは観世音寺へと続く階段沿いのお家がメインで行っていて、おじさんはお手伝いみたいなもので詳しいことはよくわからないとのことでした。

どうやら敷地内の建物では、その祭りの中心を担う人たちが衣装を着替えたりと準備を進めているようです。18時半を過ぎると、お坊さんのお経が聞こえてきました。

お経が終わり、中から人がぞろぞろと出てきます。

いよいよその時が近づいてきたようです!ひとまずお寺へと続く階段を登り、上で待ち構えることにします。あぁ、どこでスタンバイするのが正解なのかしら・・・どきどき・・・

初夜行

19時になり、ついに初夜行が始まります。提灯に灯りを灯し、傘や木箱等、さまざまな荷を手にした人たちが階段を登ってきます。

まるで大名行列のよう

赤く発光するお堂の中に吸い込まれていく姿はとても幻想的。

荷物を置き、祭りの準備が行われています

お堂の中に足を踏み入れると真っ先に目に飛び込んできたのが、正面の左右上部に飾られた大きな装飾!中が白くて外側にはふさふさの植物が茂ってる。もしかして白いのはお餅・・・???

なんだこの素敵なものは

あとでお祭りを取り仕切ってるお爺さん聞いてみると、なんと「鏡餅」!わたしの知ってる鏡餅とちがーう!(普通の鏡餅もお供えされていました)とってもおもしろい。他の地域でもこのような形のものはあるんだろうか?

この鏡餅をはじめ、お祭りに使う他のもろもろも今日作ったとのことでした。

あ!この棒は!昼間に見て怪しいと睨んでたやつだーーーーー

これ

なんということ!わたしが町を散策している間にあれやこれやが作られていたなんてーーー!!ああー、見学したかった・・・(散策もとっても楽しかったからよしとする!)。

お経

お堂内でのセッティングが終り、一人の男性が刀をお坊さんの前に差し出しました。

そして、お坊さんによるお経が始まります。無知であるためわたしにはほとんど意味がわからないのですが、お供物についてや、様々な仏さまの名前、五穀豊穣を祈る言葉などが次々に耳に入ってきます。お経のリズムって聞いていてとても心地いいよね。

さまざまな法具を使用します

法螺貝も吹くよ
太鼓経

お坊さんのロンリネスお経が終わると、今度はお経と太鼓のセッション開始!太鼓の方が目を瞑りながら床と太鼓を打つのが印象的。この単調な太鼓とお経のリズムがとても心地よく、ずっと聞いていられる気がしました。

博多華丸大吉の大吉さん似の鼻筋の通ったイケおじ

ん?あれ??

いつの間にか後ろで子供たちが準備している・・・!

仮面と笠を被ってる!

さっきまで単調なリズムだった太鼓とお経がだんだんゆっくりになり・・・

ドン!ドン!ドン!ドン!

太鼓の音で締め。お経とのセッション終了です。

童子舞

ついに仮面と笠を身につけた子供たちの出番。子供たちのお父さんと思われるお付きの人たち(「両副」というらしい)に抱えられ、童子2人が運ばれていきます・・・。その様子が・・・か、かわいい!!!

周りもにっこり

お坊さんが立っている内陣前におろされ、佐賀県重要無形民俗文化財にも指定されている「童子舞」が始まります。今宵の舞は「フレイ経」。吉祥天女のことらしい。けど、フレイってなんだ??不思議な言葉の響き。

右の赤い子が、お昼間の散策で遭遇した子供とお父さんでした

お坊さんのお経に合わせ、まるでMJのムーンウォークのように足をすりーすり(足の裏を見せない)、背を反らしてイナバウアー!(ごめんよ、もうそのフレーズしか浮かばなかったんだ・・・)

右に、左に、すりーすりーーーーーいなばうあっ

子供たちの舞う様子は可愛いんだけど、なんでかちょっと不気味に感じてしまうのはなぜだろう・・・。その原因はどうやら仮面の大きさにあるようです。体が子供なのに顔だけがまるで大人のようなアンバランスさ。そのチグハグっぷりが奇妙さを醸し出していると思われます。

資料によると、この時身につけていた仮面は大人の男面とのこと。子供が舞うのになぜ大人の面をつけているのか。脇に剣を差しているし、頭には魚が描かれた赤と緑の笠という出で立ち。この童子たちは一体どういった存在なのだろう・・・。

不思議な姿

よーーーくみると、なんと!手にはみっちり籾殻が詰め込まれた貝殻を持っているではありませんか・・・!!!

稲穂と海の幸。五穀豊穣、大漁の願いや感謝が込められているのでしょうか・・・。

籾殻をこぼさないように胸に抱えながら舞っていたのね。すごい

舞が繰り返され、最後は前を向いてお坊さんの「ごだいさーん  ごだいさーん(御代参)」の掛け声を合図に、わしゃわしゃーっと貝殻の中の籾殻を床にぶちまけます。

実は籾殻に詰めた貝殻を持っていることにまったく気づいておらず、てっきり裾とかに入れてる籾殻を撒いたのかなーと思ってた大馬鹿者がここに・・・。仮面にばかり目がいってたんだ・・・

籾殻はどうやらご利益があるらしい。そのことを誰よりもよく知ってると思われる祭りのおいちゃんたちが真っ先に拾ってるのが面白かった。

その後に籾殻をかき集める見学者たち

昔はこの籾殻を、種籾(種としてまくために選んで取っておく籾のこと)に混ぜて種まきしたらしい。そうすることで虫害を避けられると伝えられているそうです。

もちろんわたしもいただきました

「初夜行」はこれにて終了。祭りは明日の昼からの「日中行」へと続きます。昔は翌日の午前4時頃から「後夜行」が行われていたようですが、現在は「初夜行」と「日中行」のみ。時代と共に祭りの形が変わっていくのは仕方のないことかもしれません。

心配なのは雨。今日はあんなに快晴だったのに、なんと明日は雨予報なのでございます・・・。雨が降ると、明日外で行うはずのあれやこれやは室内で行うことに。本来の形でのお祭りを見ることができないのは避けたい!祭りを行う人たちも「今まで雪は降っても雨が降ることはなかったのに・・・」と、しきりに話していました。(え、わたし雨女なのかな・・・)

色々と教えてくれた優しいお爺さんと、お坊さま

時間は20時過ぎ。さぁて、わたしも帰りましょう。

夜の港にぼちゃんしないように気をつけようね

一福荘の洞窟温泉

本日宿泊する一福荘には、岩盤を掘って作ったという洞窟温泉風呂があります。予約不可の貸切風呂なので帰ったタイミングですぐに入れるか不安だったけど、今はちょうど誰も入っていないみたい。やったー!急いで準備して洞窟風呂へとダッシュ・・・!!

スタッフに案内されてエレベーター横のドアから一旦外に出ると、さらに洞窟風呂へと繋がるドアがあります。看板には「珍しい岩穴風呂」の文字。わくわく!

ムカデ・・・!

もちろんムカデよりも洞窟風呂への興味の方が勝っています・・・!扉を開けて奥へと進むと右に脱衣所、左には体を洗うスペースと洞窟風呂へと続く扉が。

早くあの扉の向こうへ・・・!

扉を開けるともくもくとした湯気の中にぼんやりと姿をあらわす洞窟風呂!!!

銀色の玉が昭和ファンタジーしてた

こじんまりとしててとっても好き・・・!!!お湯はあっつあつ、あっつあつで体がピリピリしちゃいましたが(ぬる湯専門なので)、アミューズメント感満載でとっても楽しかったです。

成分表

体もぽかぽか温まったので、あとは正月番組を見ながらのんびり夕食タイム。

翌朝、エレベーターの壁の中で「食べ物持ち込み禁止」の張り紙を見たことは秘密です・・・(でも、飲食店が営業していない正月に、車で来ていない素泊まり客にそれは無理な話だよ?)

旅館の贅沢かに料理を食べれない代わりに「かに御前」を食す

あ!そうだ!さっきもらってきた籾殻を何かちゃんとした袋に入れなきゃ・・・!未使用の耳栓入れてた小さな袋があったので、それに入れると・・・

まるで殺人現場の証拠品みたいになりました

スマホは回復の兆しがまったく見えないし、明日は雨予報。不穏な空気が漂っています。いや、でもわたしには幸運の籾殻がある・・・!!お願いだから雨よ、降らないでーーー降ってもいいからお祭りの時には奇跡的に止んでーーーー!!!そう願いながら眠りにつくのであった・・・。

■参考サイト、資料

国指定文化財等データベース

喜多文庫民俗芸能資料・・・昭和43年1月6日に撮影された写真とフィールドワークの資料が公開されています。とっても貴重!

竹崎観世音寺修正会鬼祭(たけざきかんぜおんじしゅしょうえおにまつり) |太良町ホームページ

太良町の文化財と祭と民俗芸能

県指定(民俗文化財の部)03 / 佐賀県

童子舞(どうじまい) |太良町ホームページ

追儺・修正会結願の鬼行事 その地方的受容と展開―九州地方を中心に―

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria Planar 50mm f1.4

④竹崎島正月ひとり旅2024へつづく▼▼▼

②竹崎島正月ひとり旅2024【竹崎火山と天国からの地獄編】

CONTENTS

竹崎ひょうたん島

竹崎島は約2時間で海岸沿いを一周できるほどの小さな島。今でこそ橋でつながっていますが、潮が引いた時には飛び石づたいに渡れるくらいの距離。

「竹崎瓢箪島  廻れば1里3合3尺  雀の3足  粟の3転」

昔の人は竹崎島のことをこのように唄っていたそうです。それくらい小さな島ってこと。めちゃくちゃ可愛い表現じゃないか!聴きたくててネットで探してみたけれどみあたらず。また訪れた時に地元の人に尋ねたい。歌ってくれるかなー。

竹崎島へと続く橋の前には、この歌にちなんだ「おさんぽ竹崎ひょうたん島めぐり」の観光MAPの看板がありました。紙のパンフレット(電子版もあり)も配布されています。

竹崎ひょうたん島めぐり | saga ebooks | 佐賀県電子書籍ポータルサイト

その横には海

巨石と比翼塚

短い橋を渡り終えると現れるのが(というかすでに橋を渡る前から見えていた)「渡り口の楯石」と呼ばれる巨石と、その上にひっそりと寄り添うように並んでいる「比翼塚」。

巨石と比翼塚

比翼塚とは、現世で結ばれなかった男女を一緒に葬った塚やお墓のこと。こちらの比翼塚にも、この先にある竹崎観世音寺に縁が深い悲恋物語が伝わっています。

若武者と許嫁の悲恋物語

1591(天正19)年の秀吉の朝鮮出兵の際、有明海を挟んだ柳川の立花藩の若武者、真之助も出陣することに。許嫁の若姫は月に1度竹崎観世音寺を訪れ、真之助の武運と無事を祈っていました。その甲斐あってか真之助は生きて帰って来るも、戦で両目を失明していました。そんな真之助を連れ竹崎観世音寺にお礼参りに出向いたところ、真之助はお坊さんの説法に心打たれ、名を真海と改め仏門に入ることを決意。許嫁に別れを告げます。姫は真海のことを忘れられず、彼の目が再び見えるようになることを願って、柳川の海岸から竹崎の沖に向けて千日間の燈籠流しの願掛けを行います。そして千日目の夜、姫の願いが竹崎観世音菩薩に通じ、真海の目に再び光が宿ります。姫はお礼参りに竹崎観世音寺を訪れ真海と再会しますが、仏に帰依し修行に励む真海の心は変わらず、悲観した姫は海に身を投げたのでした・・・。不憫に思った人々が真海の死後、姫の墓の横に真海の墓を建て、比翼塚として現在に伝わっています。

『太良町の文化財と祭と民俗芸能』太良町むらおこし実行委員会 より

この話を読んで、わたしには美しい悲恋物語とはとても思えなかったよ・・・?(むしろ姫の思いがこわいよ・・・)

竹崎火山  楯石岩脈

ところで、竹崎島は約200万年前〜数十万年前の噴火によってできた考えられていて、なんと!島全体が小さな火山なんですって!!

比翼塚が乗っている「渡り口の楯石」(楯石岩脈)もかつての噴火によってできたもの。ひょうたん島めぐりのパンフには「約30mの長さに列状をなす巨石群」と書かれているので、ここらへんの岩全体のことなのかしら・・・。解説板だけではいまいちよく分からず。

「屏風岩岩脈」や「火山弾を含む集塊岩層」とか専門用語が出てきてちんぷんかんぷん

比翼塚の左側にはお地蔵さまがいらっしゃって、その周囲にも苔むしてゴツゴツした岩肌が続いていました。

ゴツゴツカクカク

火山に対する知識がなさすぎて、写真をどう撮ったらいいのか迷ってしまいました。ここではうまく目の前のものを吸収できなかった気がします(反省)。

実は旅の前の下調べで竹崎島が火山であることは知っていて興味があったのだけれど、ネットで見つけた竹崎火山の資料を読むのをうっかり忘れて旅に出てしまったの・・・。でも実際に島を歩きながらその痕跡を発見できたらいいなーってゆるゆるな気持ち。

わたしがいるのはまだ島の入口。島の探索は始まったばかりです。さらに奥へと進んでいくことにいたしましょう!

マンホールにも竹崎カニ発見

まずは比翼塚の悲恋物語にも登場する竹崎観世音寺を目指します。

どうやらこの先にあるみたい

ふと横に顔を向けると屋根の上に海が広がっていました。どうやらあそこが竹崎港のようです。

大好きな景色

竹崎観世音寺

海に向かって駆け下りたい衝動を抑え、まずは竹崎観世音寺へ。実は今回の旅の一番の目的はここ。今日の夜と明日の昼にかけてお祭りが行われるのです。が、本当にあるのか・・・?というひっそり具合でちょっと不安に。

立派な幟が立っています

行基によって709(和銅2)年の奈良時代に創建されたとされる由緒あるお寺で、平安時代には天皇家の菩提寺である京都の仁和寺の末寺として大変栄えていたそうです。境内には鎌倉時代中期に作られた三十塔や、室町時代の六地蔵等も残されています。

鎌倉時代の三十塔

かわいい不動明王さま?

あちこちに時代を感じさせる石塔が植物にまぎれてひっそりと存在していて、大層ときめいてしまいました。

にっこり恵比寿さまも

ここがわたしの初詣。お参りして、おみくじを引く。「吉」が出たーやったーーー!って思ったけれど、なんだかいつもの神社のおみくじと違って堅苦しい小難しい・・・(でもなんだか絵がかわいい)。とりえず大事な部分を確認。「旅立よろし」。あざっす!!

江戸時代には、有明海周辺の大名の信仰があつかったようで、「諫早藩日記」には諫早候が本堂をはじめ、海岸から境内までの石畳を造られたという記録が残っているそうです。

海岸から境内まで続く階段(石畳が当時のままかは不明)

本来なら海岸から登ってくるべきだったな・・・。なんて思いながら、階段を降りていきます。

少し降りたところから竹崎観世音寺を振り返る

階段の途中にちょっとした広場と公民館のような建物があり、隅っこに意味ありげな棒を発見!町人ぜんぜん発見できないけど、もしや祭りの準備なのでは・・・?(どきどきわくわく)

とりあえず写真におさめた

竹崎港が噴火口!?

階段を下り終わると、竹崎観世音寺からも見えていた竹崎港が目の前に広がっていました。実はこの港が竹崎火山の旧噴火口。噴火口の一部が崩れて、そこから海水が入ってきてできた日本でも珍しい火山港なんだって!(他には鹿児島県の山川港や伊豆大島の波浮港などがそうらしい)

船にはお正月っぽい日の丸旗

ここが噴火口だったなんてちっとも想像できませんが、海の中を見たらその痕跡が残っていたりするのかしら。ヘルメット式潜水服を着て潜ってみたい・・。

竹崎島の人びと

どこか海岸に降りれるところがないかなー。そんな風に思いながら港沿いを歩いていると、地元の人たちが談笑していました。

「写真撮りに来たんですか?」

1人の男性がにこやかに話しかけてくれます。竹崎島で印象的だったのは、道ゆく人たち(大人も子供も)がみんな挨拶してくれること。この感じ、とても懐かしい。わたしも子供の頃は地元でこんな風だったなー。

竹崎観世音寺のお祭りを見に行きたことを伝えると、なんとその方がお祭りで重大な役割を担う子供のお父さんでした!びっくり〜。そのお子さんも近くで近所の子どもたちと楽しそうに遊んでいました。

子猫の目線の先で遊んでいる子どもたち。仲間に入りたいのかな?

港町と猫はワンセット

地元の人との束の間の交流を楽しみ、別れを告げて再び歩き始めます。するとすぐに不気味かわいい遊具を発見!

リス、アヒル、イヌかな?ぜんぶ好き!

火山の痕跡を探す

海岸へ降りれる場所を探して防波堤沿いを歩いていると、突き当たりに行き着いてしまいました。特に降りれるところがないなら防波堤を乗り越えて海岸に降りてみよう。そこまでするのはもちろん理由があります。

わたしは火山の痕跡が見たいんだー!!

防波堤を乗り越え、海岸へと降り立ちます。うん・・・火山の特徴があるのかぜんぜんわからない・・・。だって、知識がないもんね・・・。

でも!なんか!あの遠くのあたり、ちょっと、っぽくない???(漠然とした言い方)

冒険したがりのくせに超ビビりなので、あそこまで行って急に満ち潮で戻れなくなったら怖い!!!それになんだかここじゃなくて他にもっといいスポットがありそう・・・そんな予感がしたので、早々にこの場を離れることにしました。

シルエットな釣り人もいたよ(右上)

竹崎カニ発祥の地

よし、今度は竹崎港の反対側に行ってみよう。再び勘をたよりに歩きます。鷹か鳶がぴーぴょろろーーーーって鳴いているのが聴こえます。同じく港町の故郷を思い出して心地いい・・・。

鳶?鷹??いつもわからない

すると再び行き止まりに・・・。眼の前に現れたのはすでに廃墟となってずいぶん時が経っていると思われる龍宮かに荘。

横に目を向けると「石田仁一翁顕彰碑」と書かれた石碑がありました。その下に立てかけられた「カニ発祥の地」の説明板には次のように書かれています。

放置されいている悲しみ

竹崎かに発祥の地

この顕彰の碑が建っている場所は龍宮かに荘初代石田仁一翁が昭和二十三年八月太良町で初めて学名(カザミ蟹)を竹崎かにと命名して世に送り出した当時のかに炊事場跡地である。記 昭和六十二年七月 吉日

石田仁一さんが「竹崎かに」を命名したのですね。ネーミングってとても大事だと思う。間違いなく「カザミ蟹」より「竹崎かに」だよね。今では龍宮かに荘も閉業して荒れ果てているけれど、わたしは石田人一翁のこと、忘れないからね・・・!!(大袈裟)
さて、この後のことは訳あってはしょりますが、己の直感を信じて心の赴くままに突き進んでいくと・・・

土星に降り立つ

そこには予想を遥かに超えた素晴らしい光景が広がっていた・・・!!!!!

まるで土星のような美しき地層

大興奮してシャッターが止まらない!!!(至福の時)

相変わらずぜんっぜんどこが何でどんな特徴をあるのかちっともわからないんだけど、間違いなくここは地球が成長してきた一瞬一瞬の記録が色濃く残されている場所だと感じました。

ただこの時、興奮しすぎて重大なことをやらかしていることにまだ気付いていないのであった・・・。

頭上では鳶か鷹が気持ちよさそうにぴーよろろーーー

もっと奥に進みたい気持ちはあったのですが、やっぱりチキンであるわたくし。満ち潮に怯えてこの場所だけで満足して去ることにします。

ちなみに旅の前に読んでいこうと思って忘れてた竹崎火山に関する資料を帰宅後に読んでみると、火山の痕跡が見られる場所が地図に親切丁寧に記されてましたよね・・・。ちゃんと事前に読んでいればー!でも、自力で発見する楽しみを味わえたからよしとする!!

竹崎火山ツアーを妄想する

火山学者や地質学者と一緒に見て解説してもらいながら周ったら楽しいだろうなーって思ったよ。誰か竹崎島でツアー開催してくださいっ。さらに竹崎港をヘルメット式潜水服で潜って火山の痕跡さがせたらなおよし。そして夜はもちろん旅館で贅沢カニ料理と温泉です・・・!!!(絶対行く、なにがなんでも行く)

天国からの地獄

海岸を後にして空を見上げるとたくさんの鳥が不穏に空を舞っていました。

さて、まだ夕暮れには時間があるから別の場所を散策しようね。地図を見るためにスマホに手を伸ばします。

(ポケットをごそごそリュックをごそごそ)

ない・・・ない・・・・・・

どどどどどこにもない・・・・・・!!!!!!

もしかしてもしかしなくても、さっきの火山の痕跡スポットで落としましたね・・・?慌てて例の場所にUターン!!(実は怖くて2度と通りたくないような場所を通るのでほんといやだった・・・)

見つからなかったらどうしよう。旅先でスマホを失ったら待っているのは絶望のみです。

「わたしのスマホ!いずこーーーーー!!!」

あ、あったーーーーーー!!!!!

大喜びして近づいてみると・・・

水!没!!!(絶望)

こういう時は電源切れた状態で水分が蒸発するまで放置するのが一番だとはわかっているんだよ・・・。でも・・・でも・・・待つことなんかできない!!何度も通電を試み、その度に悪化していく状況・・・。そうだ、ホテルにチェックインしてドライヤーで乾かしてみよう・・・!!!

泣く泣く散策を切り上げ、陽が沈みつつある竹崎港を走り抜けます。

陽の沈む方向に山があるから海に沈む夕陽は見れず

たら竹崎温泉  一福荘

本日のお宿は竹崎港のすぐ目の前にある一福荘

一福荘

去年の12月に改修したばかりらしく、今っぽい清潔感のあるお部屋でミネラルウォーター付きでアメニティも充実してました。素泊まりで13,000円とお高かったけど正月だし仕方ない。ほんとならカニ料理食べたかったなー。ひとりでも食事付きにできると最高なのにな・・・。

窓からは竹崎港を一望することができました。旧噴火口を上から眺め放題だなんてめちゃくちゃいいお部屋じゃないか・・・!

は!そんなことしていないでドライヤー!!!ぶおぉぉぉーーーーんと乾かしてみるけど・・・

うん、そんな簡単に直るわけないよね、わかってた

時間がもったいないので、とりあえずスマホのことは一旦忘れて部屋に放置。完全に暗くなる前に取りこぼした場所を時間が許す限り散策しにいくぞ。

そして、いよいよ夜には待ちに待った竹崎観世音寺のお祭りです・・・!!!

【参考文献・サイト】

岩石鉱物鉱床学会誌 第66巻 第5号 山口征夫

52. 佐賀県竹崎火山 一噴火口と火山弾一  橋口文雄

竹崎島 - Wikipedia

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria + Planar 50mm f1.4

③竹崎島正月ひとり旅2024へつづく▼▼▼

①竹崎島正月ひとり旅2024【竹崎カニを求めて三千里編】

2023年12月の暮れ。仕事もなんとか納まり(ほんとは納まってなかったけれど)、実家にも帰らないし、あとは大掃除して寝正月するだけ・・・そう思っていました。

「あと数日で今年も終わりか・・・さみしい年末年始だな・・・」

そんな風に思っていたかはよく覚えておりませんが、何の予感もないまま突然の閃き!光の速さで旅程を組み立て、2024年1月2日の朝、電車に飛び乗っているわたしがいたのです・・・。

2024年1月2日の朝の空

CONTENST

福岡から佐賀へ

まず目指すのは佐賀県鹿島市。琥珀色のはちみつゆずを胃袋に流し入れ、朝日を眺めながら電車でぽかぽかゆらゆら。

あったまる〜

途中で電車を乗り換えて・・・

窓をぼーっと眺めていると・・・

!!!?

き、気球ーーーーー!??!?

まさかの光景にビックリ

そういえば佐賀にはバルーンフェスタという国際的なバルーンの競技イベントがあるんだよね。正月だからバルーン飛ばしていたのかなー。見れると思ってなかったからとっても嬉しい!幸先の良いスタートです。

肥前鹿島駅でバスに乗り換える

車窓からの景色を楽しんでいたらあっという間に佐賀県鹿島市の肥前鹿島駅へと到着。

駅舎の前には真っ赤なレトロな車が止まっていた

ここからバスに乗り換えます。はじめて訪れる場所での乗り換えはドキドキ。駅前にバスターミナルがあるはずなんだけど・・・ない???

どうやら右側の工事中の建物がバスターミナルだったもよう・・・。その横にちっちゃな待合所ができていました。

コカコーラ柄の座布団がイカス!

待合所前にはバスの案内のおっちゃんがいてくれたので(正月だから?)、ちっとも迷わずにバスに乗ることができました。

有名な祐徳稲荷神社に初詣に行くのかな?って人たちの姿もちらほら。

青空の有明海をゆく

バスの車窓からは見渡す限りの青い空と海!有明海を眺めながらバスは進んでいきます。なんていいお天気なのだー。

美しい

目の前には干潟ならではな光景が広がっていました。

遠目に並んでいる支柱は海苔を養殖するためのもの。舟も浮かんでいます

もう少しすると海に浮かぶ海中鳥居というふぉとじぇにっくスポットがあるらしいのですが、バスの中からではよくわからず・・・。

このあたりだったのかしら・・・

佐賀県太良(たら)町

降り立ったのは太良町の「亀の浦入口」。

実は目的地はもう少し先なのになぜここで降りたのかというと・・・

この方に!会いたかったからだよ・・・!!!

好き好き好き

あぁ、たまらん・・・たまらんぞ・・・。

こちらは宇宙服・・・ではなく、ヘルメット式の潜水服。土木港湾工事を請負う会社の川武潜水興業さんの前にドデーンと鎮座しています。

「もぐり発祥の地」と看板に大きく書かれているように、太良町は「もぐり」と呼ばれるヘルメット式の潜水服を用いた漁で栄えた街。太良町ではタイラギ(貝)漁が行われていたようです。潜水技術は大正時代に韓国から伝わり、太良町から隣の長崎県や福岡県に広がったといわれているそうです。

太良町町勢要覧 18/48より

ヘルメット式潜水の歴史

潜水の歴史について知りたくなってきたのでちょっと調べてみることに・・・。

古来から世界中で行われてきた「素潜り」の歴史に潜水器らしきものが生まれたのは17世紀のこと。1837年には現在でも使われている「ヘルメット式潜水器」の原型がイギリスのシーべによって開発されます。なんと構造はその頃からほとんど変わっていないそうです。

1873 年 2 月 8 日号の「The Illustrated London News」より。おそらく沈没事故で遺体を引き上げる作業をするダイバーを描いたものとのこと(Wikipediaより)

日本では1857(安政4)年に初めてヘルメット潜水器が導入され、1872(明治5)年には海軍工作局において製造が開始。民間でも同年には増田万吉氏がオランダからイギリス製のヘルメット潜水器を輸入し製造にも着手し、本格的な潜水の時代がスタートすることになります。

 潜水について | 一般社団法人 日本潜水協会 より

太良町は「もぐり発祥の地」?

日本では明治時代にはすでにヘルメット式の潜水が行われていて、太良町では大正時代に韓国から潜水技術が伝わったということなので、別ルートから入ってきたということなのかな・・・?そういった意味では「もぐり発祥」のフレーズは・・・間違ってない!??

たぬきが隣にいるのもいいね・・・

まぁ、実際はどこが発祥かなんてどうでもよくて、わたしはこのフォルムが最高に好き!!ってことなのだ。

中身は新聞紙

ちなみに現在ではタイラギの不作によりもう10年以上も休漁しているそうです。土木港湾工事を行う川武潜水興業さんも、タイラギ漁師に雇用の場を作るために作られた会社とのことでした。

冬の朝、太良町の漁港から船が一斉に海に出る光景は、有明海の冬の風物詩だったそう。その光景、見てみたかったな・・・。

「諫早湾干拓問題」という複雑な問題もあるらしく・・・ちょっと暗い気持ちになっちゃった。

現場から2016参院選(6) 有明海再生、タイラギが戻る日まで|【西日本新聞me】

哀愁ただよう後ろ姿

太良町の沖合にタイラギの稚貝を移植し、資源を回復させようとしているそうなので、その活動がうまくいって再びタイラギ漁が復活する日がきますように。太良町でタイラギをもりもり食べれる日を願っているよ!

南部もぐり

さて、今回「潜水 もぐり」のワードで検索してたら、真っ先に出てきたのは「南部もぐり」でした。あのクドカンの朝ドラ「あまちゃん」で一躍有名になったそうですが、大好きで毎回見てたはずなのに、ちっとも覚えてないのなんでだ・・・!??

しかもモデルになった岩手県洋野町の種市高校では、現在でもヘルメット式潜水服を使用した実習が行われているとのこと!あまちゃんでもアキの初恋の種市先輩が実習していたらしい・・・(もちろん覚えてない・・・)。嗚呼、また見返したくなってきた!

以下のページに、実際に高校でヘルメット式潜水服を着て南部もぐり体験している記事があって面白かったのでぜひ!総重量65キロというのにもびっくり〜。わたしも体験してみたいな・・・▼▼▼

記事によると、現在では装着が簡単なスキューバ式やマスク式が主流になっていて、ヘルメット式で潜水できる人は減っているそうです。国内でヘルメット式の潜水服を作れる職人も少ないそうで・・・。そんなこんなで南部もぐりについても興味津々々々!になってきたので、いつか三陸海岸沿いを旅してみたいな!

潜水士というお仕事

ヘルメット式潜水服の見た目のおもしろさに興味があったのですが、潜水士というお仕事が漁だけでなく、土木作業や救助や沈没船の引き上げ等のサルベージ、海洋調査等さまざまな仕事をしているということも知りました。太良町の川武潜水興業さんも東日本大震災の時には行方不明者の捜索にあたったらしい。

ブログを書くことで知らなかったことを知る機会ができるので、始めてよかったなーと思うことのひとつです。

竹崎カニを求めて三千里

ところで、川武潜水興業さんの建物の上に人が立っていることにお気づきでしょうか・・・。

両手に持っているのは・・・

カニぃぃぃーーー!!!

竹崎カニです!太良町竹崎島近海で獲れる菱形の甲羅を持つワタリガニの一種。そう、わたしはこれからカニを食べるために歩いて歩いて歩きまくるのだ・・・!!!(大袈裟に言ってますがほんとは30分くらいです)

ちなみにこの絵の両手のカニは以前はタイラギだったそうです。それを知ってからみると泣けてくるね・・・

夜と朝と昼ごはんを買う

と、その前に近くのスーパーで夜と朝と昼ごはんを買わねばなりません。なぜなら本日宿泊する竹崎島内の旅館では素泊まりだから・・・(そして正月だし近くに食料買えるようなお店や飲食店がなさそうだった)。

もちろん旅館ではカニ料理を提供していますが、いかんせんわたしはひとり旅。食事付きを選ぶことができなかったのでございます・・・(かなしい)。贅沢カニ旅館めし食べたかったよーーーー!!!

そんなわけで、明日を生きるためにまずは食料の調達です。

Aコープ おおうら

正月に営業しているか不安だったのですが、年末に連絡してぬかりなく確認済。ここが閉まっていたら家からお弁当や食材を持って行く予定でした(カニカマ弁当にしようかと真剣に考えていた)。

せっかくだからご当地っぽいの食べたいなーと物色していると・・・

「かに御前」発見!!!

ここで獲れたカニと信じて購入するも、後日福岡の自宅に帰って最寄りのスーパーに行ったらまったく同じ弁当がありましたよね・・・。製造元を確認すると「熊本県」の文字が。もっと夢を見ていたかった・・・。

こちらは正真正銘太良町で作られたクジラベーコン。気になるけれど冷蔵だし食べきれないからぐっと我慢・・・ 。

かに御前弁当の他に、夜のデザート用のヨーグルト、朝ごはん用にゼリー飲料、お昼ご飯用のパンとカフェオレを購入してバッグに詰め詰め。

いよいよ竹崎カニを求めて出発です・・・!!!

竹崎かに 園

竹崎カニ求めて向かった先は竹崎かに 園さん。年末年始は稼ぎ時なのか、あちこちで見かけた牡蠣小屋も普通にオープンしていてとても賑わっているようでした。

しかし徒歩でなんとか行ける距離にカニ料理を提供しているお店があって本当によかったー!カニが有名な場所でカニ食べないで帰るのはもったいないもんね。旅ではその土地をあますところなく味わい尽くしたいのである。

1分と書かれていますがもちろん車でなら1分です

実はこの日は1月とは思えないほど日差しが強くてぽかぽか陽気。寒いと思って着込んでいたら、暑くて汗が吹き出すほどでした。

あ、もしかしてあそこに見えるのが・・・

建物に「かき焼」の文字。あそこに違いない

うん、まだまだ遠い・・・ね・・・・・・。日頃運動不足なのでもうすでに足は痛い。だが、カニ欲を満たすためにアスファルトの坂を踏みしめて一歩一歩進むのだ・・・。

若干げっそりしながら歩みを進め、ついに(ラブホ前の) 園さんへと到着!

すでに車がちらほら

到着したのは11時半前。お店に入れるかしら・・・ドキドキしながら足を踏み入れると立派な魚拓が飾られたテーブルに案内されて万々歳!!!

イカス!

竹崎カニ料理のコース等もあったのですが(もちろんお高い)、ひかえめに、でもちょっと贅沢に、かに飯とかに汁付きのお刺身定食に・・・!オプションとして各500円プラスでカニ汁は大盛りに、白飯をカニ飯に変更することができました(もちろん強欲なわたしはどっちもプラスしたぞ)。

お正月だし。年末年始は他に贅沢していないし。これくらい許されるでしょそうでしょ!?そう自分に言い聞かせながら、目の前に現れた嗚呼いとしき海の宝石たちよ・・・。

竹崎カニは夏から秋にかけては雄ガニ、冬は雌ガニ旬で一年中楽しめるらしい。つまり今は雌カニが旬!カニ汁の甲羅の中には身の他にオレンジ色の卵がみっちり詰まっておりました。

そしてカニ飯。

カニカニカニカニ言っておきながら今さらなのですが、実はわたしそこまでカニ好きじゃなかったり・・・(おい)。

「殻を剥いてくれたら食べてあげてもよくってよ?」

って王女さまスタイルです。そんなわけなので、今回のカニ料理にもそこまで感動しなかったのですが(ごめんなさい・・・)、

刺身がね!めちゃくちゃ新鮮で!おいしかっっっっっったの!!!!!

ぷりぷりこりこりとろけた〜

お口の中がしあわせになりました・・・。

いつか竹崎カニを味わい尽くしたい

でもやっぱり、旅館での贅沢カニ料理は食べてみたい!!!きっと今までのパッとしなかったカニ人生を見直すきっかけになりそうな気がするんだ・・・。食べるのは心底めんどくさいけど。やっぱきれいに剥いてほしいけど。

1匹丸ごと茹でる一般的な「茹でガニ」をはじめ、「焼きガニ」「カニ天」、「カニ刺し」、釜飯や雑炊、脱皮直後の甲羅が柔らかい竹崎カニを丸ごと揚げた「脱皮ガニの天ぷら」なる料理もあるらしいぞ・・・(よだれよだれ・・・)。

いつか誰かと再び竹崎カニを求めて太良町へとぜひとも参りたい・・・。そう心に誓うのであった。

観光パンフレット「佐賀県 太良町 Travel」より

ちなみにお店の入口にはたくさんのサイン色紙が飾られており、「星野源」のサインも発見!よくぞこんなとこまで(失礼な)いらっしゃった・・・。

今年に入ってからなぜか星野源を聞くようになったのはこのせいか・・・?
サブリミナル効果こわい・・・

夢の牡蠣小屋

お食事処を出ると、お隣では生きた竹崎カニが売られていました。

2500円・・・3500円・・・(もちろん買えない・・・・・)。

な、ななせんごひゃくえん・・・!????

(王様の食べ物ですね・・・)

竹崎カニちゃん、いつか必ずや君を丸々食べてやるからな・・・!!!

カニの他にもこちらにはカキや、サザエなどたくさんの食材が売られています。

みてるだけでたのしい

どうやらここで購入して隣の牡蠣小屋で焼いて食べれるらしい。いいなー!!!

実はカキ苦手なんだけど牡蠣小屋には行きたい

竹崎島へ

カニ欲も満たされたことだし、今回の旅の一番の目的地である竹崎島へと歩いて向かうことにいたしましょう。

てくてくてく・・・。あちこちにカニが潜んでいます。

各地のコミュニティバスが愛しい

本日泊まる宿の看板を発見。かに料理・・・食べたかった・・・

錆び錆びの竹崎カニと街頭

小さな祠があったのでご挨拶することに。

日時計のよう。六地蔵と書かれています。右側の小さい子たちのことなのかな?

祠の中に入ってみると、木板の隙間とぽこぽこ空いた穴から柔らかに光が差して、胸がいっぱいになる空間が広がっていました。

こういう瞬間に出会えるととても嬉しくなる

再び竹崎島へ向かって歩く歩く歩く・・・。

ここでは事故が多かったのかな?交通安全の文字が刻まれたお地蔵さまが

歩いていると、竹崎島へと向かうバスが一台通り過ぎていったそうな・・・
(写真には写っていません)

坂を登ったところに素敵な恵比寿様(?)をお見かけしました。お顔がわからないような、自然石のような、素朴な石像に胸がときめくお年頃。

海を眺めてた

もしかして海の向こうに見えるのは竹崎島・・・!?目的地まであともう少しです!!!

坂を下って行くと、海の前にひっそりとした神社がありました。

唐子のグラスかわいいほしい

そして神社のすぐ目の前には一本の橋。ここを渡ればいよいよ竹崎島です。

【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4 、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria + Planar 50mm f1.4

②竹崎島正月ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

03.南九州・十五夜ひとり旅2023【豊玉姫と知覧武家屋敷編】最終回

CONTENTS

知覧といえば特攻隊を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?今回泊まったお宿も知覧特攻平和会館の近く。知覧は実家が比較的近くということもあり、今まで何度か訪れたことがあったので、今回は知覧武家屋敷方面に行ってみることにしました。

宿泊したのは「さくら館」のドミトリー

椅子のモケットが可愛かった

チェックアウトして、まずは朝食を食べに近くのカフェへと向かいます。

大通りの脇には庭園風の一角がありました

朝食

ホテルから歩いて数分のオシャンなカフェGRIGHTS COFFEE ROASTERYに到着。

知覧にこんなお店があるとは

肉肉しいパテのハンバーガーがめちゃくちゃ美味しそう!でも、朝っぱらから重いかな・・・?なんて柄にもなく思って、ちょっと控えめにハムとバジルトマトのサンドを選びます。

なんだかメニューの写真と違ってボリューム少ないかな・・・??なんて思ったけれど、実際に食べてみるとサラダも見た目より食べ応えがあるし、バジルトマトやポテトも美味しい!ほどよく胃袋が満たされました。イチオシっぽいボリューム満点のバーガーもいつか食べてみたいなー。

知覧を歩く

昨晩の十五夜ソラヨイでだいぶ満たされていたので、正直今日はおまけみたいなもの。時間に追われることなくのんびり。でも、ちょっとのんびりしすぎでは・・・?いよいよ太陽も絶好調にギラギラ。日差しが恐ろしいけど、重い腰を上げて炎天下をうろつくことにいたしましょう。

すぐ近くには知覧特攻平和会館。道路沿いには、特攻隊の青年たちの像が刻まれた灯籠がずらっと並んでいました。

そういえば昔、霊感バシバシの友達に背後霊に特攻隊のイケメンがついてると言われたことあるなぁ。その後訪れた特攻平和会館で、わたしの地元出身の特攻隊の青年写真を見つけ「もしかしてこの人かな?」なーんて思ったことを、ぼんやり思い出しながらてくてくてく・・・

普通は歩くような距離ではない・・・でもバスを使うのめんどい・・・というような道をいつものごとく歩いていると、あちこちでたわわに実った稲穂がゆらゆら輝いていました。

気になる看板

胸いっぱいになりながら、朱色の橋を通り抜け・・・

稲を干してる光景にもキュンキュンキュン!

さらに胸ときめく光景が現れます。

まるで神様の通るための道を残しているかのよう

「豊玉姫神社神饌田」と書かれています。実はこの先に豊玉姫神社があるのです。でも、神饌田って一体なぁに・・・???

神饌とは、御饌(みけ)とも言って、お祭りなどで神様に献上するお食事のことです。神様にお食事を差し上げておもてなしをして、そのお下がりを参列した人たちでいただく行為・「神人共食(しんじんきょうしょく)」が、日本の祭りの特徴であるとも言われています。

神饌について | 神社本庁より

なるほどー!この田んぼで豊玉姫神社にお供えするお米を作っているのですね。ときめきー!!ちなみに「神饌」は「しんせん」と読むらしい。むずい。

豊玉姫神社

では、さっそくこの先にある豊玉姫神社へと向かってみましょう。

豊玉姫神社

どうやら知覧には豊玉姫に縁のある場所が多く存在しているらしく、実は昨日訪れた浮辺の田の神さぁのすぐ近くにも豊玉姫が化粧を直したと言われる場所がありました(場所がはっきりわからなくて写真は撮らなかったね・・・)。

開聞神大綿津見神の娘であった豊玉姫と玉依姫は、それぞれ領地を治めることとなり、姉の豊玉姫には川辺を、妹の玉依姫には知覧を与えられ、二人の神は連れ立って衣の都(今の頴娃・川辺の辺)をお立ちになりました。途中、一泊した折に、賢い玉依姫は川辺が田畑に富み米の豊かな地であることを知り、姉の豊玉姫よりも早く出発なされ、川辺の地に赴きます。姉の豊玉姫はやむなく知覧に赴き、上都の城山の下に宮居を定めます。

鹿児島西ロータリークラブより

ひどい!もともと妹の玉依姫が知覧を治めるはずだったのに、姉が治めるはずの川辺(地名)の方が豊かな場所であることを知って、姉に断りもなく勝手にそっちに向かっただなんて・・・。妹って生き物はいつの時代も自分勝手なのですね・・・(えぇ、わたしも末っ子ですよ)。

さて、神社にはお宮参りの家族や、鮮やかな着物を身にまとった七五三の女の子の姿もあってとても賑やかでした。

イノシシ注意の看板!?

毎度おなじみの木鼻ウォッチも忘れてはいけません。え、めちゃくちゃ可愛いーーーー!

木鼻と七五三の女の子
わたしの好物のファニーフェイス系

薩摩の水からくり

神社の敷地内には国の無形民俗文化財にも指定されている「水車からくり」もありました。

水からくり やかた

豊玉姫神社では毎年7月9日~10日に、江戸時代に始まったとされる国の無形民俗文化財「薩摩の水からくり」の上演が行われています。全国でも鹿児島県薩摩半島南部の万之瀬川流域にのみ伝わる民俗芸能で、水車を動力として動く人形が繰り広げる芝居は、豊玉姫神社の六月灯にのみ上演され、毎年異なる演目で上演される知覧地域の“夏の風物詩”となっています。(中略)毎年演目が変わるため、知覧水車からくり保存会の皆さんにより、演じる人形作りや背景、仕掛けづくりなどの作業を約2か月間にわたり行い7月の初演に備えます。

鹿児島西ロータリークラブより

毎年演目が変わるようで、今年7月の六月灯で演じられたのは「かぐや姫」。その時のものと思われるカラクリがそのまま展示されていました。ちょうど昨晩、美しい満月と十五夜行事を見たばかり。なんてタイムリーなのだ!シンクロっぷりに嬉しくなります(単純)。

これが水車で動くのか〜。みてみたいな

縁結び夫婦銀杏

からくりやかた前には、島津家15代当主貴久が植えたという夫婦のイチョウの木が仲良く並んでいました。縁結び、子授け、夫婦円満、家庭円満のご利益があるそうです。

もちろん縁結びのご利益に期待!!!

島津貴久といえば、フランシスコ・ザビエルに日本で初めてキリスト教布教の許可を与えた人物ですね!今年その場所を訪れたばかりでした。まさかこんなところで再び貴久さんの面影に会うことになるとは・・・。興味のあるものって、不思議と繋がっていくから面白い。

詳しくは以下のブログをどうぞ▼▼▼

①キリシタンを巡る旅2023・鹿児島【伊集院編】 - 彷徨する旅のアーカイブ

神社を後にして武家屋敷を目指します。昨日から歩き通しなので、とっくの昔に足は悲鳴をあげているよ!さらに暑くて滝のような汗を流しながら根性で歩く・・・歩くぞ・・・。

道中、名もなき小さな神域を見かけたり・・・

何が祀られているのだろう

植物に侵食された車に心奪われたり・・・

紫の朝顔(昼顔?)が咲いていた

カマキリたちも・・・!!!

シルエットカマキリ。
よくよく考えたら壁を逆さで歩くのすごいな

カマキリ全盛期なのか散策している間に3匹の知覧カマキリ(そんな品種があるわけではない)と出会いました。こわい・・・けど見かけたらつい撮ってしまうカマキリ・・・

知覧武家屋敷

ついにTHE 武家屋敷通り!といったような風情のある石垣の通りが現れます。

やっとついたー!

江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその一つです。
「知覧麓の武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作例の一つで、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れ、我が国にとってその価値は高い。」として、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。また、同時に地区内の7つの庭園が「優れた意匠で構成されており、その手法は琉球等庭園と相通じるものがあり、庭園文化の伝播を知る上でも貴重な存在である。」として国の名勝に指定されました。

知覧武家屋敷庭園 有限責任事業組合(公式ホームページ)より

知覧には何度か来たことはあるものの、こうやってぶらぶらするのは実は初めてのような気がします。

沖縄や鹿児島でよく見かける魔除けの「石敢当」もありました。

三叉路の突き当たり

三叉路の突き当たりに建てられているこの石塔は、屋敷内に魔物が入ってくるのを防ぐ「石敢当」というものです。中国発祥の考え方で、江戸時代に琉球(現在の沖縄)を経て伝わりました。丁字路や三叉路に設置されます。南九州市では麓(武家屋敷群)や海運業が盛んだった海岸地域に多く確認されています。

解説板より

石に「石敢當」と書かれているものしか見たことがなかったので、何も書かれていないタイプがあるのを初めて知りました。ボコってヘコんでいるけど、魔物がぶつかって砕け散ったからなのかしら?それなら相当な数が衝突したか、大物がぶつかったと思われます・・・。

どんな魔物がぶつかった跡なのか。ごくり。

武家屋敷が連なる道をひたすら歩く、歩く・・・

とあるお屋敷の門では存在感ありすぎるカッパ様が誘惑しておりました。

カッパのお皿の上にはお賽銭。どこでもお賽銭したくなるのが日本人なのだ

田の神さぁもいらっしゃった。

今日はほんとに暑いですね〜

時折見かける色々な植物がキラキラキラしてました。

青空に映える

人が写っていない写真ばかりですが、この時間帯はツアー客の団体や、お年を召した観光客などがたくさん歩いていました。若干人の多さに「ううう」となったのですが、少し路地に入ると誰もいなくて、美しく整ってないけどこっちの方が落ち着いてて好きだな・・・なんて思いながら、さらにてくてくてく。

合歓の花も咲いていた

竹林を抜けると視界が開け、黄金の稲穂が現れました。

眩しい

豊玉姫陵

稲穂の波の中央あたりにぽつんと見えている鳥居。ここには先ほど訪れた神社に祀られていた豊玉姫のお墓があります。

360度稲穂・・・!!!

なんて素敵な場所で眠っているのでしょうか・・・。

雑草がボーボーですが、どのくらいの頻度で手入れされているのかな?この雰囲気も好きではあるのですが、定期的にお手入れしてもらえたらなぁという気持ちで、お賽銭箱に小銭をちゃりん。

とても素敵なお墓で大好きでした

今の時期はあちこちで曼珠沙華の姿が見られますね。ここにも咲いていたのですが、観光客が踏んだのか、まだ咲いているのに茎からポキっと折れている曼珠沙華もありました・・・。わたしもよそ見しがちでお粗相をしないとも限らないのですが、できるだけ注意を払って参拝したいものですね。自戒を込めて・・・。

再び竹林を抜けて来た道を戻ります

お昼ごはんとスイーツ

お昼の時間もとっくにすぎて13時半過ぎ。そろそろ遅いお昼ごはんを食べましょう。わたしのブログではおなじみのそば茶屋吹上庵へ!

あちこちにお店があるのがありがたい

いつもならあったかい肉うどんを食べるのですが、今日は暑くて暑くて・・・。熱々の食べ物を体内に入れることなどできません・・・!冷たくてネバネバなおうどんをいただくことにしました。

奥の小皿にちらっと写っているのは、毎回食べ過ぎてしまう大根のお漬物(食べ放題)

刻まれた甘いお揚げがアクセントになって美味しかったー!!!けど何気に量がいっぱいで、おうどんだけでもうすでにお腹がパンパンに。お稲荷と巻き寿司食べ切れる自信ない・・・でも残すのはイヤ!と無理やり口の中に運んでみると、意外や意外、美味しくてするする胃袋に吸い込まれていきました。しかしすでに腹十分超えの胃袋。もうこれ以上は入らないよ・・・!!

それなのになぜかその足ですぐ近くの紅茶専門のカフェ薩摩英国館に行ってしまうのが強欲魔神。だって、だって、スイーツも食べたいじゃない???大昔に見たテレビで、甘いものを食べる時は不思議なことに胃袋の容量が空くという映像を見たことがありました。それを信じて、いざゆかん!!!

敷地内にはロンドンバスもあって、英国側から見た薩摩の幕末史を紹介する歴史資料館になっています。カフェ利用の方は無料で見学可能(わたしは時間がなくて中に入れず)

最初紅茶とスコーンをいただくつもりが、つい浮気して紅茶パフェとグリーングリーンティーを。だって知覧だから!緑茶飲まなきゃ・・・!!パフェで紅茶も楽しめるし一石二鳥です。そして胃袋は無事スイーツのために容量を拡大してくれたようで、難なく平らげることができました。

グリーンティーがミントでとっても爽やか。普段はあんまり緑茶飲まないのですが、夏に飲むアイスグリーンティーはとっても好き

え?スコーンお持ち帰りできるんですか??・・・もちろん全種お持ち帰りで!!!

スコーン大好きなのです

そろそろタイムリミット。再び灼熱地獄と化している外に出て、鹿児島市内に戻るため、武家屋敷の通りを抜けてバス停に歩いて向かうことにします。

武家屋敷と白昼夢

ちょうど最高潮の炎天下っぷりな時間帯。再び武家屋敷の通りに足を踏み入れると、午前中にはあんなに観光客がいたのにひとっこひとりいません。

豊玉姫神社跡の石碑を発見。最初はこの場所にあったのですね

さっき歩いた道をまた歩くのはもったいないな・・・表の武家屋敷が連なる通りを離れ一歩細い路地に入り込むと、廃墟の建物もあって一気に荒れ果てた雰囲気に・・・。観光地の光と影・・・といったようなものを感じました。

大きな蜂がブンブン飛んできて怖かった・・・

メイン通りに戻ってきました。雰囲気のある石垣の道は太陽の強烈な光に照らされ、真っ白に飛んだ世界が目の前に広がっています。人が誰もいない世界に迷い込んでしまったのかな・・・?

整備されたとても美しい通りなのに、人の気配をまったく感じないという・・・。その対比がちょっと怖くて、まるで白昼夢でも見ているかのような不思議な感覚になりました。

武家屋敷の通りを抜けると、現代の街並みが広がります。かわいい猫ちゃんを見かけてほっ。迷い込んでいた世界から戻って来たような気分です・・・。

そんなに睨まないでおくれよ・・・

え?肝心の庭園見てないじゃんって???(知覧武家屋敷は庭園が有名なのです)そーなんです、実はわたしが庭園を楽しむという域にまだ達していなくて・・・(未熟者でございます)。老後の楽しみにしたいと思います、はい。

鹿児島市へ

あ、足が限界・・・もう無理・・・。というところで、バス停に到着。無事鹿児島市内へ向かうバスに乗り込むことができたのでした。さよなら、知覧。中福良の十五夜ソラヨイを見に行く時にまた行くからね。

車窓から大好きだった豊玉姫のお墓も眺めることができてとても嬉しかった

骨董店の眠り猫

夕方、日の落ちる頃に鹿児島中央駅へと無事到着します。

バスの車窓から。観覧車のある場所が鹿児島中央駅

新幹線の時間まで少し時間があったので、久しぶりに近くの骨董店に行ってみることにしました。が、お休み・・・。ここ数年何度か行こうと試みてもタイミングが悪いのかいつもお休みで行けた試しがない・・・。

駅横のアーケード商店街にある「小鳥遊(たかなし)骨董店」

ガッカリしたけど・・・ショーウィンドウに・・・・・

ね、ねねねね猫ちゃーーーん!??

!????

最初リアルな置物なのかと思ったら・・・ホンモノ・・・!!???ここが定位置なのか、気持ちよさそうにすやすや眠っておりました。

ソール・ライターの猫バージョンみたいな写真撮れた

旅の最後に花を添えてくれた可愛らしい眠り猫ちゃん。ちょっとしたサプライズでした。

帰りの新幹線では駅で買った黒豚サンドで舌堤

これにて1泊2日の十五夜ひとり旅はおわり。

目を瞑ると思い出すのはあちこちで見かけた黄金の稲穂と美しい満月、そしてソラヨイの子どもたち・・・。秋の実りへの感謝を強く感じる旅でした。とても短かったけど、そうとは思えないほど満ち足りた気分で帰路に着くのでありました。

テイクアウトしたスコーンも美味しくいただきました

最後に

2023年最後の日に、この最後の文章を書いています。今年は今まで使っていたFUJIFILM X-T3からSONY α7IIIにステップアップし、新たなカメラ生活をスタートさせた年でした。そしてそのカメラを手に初めて撮影に挑んだのが、今回の十五夜ひとり旅。カメラが届いたのは旅のたった2日前。しかもレンズは未購入で、アダプターを使って手持ちのオールドレンズで撮影することに。使い慣れないカメラにマニュアルでのピント合わせで夜の撮影・・・。しかも今年で最後という貴重な十五夜行事の撮影とあって失敗は許されません(無謀すぎるぜ)。

結果はISO感度上げすぎてざらっざら、ざらっざらな写真を量産してしまったわけです・・・。でも、この時撮った写真はざらざらだけど好きなものも多く、オールドレンズでの撮影も難しかったけどとっても楽しかった!!この時の撮影体験が今後のカメラ生活の原点になるような気がしています。

盛大に失敗したぶれぶれ写真だけど、なんだかとっても好きな十五夜ソラヨイの写真で2023年最後のブログを〆たいと思います(5人でのソラヨイだったけどもっと多く見えるね笑)。

ブレたって、いいじゃない?

さて、今年も趣味丸出しの偏ったブログを読んでいただきありがとうございました。2024年もあちこち旅して、大好きな写真をたくさん撮っていきたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします!みなさまにとっても素敵な一年になりますように・・・。

【使用カメラ】digital:SONY α7III、iPhone SE2 lens:Carl Zeiss Planar 50mm F1.4 mmj、Flektogon Carl Zeiss Jena 35mm F2.8

01.南九州・十五夜ひとり旅2023【隠れ念仏と田の神さぁ編】

旧暦8月15日は中秋の名月。わたしは十五夜という呼び方の方がしっくりくるかなぁ。子供の頃、実家では縁側に母親が作ったぼた餅や、焼酎瓶にススキが飾られていたことを覚えています(小豆ぎらいだから食べれないけど・・・)。

なぜ急にそんな話をしたのかって?それは今回の旅の目的が十五夜行事を見るためだったから。今年、2023年の十五夜は9月29日でした。「旅」と呼ぶには短すぎる、ちょっとそこまで・・・な、十五夜ひとり旅。どうぞ最後までご覧くださいませ。

CONTENTS

博多から鹿児島へ

新幹線で博多駅から鹿児島中央駅へ。車があればそこからひとっ飛びではありますが、毎度のことながら公共交通機関と己を足を酷使する旅でございます。

鹿児島中央駅にぷかぷかくらげが浮かんでいたよ

指宿枕崎線に乗り換え、海と薩摩富士を眺めながら鈍行でのんびりと向かいます。

着いた!

大ピンチ!油油油まつり

到着したのは南九州市の頴娃(えい)町にある西頴娃駅。

鹿児島人以外で頴娃を「えい」と読める人はどれだけいるだろうか?

しかしまだまだ目的地には着きません。乗り換えのバスの時間まで1時間ほど。ちょうどお昼時だったので、近くのからあげ屋さんでお弁当を仕入れることにします。

唐揚げ屋さん前の駐車場には麗しい美猫さまが

からあげ村長。嫌いじゃないぜ、そのセンス

揚げたてのお弁当を受け取り、本日の昼食会場へ・・・(バス停です)。

最高のランチタイムの始まりだぜ・・・!!!

(目の前が学校だったので、不審者に思われやしないかドキドキ)

揚げたての唐揚げは美味いに決まってるだろ?特に塩が!美味すぎた!!(塩と醤油味の2種類から選べました)なかなかボリューミーで食べてる途中でもうお腹いっぱい・・・。欲望のままについ砂ずりの唐揚げまで頼んでしまったのがあかんかった。油油油まつり!これでもかってくらい油が胃に重くのしかかってきます(大量の油が受け付けない年頃なのじゃよ・・・)

やばい・・・バスがもう来てしまう・・・!急いでかっこむ・・・けど無理!!

もうバスきちゃった!!!

ぶつかってきそうなくらいスレスレで止まって死ぬかと思った

砂ずりの唐揚げを半分だけ残し、とりあえずバスの中へ・・・。なんでいつもこんなバタバタ・・・優雅に旅できないものかね・・・。

これから向かうのは知覧特攻平和会館やお茶の名産地としても有名な知覧町。車窓からは不思議な形の山や、茶畑が延々と広がっていました。地元が近いわたしにとっては、茶畑はどこか懐かしさを感じる風景です。

茶畑には大きな扇風機がワンセットだよね(霜を防ぐためにあるんだって)

ところで今回乗ったバスが曲者でした。見た目はちゃんとしたバスなのに、停車するバス停のアナウンスが小さい・・・。それだけならまだしも放送されない時すらあって「え?え?」ってなりながら突き進んでいくのです・・・!!これはうっかりしてたら降りたいとこで降りれないや!つ!!慌てて地図アプリを片手に通り過ぎていくバス停をチェックしながら渾身の「ピンポーーーーーン!!!」。なんとか無事下車することができました・・・(めちゃ焦ったわ)。

「東門」で下車。運転の荒いおじいちゃん、さよならだよ(安全運転してね)

数日前に秋分の日を迎え、暦の上ではすでに秋。バス停の周囲には彼岸花が咲き、秋の気配を感じるものの、まだまだ昼間は厳しい残暑が続いていました。

黄色の彼岸花に蝶が戯れていた

つまり、このままでは先ほど食べきれなかった砂ずりが腐ってしまう・・・!そう、わたしが今真っ先にしなければならないのは、この砂ずりを一気することなのだ・・・!!!!!(美しい彼岸花を前になんて情緒のない・・・)

腹10分を超えた胃袋に無理やり押し込み(味は美味しいんだよ・・・食べきれないのに欲張ったわたしがいけないんだよ・・・)何度も気持ち悪くなりながらなんとかフィニッシュ!!!最後まで美味しくいただけなくて、揚げたての唐揚げに申し訳ないことをしてしまったな・・・。

知覧町をぶらぶら散策

さて、夜から始まる十五夜行事まではまだ時間があります。知覧観光するために少し早めにやってきたのでした。知覧といえば知覧特攻平和会館や武家屋敷が有名ですが、今回十五夜行事が行われる地区からは微妙に遠い・・・。どうにか歩いて周れる範囲で観光することにします。

まだまだ厳しい残暑の中、汗をだらだら流しながら歩いていると、秋の訪れを感じる様々な色の彼岸花があちこちで出迎えてくれました。

昔は赤しかなかったよね?いつからこんなにたくさんの種類が彼岸花を見られるようになったのだろう

田の神さぁ巡り

歩いて周れる場所といっても、周りにあるのは田んぼや田んぼや田んぼくらいしかないので、観光できるところは実はあんまりなかったり。でも、田んぼがあるなら田の神さぁがいらっしゃる!!!(「たのかんさぁ」と読みます。かわいいでしょ?)というわけで、田の神さぁ巡りをすることにいたしましょう。

田の神さぁってなぁに?

これまでのブログの中でもたまぁーに出没していると思われる田の神さぁ。ちゃんと詳しく書いたことはなかったかもしれません。

田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。「田の神石像」ができたころは、霧島の噴火・天災などが原因で、農家にとって大変きびしい時代でした。(中略)農家は霧島の噴火をやめさせ、稲作の豊作を願うために「よりどころの像」を作るようになったといわれています。

田の神さぁってなぁに? – 宮崎県 えびの市観光協会 より抜粋

今年のGWに訪れてた鹿児島市の黎明館の民俗コーナーにも、さまざまな形をした田の神さぁが展示されていました。

田の神の分布と類型の図

田の神は、稲を育てる水田を守り豊作をもたらす神として、水田の畔や水田を見渡せる小高い場所、あるいは井堰や溜池などの水の取り入れ口、家の床の間などに祀られている。石像だけでなく、自然石や木像、陶器の像も存在する。その形は頭にはシキを被り、手にはメシグとスリコギを持っているのが、最も代表的な形である。また、後ろ側から見ると全体が陽根の形をしているというのも一般的である。(後略)

出典 小野重朗『田の神サア百体』(黎明館の展示より)

えーっと、上記のマゼンダ色に注目ですよ。後ろ姿が「陽根(つまりは男根)」の形をしている・・・!?え、今の今まで知らなかったよぉーーーーー!!!でも、前に撮った写真を見返してみると、ちゃんと後ろ姿も撮っておりましたね。えらい、わたし。

言われてみれば、確かにそう見えなくもない・・・
【後編】真夏の田園ラプソディ!市来の七夕踊に掲載の田の神さぁ(いちき串木野市)

瀬世の田の神

そして、今回バス停から歩いてすぐに出会った知覧の第一田の神さぁ!周囲は鮮やかな稲穂の海。とても美しかったです。

やっぱりちゃんと後ろ姿撮ってた。えらい。

周囲の田んぼではお爺ちゃんとまだ若いお孫さんが一緒に稲刈りをしていて、なんとも微笑ましかった。

パラソルおじいちゃん

その様子を見守る田の神さぁ

次なる田の神さぁを目指す前に、わたしには行きたいところがありました。実はとっても気になっていた場所。そこを目指して歩く歩く歩く。

どこまで歩けばいいんだい?

ときおり現れる案内看板を辿っていきます

暑いし汗だらだらだし、それよりも何よりも歩きすぎてすでに足が痛い・・・痛いよ・・・!!!

いつも歩きながら出会う植物に癒されています

ついに目的地近くの休憩所に到着。近くには民家しかないので、徒歩の身としてはトイレがあるのがとてもありがたかったです(もよおしたら野でするしかないからな・・・)。

立山のかくれがま(立山かくれ念仏洞)

これから行く場所についての解説もありました。以下解説板より抜粋。

南九州に一向宗が伝わったのは、室町時代とされています。江戸時代一貫して一向宗(真宗・浄土真宗)を禁止していたのは、薩摩藩と熊本県人吉市を中心とした相良藩の二藩だけでした。信者達は「南無阿弥陀仏」と、唱えることで自分の祈りの心を表していました。この「南無阿弥陀仏」を唱えることを「念仏」といいます。信者達が禁止されているにも関わらず、隠れて念仏を唱えていたので「隠れ念仏」と呼ばれています。

ここ「立山のかくれがま」もそんな「隠れ念仏」の史跡の一つです。「がま」とは鹿児島弁で山の傾斜などに掘った横穴のことで、立山の「がま」は目立たないよう竹山の中に掘ってあります。入り口は狭く、大人一人かがんでようやく入れるほどです。中は広く掘られ、入り口から北へ六メートル進み、そこから左へ四メートル程あり大人が立って歩け、空気抜きの孔もあったと伝えられています。また、「がま」のそばに椿が植えてあるのは、当時花を供えると役人に見つかってしまうかもしれないので、それと分からないように植えたということです。ただし、現在の椿は当時からのものが枯れてしまったので、新たに植えかえたものです。(後略)

そう、目指していたのは薩摩藩から一向宗を禁止されたにも関わらず隠れて念仏を唱えていたという立山のかくれがま。

公園を通り過ぎ、さらに歩いていくと、ついにそれが現れました。

竹林に囲まれた空間

左すみに小さな大人が屈んで入れるくらいの小さな穴が見えます。どうやらここが入口らしい・・・。こ、こわい・・・・・

センサーが反応して灯りが突然点灯してビクゥゥゥ!!!

ここを通るとセンサーが反応するようです。知らなかったから吃驚した

扉を開けて、ドキドキしながら中に入ります。

ドキドキドキ・・・

階段を降りて左に曲がるとすぐにぽっかりと空いた空間に出ました。右に顔を向けるとさらに小さな穴に仏像が納められています。この小さな洞穴で信者たちは念仏を唱えていたのですね・・・。

仏像の前にはお賽銭

わたしも手を合わせて「南無阿弥陀仏・・・南無阿弥陀仏・・・・・」。
唱えてからすぐ「怖い!怖いよ!!!」となってすぐに離脱・・・!!!

外の明かりが見えてホッ

こ、ここここわかったーーーーー。

お化けが怖いというよりも、誰かがやってきてこの薄暗くて狭い空間に閉じ込められたらどうしようかと。ここに来ることを誰にも言ってないから神隠しに合ってもわかりゃしませんぜ・・・。

日の光に安堵しながら穴の横にある祭壇に目を向けると、整備された当時の発掘の様子や内部の実測図の解説が掲示されていました。

立山はかごんま弁では「たっちゃま」と発音するんだね。かわいい

言葉だけは知っていて、その歴史についてはよく知らなかった隠れ念仏。宗教は違えどキリシタン弾圧と同じ宗教弾圧。敷地内には禁教下の日本のキリシタンを連想させる椿も植えられていて、単なる偶然ではあるけれど不思議とシンクロする部分があり、今年ずっとキリシタンを追いかけていた身としてはどうしてもふたつを重ねずにはおられないのでした。

敷地内に植えられている椿の葉と、かくれがま
(休憩所の解説の通り、現在植えられているのは当時のものではなく新たに植え替えられたもの)

秋の実りと田の神さぁ

ちょっぴり怖い思いをしたところで、田の神さぁ巡り再開です!!

また歩く・・・歩くぞ・・・・・

やっぱり秋

もこもこしたおもしろい植物もいた

旧道っぽい道を歩かされ・・・。

こっちであってるの・・・?Googleマップさん・・・いっつもスパルタだよね?

そして、やっぱり秋

あ、猫ちゃん!!!

塗木の田の神

そして、草ぼーぼーの場所でひっそりと佇む田の神さぁ。こちらのお方は1748年に作られたもので、右手に鍬(くわ)、左手に宝珠をを持ち、背中にはツト(藁などで作られた食べ物を入れる容器)を背負っている姿をしています。

塗木の田の神

近くからはビュンビュン車の走る音がするのに、と、通れない・・・!!という道に案内され、Uターンする場面も・・・。

Googleマップ先生、この道通れませんよね・・・?

果たして今夜、十五夜行事を見に行くことができるのだろうか。ここをいつ脱出できるのか分からず、ちょっと不安になってきました・・・。

人里へと辿り着くためにひたすら歩く

人気のない道を歩き続け、なんとか木々に囲まれた道を脱出・・・!!

ほっとしたーーーーー!ところに猫ちゃん・・・!!!(遠い)

そしてここからまだまだ歩き続け・・・

黄金色の稲穂

浮辺の田の神

いよいよ足が限界・・・自分的にたのしい風景もぜんぜんない・・・それを見つける余裕すらない・・・・・・

そんな苦しみの中でついに・・・

ラスト田の神さぁ発見・・・!!!

沈みゆく太陽に照らされる田の神さぁ

今夜、十五夜行事を見にいくのはこちらの田の神さぁがいらっしゃる浮辺地区。十五夜は秋の実りに感謝する行事でもあります。田の神さぁ巡りを締めくくるのに相応しいお方といえるのではないでしょうか。この辺には他にも田の神さぁがいらっしゃるのですが、我が足で巡るにはここまでが限界でした・・・。

ちょうど陽が暮れ出して、飴色の光が稲穂を照らしてキラキラと輝いていました。

秋の実り

収穫に感謝し、豊穣を願う十五夜行事に向けて、自然と気持ちがどんどん高まってきました。それが目的だったわけではないけれど、これから見にいく十五夜行事の意味を深く感じるためにも田の神さぁ巡りをしてよかったなぁとしみじみ思うのでした。

飴色の道を歩く

さて、今回訪れる浮辺の十五夜行事は、夜空に月が浮かんでからスタート。暗くなるにはまだちょっと早いけれど、そろそろその行事が行われる場所へと向かいましょう。準備する様子も見たいもんね!

落ちる陽は濃くなり、影が長く伸び始めます

十五夜行事の会場である浮辺公民館に向かって歩いていると、同じ方向に歩いていく親子やご年配の人たち姿がちらほら・・・。どうやら目的地は同じようです。その人たちに続いて公民館に到着すると、すでのたくさんの人たちで賑わっていました。待ちに待った十五夜が、いよいよ始まろうとしています。

【使用カメラ】digital:SONY α7III、iPhone SE2 lens:Carl Zeiss Planar 50mm F1.4 mmj、Flektogon Carl Zeiss Jena 35mm F2.8

02南九州・十五夜ひとり旅2023につづく▼▼▼

②キリシタンを巡る旅2023・ 鹿児島【島津とキリシタン編】

伊集院から鹿児島市内へ。真っ先に向かったのは、歴代の島津藩主が眠っている墓所でした。

CONTENS

福昌寺跡(鹿児島島津家墓所)

福昌寺跡は、1394(応永元)年に島津家第7代島津元久によって創建された島津家の菩提寺。第6代から28代島津斉彬までの当主とその家族、歴代住職などが眠っています。最盛期には1500名もの僧がいたといわれる南九州最大のお寺だったのですが、こちらも例に漏れず1869(明治2)年の廃仏毀釈により廃寺に・・・。戦後、敷地内には玉竜高校が建てられ、その裏手に島津家をはじめとするお墓が並んでいます。つまり、校舎の窓からは常にお墓が見えているということですね・・・。学校の七不思議とかに島津家にまつわるものとかあったりして!聞いてみたい・・・。

玉龍高校横のゆるやかな坂を登っていくと、案内板が見えてきました。

左の建物が玉龍高校。この裏手に福昌寺跡(墓所)があります

おやおや?案内板には・・・

案内板に書かれている通り、なんと島津家墓地のさらに奥にはキリシタン墓地があるのです・・・!!!このことについてはまた後で詳しく記すとして、まずは島津家にお墓参りしましょうぞ。塀に沿って歩いていくと、まず島津家の家紋である丸十で飾られた扉が現れます。

し、閉まってるね・・・???

早速動揺していると、通りすがりのおじいちゃんが自分で開け閉めして入って良いということを教えてくれました。うぅ、ありがたやー!ちょっとした親切に最大の喜びを感じてしまう今日この頃・・・(しかしすぐにパニくる癖をどうにかしたい)。

開いた・・・!

鳥居をくぐった先の正面奥の墓石には「従一位勲一等公爵島津忠済  田鶴子 墓」と書かれています。

いたるところに丸十

文字から植物が生えていて萌え

こちらには島津氏の分家で玉里島津家第2代当主である忠済さんとその奥さまが眠っているようですね。鳥居から墓石までの両側に、丸十の刻まれた灯籠がずらっと並んでいる光景も壮観でした。

蠱惑的な蟻の行列にどきどきしたよ・・・
(見えずらいけど上から下に縦一列で行進中)

でも、歴代藩主たちのお墓は一体どこに??別の場所に繋がる道も見当たらないので、一旦外に出てみることに・・・。戸惑いながらもさらに奥へと進んでいくと、再び扉が現れました。

中に入ると先ほどとは打って変わって広々とした空間が広がっています。お墓に縁もゆかりもない見ず知らずのわたしなんぞがお邪魔してよいものかしら・・・などと(今さら)思いながらも、無礼のないようお邪魔させていただきますね・・・!!!

どうやらこちらが歴代藩主たちの墓所のようでした。案内図もあって親切〜!!(地図読めない人間だけど)

案内図。藩主やその家族の名前が書かれています

一番有名な島津斉彬さんの墓石拝みたいかもかも・・・なんて思いながら、あまり気にせず気の向くままに敷地内をお散歩してみることにします。

木漏れ日がキラキラして美しい

めんこい唐獅子さま〜

でも、上の墓石の中には頭のない仏様が・・・

お墓って怖いんだけど落ち着くような不思議な魅力があります。昔からお墓参りに行ってるからなのかなー。懐かしい感じがして、お盆の雰囲気や線香のにおいも好きです。

きゃ、きゃきゃわいいいいい!!!

亀かと思ったら、亀そっくりの中国の伝説上の生物「贔屓(ひき)」というらしい。龍が生んだ子供なんだって。「どうぞごひいきに〜」の「贔屓(ひいき)」語源にもなっているそうです。一目で大好きになってしまいました。

化け猫あらわる!??

敷地内を歩いていると閉じられた空間でどこにも進めそうになかったので、再び塀の外に出ることにします。ちなみに敷地内には入れないようになっている場所も所々あってすべてのお墓を見ることはできず(たぶん劣化が激しくて危険なのだと思う)。地図をちゃんと見てないからなんだけど、島津斉彬さんのお墓の場所もよくわからなくて結局辿り着けなかったよね・・・。

さて、再び壁沿いを進んでいくと、ある墓石が目に飛び込んできました。

ね、ねねねねこちゃーーーーーーん!!!!!

巨大な化猫(?)と中国人ぽい人が戦っている(?)姿が彫られているではありませんか・・・!!小さいながらもなんて躍動感のある動き・・・。一体どなたのお墓なのでしょうか。塀の中ではなく外に置かれていました。島津家に縁のある人なのかなぁ??気になる・・・。けど調べる知識も術もないので可愛い猫ちゃん!の話はここまでにしましょうね。

琉球の文字が刻まれたお墓もありました

今回の目的は鹿児島キリシタンを巡る旅。忘れてはぁーいけません。斉彬さんのお墓を拝むことはできなかったけれど、わたしが一番お会いしたいのはザビエルさんが謁見した15代当主の貴久さんなのよ・・・!!

貴久さんのお墓

キリシタン縁の地を巡る旅をしていることや、先ほど伊集院のお城に行ってきましたよーなどと報告したりしなかったり・・・。さて、挨拶もすんだことですし、一番の目的であるキリシタン墓地へと向かいましょう!

古い墓地だからおどろおどろしさを感じそうですが、なんせお隣は高校。墓地近くでは吹奏楽の練習をしている学生たちもいてとっても賑やか。青春の眩しさも感じて甘酸っぱい気持ちにもなりました。ちなみに年上の知人の話によると、昔はこの墓地が学生たちのデートスポットだったらしいぞ!(今の若者もそうなのかはわかりません)

校舎と灯籠

高校と福昌寺跡の塀の間の道をどんどん進み、突き当たりを右に曲がると階段が現れました。

ここを登っていくらしい

石にみっちり苔と草。すき

階段を登っていくと、不思議な形のこれまた古そうなお墓がありました。周りをとり囲む植物もとてもよい。

「慰霊堂」の文字

ザビエルと親交を深めた忍室

どんどん登っていくと、右手に福昌寺歴代の住職たちが眠る墓所が現れました。

とても・・・いい

実は、ここにザビエルとっっっても縁の深い人物のお墓があるのです。それがこちらの第15代住職忍室(にんしつ)さん。ザビエルは鹿児島で何人かの知的レベルの高いお坊さんと知り合いましたが、忍室とは特に親しく、宗教的な問答を交わし合ったそうです。

ニンニン!(怒られるよ・・・)

忍室和尚の墓石よりさらに奥へと進んでいきます。

門のアーチがよき

菅神廟

一番奥には細い階段があり、その先の岩壁に神像のようなお姿が・・・。

瞼の小さな葉っぱがまつ毛みたいでビューティープラス!

階段横には「菅神廟」の立札が掲げられていました。調べてみると菅原道真を祀ったもので、よーくみると腕には梅の花を持っています!この菅神廟は福昌寺ができた時からあるというからすごい。小さな葉っぱが身を包んでいる姿もとても好きでした。

キリシタン墓地

ここからUターンして先ほどの階段へと戻り、さらに上へと登っていきます。

いい運動になる!

そしてついにたどり着きました!こちらがキリシタン墓地です。

真っ白な百合の花が

鹿児島のキリシタンのお墓なのかと思いきや、なんとこちらで眠っているのは長崎の浦上地区から流されてきたキリシタンたち。

手前味噌ではありますが、今年の2月に浦上天主堂を訪れた際の記事から引用させていただきます(わかりやすくまとめてくれてありがとう少し前のわたし!)。

幕末の開国後、1865年(慶応元年)に、当時外国人の居住地であった南山手地区(旧グラバー邸を初めとする歴史的建造物が多く存在する観光名所)に、フランス人専用として日本最古の教会である大浦天主堂が建てられます。翌年、そこを訪れたのが浦上地区の十数名の潜伏キリシタンたち。信徒たちは教会の神父に自分たちがキリスト教徒であることを秘密裏に告白し、弾圧によって日本に信徒がいなくなったと考えていたヨーロッパの人々に強い衝撃を与えます(「信徒発見」)。いまだ禁教令下にあった日本。この「信徒発見」が、浦上の信徒たちへの最大の迫害となる「浦上四番崩れ」に繋がっていきます。1868(明治元)年には、浦上のほぼ全村民約3,400人の流罪が決定。全国各地に流され拷問を受け、約660人が殉教したとされています。

以下ブログより抜粋▼▼▼

この「浦上四番崩れ」によって、浦上地区のキリシタンたちは改宗させるために他藩に預けられます。鹿児島に送られたのは375名。彼らは廃寺だった福昌寺に収容され、1873(明治6)年に禁教令が撤廃されて浦上へと戻るまでの間に58名が病死しました。ただ、薩摩藩では棄教を勧められはしたものの拷問などは行われず、待遇はよかったそうです。それがせめてもの救いですね・・・。1905(明治38)年に、ラゲ神父が散在していた墓をこの場所に集めて立派な記念墓碑を造ったのだそうです。

なんと書いてあるのかはわかりませんが、側面には美しい異国の文字が刻まれています

わたし以外の観光客なんて来るはずはないと思っていたらなんと!日本人ガイドに連れられてやってきたフランス人(おそらく)観光客の姿が・・・!!!派手な観光地でもないこのような墓地に・・・。日本のキリシタン弾圧についてはもしかしたらキリスト教圏の海外の人たちの方が関心を持っているのかもしれませんね。

さらに上に登っていくとグラウンドがあるようで、ランニングルートにもなっているのか部活動っぽい野球少年たちの駆け上っていく姿も見られました。

そのおかげでお墓だけどやっぱりそんなに怖くなくて助かった

これにて福昌寺跡ぶらぶらはおわり。ザビエルに日本初のキリスト教布教を許した島津貴久のお墓や、ザビエルと親しかった忍室和尚のお墓、キリシタン墓地という日本のキリシタンの歴史にとって大事な場所を訪れることができて良かったし、その他にも見所が満載でとても好きなお墓になりました(自分でも「お墓が好き」ってどういうことじゃいって思うけど)。福昌寺跡、おすすめです。

階段をてくてく降りて帰りましょう

鹿児島県歴史・美術センター黎明館

お次に向かったのは黎明館。こちらには鹿児島の民俗芸能関係の展示目的で行ったのですが、キリシタン関係の展示もいくつかあったのでここで紹介したいと思います(撮影オッケーありがたや〜)。

入口に甲冑着たおいちゃんがいたぞ!

まずは今回のキリシタンを巡る旅のキーマンであるザビエルさんの絵(のレプリカ)。

ザビエルといったらこの絵だよね!

宗門手札内改帳留

一番興味深かったのが島津斉興が所持していたと思われるこちらの「西洋宗旨の図」。興味本位で持っていたのか、キリスト教に心を寄せていたのか・・・。

キャプションから以下抜粋▼▼▼

包紙に「文久二年戌十二月六日封 玉里御残り品之内 猥リニ他見許ス可ラス」とあり、中には『旧約聖書』に登場するアダムとイブを描いた絵などが保管されている。安政6(1859)年に島津斉興が亡くなった後、文久2(1862)年に斉興が晩年住んだ玉里邸での遺品整理の際に発見されたが、キリスト教に関するものだったため、他見を禁じたと考えられる。

アダムとイブ

キリスト教関連ではありませんが、他にも海外に関する興味深い品々が展示されていて胸が躍ったよ!!

こちらも斉興が所持していたと考えられている仮面!たまらんぜよ!!

そして呪符・・・!!!

体に「カラトン」や「パルムルストン」の文字が書かれています。イギリスやアメリカの艦船が琉球や日本に接近するのを斉興は呪符で米英撃退を図ったものだそうです。

呪符だけど絵がゆるかわ〜!!

この他にも色々とおもしろいものが展示されていたので、興味のある方はぜひ訪れてみてください。もちろん民俗芸能コーナーもよかったよ!!

休憩はライムライト

さてさて、大好きな喫茶店ライムライトで喉の渇きを潤しまして、ザビエルさん本人に会うことができる場所(!?)へと行って、今回の「キリシタンを巡る旅」のラストを飾ることといたしましょう。

一番行っている喫茶店かもしれない。写真見ているだけで飲みたくなる!

【参考文献・サイト】『概説 キリシタン史』浅見雅一(慶応義塾大学出版会)、『日本キリシタン殉教史 片岡与吉全集』片岡与吉(智書房)

どうぞご贔屓(ひいき)に…その語源は”鼻息の荒い竜の子”だった?(Japaaan)

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

 ③キリシタンを巡る旅 2023・鹿児島へつづく▼▼▼