彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

⑨初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024【鎌倉・後編(完)】

昨日は箱根で土砂降られたりもしたけれど、比較的お天気に恵まれていました。最後の最後に梅雨の野郎に捕まってしまうとは・・・(そーなんです、もう11月も終わりだというのにこれは今年の7月の旅なんです・・・)。バスでゆらゆら鎌倉観光に向かいましょう。

「岐れ道(わかれみち)」。いい名前!

CONTENS

杉本寺

降ったり止んだりの雨の中、バスに揺られてまず最初に向かったのは杉本寺

新緑が雨に濡れて鮮やかに色づいていた

長い階段を登ると迫力満点の仁王像が待ち構えていました。

手前の木の柵がまるで着物姿の女性の後ろ姿みたい

仁王さまズの先には苔むした階段が続いていて、ここを登り切ると正面に本堂があるのですが立入禁止。きっと危ないからでしょう。

登れない階段

ガタガタしてるし雨だと苔でつるっと滑って転げ落ちてしまいそう。でもでもとっても魅力的で登りたくてウズウズ!昔から残ってる階段なんだろうなぁー。仕方ないのでぐるーっとまわり道して本堂へ。

本堂内は撮影禁止で写真はありませんが、天井の護摩焚きで煤けた無数の千社札が迫力があってドキドキしました。

絵心経(えしんぎょう)

本堂ではとっても面白い「絵心経」という絵で描かれた般若心経を購入。お寺めぐりをする方には結構知られているものなのかしら?わたしは今回の旅で初めて知りました。

江戸時代に文盲の人のために作られたもので、今では放送禁止用語の「盲(めくら)心経」とも呼ばれています。この絵心経には「田山版」と「盛岡版」の2種類あり(厳密には他にもあるらしい)、元禄年間の田山村(現在の岩手県八幡平市)で、庄屋の書き役を務めていた善八によって描かれた前者の「田山版」が起源で、その後盛岡に広がっていったとされています。

初めて全国に紹介されたのは、江戸時代後期の医者である橘南渓によって書かれた『東遊記』。おそらく田山版と思われます。

橘南谿子 著『東西遊記・北窓瑣談』より
東西遊記・北窓瑣談 - 国立国会図書館デジタルコレクション

わたしが入手したものと比べて見るとシンプルで素朴な印象。どうやらわたしのは盛岡版で、より遊び心がプラスされてデザイン的にも完成されている!現在は田山版は途絶えて盛岡版しか伝わっていないそうなのですが、それはやっぱり盛岡版の方がより楽しくて人気だったからなんだろうなぁーと思います。

さて、我が家は浄土真宗なのですが、どうやら般若心境は唱えないらしい。「なむあみだぶつ〜」しか知らないもの。んなわけで、般若心経(正式名称は「摩訶般若波羅蜜多心経」)は馴染みがなくてちっともわかりません。

ちなみに一番最初に書かれている 「摩訶般若波羅蜜多心経」の絵心経は次の通り。 令和の時代に合わせて作ったらまったく違うものができるんだろうなぁー。

他にもいろんな絵柄があるので、盛岡版から気になる絵柄をピックアップ。まずは猿。読み方は鳴き声の「ぎゃ」。絵柄も読み方も可愛くて最高!!!

「ぎゃ」

しかもぜんぶ顔が全部違う〜!!!

「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」

日本にも江戸時代以前(16世紀)にはすでに活版印刷は伝わっていましたが浸透しておらず、版画や写しが一般的。同じ読み方でも全部微妙に絵柄が違うのだ!嗚呼、なんて味わい深い・・・。

その他にもこんな可愛らしいものがイロイロイロ。

左から「ぼじ(坊主の方言)」「さー・さつ(サーっとおしっこしてるお犬)」、「ほう(頬)」

絵心経(盲心経)の他にも盲暦などといったものもあるらしく奥が深い・・・。いつか実物を見てみたいものです。

報国寺

お次に向かったのは 「竹の寺」として有名な報国寺。入園料を払って竹の庭へと参ります。

竹林

遠目に洞窟が見えてドキドキ(近くには行けない)。昔の修行場なのだろうか?と思ったら、「やぐら」と呼ばれるお墓なのだそう。足利一族が眠っているそうです。

洞窟とお墓

雰囲気ある石仏

最初に訪れたお寺さんではまだ時間も早かったためか人も少なかったのですが、報国寺ではたくさんの外国人観光客で賑わっていました。

「みざるきかざるいわざる」。路傍の石仏にときめきます

バスに乗って再び街中へと戻ります。降りるバス停を間違えて脳がフリーズ・・・。すべてのやる気を失わせる雨、雨、雨・・・。鎌倉といえば鶴岡八幡宮。大河ドラマの鎌倉殿はわたしも楽しんで見てました!が、その鶴岡八幡宮に行く気すら失われるのであった・・・。

鶴岡八幡宮の二の鳥居。このずーーーーっと先に神社があると思われる

とりあえずお土産を買いにうろうろ。

鳩サブレ本店やRomi-Unie(ジャム美味しかった!)へ

江ノ電に乗って・・・

無事お土産も購入し、今度は江ノ電に乗って移動します。晴れてたら江ノ島にも行ってみたかったなぁー。

長谷駅に降り立って鎌倉散策開始。

いい感じの塀と看板

浮(ブイ)

事前情報で今日はお休みということはわかっていたんだけど、奇跡が起きないかなぁと真っ先に向かってみるも、やっぱりお休みでした。

close

船モチーフ。きっと好きな喫茶店だ。

船長フィギュア

美味しそう

いつか、いつか。

シラス丼を食す

あちこちで幟や張り紙で見かけて知ったのだけど、鎌倉はシラスが有名なのね?そうなのね??思考停止モードだったのでとりあえずもうどこでもいいから近くのお店へ。生シラスならどこも同じじゃろいと。外国人観光客に混じってどんぶりかっこむ。

ふつう・・・でした ・・・・・。

鎌倉大仏を見に行こう!

鎌倉といえば、鎌倉大仏ですか???

実物拝みにいくかぁーっと向かうも・・・

人ごみ!無理!!団体客にくらくらして中に入らずUターン・・・。

インバンド!インバウンド鎌倉ぁーーー!!!

を感じた鎌倉旅でした(まだ終わってない)。観光地が無理な体になってしまったかも・・・。ぐったり。

門の前の石仏がとてもよかった。それでもう満足よ

ていうか、鎌倉大仏もう見たし(飴で)。可愛い可愛い可愛いーーーー!!!!!

テンションあがったの鎌倉大仏あめ

大仏グミと湘南グミも気になる

鎌倉建築めぐり

王道の観光地巡りはやめにして、建築巡りへと繰り出します。

柴崎牛乳本店

明治22年創業の柴崎牛乳本店。当時は牧場も経営して製造販売もしていたようですが、現在は明治牛乳の販売代理店をしているようです。建物自体は昭和12年に建て替えられたもの。アールデコな意匠の門構えがとっても可愛らしい!

好き

意を決して中に入ってみるも買えないと言われたので、宅配や卸ししかしてないのかなぁ・・・?

旧加賀谷邸

牛乳屋さんからも近い旧加賀谷邸へ。お休みということはわかってたんだけど、やっぱり休みでしたね!この日は平日の月曜日。他にも色々と見学したい洋館はあったのですが、ことごとくお休みです・・・。

外観だけ楽しみましょう

旧諸戸邸

そして!わたしの性癖にギュンギュン刺さりまくったのがこちらの建物!!!

真っ白のワンピースを着た少女の姿が見える・・・(怖い話ではなくてイメージ)

ペパーミントの色合い、バルコニーの手すりの装飾・・・好きすぎる。このお家に住みたい!!広大な敷地にドドーンと建っている建物よりも、このくらいの規模のこじんまりとした洋館が大好きなのです。でも悲しいかなボロボロ・・・。素晴らしい建物なのにもったいない。

装飾のすみずみまで美しい

建築様式については以下ページに詳しかったです。

鎌倉市/鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)

内部もまた大変クラシックな意匠をとどめており、階段の親柱や手すり子、 天井コーニスの刳形や垂れ飾り、天井の中心飾りやコーニスの漆喰装飾、 各室で文様を変えるフローリングなどがそうであり、これらもまた明治でしかありえない造形である。(上記の鎌倉市HPより抜粋)

あぁ!中も見てみたいよーーーー。ぜひ修復して公開してほしいです。

旅館 對僊閣(たいせんかく)

こちらは泊まりたかった旅館。明治末期創業の對僊閣。現在の建物は昭和初期に建てられたもののようです。コロナを機に休業してたそうですが、今はどうなのかしら・・・。今回はホテルニューカマクラに泊まったので電話しなかったのですが、次回鎌倉近辺を旅する時はぜひ泊まってみたいです。

玄関を覗き見

長谷寺

旅館からすぐ近くの長谷寺へ。ここも人がいっぱい!外国人観光客いっぱい!!(ぴえぇぇーーーーん)本堂の金ピカ大仏さまを拝んですぐに出ました・・・。

かきがら稲荷大明神〜かきがら絵馬

広大な敷地内の一角にあるかきがら(牡蠣殻)の絵馬がめずらしかった。 なんで牡蠣殻・・・?と思ったら、ご本尊の長谷観音は、海を漂泊していた時に体に付着した「かきがら」のお導きでこの地に降臨したと伝えられているそうです。

牡蠣殻

お狐さんのお顔がとても可愛くて好き!こっち方面特有なの?たまたまなのか、今回の旅ではわたし好みのお狐さまにたくさん出会えて幸せでした。

かわゆい

弁天窟

同じく長谷寺の敷地内にある弁天窟へ。江戸時代から「出世弁財天」の名で世に知られていたそうです。洞窟を利用したお寺さん大好き。

わくわく

どきどき

廃棄米で作られたというミニ弁天さまが!

みっしりと

こちらの弁天さまは金運と仕事運にご利益があるそうですが、わたしは技芸上達にあやかりたいなぁ〜。宜しくお願いいたします!

やっぱり外に出れるとほっとするね

そろそろアイスコーヒーが飲みたいね!ほっとひといきつくためにカフェへ。メロンのかき氷とアイスコーヒー飲んで鎌倉フィニッシュ。

そして、再びどしゃ降り・・・。ホームから見えるホテルニューカマクラに別れを告げるのでありました。

朝はホテルニューカマクラの部屋からホームを眺めてたね

雨の飛行機

おわりに

今年は「人との縁を大事にしよう」。そんな思いを頭の隅に置いて行動していましたが、すでに11月も終わろうとしています。思い返せば、例年よりも初めましての人と交流できた1年になったのではないかなぁ。まだブログに書いていない旅ストックを今年中に放出できぬまま2025年を迎えてしまいそうですね・・・。ひとまず7月の旅を書き終えることができて良かったです(次は伊豆方面をみっちり攻めてみたいな)。このような遅筆ブログを最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!

さて、今年も残すところ約1ヶ月。今はちょっと色々とお休み中なのですが、年末年始は東北を旅する予定。ひとまずそれを楽しみに今はのんびり過ごそうと思います。

(完)

羽田空港で食べたオシャンカレーうどん

参考文献・サイト

絵心経・般若絵心経-絵で読む般若心経-盛岡系舞田屋版絵文字・判じ絵の解読【みんなの知識 ちょっと便利帳】

岩手県で300年も愛用されてきた「南部めくらもの」 - その1

絵心経 - Wikipedia

【報国寺】の歴史と見どころは?鎌倉が誇る絶景の竹林へ!|THE GATE|日本の旅行観光マガジン・観光旅行情報掲載

旅館 對僊閣 - 鎌倉タイム

⑧初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024【鎌倉・前編】

旅の執着地点は鎌倉。

鎌倉駅

本日宿泊するお宿へ・・・。

CONTENTS

ホテルニューカマクラ

駅からとことこ歩いて数分・・・(なのに方向音痴だから迷ってしまったよね!!!)

ここの道好き。「素泊り受付→」の文字もたまらぬ。

Hotel New Kamakuraでございます!

敷地の入り口に掲げられた印象的なフォント

今回宿泊するのはもちろん戦前に「山縣(やまがた)ホテル」として営業していたという大正13(1924)年に建てられた本館。

左の建物が本館(木に隠れてるけど・・・)で、右が2001年に新築された別館

駐車場にある小さな小屋?で受付を済ませ、本館へと案内していただきます。まだ若そうな青年でしたがとっても親切でした。電話で予約する時に対応してくれたおばさまも親しみやすくてとっても感じがよかった。そんなスタッフたちが働くホテルはとても柔らかくて居心地のいい空気が流れていました。

本館ではたぬがお出迎え

大正時代に「山縣ホテル」として営業を開始する以前、この敷地内には料亭・貸別荘の「平野屋」がありました。避暑に訪れた芥川龍之介と歌人の岡本かの子の出会いの場所としても知られています。

駐車場の看板

平野屋は大正12(1923)年の関東大震災で倒壊。その翌年に誕生したのが鎌倉初の洋風ホテル「山縣ホテル」でした。現オーナー一族が買い取ったのが昭和の初めで、戦後は米軍に接収されたり、松竹映画関係者の宿、社員寮、カフェとして営業した時期もあったそうな。

本館1階「松の間」

様々な変遷を辿り現在に至るホテルニューカマクラ。1階には、よりクラシックな雰囲気を感じられて人気という部屋「御成」や、寄木細工風の床が美しい共用スペースの「松の間」等があります。

美しい床

当時の雰囲気を保ちつつ改修している印象。本館には部屋にトイレや浴室がなくて共用なので、それはちょっと・・・という方は新築の別館に泊まることをおすすめします。別館も侮るなかれ。戦前の大地震で倒壊した平野屋の茶室にあったという唐傘が照明に使用されているそうです。気になる〜! お値段はクラシックなしつらえとは対照的に、比較的お手頃価格。部屋等によって価格帯が違っているので、公式サイトでご確認を。

本館2階

では早速わたしが泊まるお部屋のある2階へと向かいましょう。

 玄関正面にある魅惑的な階段

ちなみに宿泊客のチェックイン前なら他のお部屋も見学することができます。そんなゆるさもありがたや〜(1階の御成はすでに宿泊者がいて見学できなかったのが残念!この日はたまたまなのか、宿泊客は私の他は外国の方ばかりでした)。

「さくら」のお部屋素敵だった。春には実際に窓から桜を見ることができるらしい

雰囲気のある通路

「TVチャンピオン」のリフォーム王選手権で優勝したという「北紀行」

古風な畳の間「天空」。湯呑みが入っているであろう木箱が素敵・・・

そしてこちらがわたしのお部屋。2階角部屋の「雪の下」です。部屋のプレートを照らす照明も素敵〜。

シックな内装の「雪の下」

鎌倉の夜

さぁて、真っ暗になる前に鎌倉の街へと繰り出しましょう。どうしても行きたい場所が1箇所あったので、そこを目指しててくてく歩きます。

素敵な建物発見!

夕闇の中で見る六地蔵にドキドキしたり・・・

事故が多い場所なのかしら

THE BANK

威風堂々としたTHE BANKへ・・・!!!その名の通り、元々は1927(昭和2)年に鎌倉銀行・由比ガ浜出張所として建てられた建物で、現在はバーとして営業しています。

しびれる佇まい

堅牢な灰色の外観と、窓からこぼれおちる橙色の暖かな光。その灯りに誘われるように中へ・・・。

硝子の欠片を繋ぎ合わせたような扉にもウットリ

1階・Bar

暗い!とても暗い・・・!!!けどまたそれがいい・・・。

照明もオシャレ!

なんてムード溢れる大人の空間なのでしょう。心は万年ヒヨッコのわたしは内心ぷるぷる・・・。

当時のままの天使のレリーフ(暗くてざらざらごめん・・・)

大理石のカウンターや木の手すり、まるっこい革の椅子も素敵

パッションフルーツを使ったお酒と燻製チーズのおつまみ。お通しのドライフルーツ、ナッツも美味しかった!!カウンターではお店のスタッフが常連さんとお話しして、ほっといてくれるのが私にはよかったかも?ゆっくりこの空間を味わうことができました。

2階・THE BLANK(イベントスペース)

普段は公開されていないというイベントスペースの2階を見てみたくて、購入するつもりもないのに(ひどい)器展のやっている2階へ・・・。失礼ながら初めて知った吉田直嗣さんの器。パッションフルーツのお酒にも吉田さんの作品が使用されていました。

目の前に広がる白と黒の世界。買うつもりなかったんだけど・・・お店の人がとても感じが良くて、ひとつ気になったカップがあったので購入してしまいました。旅マジック!「初めての吉田さんですか?」と言われたのが面白かったです。

はい、これが私のファースト吉田さんです

吉田さんは白磁のお師匠さんのもとで修行していて、ほとんどの人は白磁の道へ進むらしいのだけれど、吉田さんは独自の作品を作っているのだって。黒は鉄釉とのこと。たぶん、白磁だけだったら私は惹かれていなかった。鉄釉、好き。

いただいた冊子の吉田さんのエッセイも良かった。ネットで見つけたインタビューも面白かったので載せておきます。

苦しいものからは逃げてもいい。明確に感じる嫌なことや違和感を“選ばない”ことで、自分だけの「好き」の輪郭がはっきりする。それはうつわのかたちにも、わたしたちの生き方にも当てはまる。(上記の記事より抜粋)

心に正直になるべく余計なものを削ぎ落として、シンプルに「好き」を極めていきたいものですね・・・。

ちなみに購入したカップはコーヒーやワインを飲むのにめちゃくた愛用しています。縁が欠けやすいから気をつけるように言われてたのに、愛用しすぎてうっかり欠けちゃったので、金継ぎで直したいな・・・。金継ぎ映えると思う。

さて、2階の写真も撮らせてもらったんだけど、商品はネットにアップするのはNGだったので、雰囲気のある柱時計だけ載せておきます。

柱時計

外に出る頃にはすっかり暗くなり、THE BANKのうしろには月が昇っていました。

夜の姿もいいね

再びホテルニューカマクラへ

夜はライトアップされていて雰囲気マシマシ・・・!

本館上も看板もライトアップ!

ロビー天井のロマンティックな装飾

夜ごはんはTHE BANKのおつまみだけ・・・じゃもちろん我慢できない!箱根のピコットで買ってきた潰れたパン・・・いただきます・・・・・。(潰れても!惜しかったよ!!)

今回の旅で大好きになったピコット。美味しい

翌朝、窓を開けると雨が降っていました。

目の前には鎌倉駅のホーム

旅の最終日。どしゃ降りの鎌倉観光へ出かけましょう。

鍵はこちらへ

参考文献・サイト

大正ロマンの香り漂う老舗、「ホテルニューカマクラ」ってどんなところ? - [はまれぽ.com] 横浜 川崎 湘南 神奈川県の地域情報サイト

「鎌倉にこんな穴場が!」大正ロマン感がすごい、4,000円台~のホテルは女子一人旅にぴったり

旧鎌倉銀行ビルに復活、伝説のバー THE BANK(前編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

地元の住人が受け継ぐバー、憧れの「ころあい」 THE BANK(後編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

⑨初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024(完結)へつづく▼▼▼

②初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024【横浜・後編】

今回の旅に無理矢理横浜をねじ込んだ理由。それは山下公園前の海に浮かぶ氷川丸さまに会うためだったのだ・・・!!!

氷川丸さまのお出ましでぃ

CONTENTS

華麗なるアール・デコの王様、氷川丸日本郵船

氷川丸は昭和5(1930)年にシアトル航路に就航した日本郵船の貨客船。海上保存されている戦前の豪華客船は、アメリカの西海岸に係留されているクイーンメリー号とこの氷川丸ぐらいなのだそうです。当時の国外旅行といえば船が主流。こういった豪華客船には時代の最先端が詰まっていたそうです。

内装はフランス人工芸家のマルク・シモンのデザインで、1920年~30年代に流行したアール・デコ調で統一されています。アール・デコとは、○や直線などの幾何学模様が特徴の美術様式。その前に流行した優美なアール・ヌーボーデザインも大好きだけれど、シャープで洗練されたアール・デコもかっこ良くて大好き!!!
何を隠そう(隠してないけど)わたしは大正~昭和初期の日本の文化が大好物。わたしの大好きな戦前のアンティーク着物にも当時流行したアールデコ柄があります。

私物のアンティーク着物から。左はなんと夜のネオン柄!凄まじくオシャレ…
帯から。左はまるで孔雀の羽のよう?右はまさしくアール・デコ

嗚呼、なんてお洒落なのでしょう・・・!!!時代の最先端のデザインを身に纏っていたのですねぇ・・・。

さて、脱線&前置きはこのくらいにして、さっそく中へ入ってみましょう。受付をすませて通路を進んで行きます。

丸窓からの景色。観覧車が写ってます

一等児童室

まずは可愛らしい淡いピンク色のお部屋が現れました。

遊ぶ子どもたちの絵がぐるっと部屋を取り囲んでいます

もちろんわたしが釘付けになったのはこの子!

目がギンギンの木馬。イッちゃってて怖かわいい!!!

一等食堂

氷川丸は船内料理が美味しいことで有名で、帝国ホテルの「帝国式」に並び、「郵船式」と称されるほど人気だったそうです。あの喜劇王チャップリンも「テンプラ」や日本郵船特性のドライカリー目当てに氷川丸に乗船したんだとか。

食べてみたい

天井の照明やドア等、さまざまな箇所にアールデコの意匠が見て取れます。なんと家具も船内装飾の一部としてデザインされたオリジナル。この当時の手仕事って変態的な拘りが細部にちりばめられていて最高だよね(ほめてる)。

チューリップや直線が組み合わさったデザインなのかな?

この扉も最高にカッコいい!!

ジグザグジグザグ

そして食堂の部屋を抜けると一目みた瞬間心を奪われる魅惑的な階段・・・!!!何度も何度も昇り降りしたくなっちゃうではないか・・・(迷惑です)。

嗚呼、美の極致・・・

一等読書室

派手さはないけれど、とても居心地の良い落ち着く空間。読書するのにぴったりのスペースです。

船内のところどころにある窓の形も好きでした。

一等社交室

そしてまるで孔雀の羽根が広がっているようなとびきり優美な扉の先に足を踏み入れるとそこには魅惑の世界が広がっていたのでございます・・・。

ところどころ大きな鏡があるのは、空間を広く見せるためなのでしょうね

素敵すぎる

アールデコデコしてて最高!!!

おそらく氷川丸の船内で一番華やか!ロマンティックで満ちあふれている優雅で優美な空間でした。ちょっと毒も感じるアールデコな絵画もたまりません。

ジャングル

こちらで紳士淑女たちによるダンスパーティーが夜な夜な開かれていたのでしょうか・・・。想像したらお洒落すぎて悶絶。アンティーク着物が一番似合う場所だと思います。わたしが一番大大大好きなお部屋でした。大好きだったのにあんまり写真撮ってないのなんでや・・・。

名残惜しく思いながら一等社交室を抜けて通路を進んで行きます。

通路の照明も素敵なの

好き

氷川丸で鳥よけのフェイクをこんなに熱心に撮ってるのはわたしくらいでしょうね・・・。なんでか好きなんや。

これまで撮ったのを探してみたら色々あった

ポストもありました。船の上からお手紙出すのって素敵ね。

わたしも出したい

一等喫煙室

さっきの優美な社交室とはうってかわってこちらは硬派な感じです。パイプぷかぷか吹かした紳士の姿が目に浮かびます。(モガな女性が男性たちに混じってぷかぷかしててもほしい)

天井のアール・デコデコっぷりが素晴らしかった!!!かっこよすぎ

船のステンドグラスも。

通路の番号プレートには矢羽根のデザインがあしらわれていてキュンとしました。

一等客室と一等特別室

ついに客室のおでましです。

藤のステンドグラス!泊まりたい

ベッドの上に飾られている特徴的な布は飾り毛布というもの。 おもしろい!「菊水(きくすい)」「かぶと」「日の出」などがあるそうです。こんなんどう?見えるかな??なんていいながら色々生み出したんだろうなー。楽しいね。

以下解説板より。

飾り毛布
当時、客室のベッドには、給仕(サービスを担当するスタッフ)が折った「飾り毛布」が置かれ、長い船旅の乗客に喜ばれました。「飾り毛布」は何十種類もの折り方があり、その技術は代々、給仕から給仕へと受け継がれました。そのうち、花や植物に見立てて折りたたまれたものは「花毛布(はなもうふ)」と呼ばれました。

そしてインコ!インコのステンドグラスぅーーーーーっ(らぶ)

どんな善行を積めばここに泊まれるのでしょうか

外国の文化が日本の文化と出会い、その化学変化により生み出されるものはなんて自由で華やかなのだろう・・・(ため息)。モボやモガが闊歩する時代に心底憧れたものです・・・(その後すぐに戦争があるので気軽にタイムスリップしたいとは言えないのですが・・・)。

氷川丸も戦争が始まると海軍特設病院船になり、船体は真っ白に塗られ赤十字が描かれ電飾が施されました。「白鳥」という愛称があったそうです。

特設病院船時代の氷川丸(日本海軍 - 潮書房 丸スペシャル No.53『日本の小艦艇』66P 日本海軍 特設病院船『氷川丸』より)

浅間丸、鎌倉丸、あるぜんちな丸などといった他の日本の豪華客船も航空母艦等に改造され、そのほとんどが雷撃などで沈没・・・にっくき戦争め・・・。

気を取り直して、船内から出て今度は操縦室へと向かいましょう。

デッキから眺めるドアや窓もたまらなく好きだったし照明の形もたまらん

操縦室

レトロなメカニックもたまりません。

神棚

氷川丸にはその名の由来でもある氷川神社から勧請された神様が祀られています。なんと、食堂を抜けて登ってきた階段の装飾には氷川神社の神紋である「八雲」が使われています。

階段の装飾されている氷川神社の神紋「八雲」

見どころたっぷり!まだまだ先へと進みます。

船の横には真っ白な灯台が。中には入れないようです。

アールを描く通路にも胸キュンキュン!

船長室は改修中で網で覆われ中に入れなかったのが残念・・・。覗いてみると船長室!って雰囲気(そんままやん)でかっこいい感じでした。

船内へと戻り階段を降りていきます。

こちらの階段の手すりももかっこいい

機関室

操縦室よりもさらにメカメカした部分も見る事が出来ます。カッコイイーーー!!!写真だけみるとまったく違う場所を見学してるみたいです。

こういうのも見るの好きなんですよ

三等客室

船の心臓部を抜けると、お次は三等船室です。わたしはきっとこっち側だなぁ・・・。一等船室とは縁がない人生。そもそも船にすら乗れなかったかも。

でも、天井のむき出しのパイプもめちゃカッコいいやん

この場所に氷川丸が係留されたのは昭和36(1961)年。当時、船体はオリーブ色に塗られ、ユースホテルとして修学旅行などに利用されていたそうです。当時の資料や写真を元に細部まで竣工当時の姿に復元。復元された今の姿で宿泊施設として利用できたら最高なのに・・・!!!三等船室でもいいから・・・。

そんなこんなで始終、鼻の穴をふがふがさせながら見学してた氷川丸。最高に楽しかったです!!!

へっぴり腰のわたし撮られてた。お気に入りである。

ホテルニューグランド

余韻さめやらぬ中、お次に向かったのはホテルニューグランド。

ここ、知ってる!SNSでよくみるとこだー!!

あのマッカーサー(!)やチャップリン、ベーブルースなどの著名人も泊ったことがある昭和2(1927)年開業の歴史あるクラシックホテルです。

よくSNSで見かける本館のシンボル的存在である大階段。

赤い絨毯じゃなくてブルーの絨毯なのが素敵!

ブロッコリーの化石かな?

エレベーター上には天女さま

2階のロビー部分?が何かの理由で見学できなかったのが残念・・・(理由は忘れた。忘れ過ぎですね)。

1階裏側?の階段も素敵でした

そしてついに横浜建築めぐりのラスト。

インペリアルビル

前編に登場したジャパンエキスプレスビルと同じ川崎鉄三の手によるインペリアルビルです。

外観はジャパンエキスプレスビルと同じくシャープであまり私好みではないんだけれど、入口付近はもちろんのこと中に入ってみるととんでもなく可愛らしい建物でキュンとしました。

たまらんぞ

入口横の受付部分

昔のヨーロッパ映画に出てくるアパートみたいな雰囲気の建物だなぁと思ったら、元々は外国人商社員が長期滞在できるような事務所兼アパートとして昭和4(1930)年に建てられたもので、現在では店舗や事務所等として利用されているようです。

今でも日常で使用されているレトロビル。まるで濱マイクとかの探偵事務所として出てきそう!時代も建物の規模も見た目もちょっと違うけど、北九州は若松の上野海運ビルの雰囲気を感じました。

上野海運ビル。同じく私の中ではここにも探偵事務所が入ってます。

インペリアルビル。好きだったのに・・・なんでかカメラの設定間違っててぶれぶれでまともに撮れてる写真がほとんどなかったんだな・・・涙

階段手すり部分の星のような装飾がたまらない

気になったのが上階に備え付けられていたコレ。

プレートにはおばけ式と書かれてました

調べても詳しく使用方法が書かれているページを見つける事ができなかったんだけど、どうやら1階の受付と対応した呼び鈴のようなものらしい。

受付にあったもの

どちらにせよ、見た目可愛い!!!とだけ言っておこう。

もちろん豆タイルもかわいいね

横浜中華街で腹を満たす

横浜建築めぐりも終わりを迎え、あとは腹をパンパンに満たすのみである。横浜といえば中華街!

三連休の初日でたくさんの人でした

というわけで人気のお店という「中華家庭料理 山東」さんで水水水ギョーザ祭りでございます・・・!!!

餃子ももちもちでもちろん美味しかったのですが、めっっっっっっっちゃくちゃ好きだったのが、この湯葉とパクチーのなんちゃら・・・。

永遠に食べたかった・・・もう一度これを食べにここに行きたいくらい。どうやって味付けしてるの・・・お家でも食べたいよ・・・。横浜の中華街に行ったらぜひ注文してみてください。

最後の最後に学校から出てくる中華な獅子舞に遭遇するというプチプレゼントまで・・・!!!実際に舞ってるところは見れなかったけど、遭遇できて嬉しかったです。

ふっさふさ

横浜の代表的な建物から、一人だったら知らないまま通り過ぎていたであろう愛くるしい建物たちと幅広くご案内いただき、美味しいお昼までご一緒させていただいたビブラスキさまには大大大感謝です。横浜の魅力をほんのちょっとかじった程度だと思うので、今度はもっと時間をかけてじっくり横浜ぶらりしたいと思います。ありがとうございました!!!

実はお別れした後にちょっと地図の見方間違ってたようで遠回りしながらホテルへと到着。預けていた荷物を無事回収し、次なる目的地に向けて電車に飛び乗るのでありました。
さぁて、お次はどこへ・・・?

【参考文献】

『マダムGの館』グレゴリ青山、小学館

日本郵船氷川丸について|武蔵一宮 氷川神社

氷川丸 - Wikipedia

通訳ガイドの建築探訪 ホテルニューグランド本館 – The Hotel New Grand | A's Tours & ITs

016.インペリアルビル|梶文彦

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:OLYMPUS PEN FT 

③初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

①初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024【横浜・前編】

山形を旅したのが今年の2月。それからお盆までは旅をするまい・・・そう決めていたはずなのに、我慢できずに7月の連休に旅することを決めたのは4月はじめのことでした。

めんどくさがりの私には珍しく旅の3ヶ月以上前から旅の練り練りを開始。その後すぐに「悪石島のボゼ」を題材にした初の同人誌製作に没頭。トラブルにより(自分のうっかりが原因)、旅の前日までその作業に追われる始末・・・。詳しくはこちらをご覧ください。

そんなわけで、初の同人誌『彷徨記Ⅰ 悪石島のボゼ』再販中ですのでどうぞ宜しくお願いいたします!!!!!(隙あらば宣伝!それより旅ブログちゃんと書きなさいね)

CONTENTS

5ヶ月ぶりの旅のはじまり

身も心も休まらないまま、あっっっという間に旅立ちの日。21時過ぎの飛行機だったため、仕事帰りに一度自宅に帰り、シャワって身を清めてからの出発です。いざ、ゆかん・・・!!!

福岡空港にて

羽田空港に着いたのは23時頃。普段のわたしならすでにお布団の中にゴロりんしたいところですが、まだまだ移動は続くのである・・・。

電車を乗り継ぎ向かった先は横浜。横浜駅からの乗り継ぎで迷ってお目当ての電車に乗り遅れ(白目)、横浜関内駅近くのビジネスホテルに到着する頃にはすでに日をまたいで0時を20分ほど過ぎていました・・・(気絶寸前)。

お宿近くの赤い鳥居が眩しかった

あかいくつーーーはーいてたーーーおーんーなーのーこーーーーー

自宅で一度シャワってはいたもののやっぱり気持ち悪いので、ささっとお湯で汚れを流してからお布団にダイブ!(乙女の身だしなみ)。眠ったらあっという間に朝です。どきどきどき・・・

横浜をアテンドしてもらうぞ

8時半頃にちょっとのんびり起床。もし真のひとり旅であったならば、自分の体に鞭を打ち、死相をあらわにしながら早朝のヨコハマ散歩に繰り出していたことでしょう。

しかし、今回はちょっと違うのだ。なんと、初めましてのフォロワーさまに横浜を案内してもらうことになっていたのです・・・!!!

人見知り疑惑

私のブログやSNSを読んでる方でしたら「人見知り」とういワードをたまに目にすることがあるかと思います。「全然人見知りじゃないじゃん!嘘じゃん!!」なんて思わないで。人見知りだけど交流したい気持ちはあるから「とりあえず後先考えずに会ってみる」とかはやりがちなのだ。

さらに、今年のわたしはちょっと一味違うんたぜ?ことの始まりは今年の1月、福岡は太宰府天満宮の「鷽替え神事」に参加したことに始まります。この時も珍しく初めましてのフォロワーさまからのお誘いでした。

我がInstagramより

知らず知らずについた嘘を誠に替えることができる鷽替え神事。時間内に一人一人が手に持っている「鷽」を交換し合って最後に持っている鷽の底に書かれている文字を呼ばれると、なんと「純金の鷽」がもらえるのです・・・!!!そういう運はちっともないので純金の鷽はもらえませんでしたが、6セット行われた鷽替え中、わたしの鷽には2回「縁」という言葉が入っている文字が書かれていました(1000体もの鷽替え用の鷽が用意されてたから相当な数の言葉があったはず)。

「縁」と「縁起」

つまり、今年は「縁」を大事にしろってことなのかなぁ・・・なんて思ったわけ(単純)。

前置きが長くなりましたが、今年はいっぴき狼を薄めてなるべく人と交流していくぞ・・・!!!!!そんな決意のもと、今回は横浜を知り尽くす ビブラスキさまに案内していただくことになったのでした。

10時過ぎに最寄駅で待ち合わせして初のご対面。ゴリゴリストイックかつマニアックに近代建築のデータをインスタでアップしているかと思えば、DJとしてバーレスクダンサーたちと共演していたりもして「一体何者・・・!??」感が強い謎多きビブラスキさまですが、お会いしてみるとニコニコ物腰柔らか癒しパワー炸裂のナイスガイでございました。密かにド緊張していたわたしの心も一目見た瞬間からほぐれ、朝からマイナスイオンを浴びている気分に・・・。

最初、ビブラスキさまには行きたい場所をお伝えしていたのですが、それなら一人で行けば良くない?意味なくない??と思い直し、せっかくなら推しを案内してほしい!!行きたい場所リストから2つだけ残して、あとはぜーーーんぶお任せすることに。まず向かったのはその中の1つであるコーヒーの大学院でした。

コーヒーの大学院 ルミエール·ド·パリ

詳しいことは知らないけれど、コーヒーの大学院は素敵!その情報だけは持っていました。いわゆる純喫茶と呼ばれるものは大好物なのだ。「オーキッドルーム」(何その素敵な響き)と呼ばれる店の奥にある特別室が良いと教えてもらっていたので、そこに入れるいいなーなんてぼんやり思っていました。が、なーんとビブラスキさまがちゃっかりその特別室を予約してくださっていたのだ!!わたし一人だったらなんにも考えずに突撃して特別室じゃないお部屋で甘んじてたはず・・・。ありがてぇ、ありがてぇ・・・。

そしていざ向かってみると・・・。扉の前に一枚の貼り紙が(撮り忘れた)。

なななんと、店内の何かが故障かなにかで(詳しい内容忘れた)修理するからオープンが一時間遅れるという・・・!わたしの中ではあるあるの安定の運の悪さぁ〜!!開店日なのに臨時休業とか、たびたび遭遇するのである。むしろ面白がる人間なのでのぞむところだ!と思っていたら、店員さんに聞いてみると修理が終わるまで中で待たせてもらえることに・・・。

つ、つつつまり・・・

まさかのオーキッドルーム貸切です・・・!!!!!(瞳孔がひらく)

ふはぁぁぁーーー!!!素敵すぎるーーーーーーーー!!!!!

地獄から天国へと様変わり。店員さんは申し訳なさそうにしてたけど、むしろありがとうございます!!大人気で行列になることもしばしばの喫茶店。ビブラスキさまも貸切状態は初めてとのことでした。しょっぱなからこんなにラッキーでいいの・・・?なんて思っていると修理が完了したようで、ぽつりぽつりと他のお客たちが入ってきます。 ほんの30分ほどでしたが貸切状態を満喫できて嬉しかった!!

さて、ちょっと早めの昼食をとってもよい時間ではあったけれど、やっぱり喫茶店ではスイーツ食べたい。 だって!お酒入りの魅惑的なスイーツがあったんだもの!!その誘惑にあらがえるわけがない・・・。

最高です

横浜建築めぐり

美しい空間と甘いもので胃袋を満たし、ついに横浜建築めぐりへと出発です・・・!

店先に書かれている文言もたまらんのよねぇ

さすが横浜。ただ道を歩いているだけでぽこぽこと素敵建築が現れます。

スクラッチタイルというらしい。詳しい方に教えてもらいながら街あるきするの最高

旧横浜商工奨励館

最初に訪れたのは、昭和4(1929)年に建てられた旧横浜商工奨励館。

す、スケールでかいよ!!!まるで外国にいるみたい。柱も太いし巨人の住処なのではないか・・・。ちっぽけなわたしには何もかもが大きすぎてただただ「すぎょい・・・」見上げながらそう呟くことしかできません。

お次はどこにゆくのだろう!ミステリーツアーのごとく、ビブラスキさまの後をついてゆきます。

相変わらず歩いているだけでぽこぽこと現れる素敵建築たち

ジャパンエキスプレスビル

次に案内されたのは、昭和5(1930)年に竣工したジャパンエキスプレスビル。設計は昭和初期の横浜で数々のモダニズム建築を残した川崎鉄三さんという方らしい(初めて知った)。

さっそく中へ・・・。

ジャパンエクスプレスの文字

手すりの感じ好き!

直線的な外観だけみるとわたしの好みではないのですが、内部はとても好きな感じ。床の豆タイルもかわいい。あぁ、ほっこり・・・。小さくて素朴な建物の方が身の丈にあっていて落ち着きます。

インド水塔

だんだん海の方へと近づいてきました。すると、エキゾチックな小さなドームが目に止まります。

大正12(1923)年の関東大震災で亡くなった横浜在住のインド人の慰霊と、被災したインド人の救済を行った横浜市民への感謝のために在日インド人協会によって昭和14(1939)年建立、寄贈されたインド水塔です。

天井や床の装飾や色合いがとても爽やか。

そして今回の旅に無理やり横浜を捩じ込んだ一番の理由であるあの方が!すでに目の前に姿を現しているのでした・・・(ぶるぶるわなわな)。

【参考文献・サイト】

【歴史的建造物アーカイブ】旧横浜商工奨励館(横浜情報文化センター) - THE YOKOHAMA STANDARD

【歴史的建造物アーカイブ】ジャパンエキスプレスビル - THE YOKOHAMA STANDARD

インド水塔 - Wikipedia

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:OLYMPUS PEN FT 

②初夏の神奈川・静岡ひとり旅2024【横浜・後編】へとつづく▼▼▼

06.冬の山形ひとり旅2024【山形市・建築めぐり編】最終回

かみのやま温泉駅から山形駅へと到着。 山形旅最後の舞台は山形市。陽は沈み、あたりはすでに薄暗くなっていました。

山形駅

CONTENTS

カラフルな団子で彩られたホテル

増えてしまった荷物(ワイン3本も買ってしまったからな)を自宅に発送手続きしてからお宿にチェックイン!情緒ある木造のレトロ旅館に宿泊・・・したいところですが、今回は駅前の普通のビジネスホテル。その名もホテルNew最上屋。名前が昭和を醸し出しています。

エレベーターで2階にあるフロントへと上がります。扉が開くと目に飛び込んできた色とりどりの飾り!

なにこれなにこれなにこれーーーーー!!!

チェックインの手続きをしながらもう気持ちは木にぶら下がった鯛や達磨、野菜のような形の飾りに夢中。手続きが終わると早速フロントの女性に聞いてみます。するとすぐさまパソコンで調べてくれて、これが「団子の木」と呼ばれるものであることを教えてくれました。

全国で行われている伝統行事〜団子の木〜

「団子の木」とは、小正月(1月15日)に行われる伝統行事。五穀豊穣や無病息災等の願いを込めて、ミズキの木の枝に団子や「ふな(船)せんべい」(餅で作られた縁起のいい飾り物のこと)を飾るのだそう。山形市では初市などで団子の木や「ふなせんべい」が売られているそうです。いつか見に行ってみたいな!そして我が家にも飾りたい〜。

実は山形だけに限らず全国で行われていて、地域によって「繭玉」や「餅花」など呼び方も異なり、飾りものにも特色があるようです。そういえば、去年岩手県遠野市に行ったときにも展示されてたなぁ。

遠野市の伝承館にて(2023年8月)
①台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【遠野編】 - 彷徨する旅のアーカイブ

わたしの地元、鹿児島県でも行われているのか調べてみると、奄美大島や徳之島の一部では「ナリムチ」、南九州では「めの餅」などがあるようです。あまりネットで検索しても出てこなかったので、今度両親にも小さい頃にやっていたのか聞いてみようかな。

小正月が終わった後は、正月飾りを燃やす「どんと焼き」で一緒に焼いて食べたり、ひな祭りに雛あられにして食べたりする地域もあるようです。ちょっと調べるだけで芋蔓式に面白そうなことが出てくるので困りますね!(よろこび)

以下サイトから要約させていただきました▼▼▼

小正月をめでたく彩る「餅花」の由来と作り方 – 結わえるオンラインストア本店 寝かせ玄米公式販売

だんご木のこと - 霞城セントラル Kajo Central

小正月彩る餅の花 五穀豊穣祈り「ナリムチ」(南海日日新聞) - Yahoo!ニュース

高貫げんき市のめの餅 - FMさつませんだい 87.1MHz

居酒屋でひとり酒

チェックインが終わった後は、ごはんを求めて夜の街へと繰り出します。宿近くの狙っていたオシャレ燻製バーは連休中のためか満席の張り紙。まぁ、人気店っぽいし「ですよねー」ってなりながら、飲食店のある山形駅前エリアをぷらっとしてみることにします。どうせなら山形の郷土料理的なものが食べたい!このお店はどうかしら・・・???

赤い提灯が誘っています

「山海の味 三文銭」さん。渋い店構えにドキドキしながら足を踏み入れます。連休中なのにお客さんも少なく、とても静かでいい感じ(お店的には大丈夫じゃないでしょうが)。座敷の大きなテーブル席に通されてとても快適・・・!

まずは酒だ酒だ!酒を持ってこーーーい!!!

山形県内のさまざまな日本酒が揃っています

ブログを読んでくださっている方はわたしが飲兵衛だと勘違いしている人もいるかもしれませんが、普段はほとんどお酒を飲まないわたくし。お酒の味もよくわかりません。でも、旅先ではその土地のものを存分に味わいたいのだ。

何を注文したかはすっかり忘れました!

お酒を選んだあとは、まずは印刷された手元のメニュー表ではなく、壁のボードに貼られた手書きメニューに目を通します。ふむふむ、牛すじ煮込み・・・。胃袋が欲している・・・!赤線引かれているし、これは間違いないのでは・・・!??

やっぱり手書きのを選びたくなるよね

マジで美味い。最高。大好き。

牛すじ煮込み、日本酒、お通しの枝豆。黄金のトライアングルの完成である

胃にしみしみ染み渡る美味しさ・・・。もしかしたら今朝からちゃんと食事をしていなかったから(中華そばはオヤツね)、より一層美味しく感じられたのかもしれません。それでも、この組み合わせが最高であることは飲兵衛の皆さまならわかっていただけることでしょう。

お次はタコの唐揚げ。 お酒もお代わりして、最後にあと一品くらい何か頼みたいなぁ・・・。

よし、気になっていた「山形名物 青菜漬」にしてみよう。山形名物なら食べないわけにはいきません。

青菜漬と雪の淡雪

想像通りの見た目と味なんだけど、これが日本酒のアテとして食べるのにとても良い。そもそもわたくし青菜系のお漬物が大っっっっっ好きなんですよ・・・。

ちびちびやっていい気分になってたら、すでに出来上がっているおじさまたちがやってきて騒々しくなってきました(入ってきた瞬間店の雰囲気に思わず「静かっ!」って叫んでたのがちょっと面白かった)。この心地よい気分がすべて消えてしまわないうちに急いで残りを平らげてお会計。食事をしている間、ちょっとだけお喋りした奥さまがとても優しかったし、日本酒も牛すじ煮込みも最高でした。このお店を選んでよかったなぁー。

もちろんお酒を呑んだ後はコレでしょ!と、 ほろ酔いながら山形駅のコンビニへ。

アイスクリーーーム!!!

嗚呼、愛しのグレース。これはきっとご当地アイス? めっちゃ美味しそうなんだけど・・・。もちろん乙女心をくすぐるさくらんぼ、選ばせていただきます!!

さくらんぼ粒入りですって。素敵

ホテルに戻っで至福の時。ちゃんと、さくらんぼを感じて美味しい。

 お酒を飲んだ後のアイスは最高である

朝ごはんはリーフパイ

夜が明け、旅の最後の1日が幕を開けます。

朝がきた

まずは朝ごはんをいただきましょう。かりんとうを購入したかみのやま温泉の大國屋さんでジャケ買いした「上山リーフパイ」。もちろんお味も美味しかったけど、昭和な洋菓子の包装デザインが可愛すぎる〜。

全国の昭和な洋菓子を食べ歩きたい

甘いものでチャージ完了!山形市内建築巡りへと出発です・・・!!

カトリック山形教会

早朝の山形市内はまだひんやりとしています。まずは宿から一番近いカトリック山形教会へ。1900(明治33)年創立で、現在の聖堂は1926(大正15)年に建てられたものだそうです。

清々しいお姿の聖堂

大正15年の創建当時を伝える献堂記念ハガキ(カトリック山形教会パンフレットより)

オレンジの球が連なった変わった形の十字架も当時のまま。大正時代の雰囲気を感じさせます。その下の八角形の鐘楼の中には、1936(昭和11)年に製造され1937(昭和12)年に山形教会へとやってきたドイツ製の鐘が設置されています。

中央では大正時代にヨーロッパから取り寄せたというキリスト像が見守っています

現在では日曜のミサ前や結婚式などでのみ鳴らされるという鐘の音。今回は残念ながら聞くことはできませんでした。いったいどんな音色がするんだろう〜。

ラテン語が刻まれたドイツ製の鐘(カトリック山形教会パンフレットより)

無人の聖堂内は自由に入れるようになっていました。失礼のないように帽子を脱いで、静かに見学させていただきます。

素朴で可愛らしいステンドグラス

2010(平成21)年には耐震補強を兼ねた改装が行われ、その際に聖堂内部は畳敷から床に変更になったそうです。畳の教会大好き人間のわたしとしては、畳のままであってほしかったなぁとちょっぴり残念・・・。

山形教会のパンフレットには、昭和12年頃の聖堂内部の写真が載っていました。

着物姿の信者たちの姿も(カトリック山形教会パンフレットより)

古写真と比べると、畳だけでなく正面の祭壇部分もだいぶ現在の姿とは異なっているように見えます。写真の左側に見えている絵はおそらく「十字架の道行」。きっと聖堂の両側にはこの美しい装飾の木造の額で額装された絵がずらっと並んでいたんだろうなぁ。

現在の「十字架の道行」の絵

「十字架の道行」について知りたい方はこちらのブログをどうぞ▼▼▼

③キリシタンを巡る旅2023・ 鹿児島【ザビエル教会編】 - 彷徨する旅のアーカイブ

カトリック山形教会を後にしてひたすら歩く、歩く。お堀に囲まれた敷地内へと足を踏み入れます。

左上にちょっぴり顔を出して建物に会いに行くよ!

旧済生館本館(山形市立郷土館)

訪れたのは山形城跡を整備した霞城公園内に建っている旧済生館本館。山形市内で一番見てみたかったのがこちらの建物でした。数年前にSNSで見て初めて山形に行ってみたいと思ったんだよなぁ。

旧済生館本館は、1878(明治 11 )年に建てられた擬洋風建築の病院。 1966(昭和 41 )年に国の重要文化財に指定され、これを機に山形市七日町から今の場所に移築復元されたそうです。

以下サイトに詳しい歴史や見所などが書かれています▼▼▼

山形市郷土館(国指定重要文化財・旧済生館本館)|山形市公式ホームページ

旧済生館本館/Old Saiseikan Hospital | 空間芸術研究所/vectorfield architects 写真がべらぼうにいい・・・!!移築前の古写真等もたくさん載っているのでオススメです。

美しい光にうっとり

印象的な建物正面からは入ることができず、裏側にくっついている別棟の新しい建物から入るようになっています。そちらに向かって歩いていると、こんな物騒なものが・・・。

こ、怖いよ?

この上に頭が乗っかっていたんですね・・・??ちょっとひやっとしたところで、建物の中へ・・・。

想像してしまいました

先ほどの外観写真からもちょっと不思議な形をしているなと感じたかと思いますが、こちらの建物はドーナツのように真ん中に穴が空いた円形になっているのです。

館内地図

もちろんわたしのカメラでは360度は撮りきれません・・・。

影すらも美しい

各部屋には医療関係の展示物等があって、わたしの性癖に一番ビビビときた部屋は残念ながら撮影禁止。

この部屋がわたしの推しです!

そんなわけで、撮影OKだった別のお部屋の写真をお届けいたします。

顕微鏡萌え

部屋の他に、2階へと続く扉があります。

この先には・・・

一歩一歩進んでいくと、さらに魅惑的な夢の螺旋階段がぁーーーーー!!!

唐草模様の螺旋階段

残念ながら3階へと続くこちらの階段は登ることができません。ちなみに2階は展示室になっています(撮影禁止)。先ほど登ってきた階段を降りていくと、ちょうど美しい光がドアの隙間から溢れていて、その美しさに惚れ惚れしてしまいました。

別の世界に繋がっているような扉

この場所だけでだいぶ建築欲が満たされてしまったよ・・・。しかし建築めぐりはまだまだ続きます。胸いっぱいになりながら、次なる建物を目指して再び歩き始めます。

錆び錆びの琺瑯看板に萌え

昭和かわいいベンチにキュン

一輪の薔薇にトキメキ

文翔館(山形県郷土館)

そしてたどり着いたのが、1913(大正2)年に竣工した旧県庁舎と会議事堂からなる文翔館(ぶんしょうかん)。

正門の柵には印象的な雷紋が並んでいます

旧県庁舎

門をくぐると真っ正面に現れるのが威風堂々とした旧県庁舎です。

青空が眩しい

山形にはこんな立派な建物が残っているんですね。

美しい赤い絨毯と繊細な彫刻が施された階段の手すり

2階のお部屋には、白を基調とした気品のある空間が広がっていました。

復元された漆喰天井やクリーム色の壁やテーブル

濃淡の異なる木片で描かれてた美しい床に、優しい陽の光が差しています。

門扉と同じくこちらにも雷紋が

こちらの部屋からバルコニーに出ることもできます。

上部には時計塔

モスグリーンのカーテンや壁紙の模様が可愛らしい知事室は、映画「るろうに剣心」の撮影にも使用されたことがあるそうです。とってもお洒落で可愛らしいお部屋。マントルピースの装飾も素敵でした。

知事室がこんなに乙女チックでよいのだろうか

アールの美しい廊下や、まるで外国にいるような雰囲気の中庭もあります。

まるでヨーロッパ

山形の郷土史に関する展示室も設けられていました。

おまえも蝋人形にしてやろうか!(突然の聖飢魔Ⅱ)

今回行けなかった米沢市の巨大「おたかぽっぽ」。いつか工房に行ってみたい

展示物で一番気になったのがこちらの「紅餅(花餅)」。最初その名前から単純に食べ物なのかと思ったら(お土産にほしいなーくらいに思ってた)、紅花から作られた染料のことなのですね!

紅餅(花餅)

江戸時代、「紅一匁(もんめ)、金一匁」と言われ、金と同等の価値があると言われるほど高価な商品として取引されていたそうです。「匁」は重さの単位。「はないちもんめ」ってそういう意味だったのか・・・

参考文献:『伝統と文化』No.47 発行/公益財団法人 ポーラ伝統文化振興財団

これを持って江戸時代にタイムスリップしたら一儲けできるかな

実はわたくし、小さい頃に見たアニメのワンシーンがどうにも忘れられなくて・・・。観たことがある人も多いとおもいますが、ジブリの「おもひでぽろぽろ」という作品。これに紅花摘みのシーンが出てくるのです。調べてみると、アニメの舞台はまんま山形県だったもよう。知らなかった・・・。

なぜかこのシーンが忘れられずにいる不思議。いつか実際に紅花摘みや、紅餅作りをしてみたい・・・!そんな気持ちがむくむくとわき起こってきました。どうやら紅花を求め、再び山形を旅するしかないようですね。

県会議事堂

旧県庁舎を見学した後は、渡り廊下で繋がっている県会議事堂へと参ります。

胸ときめく渡り廊下

渡り廊下を歩いていると、どこからともなく音楽が聴こえてきました。県会議事堂のホールを覗くとそこには管楽器の演奏練習をしている人たちの姿が・・・。

楽器の演奏ができる人たちを無条件に尊敬してしまうのだ

ちょっと得した気分! 生演奏を聴いて心が清められました。しばしの間その音に耳を傾け、そっとその場を後にします。

旧山形師範学校本館(山形県立博物館教育資料館)

次に訪れたのは、1901(明治34)年竣工の旧山形師範学校本館。可愛らしくてとっても素敵!いやはやしかし、こんな素敵建築がぽこぽこある山形市すごすぎやしませんか・・・?

はい、よーく見てみてください。

もっと近づいて・・・

閉!館!?

通常なら開館日のはずが、前日が祝日だったため振替休日になっていたようです・・・。せめて外観だけでも・・・見学させてくださいね・・・・・・。

裏側にもかわいい入口

こちらは何の建物なのでしょう?

本館だけでなく正門や正門近くの門衛所も国指定文化財だったらしいけど、門衛所の存在にはちっとも気づかず・・・(お前の目は節穴なのか、そうなのか)。嗚呼、内部も見学したかったなー。

花小路と旧千歳館

さらに歩いて今度はかつて花街として賑わっていた七日町の花小路へ。現在は飲屋街になっています。

きっと夜に魅力100%になる入口の看板

道の曲線美

「バー さむらい」

花小路入口のすぐお隣には、花小路を花街として発展させた創業1876(明治9)年の老舗料亭、旧千歳館が建っています。現在の建物は1915(大正4)年竣工。残念ながらコロナの影響で2021年に営業を休止。現在は公開されていないので、遠目からちょっとだけ見学させていただきます。

とっても素敵だわー!

営業休止後、国登録有形文化財の主屋等は山形市に寄付され、今後は改修して2026年に運用を開始する方向で進んでいるようです。よかったー!

できるだけ建物はこのままの状態で保存活用してほしいですね

すっかり正午を過ぎてしまいましたが、時間が足りない、足りないんだ。リーフパイしか食べていないし、朝からずっと歩き通しでふらふらではありますが、まだまだ歩きます!!!

なんだか見てて切なくなる飛行機

あ!目的地を通り過ぎてしまった・・・!!

でも、そのお陰で秋田県の横手市で初めて見て胸がキュン!と高鳴った「ママ、クリーニング小野寺よ」と再会できたから良しとする・・・!!!

なにもかもが愛しすぎる。どうやら山形県に本社があるらしい

たぬきケーキ

やってきたのは三木や洋菓子店。どうやら旅人は建築巡りを一旦休止し、食に走りだしたようである・・・。

シックでオシャンな外観です。てっきりレトロな洋菓子店かと思ってたのでビックリ!

「たぬきを、たぬきをください・・・」

そう、わたしは旅先でたぬきケーキを求めずにはいられない生き物なのである

乃し梅本舗 佐藤屋 本店

無事たぬきの捕獲に成功し、その足で今度は乃し梅本舗 佐藤屋本店へ。 お店の名前に「乃し梅」とあるように、梅を原料とした山形県生まれのお菓子「のし梅」の元祖として有名なお店です。

 1821(文政4)年創業という老舗で、現在の建物は1939(昭和9)年に住宅兼店舗として建てられた木造モルタル耐火建築。当時は家族の他に職人さんも住んでいたそうです。

のし梅とは

江戸時代後期に、山形の医者が長崎に遊学した際に中国人から学んだと伝えられ、当初は梅の酸味を利用した薬としても位置付けられていたそうです。

実は山形の特産である「紅花」とも関係していて、紅花の発色を良くするために梅の酸を用いられたため、良質の梅が多くあったことが「のし梅」が山形で広がった理由だと思われます。ここでも「紅花」が出てくるとは〜。

梅をすり潰し寒天に練り込み、薄く伸ばして乾燥させ、最後は竹皮で挟みます

板状の乃し梅を短冊状に切って砂糖をまぶした梅しぐれという商品は、気軽に食べられるのでお土産としてもオススメ。あまじょっぱくて、不思議と昆布のような味がしました。味音痴なので的外れなこと言ってるかもしれません・・・。

梅しぐれ

乃し梅と濃厚チョコが組み合わさった“ネオ和菓子”玉響(たまゆら)は、梅の酸っぱさと相まって、まるでオランジェットのような爽やかさで美味。つまり、オランジェット好きにはたまりません!見た目も美しいので女性へのプレゼントにも喜ばれそうです。

「たまゆら」という言葉の響きも美

山の携帯食「ウヤムヤ」

その他にも店頭には様々なお菓子が並んでいたのですが、実はわたしのイチオシは看板商品の「乃し梅」でもオシャンな「たまゆら」でもなく、摩訶不思議なネーミングとユーモラスな版画のイラストが印象的なウヤムヤ

砂糖を使っていないというショートブレッド(4枚入り)も、素朴な美味しさでとても好きでした

「ウヤムヤ」は、山形と宮城の県境「有耶無耶関」に住むという霊鳥をイメージして作られたお菓子。

この峠には山鬼が住んでいて、人を取って食らっていた。しかしいつのころからか、仙台側の「無耶の観音」と山形側の「有耶の観音」の霊鳥が峠に住み着き、鬼がいる時は「有耶」、いない時は「無耶」と鳴いて旅人に知らせたという。

有耶無耶の関跡 | 宮城県川崎町観光ポータルサイト かわさきあそびより抜粋

昔ながらの和菓子「のし梅」も大切にしつつ、「たまゆら」や「ウヤムヤ」の他にもレモンとラム酒等を使った羊羹「りぶれ」、乙女心をくすぐる「空ノムコウ」など、若い人にも喜ばれそうな商品を次々に生み出していて、とても魅力的なお店だと感じました。ネットショップでも購入できるので、気になる方はぜひお取り寄せしてみてください。

山形和菓子「乃し梅本舗 佐藤屋」のし梅からネオ和菓子まで200年重ねても若い老舗

さて、時間はすでに13時過ぎ。そろそろわたしもエネルギー切れだよ・・・朝から歩き通しで足も痛いし、胃袋にはリーフパイしか入っていない(とっくの昔に消化済だよ?)。倒れるのも時間の問題です。遅めの昼食を食べるために今度こそ街中へと戻ろうとするも、ただ歩いているだけなのに素敵な建物に次から次へと遭遇します。

ゴリゴリのクリーニング店だけど実はすんごい素敵な建物

そして疲労困憊の中、最後の最後に心を鷲掴みされる最強のラスボスとついに出会ってしまったのである・・・。

旧吉池医院

その姿を見た瞬間、空腹と足の痛みのこともすっかり忘れ、夢中になって写真を撮っている自分がいました。

トキメキが止まらない

扉には一枚の張り紙。

なんと、去年の2023年1月に閉院したばかりではないか。というか、それまで現役の病院だったというのだから驚き!

やはりこの素晴らしすぎる建物を名残惜しく思う人も多かったようで、地元の有志たちが協力し合って、建物内の見学イベント等が頻繁に行われているようです。

近代建築山形ミュージアム 旧吉池医院 | 山形市 | Japan, Yamagata, 山形市,山形県

「近代建築山形ミュージアム at 旧吉池医院 3rd」と題し、2024年5月19日〜9月21日までの間、毎月第三日曜日から1週間内部公開のイベント等が行われるようなので、お近くの方はわたしの代わりにぜひ中を舐めまわすように見てきてください。

素敵すぎる受付。玄関扉のガラスにへばりついて中を食い入るように見つめていた怪しい人物はわたしです

ふがふが鼻息を荒くしながらじっと中を見つめていても、奥まで透視することはできません・・・。あきらめて今度こそお昼ごはんを食べに行きましょうね。

このまま保存活用されることを願います

珈琲専科煉瓦家

胃袋と喉を潤しに訪れたのは芸術的なマダムが営む珈琲専科煉瓦家さん。

何が芸術的って、手書きのメニュー表が凝り過ぎてて・・・!メニューを伝えたい気持ちよりも、見た目の美しさの方が勝っています(正直言って読みにくい)。でもそのメニュー表もこの喫茶店の魅力の一部になっていると思われるので、ぜひ実際に見てほしいです(写真無し)。

店前のメニューのボードから想像していただけたらと

そして肝心の喫茶メニュー。わたしが食べようと思っていたご飯系はなんと時間が時間だったので売り切れ・・・(号泣)。仕方ないので蜂蜜とシナモンがかかったトーストをいただくことに・・・。

ひもじいよぉぉぉ・・・(自業自得)

でもね、これがとーーーーーっても美味しかったの!!!(腹ペコだったからなのかもしれないけど)すっかり息を吹き返しました。

糖分万歳

あとはもう宿に荷物を取りに帰るだけ。そう、山形ひとり旅は終焉へと近づいていました・・・。

最後の山形散策

時に遠回りをしながら、気になる道を歩きつつ、宿に向かって歩きます。

また見つけた「団子の木」

素敵な持ち送りを持つ建物も

時間があったら行きたかった山形市立第一小学校旧校舎を活用したやまがたクリエイティブシティセンターQ1も通り過ぎます。

昭和初期竣工の国登録有形文化財の建物

何気に校舎前(裏側?)のバス停のフォルムも可愛くて好きでした。

かわゆす

あっという間に宿へと到着し、荷物を受け取りそのまま山形駅へ。新幹線に飛び乗り、山形ひとり旅は終わりを迎えたのでした。(このやっつけ感どうよ?)

新幹線の中ではもちろん「たぬきケーキ」

おまけ

夕方に東京に到着し、夜はちょっぴり寄り道して見たかった展示にすべり込み鑑賞。

「面の界-神楽面が表現するかたち-」より

翌朝、朝一番の飛行機に飛び乗り福岡へ。

まだ暗い早朝の飛行機

福岡空港に到着したその足で会社へと向かい、白目を剥きながら仕事をするのでありました・・・(おつかれわたし)。

おわりに〜フィルム写真集〜

生まれて初めての山形旅。温泉や加勢鳥、自然が生み出した奇石と信仰、近代建築などなど、様々な山形の顔を見れたような気がします。それでもきっとほんの一部。次に山形県を訪れるなら、今回取りこぼした「ムカサリ絵馬」、そして「紅花」がメインでしょうか。でも絶対わたし好みの建築であふれていると思われる酒田市にも行きたいし、酒田市に行くなら未踏の地である新潟県にも行きたい。その他にもまだまだたくさん行きたい場所がある。

ちっともあらがうことができない煩悩の渦に引きずり込まれながら、今宵もまた次なる旅に想いを馳せたいと思います。 最後まで読んでいただきありがとうございました!

またね

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:Konica AUTOREX + HEXANON AR57mm F1.4(モノクロ:自家現像)

04.冬の山形ひとり旅2024【かみのやま温泉・ふぢ金旅館編】

CONTENTS

かみのやま温泉

山寺駅から山形駅で乗り換えやってきたのは、山形市のすぐお隣にある上山市。かみのやま温泉駅で降りると雪・・・ではなく雨がパラパラと降り出していました。

まずは駅近くの観光案内所へ。

明日かみのやま温泉一帯で繰り広げられる加勢鳥(かせどり)の情報収集のためである・・・!

ポスター

観光案内所には同じく加勢鳥を見にきた人が明日のルートについて熱心に尋ねている姿がありました。去年も追いかけてて今年は全ルート制覇するっぽいぞ。すごいな!

土砂降りの温泉街

さて、その加勢鳥が一体何であるのかはひとまず置いといてお宿へと向かいましょう。外に出るとさっきよりも雨がひどくなっていました。これから待ち受ける運命を暗示しているかのよう・・・(意味深)。

実は駅からけっこー離れた場所の宿を取ってしまったのだ。バスも出てはいるけれど街中の雰囲気を味わいたい。せっかくだから歩いて向かうことにします。

マンホールにカカシ。毎年「かみのやま温泉全国かかし祭」なるものが行われているらしいく、それにちなんだデザインだとか。かわいい

街のいたるところに加勢鳥のポスターが貼れています。

加勢鳥ハウス・・・?ここが一番すごかった

町全体で加勢鳥を盛り上げようとしているのが伝わってきます。

老舗お菓子店、十五屋本店

どんどんひどくなる雨の中、荷物をびしょびしょに濡らしながら向かっていると、商店街で目に入った一軒のお店。

屋号は「十五屋本店」

ショーケースの中で輝くケーキの姿にふらふらと吸い寄せられて店内に足を踏み入れます。加勢鳥にちなんだ「火伏せ餅」という名のわらび餅もありました。

わらび餅大好き!

火伏せ餅も捨てがたかったけど、一目惚れした「星屑ノ夜空」という名の美しいケーキをお持ち帰りすることにします。

トキメキが止まらないよ・・・!!!

最初ケーキ屋さんと思ったけれど、元は大正2年創業の老舗の和菓子屋さんで、先代から扱うようになったというケーキはすべてチーズケーキ。そのバリエーションは現在では9種類に・・・!「星屑ノ夜空」だけでなくチョコミントのチーズケーキなど乙女ゴコロをくすぐる商品の数々にトキメキ。わたしはチョコミント苦手だけど・・・

これで今夜の食後のスイーツの用意はばっちり!旅館ではもちろん1泊2食付きで予約していますが、甘いものがあるとは限りませんからね・・・!!

かみのやま温泉 湯町地区

「かみのやま温泉」は、上山市内にある湯町、新湯、葉山などの6つ地区からなる温泉の総称。今回わたしが宿泊する旅館があるのは一番古いという湯町地区です。

ちっとも止む気配のないどしゃ降り雨の中、傘とキャリーケースとケーキの箱を片手に歩いていると(手が3本あるのかな・・・?)、やっと温泉街っぽい雰囲気の通りにたどり着きました。

共同浴場もいくつか点在しているようです。

湯町地区の「下大湯公衆浴場」

ふぢ金旅館

公衆浴場を通り過ぎ、坂道を登っていきます。街灯も少なく薄暗くてあたりの様子がよくわからない・・・そろそろきつい・・・でもあともう少し!

やっと着いたーーーーー!!!

あたたかい灯りにほっとします

本日宿泊する「ふぢ金旅館」さんは、駅から歩いて20分ほどの距離。体のあちこちは濡れ、ケーキの箱も水に濡れてすでにふにゃふにゃ・・・。早く部屋でひと息ついて、旅館めしに舌堤を打ち、あったか温泉につかりたい・・・・・。

ガラガラガラ。扉を開けます。

「すみませーーーーーん」

「すみませーーーーーん」

・・・呼んでも誰も出て来ない。

ブラックボディーの招き猫が見つめています

耳を澄ませると、階段を登った先でなにやら奥で人の気配がします・・・。いいのかな・・・?と思いつつ、これは突撃するしかない。意を決して奥へと足を踏み入れます。

ちょっとした階段を登り、人気のある方へと進んでいくと、廊下に子供連れの家族の姿がありました。電話予約した時はお婆さんとお爺さんが対応してくれたけど、もしかしてその息子or娘夫婦が一緒に経営しているのかな・・・?そう思って話かけると、どうやら彼らも本日の宿泊客。廊下から部屋に向かって何やら話しかけています。部屋を覗くとそこに旅館の老夫婦の姿がありました。

まさかのハプニング勃発

「今日予約している者ですけど・・・」そう伝えると、初めて聞いたような顔・・・

こちらにはホワイトボディの招き猫

も、もももももしかして予約できていない・・・!!?

愕然とするわたくし・・・。

実は2月上旬の宿泊ではあるものの、善は急げとばかりに去年の11〜12月頃には電話予約していたのです。ちょっと間があくから年が明けてまた確認の電話すると伝えていました。1回目は女将さん、年が明け2回目に電話した時はご主人が出て、ちゃんと予約が入ってるか確認したところ「大丈夫」と言われたけれど、そのご主人との電話でのやりとりが若干不安な感じで・・・。再度電話して女将さんと話していれば・・・と思ったけれど、数年前に宿泊した方のブログ読むと、同じように予約に関しての不手際等について書かれていたので、どうやら宿の経営をするには難しいくらいご高齢になっているのだと思われます・・・。

明治時代と昭和初期に建てられた歴史ある旅館

この日は先ほどの家族連れの他に、一人の女性客が宿泊するようで、さらにわたしが現れたものだから女将さんはアワアワ、その様子を見てわたしもアワアワ・・・。果たしてわたしは泊まることができるのか!??

とりあえず急いで部屋の用意をしてくれるということになり(大丈夫なのね?今日ここに泊まれるのよね???)玄関に置いていた荷物を取りに行きます。その時にわかったことなのですが、わたしが入ってきた入口は昔の表玄関で、今はその反対側の建物の入口が表玄関として使用されているとのことでした。

こちらが現在の表玄関

わたしが間違って入ってきた昔の表玄関の建物はなんと明治時代のものだとか・・・!現在の表玄関の建物も昭和初期の建物だそうで。そんなに歴史のある建物だったことを帰ってきてから実は初めて知りました・・・。いい感じの渋い旅館があるなー、泊まってみよう!と、軽率に予約したもので(できてなかったけど)。

そんなこんなで動揺したまま荷物をかかえ、昭和時代の建物の階段を登り客室のある2階へと向かいます。

案内されたのは右側のお部屋。ひとまず荷物を下ろします。今起こっていることが受け入れられず、しばしの間ぼーーーっとしてしまいました・・・。

1泊2食付きで予約していましたが、もちろんその用意もできていません。

(え、もしかしてこの大雨の中、また飲食店のある場所まで歩いて行かなきゃいけないの・・・???涙目)

突然すぎて最初は不満の気持ちがわいていたのですが(未熟者)、だんだんこの状況が可笑しくなってきました。予約できていなかったことは仕方ないし、旅館メシが食べれないのも仕方がない。せっかくの旅だし、今を楽しもう・・・!!!

居酒屋を求め彷徨う

ラーメンや蕎麦などの出前もできると言われたけれど、朝ごはんも買わなきゃだし、せっかくなので居酒屋にでも繰り出してみることに。飲食店のある場所もよくわからないからGoogleマップで地元の常連さんがいそうな居酒屋を検索。狙いを定め、出発です!

遠目に輝くお城が見えました

さっきまで土砂降りだった雨が小雨になっていたのがせめてもの救い・・・!10分ほど歩いて狙ってたお店に到着すると・・・

貸切イェーーーイ!!!

ま、世間は3連休の初日ですものね・・・。賑わっていないわけないよね・・・・・。

地元の人たちで賑わう「つくし」

ガクッと肩を落とし、もう検索する気力もないのでさっき検索した時に見つけた焼き鳥屋さんにいくことに・・・(福岡でも食べれるし、むしろ焼き鳥屋さん多い土地だし)。お店に入ると運良くカウンター席が空いてて無事入店!

わたしの後に入ってきた観光客は断られていたので、ほんの十数分遅れていたらまた雨の中、放浪することになっていたことでしょう・・・うぅ、助かった・・・

がっつりひとり旅するようになってからは、積極的に地酒を呑むようにしているわたくし。今回もそうしたいなーと店員さんに尋ねてみると、こちらのお店では日本酒は「東光」しか扱っていないらしい。山形は米沢市(かみのやま温泉よりさらに下の方)にある酒造のようです。

東光を注文すると、まずはお通しが出てきました。どちらもとっても美味しい!

おふくろの味的おいしさ

焼き鳥屋さんを経営している人って男性のイメージがあったのですが、こちらのお店はスタッフがみんな女性。未成年ぽい若い娘さんから酸いも甘いも知り尽くしているかのような貫禄のある女性まで幅広い!

どうやら焼き鳥を焼いているのが主のようです・・・。かっこいいぜ!!

ブルーのエプロンがオシャレ(店員さんに許可をもらって撮影)

あふれる鶏皮愛、そして鶏皮事件

注文はテーブルに置かれている紙に自分で書いて渡すシステム。焼き鳥屋さんでまず最初に注文するのはもちろん決まってるよね?

そう、鶏皮だ・・・!!!

何を隠そうわたしは小さい頃から鶏皮が大好き!これまでの人生において大量の鶏皮を摂取してきました。そんなわたくしでありますから、まず一番に鶏皮の文字を書かないわけはありません。昔は「タレ」の一択でしたが、年を重ねるうちに「塩」一択になり、さらに現在では一周して「タレ」へとブームが戻ってきています(時代は繰り返す)。とりあえず「タレ」と「塩」一を本ずつ。そして後で美味しかった方を追加注文しよう!(それくらい鶏皮狂いなのだ)

その他にもいくつか注文して焼き師である女主が匠の技で焼いているのをつまみにお酒をぐびぐび。

(あー、注文してないネギ間、焼いてるのかな。美味しそうだなー、あとで追加で注文しようかなー)

なんて思いながら待っていると、ついにわたしの焼き鳥が目の前に・・・!!!

(あれ?鶏皮・・・この中にあるっけ???)

・・・頭の中にクエッションマークが点滅しながら、ひとまず食べてみる・・・。これは鶏皮じゃない・・・。別のを食べてみる・・・。これも鶏皮じゃない。・・・全部食べてみてわたしは理解した。

鶏皮ない!!一本もない・・・!!!

代わりにネギ間のタレと塩キタ・・・!!!!!

なんと、さっき「美味しそうだなぁー」と焼いているところを眺めていたネギ間はわたしのそれだったようです・・・。

焼き鳥注文した時に「まさか一人で鶏皮を2本?」と訝しんだ店員んがわたしにちゃんとオーダー間違ってないか確認しにきたのに・・・なんで・・・なんで・・・。もちろん温厚な大人ですので店員に詰め寄ったりはしません。値段も一緒だったし、ネギ間頼もうと思ってたし。2本は頼まなかっただろうけど・・・

静かに衝撃を受けながら、やっぱりまたもやこの状況が可笑しくなってきました。旅館での予約の件もそうだけど、不思議なことに昔から小さな小さな不幸というものが降りかかる星の元に生まれているようです・・・。でもわたしはそのちょっとした不幸、ハプニングを「オイシイ」と思ってしまう人間なのだ。そんな幸せな性格でよかった・・・そう思いながらネギ間を噛み締めるのであった。

もちろんその後は光の速さで鶏皮を注文・・・!!!

他にも食べたいメニューがあったし、塩は味が想像できるから秘伝のタレが使われているという「タレ」を選ぶことにします。

うっま!マジでうっま!!!

この鶏皮100本食べたかったーーーーー!!!!!

さっきは小さな不幸オイシイなんて言ったけど、食べた瞬間「なんでネギ間きた・・・」ってなったよね・・・。いや、もしかしたらこの鶏皮を最高に美味しく感じることができたのは、その前のハプニングがあったからかもしれない。最高の鶏皮を食べるためのお膳立てをしてくれたのだ・・・。

そう思い込んで、締めの焼きうどんいきまっしょい!!!

めっちゃ美味しかった!!!

この焼きうどんを食べたいがために鶏皮の追加オーダーを我慢したのだ。おばちゃんが目の前で他のお客さん用に焼いてるのを見て注文してみたのだけれど大正解でした。焼き鳥も鶏皮の他にも軟骨?砂肝??コリコリした何か(いい加減)もとっても美味しかったし。ちょっとした注文の取り違いはあったけれど、結果オーライ。とっても美味しい(オイシイ)夕食となりました。ごちそうさまでした!!

再びふぢ金旅館へ

外に出ると再び土砂降りの雨・・・雨・・・雨・・・(リフレイン)。

忘れないようにコンビニで翌朝のごはんを調達。再び旅館のある温泉街へ坂道を登っていきます。今回は裏の玄関ではなく、ちゃんと表玄関から入りましょう。少しふくらんだまぁるい看板がありました。好き。

昭和初期の表玄関

温泉を愉しむ

部屋に戻るとお布団やタオル等の準備がされていました。いよいよこれから温泉タイムです!

昭和初期の建物とお風呂のある明治時代の建物をつなぐ通路がとっても魅力的でうっとりしちゃう・・・!!!

左に行くと客室、右に行くと浴室

1階から1階に降りるというのもなんだか不思議だし、建物の雰囲気と飴色の照明のせいか、まるで行き先のわからない地下へと続く階段のようにも思えてドキドキ胸が高鳴ります・・・。

昭和から明治へタイムスリップ!

特に明治の建物側から見た時の放射状の天井が美しくて・・・!!

大浴場にはちょうど家族連れが入っていましたが、まったく問題ありません。なぜならわたしが入りたかったのは、玄関のすぐ隣にある小さなお風呂の方。

鍵がないので念のために扉の前に「女子用」のプレートを立てることにします。

窓の上にアイヌっぽい彫り物

いざ、中へ・・・。

渋い!渋いわ!!!

大人1人がすっぽり入ってのんびりできるくらいのサイズ感の湯船がとてもよい(大柄の男性にはキツイかも?)。ちょっとアールに盛り上がっている縁のタイルも好きよ。蛇口から流れてくるのは水で一切薄めていないあっつあつの源泉!扉を開けた瞬間のもこもこ湯気の真っ白な世界がその熱さを物語っています。

昔のままの温泉システムなので、シャワーどころかカランすらありません。湯船からお湯を桶ですくって、ホースの水で薄めながら体を洗ってました。その間、ずっと水を湯船に入れてたらちょうどいい湯加減に。

嗚呼、極楽極楽〜〜〜〜〜

蛇口周りには湯の花のかたまり

泉質がとっっっっっってもよかっった!好きだった!!!たくさんの水で薄めたにも関わらず熱々で体の芯からぽかぽかに・・・。いいお湯でございました。

「夜空」を食す

お風呂から上がったらもちろん!土砂降りの中根性で持ち帰ってきた「星屑ノ夜空」をいただきまーーーす!!

美味しいーーー!!!

青い部分はソーダ味で、下の白い部分はチーズケーキ。見た目が可愛いだけなのかと思いきや(失礼)、あまりもの美味しさにびっくり。このお味なら他のチーズケーキも食べてみたい。家が近かったらきっと友達とチーズケーキパーティーしてたよ!トキメキと美味しさを同時に摂取できるとっても素敵なお店に出会えてラッキーでした。

大ピンチ

身も心も満たされて大満足だー!!!明日の準備をしてあとは眠るだけ。加勢鳥のためにしっかりカメラの充電しとかなきゃね・・・

!!!!!

なんと・・・コードが切断されて充電不可能に・・・・・。明日が今回の旅のメインである加勢鳥の日だというのに・・・!!!絶体絶命のピンチです・・・。

とりあえず電池が風前の灯であるフルサイズのカメラの他に、コンパクトデジカメとフィルムカメラがある。もうこの2台で勝負するしかない・・・腹を括っておやすみなさい・・・。

朝がきた

勝負の朝がやってきます。

昨晩コンビニで買ってきた朝ごはん、いただきます!

大浴場

喜至楼での朝風呂でスイッチが入ったのか、ここでもいつもならやらない朝風呂へ。昨晩入らなかった大浴場へと向かいます。

つるはぎの湯

脱衣所には「かみのやま温泉」開湯の由来が書かれたそれはそれは古そうな看板がかかっていました。

1458年(長禄2年)に肥前(今の佐賀、長崎あたり)の高僧、月秀上人が、湖畔で鶴がすねの傷を癒し飛び去ったのを発見したことが始まりで、古くは「鶴脛(つるはぎ)の湯」と呼ばれていたそうです。ふぢ金旅館はその源泉に一番近い湯なんだとか。

脱衣所のタイル絵

さっそく温泉へと入りましょう。

熱々!熱々すぎて・・・!足の先ですら数秒もつけることができなかった・・・!!!昨晩入った内湯は湯船が小さかったので水を入れたらすぐに温度が下がったけれど、大浴場では無理でした・・・。桶ですくって水で薄めた温泉を数回かぶり、朝温泉は高速で終了したのであった。源泉、おそるべし・・・

明治時代のふぢ金旅館

見納めとばかりに明治時代の玄関に目を向けると、曇ったガラスに浮かび上がるふぢ金の文字や、真っ暗な夜には気づかなかった燕と雨の装飾の美しさにハッと息を呑みました。

シャベルの影にもキュンとした

女中部屋

玄関のすぐ横には物置になっている部屋があります。なんと、ここは女中部屋だったそうです。最近まで女中さんがいたんだって(最近というのが女将さんにとってどれくらいなのかはわかりませんが)。女将さんがお嫁に来た時からいたから相当なおばあちゃんだったと言っていた。

現役ではないものの、こんなお宿が現代にまだ残っているのだなぁー。昨晩初めてここを訪れた時に、明治時代の建物とは知らなかったとはいえ、ふぢ金旅館の始まりであるこちらの玄関から入ることができてよかったなとしみじみ思うのでした。

明治と昭和を繋ぐ道。朝の姿もとてもいい

身支度を終え、ふぢ金旅館に別れを告げます。色々と衝撃的ではあったのですが、ちょっとしたハプニングが旅に花を添えてくれるのです。今回の旅の中でも鮮烈に心に焼きついた旅館となりました。

最後に。これから宿泊したいと考えている方へ

現在の何不自由しないホテルや旅館に慣れている人にとってはカルチャーショック間違いなしかと思われるので、宿泊を考えている方に注意点を少しばかり。

部屋もお風呂にも鍵はついていません(でもなぜかちっとも不安に感じず。お客さんがいい感じの人たちだったからかも)。ちなみにわたしの部屋にはゴミ箱もティッシュもポットも用意されておらず・・・。ちらっと他の方の部屋を覗いたらあったので(チェックアウト後で戸が開いていた)、わたしの場合ちゃんと予約ができていなかったから対応できなかったのだと思われる、たぶん。暖房もなくて凍えてしまわないか不安だったけど、温泉のおかげか中から温まっていたし、そこまで寒さを感じなかったので大丈夫でした。ほかにも色々とありますが、ブログ内で察していただけたらと・・・。

盛者必衰、諸行無常。時間は流れ、ひとつの時代が終わっていく・・・。当たり前のことだけど、それをしみじみと感じて正直少し悲しくなってしまいました。

いやー、なにはともあれ、貴重な体験をさせていただきました。明治や昭和初期頃の庶民的な旅館はこんな感じだったのかな?当時の様子を疑似体験した気分になれる貴重な旅館だと思うので、興味のある方はぜひ行ってみてください。

【参考にしたサイト】

上山湯町温泉・「ふぢ金旅館ー1」(宿泊は廃業)~宿泊記~ 外観・館内編 | ROCK旅猫のノスタルジック・ジャーニーズ♪

かみのやま温泉や、ふぢ金旅館の建物についてとても詳しく書かれていました。この方のブログの後にも宿泊は可能でしたが、今後どうなるかはわかりませんので気になる方は急げー!

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:Konica AUTOREX + HEXANON AR57mm F1.4

05.冬の山形ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

01.冬の山形ひとり旅2024【嗚呼、麗しの喜至楼・前編】

冬の東北に行きたい!雪にまみれたい・・・!!!

そんな気持ちで何ヶ月も前から計画していた冬の東北旅。しかし今年は暖冬というではありませんか・・・。果たして夢の雪旅を体験することができるのか・・・。

生まれも育ちも生粋の九州の民は雪への憧れを胸に、2月のはじめに山形県へと旅立ったのであった。

CONTENTS

福岡から宮城へ

今回は宮城県から山形入り。まずは福岡空港から仙台空港へ。午前9時のフライトなので、いつものハードな旅とは違いのんびりな朝です。ほんとはもっと早く向かいたいけど福岡からだと便数が少なくてもどかしい・・・。

7:30の空

空港でプチトラブルがあって(すべてはわたしのうっかりのせい)、もしかして飛行機乗れないのでは・・・!?と、めちゃ焦ったけどなんとか飛行機に乗れて無事出発!!!

心はいつまでたっても子供だから、ずーーーっと外を眺めてしまう

機内で可愛い手拭い売ってて、まだ東北に着いてないのにうっかりお土産(自分への)買いそうになったよ・・・

雪!もしかして、雪旅できちゃう???

雪山を飛び越えて仙台空港へと到着。

やっぱり雪、積もってないね・・・

宮城から山形へ

ここからは時間との戦いです・・・!まずは電車に乗って仙台駅へ向かいます。

乗り継ぎがうまくいかなかったら仙台駅でお昼ごはんを食べてこうと思ってたけど・・・うん、賭けてみよう!

電車移動しながらスマホで新幹線のチケットを購入してICカードを紐付けます。発券する時間を短縮して、改札を素早く作戦です(便利な時代じゃのう)。

あっという間に仙台駅に到着。初めて訪れる場所での乗り継ぎはドキドキ!乗り換えの時間は約12分。駆け足で新幹線乗り場へ・・・!ちょっと迷ってパニクったけどなんとか間に合った!!

初めまして仙台。でも、すぐにさようなら。今度はあなたメインで訪れるから待っててね・・・!

新幹線に乗ったのも束の間、たった13分で降りちゃうよ!(なんて贅沢な新幹線の使い方なのだ)だって、1秒でも早く目的地に着きたかったんだもの・・・。下車したのは古川駅。実はまだまだ宮城県。再び乗り換えるために在来線乗り場へと向かいましょう。

鳴子温泉郷って書いてる!もしかしてここから近い・・・??

少し待ち時間があったので、お昼ごはんを調達しようと土産物を物色。うーん、ご飯ぽいものがないなぁ・・・。仕方ないのでおやつを買ってホームへ。

やっぱり鳴子温泉が近いんだ!

正午過ぎの電車で出発。おやつごはんを食べながら車窓からの景色を楽しみます。

どちらも美味しかったよ

山形へと向かうにつれて少しずつ増えていく雪・・・(ときめき!)。暖冬で雪には会えないと思っていたからとても嬉しい。テンション急上昇です。

鳴子温泉も通過・・・っ。いつか行ってみたいな。

こけしこけしこけし

雪景色を走る、走る。

そしてついに目的地に到着!時計を見ると14時前。11時前に仙台空港を出発してから約3時間、福岡からカウントすると約5時間・・・!!遠かったーーーーー。乗り継ぎに失敗してたら夕方に着いてたとこだったよ・・・。

 

瀬見温泉

旅の最初に訪れたのは、山形県の北東部に位置する最上町の瀬見(せみ)温泉。

雪だ!雪だ!雪だーーーーー!!!

きっと本来ならもっと積もっているのだろうけど、普段1mmも積もらない福岡の都市部に住んでいる身としてはこれでもじゅーぶんテンション上がるのだ。ほんとは吹雪くくらいの雪を欲していたけどね!

もっと、もっと雪ください!

無人駅を出て瀬見温泉へ向かっていると、歩道に「義経通り」と書かれた石柱がありました。

義経通り

そう、ここは源義経にまつわる伝説が残る温泉地。

源頼朝の追手を逃れて亀割山中で一夜を過ごしていたところ、義経の奥さまが産気づいて赤子を出産。弁慶が産湯を求めたどりついた川辺で大岩を薙刀で突き破ると温泉が吹き出したそうで、これが瀬見温泉のはじまりと伝えられています。義経と弁慶の伝説に彩られた瀬見温泉は、江戸時代には領内随一の温泉場として賑わい、歴代藩主の入湯場にもなっていたとか。

義経と弁慶モチーフがあちこちに

喜至楼(きしろう)に泊まる

橋を渡ってほどなくすると、さまざまな様式の建物をテトリスみたいにくっつけたかのような印象的な建物群が現れました。本日宿泊する喜至楼です。明治・大正・昭和の建物が混在した山形県内に残る最古の旅館といわれています。

駅から歩いていると、一番最初に見えてくるのがこちらの木造建築。

木造なのにモダンな雰囲気にキュン!

そしてそのお隣が喜至楼別館。宿泊する人はこちらから入るようです。

「別館」ということは、もちろん「本館」があります。

その素晴らしきお姿がこちら・・・!!!

魅惑の木造4階建

喜至楼の創業はなんと江戸安政年間で、立ち寄り湯の入口にもなっている本館玄関の建物は明治元年に建てられたものだそうです。

本館玄関上には「㐂至楼」の文字(「㐂」は「喜」の異字体)

別館でチェックイン

外観の見学はこのくらいにして、まずはチェックインをしに別館へと向かいます。

左奥に見えるのが別館

たぬきがこんにちは

フロントには喜至楼のすべてを知り尽くしているかのようなおばあさま。

市松模様の床が印象的

夕食は18時から。あ、朝食の時間も決めなきゃね。明日は早い電車に乗りたいから6時30分くらいに食事できないかなぁ・・・って聞こうとする前に「朝食開始は7時30分から」と言われ撃沈!早速予定が狂うことに・・・。

明日どうするかはまた後で考えよう!夕食の時間まで約3時間半ほど。部屋に荷物を置いて館内の散策と温泉街をお散歩をするぞーーー!!

温泉まんじゅうや、去年の岩手旅で生まれて初めて食べた「しそ巻き」のお土産も!

部屋に案内される通路にも興味深いものたちが置かれていて目移りしちゃう。展示室のような空間もありました。

イタチの剥製?

部屋の名前も味わい深い・・・。

「横笛」が義経っぽい!わたしは鈴虫か乙女の部屋に泊まりたいな・・・(永遠の乙女より)

廊下の隅には年季の入った将棋の台も。たくさんの人がこの台で将棋を指したんだろうなぁー(ちなみにわたしは「と」だけで遊ぶやつか、将棋崩しの遊びしかできません)

別館・部屋

わたしのお部屋は別館の「須磨」。本館に泊まりたかったな・・・。数ヶ月前に予約したにも関わらず別館のお部屋しか空いていなかったのだ。

浮かび上がる須磨

広縁(ひろえん)のあるお部屋っていいよね

荷物を置いてほっと一息・・・つく暇もなく、まずは館内探検へと出発!!

永遠に彷徨いたい喜至楼本館

ローマ式千人風呂

まずは一番楽しみにしていた本館の温泉へ。本館と別館は中で繋がっていて、増築に増築を重ねてこのような姿になったのだろうなぁーというような構造をしています。

別館と本館を繋いでいる階段

喜至楼にはいくつもの浴室があって館内で湯巡りすることができるのですが、一番の花形はなんといっても「ローマ式千人風呂」。もう名前を聞くだけでワクワクしちゃうでしょ!?

階段を降りると左には本館玄関、右に向かうと「ローマ式千人風呂」と「あたたまり湯」のふたつの温泉が待っています。

なんだか玄関もすごそうだけど・・・まずはお風呂お風呂お風呂ですっ。

洗面所も素敵

この先にあるのがお目当ての「ローマ式千人風呂」。

実はこちらのお風呂、女性は15時〜19時、男性は19時〜22時と時間帯が決まっていて、その他の時間は混浴タイムになるのです。つまりちょうど今が入るチャンス!

だけど館内を探検したいしお散歩にも行きたい!そんなわけで、ダッシュでもろもろ終わらせて、5時半頃に戻って温泉に入る計画です。もちろんこの時点ですでに中には入っていて興奮しながら写真を撮りまくってはいるのですが(めちゃくちゃ素敵で大好きだった!!!)、それは温泉に入ってからのお楽しみ・・・というわけで、お次は明治に建てられたという一番歴史のある本館玄関へと向かいましょう。

本館・玄関

めでたや、めでたや〜。な、さまざまなモチーフが装飾された玄関。

スリッパにも「キシロウ」

なんと言っても旅館の名前が「喜至楼」だもの。気持ちが明るくなるねぇ。

そして玄関を入って左側には「いらっしゃいませ」とお客さまを迎え入れる着物姿の女性の姿が。

天井が放射状になっていて遠近法!?なのもおもしろーーーい!

そして右側には「ありがとうございました」と見送る女性。なーんて愉快な装飾なのかしら!

見送る女性の左上には鶴、迎え入れる女性の左上には亀がいました。彼女たちを鶴子さんと亀子さんとお呼びしましょうね

下駄箱である戸には竹の立体的な彫刻が彫られています。

にょきっと筍

向かいの襖には立派な松

正面の大きな時計も明治時代のもの。古い金庫の上では福々しい大黒様が見守っています。

ストーブの上にヤカンが置いてあるのも好き

昔の金庫の美しさよ
本館2階・3階

玄関から階段を登り、今度は客室のある本館2階へと向かいます。ひそかに方向音痴であるわたくし。外ならGPS付きMAPでどうにかなるのですが、室内だとそういうわけにもいきません。

まず目の前に現れたのはとてもいい雰囲気の炊事場。

昔から貼られたままであろう案内をみるのもたのしい。

旧漢字にグッとくる性癖

階段を降ったり登ったりくねくね通路を曲がったりしているうちにどこをどう歩いているのかちっとも分からなくなり、まるで迷宮を彷徨っている気分に・・・。

自分がどの建物にいるのかよくわからないまま、客室の連なる通路へと到着。

ひょうたん!

後ろを振り向くと一目みたら目が離せなくなる魅惑的な福助の姿が・・・!!

いらっしゃいませ〜

福助に誘われるようにふらふらと3階へ・・・。

階段の脇には時代を感じさせる火鉢も

目の前に飛び出してきたふたつの生き物がわたしの心を奪い去ります。

うさぎとかめぇぇぇーーーーー!!!

壁にぼんやりと浮かびあがる兎と亀。もはや動悸が止まりません・・・。この不思議な一角には電話機が置かれていたのでしょうか。

横には客室が続いています

嗚呼、本館に泊まりたかった・・・。

そう強く思わせる素晴らしい装飾の数々にうっとり・・・。

本館・部屋

名残惜しく思いつつ2階へと降りると、お仕事中の旅館の青年と出くわします。するとなんと!部屋を見せてくれるというではありませんか・・・!!

襖に雪の結晶〜!!!

泊まれなくても、実際に部屋の中を見ることができてよかった。ありがとう、青年!君に幸あれ・・・!!

別館・大宴会場

素晴らしい意匠がてんこ盛りで目が離せず、どんどん時間が押していくよ!そろそろ外に出ないとローマ式千人風呂に入れなくなる・・・!!慌てて別館玄関へと向かいます。

するとまた2階の部屋を見せてくれた青年と遭遇。大宴会場も見せてくれるって・・・。うぅ、君は仏さまなのかい??ありがとうだよ・・・・・!!!

歓迎の暖簾に導かれ足を踏み入れるとステージのあるお座敷が広がっていました。

昔は芸者さんも呼んだりしてたのかしら

ここにも義経と弁慶の絵が飾られています。

マッサージ椅子。たまらーん

瀬見温泉をあるく

建築欲(浴)はだいぶ満たされたので、いよいよ瀬見温泉散策へと繰り出します!時計の針はすでに16時半。1時間で帰って来れるかしら・・・?

いってきまーす!

湯前神社

別館と本館の間には湯前神社があります。

神社の前には飲む温泉が!もちろん飲みたいっ。でもめちゃくちゃあっつい!大袈裟じゃなくあっつい!!手ですくってもふーふーして冷めるのを待てないくらいの熱湯っぷり・・・。頑張ってちょっぴり飲んで味を確かめたけど、普通に飲みやすいお味でした。大大大昔の大学生の頃にチェコのカルロヴィ・ヴァリで飲んだ温泉はもっと不味かった・・・気がする・・・(遠い記憶)

温泉街をすたすたと進みます。

酒屋さんや和菓子屋さんもあって寄り道したいけど・・・わたしには行きたいところがあるのだ!

いい看板

橋を渡り・・・

川をのぞむ

10分ほど歩くと・・・

かわいいほっかむりおばあちゃま

亀割子安観音

たどり着いたのは亀割子安観音(かめわりこやすかんのん)。

いらっしゃった・・・!!!

しめじかな?

うむ、予は満足である・・・!!!

大事なミッションを終えたので、ぷらっとしつつ早々に旅館へと戻りましょう。

行きの時も渡った橋を歩いていると、さっきは気づかなかった真っ赤な鳥居が目に入りました。

橋の先には真っ赤な鳥居と素敵な蔵も

どうやら鳥居の先には、自然林に近い「三吉山自然植物園」が広がっていたようですが、この雪の状態ではどう登ってよいのやらちっともわからず・・・。

すぐそばに誰にも汚されていないまっさらな雪が積もっていたので、ずぼずぼと踏みしめる遊びを存分に楽しんでからUターン!!

もっと!雪をたのしみたいんだ!!

再び喜至楼が見えてきました。温泉が・・・わたしを呼んでいる・・・・・。

ただいま、喜至楼

ついにその時が来たようです。

【使用カメラ】digital:SONY α7III + NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE3、film:Konica AUTOREX + HEXANON AR57mm F1.4

02.冬の山形ひとり旅2024へとつづく▼▼▼

④キリシタンを巡る旅2023・鹿児島【番外編】

舞台は鹿児島から福岡へと移ります。2023年の5月、鹿児島県内のザビエルゆかりの地を巡ってから早いもので約6ヶ月。鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂の展示で、2代目の教会が福岡県宗像市に移設されていると知り、先日ついに訪問してきました・・・!

CONTENTS

JR赤間駅

福岡市内から公共の交通機関を使って教会のある場所に行くには、JRからバスに乗り換えなければなりません。まずは最寄駅の赤間駅で下車。改札を出ると美味しそうなうどん屋さんの暖簾が目に入りました。

「かしわめし東筑軒」。うどんやさんかと思ったら、元々大正時代の駅弁から始まった弁当屋さんのようです。暖簾に書かれているように折尾名物の「かしわめし」が有名で、その駅弁はわたしも聞いたことありました!

教会に行った帰りに時間があったらここで食べよう。そう心に決めてバス停に向かおうとしたら、東筑軒の真向かいの壁面に今から行こうとしている教会についての展示があるではありませんか・・・!!

教会が建設されてから解体、移築、現在にいたるまでの流れが紹介されていています

ザビエル渡航400年を記念して、終戦のわずか4年後の1949(昭和24)年に建てられた2代目の木造教会。献堂式(新しく教会を建てた時に行う儀式)には「ザビエルの聖腕」と共に欧米から100人を越える巡礼団が参列したそうです。

鹿児島大空襲で壁面のみ残された石造り初代教会と、2代目の木造教会が一緒に並んで建っている興味深い写真もありました。

赤間駅の展示より

2代目は現在のコンクリートの聖堂に建て替えられるにあたり、1998(平成10)年に解体。福岡県宗像市の「福岡黙想の家」の敷地内に移築されることになり、2013(平成25)年に竣工します。その後、所有者である御受難修道会・宗像修道院は撤退。2022(令和4)年からはNPO法人宗像の歴史と文化を守る会が引き継ぎ、今後は宗教施設ではなく市民のための「ザビエル記念ホール」として運用されていくようです。

教会の歴史を学んだところで、早速バスに乗ってザビエル記念ホールへと向かいましょう。

JR赤間駅

2代目・ザビエル教会(ザビエル記念ホール)

最寄りのバス停で下車し1、2分ほど歩くと、葉の落ちた枝の隙間から赤い屋根と十字架のついた尖塔が顔を出しました。

御受難修道会が撤退した現在でも、看板はそのまま残されています。というか、実は宗教施設ではなくなっているということを訪れて初めて知りました・・・。

そのまま残された看板

こんな施設があったんだね

中に足を踏み入れると、ルルドの泉等の宗教施設と思われる道には、どうやら立ち入りできなそうな雰囲気・・・。滞在中にトラックが入っていったり、作業をしている音が遠くから聞こえてきたので、何かしら整備を進めているところなのでしょうか?

外観

そーんなわけで、教会に一点集中!!!まずは外観から見学スタートです。

季節はずれのたんぽぽが咲いていた

こちらの教会は、正面のお顔がとても美しいと感じました。

尖塔と窓、柱の装飾が美しく、花のような模様もかわいらしい

内部

玄関正面の上部に取り付けられた十字架には、モザイクの細かい装飾がほどこされていてとても気になりました。

いつどこで作られた十字架なのだろう?もっと近くで見たい

早速聖堂内に入ってみます。

尖塔アーチの天井

柱や梁の装飾も印象的。蝋燭立ての上部には十字架のマークも

艶やかな飴色の木造の椅子も鹿児島時代のものなのでしょうか

向かって左の奥には大きなザビエルの絵、右奥には小さなマリア像が置かれていました。

背後に浮かぶのは噴火した桜島?手には十字架と世界地図を持ち、情熱的な眼差しで遠くを見つめています

マリア像

そして正面の祭壇上部にもザビエルさんのお姿が。

ザビエルさん

正面の絵には見覚えがありますね。前回のブログで登場した絵と同じ構図です。横長の大きな2枚の絵は、天井のアーチにカパッとハマるように展示されていたんだろうなぁ。今更だけど、移築ってすごよな。建築ってすごいな。鹿児島にあった建物が福岡に建ってるんだもんな・・・などと、唐突に実感。

2代目教会の正面上部に飾られていた絵と、おそらく右側に飾られていたであろうマリア様の絵(鹿児島市内のザビエル教会の展示にて)

同じく左側に飾られていたであろうザビエルの絵(鹿児島市内のザビエル教会の展示にて)

後ろを振り返ると、美しい窓から柔らかな光が聖堂内を優しく照らしています。

美しい光

花の形にくり抜かれた曇りガラスを覗き込むと、門の周辺に刻まれた美しい模様が目の前に現れました。

石造りの初代教会を彷彿とさせます

残念ながら、2階には登ることができませんでした。

上から眺めてみたかったなぁ

十字架の道行き

こちらの教会の壁面にも、もちろん十字架の道行きがずらっと飾られています

これらの絵が額縁含めてとっっっても素敵だった!当時こちらの教会で使われていたものなのでしょうか。現在の鹿児島の教会に飾られているのは新しい絵と額縁でしたが、やはり時代を感じさせるものに心惹かれてしまいます。

磔のキリスト

聖堂内を出ると、入った時には目を向けていなかった玄関隣の空間に気付きました。奥へと足を踏み入れると磔のキリスト像とマリア様のお姿が・・・。

移築に関する展示もありました

生々しすぎて、痛い・・・痛いよ

机の上に置かれていた木彫りの熊にほっこり・・・癒されます。

さて、教会を出ようとすると・・・

教会に似つかわしくないこの靴べらは一体・・・!(ほしい)

最後まで楽しませてくれる教会でした。

折尾名物かしわ飯

おたのしみにしていたJR赤間駅内の東筑軒のおうどん。時間がなくて、食べることができず・・・。

立ち食いしたかった・・・

悔しいので博多駅でも購入できる駅弁を買ってやったぞ・・・!!!

自宅で美味しくいただきました

最後に

鹿児島の伊集院から始まった鹿児島のキリシタンを巡る旅は、キリスト教を初めて日本に伝えたザビエルの痕跡を巡る旅でもありました。昔から教科書などで触れていて当たり前すぎたザビエルの存在を、初めて生身の人間として認識したような気がします。

12月3日の今日はザビエルの命日。この日にキリシタンに関するブログを書き終えることができて本当によかったです。鹿児島編はこれで一旦終わりですが、キリシタンを巡る旅はまだまだ続きます。さて、来年はどこに行こうかな?

【参考文献・サイト】

鹿児島カトリック・ザビエル教会旧聖堂 - 建築ノスタルジア

ザビエル教会・聖堂について | 鹿児島カテドラル・ザビエル教会

【使用カメラ】digital:SONY α7III lens:NOKTON classic 35mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4 、iPhone SE2

③キリシタンを巡る旅2023・ 鹿児島【ザビエル教会編】

鹿児島市内にはザビエル上陸450年を記念して1999年に新築された鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂があります。実はこの教会は3代目。この度、初代から3代目までの教会をすべて巡ってきました・・・!!

CONTENST

初代・ザビエル滞鹿記念碑(ザビエル公園)

まず最初に訪れたのが、ザビエル滞鹿記念碑のあるザビエル公園です。

こちらの記念碑が初代ザビエル教会・・・の一部。1908(明治41)年に、ラゲ神父によって石造りの聖堂が作られました。そう、福昌寺に散在していた浦上のキリシタンたちのお墓を1箇所に集めて記念墓碑を造ったあのラゲ神父です。

ザビエル教会の展示より

うぅ、めちゃくちゃ素敵な教会だったのですね・・・。初代ザビエル教会は1945(昭和20)年の鹿児島大空襲によって外壁の一部を残し消失。その残された外壁を組み合わせて1961(昭和36)年にザビエル滞鹿記念碑は造られました。当時の写真を見ると、聖堂の上の部分と下の門の部分を組み合わせて作られたことがわかります。

真ん中奥にいらっしゃるのはザビエルさんの胸像

ところで、よーーーく見てください。ザビエルさんの名前・・・。

ザビエ・・・!??

現地ではまったく気づかなかったけど「ザビエル」が「ザビエ」になってる!「ル」は?「ル」はいったいいずこ・・・!??これは聖堂を作ったラゲ神父が間違った・・・わけではもちろんなく、どうやらザビエルのフランス語読みに関係しているようです。

詳しくは以下ブログをお読みください(めちゃくちゃ詳しく調べてらっしゃる・・・。コメント欄もぜひ読んでみて)。

コマった記録:ザビエル滞麑記念碑の謎

細部もとても美しい

記念碑の隣には、ザビエルとザビエルを鹿児島に案内したアンジロー(ヤジロウ)と、ヨーロッパの土を踏んだ最初の日本人であるベルナルド(洗礼名)の石像もありました。

ザビエル公園に残る初代ザビエル教会。出来ることなら完全な姿で出会いたかったけれど、当時の教会の面影を少しでも感じることができてよかったです。

3代目・鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂

戦後に建てられた2代目の話はもう少し後にすることにして、お次は3代目をご案内。ザビエル公園前の道路を挟んだ真向かいに現在の鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂が建っています。一見教会とわかからない外観をしていますが、教会前にはザビエルさんの像と、天にそそり立つ鐘楼の頂点には十字架が掲げられています。

ザビエルさん

鐘楼

ザビエルと蟹

その鐘は「ザビエルの鐘」といわれ、鐘の背面には十字架を掲げるカニの姿が刻まれているそうです(み、見たい・・・)。なぜ蟹なのかというと、ザビエルには蟹にまつわる逸話がいくつか残されていて、海に落とした十字架を届けてくれたとか、船に開いた穴を甲羅で塞いで助けてくれたとか(蟹は絶命)。その逸話の残る地域では、現在でもザビエル蟹と呼ばれる蟹が水揚げされていて、その甲羅には十字架の模様が浮き出ているそうです。

フランシスコ・ザビエル肖像

最近ザビエルの肖像画を改めて見る機会があったのですが、その蟹の逸話を知った今では手の形がもう蟹にしか見・え・な・い・・・・・(実際は祈りのポーズらしいです)。

黎明館のレプリカ展示より(神戸市立博物館蔵)

教科書などで昔から見慣れていたザビエルの肖像画。今まで漠然と見ていたけれど、改めてまじまじと見てみると下部には漢字のような文字も書かれています。西洋人が描いたものと思い込んでいたけれど、西洋の技法を学んだ日本人絵師によって江戸時代初期の日本で描かれたと思われるとのことでした。狩野派を示す落款の壷印とペトロを示す「漁夫」の署名から狩野派の絵師ペトロ狩野(狩野源助)とする説がありますが確証はないそうです。

この肖像画が見つかったのも比較的最近のことで、禁教が解かれた後も隠され、キリシタン大名の高山右近の旧領であった現在の大阪府茨木市千提寺(地域名)の民家で大正時代に発見されたものらしい。梁にくくりつけられていた「開けずの櫃」と呼ばれる箱に、ザビエルの肖像画をはじめとするキリシタン遺物が入っていて、その民家では他人にその存在を明かすことのみならず、箱を開けることすらもタブーとされていたとか・・・(ドキドキが止まらない)。

こんな裏話があっただなんてまったく知らなかったよ!現在は神戸市立博物館が所蔵。保存の観点から通常はレプリカを展示しており、年に一回実物の展示が行われているそうです。厳しいキリシタン弾圧をかい潜って生き抜いてきたザビエルの肖像画の実物をいつか見てみたい・・・!!大阪にも高山右近の痕跡をたどりにゆきたいな・・・。

は!ちょっと脱線してしまいました。

2F

話は戻りまして、まず主聖堂のある2階へと足を運んでみることにしましょう。

赤と青の空間・・・!!!

う、美しいーーーーー!!!

自然と精神世界に潜っていけるような神秘的な空間が広がっていました。

途中日本人の団体ツアー客が入ってきたので、後でまたゆっくり見学しようと1階を見学してから再び2階に戻ると今度は3人組の女性が入ってきました。どうやら信者の方で「知りたいことはなんでも聞いて!」と言ってもらえて、色々とお話を伺うことができました。

天井の切妻屋根の形状はザビエルが渡航してきた船をイメージして作られているそうです。

天井

12角形の柱は12使徒を表しているとのこと。言われなかったらまったく気づかなかったよ・・・!

十二使徒の一人であるヨハネ(lohannes)の名が

また、印象的な赤と青のステンドグラスは、殉教者の血とザビエルの情熱(赤)と、祈り・静寂・海(青)を表しているそうです。

なるほどなぁと思うことばかり。他にも色々な意味が隠されていそうで気になります。

ザビエルの聖遺物

そして、このザビエル教会には、特別なものが安置されています・・・。

美しい細工が施されたこちらは一体・・・?

なんと、こちらにはザビエルさんの聖遺物・・・つまり、骨の一部が収められています。

一番真ん中の・・・なのかな?美しく装飾されています

カトリックでは、キリストや聖人の遺骸や遺品は聖遺物と呼ばれ、信仰の対象になっていて、キリシタン弾圧によって日本で殉教したキリシタンたちの遺体にも信者たちが群がったといいます。

日本二十六聖人の聖遺物についての記事はこちら▼▼▼

長崎カメラさんぽ2023②【日本二十六聖人編】 - 彷徨する旅のアーカイブ

ザビエルは日本の布教後、中国への布教を目指すも、志なかばで広東省の上川島で病死。一旦は上川島で埋葬されるのですが、マラッカを経てインドのゴアへ運搬することになります。墓を掘り起こしてみると、なんと高温多湿という条件の悪い条件にも関わらずミイラ化していたというのです・・・!!(聖人伝説ではよくあることらしいぞ)現在、ザビエルの遺体はゴアの教会でミイラ化した状態のまま聖遺物として保管されています。

台座の天使かわいい・・・(ザビエル教会1F展示より)

そしてこちらはザビエル教会に実物がきたことがあるというザビエルの右腕。

収められている箱が美しくてかわいいね(ザビエル教会1F展示より)

日本には他にもいくつかザビエルの聖遺物を保管している場所があるようで、以下ブログにわかりやすくまとめられていましたので興味のある方はご覧くださいませ。

十字架の道行(みちゆき)

色々とお話しを伺っていると、このようなお誘いを受けました。

「これから十字架の道行をやるので一緒にやりませんか?」

十字架の道行・・・???生まれて初めて聞く言葉。わたしのために短縮してやってくれるようで、ぜひにと参加させてもらうことにしました。

では、「十字架の道行」についてWikipediaから抜粋させていただきますね!

カトリック教会で行われる儀式で、中世末期から行われてきた。キリストに倣う一形態ともいえる。イエス・キリストの受難の捕縛から受難を経て復活まで15の場面を、個々の場所や出来事を心に留めて祈りを奉げる。聖地巡礼ではそれぞれの場所で祈祷を行う。これを模すためにカトリック教会の聖堂では壁に捕縛から埋葬まで14場面の聖画像が掲げてある。最後の15番目の場面の復活は祭壇側に向かって祈る。

十字架の道行き - Wikipedia

聖堂内の壁面には小さな額の絵がぐるっと一面に飾られています。これらの絵はイエス・キリストが捕縛され、十字架に架けられ殉教するまでの様子が描かれていたのですね。

日本画家がこの聖堂のために描いて寄贈されたオリジナル作品とのこと

思い起こせば、今まで訪れた教会にもありました・・・!!!

津和野カトリック教会、島根県津和野町(2019年訪問)

カトリック弘前教会、青森県弘前市(2022年訪問)

どちらも大好きな教会。これらは十字架の道行の儀式をするためのものだったのか〜。まったく知りませんでした。津和野旅についてはまとめたいと思ってはいるのですがまだ書けていませんね。いつか、かならず・・・。

まず十字の切り方を教わり(あのよくみるやつ!教えてもらえて嬉しかった。もう忘れちゃったけどな!!)、絵の前で一緒に十字をきって、祈りの言葉を唱えます。

磔のキリスト
祈りの言葉

それぞれの絵の前で「今はこういう気持ちで祈っていた」などと説明してもらいながら、最後に正面の祭壇前で祈って十字架の道行(短縮バージョン)を終えました。

貴重な体験ができてとても嬉しかったです・・・!

1F

展示室

2Fの聖堂から1Fの展示室へと移動します。ザビエルやザビエル教会に関する資料等が展示されていて、ここでも色々と説明していただけました。感謝しかありません・・・。

先ほど紹介した空襲で外壁のみを残し失われた初代教会の破壊される前の写真だけでなく、なんと比較的最近見つかったという貴重な内部写真も展示されていました。

ザビエル教会の展示より

す、すすす素敵すぎるーーーーー!!!

結婚式の写真ですよ・・・。着物好き&和洋折衷大好物の自分にとったら何度でもごはんが食べれるくらい美味な写真・・・。和装にベールがたまりませんね・・・。

残念なことに説明の書かれたキャプションをちゃんと撮り忘れたので正確なことはわからないのですが(ばかばかばか)、1945年の空襲で初代教会は外壁を残して失われてしまうので、それ以前の写真ということですね(大正〜昭和初期くらいかなぁ)。子供の制服みたいな格好もかわゆい!!!

床に目を向けると、わたしの大好きな昔の畳のある教会。神父さまから祝福を受けるために真ん中に一列に並ぶから、両側が畳で真ん中が床であるということを教えてもらいました。そうか、そういう理由だったのか・・・。今までそこまで深く考えたことなかったなぁ。何事も理由があるのだよね。教えられる前に気づける自分になりたいものです。

他にも、ラゲ神父の翻訳した聖書等も展示されていました。

貴重な資料の展示
踏絵

そして一番驚いたのが・・・踏絵!!!

ほ、ホンモノ・・・!!?

本物なのよね・・・!??島津家の倉庫に保管されていたものとのこと。レプリカではみたことあったのですが、実物を見るのはたぶん初めて・・・???

解説

実際に使用されたものなのかはわかりませんが、貴重なものを見ることができてよかったです。 

2代目・ザビエル教会

2代目のザビエル教会の写真と、模型も展示されていました。

模型

な、なんですって・・・!??

え?

なんと、2代目のザビエル教会がわたしの住む福岡県に移築されているというではありませんか・・・!!!びっくりしてしまいました・・・。これは見にゆかねばなりませぬ。

模型だけではなく、2代目教会の祭壇中央と左右に掲げられていたという絵の実物も展示されていました。

ザビエルとマリアさまの絵かな

小規模ながら自分の中ではとても見応えのある展示でした。また帰省した際に訪れたいです。

小聖堂

1階には小聖堂も備え付けられています。牧歌的で素朴な印象でとても落ち着く小さな空間でした。

鳩かわゆい

2023年5月はこのような状況でした

聖櫃(せいひつ)扉にはご聖体が保管されていて、入ってる時は赤ランプがついているそうです(大聖堂にもあったような・・・毎度おなじみ残念な記憶力・・・)。

聖櫃扉。イエスが5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人々を養った話から伝統的に聖体の秘跡のシンボルとされているそうです

ご聖体が何なのかは信者じゃないと教えてもらえないとのこと。またもやWikipediaから拝借しますが、「ミサや聖体礼儀で拝領、礼拝するために聖別されたパンを指す。イエス・キリストの体の実体として信じられている」そうです(映画の1シーンとかで見知っているような)。

ミサはキリストの「最後の晩餐」の再現。

『最後の晩餐』レオナルド・ダ・ヴィンチ作(Wikipediaより)

信者じゃなくてもミサに参加可能で、ご聖体をいただけるのは信者だけだけど、頭を垂れると司祭が祝福してくれるとのことでした。ちょっと体験してみたいな・・・。

小聖堂内には小さな四角いスペースがあって、何かと思ったら告解室でした。

告解室。罪を告白する格子のついた小さな窓があります

個別の「ゆるしの秘跡」の方法が書かれていました

告白すべき罪はたくさんありますが、胸の中に秘めてそっと立ち去ることとします・・・。親切に案内してくださった信者の方々ありがとうございました!!!

最後に

信者のひとりがおっしゃっていた「死を恐れない。復活するから」という言葉が印象的でした。実際にキリスト教徒の方から話を伺うことで、禁教化の日本で厳しい弾圧を受けながら殉教していったキリシタンの気持ちがほんの少しだけ理解できたような気がします。

そしてまさか自分が「十字架の道行」という儀式を体験することになるなんて思ってもみませんでした。グイグイイケイケの女性と、冷静な女性、控えめで可愛らしい女性・・・と、個性のまったく違う3人組でとても面白かったなぁ(漫画に描けそうな感じ)。神のお導きっていうのはこういうことを言うのかもしれませんね。偶然の出会いに感謝です。

キリシタン弾圧の歴史にどっぷりの中でのこの出会いだったので「え?もしかしてわたしキリスト教徒になっちゃうの・・・??」と、ぶるぶる震えちゃいましたが、わたしはなりませんなれません(精神世界については知りたいけど)。これからも欲にまみれたまま突き進んでいきたいと思います・・・!!!

さて、これで最終回と思いきやお次は番外編。福岡に移設されたという2代目のザビエル教会へと行ってきます!もう少しお付き合いくださいませ・・・。

ザビエルの旅路の様子が描かれた鹿児島中央駅近くのアーケード商店街

【参考文献・サイト】

『概説 キリシタン史』浅見雅一(慶応義塾大学出版会)

ザビエル教会・聖堂について | 鹿児島カテドラル・ザビエル教会

フランシスコ・ザビエル肖像 - Wikipedia

聖フランシスコ・ザビエル像 - 神戸市立博物館

茨木・千提寺 隠れキリシタンと「ザビエル像」の発見 | 落人の夜話

フランシスコ・ザビエルの右腕

あの歴史上の人物とカニの意外な関係 | 北国からの贈り物 蟹ブログ

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

④キリシタンを巡る旅2023・ 鹿児島【番外編】へとつづく▼▼▼

温泉地で異彩を放つ宇宙基地「なのはな館」

すっかり初夏の陽気の2023年のある日、鹿児島の実家に帰省することに。そのついでにずっと行きたいと願っていた場所がありました。

CONTENTS

摩訶不思議建築

わたしは伝統を感じさせる日本の木造建築が大好きなのですが、それとはまったく逆をいくような不思議建築も大好物!(なんてカテゴライズされているのかちっともわからない)これまでのブログでもいつくか紹介してきましたね。

■海のピラミッド(熊本県宇城市)

■玉名展望館(熊本県玉名市)

■内住コミュニティセンター(福岡県飯塚市)

未来を夢みて作ったような雰囲気。レトロフューチャーというのかな?無機質な素材なのにどこか有機的で生命を感じさせるフォルム。建築家の主張が強すぎる個性まるだしの建物。使い勝手はとても悪そう・・・。

建築に限らず人でもなんでもそんな強烈な個性を放つ唯一無二のものに惹かれてしまうのは、これはもうわたしの性癖と言ってもいいかもしれません。

さて、そんな建築を求めて今回訪れたのは、温泉地として有名な鹿児島県指宿市。先述した玉名展望館と同じ建築家髙﨑正治さんの手による「なのはな館」です。

指宿へ

鹿児島中央駅から在来線に乗り換えて、車窓から海を眺めながらのんびり指宿へと向かいます。

とても美しい青

どうやら指宿駅からバスが出ているようですが、わたしは無駄に歩きたい人間なので、指宿駅のひとつ前の駅の二月田駅で下車。ここから歩いて向かうことにします。

見上げると青空にいくつものひこうき雲が・・・。

濃く深い青に白いラインが清々しい

そしてその先に・・・

目を凝らすと・・・

な、なんだあれは・・・!!!

まるで宇宙基地?もしくは中世ヨーロッパの甲冑のような??

摩訶不思議建物が初夏の熱い日差しを受けて、ギラギラとメタリックな輝きを放っていました。目の前に突如現れた異様な光景ににテンションが上がります。

いますぐ飛んでいきたいけれど、どうやらまだ先は長そうだ・・・。

鯉のぼりがのぼる季節でした

もちろん途中で腹ごしらえも忘れずに・・・

「りとるcafe」さんのオレオチーズ美味しかった!

胃袋を満たし、いざ「なのはな館」へ!!!

ふれあいプラザなのはな館

ワクワクしながら広大な敷地内へと足を踏み入れます。

か、かっこいいーーーーーー!!!

「なのはな館」は1998年竣工の複合施設。すでに25年もの年月が経過しており、当初は教育・文化施設、健康増進施設(なんかすごいネーミングだな)、宿泊施設、体育施設、野外劇場、ランドスケープなどがあったようですが、そのいくつかはすでに閉鎖され、現在使用できるのは一部のようです。うーん、こんな立派な施設なのに・・・悲しい現実。

トイレ案内の看板に全体像がありました。今では地面は芝生で青々としています

いよいよ探検スタートです!

と!げ!と!げ!!!

さっそくモンスターっぽいトゲトゲ建築が現れました。この四阿のような建物は、長い回廊とつながっています。

繰り返される曲線の美

回廊の途中では、可愛らしいブラシノキが赤い花を咲かせていました。

ほんとにブラシみたい

光がとても綺麗でうっとり・・・。

光と影

そして回廊の途中で再び現れる不思議空間!!!

何かと交信できそうだ

回廊を行き止まりまで進むと、今では使えなくなったトイレがありました。

トイレの天井を見上げると幾何学的な模様と幻想的な青い光

引き返して体育館と多目的広場の建物が並ぶ場所へ向かいます。

左が多目的広場、右が体育館

多目的広場の中を覗くと・・・

恐竜の背骨のようだ

一直線に同じ方向へとぞろぞろ歩くお爺さまたちの姿が見えました。おそらくゲートボールをしにきたと思われます。

未来的な建物とゲートボールのスティックを手にしたお爺さんとのミスマッチ感がたまらない

まるでロケットのような建物の方へと吸い込まれていく姿をぼんやり眺めていると、突然頭の中に映画「アルマゲドン」のエアロ・スミスのBGMが流れてきました。

『アルマゲドン』⁡テーマ曲 - YouTube

戦いに挑みにいく凛々しき後ろ姿

わたしたちを助けるために宇宙船へと乗り込むブルース・ウィリスの姿と完全に重なります・・・!!!そんな妄想が頭の中を駆け巡り可笑しくて思わずニヤニヤ・・・。どんどん楽しくなってきました。

一番の目玉ともいえるロケットはメインディッシュにとっておくとして、横の体育館へと目を向けます。

うねうね波打つ造形がおもしろい!子供たちが使用していたので中の撮影は遠慮しました

絵になる空間が多すぎる・・・。ちっとも前に進めません。

濃い影

そして施設内の目玉のひとつともいえる空間が現れました。

迫力満点!なのに・・・

カメラに全然入りきらなくて、この迫力がちっとも伝わりません・・・(超広角レンズじゃないと無理!)。
天井に無数に開いた穴からこぼれる自然のスポットライトが、地面に水玉模様を描いていました。

まるで星空

健康増進施設

横に視線を向けると「健康増進施設」の文字が目に入りました。気になりすぎる・・・。

つまりは「浴場・プール」のようです

壁沿いを進むと裏へと周れそうな隙間があります。もちろん・・・行くっきゃないよね!!

隙間があれば進んでしまう。そう、それがわたしの習性

道を抜けると、まるで忘れ去られた古代の神殿、もしくは滅びた近未来の文明(変な言葉だけどニュアンスを感じ取ってほしい)・・・といったような雰囲気の空間が広がっており、わたしの琴線にビシバシ触れてきます・・・。

ここにもブラシの木が

なんだろう・・・?と思って近づくと

ゆらゆらと人の幻影

中を覗くと・・・キュン!!!

ここに寝転びたい

使われなくなって相当の年月が経っていると思われます。鼻血が出そうなくらい魅力的な建物なのに、実際にこの地に住んでる人たちにはあまり伝わっていないのかもしれませんね・・・。このまま朽ち果ててしまうのかと思うと残念でなりません。

本館内部へと潜入

忘れ去られた施設を後にして、本館内部へと潜入捜査(開いているから自由に入れる)。入口はいくつかありそうだけど、わたしは階段を登った先の扉から入りました。

古代の日時計?オベリスクーーーー!??
って感じで何気にこの柱にもときめいた

内部もとってもおもしろい!リズミカルに浮き出したフォントも可愛いです。

まんまる窓からの風景

和風っぽい扉もありました。

中もみてみたい

先ほどゲートボールのお爺さまたちが向かっていたロケットのような建物は中央ホール。中には入れませんでしたが扉から覗くことができました。

入ってみたいよ〜

禁止とは書かれていなかったので、窓からこっそり外に出てみることに・・・。

本館の真向かいにある野外ステージ

1階には人の気配がしてドキドキしたので、2階だけの見学にとどめて外に出ることにします(人見知りだから・・・)。

こんなに近くにロケットが!ドングリみたいで可愛い

先ほど歩いた回廊の反対側にも同じような回廊があり、その先にもトイレがありました。市の施設配置図によるとそれぞれ「海の園亭」、「太陽の園亭」とちゃんと名前がついているようです。細かいコンセプト聞いてみたいよ〜。どこかに資料が落ちてないかしら・・・。

そうか。太陽だから、天井からこぼれる光はオレンジ色なのね。先に見たトイレは海の青でした

では、最後にメインディッシュを遠くからじっくり眺めることといたしましょう。

180度なめまわす

グラウンドでは先ほどロケットに飛び乗り出発するかと思われたお爺さまたちがゲートボールを楽しんでおりました。平和だ〜。

ロケット前で休憩中

ロケット向こうに顔を出している屋根は、先ほど通り抜けた自然のスポットライトの場所。遠くから見る姿はまるでメカニック王蟲!!!(ナウシカは全人類の共通言語)

赤と青どっちに光りますか

「なのはな館」めちゃくちゃ楽しかったです!!!

まだまだいようと思えばいれたけど(むしろいたかったけど)、電車の時間が迫っていたのでさよならすることに・・・。

またいつかじっくりと

名残惜しく思いながら、今度はてくてく指宿駅へと歩いて向かいます。

途中で見かけた建造物もツボった!これは貯水塔・・・?

指宿駅に無事到着。本当は温泉に入ってゆっくりしたかったよー。

今度はゆっくり泊まりたいな

最後に

玉名展望館を見た時も思ったけれど、髙﨑正治さんの建物は目に見えない何かと交信するためのような不思議空間があちこちにあって面白い!「なのはな館」もいるだけでイマジネーションが次々にわいてくるとっても刺激的で素晴らしい建物でした。夜の明かりのともった姿も見てみたいなぁー。髙﨑さんのサイトにいくつか写真が載っていたので以下にリンクを貼っておきます。写真自体もめちゃカッコいいからぜひ見てみて!

なのはな館(全部で3ページあるから見逃さないように!他の建築も載っているので興味のある方はぜひ)

指宿に行った際には温泉だけじゃなくてぜひ「なのはな館」も見てほしいな。どこをとっても絵になるから撮影スポットとしてもオススメです。建物自体が古く、活用されていない建物も多いので今後の行く末がとても不安・・・。末長く活用されていくことを切に願います!!

さて、最近は郷土芸能や祭礼、伝統行事などに興味が行きがちですが、今でももちろん建築を見るのが大好き!これからも九州の摩訶不思議建築をはじめ、全国の魅力的な建築をいろいろ巡っていきたいと思います。

※めずらしく今回は1話完結です・・・!!!

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2