彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

【03】鹿児島GW帰省旅2024・桜島大正大噴火編

今回の旅は故郷鹿児島の象徴ともいえる火山、“桜島”のことを知りたくて始まった旅。今日も今日とて窓から桜島を眺めながらバスにゆられて進みます。

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桜島大正大噴火とは

桜島は約26,000年前の誕生以来、17回の“大噴火”を繰り返してきたそうです。一番近い時代の大噴火は大正3(1914)年1月12日午前10時過ぎから始まった大正大噴火噴火が収束するまで1年数ヶ月もかかったといいます。

垂水市牛根麓地区から撮影された大正大噴火時の桜島(解説板より)

最初、私は前触れもなく突然噴火が起きて人々が逃げ惑ったのかと思っていたのですが、大正大噴火の起きる前年から南九州では地震や噴火、地盤の隆起などの異変が起こっていたそうです。1、2ヶ月前からは井戸水の水位の変化等、数日前からは地震も頻発し、噴火2時間前には桜島の一部から白煙が上昇。これらの異変に不安を感じた島民は、現在の鹿児島地方気象台である測候所に問い合わせますが、「避難の必要はない」との返答。各集落で自主的に避難を始めたものの、測候所の言葉を信じて残った者は噴火後の避難となり、島民の人的被害は30名にのぼることに・・・。うち20名は噴火による直接的な被害ではなく、溺死で亡くなったといいます。避難するための船が足りず、地震や激しい降灰の中でパニックになり、避難しようと1月の極寒の海に飛び込み溺死した人も多かったようです ・・・。つらい。

昨日海潟の海岸から見た桜島。大正大噴火時はもちろん海潟にも被害がおよびました。桜島から海潟を経由して垂水方面に避難する人たちも多かったようです

大正大噴火により桜島の5つの集落は溶岩に埋め尽くされ、そのほかの集落の多くは火山灰に埋没、あるいは火砕流で消失。噴火開始から約8時間後の午後6時半には、桜島と鹿児島市間の錦江湾を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生し、桜島以外の地域もあわせると噴火による死傷者は171名にのぼりました。新年が始まったばかりで正月気分もまだ完全に抜け切っていない人々の身に容赦なく襲いかかる自然災害。今年の元旦に起きた能登半島地震をいやおうなく思い出してしまいますね・・・。

鹿児島市内にも裏側に大正大噴火の様子が記された「桜島爆発記念碑」があります(2022年撮影)

地震を予知するのは難しいけれど、噴火には予兆があるということを知れたのは良かった。あと、他人の言うことを鵜呑みにせず、自分自身でもちゃんと考えて判断し、行動することがいかに大事かということも痛感。自然災害に限らず、人災や、日常生活においての些細なことでも通じることだよなぁ・・・。そんなことを今回噴火について調べていて感じました。常にぼんやりしがちなので、自分の「あたま」でちゃんと考えるようにしたいね・・・。あ、脱線しました ・・・。戻ります。

牛根麓稲荷神社の埋没鳥居

まず最初に向かったのは、この大正大噴火によって埋まってしまった「埋没鳥居」。「埋没鳥居」というと桜島内にあるものが有名なのですが、実は大正大噴火によって埋没したもうひとつの鳥居が大隅半島の垂水市にひっそりと存在しているのです。

バスを降りて鮮やかな赤い花に導かれながら奥へと進んでいきます。

数軒の民家を抜けて、鬱蒼とした森に囲まれた場所に辿り着きました。

ずいぶん前に遊歩道として整備され、そのまま放置されたかのような寂しい階段を登ってきます。

地面から少しだけ顔をだした鳥居が目の前に現れました。

真ん中はまるで最初からそうだったかのように、端正な形でスライドしています

牛根神社帳によると、「鳥居石高一丈一尺五寸」(約3.7m)あるらしい。大正大噴火の降灰によって埋没し、現在は約1.45mまで掘り出した鳥居が現存するのみ。ここら辺一体は灰に沈んでしまったのですね・・・。

さらに階段を登っていくと小さな祠がありました。お参りは大事です。

一瞬曇り空に光が差してとても綺麗でした

埋没鳥居より少し手前には、桜島を遠望できる空間もありました。

ては、これからあそこへ・・・

歩いて向かいますぞ!!!

こっから「ピョーン!」て飛んでいけないかな?

歩いて桜島に行こうとしたことを後悔するの巻

さっきまでいたちょっとした森から里に降り立ち、桜島を目指して歩き始めます。Googleマップで時間を確認すると「約2時間」。いけるっしょ!やれるっしょ!!自分を鼓舞しながら歩きます。

桜島へ近づいていることを実感させる電光掲示板にも胸ときめきです。

森の上からも見えていた白い牛根大橋を渡っていきます。見渡すと海にぽつりぽつりと浮かぶ小さな船と、味わい深い建物と煙突の印象的な景色が広がっていました。

不思議な魅力

こっから鹿児島市に突入です・・・!!!

噴火によって地形が変わった「桜島口」

橋を渡ると、道路の端にゴツゴツとした岩が並べられている不思議な光景が見えてきました。

ちょっと異様な光景

ここ一帯は「桜島口」と呼ばれる場所。

なんと桜島は大正大噴火によって流れ出した溶岩によって大隅半島と繋がった“元”島なのでございます!そう、ここは噴火が起こる前、幅300〜400m、深さ70〜80mの瀬戸海峡だったのです。噴火後の約2週間ほどで溶岩により埋めたてられ、大隅半島と陸続きになったのだといいます。そんな自然の神秘が凝縮した場所に私は今立っているのだ・・・!わなわなぶるぶる・・・(ということを、その場じゃなくて今初めて知りました!!)

溶岩に埋め立てられた直後のこのあたりの写真。右側はゴツゴツとした桜島の溶岩、左側は大隅半島。解説板より

桜島を歩く歩く歩く

ついに桜島に足を踏み入れた!やったーーーー!!!

とはまだまだなりませぬ!目的地はまだまだ着かない、着かないよーーーーー!!!!!

なんで歩こうなんて思ったんだろう・・・

赤と緑の葉っぱが不思議

歩いても歩いても・・・ぜんぜん着かない・・・!!!重い荷物を持ってほぼ何もない道路を歩くのは、根性なしのわたしには1時間が限界だよ・・・。

歩きなので、降ってきても避けられませんよ?

車やロードバイクで走っていく人たちを多く見かけたけど・・・歩いている人は・・・わたしだけでしたね・・・。

あ!なんか見えてきた!!!

桜島火山展望台

とうの昔に潰れてるっぽいね・・・?(でも好きな感じよ)

「桜島火山展望台」というだけあって、桜島のもくもく感がよく見える・・・!!(あ、でももしかしたらもう少し歩いたとこから撮ったかも )

歩いて歩いて歩いて向かった先は・・・

塩屋ヶ元 退避舎・避難港

桜島には噴火の際に避難するシェルターや、避難港があちこちに設置されているのです。建物には「8」の数字が書かれています。

シェルターを通り過ぎると海面に鮮やかな緑を映した港が見えてきます。

この辺りの地区の人は、ここから避難するのね。住民は噴火の際の訓練や、学校では火山島独自の授業があったりするのでしょうか

港で休憩がてら青空ごはんするつもりが、関係者以外立ち入り禁止になっていてがっくし・・・。わいの足はもう限界をとっくに過ぎているんじゃよ・・・。

おじいさんと、古いお墓と、白い猫

仕方ないので桜島での本命だったもうひとつの埋没鳥居へと向かっていると、車で休んでるおじいさんに話しかけられました。みたところ80〜90歳くらい?ちょっと心配になるくらい。

「何しにきたの?」とおじいさん。避難港や埋没鳥居を見にきたことを伝えると、「この辺りはみんな通りすぎていくけど、昭和の噴火の土石流でできてるんだよ」と教えてくれました。

大正大噴火についてはぼんやり知っていたのだけど、昭和の噴火についてはよく知らず、その時はいまいちピンとこなくて何にも質問が思い浮かばず・・・。もしかしたら当時の昭和の噴火を経験している方だったのだろうか?貴重な話を聞けたかもしれないのに・・・!頭の回転が遅いので、こうやって事前に調べないことでチャンスを取りこぼしていくことが多い。嗚呼、もっと会話が上手な人間になりたいな・・・。

白猫さんたちにも会いました

おじいさんと別れて再び埋没鳥居に向かっていると、草がぼーぼーの空間にとても古い墓石が不揃いに並ぶ光景に引き寄せられます。気軽に踏み入れてはいけない雰囲気に息を呑む・・・。敷地の外から眺めるだけに留めたのだけれど、明治、大正の文字が見て取れます。もしかしたらもっと古いものもあったかもしれません。

古い墓石。このあたりも噴火の被害を受けているのだろうなぁ

そこに先ほど出会った1匹の白猫がとことこやってきて、お供えの器に溜まった水を飲んでいる。なんて胸が締め付けられる光景。最後はわたしを睨んでいたよ。キュン!

ふいに訪れる大好きな光景との出会い。やっぱりそんな瞬間にこそ、大好きな写真が撮れるのだ。

黒神埋没鳥居

素敵な空間に出会えたことにドキドキしながら、歩いて数分の埋没鳥居へ。

やっと本命の場所に着いた!着いたぞ!!うぉぉぉーーーーー(喜びのあまり叫ぶ)。腹五社神社内にある黒髪埋没鳥居です。

埋没鳥居の天狗の葉っぱ添え

埋没鳥居横で根を張るアコウの木にも釘付けに。火山で埋没した鳥居と、噴火を生き延びたアコウの木。時の流れと、生命力を強く感じる場所でした。

アコウの木は母校の小学校にも立派なものがたっていたので、私にとっては特別な木

鳥居があるということは、もちろん奥には拝殿があります。ちゃんとお参りしましょうね。

大正大噴火で御神体の一部は燃えたものの、無事であったものについては現在もそのまま祀られているそうです

こちらの埋没鳥居、GWということもあってかめっっっっっっちゃくちゃ観光客が多い!多い!多過ぎて!!なかなかうまいこと写真が撮れず・・・。(垂水市の埋没鳥居では人っこひとり会わなかったのに・・・)ねばって人が少ない瞬間をぱしゃり。

女性が拝んでいた祠の中では松ぼっくりがお供えされていました

昭和噴火〜黒神ビュースポット〜

実は時間との戦い・・・!!帰りのバスの時間が刻一刻と迫っていたのであった。わたしはフェリーに乗って鹿児島市街地へと渡り、そこからさらに電車で数時間揺られて実家へと帰らねばならないのだ。

ゆっくり休む間もなく埋没鳥居からちょっと離れた黒神ビュースポットへと競歩で向かいます。

桜島を歩いていると、噴火の痕跡を感じるようなゴツゴツとした岩や若い木々をあちことで見かけました

やってきたのは避難壕。

暗号のような数字はなんだろう?

この避難壕は上に登れるようになっていて、ここからは昭和噴火によって溶岩が流れた「昭和火口」を眺めることができるビュースポットにもなっています。

実はいまいちよくわからなくて、なんにも写真撮ってませんでしたね・・・。この時いったい何を見てたんだろう・・・。なぞ。

ちなみに噴火している時はこんな景色が見れるそうです(解説板より)

さっき出会ったおじいさんが話していたのはこの昭和噴火のことだったのね。昭和21(1946)年3月に起きた噴火は、爆発の規模はあまり大きくなかったものの、溶岩の流出量は意外に多く、黒神地区は全滅、有村地区はその大半を失ったそうです。今いるのがまさにその場所。あぁ、このことを知った上で、おじいさんにもっと話聞きたかったなぁ・・・。

水色の部分が「昭和噴火」で溶岩に飲み込まれた範囲。他にも文明、安永、大正時代の噴火による溶岩も。噴火の度に地形が変わっていったんだろうな(解説板より)

ちゃんぽんチャレンジ!椿の里

歩いて行ける範囲での噴火の痕跡をまわり、再び埋没鳥居の近くに戻ります。よしよし、ちょっと時間に余裕がある。これならバスに間に合うわ!よかったーーーーー。

ふと、ちゃんぽんの幟に目が止まる。

そして、中から出てきたカップルの会話が耳に入ってきたのである。

「美味しかったねー」

おいしかったねーおいしかったねーおいしかったねーーー(リフレイン )

・・・未だ昼ごはんを食べてらおらず、疲労は最高潮。バスまであと40分しかないけど・・・よし、

レッツ!ちゃんぽんチャレンジだ!!

お店にはいってドキドキしながらちゃんぽんを注文。はやく料理してほしいけどこっちの都合なのでなんにも言わずにただひたすら神に祈る・・・。どうか!間に合ってちょーだい!!!

鹿児島市ではお馴染みの大根のおつけものをポリポリ食べながら祈る

あぁっ、あと10分ほどでバスが出てしまう・・・っ(ハラハラドキドキ)というところでついにちゃんぽん様のご登場・・・!!

え、なんかおもてたんと違う!!(いい意味で )めちゃくちゃ美味しそう!!!

そして!なんと!ありがたいことに!人肌!!!!!熱々だったらもうぜったいにバスに乗るのは無理だったよ・・・っっっ。

これならいける・・・!!!(確信)

ぱくり。う、うまい!!まじでうまい!!!野菜がたっぷりなのも女子的にうれしい。味が沁みた分厚いお肉も最高。超特急でかっこみ約7分ほどで完食!おら頑張った。スープを全部飲めなかったことだけが心残りよ・・・。そして店主とゆっくりお話しできなかったことも。せっかく話しかけてくれたのにーーー。

「バスの時間があって!でもめちゃくちゃほんとに美味しかったです!!」

別れ際に店内に響き渡るように大声で告白して、バス停に猛ダッシュ!!!(今思うとちょっと恥ずかしい )

なんとか間に合ったーーー!!!ちゃんぽんダッシュ、成功です!!!!!賭けだったけど、お店に入ってほんとよかったなぁ。

桜島のほんの一部しか観光できなかったのでまた行きたい

無事バスにも乗れて余裕しゃくしゃくでフェリー乗り場に到着すると、なんと!長蛇の列・・・!!!ご、ごーるでんうぃーく・・・まじか・・・・・。出航時間が過ぎてるのにフェリーに乗り込めなくて超焦った!焦ったけど!!なんとか乗り込み出発っ。

フェリーに乗ったらアイス食べたい人間なのですが、ぐるぐる歩いて探しまわったけれど自販機が見つからない・・・。ないの?それとも見つけらなかっただけ・・・!?アイス食べた過ぎて気が狂いそうだったけど、ビタミンC摂取してなんとか気持ちを落ち着かせました・・・。

地元の友人曰く、行きの時に桜島についてから道の駅でみかんソフトクリームを食べるのかセオリーらしい。次はぜひともそのコースでゆきたい!まだまだぜんぜん桜島を見れていないので、また行きたいと思います。

願わくば、もう大噴火は起こらないでほしいね・・・。それは人間に息をするなと言っていることに等しいことなのかもしれないけれど

さて、その後は予定通りの電車にもなんとか間に合って無事帰省することができました。よかったー!

最後に

今年のブログは偶然なのか、必然なのか。火山で始まり、火山で終わるのでした。

今年の1本目。2024年1月2日に一泊二日の弾丸で訪れた火山島「竹崎島」での旅のはなし▼▼▼

ひそかに来年、一番行きたい場所も火山の島なのだ。行けるかな、行きたいな。行く、行くぞ・・・!!!(ことだまっ)

それではみなさま、今年もわたしの好き勝手な旅劇場にお越しいただきありがとうございました。良い年をお迎えください。来年もどうぞ、どうぞよろしくお願いいたします。

おまけ

帰省時に父親に連れていってもらった場所の写真をランダムに・・・。

帰りの新幹線の中では池田パンの「ジェットパン」と、海潟のキヌサヤ最中を食べて最高の〆!!!

【2024年・完】

参考文献・サイト

報告書(1914 桜島噴火) : 防災情報のページ - 内閣府

桜島の大正大噴火 - Wikipedia

30 桜島口 - みんなの桜島

照国神社近くに建つ「桜島爆発記念碑」: 鹿児島ぶら歩き

腹五社神社 - Wikipedia