真っ暗闇にアラームが鳴り響きます。
みなさまがぐっすりと寝静まっている午前2時半。長い、長い一日の始まりです。
CONTENTS
黒と白の世界
のろのろと準備して、 午前3時半におじいさんと玄関で待ち合わせ。予約していたタクシーに乗り込み出発です!
目の前は白と黒の世界。ヘッドライトに照らされた雪が闇の中でゆらゆらと舞い、フロントガラスに体当たりしてきます。
今からどこにいくのだろう??
実は今回、大日堂舞楽に関してほとんど調べておらず、今から何の舞を見に行くのかすらちっともわかっていなかったわたくし・・・。耳にタコかもですが、わたしは新鮮な感動を味わいたいからあまり情報を入れずに行くタイプなのだ。
どうやら車で10分ほどで着くらしい。その間に大日堂舞楽についてちょっくらお勉強。飛ばしたい方はこちらをクリックしてね!
大日堂舞楽の由来
大日堂舞楽の由来になっているのは、岩手から秋田にかけて伝わる「だんぶり長者伝説」。「だんぶり」とは、鹿角地方の方言で「トンボ」のことなんだって!まったく想像できないね・・・??
だんぶり長者伝説
むかーしむかし、八幡平の小豆沢(あずきさわ)に貧しいながらも仲睦まじく暮らす夫婦、太郎と徳子がいました。夢で見た大日神のお告げで、田山村(現在の岩手県八幡平市)に移り住みます。ある時夫婦が畑仕事の合間に休憩していると、うとうとしている太郎のもとに1匹の「だんぶり」が飛んできました。だんぶりは不思議なことに太郎の唇に尾をつけては去り、また戻ってきては同じことを繰り返すのです。この時の太郎はというと、夢の中で今まで味わったことのない甘いお酒を味わっていたのでした。
「朝日夕陽輝くところに泉が湧いている」
太郎の耳元に囁き声が聞こえてきます。目を覚ました太郎に、徳子が先ほど見ただんぶりと太郎の様子を伝えると「これはお告げに違いない」と、だんぶりの後をついていくことにします。するとそこには無数に飛び交うだんぶりと一筋の滝。水をすくって口に含むとなんと先ほど夢の中で飲んだ酒と同じ味でありました。この不思議な滝のお陰で夫婦は国一番の大金持ちになります。
後に授かった娘は美しく成長し、その評判は都にまで伝わり、吉祥姫という名で帝の妃になりました。太郎も帝から「だんぶり長者」という呼び名を授かる名誉を得ます。都から戻った「だんぶり長者」は村人たちを集め、七日七夜の酒盛りを行いました。この時の余興が現在の「大日堂舞楽」の元になっていると伝わっています。
それから時は流れ、だんぶり長者は死の間際に4人の家臣を呼び、遺言を残して亡くなります。長者夫婦の死を悲しんだ吉祥姫は、継体天皇十七(西暦523)年、小豆沢にだんぶり長者が信仰する大日神を祀った大日堂示現社を建立。それが現在の大日堂(大日霊貴神社)だといわれています。
奈良時代の養老2(西暦718)年、天皇の命により名僧行基が遣わされ、荒れていた大日堂が再建されることになります。やがて立派な堂宇が完成し、都から下ってきた楽人たちによって祝賀の舞が行われました。その舞楽が大日堂舞楽の起源とされています。舞楽は里人たちに伝えられ、1300年もの間この地に連綿と受け継がれてきたのです。
4つの集落に伝承される舞楽
大日堂舞楽は地元では「ザイドウ」(語源は諸説あり)とも呼ばれ、正月2日の大日霊貴神社(大日堂)の養老例祭に、八幡平にある4つの集落、小豆沢(あずきざわ)、大里(おおさと)、長嶺(ながみね)、谷内(たにない)の「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる男性のみの舞手たちによって奉納されます。彼らはより神に近い存在になるため、厳しい精進潔斎を経て当日迎えます。わかりやすいもので獣の肉を食べない、男女の交わりを断つ等といったもので、出産や死の穢れに触れることも禁止されているようです(ナマハゲさまと一緒だね)。
現在では小豆沢集落のみとのことですが、本番当日は夜明け前の寒空の下で水垢離(みずこり)が行われるそうです。つまり、ほぼまっぱの状態で水をパシャパシャ浴びて身を清めるのだ ・・・。しかも1度だけではなく12回も!(1年分。閏年には13回らしい)
そして各集落に伝わる舞も、それぞれ異なっています。
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【小豆沢】権現舞・田楽舞
【大里】駒舞・鳥舞・工匠舞
【長嶺】烏遍舞
【谷内】五大尊舞
※これら「本舞」の他に、各集落の能衆全員が舞う神子舞・神名手舞がある
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1月2日の大日堂舞楽当日は、夜中から各集落で神社や家などでこれらの舞が奉納され、最終的に大日堂に集結し、みんなで舞楽を奉納するという流れなのだ。なんだかわくわくするね!
そしてこれからわたしたちが訪れようとしているのが、「五大尊舞」が伝承されている谷内集落なのであります。(いやぁー、長かったですね。お疲れ様でした!)
豪雪地あるある!?トラブル発生
鳥居をくぐって坂を登ったらあともう少し神社・・・というところでトラブル発生!なんと雪の坂道でタイヤが滑って前に進まず、どんどん後退していくではありませんか・・・!!!ハラハラしてたらついには道を斜めに外れて前にも後ろにも進めない状態に・・・。車を降りてわたしとおじいちゃん2人で「うりゃぁーーー!」っと押すもビクともしない・・・(どうみても非力なわたしたち)。なんてこったい!あとちょっとで神社なのに・・・!!
するとタクシーの運ちゃん、これから向かおうとしている坂の上の神社から助っ人を呼んできた!
(わたしは心の中でフレー!フレー!)
救出成功・・・っ!!!
豪雪地帯あるあるなのかみなさまとっても手慣れてる!あっという間の救出劇でした。忙しいのに本当にごめんなさい&ありがとうございました・・・!!!(初めての雪国ハプニングにちょっとわくわくしたのは秘密)
天照皇御祖(あまてらすすめみおや)神社
助けてくれた人たちの後に続いて、やっとのことで神社に到着。その名も天照皇御祖神社。 2度の火事により詳細不明とのことですが、古来より谷内観音堂と呼ばれ、鎌倉末期の作とされる境内の磨崖仏や板碑(大日堂にも同時期の板碑がある)の存在から少なくともそれ以前に創建されたと推察される由緒ある場所のようです。
お堂の中では衣装を身に纏った人たちによって準備が着々と進められていました。中央には大日堂と同じく小さな正方形の舞台が設られています。
壁面は大小様々な奉納額で飾られていて、新しいものから中には江戸時代まだ遡るのでは!?と思われるものもちらほら。
午前4時の奉納スタート
まずは宮司さんが祝詞をあげるところから始まります。
ふりふり。ふりふり。お祓いです。
お次は御神酒をまわし飲み、何やらゴソゴソと準備をしております。
すると可愛いイキモノがついた幡や、五代尊と書かれた提灯を手にぞろぞろと外へと出ていくではありませんか・・・!てっきり堂内で舞が始まるとばかり思ってたので大慌てでわたしも外に飛び出します。
これから一体何が行われるの?どこにいたらいいの!??
あわあわしながら近くの方に聞いてみると「あのあたりにいたらいいんじゃない?」とアドバイスされて言われるがままにスタンバイ・・・っ。
龍神幡を先頭に境内をぐるぐると周り出しました。 なんでもその数は3回と決まっているらしい。
周り終わると中に再び戻っていくのですが、能衆たちは中に入らずお堂の前にぞろりと並びました。
頭を下げ、 両手を前に掲げる能衆たち。お袖の長い藍色の衣装の美しさがより際立ちます。
ちなみに後でお堂内にいたおじいさんに中の様子を聞いてみると、「みみとー みみとー」(意味はわからず)と唱えながら耳をつかむ儀式(?)をしていたらしく、「うぁぁぁー!なにそれ目撃したかったぁぁぁーーーー!!!」とわなわなわな震えましたね・・・。でも!外から眺める能衆たちの姿にもシビれるでしょ、そうでしょ!!
それが終わると能衆たちも中に入り、舞台の上で舞が始まります。それが終わると、いよいよ「五大尊舞」の準備開始!!
谷内集落の五大尊舞(ごだいそんまい)
準備
谷内集落に伝承されているのは「五大尊舞」。まずは舞の衣装のバージョンアップから!箱の中からひとつひとつ能衆たちに手渡されていきます。
もともと着ていた藍色の衣装に、幾何学や直線がデザインされた濃い藍色(黒?)の布を重ね着し(構造がまったくわからない)、腰には鮮やかな紫の紐を結びます。だんぶり長者の奥様は白いお袖で女性っぽさを表しているようでした。
もともとの衣装もとても美しくて大好きなんだけど、カスタムされたその衣装が!これまた超絶カッコいいのだ!!!
そして、ついに「面」の登場です。箱から手渡される様子をよーく見ると、直接手を触れずに間に紙を挟んで渡していることに気付きます。実は、この神聖な面は舞い手である能衆ですら素手で触れることを禁じられいるのだ。紙を介して触れることですら畏れ多い・・・というような雰囲気をひしひしと感じます。優しく撫で撫でしてお顔を綺麗にする姿も印象的でした。
これら6つの面のうち仏様のお顔をした金箔がはられた2つの面は「金剛界大日如来」と「胎蔵界大日如来」が「だんじり長者夫婦」に化身した姿とされています。はて、金剛界?胎蔵界??ってなりますよね(わたしはなりました)。密教特有の考え方らしい。詳しくは自分で調べてや!
え?だんぶり長者!?
つまりそれって大日堂舞楽界のスター的存在ってこと!??
見分け方は簡単で(イラストを参照)、左のキリッとした眉の方が金剛界大日如来、右の柔和な表情で紅をさした方が胎蔵界大日如来です。金剛界は男性性、胎蔵界は女性性を表すというから、左の面がだんぶり夫で、右がだんぶり妻なのかなぁ。頭上は祭礼や祈祷に用いられる「梵天」と呼ばれる紙で飾られています(「梵天冠」という)。
さらに、4つの面は四大明王(八幡菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、不動明王)。だんぶり長者に仕えた4人の家臣を表し(あ!死の間際に遺言を伝えたあの家臣ね!)、お顔もそれぞれ微妙に異なっています。
貫禄のある大日如来の面も迫力満点なんだけど、漆黒の面に大きな吊り上がった眼がギラっと光る家臣の面も、烏天狗みたいでめちゃくちゃカッコいい・・・!!!
能衆たちの顔に面が重なった瞬間、大日如来と四大明王が目の前に現れた!!!!!
五大尊舞
お堂に太鼓の音が鳴り響きます。
全員の手には剣が握られ、それに加えて大日如来のふたりは鈴や紙垂を持っています。歌(祭文)や太鼓の音、板を叩くの囃子に合わせながら、両腕を大きく振り上げたり、交差したり。小さな舞台に大人の男性が6人も乗ってて見るからに定員オーバーなのに、息の合った見事なフォーメーション!!つまり・・・
カッコいい!!すごくカッコいい!!!(語彙力)
太鼓のリズムや歌もどちらかと単調で、舞もゆっくりとした動きなのに不思議とどんどん気分は高揚していきます。単調だからこそ少しずつトランス状態へと入り込んでいくものなのかもしれません。
わたしが一番好きだったところは、じわじわと大日如来ズたちが前と後ろでサンドして一列で舞うところですね。思わず「かわいい・・・」ってなってしまいました。
気付けばあっという間に終わっていました。大日堂での舞はまだまだこれからですが、面を外した人たちはどこかほっとした表情で笑顔がこぼれています。
束の間の小休憩
また丁寧に丁寧に面を箱に戻して、みなさま束の間の休憩タイム。時間はまだ5時半頃ですが、早めの朝食をいただくようです。
わたしは寝起きに食べたみかんで乗り切ろうと思っていたのですが、おじいさんからアンパンをいただくという!アンパン!アンパン!!(訳:どうしよう!!!)
一瞬パニクったけど(生まれた時から餡子苦手でアンパン食べるの生まれて初めて)、ここ数年餡子食べる訓練してきたから大丈夫?かな??勇気だしてありがたく!いただきます!!
大丈夫!だったーーー!!また大人の階段のぼってしまいましたね。
そしてさらに舞楽の関係者の方から朝ごはんをいただくという喜び・・・!!あったかいお味噌汁しみるぅぅぅ・・・。
他にもおむすびといぶりがっこいただいたけど、だいぶお腹が満たされていたのでお持ち帰りすることに。(でもたぶん食べる機会ないな・・・どうしよう・・・)なんて思っていたら、まさかあんなに感謝することになるとは ・・・。この時はちっとも想像していなかったね・・・ (この話はまた今度)。
雪の中の大移動
まだまだ外は真っ暗だけど、夜明けも近い午前6時。なんとここから歩いて!大日堂まで向かうらしい・・・!!わたしたちが来た時はタクシーでピュン!だったけど、歩いてだとここから1時間はかかります。うーむ、1300年も続けているとこれが普通になるのでしょうか・・・。すごい。
不正を働いてすみません・・・。実はわたしたち、帰りもタクシー手配してました・・・。これから歩いて大日堂に向かう能衆たちの横を通り過ぎる時の心苦しさといったら・・・!!
でも!どうしても西のカクチに行きたいんです・・・!!二つの集落の能衆たちが合流するシーンが見たいんです・・・!!!
だんぶり長者とその家臣たちの舞の余韻をじっくり味わう間もなく、夜明けに向かって走り出すのであった。
参考文献・サイト
『千三百年の歴史 大日堂 舞楽』おじいさんにいただいた本
大日堂舞楽 前編|「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する
大日堂舞楽 後編|「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する
【Photos】祭堂:東北の雪深い山里で1300年続く舞楽 | nippon.com
大日堂舞楽 | 国指定重要無形民俗文化財|ユネスコ無形文化遺産|約1300年の歴史をもつ秋田県内最古の舞楽
⑩秋田・青森ひとり旅2024-2025【鹿角・大日堂舞楽 後編】につづく▼▼▼