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南薩摩の十五夜行事
旧暦8月の十五夜、南九州では綱引きや相撲をする風習があります。国の重要無形民俗文化財にも指定されている「南薩摩の十五夜行事」。実はわたしも小さい頃、十五夜の日に校庭や道路で綱引きした記憶がうっすらと残っています(今でもやってるのかな?)。
父の話によると、綱引きの綱は大人たちが山からとってきた茅(かや)で手作りしていたようです(子供の頃の記憶というのもあるんだろうけど、とても太くて長かった!)。父が子どもの頃にはその茅とりも子どもたちが行う行事のひとつで、山でとった茅を頭に被り「えいえいおー まだまだおー」(掛け声みたいなもの?)と歌いながら帰っていたとか。「茅引き」という十五夜行事のひとつであるその習俗は、わたしが子供の頃にはすでに失われていました。残念・・・。
十五夜ソラヨイ
「南薩摩の十五夜行事」の中で、特に古い形を残しているといわれるのが南九州市知覧町の「十五夜ソラヨイ」。十五夜に綱引きや相撲を行う地域は多いですが、ソラヨイが行われているのはこの地域だけ。言葉だけ聞くと一体どんな行事なの!?と、不思議に思うかもしれません。ソラヨイとは、子どもたちが藁等で作られた装束に身を包み、歌い踊る行事のこと。
かつては知覧町内の20以上の集落で行われていたそうですが、2023年時点ではわずか4箇所ほど。なおかつ見学できるような地区は「中福良(なかふくら)」と「浮辺(うけべ)」2集落だけのようです。よくメディアで紹介されているのは前者。わたしのソラヨイのイメージも中福良だったのでそちらに行く気満々だったのですが、各集落ごと装束や行事の内容が多少異なっているので本当なら全集落見学したい・・・!けど体はひとつしかありません・・・。ひとまず中福良と浮辺の両方に問い合わせてみることにしました。
浮辺と中福良
最初に電話が繋がったのは浮辺集落。今年参加する子どもはたったの5人。しかもなんと!少子化により浮辺のソラヨイは今年で最後というではありませんか・・・!!!これは一大事です・・・。
旅立ちの数日前にやっと連絡がついた中福良集落。こちらも今年は5人ほどで行うとのこと。去年の写真をネットで見た時は大人数だったのになぜ〜!?と、不思議に思って尋ねてみると、去年は今はもう退職した校長先生がとても熱心だったようです。今年はその校長先生もいないし、子供たちに無理に参加させるのはちょっと・・・ということらしい。ソラヨイの後に行われる綱引きも今年は行わないという・・・。さらに、浮辺では子供たちがやりたいと言ってるからそちらに行ってはどうかと勧められました。うーん、とても素晴らしい行事なのに地域の人たちがそう思っていないように感じてなんだか悲しくなりました。そして、過疎化の進む地域では、強い意志で残そうとする熱量のある人がいないと存続させることは難しいのだと痛感・・・。
もういっそのこと両方行っちゃろか!・・・なんて思ったりもしたけれど、隣り合う集落とはいっても徒歩では移動するだけで30分以上かかります。それにわたしは最初から最後まで見届けたい気持ちが強い人間。消極的に感じた中福良のソラヨイの存続も心配ではありますが、今年で最後というのが決定している浮辺一本で臨むことを決意したのでした。
浮辺公民館
十五夜ソラヨイが始まるのは夜空に月が登ってから。19時頃とは聞いていたけれど、もちろん準備する様子も見たい!余裕をもって17時半頃には公民館に到着です。ほんとはもっと早く着いてる予定が寄り道しすぎたよね・・・。
すると公民館前の広場にはすでにたくさんの人、人、人・・・!それもカメラ&三脚を持った年齢層の高いカメラマンたちの姿が・・・!!小さな集落でひっそりと行われていると思っていたのでちょっとビックリ。
(出遅れた・・・!!!)
ちょっと焦りながら敷地内に足を踏み入れるや否や、背後から唐突に声をかけられます。
天吹(てんぷく)お爺ちゃん、現る
「どこから来たの?」
振り向くと小柄で人のよさそうなお爺ちゃんの姿がありました。福岡から来たことや、遠いバス停から歩いてきたことを伝えると驚いたようです。
お爺ちゃんは20代の頃に浮辺小学校で先生をしていたことがあって、還暦を迎えた当時の教え子が今回のソラヨイを仕切っているそうです(すごい!時の流れ〜!!)。他の教え子たちはみんな浮辺を出て行き、他の地域で家庭を作り生活しているので浮辺では子供が増えず、ついに小学校は今年の3月に閉校。十五夜ソラヨイも今回で最後に・・・。
実はお爺ちゃん、江戸期に薩摩藩で武士の嗜みとして受け継がれてきた「天吹」という竹笛の奏者。以前から十五夜行事が始まる前に演奏していて、今回もそのために来たようです。浮辺小学校の校歌も演奏もするから、さっきまで閉校した学校の校庭で練習していたとのことでした。きっと練習しながらいろんな思いが去来したことでしょう・・・。
公民館の中へ
ひとまずお爺ちゃんと別れ、公民館の中へと入ります。玄関には十五夜のお供えと、子どもたちが被るヨイヨイ笠と呼ばれるトンガリ帽が・・・!!!
左の部屋に入ると、ステージ上に生成りの長い布がずらりと並んでいます。これはもしや・・・?近くにいる人をひっ捕まえて尋ねてみると、やっぱり廻し(まわし)!
子どもたちはこの廻しを締めて十五夜行事を行います。お尻の形とかでずれ落ちたりして廻しが使えない子もいるそうなのですが(その場合は晒しを巻く)、今回はみんな大丈夫だろうとのこと。準備してるところみれるかなー??
いつの間にか陽が落ちて、外は優しい光に包まれていました。
天吹お爺ちゃん、再び
ひとまず外にでて、今度は広場で行われている準備をすかさずチェック!まずは一番最初に目に入った石像をパシャリ。
撮り終わって何気なく振り向くと、背後にさっきの天吹お爺ちゃんがいてビクゥゥゥ・・・!(撮り終わるのを待っててくれたんだろうな笑)
どうやらわたしの帰りの足を心配してくれていたようです。宿まで1時間以上歩いて行くか、捕まえられるか不安なタクシーの2択であることを伝えると!なんと!!お祭りおっかけカメラマンの老夫婦をご紹介いただき、車で送り届けてもらえることにーーーーー!!!
天吹おじいちゃん・・・!!!ありがとうだよぉぉぉ!!!!!
いつもなぜか旅先で親切なおじさまに助けられて生きているわたくし。おじさまだけにわかるフェロンが出てるのかしら・・・(若い子にとは言わないから、せめて同世代にも伝わるフェロモンほしい)
仲人してくれた後は、天吹について色々と教えてくれるおじいちゃん。表に4つ、裏に1つの穴しかないのにドレミファソラシドをはじめ、半音も吹くことができるらしい。この天吹は自分でそこらへんの竹から作ったんだって。す、すごい・・・!
今日はソロではなく2人で演奏。いつの間にかもう一人の天吹お爺さんが現れ(このお爺さんもヒッピーっぽい雰囲気でなんだかおもしろかった笑)、本番に向けて練習がはじまります。
その隙をついてサササとその場を離れるわたくし・・・(おい)。いや、だって!十五夜の準備をしているところも見たいんだもん!そのために来たんだもん!!ごめんねお爺ちゃん・・・本番でちゃんと聴かせてもらうからね・・・!!!
準備
相撲が行われる土俵周りでは着々と準備が進んでいました。四隅にお酒と塩を撒き、中央の榊と御幣がささった砂山にも塩を撒いて清めています(この砂山にはどんな意味があるんだろう?)。
いつの間にか土俵前には、公民館の玄関に置かれていたお供物も運ばれていました。
広場にはすでに綱引き用の長い綱も用意されて準備万端です。今はもう茅や藁を使った手作りのものではなく、既製品の綱が使われているんだね。ちょっとさみしい・・・。
いつの間にか空が真っ赤に燃えていました。
なにやら予感がしたので公民館へ戻ってみると、ちょうど子供たちの準備が始まっているところでした(あやうく見逃すとこだった!)。
先ほど土俵を清めていた見るからに相撲が強そうなお爺さんが、匠の技で素っ裸の子どもたちにくるくる廻しを巻いていきます。
いっちょあがり!!!
おじさまもきっと同じように子供の頃に同じ経験をしたんだろうなぁ・・・。
最初に公民館に入った時にはひとつしかなかったヨイヨイ笠が、いつの間にか人数分揃っていました。カラフルな紙で作られた花や、七夕飾りのような網状の飾りがぶら下がり、とても華やかで可愛らしい。
公民館内では廻しを締め終わった男の子たちと、女の子が無邪気に暴れまわっています。性別関係なく遊んでるこの感じ、なんだかとても懐かしい。わたしにもこんな時代があったなーと、思わずニコニコ・・・。
天吹演奏会
19時前。あっという間に外は真っ暗・・・!公民館を出ると、すでに天吹の演奏が始まっていました。
あぁ!天吹おじいちゃん、遅れてごめんなさい!真ん前の特等席で、しっかり演奏を聴かせていただきます・・・!!!
ふと視線を感じて後ろを振り向くと、驚くほどに赤々とした満月が山の上から顔を出していました。なんて神々しい・・・。息を呑むような美しさです。今まで何度も見たことがあるのに、毎回初めて見るかのように心を掴まれてしまうのだから、月の威力凄まじい・・・。
でも・・・撮れない!撮れなぁぁぁーーーーーい!!!
万年カメラ初心者のわたくし。月の撮り方がちっともわからず・・・。美しさがちっとも伝わらないぶれっぶれな写真を量産するのであった・・・。
この時ほんっとに悔しくて悔しくて!帰ってから撮り方調べて、ちゃんと月の写真を撮れるようになったから偉い(自分でほめる)。ちょうどこのブログを書いていた夜は満月でした。ソラヨイで見た時の月を彷彿とさせる真っ赤で美しい月だったので、代わりに載せておきますね・・・。
月を撮るのは早々に諦めて、天吹の演奏を聴くことに集中します。月明かりがあるとはいえ、人の顔が判別つかないくらいの薄暗い場所。それなのに、演奏が終わるとスタスタわたしの方へ一直線に向かってくる天吹お爺ちゃん・・・!やっぱりフェロモン・・・なのか・・・??そのお陰でちゃんとお別れの挨拶をすることができて嬉しかった。わたしも人に親切でありたい。そう思わせてくれる素敵なお爺ちゃんでした。本当にありがとうございました!!
浮辺の十五夜ソラヨイ
触れ回りの歌
十五夜行事の始まりは子どもたちの歌から。土俵に一列に並び、大きな声を張り上げます。
「コンニャデント コムッガライッバ テマゴッチョ ホーイホイ」
何言ってるのかちっともわからない・・・!!
これは「触れ回りの歌」と言って、「今夜出てこないと 小麦藁束を一把 松明を5丁 ホーイホイ(今夜綱引きに来ないと、罰として麦藁や松明を出させるぞ)」という意味らしい。蕎麦や松明だなんて、時代を感じさせる歌詞だねぇ〜。
綱引き
歌が終わると、綱引きの綱へ向かって一斉に走り出します。
大人 VS 子どもたち(地域の人たちみんな)で綱引きスタート!!!
まず最初はお母さん数人とたくさんの子どもたちで綱を引き合ってあっという間に子どもの勝ち!2回目はお父さんたちも加わって(進行の人が大人気ない感じでやってくださいと言っていた笑)、がんばる子どもたちと接戦の末大人チームが勝利。最後は子どもの綱に大人も参加して子どもたちの大勝利!!!という流れでした。自分が子供の頃の十五夜綱引きもこんな感じだった気がするー!記憶が呼び戻されて、とっても懐かしくなりました。
綱引きの後に歌われた「綱引き前の唄」
ここでちょっとしたハプニング。なんと進行のおじさまが流れを間違ってしまったようです笑。本来は綱引きの前にやるはずだった「綱引き前の歌」を、子どもたちが歌います。
「ハッガッノジュゴ ヤンツーナエートエート ハッガッゴ
ジュンツーナエートエート ゴヤンゴヤンゴヤン」
八月の十五夜の綱へと綱へと(集まってよ)(豊作の)占いが始まるよ
純(清められた)十五夜の綱へと綱へと(集まってよ) ごやんごやんごやん
この歌がめちゃくちゃ可愛かった!!!歌詞からわかるように、綱引きはもともと豊作を占うためのものだったのですね。最後の「ゴヤンゴヤンゴヤン」は「呪文のようなもの」らしい。とっても不思議な言葉の響きとリズム!思わず周りからも笑い声がこぼれるほどの愛くるしさでした。
子どもたちは来訪神?
綱引きが終わると、一旦子どもたちはその場から引き上げて再び公民館へ。
子どもたちはヨイヨイ笠を被り、一番の年長さんは藁袴も身につけて、神様へと姿を変えていきます・・・。
そう、この子どもたちの衣装は、山から降りてきた神様の姿をあらわしているとされています。
このようにして薩摩、大隅両半島の先のカヤを主材料として十五夜綱を作る広い地域では、古くは部落の子供組が八月一日から山上で集団の精進生活を過ごして神となり、カヤを被って顔や体をかくした神の扮装をして山を下り、部落の広場で人々に豊作を約束し部落を祝福する儀礼を行うものであったと考えることができる。
小野重朗 著『十五夜綱引の研究』より
山から茅をとって降りてくる子どもたちは神様になって戻ってくるのですね。冒頭で話したように、わたしの父親も子供の頃に山に茅を取りに行き、茅を被って帰ってきていたといいます。もしかしたらこのソラヨイ行事も、はるか遠い昔、わたしの地元でも行われていたのかもしれません。
さて、どうやら準備が整ったようです。いよいよ待ちに待ったソラヨイが始まります。
ソラヨイ
神に扮した子どもたち。満月の夜に、凛とした歌声が響き渡ります。
「ソーレワヨイ ヨーイヨーイヨイ ヨイヤショ シリーッ シリーッ
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ」
一列になり、膝に手を置いて腰を左右にくねくね振ったり手を叩いたり、頭の横で手をくるくる回したりと、不思議な歌に合わせたユニークな動きで土俵に向かって進んでいきます。
「ソラヨイ」。なんだかとっても心地のよい言葉の響き。「それは良い」という意味で、秋の収穫を祝い、豊作を祈る言葉といわれています。なるほど聞いてて気持ちのいいはずだー。
南九州一帯で八月一日をタノモンセツというのは頼みの節句の意味で、この日は人々が神に作物の豊かな稔りなどを頼む日なのであろう。その人々の頼みに答えて、神になった子供たちが神の扮装をしてソラヨイ、ヨイ、ヨイと作物のできのヨイことを教え約束しているのであろう。(中略)ソラヨイ、ソラヨイと地を踏むのは土地または土地霊に対する儀礼で、土地をふみ鎮めふみ固めて、作物のよくできる豊かな土地に対する意味をもった行動なのであろう。
小野重朗 著『十五夜綱引の研究』より
頭上には浩々と輝くまんまるお月様。その月明かりに照らされて、ぼんやりと浮かび上がる子どもたち。現世と常世、人と神、すべての境界が曖昧になる感覚・・・。
「ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ」
「それは良い、それは良い」と、ことほぎの言葉を繰り返しながら、大地を踏み締め、一歩一歩進んでいきます。
土俵の周りをぐるっとしてから土俵に上がり輪を描き、再び歌と踊りが繰り返されます。
「サーヨイヤショ シリーッ シリーッ
ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ」
おもしろいのが4回繰り返す内の3回目だけ、言葉を発さずに「無言」で踊るところ。「黙い(だまい)」といい、その意味ははっきりしておらず「神様が通るとき」と言われているそうです。おもしろいー!小学生の頃、教室で同級生たちが各々談笑している時に突然会話が止まり教室中がシンッてなる瞬間が時々あって、そういう時「天使が通った」とかなんとか言ってたことを思い出しました。
そして、今度は2人1組で向かい合って同じ歌と踊りを繰り返します。
土俵での歌と踊りが終わり、再び一列になって公民館へと戻っていきます。
公民館でゴール!!!
まだまだ見ていたかったソラヨイが終わってしまいました・・・。子どもたちは衣装を脱ぎ、再び土俵へと戻っていきます。
相撲
十五夜行事ラストを飾るのが相撲です。
相撲の歴史
相撲の起源は定かではありませんが、神話の世界まで遡ることができるといいます。奈良時代になると七夕の時期に天皇や貴族たちの前で相撲が執り行われるようになり、平安時代には五穀豊穣、天下泰平を記念する神事として宮中の年中行事にもなっていきます。それは、日本各地でその年の農作物の収穫を占う儀式として相撲が盛んに行われていたことに由来するそうです。
▼以下サイトより簡単にまとめさせていただきました。
ソラヨイには、相撲の四股を踏む(大地に潜む邪気を払っている)動作と似ている部分が見られますが、ソラヨイの方が相撲の原型であるという説もあるようです。
ソラヨイが十五夜角力の前に行われることなど、ソラヨイと角力との深いつながりを思わせる。ではソラヨイは角力の四股をふむ行事を真似て踊り化して始まった行事だろうか。私はむしろその逆だろうと思う。ソラヨイの方が角力の四股踏みなど角力儀礼の原型になるもので、それがこの地方に残っていて、日本の角力文化の原初の形がこのソラヨイに見られるもののように思う。※「角力」とは「相撲」のこと
小野重朗 著『十五夜綱引の研究』より
ところで、相撲は今では女子にも大人気の競技だよね。わたしはね・・・相撲に限らずスポーツにはまっっっったく興味ないのだよ!オリンピックの時も常に平常心で日々生活している非国民・・・。そんなわたくしなので、相撲の土俵が開催場所ごとにその都度新しいもの作っているということをこの度生まれて初めて知りました。浮辺では15時くらいから土俵作りをするって聞いていたけど、土俵を一から作ったのかな?見学したかったけど時間が足りなかったんだよーーー。
土俵開き(土俵祭)
相撲を始める前に、まずは子供たちが土俵の中央の御幣が刺さった砂山を崩し始めます。ずーっと気になってたけど、この砂山は一体何なの・・・???
この、子供たちが砂山を崩す行為。相撲の競技前に行われるという「土俵開き」、「土俵祭」と言われるもののようです。
安全と興行の成功、さらには国家の安泰、五穀豊穣を祈願し、神さまを土俵に降ろすための儀式。日本相撲協会の土俵祭では、御幣の刺さった砂山を崩す・・・というものではありませんが、検索すると各地域の行事で奉納される相撲の土俵で、同じように御幣と砂山が盛られた写真をいくつかみることができました。きっと知らないだけで、相撲の世界ではポピュラーなものなのでしょう。
その砂山を崩して、いよいよ相撲が始まります。
「はっけよーーーい」
「のこった!!!」
勝負あり・・・!!!
さぁーて、お次の試合。まずは塩を撒いて・・・
えいやー!!!
男の子たちの対戦が終わると、お次は女の子のファイトタイム。これがめちゃくちゃ盛り上がった!負けん気の強い女の子たちのパワー!ぜんぜん勝負がつかないの。男の子たちよりもたくましい・・・!!!
一通り対戦が終わり、最後は土俵で一列になってみんなでお辞儀。浮辺最後の十五夜ソラヨイがこの日終わりを迎えたのでした。
「100年後にまた行われているかもしれません」
結びの言葉を噛み締めます。またいつの日か復活する日がくるといいな。そう願わずにはおられない素晴らしい十五夜行事でした。
終わらない十五夜
「終わり」の挨拶はあったものの、子どもたちの夜はまだまだ終わりません・・・!どうやら相撲をしたくてうずうずしているご様子。
「はっけよーーーい!」
「のこった!!!」
その様子が泣きたくなるほどに美しくて・・・ずっと眺めていたかった・・・。
けれどわたしは置いてけぼりにされると歩くかタクるかの2択しかないのです!大人しく帰りましょうね・・・。地元の人たちを残し、この場を後にします。あぁ、名残惜しい・・・。
親切なご夫婦に宿まで無事送り届けてもらい、ほっと一安心。移動中に鹿児島のお祭りおっかけご年配カメラマン事情も聞けて大変興味深かったです。奥様はわたしが大好きな市来の七夕踊りに子供の頃行ったことがあるそうで、そんな話も聞けて嬉しかった。本当にありがとうございました!!
最後に
わたしの地元ではソラヨイはなかったけれど、十五夜に綱引きをしていました。父親が子供の頃に茅を被って山から帰ってきたという話からも、元々は広範囲でソラヨイ行事が行われていたと考えられます。遠い遠いはるか昔、わたしの祖先は山の神に扮して豊作を祈り、月と大地に感謝して歌い踊っていたのかな・・・?そんな想像をしていると、浮辺の十五夜ソラヨイがとても身近なものに思えてくる。今年で最後になってしまったけれど、その瞬間に立ち会うことができてよかった!2023年の十五夜は、より特別な思い出として記憶に刻まれたのでした。
我が家に伝わる月の子守唄
昔から受け継がれてきたものが失われてしまうことはとても悲しい。せめて記録に残したい、そんな思いが芽生えてきます。今回の十五夜行事とは関係ないのだけれど、母親が受け継いできた子守唄があって、わたしもその歌を聞いて(小さい頃は一緒に歌って)育ちました。歌詞は月に関するもの。わたしには子供がいないので、きっとこの歌も何十年後には消えてしまう運命・・・。それならせめて、このブログにだけでも残したいと思います。
お月さまは偉いな
お星様と兄弟で
三日月になったり
まんまるになったり
お月さまは偉いな
いつも年を取らないで
春夏秋冬
にっぽん中を照らす
とても素朴な子守唄。1番と2番があって、実はメロディーはすでにうろ覚え・・・(もしかしたら歌詞も1番と2番で一部入れ替わってるかもしれません)。母親がまだ元気なうちに、この子守唄についてもっと聞いておきたいなぁ。
さて、最後は十五夜ソラヨイとは関係のない話になってしまいましたが、わたしは大満足です!浮辺のソラヨイは今年で終わりだけれど、まだソラヨイを行っている集落はあります。次目指すのはもちろん中福良のソラヨイ!子どもたちがいる限り、ずっと続いてくれますように・・・。
■参考サイト
浮辺自治会 ・・・とっっっても良いサイトだった!浮辺のソラヨイの歌詞等はこちらから引用させていただきました。昔のソラヨイの動画も色々アップされてておもしろそう!(わたしもまだちゃんと見れていない)。浮辺のソラヨイについてもっと詳しく知りたい方はぜひ。
【使用カメラ】digital:SONY α7III 、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 lens:Carl Zeiss Planar 50mm F1.4 mmj、Flektogon Carl Zeiss Jena 35mm F2.8
03南九州・十五夜ひとり旅2023【最終回】につづく▼▼▼