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竹崎ひょうたん島
竹崎島は約2時間で海岸沿いを一周できるほどの小さな島。今でこそ橋でつながっていますが、潮が引いた時には飛び石づたいに渡れるくらいの距離。
「竹崎瓢箪島 廻れば1里3合3尺 雀の3足 粟の3転」
昔の人は竹崎島のことをこのように唄っていたそうです。それくらい小さな島ってこと。めちゃくちゃ可愛い表現じゃないか!聴きたくててネットで探してみたけれどみあたらず。また訪れた時に地元の人に尋ねたい。歌ってくれるかなー。
竹崎島へと続く橋の前には、この歌にちなんだ「おさんぽ竹崎ひょうたん島めぐり」の観光MAPの看板がありました。紙のパンフレット(電子版もあり)も配布されています。
竹崎ひょうたん島めぐり | saga ebooks | 佐賀県電子書籍ポータルサイト
巨石と比翼塚
短い橋を渡り終えると現れるのが(というかすでに橋を渡る前から見えていた)「渡り口の楯石」と呼ばれる巨石と、その上にひっそりと寄り添うように並んでいる「比翼塚」。
比翼塚とは、現世で結ばれなかった男女を一緒に葬った塚やお墓のこと。こちらの比翼塚にも、この先にある竹崎観世音寺に縁が深い悲恋物語が伝わっています。
若武者と許嫁の悲恋物語
1591(天正19)年の秀吉の朝鮮出兵の際、有明海を挟んだ柳川の立花藩の若武者、真之助も出陣することに。許嫁の若姫は月に1度竹崎観世音寺を訪れ、真之助の武運と無事を祈っていました。その甲斐あってか真之助は生きて帰って来るも、戦で両目を失明していました。そんな真之助を連れ竹崎観世音寺にお礼参りに出向いたところ、真之助はお坊さんの説法に心打たれ、名を真海と改め仏門に入ることを決意。許嫁に別れを告げます。姫は真海のことを忘れられず、彼の目が再び見えるようになることを願って、柳川の海岸から竹崎の沖に向けて千日間の燈籠流しの願掛けを行います。そして千日目の夜、姫の願いが竹崎観世音菩薩に通じ、真海の目に再び光が宿ります。姫はお礼参りに竹崎観世音寺を訪れ真海と再会しますが、仏に帰依し修行に励む真海の心は変わらず、悲観した姫は海に身を投げたのでした・・・。不憫に思った人々が真海の死後、姫の墓の横に真海の墓を建て、比翼塚として現在に伝わっています。
『太良町の文化財と祭と民俗芸能』太良町むらおこし実行委員会 より
この話を読んで、わたしには美しい悲恋物語とはとても思えなかったよ・・・?(むしろ姫の思いがこわいよ・・・)
竹崎火山 楯石岩脈
ところで、竹崎島は約200万年前〜数十万年前の噴火によってできた考えられていて、なんと!島全体が小さな火山なんですって!!
比翼塚が乗っている「渡り口の楯石」(楯石岩脈)もかつての噴火によってできたもの。ひょうたん島めぐりのパンフには「約30mの長さに列状をなす巨石群」と書かれているので、ここらへんの岩全体のことなのかしら・・・。解説板だけではいまいちよく分からず。
比翼塚の左側にはお地蔵さまがいらっしゃって、その周囲にも苔むしてゴツゴツした岩肌が続いていました。
火山に対する知識がなさすぎて、写真をどう撮ったらいいのか迷ってしまいました。ここではうまく目の前のものを吸収できなかった気がします(反省)。
実は旅の前の下調べで竹崎島が火山であることは知っていて興味があったのだけれど、ネットで見つけた竹崎火山の資料を読むのをうっかり忘れて旅に出てしまったの・・・。でも実際に島を歩きながらその痕跡を発見できたらいいなーってゆるゆるな気持ち。
わたしがいるのはまだ島の入口。島の探索は始まったばかりです。さらに奥へと進んでいくことにいたしましょう!
まずは比翼塚の悲恋物語にも登場する竹崎観世音寺を目指します。
ふと横に顔を向けると屋根の上に海が広がっていました。どうやらあそこが竹崎港のようです。
竹崎観世音寺
海に向かって駆け下りたい衝動を抑え、まずは竹崎観世音寺へ。実は今回の旅の一番の目的はここ。今日の夜と明日の昼にかけてお祭りが行われるのです。が、本当にあるのか・・・?というひっそり具合でちょっと不安に。
行基によって709(和銅2)年の奈良時代に創建されたとされる由緒あるお寺で、平安時代には天皇家の菩提寺である京都の仁和寺の末寺として大変栄えていたそうです。境内には鎌倉時代中期に作られた三十塔や、室町時代の六地蔵等も残されています。
あちこちに時代を感じさせる石塔が植物にまぎれてひっそりと存在していて、大層ときめいてしまいました。
ここがわたしの初詣。お参りして、おみくじを引く。「吉」が出たーやったーーー!って思ったけれど、なんだかいつもの神社のおみくじと違って堅苦しい小難しい・・・(でもなんだか絵がかわいい)。とりえず大事な部分を確認。「旅立よろし」。あざっす!!
江戸時代には、有明海周辺の大名の信仰があつかったようで、「諫早藩日記」には諫早候が本堂をはじめ、海岸から境内までの石畳を造られたという記録が残っているそうです。
本来なら海岸から登ってくるべきだったな・・・。なんて思いながら、階段を降りていきます。
階段の途中にちょっとした広場と公民館のような建物があり、隅っこに意味ありげな棒を発見!町人ぜんぜん発見できないけど、もしや祭りの準備なのでは・・・?(どきどきわくわく)
竹崎港が噴火口!?
階段を下り終わると、竹崎観世音寺からも見えていた竹崎港が目の前に広がっていました。実はこの港が竹崎火山の旧噴火口。噴火口の一部が崩れて、そこから海水が入ってきてできた日本でも珍しい火山港なんだって!(他には鹿児島県の山川港や伊豆大島の波浮港などがそうらしい)
ここが噴火口だったなんてちっとも想像できませんが、海の中を見たらその痕跡が残っていたりするのかしら。ヘルメット式潜水服を着て潜ってみたい・・。
竹崎島の人びと
どこか海岸に降りれるところがないかなー。そんな風に思いながら港沿いを歩いていると、地元の人たちが談笑していました。
「写真撮りに来たんですか?」
1人の男性がにこやかに話しかけてくれます。竹崎島で印象的だったのは、道ゆく人たち(大人も子供も)がみんな挨拶してくれること。この感じ、とても懐かしい。わたしも子供の頃は地元でこんな風だったなー。
竹崎観世音寺のお祭りを見に行きたことを伝えると、なんとその方がお祭りで重大な役割を担う子供のお父さんでした!びっくり〜。そのお子さんも近くで近所の子どもたちと楽しそうに遊んでいました。
地元の人との束の間の交流を楽しみ、別れを告げて再び歩き始めます。するとすぐに不気味かわいい遊具を発見!
火山の痕跡を探す
海岸へ降りれる場所を探して防波堤沿いを歩いていると、突き当たりに行き着いてしまいました。特に降りれるところがないなら防波堤を乗り越えて海岸に降りてみよう。そこまでするのはもちろん理由があります。
わたしは火山の痕跡が見たいんだー!!
防波堤を乗り越え、海岸へと降り立ちます。うん・・・火山の特徴があるのかぜんぜんわからない・・・。だって、知識がないもんね・・・。
でも!なんか!あの遠くのあたり、ちょっと、っぽくない???(漠然とした言い方)
冒険したがりのくせに超ビビりなので、あそこまで行って急に満ち潮で戻れなくなったら怖い!!!それになんだかここじゃなくて他にもっといいスポットがありそう・・・そんな予感がしたので、早々にこの場を離れることにしました。
竹崎カニ発祥の地
よし、今度は竹崎港の反対側に行ってみよう。再び勘をたよりに歩きます。鷹か鳶がぴーぴょろろーーーーって鳴いているのが聴こえます。同じく港町の故郷を思い出して心地いい・・・。
すると再び行き止まりに・・・。眼の前に現れたのはすでに廃墟となってずいぶん時が経っていると思われる龍宮かに荘。
横に目を向けると「石田仁一翁顕彰碑」と書かれた石碑がありました。その下に立てかけられた「カニ発祥の地」の説明板には次のように書かれています。
竹崎かに発祥の地
この顕彰の碑が建っている場所は龍宮かに荘初代石田仁一翁が昭和二十三年八月太良町で初めて学名(カザミ蟹)を竹崎かにと命名して世に送り出した当時のかに炊事場跡地である。記 昭和六十二年七月 吉日
石田仁一さんが「竹崎かに」を命名したのですね。ネーミングってとても大事だと思う。間違いなく「カザミ蟹」より「竹崎かに」だよね。今では龍宮かに荘も閉業して荒れ果てているけれど、わたしは石田人一翁のこと、忘れないからね・・・!!(大袈裟)
さて、この後のことは訳あってはしょりますが、己の直感を信じて心の赴くままに突き進んでいくと・・・
土星に降り立つ
そこには予想を遥かに超えた素晴らしい光景が広がっていた・・・!!!!!
大興奮してシャッターが止まらない!!!(至福の時)
相変わらずぜんっぜんどこが何でどんな特徴をあるのかちっともわからないんだけど、間違いなくここは地球が成長してきた一瞬一瞬の記録が色濃く残されている場所だと感じました。
ただこの時、興奮しすぎて重大なことをやらかしていることにまだ気付いていないのであった・・・。
もっと奥に進みたい気持ちはあったのですが、やっぱりチキンであるわたくし。満ち潮に怯えてこの場所だけで満足して去ることにします。
ちなみに旅の前に読んでいこうと思って忘れてた竹崎火山に関する資料を帰宅後に読んでみると、火山の痕跡が見られる場所が地図に親切丁寧に記されてましたよね・・・。ちゃんと事前に読んでいればー!でも、自力で発見する楽しみを味わえたからよしとする!!
竹崎火山ツアーを妄想する
火山学者や地質学者と一緒に見て解説してもらいながら周ったら楽しいだろうなーって思ったよ。誰か竹崎島でツアー開催してくださいっ。さらに竹崎港をヘルメット式潜水服で潜って火山の痕跡さがせたらなおよし。そして夜はもちろん旅館で贅沢カニ料理と温泉です・・・!!!(絶対行く、なにがなんでも行く)
天国からの地獄
海岸を後にして空を見上げるとたくさんの鳥が不穏に空を舞っていました。
さて、まだ夕暮れには時間があるから別の場所を散策しようね。地図を見るためにスマホに手を伸ばします。
(ポケットをごそごそリュックをごそごそ)
ない・・・ない・・・・・・
どどどどどこにもない・・・・・・!!!!!!
もしかしてもしかしなくても、さっきの火山の痕跡スポットで落としましたね・・・?慌てて例の場所にUターン!!(実は怖くて2度と通りたくないような場所を通るのでほんといやだった・・・)
見つからなかったらどうしよう。旅先でスマホを失ったら待っているのは絶望のみです。
「わたしのスマホ!いずこーーーーー!!!」
あ、あったーーーーーー!!!!!
大喜びして近づいてみると・・・
こういう時は電源切れた状態で水分が蒸発するまで放置するのが一番だとはわかっているんだよ・・・。でも・・・でも・・・待つことなんかできない!!何度も通電を試み、その度に悪化していく状況・・・。そうだ、ホテルにチェックインしてドライヤーで乾かしてみよう・・・!!!
泣く泣く散策を切り上げ、陽が沈みつつある竹崎港を走り抜けます。
たら竹崎温泉 一福荘
本日のお宿は竹崎港のすぐ目の前にある一福荘。
去年の12月に改修したばかりらしく、今っぽい清潔感のあるお部屋でミネラルウォーター付きでアメニティも充実してました。素泊まりで13,000円とお高かったけど正月だし仕方ない。ほんとならカニ料理食べたかったなー。ひとりでも食事付きにできると最高なのにな・・・。
窓からは竹崎港を一望することができました。旧噴火口を上から眺め放題だなんてめちゃくちゃいいお部屋じゃないか・・・!
は!そんなことしていないでドライヤー!!!ぶおぉぉぉーーーーんと乾かしてみるけど・・・
時間がもったいないので、とりあえずスマホのことは一旦忘れて部屋に放置。完全に暗くなる前に取りこぼした場所を時間が許す限り散策しにいくぞ。
そして、いよいよ夜には待ちに待った竹崎観世音寺のお祭りです・・・!!!
【参考文献・サイト】
岩石鉱物鉱床学会誌 第66巻 第5号 山口征夫
【使用カメラ】digital:SONY α7III +NOKTON classic 40mm F1.4、SIGMA 24mm F1.4、SIGMA dp3 quattro、film:CONTAX Aria + Planar 50mm f1.4
③竹崎島正月ひとり旅2024へつづく▼▼▼