中津編の後編です。
CONTENTS
中津大神宮・金刀比羅宮・中津城
糖分補給して満たされた後は、中津大神宮へお参りに行きます。お隣は中津城。
末社の金刀比羅宮にはなんとも可愛らしい鯛のお姿が…!高まるぅぅぅーーーーーっ
巫女さんに聞いたところ、近くの魚市場のお祭りで担がれていたお神輿が奉納されていることでした。細かい部分は違うけれど、一つの木から彫り出した一木造りなのだって。実際に担がれてる姿を見てみたかったなぁー。
せっかくだからと中津城にも行ってみました。
結構迫力満点な展示物がいくつかあり、すごいなぁー…なんて思いながら階段を登っていくと、なんと!先ほど村上医家史料館で見た兵法の資料に載っていた磔のおっさんがいるではありませんか…!!!
この方、36歳(見えないね…?)で処刑された鳥居強右衛門さんというらしい。こちらのサイトに旗に描かれた理由も書かれていたので転載します。
初め徳川家康に仕え、のちその子紀州藩主頼宣に仕えた武将落合左平次道次(?~一六二〇)が、合戦の時に自らの存在を顕示するため背中にくくりつけた指物。半裸の磔の姿で描かれている人物は鳥居強右衛門といい、天正三年(一五七五)五月、長篠の戦いで家康の将として長篠城を守った奥平信昌の家臣である。強右衛門は、武田勝頼の軍勢に包囲された長篠城から、岡崎にいた織田信長・家康に援軍を要請する使者として派遣され、その帰路武田軍に捕らえられた。その際、敵をあざむいて援軍が到着することを味方に伝え、長篠城の危急を救おうとしたため、同月十六日、磔にされたと伝えられる。落合道次は長篠の戦いに従軍し、強右衛門の磔の姿を見たという。
※指物(さしもの):鎧の背にさし、または従者に持たせて、戦場での目印にした小旗や飾り物のこと。
愛知県豊川市の松永寺には、磔像があるらしいので行ってみたいです。
豊川にはダキニ天が祀られている豊川稲荷もあるし、見てみたいお祭りもあるので、その時期にあわせていきたいなぁー。
あ、もちろん中津城ではてっぺんまで登って下界を見下ろしてきましたよ。
最強レトロ銭湯「汐湯」
まだ3時で明るい時間だけど人が多くなる前に…と、銭湯の汐湯さんへ。お城から歩いていくとまず木造三階建ての建物が目に入ってきて大興奮!!!
あれ?看板に「割烹汐湯」と書いてある。なんと、大正初期に建てられたこちらの木造の建物では、要予約で懐石料理や宴会、お弁当もいただけるそうです(一人だとダメぽかったので誰か…一緒に行ってや…)。嗚呼、中に入りたい…
そのお隣にあるのが銭湯で、こちらの建物もなかなかの味わい。グリーンの円柱のタイルや扉のモールガラスに胸が高鳴ります。
着替えもなにもかも駅のロッカーに置いてきてたので中に入るか迷ってたんだけど、実物見たら迷いは一瞬で吹き飛びました。
これは突撃するしかない!!!
(ちなみに番台でタオルや石鹸購入できます)
中に入るともう興奮が止まりません!!思わず番台の女性に質問攻めしてしまいました。(撮影許可もらってます)
そして私が一番見たかったのがこれ。
浴室を彩るこちらのタイル絵が大好きすぎて、どうしても撮りたかったんだー!お風呂に浸かりながらうっとり見てしまったよ。最初アダムとイヴかと思ったんだけど、もぎっているのは葡萄だね。なにをモチーフにしてるのだろう?男湯のタイル絵がどうなってるかのかも気になります。
新鮮な気持ちで見たいからほぼ情報を入れずに行ったので、後日ネットでいろいろ調べてみたら、なんと休憩スペースもあったらしい…!見たかったー!!中津はまた行こうと思っているので、その時の楽しみにしておこうと思います。
ところでお風呂からあがってから気づいたんだけど、入口から脱衣所が丸見え…!!堂々とスッポンポンになってたよ…。見られてはいけない人に見られていないことを祈る…!!!(というわけで、これから行こうと思ってる人はお気をつけくださいませ)
ちなみに銭湯のお隣にあった建物もよかったよー。
左の建物は歯科と書いてるから歯医者さんだったのかなぁー。右の木造の建物も良き。この並びは最高ですね。ずっとこのまま残っていてほしいなぁー。
閻魔堂
お次は圓龍寺の閻魔堂を見てきました。
右側にいらっしゃる奪衣婆(だつえば)の存在感がすごい…!人毛?人工毛??髪の毛が生えてるよ…。お顔も独特でした。
閻魔堂のお隣は観音堂で、その右側にも小ぶりの閻魔さまがいらっしゃいました。
絵馬があったので閻魔堂の方をいただいて、なにも書かずに記念に持って帰ったよ。絵馬コレクション、増やしていきたい。
全国の閻魔堂を見てまりたい気持ちが高まっている。実は玉名にもあったんだけど、歩きでは難しい距離で(バスもなさそうだった)断念したのでした。
*博多にある閻魔堂の記事はこちら↓
河童伝説の伝わるお寺
閻魔堂の真向かいには、黒田官兵衛による開基(建立)の円応寺があります。仏門に入り寺を火難から守った河童にまつわる話が残っていて、境内には河童の墓と河童の池、「水」と書かれた瓦もありました。
河童の戒名が書かれた護符の版木が残されているとのことだけど、河童の絵が描かれたりしてないのかな…??み、見たい…
おわりに
中津は古いものと、お洒落なお店が混在しているような不思議な街だと思いました。古い町並みが好きな若い人が好んで住んでたりするのかな??私も老後に住みたい街ランキングの上位に入り込んでいます。またゆっくり中津に訪れたいです。
日が暮れる前に、中津駅からJRで2駅の宇島駅へ。熊本県玉名市、大分県中津市のお次は福岡県豊前市が舞台です。なんとも味わいのある民宿を紹介したいと思います。
【使用カメラ】film:OLYMPUS PEN FT、digital:FUJIFILM X-T3、iPhone
玉名・中津・求菩提ひとり旅2020⑤【レトロ旅館編】へつづく▼▼▼