バス停から30分ほど歩いて訪れた籠目権現。ここからさらに40分ほど歩く覚悟を決めます。
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音無井路十二号円形分水
目指すは二階堂のCMでお馴染みの「音無井路十二号円形分水」・・・!!
昭和9年に完成した円形分水。円筒状の分水路に空いた20個の窓によって水は各集落に平等に分配されます。
道路標識にもちゃんと書かれていました。
あちこちに設置された看板を辿りながら歩いてきいます。
足はすでに限界を迎えています。ストップするときっともう一歩も前に進めない・・・。体に鞭打ちひたすら前に進むのだ・・・。
あ!見えてきた・・・!!!
もう少しで到着!早く近くで見たいよーーー
はい!立ち入り禁止ーーーーー!!!!!
ちっとも知らなかったよ・・・(号泣)
すぐ目の前にあるというのに・・・約40分もかけて歩いてきたというのに・・・これ以上近づくことができないだなんて・・・。
新鮮な気持ちを味わいたいために、あまり下調べをしない自分のせい。がっくり肩を落としながらも、この状況を「おいしい」と感じてしまう自分もいるから重症です。
なんとか近づかないでいい感じに撮れる角度がないものか・・・。
うん!無理だね・・・!!
また雨がパラパラと降ってきたので、雨宿りがてら近くの東屋で昼食をとることにします。
円形分水を見ながら食べるカレーパンのなんと美味しいことよ。
円形分水の歴史
東屋には解説板がありました。
1693(元禄6)年 井路開削計画、1715年年着手したが通水に至らず諸般の事情で中止
1892(明治25)年 現在の円形分水まで通水
1934(昭和9)年 円形分水(十二号分水)竣工
1984(昭和59)年 土地改良施設維持管理適正事業により原形通り改修
なんと計画は江戸時代にまで遡るのですね。紆余曲折あり(発案した岡藩の家臣が、暴風雨による崩壊の責任を負って切腹したりとか・・・)、完成したのはその241年後。円形分水ができるまでは、水の配分でお互いに反目し合い、連日のように水争いが繰り返されたようです。豊かな水は争いの種にもなるのですね・・・。
「水は農家の魂なり」
解説の最後に書かれたこの一文。考えさせられます・・・。
帰り道
エネルギーも注入し、休憩してちょっと復活!滞在時間はほんの30分ほど。田舎で帰りのバスに乗り遅れたら一大事。急いでバス停に向かわねば・・・!ちなみにここから歩いて1時間以上かかるそうな・・・(白目)
すると雨がパタっと止む。今回の旅、怖いくらいついている・・・。そのままUターンするのはつまらないので、行きとは異なる道を選んで帰ることに。
すると小さな集落がありました。
立派なお家もあります。
この道を選んでよかった・・・!!!
さらに進んでいくと、公民館がありました。
なんだかいい感じの木造の建物・・・。
もっと近寄って見たいけど、地元のじじばば様たちが何やら作業してるみたい・・・。遠くから写真撮ってたら、指をさされたので「やばい!不審者と思われてしまう・・・!!」時間もなかったので、会釈だけして前に進むことにします。
今後の課題は時間に余裕を持つことと、コミュニケーション能力を高めて地元の人と会話することですね。もしかしたら籠目権現のことも聞けたかもしれないし。うーん、惜しいことをしたぜ・・・。
竹林を抜けると、行きの時に歩いてきた道に戻ってきました。
円形分水の看板は左の道を指していましたが、真っ直ぐ進んだ方が早く着いたような??
この後、道を盛大に間違い慌ててUターン!!
やばい!ちょっと余裕を持って出発したはずなのに、いつの間にかバスの時間ギリギリだよ・・・!!坂道を競歩競歩競歩!!!
ほんとは時間があったら籠目権現をリベンジしたいと思ってたけど、ぜんぜんまったく時間が足りなかったわ・・・
あの悲しい猫の姿をまたみるのは辛いので(ごめんよー)、ショートカットできる畦道を見つけてそちらを通り抜けます。
ぜーぜー言いながらなんとか盛り返して15分前に到着!!!よかったーーーーー。
バス待ちをしていると再び小雨が・・・。濡れない場所に避難してことなきを得ます。
定刻通りにバスが到着。再び城下町へと戻り、いよいよ旅も終盤です。
■参考サイト/ 音無井路円形分水 音無井路十二号分水 - Wikipedia
【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2
⑪竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎