向かった先は竹田キリシタン資料館から歩いてすぐの豊後竹田駅・・・の裏側。まさかこんな近くにあっただなんて・・・!!
CONTENTS
豊後竹田駅裏の天使?
「今は使われていない建物の隣に入口がある」と聞いていたので、その話を頼りに進んでいくと稲荷神社の隣にそれらしき建物が・・・。
建物もめちゃくちゃわたし好み!元はなんの建物だったのだろう?
滝!こんな近くに・・・!!!
フェンスで区切られた敷地と建物の間に細い路地があり、その先に小さな階段がありました。どうやらここが入口のようです。
階段を登るとさらに上へと続く階段があります。
下木石仏
駅から見えていた滝のすぐ隣に、その方はいらっしゃいました。
緑がかった崖と同化していて少し見えにくいけれど、よーく観察すると体の両側に放射状の線が伸びているのがわかります。
炎や後光のように見えなくもないけれど・・・。
資料館にはもっと明瞭に撮影された写真パネルが展示されています(どうやってこんなに鮮明に撮ったんだろう?次行った時に聞いてみたい)。
これは・・・羽根だね・・・!!?
昨日見た迫力満点の磨崖神像とはまた違ったタッチ。こちらの磨崖仏(磨崖神?)は、まるで古代の彫刻のような原始的な雰囲気がしてなんだか見ててドキドキします・・・。宮崎駿が描く神話とかに描かれそうな雰囲気。巨神兵とかちょっと怖い感じの。言いたいことわかる??
横にも小さな磨崖仏がいらっしゃいました。こちらもわかりにくいけど、羽根の像とは違って従来の仏様の雰囲気。
滝もこんなに間近に見ることができます。
そしてもちろんあの月の灯りもこんな近くで見れちゃうぞ!
豊後竹田駅に着いた時にまっさきに目に入った月。旅の最後の最後にこの場所にくることになるなんて、あの時はちっとも思っていなかったなぁ。なんだかとても不思議な気持ちです。
崖からは竹田の城下町を見渡すこともできます。こうやってみると山に囲まれていることがよくわかる。あの山の尾根にもキリシタンが眠っているのかしら・・・(尾根にキリシタン墓が多く残っているらしい)。
岩下火伏稲荷神社
せっかくだから通り道にあった稲荷神社にも、帰りがてら寄ることにします。
明治初年の維新の頃、このあたりに火事が多く起こったことから火伏祈願のために伏見から御神体を勧請し、西光寺(検索したら神社のすぐ近くにあった)の庵を懇請し祀ったことが起源とのこと。
頭がパーなので最後がちょっとよくわからなかったのだけど、元々はお寺の小屋(庵)があった場所を神社にしたということ?なの???(見当違いなこと言ってたらすんません)。
その庵があった時から五角形洞窟の形をしていたのか、はたまた稲荷神社を作った際に掘ったもなのか・・・。
昨日訪れたお稲荷さん同様、こちらの洞窟も五角形洞窟。規模がめちゃくちゃおっきい!竹田市内にある洞窟の中で一番大きいそうです。
今は何も置かれていない穴もありました。きっとお地蔵様や仏様が置かれていたんだろうね。左の大きめの穴は倉庫とかに使われてた空間だったりするのかな?
拝殿横には扉があって、横の穴と繋がっていました。
洞窟をひとつの家として使用している感覚。この地に住む人たちにとっては洞窟が生活の一部だったのだね。
稲荷神社からの眺めもとってもよかった!タイミングよく電車が3台もとことこ走ってきてくれました。
下に降りてさらに撮らせていただきまぁーーーす!3台もあるのにずっと電車が止まって動かなかったので撮り放題。田舎の電車時間の本数よ・・・
五角形洞窟の稲荷神社、近くだとなかなか全体が把握しづらくていまいちピンときてなかったけど、遠くから見たらスケールでかくてめちゃくちゃかっこいいな!!
五角形洞窟とキリシタンは関係するのか?
竹田は柔らかい溶結凝灰岩に囲まれた盆地だったことから岩を加工する技術が発達し、昔から神社やお寺、民間信仰の像などを、洞窟を作って祀ることが自然に行われていたのではないかなぁ。洞窟に埋め込む方が敷地を有効に使えるし。キリスト教が入ってきた時にも、教会を作ることより洞窟礼拝堂を作る方が人々にとっては自然だったのかも。現在竹田市内に多くの洞窟が残っているのは、さまざまな信仰の場として使用されていた証なんじゃないかなぁ・・・。なんて、素人ながら思いました。
哀しみのソフトクリーム
さて、荷物を受け取りに再び宿へと戻ってきました。最後にここでちょっとだけ休憩。まずはコーヒーをいただきます。
そして冷たくてあまーい・・・ソフトクリーム!!!
とワクワクしながらオーダーしたら、なーんと閉店間近で終わってた・・・。実は昨日宿泊した際も注文したらメンテナンス中で食べることができず、今日ぜったいに食べようと心に決めていたのでダブルパンチ。次来た時にはぜったい食べてやるんだからな・・・!
休憩している時にどうしても最後に行きたいお店を見つけてしまい、あわててお宿に別れを告げて出発。駅と逆方向だし切符も購入しなきゃだしギリギリ・・・。でもこの思いは止められないのだ!
たぬきケーキ
重い荷物をがらがら引いて、ぜーぜーいいながら訪れたのは西出開花堂・ファッションケーキ クローネ。
つぶらな瞳のあの子をお迎えしにきたよ!
可愛い可愛いたぬきケーキ。売り切れてやしないかヒヤヒヤしたけれど、わたしのために残っていてくれました。かわいい子を自分へのお土産にゲットできてほくほく。せっかくのケーキをぐちゃぐちゃにしてしまわないよう、細心の注意を払いながら駅へと急ぎます。
毎度お馴染みのうっかり
出発時刻に無事間に合って、窓口でチケット発券してもらってほっと一安心。ホームへ向かうとすでに電車が待っていました。
駅から見える滝ともこれで見納め・・・。
電車内でも先頭の窓からしつこく滝を撮っていたら、先ほど窓口でチケットを発券してくれた駅員さんがやってきました。その手には見覚えのあるケーキの箱が・・・。
ナイスガイの駅員さん!追いかけてくれてほんとにありがとう!!心優しい人たちに助けられてなんとか今日も生きております。
豊後竹田駅を19時前に出発し、行きの時と同じように電車を乗り継ぎ&乗り継ぎ。
自宅に着いたのは日付が変わる数分前でした。もうこの頃には疲れ切ってて白目むいて泡を吹いています。次の日が休みでなければどうなっていたことか・・・。
竹田キリシタンについて
明治以降に建てられた歴史的・文化的価値のある教会や、実際に「隠れキリシタン」の信仰が残っている地域は世界遺産に登録され、教会やキリシタンに関係する史料が残っていない竹田は未登録(世界遺産になることが必ずしもいいこととは限らないけれど)。それでも、この地にキリシタンの文化が花開き、息づいていたことは間違いないと実際に竹田の町を歩いてみて感じました。
また、『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市、令和2年3月改版)には以下のようなエピソードが書かれています。
禁教下の1738(元文3)年、今でいう自治会長の役割を担っていた商家の地下に礼拝堂があることが発覚し、長崎送りにされ処刑されるという事件がありました。踏み絵が行われている最中に床が抜け落ち、地下室の祭壇とマリア像(絵だったとも)が見つかったそうです。そのことだけでも驚きなのですが、商家の子孫の話がとても興味深いのです。以下抜粋させていただきます。
自分が中学生だった昭和20年のこと。今でも思い出す奇妙なことがあった。祖母は毎日、仏壇の前で本を開いて小声で何やら熱心に唱えていた。そこで、祖母に『おばあちゃんが見ているその本は何?何を唱えているの?』と聞くと、祖母はニタッと笑って、『さあ、何かな?お経かもな?』ととぼけた。だが、今になって思うと、その本はすべて平仮名で書かれていたので、あれはキリシタンの教義書である『どちりなきりしたん』だったのではないか。実際に仏壇の上にはマリア様の絵が掛けられていた。
それが真実ならば、このように禁教が解かれた後も誰に明かすわけでもなくひっそりと信仰を続けてきた人たちが、少なくとも昭和の初め頃辺りまでは竹田に限らず全国に存在したのではないか・・・。それがとても自然のことのように感じます。
最後に
竹田。好きな街がまたひとつ増えました。今回の旅では時間がまったく足りず、岡城にも行けなかったし城下町も満足に散策できず。三日月岩の前の水上の舞台で舞われる薪能も見たい!また必ず竹田に行こうと思います。その時にはまた大好きになったあのお宿に泊まりたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2