鹿児島市内にはザビエル上陸450年を記念して1999年に新築された鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂があります。実はこの教会は3代目。この度、初代から3代目までの教会をすべて巡ってきました・・・!!
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初代・ザビエル滞鹿記念碑(ザビエル公園)
まず最初に訪れたのが、ザビエル滞鹿記念碑のあるザビエル公園です。
こちらの記念碑が初代ザビエル教会・・・の一部。1908(明治41)年に、ラゲ神父によって石造りの聖堂が作られました。そう、福昌寺に散在していた浦上のキリシタンたちのお墓を1箇所に集めて記念墓碑を造ったあのラゲ神父です。
うぅ、めちゃくちゃ素敵な教会だったのですね・・・。初代ザビエル教会は1945(昭和20)年の鹿児島大空襲によって外壁の一部を残し消失。その残された外壁を組み合わせて1961(昭和36)年にザビエル滞鹿記念碑は造られました。当時の写真を見ると、聖堂の上の部分と下の門の部分を組み合わせて作られたことがわかります。
ところで、よーーーく見てください。ザビエルさんの名前・・・。
現地ではまったく気づかなかったけど「ザビエル」が「ザビエ」になってる!「ル」は?「ル」はいったいいずこ・・・!??これは聖堂を作ったラゲ神父が間違った・・・わけではもちろんなく、どうやらザビエルのフランス語読みに関係しているようです。
詳しくは以下ブログをお読みください(めちゃくちゃ詳しく調べてらっしゃる・・・。コメント欄もぜひ読んでみて)。
記念碑の隣には、ザビエルとザビエルを鹿児島に案内したアンジロー(ヤジロウ)と、ヨーロッパの土を踏んだ最初の日本人であるベルナルド(洗礼名)の石像もありました。
ザビエル公園に残る初代ザビエル教会。出来ることなら完全な姿で出会いたかったけれど、当時の教会の面影を少しでも感じることができてよかったです。
3代目・鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂
戦後に建てられた2代目の話はもう少し後にすることにして、お次は3代目をご案内。ザビエル公園前の道路を挟んだ真向かいに現在の鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂が建っています。一見教会とわかからない外観をしていますが、教会前にはザビエルさんの像と、天にそそり立つ鐘楼の頂点には十字架が掲げられています。
ザビエルと蟹
その鐘は「ザビエルの鐘」といわれ、鐘の背面には十字架を掲げるカニの姿が刻まれているそうです(み、見たい・・・)。なぜ蟹なのかというと、ザビエルには蟹にまつわる逸話がいくつか残されていて、海に落とした十字架を届けてくれたとか、船に開いた穴を甲羅で塞いで助けてくれたとか(蟹は絶命)。その逸話の残る地域では、現在でもザビエル蟹と呼ばれる蟹が水揚げされていて、その甲羅には十字架の模様が浮き出ているそうです。
フランシスコ・ザビエル肖像
最近ザビエルの肖像画を改めて見る機会があったのですが、その蟹の逸話を知った今では手の形がもう蟹にしか見・え・な・い・・・・・(実際は祈りのポーズらしいです)。
教科書などで昔から見慣れていたザビエルの肖像画。今まで漠然と見ていたけれど、改めてまじまじと見てみると下部には漢字のような文字も書かれています。西洋人が描いたものと思い込んでいたけれど、西洋の技法を学んだ日本人絵師によって江戸時代初期の日本で描かれたと思われるとのことでした。狩野派を示す落款の壷印とペトロを示す「漁夫」の署名から狩野派の絵師ペトロ狩野(狩野源助)とする説がありますが確証はないそうです。
この肖像画が見つかったのも比較的最近のことで、禁教が解かれた後も隠され、キリシタン大名の高山右近の旧領であった現在の大阪府茨木市千提寺(地域名)の民家で大正時代に発見されたものらしい。梁にくくりつけられていた「開けずの櫃」と呼ばれる箱に、ザビエルの肖像画をはじめとするキリシタン遺物が入っていて、その民家では他人にその存在を明かすことのみならず、箱を開けることすらもタブーとされていたとか・・・(ドキドキが止まらない)。
こんな裏話があっただなんてまったく知らなかったよ!現在は神戸市立博物館が所蔵。保存の観点から通常はレプリカを展示しており、年に一回実物の展示が行われているそうです。厳しいキリシタン弾圧をかい潜って生き抜いてきたザビエルの肖像画の実物をいつか見てみたい・・・!!大阪にも高山右近の痕跡をたどりにゆきたいな・・・。
は!ちょっと脱線してしまいました。
2F
話は戻りまして、まず主聖堂のある2階へと足を運んでみることにしましょう。
う、美しいーーーーー!!!
自然と精神世界に潜っていけるような神秘的な空間が広がっていました。
途中日本人の団体ツアー客が入ってきたので、後でまたゆっくり見学しようと1階を見学してから再び2階に戻ると今度は3人組の女性が入ってきました。どうやら信者の方で「知りたいことはなんでも聞いて!」と言ってもらえて、色々とお話を伺うことができました。
天井の切妻屋根の形状はザビエルが渡航してきた船をイメージして作られているそうです。
12角形の柱は12使徒を表しているとのこと。言われなかったらまったく気づかなかったよ・・・!
また、印象的な赤と青のステンドグラスは、殉教者の血とザビエルの情熱(赤)と、祈り・静寂・海(青)を表しているそうです。
なるほどなぁと思うことばかり。他にも色々な意味が隠されていそうで気になります。
ザビエルの聖遺物
そして、このザビエル教会には、特別なものが安置されています・・・。
なんと、こちらにはザビエルさんの聖遺物・・・つまり、骨の一部が収められています。
カトリックでは、キリストや聖人の遺骸や遺品は聖遺物と呼ばれ、信仰の対象になっていて、キリシタン弾圧によって日本で殉教したキリシタンたちの遺体にも信者たちが群がったといいます。
日本二十六聖人の聖遺物についての記事はこちら▼▼▼
長崎カメラさんぽ2023②【日本二十六聖人編】 - 彷徨する旅のアーカイブ
ザビエルは日本の布教後、中国への布教を目指すも、志なかばで広東省の上川島で病死。一旦は上川島で埋葬されるのですが、マラッカを経てインドのゴアへ運搬することになります。墓を掘り起こしてみると、なんと高温多湿という条件の悪い条件にも関わらずミイラ化していたというのです・・・!!(聖人伝説ではよくあることらしいぞ)現在、ザビエルの遺体はゴアの教会でミイラ化した状態のまま聖遺物として保管されています。
そしてこちらはザビエル教会に実物がきたことがあるというザビエルの右腕。
日本には他にもいくつかザビエルの聖遺物を保管している場所があるようで、以下ブログにわかりやすくまとめられていましたので興味のある方はご覧くださいませ。
十字架の道行(みちゆき)
色々とお話しを伺っていると、このようなお誘いを受けました。
「これから十字架の道行をやるので一緒にやりませんか?」
十字架の道行・・・???生まれて初めて聞く言葉。わたしのために短縮してやってくれるようで、ぜひにと参加させてもらうことにしました。
では、「十字架の道行」についてWikipediaから抜粋させていただきますね!
カトリック教会で行われる儀式で、中世末期から行われてきた。キリストに倣う一形態ともいえる。イエス・キリストの受難の捕縛から受難を経て復活まで15の場面を、個々の場所や出来事を心に留めて祈りを奉げる。聖地巡礼ではそれぞれの場所で祈祷を行う。これを模すためにカトリック教会の聖堂では壁に捕縛から埋葬まで14場面の聖画像が掲げてある。最後の15番目の場面の復活は祭壇側に向かって祈る。
聖堂内の壁面には小さな額の絵がぐるっと一面に飾られています。これらの絵はイエス・キリストが捕縛され、十字架に架けられ殉教するまでの様子が描かれていたのですね。
思い起こせば、今まで訪れた教会にもありました・・・!!!
どちらも大好きな教会。これらは十字架の道行の儀式をするためのものだったのか〜。まったく知りませんでした。津和野旅についてはまとめたいと思ってはいるのですがまだ書けていませんね。いつか、かならず・・・。
まず十字の切り方を教わり(あのよくみるやつ!教えてもらえて嬉しかった。もう忘れちゃったけどな!!)、絵の前で一緒に十字をきって、祈りの言葉を唱えます。
それぞれの絵の前で「今はこういう気持ちで祈っていた」などと説明してもらいながら、最後に正面の祭壇前で祈って十字架の道行(短縮バージョン)を終えました。
貴重な体験ができてとても嬉しかったです・・・!
1F
展示室
2Fの聖堂から1Fの展示室へと移動します。ザビエルやザビエル教会に関する資料等が展示されていて、ここでも色々と説明していただけました。感謝しかありません・・・。
先ほど紹介した空襲で外壁のみを残し失われた初代教会の破壊される前の写真だけでなく、なんと比較的最近見つかったという貴重な内部写真も展示されていました。
す、すすす素敵すぎるーーーーー!!!
結婚式の写真ですよ・・・。着物好き&和洋折衷大好物の自分にとったら何度でもごはんが食べれるくらい美味な写真・・・。和装にベールがたまりませんね・・・。
残念なことに説明の書かれたキャプションをちゃんと撮り忘れたので正確なことはわからないのですが(ばかばかばか)、1945年の空襲で初代教会は外壁を残して失われてしまうので、それ以前の写真ということですね(大正〜昭和初期くらいかなぁ)。子供の制服みたいな格好もかわゆい!!!
床に目を向けると、わたしの大好きな昔の畳のある教会。神父さまから祝福を受けるために真ん中に一列に並ぶから、両側が畳で真ん中が床であるということを教えてもらいました。そうか、そういう理由だったのか・・・。今までそこまで深く考えたことなかったなぁ。何事も理由があるのだよね。教えられる前に気づける自分になりたいものです。
他にも、ラゲ神父の翻訳した聖書等も展示されていました。
踏絵
そして一番驚いたのが・・・踏絵!!!
本物なのよね・・・!??島津家の倉庫に保管されていたものとのこと。レプリカではみたことあったのですが、実物を見るのはたぶん初めて・・・???
実際に使用されたものなのかはわかりませんが、貴重なものを見ることができてよかったです。
2代目・ザビエル教会
2代目のザビエル教会の写真と、模型も展示されていました。
な、なんですって・・・!??
なんと、2代目のザビエル教会がわたしの住む福岡県に移築されているというではありませんか・・・!!!びっくりしてしまいました・・・。これは見にゆかねばなりませぬ。
模型だけではなく、2代目教会の祭壇中央と左右に掲げられていたという絵の実物も展示されていました。
小規模ながら自分の中ではとても見応えのある展示でした。また帰省した際に訪れたいです。
小聖堂
1階には小聖堂も備え付けられています。牧歌的で素朴な印象でとても落ち着く小さな空間でした。
聖櫃(せいひつ)扉にはご聖体が保管されていて、入ってる時は赤ランプがついているそうです(大聖堂にもあったような・・・毎度おなじみ残念な記憶力・・・)。
ご聖体が何なのかは信者じゃないと教えてもらえないとのこと。またもやWikipediaから拝借しますが、「ミサや聖体礼儀で拝領、礼拝するために聖別されたパンを指す。イエス・キリストの体の実体として信じられている」そうです(映画の1シーンとかで見知っているような)。
ミサはキリストの「最後の晩餐」の再現。
信者じゃなくてもミサに参加可能で、ご聖体をいただけるのは信者だけだけど、頭を垂れると司祭が祝福してくれるとのことでした。ちょっと体験してみたいな・・・。
小聖堂内には小さな四角いスペースがあって、何かと思ったら告解室でした。
告白すべき罪はたくさんありますが、胸の中に秘めてそっと立ち去ることとします・・・。親切に案内してくださった信者の方々ありがとうございました!!!
最後に
信者のひとりがおっしゃっていた「死を恐れない。復活するから」という言葉が印象的でした。実際にキリスト教徒の方から話を伺うことで、禁教化の日本で厳しい弾圧を受けながら殉教していったキリシタンの気持ちがほんの少しだけ理解できたような気がします。
そしてまさか自分が「十字架の道行」という儀式を体験することになるなんて思ってもみませんでした。グイグイイケイケの女性と、冷静な女性、控えめで可愛らしい女性・・・と、個性のまったく違う3人組でとても面白かったなぁ(漫画に描けそうな感じ)。神のお導きっていうのはこういうことを言うのかもしれませんね。偶然の出会いに感謝です。
キリシタン弾圧の歴史にどっぷりの中でのこの出会いだったので「え?もしかしてわたしキリスト教徒になっちゃうの・・・??」と、ぶるぶる震えちゃいましたが、わたしはなりませんなれません(精神世界については知りたいけど)。これからも欲にまみれたまま突き進んでいきたいと思います・・・!!!
さて、これで最終回と思いきやお次は番外編。福岡に移設されたという2代目のザビエル教会へと行ってきます!もう少しお付き合いくださいませ・・・。
【参考文献・サイト】
『概説 キリシタン史』浅見雅一(慶応義塾大学出版会)
ザビエル教会・聖堂について | 鹿児島カテドラル・ザビエル教会
茨木・千提寺 隠れキリシタンと「ザビエル像」の発見 | 落人の夜話
あの歴史上の人物とカニの意外な関係 | 北国からの贈り物 蟹ブログ
【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2
④キリシタンを巡る旅2023・ 鹿児島【番外編】へとつづく▼▼▼