彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

長崎カメラさんぽ2023②【日本二十六聖人編】

すでに予定を1時間オーバー!(いちごパフェの待ち時間分のロス・・・)。平和公園前から市電に乗って目的地の最寄駅で下車。長崎ならではともいえる細い階段を登っていくと・・・

マンホールには長崎市章の星マーク

CONTENTS

日本二十六聖人記念聖堂 聖フィリッポ教会(西坂教会)

青空に向かってニョキッ!っと生えるふたつの塔が現れます。

まるでうみうしのよう

長崎駅から近い丘の上にたつ「日本二十六聖人記念聖堂 聖フィリッポ教会(西坂教会)」です。

モザイクで書かれた「Veni Sancte Spiritus(ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス)」は、ラテン語で「聖霊来たりたまえ」の意。

目を凝らしてみてみると、双塔のてっぺんにある避雷針もとっても素敵!!!

左の塔には王冠、右の塔には鳩と光の輪

どことなくガウディの建築に似てる・・・!!!

そう、こちらの教会はガウディ研究の第一人者である今井兼次氏の手によるもの。

お花や十字架(もしかして鳩?)にも見える壁の飾り窓?もかわいい

では早速中に入ってみましょう〜。

入口

・・・はい!中の写真は1枚もありまっせん!!!

教会のお隣にある日本二十六聖人記念館(こちらも今井氏の設計)で確認したところ、撮影禁止と言われたもので。

ただ後日検索してみると、信者の方からOKもらって撮影している方がちらほら・・・。尋ねる人によって対応の仕方が違うのか、それとも最近NGになったのか・・・。うーむ、近くに寄った際にはまたチャレンジしてみようと思います!

そんなわけで、パンフレットに載っていた写真をどうぞお納めください。

温かみを感じると共にどこか近未来的な雰囲気。特徴的な天井や窓の形、ステンドグラスの色合いがそう思わせるのかな?お花のようにも見える窓の形は、精霊を象徴する鳩を表しているそうです。

以下サイトに綺麗な内部写真がたくさん載っていたので、気になる方はこちらをどうぞ。

日本二十六聖人

先ほどから何度も出てきている「日本二十六聖人」というワード。「いったい誰のこと・・・??」疑問に思う方もいらっしゃるかと思います。前回のブログでも少し出てきましたが、ここではもっと詳しく紹介。

写真だけ見たいという方はこちらに飛んでね!(でも読んだ方がより深く建築を見ることができると思うよ?)

伴天連追放令

1587(天正15)年、豊臣秀吉が「伴天連(バテレン:外国人宣教師)追放令」を発布します。この法令はあくまで外国人宣教師たちの追放が目的で、まだキリスト教を信仰すること自体は個人の自由とされていました。

秀吉のバテレン追放令 (吉利支丹伴天連追放令)(Wikipediaより)

秀吉は宣教師たち(イエスズ会)が深く関わっていた南蛮貿易は続けたかったので、この法令はそれほど実行力の強いものではなかったようです。そんな中、ついにキリシタンへの迫害を決定づける出来事が起きます。

伴天連追放令から9年後の1596(慶長元)年、猛烈な台風により土佐国(高知)にスペイン船が漂着。秀吉は船に乗っていた宣教師と乗組員たちを捕まえて積荷を没収します(当時の日本では無人船の積荷没収は法律的に認められていましたが、有人の場合は違法)。

ガレオン船(デューラー画)(Wikipediaより)

監禁された船員は尋問の際、「まず修道士たちを来させてから軍隊を引き込んでその国を征服するのだ」と言い放ちます(負け惜しみ?みたいな感覚??実際にはそのような計画はなかったと思われる)。この報告を受けた秀吉は激怒!!

ついに翌年、京都や大阪で外国人宣教師6名を含む24名のキリシタンが捕えられます。その中にはまだ12歳〜14歳の少年たちもいました。彼らは京都の一条戻橋で耳たぶを切り落とされ、見せしめのため京都〜大阪、堺を引きまわされた後、処刑地である長崎へとほとんど歩いて向かうことになります。

護送途中で2名のキリシタンが加わり、総勢26名のキリシタンが長崎の西坂(現在の記念館が建つ丘)でキリストのように十字架に磔にされ、槍に貫かれ処刑されます。これが日本で初めて為政者によって行われたキリシタン弾圧でした。

26人の処刑を描いた1862年の版画(Wikipediaより)。磔にされている人たちの中で一際小さく描かれているNo 9、10は12歳と13歳の少年でした。長崎市民は外出を禁止されていたにも関わらず、処刑場には約4千もの人々が詰めかけたそうです。

殉教について

処刑地とされた西坂は、キリストが十字架に架けられた「ゴルゴタの丘」に似ていることから、信者たちがこの地を処刑の場に願い出たと言われているそうです。

『磔刑』アンドレア・マンテーニャ作(ルーブル美術館所蔵)(Wikipediaより)

「殉教」というのは、信仰を守るために抵抗せずに死を受け入れること。つまり天草四郎が率いた島原の乱のように、武器を持って戦って死んだキリシタンの場合は「殉教」にはなりません(知らなんだ!)。

殉教は「キリストに倣う」という意味があります。どうやら当時「殉教願望」というものが一部であったようで、日本は世界で唯一その願望を満たすことのできる土地として一部の宣教師たちを惹きつけていたそうです。日本二十六聖人たちも処刑場に着くやいなや、これから磔にされる自分の十字架へと走り寄り喜んだといいます。

「殉教」を理解するには、キリスト教自体をもっと勉強しないとわからないと感じる。キリスト教が一体どんな宗教で、どんな儀式があり、それらにどのような意味があるのかなどなど…。

聖遺物

殉教したキリシタンの遺体や持ち物は、崇敬心から信者たちに「聖遺物」として扱われ、それを得るために信徒たちは殉教者の遺体に群がったといいます(聖遺物は薬としても用いられ、病気が治癒したなどという話もあるそうな・・・)。日本二十六聖人も80日間十字架にさらされている間、遺体の一部や衣類は持ち去られ、フィリピン総督が秀吉に遺体の引き渡しを要求した時には非常に少なくなっていたそうです。

フィリッポ教会内には、その日本二十六聖人の聖遺骨(殉教した日本人信徒3名の骨)も保管、公開されていました。

三名の殉教者の聖遺物(パンフレットより)

聖人

殉教した26名のキリシタンたちは、処刑から264年後の1862(文久元)年から翌年にかけて、カトリック教会によって聖人の列に加えられ「日本二十六聖人」と呼ばれることになります。彼らが処刑された丘は西坂公園として整備され、1962(昭和37)年にはイエスズ会により記念館と教会が建てられました。

※記事を書くにあたって参考にした文献等は最後にまとめています

西坂公園内の記念館前にある日本二十六聖人記念碑。舟越保武作

日本二十六聖人記念館

この地を訪れた当初、実は恥ずかしながら「日本二十六聖人」ついてまったくというほど知りませんでした。不思議な形の教会を見たくて訪れたところ、教会だけでなく記念館の建物もおもしろいし、記念館の中に入ってみると自分の興味があるカクレキリシタン関係の展示がたくさんあるではありませんか・・・!なんで今まで訪れなかったのだ・・・

外観

建物の西側と東側の壁面は、教会の双塔と同じく、今井氏により「フェニックス・モザイク」と名付けられた印象的な美しい陶片のモザイクで彩られています。

西側のモザイク

どうやら去年の2022年10月に初めての修復作業を終えたばかりだったもよう。NBC長崎放送で放送された修復作業の映像がとっっっても面白かったです。60年前の建築作業の貴重な映像も〜!!

今井氏は、二十六聖人が歩いた京都から長崎までの道のりをたどり、使われなくなった陶器を集め、メキシコやスペインの陶芸家から送られた陶器と共にフェニックス(不死鳥)・モザイク」として新しい命を吹き込みます。

西側の「信徳の壁」で描かれるのは灼熱の炎に焼かれる26の十字架。キリストを表すという中央の白い十字架には、まるで流れ星のように一筋の光が差しています。

有田焼なども使われているそうです

正面の「愛徳の壁」には、槍の形をした装飾があり、モザイクで彩られた槍の先端の赤は「血」を表しているとのこと(写真なくてごめん)。

なななんと!建物全体で「殉教」を表現しているのですね・・・!!!

右に見えるのが「愛徳の壁」。右下の屋根上部にはアヴェ・マリアの文字が。

こちらは東側の「望徳の壁」。今年修復作業が行われるそうです。

東側のモザイク。こちらは何を表現しているんだろう?

以下ページにはドローンで撮影された通常なら見ることができない角度(下からは見えない部分もモザイクで装飾されていたりする)からの映像を見ることがきます(正面の槍を表現した部分も見れるよ!)。

西側にあった木造のドアの装飾もとても素敵でした。

雨?雷?蝋燭や手、十字架などのシンボルが

内部

記念館は教会とは異なり、すんなり撮影OKをいただくことができました。

やはりどこか未来的で、ガウディのサグラダファミリア味を感じます

おそらくモチーフのひとつひとつに意味が込められているのでしょうが、キリスト教に疎いわたしにはそのすべてを理解することができず・・・。ただ、敬虔なカトリック信者だった今井氏がものすごい情熱でこの記念館を作り上げたことだけは強く感じることができました。

展示

記念館は、ザビエルの渡来から明治時代までの日本のキリスト教の歴史、キリシタン文化などを紹介する施設。ハイパー駆け足で見た中でわたしが特に気になったのはやはり「潜伏キリシタン」、「カクレキリシタン」関係の展示物でした。

マリア観音

キリシタンは禁教時代、表向きは仏教徒を装い、キリスト教の信仰を続ける者が数多くいました。その潜伏キリシタンたちは、聖母マリアに擬した観音像を信仰の対象にしたり、他にも様々な工夫を凝らしながら信仰を続けていきます。

こちらは潜伏キリシタンの祭壇を再現した空間。

土壁や障子、板戸や柱、瓦は廃屋となった島原の旧キリシタンの民家から移設したもの。正面右側寄りの柱の一部には細工が施され、マリア観音等を隠す仕掛けあります(実際はもっとわかりにくい場所にあるらしい)。

手前にあるのは「オラショ」(ポルトガル語でそのまま「祈り」の意)が書かれた紙で、天草の崎津の潜伏キリシタンが使用したものとのこと。

オラショ

明治6(1873)年に禁教令の高札(禁令や法令などを板札に書き、庶民に知らせるよう掲示したもの)が廃止され、キリスト教は自由に信仰できるようになります。

正当なカトリックに戻る者もいれば、潜伏時代と同様「カクレキリシタン」として信仰を続けていく者もいました(現在では、禁教令下のキリシタンを「潜伏キリシタン」、それ以降の人たちを「カクレキリシタン」と表記するのが一般的なようです)。

その現代の「カクレキリシタン」によるキリスト誕生を祝う儀式(クリスマス。長崎の五島では「お大夜」という)の映像も流れていました(時間なくてちゃんと見れなかったーーーー!!)。

その他にも様々な興味深い展示がありました。

崎津で発掘された白蝶貝に彫刻されたメダル

数年前に訪れてとても印象深い旅になった崎津に関する展示(「崎津コレクション」と明記されていた)も色々と展示されていたのも嬉しかった。

浦上天主堂でも展示されていた被爆天使像もいらっしゃいました。まさかこちらでもお会いするとは〜

ぱぱぱーーーーっと大急ぎで見ることしかできなかったので、もっと時間の余裕のある時に再訪したい。ここはちゃんと勉強して訪れた方がきっと数百倍楽しめる!と思います!!

参考にした書籍や映像作品

書籍

前回のブログを書いた時に、大浦天主堂での感動的な「信徒発見」のエピソードを知り、その時の情景がばーーーっと脳内で広がりました。それをきっかけに、もっと当時のキリシタンについて知りたいと思うようになり、次々にキリシタン関係の本を購入。最近はずっと本の虫になっています。

・『日本キリシタン殉教史 片岡与吉全集』片岡与吉(智書房)

めちゃくちゃおもしろい・・・!!!キリスト教の伝来からキリシタン弾圧が終わるまでの様々な出来事がこんもり綴られています。分厚くて文字も小さいから小難しい本かと思いきやとても読みやすい。情感あふれる作者の文章により、まるでその場で見てきたかのような感覚に陥ります。こちらの本を一冊読むだけでだいぶ理解が深まると思います。が、実はまだ「日本二十六聖人」の章までしかまだ読み終わっていません!続きが気になってぶるぶると震えております・・・(ブログを書き終えるまでおあずけ)。

・『概説 キリシタン史』浅見雅一(慶応義塾大学出版会)

慶應義塾大学通信教育部の教材として執筆された本。先述の本よりもお堅い内容ですが、片岡与吉の文章は主観が入っていると感じる部分も多々あり(キリシタンたちを美化しているような?)、感情的な視点ではなく客観的に資料を通して見えてくることが知りたいという方はこちらの本がおすすめ。わたしはどちらも大変面白く読みました(興味のない章はまったく頭に入らなくて飛ばしてしまったけれど・・・)。どちらかというと外国人宣教師側の歴史について多く書かれている印象です。

以上の2冊が今回ブログを書くにあたり主に参考にさせていただいた本。

まだ読んではいないけど、当時の日本で活動した宣教師のフロイスが書いたという『フロイス日本史』が気になっています。文庫で全12冊もあって1冊1200円ほどするので図書館でちまちま借りるしかないだろか・・・でも手元にほしいな・・・

この他にも以下の2冊を購入。

・『祈りの島 五島列島』(イーズワークス)

とても美しい写真の数々!!五島列島の教会がたくさん載っています。『樂(ra-ku)』という季刊誌を発行している会社が制作した冊子。他の特集号もとっても面白そう!今年初めに発売された長崎のガイドブックも気になります。

・『カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰』宮崎賢太郎(角川ソフィア文庫)

現代の「カクレキリシタン」について書かれた本。先述のキリシタンの歴史本よりも先に読み始めたのですが、最初の数章読み終わったところで「今はこれじゃない」となりました。まずは「カクレキリシタン」が生まれる前の歴史を知らなきゃ何もわからないなと。与吉さんの『キリシタン殉教史』を読み終わったらいよいよこちらに手を出す予定。たのしみです。

映像作品

実は本を読む前にドラマを1本観たのですが、まず映像から先に入ることで、本の内容がスッと頭の中に入ってきました。きっと本を先に読んでいたらわからない言葉などが出てきて「???」となっていたと思います。わたしみたいに歴史に疎くキリシタンについての予備知識も少ない方は、先に映像で触れておくのもオススメです。

・『天正遣欧少年使節 MAGI ~三人の賢者は東の果てからやってきた少年だった』

「天正遣欧少年使節」とは、信長の時代にイエスズ会の企画でヨーロッパへと赴き、ローマ教皇にまで会った少年たちのこと。

1586年にドイツで印刷された天正遣欧使節の肖像画。タイトルには「日本島からのニュース」と書かれています(京都大学図書館 蔵)。
右上:伊東マンショ、右下:千々石ミゲル、左上:中浦ジュリアン、左下:原マルチノ

Amazon Prime Videoで配信された作品で、若いイケメン俳優たちを使った萌えドラマか??と最初疑っておりましたが、奴隷や差別、暴力など地上波ではきっと無理だろうというような少しハードな描写もあり、考えさせられる内容も。しかしどうやら世間では賛否両論あるもよう。わたしは歴史オタでもないのであまり気にすることなく楽しめました(途中だれる部分もあったけど)。

ドラマでは描かれていませんでしたが、天正遣欧少年使節は秀吉による伴天連追放令の発布後に帰国。秀吉の前で楽器を演奏して大変喜ばれたというエピソードもあります。また、グーテンベルクの活版印刷機を持ち帰り、日本で初めての活版印刷も行われました。キリシタン弾圧が行われなければ、彼らはどんどん活躍の場を広げていただろうし、もっと評価されたんだろうなぁ・・・。

ドラマや本を読むことで、今までちっとも興味のなかった日本史に少しずつ興味が出てきました。キリスト教を擁護していた信長や、高山右近、千利休(キリシタンだったとも言われていて、茶道の作法にキリスト教の影響がみてとれるらしい。歴史に詳しくないのでこれが眉唾説なのかはわかりませーん)などなどなど。信長はキリシタンじゃないけど、もし彼が天下をとっていたら今とはまったく違う日本になっていたのではないか・・・そんな想像をしてしまいます。

信長は、宣教師が連れてきた黒人奴隷を家臣として召し抱えていました。琳派の1590年代の硯箱に描かれている左側の黒人は、その家臣「弥助」をモデルにしているという説もあるそうです(wikipediaより)
千々石ミゲル

ドラマの最後の数エピソードは短いドキュメンタリーになっていて、天正遣欧少年使節の少年たちのその後が語られます。先述した本に書かれていない最新の発見についての映像もありました。

イエスズ会に入りながらも数年後には4人の中で唯一棄教した千々石(ちぢわ)ミゲル。2014~2021年の間にミゲル夫婦の墓石の発掘調査が行われ、妻の遺骨わきに穴の開いたガラス玉や半円形の板ガラス片が発見されました。ガラス片は日本二十六聖人記念館所蔵の聖遺物入れに材質や形状が似ており、ガラス玉もその装飾かロザリオとして使われた可能性があるそうです。(以下記事より抜粋)

表向きは棄教しつつも、死ぬまでキリスト教を信仰していたのでしょうか・・・。

中浦ジュリアン

日本二十六聖人が処刑された西坂では、それ以降も多くのキリシタンが処刑されました。天正遣欧使節の中浦ジュリアンもその1人。

「穴吊り」で処刑される中浦ジュリアン(『概説キリシタン殉教史』より)

キリシタンの処刑方法には火炙りをはじめ様々なものがあったようですが、ジュリアンは「穴吊り」で殉教しました。「穴吊り」とは・・・?その恐ろしい処刑方法を知りたい方は以下をどうぞ・・・。

まずは掘った地面の穴に糞尿や生ごみを入れます。キリシタンを逆さ吊りにし、頭に血がのぼりすぐに死なないようこめかみに血抜きの穴を開け、地面の穴に頭を入れて板で塞ぐという・・・。苦しみを長引かせて転ばせる(棄教させる)ための処刑方法というわけです。こ、こわすぎるよ・・・!!!

次の映像の中でこの処刑方法を見ることができます(もちろん本物じゃないから安心して・・・!)。

・『沈黙-サイレンス-』監督 マーティン・スコセッシ

(ネタバレいやな人は飛ばしてね!)

キリシタン弾圧の中心的人物である井上さま役のイッセー緒方がすっっごいよかった!飄々としていて、それでいてどこか恐ろしくて深みがあって。あと、塚本晋也の最後のシーンもよかったよ。凄みを感じた。ああいうことが実際にあったのだよね・・・。

「転びキリシタン」(棄教した人のこと)って言葉もつらかった。外国人宣教師は棄教すると日本名を与えられ、日本人女性と結婚させられ、キリスト教を否定する書物を書いたりキリシタン弾圧の手伝いをさせられるという・・・。棄教を誰も責められないよ。誰しも弱い人間だよ・・・・・(わたしなら秒で転ぶ)。

最後に

ずっと昔から気になっていた「カクレキリシタン」。まさか2月に訪れた長崎旅で一気にキリシタンへの興味が加速することになるとは思ってもみませんでした。

今までわたしは現代に生きる「カクレキリシタン」というミステリアスな存在に、ミーハー感覚で興味を持っていただけなのだと思います。長くて苦しいキリシタン弾圧の時代があったからこそ生まれた存在なわけで、それを知らずして「カクレキリシタン」について語ることなどできないと今更ながら気づきました。

実はこれまで何度か五島列島への旅を計画したことがあります。その度に悪天候やその他の事情により行くことが叶いませんでした。それはもっとちゃんと勉強してから来なさいってことだったのかなぁーと思ったり。

来年あたり五島列島に行きたいなぁとぼんやり考え中。それまでに少しずつキリシタンへの知識を深めて万全の体制で臨みたいです(いざ旅立つ時にすべてを忘れている可能性あり・・・)。そして五島列島に限らず、全国のキリシタン史跡をめぐりたい。どうやら鹿踊りに続き、ライフワークのひとつに加わりそうな予感です!!

さて、「日帰り長崎カメラさんぽ」は次で最終回(スローペースの更新で申し訳ない)。前回に引き続き今回もずっしりみっちり真面目に書いてしまいました。ラストはもっと軽やかに〜。気楽に読める内容にしたいと思っているので、のんびりお待ちくださいませ。

こんなに長いブログを最後まで読んでいただきありがとうございました!

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、FUJIFILM X-T3、iPhone SE2

長崎カメラさんぽ2023③【最終回】につづく▶︎▶︎▶︎