彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

02.南九州・十五夜ひとり旅2023【最後の十五夜ソラヨイ・浮辺編】

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南薩摩の十五夜行事

旧暦8月の十五夜、南九州では綱引きや相撲をする風習があります。国の重要無形民俗文化財にも指定されている「南薩摩の十五夜行事」。実はわたしも小さい頃、十五夜の日に校庭や道路で綱引きした記憶がうっすらと残っています(今でもやってるのかな?)。

父の話によると、綱引きの綱は大人たちが山からとってきた茅(かや)で手作りしていたようです(子供の頃の記憶というのもあるんだろうけど、とても太くて長かった!)。父が子どもの頃にはその茅とりも子どもたちが行う行事のひとつで、山でとった茅を頭に被り「えいえいおー まだまだおー」(掛け声みたいなもの?)と歌いながら帰っていたとか。「茅引き」という十五夜行事のひとつであるその習俗は、わたしが子供の頃にはすでに失われていました。残念・・・。

十五夜ソラヨイ

「南薩摩の十五夜行事」の中で、特に古い形を残しているといわれるのが南九州市知覧町の「十五夜ソラヨイ」。十五夜に綱引きや相撲を行う地域は多いですが、ソラヨイが行われているのはこの地域だけ。言葉だけ聞くと一体どんな行事なの!?と、不思議に思うかもしれません。ソラヨイとは、子どもたちが藁等で作られた装束に身を包み、歌い踊る行事のこと。

黎明館で展示されていた十五夜ソラヨイの装束(撮影可)。これは中福良集落のものかな?

かつては知覧町内の20以上の集落で行われていたそうですが、2023年時点ではわずか4箇所ほど。なおかつ見学できるような地区は「中福良(なかふくら)」と「浮辺(うけべ)」2集落だけのようです。よくメディアで紹介されているのは前者。わたしのソラヨイのイメージも中福良だったのでそちらに行く気満々だったのですが、各集落ごと装束や行事の内容が多少異なっているので本当なら全集落見学したい・・・!けど体はひとつしかありません・・・。ひとまず中福良と浮辺の両方に問い合わせてみることにしました。

浮辺と中福良

最初に電話が繋がったのは浮辺集落。今年参加する子どもはたったの5人。しかもなんと!少子化により浮辺のソラヨイは今年で最後というではありませんか・・・!!!これは一大事です・・・。

旅立ちの数日前にやっと連絡がついた中福良集落。こちらも今年は5人ほどで行うとのこと。去年の写真をネットで見た時は大人数だったのになぜ〜!?と、不思議に思って尋ねてみると、去年は今はもう退職した校長先生がとても熱心だったようです。今年はその校長先生もいないし、子供たちに無理に参加させるのはちょっと・・・ということらしい。ソラヨイの後に行われる綱引きも今年は行わないという・・・。さらに、浮辺では子供たちがやりたいと言ってるからそちらに行ってはどうかと勧められました。うーん、とても素晴らしい行事なのに地域の人たちがそう思っていないように感じてなんだか悲しくなりました。そして、過疎化の進む地域では、強い意志で残そうとする熱量のある人がいないと存続させることは難しいのだと痛感・・・。

もういっそのこと両方行っちゃろか!・・・なんて思ったりもしたけれど、隣り合う集落とはいっても徒歩では移動するだけで30分以上かかります。それにわたしは最初から最後まで見届けたい気持ちが強い人間。消極的に感じた中福良のソラヨイの存続も心配ではありますが、今年で最後というのが決定している浮辺一本で臨むことを決意したのでした。

浮辺公民館

十五夜ソラヨイが始まるのは夜空に月が登ってから。19時頃とは聞いていたけれど、もちろん準備する様子も見たい!余裕をもって17時半頃には公民館に到着です。ほんとはもっと早く着いてる予定が寄り道しすぎたよね・・・。

すると公民館前の広場にはすでにたくさんの人、人、人・・・!それもカメラ&三脚を持った年齢層の高いカメラマンたちの姿が・・・!!小さな集落でひっそりと行われていると思っていたのでちょっとビックリ。

(出遅れた・・・!!!)

ちょっと焦りながら敷地内に足を踏み入れるや否や、背後から唐突に声をかけられます。

天吹(てんぷく)お爺ちゃん、現る

「どこから来たの?」

振り向くと小柄で人のよさそうなお爺ちゃんの姿がありました。福岡から来たことや、遠いバス停から歩いてきたことを伝えると驚いたようです。

お爺ちゃんは20代の頃に浮辺小学校で先生をしていたことがあって、還暦を迎えた当時の教え子が今回のソラヨイを仕切っているそうです(すごい!時の流れ〜!!)。他の教え子たちはみんな浮辺を出て行き、他の地域で家庭を作り生活しているので浮辺では子供が増えず、ついに小学校は今年の3月に閉校。十五夜ソラヨイも今回で最後に・・・。

実はお爺ちゃん、江戸期に薩摩藩で武士の嗜みとして受け継がれてきた「天吹」という竹笛の奏者。以前から十五夜行事が始まる前に演奏していて、今回もそのために来たようです。浮辺小学校の校歌も演奏もするから、さっきまで閉校した学校の校庭で練習していたとのことでした。きっと練習しながらいろんな思いが去来したことでしょう・・・。

天吹を吹いてみせてくれるお爺さん

公民館の中へ

ひとまずお爺ちゃんと別れ、公民館の中へと入ります。玄関には十五夜のお供えと、子どもたちが被るヨイヨイ笠と呼ばれるトンガリ帽が・・・!!!

わくわく!

左の部屋に入ると、ステージ上に生成りの長い布がずらりと並んでいます。これはもしや・・・?近くにいる人をひっ捕まえて尋ねてみると、やっぱり廻し(まわし)!

子どもたちはこの廻しを締めて十五夜行事を行います。お尻の形とかでずれ落ちたりして廻しが使えない子もいるそうなのですが(その場合は晒しを巻く)、今回はみんな大丈夫だろうとのこと。準備してるところみれるかなー??

ソラヨイ箱もあったよ

いつの間にか陽が落ちて、外は優しい光に包まれていました。

もうすぐ夜

天吹お爺ちゃん、再び

ひとまず外にでて、今度は広場で行われている準備をすかさずチェック!まずは一番最初に目に入った石像をパシャリ。

十五夜にお供えするお花といえばススキ

撮り終わって何気なく振り向くと、背後にさっきの天吹お爺ちゃんがいてビクゥゥゥ・・・!(撮り終わるのを待っててくれたんだろうな笑)

どうやらわたしの帰りの足を心配してくれていたようです。宿まで1時間以上歩いて行くか、捕まえられるか不安なタクシーの2択であることを伝えると!なんと!!お祭りおっかけカメラマンの老夫婦をご紹介いただき、車で送り届けてもらえることにーーーーー!!!

天吹おじいちゃん・・・!!!ありがとうだよぉぉぉ!!!!!

いつもなぜか旅先で親切なおじさまに助けられて生きているわたくし。おじさまだけにわかるフェロンが出てるのかしら・・・(若い子にとは言わないから、せめて同世代にも伝わるフェロモンほしい)

仲人してくれた後は、天吹について色々と教えてくれるおじいちゃん。表に4つ、裏に1つの穴しかないのにドレミファソラシドをはじめ、半音も吹くことができるらしい。この天吹は自分でそこらへんの竹から作ったんだって。す、すごい・・・!

今日はソロではなく2人で演奏。いつの間にかもう一人の天吹お爺さんが現れ(このお爺さんもヒッピーっぽい雰囲気でなんだかおもしろかった笑)、本番に向けて練習がはじまります。

天吹お爺ちゃんズ

その隙をついてサササとその場を離れるわたくし・・・(おい)。いや、だって!十五夜の準備をしているところも見たいんだもん!そのために来たんだもん!!ごめんねお爺ちゃん・・・本番でちゃんと聴かせてもらうからね・・・!!!

準備

相撲が行われる土俵周りでは着々と準備が進んでいました。四隅にお酒と塩を撒き、中央の榊と御幣がささった砂山にも塩を撒いて清めています(この砂山にはどんな意味があるんだろう?)。

もうすでにトキメキが止まらない!

手作り感満載の軍配

いつの間にか土俵前には、公民館の玄関に置かれていたお供物も運ばれていました。

秋の実り

「あけび」も久しぶりに見たなぁ

広場にはすでに綱引き用の長い綱も用意されて準備万端です。今はもう茅や藁を使った手作りのものではなく、既製品の綱が使われているんだね。ちょっとさみしい・・・。

手作りの綱を見たかったなぁ

いつの間にか空が真っ赤に燃えていました。

なんて美しい空

なにやら予感がしたので公民館へ戻ってみると、ちょうど子供たちの準備が始まっているところでした(あやうく見逃すとこだった!)。

廻し巻き巻きタイム

先ほど土俵を清めていた見るからに相撲が強そうなお爺さんが、匠の技で素っ裸の子どもたちにくるくる廻しを巻いていきます。

おちゃらけながら巻かれる男の子

いっちょあがり!!!

おじさまもきっと同じように子供の頃に同じ経験をしたんだろうなぁ・・・。

2人目に突入

最初に公民館に入った時にはひとつしかなかったヨイヨイ笠が、いつの間にか人数分揃っていました。カラフルな紙で作られた花や、七夕飾りのような網状の飾りがぶら下がり、とても華やかで可愛らしい。

腰に巻く藁のハカマも

公民館内では廻しを締め終わった男の子たちと、女の子が無邪気に暴れまわっています。性別関係なく遊んでるこの感じ、なんだかとても懐かしい。わたしにもこんな時代があったなーと、思わずニコニコ・・・。

いつでもテンションマックス!

天吹演奏会

19時前。あっという間に外は真っ暗・・・!公民館を出ると、すでに天吹の演奏が始まっていました。

あぁ!天吹おじいちゃん、遅れてごめんなさい!真ん前の特等席で、しっかり演奏を聴かせていただきます・・・!!!

天吹セッション中

ふと視線を感じて後ろを振り向くと、驚くほどに赤々とした満月が山の上から顔を出していました。なんて神々しい・・・。息を呑むような美しさです。今まで何度も見たことがあるのに、毎回初めて見るかのように心を掴まれてしまうのだから、月の威力凄まじい・・・。

でも・・・撮れない!撮れなぁぁぁーーーーーい!!!

万年カメラ初心者のわたくし。月の撮り方がちっともわからず・・・。美しさがちっとも伝わらないぶれっぶれな写真を量産するのであった・・・。

ほんとに、とてもとても美しかったんだよ?

この時ほんっとに悔しくて悔しくて!帰ってから撮り方調べて、ちゃんと月の写真を撮れるようになったから偉い(自分でほめる)。ちょうどこのブログを書いていた夜は満月でした。ソラヨイで見た時の月を彷彿とさせる真っ赤で美しい月だったので、代わりに載せておきますね・・・。

2023年12月27日、今年最後の満月です

月を撮るのは早々に諦めて、天吹の演奏を聴くことに集中します。月明かりがあるとはいえ、人の顔が判別つかないくらいの薄暗い場所。それなのに、演奏が終わるとスタスタわたしの方へ一直線に向かってくる天吹お爺ちゃん・・・!やっぱりフェロモン・・・なのか・・・??そのお陰でちゃんとお別れの挨拶をすることができて嬉しかった。わたしも人に親切でありたい。そう思わせてくれる素敵なお爺ちゃんでした。本当にありがとうございました!!

浮辺の十五夜ソラヨイ

触れ回りの歌

十五夜行事の始まりは子どもたちの歌から。土俵に一列に並び、大きな声を張り上げます。

「コンニャデント コムッガライッバ テマゴッチョ ホーイホイ」

真ん中の男の子がいつも元気っぱいだった!

何言ってるのかちっともわからない・・・!!

これは「触れ回りの歌」と言って、「今夜出てこないと 小麦藁束を一把 松明を5丁 ホーイホイ(今夜綱引きに来ないと、罰として麦藁や松明を出させるぞ)」という意味らしい。蕎麦や松明だなんて、時代を感じさせる歌詞だねぇ〜。

綱引き

歌が終わると、綱引きの綱へ向かって一斉に走り出します。

わ、わざとブレた写真撮ったんだからな・・・?(涙目)

大人 VS 子どもたち(地域の人たちみんな)で綱引きスタート!!!

暗くて暗くて暗くてね・・・。こんな写真しか撮れず

まず最初はお母さん数人とたくさんの子どもたちで綱を引き合ってあっという間に子どもの勝ち!2回目はお父さんたちも加わって(進行の人が大人気ない感じでやってくださいと言っていた笑)、がんばる子どもたちと接戦の末大人チームが勝利。最後は子どもの綱に大人も参加して子どもたちの大勝利!!!という流れでした。自分が子供の頃の十五夜綱引きもこんな感じだった気がするー!記憶が呼び戻されて、とっても懐かしくなりました。

綱引きの後に歌われた「綱引き前の唄」

ここでちょっとしたハプニング。なんと進行のおじさまが流れを間違ってしまったようです笑。本来は綱引きの前にやるはずだった「綱引き前の歌」を、子どもたちが歌います。

「ハッガッノジュゴ ヤンツーナエートエート ハッガッゴ

ジュンツーナエートエート ゴヤンゴヤンゴヤン」

八月の十五夜の綱へと綱へと(集まってよ)(豊作の)占いが始まるよ

純(清められた)十五夜の綱へと綱へと(集まってよ) ごやんごやんごやん

元気いっぱいに歌う子どもたち

この歌がめちゃくちゃ可愛かった!!!歌詞からわかるように、綱引きはもともと豊作を占うためのものだったのですね。最後の「ゴヤンゴヤンゴヤン」は「呪文のようなもの」らしい。とっても不思議な言葉の響きとリズム!思わず周りからも笑い声がこぼれるほどの愛くるしさでした。

子どもたちは来訪神?

綱引きが終わると、一旦子どもたちはその場から引き上げて再び公民館へ。

その間に綱は大人たちが片付けます

子どもたちはヨイヨイ笠を被り、一番の年長さんは藁袴も身につけて、神様へと姿を変えていきます・・・。

神さまと女の子の交流

そう、この子どもたちの衣装は、山から降りてきた神様の姿をあらわしているとされています。

このようにして薩摩、大隅両半島の先のカヤを主材料として十五夜綱を作る広い地域では、古くは部落の子供組が八月一日から山上で集団の精進生活を過ごして神となり、カヤを被って顔や体をかくした神の扮装をして山を下り、部落の広場で人々に豊作を約束し部落を祝福する儀礼を行うものであったと考えることができる。

小野重朗 著『十五夜綱引の研究』より

山から茅をとって降りてくる子どもたちは神様になって戻ってくるのですね。冒頭で話したように、わたしの父親も子供の頃に山に茅を取りに行き、茅を被って帰ってきていたといいます。もしかしたらこのソラヨイ行事も、はるか遠い昔、わたしの地元でも行われていたのかもしれません。

さて、どうやら準備が整ったようです。いよいよ待ちに待ったソラヨイが始まります。

準備完了

ソラヨイ

神に扮した子どもたち。満月の夜に、凛とした歌声が響き渡ります。

「ソーレワヨイ ヨーイヨーイヨイ ヨイヤショ シリーッ シリーッ

ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ」

一列になり、膝に手を置いて腰を左右にくねくね振ったり手を叩いたり、頭の横で手をくるくる回したりと、不思議な歌に合わせたユニークな動きで土俵に向かって進んでいきます。

まるで相撲の四股を踏んでいるような姿

「ソラヨイ」。なんだかとっても心地のよい言葉の響き。「それは良い」という意味で、秋の収穫を祝い、豊作を祈る言葉といわれています。なるほど聞いてて気持ちのいいはずだー。

南九州一帯で八月一日をタノモンセツというのは頼みの節句の意味で、この日は人々が神に作物の豊かな稔りなどを頼む日なのであろう。その人々の頼みに答えて、神になった子供たちが神の扮装をしてソラヨイ、ヨイ、ヨイと作物のできのヨイことを教え約束しているのであろう。(中略)ソラヨイ、ソラヨイと地を踏むのは土地または土地霊に対する儀礼で、土地をふみ鎮めふみ固めて、作物のよくできる豊かな土地に対する意味をもった行動なのであろう。

小野重朗 著『十五夜綱引の研究』より 

頭上には浩々と輝くまんまるお月様。その月明かりに照らされて、ぼんやりと浮かび上がる子どもたち。現世と常世、人と神、すべての境界が曖昧になる感覚・・・。

幻想的な光景

「ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ」

「それは良い、それは良い」と、ことほぎの言葉を繰り返しながら、大地を踏み締め、一歩一歩進んでいきます。

もののけじみたポーズの男の子

土俵に到着

土俵の周りをぐるっとしてから土俵に上がり輪を描き、再び歌と踊りが繰り返されます。

「サーヨイヤショ シリーッ シリーッ

ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ ソラヨイ ソラヨイ ソラヨイヨイヨイ」

おもしろいのが4回繰り返す内の3回目だけ、言葉を発さずに「無言」で踊るところ。「黙い(だまい)」といい、その意味ははっきりしておらず「神様が通るとき」と言われているそうです。おもしろいー!小学生の頃、教室で同級生たちが各々談笑している時に突然会話が止まり教室中がシンッてなる瞬間が時々あって、そういう時「天使が通った」とかなんとか言ってたことを思い出しました。

そして、今度は2人1組で向かい合って同じ歌と踊りを繰り返します。

全力で歌う元気いっぱいの男の子

後ろで輝いているのは照明ではなく満月

土俵での歌と踊りが終わり、再び一列になって公民館へと戻っていきます。

ソーラヨイ ソーラヨイ ソーラヨイヨイヨイ

公民館でゴール!!!

まだまだ見ていたかったソラヨイが終わってしまいました・・・。子どもたちは衣装を脱ぎ、再び土俵へと戻っていきます。

相撲

十五夜行事ラストを飾るのが相撲です。

相撲の歴史

相撲の起源は定かではありませんが、神話の世界まで遡ることができるといいます。奈良時代になると七夕の時期に天皇や貴族たちの前で相撲が執り行われるようになり、平安時代には五穀豊穣、天下泰平を記念する神事として宮中の年中行事にもなっていきます。それは、日本各地でその年の農作物の収穫を占う儀式として相撲が盛んに行われていたことに由来するそうです。

▼以下サイトより簡単にまとめさせていただきました。

ソラヨイには、相撲の四股を踏む(大地に潜む邪気を払っている)動作と似ている部分が見られますが、ソラヨイの方が相撲の原型であるという説もあるようです。

ソラヨイが十五夜角力の前に行われることなど、ソラヨイと角力との深いつながりを思わせる。ではソラヨイは角力の四股をふむ行事を真似て踊り化して始まった行事だろうか。私はむしろその逆だろうと思う。ソラヨイの方が角力の四股踏みなど角力儀礼の原型になるもので、それがこの地方に残っていて、日本の角力文化の原初の形がこのソラヨイに見られるもののように思う。※「角力」とは「相撲」のこと

小野重朗 著『十五夜綱引の研究』より 

ところで、相撲は今では女子にも大人気の競技だよね。わたしはね・・・相撲に限らずスポーツにはまっっっったく興味ないのだよ!オリンピックの時も常に平常心で日々生活している非国民・・・。そんなわたくしなので、相撲の土俵が開催場所ごとにその都度新しいもの作っているということをこの度生まれて初めて知りました。浮辺では15時くらいから土俵作りをするって聞いていたけど、土俵を一から作ったのかな?見学したかったけど時間が足りなかったんだよーーー。

土俵開き(土俵祭)

相撲を始める前に、まずは子供たちが土俵の中央の御幣が刺さった砂山を崩し始めます。ずーっと気になってたけど、この砂山は一体何なの・・・???

楽しそう!

この、子供たちが砂山を崩す行為。相撲の競技前に行われるという「土俵開き」、「土俵祭」と言われるもののようです。

安全と興行の成功、さらには国家の安泰、五穀豊穣を祈願し、神さまを土俵に降ろすための儀式。日本相撲協会の土俵祭では、御幣の刺さった砂山を崩す・・・というものではありませんが、検索すると各地域の行事で奉納される相撲の土俵で、同じように御幣と砂山が盛られた写真をいくつかみることができました。きっと知らないだけで、相撲の世界ではポピュラーなものなのでしょう。

その砂山を崩して、いよいよ相撲が始まります。

「はっけよーーーい」

にらんでにらんで〜

「のこった!!!」

のこった!

のこったのこった!!

勝負あり・・・!!!

負けて悔しがってるのも可愛い

さぁーて、お次の試合。まずは塩を撒いて・・・

この子が一番相撲が似合う姿してた

えいやー!!!

やっぱり強い!

男の子たちの対戦が終わると、お次は女の子のファイトタイム。これがめちゃくちゃ盛り上がった!負けん気の強い女の子たちのパワー!ぜんぜん勝負がつかないの。男の子たちよりもたくましい・・・!!!

尻にしかれる男の子たちの未来が見える

一通り対戦が終わり、最後は土俵で一列になってみんなでお辞儀。浮辺最後の十五夜ソラヨイがこの日終わりを迎えたのでした。

「100年後にまた行われているかもしれません」

結びの言葉を噛み締めます。またいつの日か復活する日がくるといいな。そう願わずにはおられない素晴らしい十五夜行事でした。

終わらない十五夜

「終わり」の挨拶はあったものの、子どもたちの夜はまだまだ終わりません・・・!どうやら相撲をしたくてうずうずしているご様子。

「はっけよーーーい!」

いつも元気いっぱいの男の子が行司役

「のこった!!!」

大人1人 VS 子供2人でした笑

その様子が泣きたくなるほどに美しくて・・・ずっと眺めていたかった・・・。

終わらない最後の十五夜

けれどわたしは置いてけぼりにされると歩くかタクるかの2択しかないのです!大人しく帰りましょうね・・・。地元の人たちを残し、この場を後にします。あぁ、名残惜しい・・・。

車でピューン!

親切なご夫婦に宿まで無事送り届けてもらい、ほっと一安心。移動中に鹿児島のお祭りおっかけご年配カメラマン事情も聞けて大変興味深かったです。奥様はわたしが大好きな市来の七夕踊りに子供の頃行ったことがあるそうで、そんな話も聞けて嬉しかった。本当にありがとうございました!!

最後に

わたしの地元ではソラヨイはなかったけれど、十五夜に綱引きをしていました。父親が子供の頃に茅を被って山から帰ってきたという話からも、元々は広範囲でソラヨイ行事が行われていたと考えられます。遠い遠いはるか昔、わたしの祖先は山の神に扮して豊作を祈り、月と大地に感謝して歌い踊っていたのかな・・・?そんな想像をしていると、浮辺の十五夜ソラヨイがとても身近なものに思えてくる。今年で最後になってしまったけれど、その瞬間に立ち会うことができてよかった!2023年の十五夜は、より特別な思い出として記憶に刻まれたのでした。

我が家に伝わる月の子守唄

昔から受け継がれてきたものが失われてしまうことはとても悲しい。せめて記録に残したい、そんな思いが芽生えてきます。今回の十五夜行事とは関係ないのだけれど、母親が受け継いできた子守唄があって、わたしもその歌を聞いて(小さい頃は一緒に歌って)育ちました。歌詞は月に関するもの。わたしには子供がいないので、きっとこの歌も何十年後には消えてしまう運命・・・。それならせめて、このブログにだけでも残したいと思います。

お月さまは偉いな

お星様と兄弟で

三日月になったり

まんまるになったり

 

お月さまは偉いな

いつも年を取らないで

春夏秋冬

にっぽん中を照らす

とても素朴な子守唄。1番と2番があって、実はメロディーはすでにうろ覚え・・・(もしかしたら歌詞も1番と2番で一部入れ替わってるかもしれません)。母親がまだ元気なうちに、この子守唄についてもっと聞いておきたいなぁ。

さて、最後は十五夜ソラヨイとは関係のない話になってしまいましたが、わたしは大満足です!浮辺のソラヨイは今年で終わりだけれど、まだソラヨイを行っている集落はあります。次目指すのはもちろん中福良のソラヨイ!子どもたちがいる限り、ずっと続いてくれますように・・・。

役目を終えた浮辺のヨイヨイ笠

■参考サイト

浮辺自治会 ・・・とっっっても良いサイトだった!浮辺のソラヨイの歌詞等はこちらから引用させていただきました。昔のソラヨイの動画も色々アップされてておもしろそう!(わたしもまだちゃんと見れていない)。浮辺のソラヨイについてもっと詳しく知りたい方はぜひ。

十五夜ソラヨイ(浮辺) - 鹿児島祭りの森

【使用カメラ】digital:SONY α7III 、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 lens:Carl Zeiss Planar 50mm F1.4 mmj、Flektogon Carl Zeiss Jena 35mm F2.8

03南九州・十五夜ひとり旅2023【最終回】につづく▼▼▼

③キリシタンを巡る旅2023・ 鹿児島【ザビエル教会編】

鹿児島市内にはザビエル上陸450年を記念して1999年に新築された鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂があります。実はこの教会は3代目。この度、初代から3代目までの教会をすべて巡ってきました・・・!!

CONTENST

初代・ザビエル滞鹿記念碑(ザビエル公園)

まず最初に訪れたのが、ザビエル滞鹿記念碑のあるザビエル公園です。

こちらの記念碑が初代ザビエル教会・・・の一部。1908(明治41)年に、ラゲ神父によって石造りの聖堂が作られました。そう、福昌寺に散在していた浦上のキリシタンたちのお墓を1箇所に集めて記念墓碑を造ったあのラゲ神父です。

ザビエル教会の展示より

うぅ、めちゃくちゃ素敵な教会だったのですね・・・。初代ザビエル教会は1945(昭和20)年の鹿児島大空襲によって外壁の一部を残し消失。その残された外壁を組み合わせて1961(昭和36)年にザビエル滞鹿記念碑は造られました。当時の写真を見ると、聖堂の上の部分と下の門の部分を組み合わせて作られたことがわかります。

真ん中奥にいらっしゃるのはザビエルさんの胸像

ところで、よーーーく見てください。ザビエルさんの名前・・・。

ザビエ・・・!??

現地ではまったく気づかなかったけど「ザビエル」が「ザビエ」になってる!「ル」は?「ル」はいったいいずこ・・・!??これは聖堂を作ったラゲ神父が間違った・・・わけではもちろんなく、どうやらザビエルのフランス語読みに関係しているようです。

詳しくは以下ブログをお読みください(めちゃくちゃ詳しく調べてらっしゃる・・・。コメント欄もぜひ読んでみて)。

コマった記録:ザビエル滞麑記念碑の謎

細部もとても美しい

記念碑の隣には、ザビエルとザビエルを鹿児島に案内したアンジロー(ヤジロウ)と、ヨーロッパの土を踏んだ最初の日本人であるベルナルド(洗礼名)の石像もありました。

ザビエル公園に残る初代ザビエル教会。出来ることなら完全な姿で出会いたかったけれど、当時の教会の面影を少しでも感じることができてよかったです。

3代目・鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂

戦後に建てられた2代目の話はもう少し後にすることにして、お次は3代目をご案内。ザビエル公園前の道路を挟んだ真向かいに現在の鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂が建っています。一見教会とわかからない外観をしていますが、教会前にはザビエルさんの像と、天にそそり立つ鐘楼の頂点には十字架が掲げられています。

ザビエルさん

鐘楼

ザビエルと蟹

その鐘は「ザビエルの鐘」といわれ、鐘の背面には十字架を掲げるカニの姿が刻まれているそうです(み、見たい・・・)。なぜ蟹なのかというと、ザビエルには蟹にまつわる逸話がいくつか残されていて、海に落とした十字架を届けてくれたとか、船に開いた穴を甲羅で塞いで助けてくれたとか(蟹は絶命)。その逸話の残る地域では、現在でもザビエル蟹と呼ばれる蟹が水揚げされていて、その甲羅には十字架の模様が浮き出ているそうです。

フランシスコ・ザビエル肖像

最近ザビエルの肖像画を改めて見る機会があったのですが、その蟹の逸話を知った今では手の形がもう蟹にしか見・え・な・い・・・・・(実際は祈りのポーズらしいです)。

黎明館のレプリカ展示より(神戸市立博物館蔵)

教科書などで昔から見慣れていたザビエルの肖像画。今まで漠然と見ていたけれど、改めてまじまじと見てみると下部には漢字のような文字も書かれています。西洋人が描いたものと思い込んでいたけれど、西洋の技法を学んだ日本人絵師によって江戸時代初期の日本で描かれたと思われるとのことでした。狩野派を示す落款の壷印とペトロを示す「漁夫」の署名から狩野派の絵師ペトロ狩野(狩野源助)とする説がありますが確証はないそうです。

この肖像画が見つかったのも比較的最近のことで、禁教が解かれた後も隠され、キリシタン大名の高山右近の旧領であった現在の大阪府茨木市千提寺(地域名)の民家で大正時代に発見されたものらしい。梁にくくりつけられていた「開けずの櫃」と呼ばれる箱に、ザビエルの肖像画をはじめとするキリシタン遺物が入っていて、その民家では他人にその存在を明かすことのみならず、箱を開けることすらもタブーとされていたとか・・・(ドキドキが止まらない)。

こんな裏話があっただなんてまったく知らなかったよ!現在は神戸市立博物館が所蔵。保存の観点から通常はレプリカを展示しており、年に一回実物の展示が行われているそうです。厳しいキリシタン弾圧をかい潜って生き抜いてきたザビエルの肖像画の実物をいつか見てみたい・・・!!大阪にも高山右近の痕跡をたどりにゆきたいな・・・。

は!ちょっと脱線してしまいました。

2F

話は戻りまして、まず主聖堂のある2階へと足を運んでみることにしましょう。

赤と青の空間・・・!!!

う、美しいーーーーー!!!

自然と精神世界に潜っていけるような神秘的な空間が広がっていました。

途中日本人の団体ツアー客が入ってきたので、後でまたゆっくり見学しようと1階を見学してから再び2階に戻ると今度は3人組の女性が入ってきました。どうやら信者の方で「知りたいことはなんでも聞いて!」と言ってもらえて、色々とお話を伺うことができました。

天井の切妻屋根の形状はザビエルが渡航してきた船をイメージして作られているそうです。

天井

12角形の柱は12使徒を表しているとのこと。言われなかったらまったく気づかなかったよ・・・!

十二使徒の一人であるヨハネ(lohannes)の名が

また、印象的な赤と青のステンドグラスは、殉教者の血とザビエルの情熱(赤)と、祈り・静寂・海(青)を表しているそうです。

なるほどなぁと思うことばかり。他にも色々な意味が隠されていそうで気になります。

ザビエルの聖遺物

そして、このザビエル教会には、特別なものが安置されています・・・。

美しい細工が施されたこちらは一体・・・?

なんと、こちらにはザビエルさんの聖遺物・・・つまり、骨の一部が収められています。

一番真ん中の・・・なのかな?美しく装飾されています

カトリックでは、キリストや聖人の遺骸や遺品は聖遺物と呼ばれ、信仰の対象になっていて、キリシタン弾圧によって日本で殉教したキリシタンたちの遺体にも信者たちが群がったといいます。

日本二十六聖人の聖遺物についての記事はこちら▼▼▼

長崎カメラさんぽ2023②【日本二十六聖人編】 - 彷徨する旅のアーカイブ

ザビエルは日本の布教後、中国への布教を目指すも、志なかばで広東省の上川島で病死。一旦は上川島で埋葬されるのですが、マラッカを経てインドのゴアへ運搬することになります。墓を掘り起こしてみると、なんと高温多湿という条件の悪い条件にも関わらずミイラ化していたというのです・・・!!(聖人伝説ではよくあることらしいぞ)現在、ザビエルの遺体はゴアの教会でミイラ化した状態のまま聖遺物として保管されています。

台座の天使かわいい・・・(ザビエル教会1F展示より)

そしてこちらはザビエル教会に実物がきたことがあるというザビエルの右腕。

収められている箱が美しくてかわいいね(ザビエル教会1F展示より)

日本には他にもいくつかザビエルの聖遺物を保管している場所があるようで、以下ブログにわかりやすくまとめられていましたので興味のある方はご覧くださいませ。

十字架の道行(みちゆき)

色々とお話しを伺っていると、このようなお誘いを受けました。

「これから十字架の道行をやるので一緒にやりませんか?」

十字架の道行・・・???生まれて初めて聞く言葉。わたしのために短縮してやってくれるようで、ぜひにと参加させてもらうことにしました。

では、「十字架の道行」についてWikipediaから抜粋させていただきますね!

カトリック教会で行われる儀式で、中世末期から行われてきた。キリストに倣う一形態ともいえる。イエス・キリストの受難の捕縛から受難を経て復活まで15の場面を、個々の場所や出来事を心に留めて祈りを奉げる。聖地巡礼ではそれぞれの場所で祈祷を行う。これを模すためにカトリック教会の聖堂では壁に捕縛から埋葬まで14場面の聖画像が掲げてある。最後の15番目の場面の復活は祭壇側に向かって祈る。

十字架の道行き - Wikipedia

聖堂内の壁面には小さな額の絵がぐるっと一面に飾られています。これらの絵はイエス・キリストが捕縛され、十字架に架けられ殉教するまでの様子が描かれていたのですね。

日本画家がこの聖堂のために描いて寄贈されたオリジナル作品とのこと

思い起こせば、今まで訪れた教会にもありました・・・!!!

津和野カトリック教会、島根県津和野町(2019年訪問)

カトリック弘前教会、青森県弘前市(2022年訪問)

どちらも大好きな教会。これらは十字架の道行の儀式をするためのものだったのか〜。まったく知りませんでした。津和野旅についてはまとめたいと思ってはいるのですがまだ書けていませんね。いつか、かならず・・・。

まず十字の切り方を教わり(あのよくみるやつ!教えてもらえて嬉しかった。もう忘れちゃったけどな!!)、絵の前で一緒に十字をきって、祈りの言葉を唱えます。

磔のキリスト
祈りの言葉

それぞれの絵の前で「今はこういう気持ちで祈っていた」などと説明してもらいながら、最後に正面の祭壇前で祈って十字架の道行(短縮バージョン)を終えました。

貴重な体験ができてとても嬉しかったです・・・!

1F

展示室

2Fの聖堂から1Fの展示室へと移動します。ザビエルやザビエル教会に関する資料等が展示されていて、ここでも色々と説明していただけました。感謝しかありません・・・。

先ほど紹介した空襲で外壁のみを残し失われた初代教会の破壊される前の写真だけでなく、なんと比較的最近見つかったという貴重な内部写真も展示されていました。

ザビエル教会の展示より

す、すすす素敵すぎるーーーーー!!!

結婚式の写真ですよ・・・。着物好き&和洋折衷大好物の自分にとったら何度でもごはんが食べれるくらい美味な写真・・・。和装にベールがたまりませんね・・・。

残念なことに説明の書かれたキャプションをちゃんと撮り忘れたので正確なことはわからないのですが(ばかばかばか)、1945年の空襲で初代教会は外壁を残して失われてしまうので、それ以前の写真ということですね(大正〜昭和初期くらいかなぁ)。子供の制服みたいな格好もかわゆい!!!

床に目を向けると、わたしの大好きな昔の畳のある教会。神父さまから祝福を受けるために真ん中に一列に並ぶから、両側が畳で真ん中が床であるということを教えてもらいました。そうか、そういう理由だったのか・・・。今までそこまで深く考えたことなかったなぁ。何事も理由があるのだよね。教えられる前に気づける自分になりたいものです。

他にも、ラゲ神父の翻訳した聖書等も展示されていました。

貴重な資料の展示
踏絵

そして一番驚いたのが・・・踏絵!!!

ほ、ホンモノ・・・!!?

本物なのよね・・・!??島津家の倉庫に保管されていたものとのこと。レプリカではみたことあったのですが、実物を見るのはたぶん初めて・・・???

解説

実際に使用されたものなのかはわかりませんが、貴重なものを見ることができてよかったです。 

2代目・ザビエル教会

2代目のザビエル教会の写真と、模型も展示されていました。

模型

な、なんですって・・・!??

え?

なんと、2代目のザビエル教会がわたしの住む福岡県に移築されているというではありませんか・・・!!!びっくりしてしまいました・・・。これは見にゆかねばなりませぬ。

模型だけではなく、2代目教会の祭壇中央と左右に掲げられていたという絵の実物も展示されていました。

ザビエルとマリアさまの絵かな

小規模ながら自分の中ではとても見応えのある展示でした。また帰省した際に訪れたいです。

小聖堂

1階には小聖堂も備え付けられています。牧歌的で素朴な印象でとても落ち着く小さな空間でした。

鳩かわゆい

2023年5月はこのような状況でした

聖櫃(せいひつ)扉にはご聖体が保管されていて、入ってる時は赤ランプがついているそうです(大聖堂にもあったような・・・毎度おなじみ残念な記憶力・・・)。

聖櫃扉。イエスが5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人々を養った話から伝統的に聖体の秘跡のシンボルとされているそうです

ご聖体が何なのかは信者じゃないと教えてもらえないとのこと。またもやWikipediaから拝借しますが、「ミサや聖体礼儀で拝領、礼拝するために聖別されたパンを指す。イエス・キリストの体の実体として信じられている」そうです(映画の1シーンとかで見知っているような)。

ミサはキリストの「最後の晩餐」の再現。

『最後の晩餐』レオナルド・ダ・ヴィンチ作(Wikipediaより)

信者じゃなくてもミサに参加可能で、ご聖体をいただけるのは信者だけだけど、頭を垂れると司祭が祝福してくれるとのことでした。ちょっと体験してみたいな・・・。

小聖堂内には小さな四角いスペースがあって、何かと思ったら告解室でした。

告解室。罪を告白する格子のついた小さな窓があります

個別の「ゆるしの秘跡」の方法が書かれていました

告白すべき罪はたくさんありますが、胸の中に秘めてそっと立ち去ることとします・・・。親切に案内してくださった信者の方々ありがとうございました!!!

最後に

信者のひとりがおっしゃっていた「死を恐れない。復活するから」という言葉が印象的でした。実際にキリスト教徒の方から話を伺うことで、禁教化の日本で厳しい弾圧を受けながら殉教していったキリシタンの気持ちがほんの少しだけ理解できたような気がします。

そしてまさか自分が「十字架の道行」という儀式を体験することになるなんて思ってもみませんでした。グイグイイケイケの女性と、冷静な女性、控えめで可愛らしい女性・・・と、個性のまったく違う3人組でとても面白かったなぁ(漫画に描けそうな感じ)。神のお導きっていうのはこういうことを言うのかもしれませんね。偶然の出会いに感謝です。

キリシタン弾圧の歴史にどっぷりの中でのこの出会いだったので「え?もしかしてわたしキリスト教徒になっちゃうの・・・??」と、ぶるぶる震えちゃいましたが、わたしはなりませんなれません(精神世界については知りたいけど)。これからも欲にまみれたまま突き進んでいきたいと思います・・・!!!

さて、これで最終回と思いきやお次は番外編。福岡に移設されたという2代目のザビエル教会へと行ってきます!もう少しお付き合いくださいませ・・・。

ザビエルの旅路の様子が描かれた鹿児島中央駅近くのアーケード商店街

【参考文献・サイト】

『概説 キリシタン史』浅見雅一(慶応義塾大学出版会)

ザビエル教会・聖堂について | 鹿児島カテドラル・ザビエル教会

フランシスコ・ザビエル肖像 - Wikipedia

聖フランシスコ・ザビエル像 - 神戸市立博物館

茨木・千提寺 隠れキリシタンと「ザビエル像」の発見 | 落人の夜話

フランシスコ・ザビエルの右腕

あの歴史上の人物とカニの意外な関係 | 北国からの贈り物 蟹ブログ

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

④キリシタンを巡る旅2023・ 鹿児島【番外編】へとつづく▼▼▼

⑪台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【黒川さんさ踊り編】最終回

大慈寺の門前に次々に集まり出したカラフルな装束の人々。果たして彼ら彼女らの正体は・・・???

逢う魔が時

CONTENTS

黒川さんさ踊り

門前で準備しているのは「黒川さんさ踊り」の踊り手さんたち。鮮やかな牡丹が咲いた花笠、腰には7色の布が垂れ下がり動くたびにゆらゆらと揺れています。白地の衣に染められた桔梗の花と「黒川」の文字は、昭和レトロでとっても可愛らしい。

絶賛準備中

「伝統さんさ踊り」と「統一さんさ踊り」

「さんさ踊り」とは、藩政時代から踊られている盆踊りで、一部県北地域をのぞく岩手県全域に見られる郷土芸能。「さんさ踊り」の中には「伝統さんさ踊り」「統一さんさ踊り」の2種類あって、前者は藩政時代からの踊りを「芸能」の域にまで高め、現在まで受け継いできたもの(かっこいいな!)。地域ごとに独自の笛や太鼓、踊り、装束が存在しており、「黒川さんさ踊り」もそのひとつ。後者は、地域ごとに異なる「伝統さんさ踊り」を誰もが踊れるように統一化し新しく創作されたもので、毎年8月のはじめに盛岡市で開催される夏祭り「盛岡さんさ踊り」のパレードで見ることができるそうです。

■参照サイト

残したい盛岡のお盆 黒川さんさの門付 | NPO法人盛岡まち並み塾

郷土芸能じぶんち 7号特集「伝統さんさ踊り」

実は今まで「さんさ踊り」の存在をまったく知りませんでした(ごめんなさい)。生まれて初めて見る岩手の盆踊り。一体どんな踊りなのかしら・・・?

お寺さんと反対方向へぞろぞろと大移動してスタンバイ

いよいよ岩手ひとり旅、最後の夜が始まります・・・!!!

大慈寺

提灯を手にした貫禄あるおじさまが先導し、一列になって太鼓や笛を奏でながら大慈寺へと向かいます。その姿に早くも胸ときめき・・・。

左には道化役の「一八(いっぱち)」の姿

列に参加せずに道路脇でひとり見守っていた道化役の「一八(いっぱち)」が、列の最後に加わります。山門へと吸い込まれる姿が、この世のものとは思えない雰囲気を醸し出していました。その姿に誘われるかのように、わたしもその後に続いてお寺さんへと向かいます。

なんだかドキドキしてきました

境内に太鼓と笛と歌が鳴り響き、大きく円を描きながら黒川さんさ踊りが始まります。軽快な太鼓のリズムと流麗な笛の音色、踊りは緩急があってとても柔らかいのに不思議と力強さも感じます。腰の色とりどりのカラフルな布が踊りのリズムに合わせて揺れてより一層華やかに。どこか愉快さも感じる穏やかな歌はずっと聴いていられる心地よさ・・・。シンプルに言って、

とても、とても良い・・・!!!

楽器を弾きながら踊るのもすごい!笛の息継ぎどうやってるの・・・??

おじさまたちも頭におっきなお花つけてるのがとても可愛い

お寺の雰囲気にもとても合っています

そして、ひとり規格外の動きをするのが道化役の「一八(いっぱち)」。衣装も他の人たちとは異なっています。他の踊り手さんに比べて動きがとっても柔らかい!(気がする!)まるで骨がないような角のない滑らかな動き。とても不思議で面白かったです。

円の中心でみんなに見守られながらひとりで踊る「一八」

よーーーく見たら・・・イタチ!??手にはなぜかイタチを持っています笑(害虫を食べてくれるからという説もあるようですが、理由ははっきりしていないそうです)

ふさふさもこもこ。本物の剥製?

実はわたくし、ダンススクールでバリバリ踊ってた過去を持っている・・・わけではもちろんない。むしろ小学校低学年時のダンス練習で、先生に名指しで動きが変と注意されたことがあるくらい苦手である(今でもはっきりと覚えてるくらいショックだったらしい)。

そんなダンス音痴なわたくしなので、見てても何がどうなってるのかまったくわからないのですが、円になって踊るだけじゃなくて向かい合ってダイナミックに交差したりして(よくぶつからないね!?)なんだかとってもすごい!気がする!!(語彙力)

かっこいいんだよー!!!

見た目はとっても乙女チックで可愛いのに実はめちゃくちゃ骨太でカッコイイ!「勇壮」という言葉がピッタリのような気がします。

踊りはクライマックスへ

大慈寺での踊りを終えると、再び一列になって山門をくぐって外へと静かに出てきます。

この一列で歩く姿も好き

休憩

階段を降りると、休憩している踊り手さんの姿がありました。

雨が降ったことに感謝する瞬間

これから場所を変えて踊りは夜まで続きます。もちろんわたしは最後まで!ついていく覚悟よ・・・!!

吾輩は金魚のふんである

山門前から移動する踊り手さんたちの後をついていくと、着いた先はわたしの大好きな湧き水場でした。

なにかと縁のある青龍水

これからどんな流れになるのかしら?まぁ、こうしてくっついてたら問題ないでしょ!・・・なーんて余裕ぶっこいていたら・・・

え?ここで踊るわけじゃないの・・・!??

再びみなさまてくてく歩いて行ってしまいます・・・(イケズな後ろ姿)

黒川さんさ踊りの門付(かどづけ)

かつて、お盆の時期には各地域の踊り組が盛岡の中心市街地に出向いて門付を行っていたそうです。黒川さんさ踊りでは、昭和40年代以降にほぼ消滅したと言われる門付を復活。

鉈屋町​界隈の家々では、お盆の時期に先祖の霊を迎え、送るかがり火を焚く風習が残っています。今日は14日。ご先祖さまのこの世への道標である迎え火が道路の真ん中で焚かれていました。観客に混じって黒川さんさ踊りを一緒に観て楽しんでるんだろうなぁ(もしかしたら踊ってたり?)

かがり火

夕闇に浮かび上がるかがり火を囲み、黒川さんさ踊りの門付が始まります。

あ、あれ?最後に到着したはずなのに、棚ぼた的にベスポジをゲットしてしまったようだぞ?

鉈屋町の風情ある街並みと、時折火の粉を夜空に散らしながら燃えるかがり火。あたりがどんどん暗くなるにつれ、黒川さんさ踊りがどんどん輝きを増していきます。

か、かかかかっこいいーーーーー!!!!!

なんていうんでしょう?まるで戦隊モノのヒーローのような?そんなカッコよさ!!!踊り終わった瞬間すべての悪が浄化されて世界が平和になるのでは・・・???というような妄想にかられてしまうほどの圧倒的パワーでした。

わたしも成仏しちゃいそうだよ

ところで、すっかり陽も落ち、かがり火で照らされた雰囲気満点の空間が出来上がっているにも関わらず、わたしの腕不足&カメラのパワー不足でまともな写真がぜんぜん撮れず・・・(ISO感度上げるとザラザラになるし、下げるとブレッブレの写真しか撮れないし)。もう・・・完全にお手上げです!!!

ブレがいい味出してると思ってくれ

そんなわけなので、動画をおたのしみください・・・。一八にイタチで頭ちょんちょんされる女の子かわいいな!(わたしもちょんちょんされたかった!!)

お寺さんの境内での踊りもとてもよかったけれど、この場所で見た黒川さんさ踊りが一番大好きでした。鉈屋町の風情ある建物に囲まれ、踊り手の息遣いが感じられるような小さな空間で、かがり火に照らされた迫力満点の踊りをこんな間近で見ることができるだなんて・・・最高に幸せだよ・・・・・。

踊りが終わると次の場所にみんなでぞろぞろ大移動するのもたのしかったです。

照明が星型なのはたぶんオールドレンズつけてたからだと思うけど、なんのレンズ使ってたっけ・・・(記憶力・・・)

最後の舞台は「もりおか町屋物語館」。もうこのあたりではあきらめてほとんど写真撮ってなかったよ?

はい、ブレてまーす

写真を撮らず、踊りに集中できるのも喜び。だけど自分の実力で写真がうまく撮れないのがとても悔しい・・・

踊りを見てたらこっちに向かってコロンコロン!と落ちてきた小さなシルバーの鈴。踊り手さんたちの装束の背の襟下には可愛らしい小さな鈴が付いているのです。

3つの鈴がリン!

踊ってる最中に取れて踏んずけぐにゃりと潰れたようで音も鳴らないけれど、記念に持って帰ることに。きっとこれは幸運の鈴に違いない!大切にしたいと思います。

どの踊り手さんのものだったのかなぁ

最後にちょっとしたプレゼントをもらって(勝手に)、黒川さんさ踊りは終了。18時から20時過ぎまで約2時間ほどでした。あっという間だったけど、色々な場所でたっぷり踊りを見ることができてとっても楽しかった!台風で1日早く帰っていたら見れたなかったんだよなー(みんな忘れてると思うけど、わたしももう忘れてたけど、深刻に台風危機一髪旅だったのじゃよ・・・?)岩手旅最後の夜を、黒川さんさ踊りで終わることができて本当によかったです。

ところで、記念に最強の失敗写真でも最後に載せておこうかね?

嗚呼、愛しき失敗写真

最後の盛岡観光

実はこの黒川さんさ踊りの最中に、色々とよくしてくれたカメラマンおじさまがおりました(さんさ踊りの撮影スポット教えてくれたり)。最後のさんさ踊り会場では陣取った場所で偶然隣同士になり、なんと帰りは宿へ車で送ってもらえることに・・・!さらに宿へ送ってもらう前にちょっとした盛岡観光をして帰ることにっ。何から何まで本当にありがとうございます・・・!!!

鹿島精一記念展望台

まずは盛岡の夜景を一望できる展望台へ。UFOみたいな面白い形してた・・・!好き!!

夜でよく見えなかったけどたぶん好き
三角形の螺旋階段も!好き!

個人的に気分がアガる好きな展望台でした。

あ、もちろん盛岡の夜景も拝んできましたよ。そしてついでに夜景の撮り方も教えてもらいます(夜の撮影、これからは頑張りたい)。

無駄にボケさせたくなる病

おぉ、わたしなんだか普通に観光してるっぽい!観光してるっぽいぞ!!

夜景を楽しんだ後は、夜の近代建築巡りをして(再び人魚の写真館、その前にある肉屋さん、盛岡銀行等)、美味しい冷麺のお店を教えてもらって宿に届けてもらいました。歩いてだと絶対に行けなかった展望台にも連れて行ってもらえたし、鉈屋町から離れていた宿にも車でひとっとび!ほんとになんてラッキーなのだ・・・。旅先でいい人に出会えてしまう、もうこれは才能なのではないだろうか・・・(自画自賛がすぎるぜ)。

大盛り冷麺

時計の針はすでに22時前。入店したのは宿近くのぴょんぴょん舎。最後の最後にやっと本場の盛岡冷麺にありつけたー!そう、わたしは岩手ならではの食べ物がずっと食べたかったのだ・・・涙

盛岡冷麺

荒ぶってうっかり大盛り頼んだら、大盛りすぎて最後は苦しみながら食べるはめに・・・。美味しかったけど、なんでもほどほどに・・・ですね(毎回そう思うのに、同じ過ちを何度も繰り返すのである)。

カメラマンおじさまにオススメされた盛岡フードの「じゃじゃ麺」(3回目くらいにクセになる味らしい)、今度旅した際にはぜひ挑戦したい。あと、人魚の写真館前の肉屋さんのお肉も。朝市で食べれなかったひっつみも食べたいよー!喫茶店にも行けなかったし。次の旅では郷土色の強いものをいろいろと貪欲に食べ尽くしたいと思います!!

岩手最後の朝

朝目覚めると、雨が降っていました。今日はもう福岡へと帰るだけ。でも、わたしには最後にやらなければならないことがあるのだ・・・!!!

雨に濡れたさんさ踊り

福田パン

盛岡滞在中、2日続けて振られ続けた福田パン。知らなかったんだけど・・・盛岡駅の中にもお店があるんだね???ただし、こちらで扱っているのはすべて出来合いのコッペパン。自分で中に挟む具材を選ぶことはできません。次は必ずや本店で自分チョイスのコッペパンを食べたいと思います!

どれにしようかな♪

心残りの岩手ミッションを完全ではないまでもひとつ回収し、とうとう初めて旅した岩手とのお別れです。遠野から始まり、盛岡、江剌、一関と駆け抜けた約4日間。ちっとも足りない!足りないよ!!再びこの地を訪れることを夢見て・・・。

さらば!

東京へと向かう新幹線の中ではもちろん買ったばかりの福田パンで朝食タイム。昨日雨で当初の目的の鹿踊が中止にならなければ行くはずだった「うれいら通り商店街」。その近くにある鍾乳洞から汲まれたという水が使用された「龍泉洞珈琲」を飲み、「いつかかならずここにも行くぞ・・・」そう心に誓いながらパンをもぐもぐ頬張ります。

精神を研ぎ澄まして15%を感じ取りたい

正午すぎに東京駅に到着し、羽田空港へ。神戸、大阪あたりを攻めてる台風を避けて福岡へと到着!!!最初はどうなるかと思われた岩手ひとり旅。台風の直撃は免れたものの、遠野や盛岡では悪天候に振り回され予定変更を余儀なくされました。でも、そんなハプニング含めとっても思い出深い旅に・・・。

Googleマップと飛行機のモニターより

最後に

いつもは公共の交通機関と己の足で辺境の地を巡る旅をしがちですが、今回は人に助けられた旅になりました。ひとり旅だけど、たまにひとりじゃない。人に会いに行く旅の形も、たまにはいいかもしれないなぁー。全国にそんな人たちを増やしていけたらいいな。なーんて、人見知りなりにそんな風に思ったりもして、新しい視点を得た旅にもなったような気がします。

しかし、おんぶにだっこしすぎて「このままでいいのか!??」と不安になったのも事実。自分を追い込んだ旅も、無理しない程度に続き続けていきたいと思います!そのためにはいつまでも健康でいなきゃね・・・!!

思い出のカケラたち

さて、今回の黒川さんさ踊りで、夜の撮影、しかも動いている人物の撮影の難しさを痛感したわたくし・・・。今までAPS-CサイズのFUJIFILMのカメラを使っていたのですが、この件をきっかけについにフルサイズのカメラに手を出してしまいました!(底なし沼にずぶずぶずぶ・・・)新しいカメラを手に、これらも全国各地を巡っていきたいと思います・・・!!!

【完。そして旅は続く】

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑩台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【アラハバキ大神の巨石を祀る神社編】

一関市から今朝出発した盛岡へと戻ります・・・!行ったり来たりと忙しい〜(ってわたしは運転せずに優雅に運ばれているだけでありますが)

 

CONTENTS

アルテイ・モレの碑

盛岡に戻る途中、どこかに寄る時間があるとのことだったので「神さびた神社」をリクエスト。東北マスターY氏の脳内データベースの中から選び出された神社へと案内してもらうことに。

そこへ向かっていると、「アルテイ・モレの碑」と書かれた看板をたまたま発見。折角なので寄ってみることにしました。

ところで、アルテイ・モレ・・・?とは???初めて聞く言葉の響き。蝦夷(エミシ)の長アルテイとモレ(アルテイさんとモレさんだったのか!一人の名前かと思ってた)は、8世紀から9世紀にかけて現在の岩手県胆沢地方に実在した人物(蝦夷は知ってるよ!)。大和朝廷と戦って最後には敗れて処刑されてしまったんだって。アルテイ・モレの碑はあちこちに建立されているようで、ここもその中のひとつのようでした。

森に囲まれた荒れた細い道路をぐんぐん進んでいきます・・・

車を走らせていると、ここかな・・・???(不安)という空間にたどり着きました。

コテッと斜めになった小さな看板を発見。どうやら滝などもあるようです

矢印の指す方に行こうとするも地面は草でボーボー。このことからも、あまり人が訪れない場所ということがわかります。だが、ゆくぞ!この先に何があるのか確かめるのだ・・・!!!

熊が出そうな雰囲気

神社を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいきます。

その先に、アルテイ・モレの碑と、さらに奥に櫓が建っていました。

碑石がちゃんと撮れてなかったので解説板でご勘弁を

よーく見ると草に埋もれた櫓の下には古墳を示す看板があります。が、草が生い茂っていて降りれるような雰囲気でもなかったような・・・?やはり荒れ果てたままになっているのだろうなぁ。

アルテイ・モレ。今は存在を知ったばかりであまりよくわからなかったけれど、今後またどこかで出会うことがあるかもしれません。その時に興味がわけば、もっとホリホリすることもあるかも?その機会を待ちたいと思います。

さて、再び神さびた神社を目指してレッツゴー!!!

KAWAII

すると今度はキュン!とする建物を発見。それを伝えると車をわざわざUターンして停めてくれるというではありませんか・・・!やはり神か仏なのでしょうか・・・。ありがたく堪能させていただきます!!

た、たまらん!!

たまらんぞ・・・!!!

キリスト看板も・・・(2枚あるぞ)

そして・・・極め付きの・・・

!!!!!

ね、猫の足跡ーーーーー!!!!!

フロントガラスにぴっしりと猫の足跡が

す、すべってる・・・。すべってるよ・・・!!

嗚呼、その瞬間を想像すると可愛すぎて発狂しそうだよーーー!!!(鼻血)

この写真が今回の岩手旅で撮った中で一番可愛い写真に違いない。テンションが爆上がった瞬間でした。

巨岩を祀る丹内山神社

素晴らしい建物と猫の足跡に興奮して再び車に乗り込み、やっと到着した神さびた神社。そこは花巻市東和町にある丹内山神社でした。

入口

自然に囲まれたとても静かでひっそりとした場所(車がないと絶対来れない)。神社の一番上には「アラハバキ大神」という、これまた初めて聞くような響きの神様を祀った巨石が鎮座しているそうです。

実は巨石や磐座信仰というものに興味があって、太宰府にあるお稲荷さんの記事を書いたこともありました(アラハバキ神とは関係ありませんのであしからず)。巨石・・・古代の信仰・・・。なんでこんなに胸が高まるのでしょう・・・。

アラハバキ大神とは

アラハバキ大神は、古事記や日本書紀に登場することのない謎の神さま。蝦夷の神や製鉄の神等、他にもいくつか説があるらしいのですが、本当のところはわかっていないらしい。アラハバキ大神が祀られているところには必ず磐座があると言われいるそうです。た、高まるーーーー!!

以下サイトよりまとめさせていただきました▼▼▼

参拝へ

駐車場で降ろしてもらい、ひとり参拝しに向かいます。敷地案内図の看板をみると結構な規模の神社のようです。

どうやら参拝の順序は一番上のアラハバキ大神の巨石「胎内石」から下へ下へと参拝していくのが正式なルートだったもよう・・・。無礼にも下から上に逆方向に進んでしまいました。情報がたくさんあると・・・瞬時に処理できないんだ・・・・・。

入口には立派なお馬さん

空はどんより曇っているし、境内の雰囲気もなんだかもの悲しくて、急に孤独感が襲ってきました・・・。

「なんでわたしはここにいるんだろう・・・」(深い意味で)

そんな言葉がふっと頭をよぎります。

境内には見事な彫刻が刻まれた建物があったらしいのですがちっとも気付かず。

可愛い生き物の2枚しか撮ってなかった

この建物の側面だったのか、それとも他の建物だったのか。孤独感に支配されていたため、あちこちちゃんと見れていなかったようです・・・。

橋を渡り、本殿へ。

そしてついに・・・!!!

胎内岩

木々の隙間から現れた苔むした巨石。しめ縄がぐるりと巻かれ、神聖な岩であることが一目でわかります。

パワー感じてる人がいた

近づいてみると、岩の上には一本の木が生えていて、より神秘的な雰囲気を醸し出していました。神様として祀る気持ちがわかる気がします。

後ろから見た姿。正面に見める建物が本殿

2枚の重なり合った岩の隙間は潜り抜けれるようになっていて、壁面に触れることなく通り抜けると願いが叶うと言われているそうです。が、壁についても一応願いは叶えられるようです(アバウトだな笑)。

ブレてる解説板

こういうのは率先してやりたいタイプ!もちろん挑戦してみましたが、えーーーっと、これは子供じゃないと無理!!!隙間の中に小さな岩があって、簡単には通り抜けれないようになっていました。

中から見た入口がまるで刀傷のよう

胎内石くぐりをしているタイミングで、なんと空から大粒の雨が・・・!!!傘はもちろん持ってきてないし、神社の一番上からダッシュで戻るには駐車場は遠すぎる・・・。仕方ないのでしばしの間、御神体の中で雨宿りさせてもらうことに・・・。

さっきまでの悲しい気持ちは一体どこへやら。突然の雨と巨石での雨宿りに一気に気分は高揚し、すっかり楽しい気分になっていました。

雨はすぐに止み、満ち足りた気持ちで神社を後します。

アラハバキ大神さま、幸せな時間をありがとうございました!!!

ご当地グルメ。松葉商店のたこ焼き

盛岡へと戻る途中、花巻の松葉商店さんでちょっと腹ごしらえ。

無国籍感あふれる旗

ここのたこ焼きが、ご当地グルメとして有名らしい。

ラーメンもあるんだね!

プレーンとマヨネーズの2パックいただきます。

たこ焼き大好き!

生地がふわふわで美味しかった気がする・・・!!!(つまり食べてからだいぶ時間が経っているのでよく覚えていない・・・でも美味しかったことは覚えてる)

ただし2パックは多すぎましたな・・・。最後は味変できる何かがほしくなりました。

盛岡に帰還

ちょっとしたプチ観光をして、再び盛岡へと戻ってきました。2日続けて鹿踊を案内してくれたY氏さまとはここで解散。ご案内いただき本当に感謝です!移動距離、すさまじかったです・・・。

さて、夕方からは昨日下見をしたお寺さんへ参ります(そこで何があるのかは最後のお楽しみ!)。それまでぽっかりと時間が空いてしまいました。残された時間は約3時間ほど。盛岡散策はある程度してしまったし、遠出するには時間も気力も足りていない・・・。

あ、オススメされたあそこに行ってみよう!再び歩きはじめます。

何度往復したかわからない橋

光原社

盛岡に行くと言ったら数人にオススメされた光原社。きっと好きだよ、と言われたけれど、その通りとても好きでした!

ビー玉の模様のような色ガラスや床のタイルもかわいい

ショップがいくつか連なった集合施設になっていて、民藝が好きなら大好きな空間だと思います。宮沢賢治好きにもオススメです。

 

で、ここで事件勃発。

スマホ紛失!!!

光原社を出てスマホを取り出そうとすると、いつもなら入っているはずのポケットにない・・・・!おや?っと思い、ショルダーバックをごそごそ。ない・・・。リュックの中身を全部ひっくり返しても・・・ど、どこにも!

な!い・・・・!!!

ななななんと!スマホを落としてしまったようです・・・(真っ青)

ホテルからスマホの地図を見ながらここに辿り着いたので、間違いなくそれまではありました。まずは光原社のスタッフに確認するも見つからず。ここにないとすると一体どこに・・・?

ひとつ思い当たることがありました。一度荷物を整理するためにどこかのバス停のベンチに座ったのです。ただ、普段ぼーっとして地図だけを頼りに歩いているから自分がどこから来たのかちんぷんかんぷん!超焦ってるから同じ場所を行ったり来たり・・・。だって、スマホなくなったら新幹線や飛行機も乗れないし、警察に行ったりなんやこんやでこれからの予定も吹っ飛びます!!!

顔面蒼白になりながら、無意識の自分を信じおぼつかない足取りでベンチのある場所を探し歩いていると・・・

あああああったーーーーー!!!(号泣)

いやぁー、ほんと肝を冷やしました・・・。上の写真は、歓喜しながら足早に駆け寄ってスマホを手にとった後にハッと思い直して、再び同じところに置いて撮ったヤラセ写真です。

福田パン本店

大大大ハプニングで、精神的にも体力的にもぐったり・・・。とりあえず昨日食べれなかった福田パンの本店に向かったらお盆休み・・・。ま、軽く想像はしてたので、平気です・・・平気ですよ?(涙目)

どどん!

思い返せば、昨日の朝は中華そば、昼はクエン酸ゼリー、夜はコンビニ冷麺。今朝もちょっとしたコンビニ飯、お昼はたこ焼き。うぅん、どうやらエネルギーが足りてないようだ。だからこんなにも朦朧としてるんだ・・・。

果たしてこれから盛岡らしい食事をすることができるのだろうか!?

どこまでも運に見放される

その後は再び雨が降ってきて・・・不思議な歯医者さんの建物で雨宿りすることに。なんで今日は傘持ってこなかったんでしょう。昨日はちゃんと用意してたのに・・・。

木のために作られたような不思議な建物でグッときたからここを雨宿りの地とする

やっと雨が止んだので、再び移動開始。街中へと向かうことにします。何か・・・心躍るスイーツが食べたい・・・。昨日訪れた神社の近くまできました(もうへとへと)。

昨日参拝できなかった巨石を遠目に拝見

参道にいい感じの喫茶店を見つけたので入ってみると、もう閉店したことを告げられる・・・。

無念

意外にも盛岡のカフェ関係は閉まるの早いのですね・・・。盛岡に戻ってきてから無駄な動きをしすぎて、ゆっくりできる時間があまりないことに気付きます。もうどこにも行かずに早く落ち着きたい。そうだ、あの場所でゆっくりしよう・・・。

コンビニで今回の旅で何度目かのクエン酸ゼリーを購入し向かった先は・・・

青龍水で癒しの時間

昨日訪れて大大大好きだった青龍水ふたたび!ここ、ほんと大好きだ!!

命の水

クエン酸ゼリーをちゅーちゅー飲んで栄養補給&湧き水ごきゅごきゅ。ほっと一息ついて、ちょっと回復。

青龍水からは今日の最終目的地であるお寺さんが見えます。そこにはカラフルな装束に身を包んだ人たちの姿が・・・。

岩手ひとり旅、最後の夜が始まろうとしていました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑩台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

⑧台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【都鳥鹿踊 編】

盛岡駅から電車で50分ほどの北上駅へ。珍しくここからはひとりではありません。旅の前に某SNSで東北マスターY氏に鹿踊情報をお尋ねしたところ、なんとアテンドしてくれることに・・・!!世の中には仏のような方がいるものですね。ありがたや・・・。

北上駅

構内には賑やかな郷土芸能レリーフ

CONTENTS

鹿踊(シシオドリ)とは

鹿さまに会いにいく前に、まずは鹿踊についてちょっとお勉強。

*間違ってる部分があったらごめんなさい〜。参考にしたサイトは一番最後にまとめています。

日本の郷土芸能で「シシ」と聞くと、みなさまパッと思いつくのは獅子舞ではないでしょうか?文字通り獅子(ライオン)のことで、こちらは大陸から都(京都や奈良)に伝わってきたものだそうです。

高良山獅子舞(久留米市  高良大社)
2023年1月1日撮影

一方、東北のシシオドリの「シシ」は獅子と発音は同じでもまったく別のもの。狩猟や食糧の対象となる山の獣の肉のことを日本の古語で「シシ」と言い、猪や鹿などの山に住む獣を踊りにしたのが日本発祥の「シシオドリ」とされています。

鹿をモチーフにした鹿踊(シシオドリ)は、岩手県や宮城県で多く踊られていて、岩手だけでもおよそ150もの団体があるといわれています。旧南部領では幕を持って踊る「幕踊系」(今回の旅でも遠野で鹿頭を見せてもらったね!)、旧伊達領では腰に太鼓をつけて歌い踊る「太鼓踊系」が多いそうです。「太鼓踊系」にも春日流・金津流・流行山と3つの流派があるらしい。なんてバリエーション豊かなのでしょう!

そして東北から遠く離れた四国の地にも鹿踊り(しかおどり)が存在しており、1600年代前半に仙台の伊達政宗の長男、秀宗が宇和島藩に移った際に鹿踊が伝わったとされています。伊達領から輸入されたから四国の鹿踊りは「太鼓踊系」なんだね。

四国の鹿踊りも太鼓を打ち鳴らし歌い踊ります
(愛媛県宇和島市吉田町の「鹿の子」2019年11月3日撮影)

2019年に宇和島で初めて見た鹿踊りがきっかけで、そのルーツである東北の鹿踊を求めてついにここまでやってきました。北上駅でYさまと合流して車で出発!これから見学しに行くのは「太鼓踊系」の鹿踊。いよいよ東北の鹿さまと初対面いたします・・・!!(ドキドキドキ)

宝寿寺

青々とした美しい田園が広がる道路を走り抜け、たどり着いたのは岩手県奥州市胆沢南都田地区にある宝寿寺。

お盆のお墓参りにたくさんの人たちが訪れていました

あたりには美しい田園が広がっています

東北の鹿踊はもともとは鎮魂・供養としての意味合いが強く、それに豊作祈念や感謝の意味が加わり、お盆の頃から始まって9月くらいまで神社の秋祭りなどでも踊られているそうです。

今日は8月13日。鹿踊の本質ともいえる盆供養踊りを見学させてもらいます。部外者がうろちょろして写真を撮っても大丈夫なのかしら・・・。と、ちょっと心配だったのですが、確認したらOKとのことでホッ。個人のお墓がガッツリ写ったりしないようにもちろん気をつけます!

行山流 都鳥鹿踊(ぎょうざんりゅう とどりししおどり)

お寺さんに到着するとすでに変身前の都鳥鹿踊さんたちがすでにスタンばっておりました。寛政5(1793)年に鹿踊が伝わったとされ、現在まで一度も途切れることなく踊られているそうです。

鹿踊の装束がズラリ

つい開口一番に

「たのしみにしてます!!!」

と、場違いな一言を発してしまい(盆供養なんだから・・・楽しみってあなた)、しょっぱなからやらかしてしまうわたくし・・・反省。

リハーサル風景から見学させてもらいます

3つの宗教が交わるお寺

踊りが始まるのを待っていると、鹿踊メンバーのお一人が話しかけてくれました。ここは曹洞宗のお寺だけど「キリシタン」や「隠れ念仏」にも縁があるお寺であることを教えてくれます。

き、キリシタンーーーーーー!!!?

はい、わたしは3度の飯よりキリシタンが大好物。今年の初めに長崎に行ったことをきっかけに上半期はキリシタンにどっぷり浸かり、弾圧された江戸時代の潜伏キリシタンたちに思いを馳せ、涙する日々を送っておりました・・・(安心してください、今は落ち着きました)。

竹田キリシタンを巡る旅に出たことも記憶に新しいですね・・・。

わたしからは何も聞いていないのに、突然そのような話が飛び出したので吃驚&興奮・・・!!福岡から来たということを知り、九州は長崎や熊本など潜伏キリシタンゆかりの地が世界遺産にもなってて有名だからそういう話に繋がったのかな?

隣町がキリシタンの街だったそうです(水沢のことかしら?旅の前に調べたらキリシタン関係の場所や、他にも色々気になる場所があってちょっと観光したかったのだ)。お寺さんから見える山の上を指差して、キリシタンが儀式をしていたという場所を教えてくれました。

山の上の建物があるところって言ってた気がするけど・・・

何てとこなのか聞けばよかったー

墓石?か、何かに逆卍が刻まれていたりもするらしい(相変わらずいい加減な記憶力)。鹿踊が始まるまでまだ時間があるみたいなので、いてもたってもおられずお盆のお客さんたちの邪魔にならないようにちょっとだけ墓地をぐるっと周ってみることにします。しかし残念ながら自力でキリシタンの痕跡のようなものを見つけることはできず・・・。

少しずつ陽が傾いてきました

は!わたしの今回の目的は鹿踊だよ・・・!!

我にかえってお墓から戻ってみると、ちょうどお着替えタイムが始まろうとしていました。雨が降ったら中止になると聞いていて、ちょっと怪しい雲行きにヒヤヒヤしていたのですがなんとか大丈夫そう!?

準備風景

着替えているところを見学させてもらっていると、その装束についても色々と気になってきます。

ササラ

背中から空高くそびえ立っている白い紙が巻かれた竹製の棒は「ササラ」と言って、神様を下ろす役割があるそうです。一人で「よいしょー!」っと背負えるようになっててすごーい!!都鳥鹿踊さんのように、垂直ではなく斜め(V字型)になっているのは珍しいそうです。

よいしょー!!!

鹿角

鹿踊の衣装の中で、一番最初に目についたのが鹿の角でした。

鹿頭の角の断面が真っ赤に塗られていて、それをみた瞬間・・・

「赤!血液!!生命!!!」

と、胸がきゅきゅきゅーーーんと高鳴ってしまいました。

血管や赤い珊瑚を連想

なんで赤く塗られてるのか尋ねてみると、言われて初めて気付いた(意識した)とのこと(つまり特に意味はないらしい)。単なる装飾的なものっぽいけど、わたしにとっては最高の萌ポイントだよ・・・!!ちなみに本物の鹿の角を使用する団体もあるのですが、鹿踊が盛んな奥州市の江刺や胆沢地方などでは、鋳物で作られることが多いそうです。

そしてこの鹿頭をひっくり返すと現れたのはヘルメット・・・!!!どうなって固定してるんだろうと思ってたので、あまりにも現代的でビックリしてしまいました。通常、「エンツコ」(全然馴染みのない言葉の響きだ)という藁等で編んだものでシシ頭を固定するらしい。都鳥鹿踊さんではエンツコが重すぎるのでヘルメットを使ってるのだとか。エンツコも生で見てみたいな〜。

まさかのヘルメット

現在の鹿頭は昭和50年くらいに作られた2代目の鹿頭で、修理しながら使っているそうです。お顔を隠してしまうほどの長い髪の毛は馬の毛。鹿なのにお顔が真っ黒なのは、山伏が伝えた神楽の最高神「権現様(ごんげんさま)」(獅子舞)の影響があるからだとか。頭に載せる前に、手を合わせて拝んでいるのがとても印象的でした。

それだけ神聖なものなんだね。この瞬間を見れてうれしい

どんどん準備が進んでいきます。

流し

背中には「流し」といわれる布が垂れ下がっていて、各団体によって絵であったり文字であったりと描かれるものは様々。

鹿さまたちがお互いの着替えを手伝ってる姿も可愛かった

腰についてる布も「流し」って言うのかな?

雌鹿のものはエロい絵柄と言われて(今回の盆供養踊りではなかった)テンション上がったのですが、もしかしてこれ?これのこと??

めちゃくちゃイイ・・・!!!しかも左下の黒いものは熊だそうです笑。このゆるゆるな感じたまりません・・・。雌鹿の登場する演目は余興的なものになるらしく、どうやら秋祭り等で踊られるようです。いつか見てみたいなー。

隙間から見える鹿さまの眼光が鋭くてドキドキ

ついに変身完了!!!

着替えが終わると、駐車場の隅に集まって太鼓を叩き始めました。

これはどういう意味があるのかな?ならしみたいなもの??

男性だけではなく、小柄な女性の踊り手さんもいます。昔は女人禁制の時代もあったようですが、現在では女性の踊り手も多いようです。なんと装束は全部で約15kgほどもあるとのこと。男性でも女性でもその重さは変わらないというから大変!

紅一点。かっこいいー!!

駐車場での太鼓が終わると、ついに盆供養踊りのはじまりです・・・!!!

盆供養踊り

旗を持ち先導する方に続き、黒装束の鹿さまたちが一列になって行進する姿からしてとてつもなくカッコいい!!!

頭がクイっと上を向いているのがイカす

実際に見るまでは、東北の鹿踊は黒の印象が強かったけど、麻布に大きく染め抜かれた九曜紋と呼ばれる伊達藩の家紋や、袴の裾の鮮やかな朱が際立っていてとっても華やか!!赤、緑、黄、青、紫に染められた小さな家紋も可愛らしくて特にお気に入りでした。コテの刺繍も好き。

目は鋭くキリッ!なかなかのイケメンです

山門をくぐって中へと入っていきます。

ぞろぞろ後に続きます

今回は盆供養踊りということで、どちらかというとしめやかで大人しい踊りだったようなのですが、ところどころ激しく踊る場面もあって興奮!(四国の穏やかな鹿踊りを先に見ている自分にとっては十分激しく見えたのだ)。歌も腹の底から出すような節回しのある力強いものでした。

お盆ということもあってかたくさんの人。浴衣姿の人たちも!

カッコいい後ろ姿

たまに激しく動いて、背中のささらが勢いよくしなります。

こりゃ腰が強くないと踊るの無理だー!

お墓と田園を背景に黒装束の鹿さまたちが踊り狂う姿はとても不思議な感じがしました。

座ったかと思えば・・・

再び踊り出す!

歌や踊りが違うので、いくつかの演目が組み合わさっていることはなんとなくわかるのですが、もちろんわたしにはその中身まではわからず・・・。ひとつひとつ理解できたらより楽しいんだろうなぁ。

お祝い

そうそう、今回「お花(ご祝議)」というものを初めて渡しましたよ・・・!舞台とかで投げ銭みたいのがあるのはうっすら知ってたけれど、郷土芸能の世界でも行われているとは知らなかったのです。

じぶんち 第13号「特集 お祝い」:こちらで勉強させていいただきました。

拝見させてもらってる以上なにかしらお礼したいし、ずっと続けていってほしい。ドキドキしちゃうけど、渡せる機会があれば勇気を出して渡していきたいと思います。

ところで後日、撮った写真を見返してて初めて気づいたんだけど・・・

こ、ここここれは・・・!!!

わたしがお花を包んだとっておきのポチ袋が写ってるよー!!!

中冨記念くすり博物館(鳥栖市)のミュージアムグッズのポチ袋。大好きすぎてこれだけ大切に残していたの!こんなのに入れていいのかなぁと若干迷った笑

つまりこの時「お花ありがとう〜!!!」ってしてくれてたんだね・・・!??まったく気付いてなかったよーーーーー涙涙涙

同時にひとつのことしかできない人間なので、写真撮ってたらなんも入ってこないんだ。やはり自分の分身が3人くらいほしい・・・。

墓前にて

本堂前での踊りが終わったかと思うと、太鼓を打ち鳴らしながらお墓の方へと向かっていきます。

優しい飴色の夕陽が辺りを照らし、なんだか懐かしいような切ないような・・・。

墓前での盆供養踊り。やっぱり朱い角が映える!

踊り終えて再びお寺へと戻っていく鹿さまたちのうしろに、ピッタリとくっついて歩く一人の少年の姿が・・・。

未来の鹿踊ボーイかな?

これにて本日の盆供養踊りは終了!

最後の記念撮影にもちゃっかり便乗させていただきました。決めポーズめちゃかっこいい!!!

山門前にて

美しい田園前でも

都鳥鹿踊のみなさんほんとにいい人たちで、質問にも色々答えてくれるし感激してしまいました。とっても居心地がよかったー!初めての鹿踊体験が都鳥鹿踊さんでよかったです。見学させていただきありがとうございました!!

鹿さまから人に戻ったみなさま(お片付け中)

Tシャツの後ろの文章も気になりました

お疲れ様でございました!

ちなみに都鳥鹿踊さん、人手不足で地区内外問わず会員を募集しているようです。興味のある方は是非!鹿踊してるって言ったらきっとめっちゃモテるよ〜!!(わたしにな)

▼都鳥鹿踊さんのX(旧Twitter)とブログ

すたさん@行山流都鳥鹿踊 (@gyozan_todori) / X

行山流都鳥鹿踊保存会

昭和の残照〜水沢駅周辺を散策

はじめての鹿踊をしっかりタンノーしたあとは、再び盛岡へと戻りましょう。一番近い水沢駅で降ろしてもらいます。すると!なんと!次の電車が来るのが1時間後というではありませんか・・・!!

それなら駅周辺を散策するまでさ・・・!!!

え?え?え??

めっっっっっっっちゃ素敵じゃん・・・!!!!!

ニューオリオン・・・!たまりません

そしてとんでもなく大大大好物の建物を見つけてしまう・・・!!!

鼻血物件

他にもこんなのや・・・

キ、キティ・・・!!!

こんなのまで・・・・・

ゴースト飲み屋街

えぇ、水沢駅周辺。猥雑でどこか寂しくて・・・とてもわたし好みでした・・・・・。少し歩いただけでこんなに素敵な風景に出会ってしまうのだから、まだまだ素敵な建物が眠っていると思われます(現に車で通り過ぎる時に素敵な建物を見たんだー!でも道がわからなくて駅から近いのに辿り着けなかった・・・)。

これは再訪しなければなりませぬ。水沢はキリシタン縁の街だし、水沢競馬場にはホルモンが美味しいお店もあって桜並木も綺麗らしい(実はここで初の競馬体験したかったのだけど、滞在中にレースしてなかったので水沢観光を旅の候補から外したのでした)。再訪する時は桜の時期かな?その時を楽しみにしたいと思います!

水沢駅の窓が可愛かった。ポスト上のアンテナ?も

盛岡ふたたび

盛岡駅に到着したのは20時頃。外に出ると地面が濡れていました。どうやらまた雨が降ってたらしい。もしかしてわたしが着くと同時に止んだっぽい?都鳥鹿踊さんの時も降りそうで降らなかったし、もしかしてわたし晴れ女・・・??なーんて昨日ドシャドシャドシャ降りの遠野&盛岡だったことをすっかり忘れてそんな風に思ったり。

盛岡冷麺

今回の旅では遠野で食べたジンギスカン以来、ほとんどご当地グルメを食べれていません。せっかく盛岡にいるんだから「盛岡冷麺」食べたい!と思って駅近くのお店に向かってみるも・・・。

無・・・理・・・・・

すぐに心折れて、コンビニで盛岡冷麺買ってホテルで食べるという。明日こそは岩手らしいごはん食べたいなぁ・・・。

福岡でも売ってるしなんなら食べたことあるし

さぁて、明日は5時起きだよ(白目)。本日に引き続きY氏の案内で、盛岡から車で約2時間ほど(遠い!)の場所で行われる幕踊系の菅窪鹿踊を見に行きます。東北のデフォルメされた鹿頭ではなく、どちらかというと四国の鹿頭と同じくリアル鹿に近いとのことだったので、気になって訪問をリクエストしていたのでした。

明日も早いしそろそろ眠ろうとしていたところにY氏より連絡が・・・(嫌な予感)。ななななんと!明日の早朝行われる予定だった菅窪鹿踊が雨で中止に・・・!!!さっきまで晴れ女と確信したばかりだったのに・・・やはりわたしは雨女なのか。

悲しみに暮れていると別の鹿踊を案内してくださるとのこと。さすが東北マスター!ありがたい・・・。中止は残念だけど、行き先が変更になったことで1時間多く眠れることになったのでよかったことにす・・・る・・・・・(ぱたり)。

■参考にしたサイト

「鹿踊のある風景から」(第4回「先覚に聴く」レポート) | 伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィス - TARO…東日本大震災時の様子がとても印象に残りました。死者供養としての鹿踊についてリアルに知ることができます。とてもよい記事だったから読んでほしい。

東北STANDARD | 鹿踊 - 02.鹿踊の意味と発祥 - 

東京鹿踊/ TOKYO SHISHI-ODORI — シカノツノ力

郷土芸能じぶんち東北の郷土芸能を紹介する情報誌。第9号と第10号で、鹿踊についてわかりやすく特集されています(都鳥鹿踊さんも対談で登場)。第13号は「お花(ご祝儀)」について。他にもいろんな特集が組まれているので、東北の芸能について楽しく分かりやすく知りたい方にオススメです。

行山流都鳥鹿踊

SaSaLa(ササラ) Vol.11

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2、film:CONTAX Aria

⑨台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

⑦台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【盛岡散策・後編】

盛岡散策後編です。

CONTENTS

盛岡八幡宮

お寺さんばかりではなく神社にも行ってみました。

とても大きな神社

何に心を奪われたかって・・・敷地内のわきにいらっしゃる神馬さま・・・(名脇役に目がいってしまうわたくし。いや、脇役どころかわたしにとっては本命です)。

白と黒のお馬さま〜!!!

ちびっこお馬さんもいたよ。正面からは見えないけれど、布製のお馬さまもいてものすごく気になった・・・。どうにかして全貌を見たいと思ったけどうまいこと隠れてて無理だった・・・・・。

布製の子。気になる・・・

もちろん本殿にもお参り。今回の旅の安全と好きな写真が撮れることをお願いします。

遠くまで見渡せるすがすがしい景色

神社周辺の街歩きもちょっとたのしい。大通りから細い路地に入るといい感じのスナック街がありました。

地元の人たちにとっての日常が旅人にとっては非日常なのです

盛岡の近代建築

土砂降りだった昨日が嘘のような快晴です。少しずつタイムリミットが迫ってきました。そろそろお昼ごはん食べたいなぁ。盛岡に行ったら絶対に食べたいと思っていた福田パンへと向かうことにします。

人魚の写真館

早歩きで福田パンへと向かっていると、いきなり目の前に天上へと駆け昇ろうとする魅惑的な人魚の姿が・・・!!!

フォントが一部取れてしまっています

建物の中から飛び出してきそうな人魚

思わず心の中で絶叫しながら建物周辺を挙動不審にうろちょろしてシャッター切りまくってしまいました。鼻血が出そうな悶絶建築ですね・・・。 「館」の文字は取れていますが、小原写真館という写真館だったようです(壁面フォントが旧漢字の「寫眞」なのもグッとくる)。どうやらその筋の人たちには有名な近代建築だったらしい。人魚の手の先にも文字が入っていたようです。

ちなみに旅の最中忙しすぎてちっともまともにTwitter、もといXでつぶやけてなかったから、スマホでパパッと撮ったばかりのこちらの写真にその時感じた一言添えて何気なくアップして放置してたら・・・なんと人生初バズりしてました・・・。

リプライでこの写真館に関するブログが紹介されていたので、そちらを貼らせていただきます。詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。

まだまだ人魚を眺めていたいけれどいかんせん時間がない〜!!!さよならして福田パンへと向かいます。

福田パンは街中に何店舗かあるのですが、今回向かったのは一番近かった中ノ橋店。どうやらバスターミナル内にあるようです。中に入ってみると・・・

う、売り切れ!!!

売り切れというか、お盆休みでそもそも営業してなかったようです・・・。はい、絶望。

朝食べた中華そばとしそ巻きは、散策しているうちにすっかり胃袋から消滅。福田パンを食べれないという絶望により、一気に疲れがやってきました。た、食べ物をください・・・。ふらふらとした足取りで歩いていると目の前に希望の光が差し込みます。

岩手銀行赤レンガ館

目の前に現れたのは、1911(明治44)年竣工の岩手銀行赤レンガ館でした。東京駅と同じ辰野金吾の設計。そんなことはこの時はまったく知らず、ひと目で心を奪われます。みるみるうちにわたしの心に栄養が行き渡り、食べ物のことなんかそっちのけで中へと足を踏み入れていました。

なんという美しい建物なのだ

しかし時間がない!!時間がないのだ!!!

有料部分もあってそちらも見たかったのですがそれは叶わず、無料で見れる範囲のみを駆け足で見てまわります。めっっっっっっっちゃくちゃ素晴らしかった・・・・・・。

悶絶の嵐

もっと滞在したかったけどいよいよ時間が心配。体がこの場にとどまりたくて引きちぎれそうになりがなら無理やり脱出・・・。有料部分も見たかったな!

レンガ館を出てすぐの川からの景色がとても美しかったです

櫻山神社

もうご飯食べるのはあきらめて、ほんの少し残ってた時間で最後に神社へと寄りました。本殿奥に巨石があったらしいのですが、急ぎすぎててまったく気付かず・・・。

星型のおみくじかわいい

手作り感満載のお人形さんたちがあちこちで存在感を放っていました。

鶴と亀の中にはおみくじが

顔はどう見ても鬼滅の炭治郎だけど、なんか古代の格好してる・・・。よくわかんないけど因幡の白兎???

最後はバッタバッタ駆け抜けて、これにて本日の盛岡散策終了です!!!

最後に

今回の目的は鹿踊だったため建築関係はまったく調べていなかったのですが、盛岡は素晴らしい建築があふれる街であることを初めて知りました。気の向くままに歩いていているだけでこんなにも素敵な建物に遭遇してしまうんだもの・・・(昨日出会った公会堂然り)。きっともっとたくさんあるんだろうなぁ。でも、人魚の館とレンガ館を見れただけでも大大大満足なのでした。

さて、素晴らしい近代建築にすっかり夢中になってしまい、ご飯を食べる時間がなくなってしまいました・・・。電車の中でクエン酸ドリンクをチューチュー吸いながら、ついに四国の鹿ちゃんズのルーツである東北の鹿さまたちに会いにいくぞ・・・!!!!!

クエン酸飲んでりゃなんとかなる!

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑧台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

⑥台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【盛岡散策・前編】

岩手観光3日目。今日が旅の本番です・・・!そう、岩手に来た最大の目的は鹿踊・・・!!!(忘れてたでしょ?)ですがそれは午後からの話。もうちょっとだけ盛岡観光を楽しむことにします。

CONTENTS

鉈屋町の街並み

この日は5時起き!の予定がどうにも起きれず、30分遅く起きてのろのろと準備開始・・・。眠い目をこすりながら、バスに乗り込み出発です。

目的地近くのバス停で下車。古い建物が残る風情のある街並みが現れます。なんと旅の最終日である明日訪れる予定の鉈屋町ではありませんか・・・!派手さはないけれど、なんだかとっても好きな感じ。

赤煉瓦の建物は何だろう?

望楼をもつ建物は「大慈寺地区コミュニティ消防センター」

はじめて歩く街にワクワクして明日も来るのについ写真をいろいろ撮ってしまい、どんどん時間がすぎていく・・・。

朝市が終わってしまうよーーー!!!

盛岡神子田朝市

そう、早起きしてこんな朝っぱらから出かけてるのは、5時から8時30分まで行われているという盛岡神子田朝市に行くため。ちょっと早歩きで向かっていると、遠目に人がぞろぞろ歩いているのが見えました。

きっとあそこが朝市の会場ね

おばあちゃんがいい感じ

時計をみるとすでに8時前。朝市終了まであと40分ほどしかありません。なんていうこと・・・!!!焦って駆け足で向かいます。

あれ?思っているよりも人が少ない・・・?商品も品薄で、すでに店じまいを始めている人もちらほら・・・・・。

おばあちゃんもう店じまいしてた

あぁ、やはり着くのが遅すぎたようです。寝坊したことが悔やまれます・・・。

噂のひっつみ

時間がないのでとりあえず朝ごはん食べたい!前もって狙いを定めていたお店が2箇所ありました。ひとつは「噂のひっつみ」。岩手県の郷土料理のひとつである「ひっつみ汁」です。でも、かなり並んでる・・・。

「噂のひっつみ」かわいいね

朝市食堂

もうひとつは朝市食堂の中華そば。こちらも当然のように並んでます・・・。

どっちにしよう?

とりあえず中華そば食べてからひっつみろうかなぁ・・・(両方食べる気満々である)。注文して支払いを先にすませて番号の書かれた札をもらいます。

お店の前あたりで待機

待ってる間、真向かいのお店で売られていた「しそ巻みそ」なるものを買ってみました。胡桃や胡麻を混ぜた甘辛い味噌を大葉で包み、油で揚げた宮城県の郷土料理とのこと。わたしは「胡桃」と「胡麻」の2種類を購入。あとで中華そばと一緒に食べようっと。

この時はどんな食べ物なのかはちっともわからず購入

そうこうしている間にどんどんお店が閉まっていきます・・・。ひっつみも・・・終わってたよね・・・。

20分ほど待ってやっとわたしの中華そばのご登場・・・!!!

ワンタンメンに味付け卵トッピングしちゃったもんねっ

食べている間にもどんどん店じまいしてて、片付けする人たちの姿を見ながら中華そばをすするという・・・。しそ巻きもパクリ。美味しいんだけど、そのまま食べるにはどうにも辛すぎて最後は喉がカラッカラに・・・。本来はお茶請けやご飯のおかず、お酒のアテとして食べられるもので、そのまま食べるものではないようです。

すべてを食べ終わる頃にはすっかり人気もなくなりガラーンとしてました。

来た時の賑わいはいずこ

閉店してからどっかに大量のクリームソーダ持っくおいちゃんなんだか可愛かった

閉店してからあちこちのお店で中華そばを食べてるのもなんだかよかった

ちなみに今回中華そばを食べた朝日商店さんは、他のお店よりも少し長い時間やってるようで、朝市が終わる8時30分頃だったら並ばなくてもけっこーすぐに食べれたっぽい。わたしがやっと食べれるという頃に注文した人がすぐありつけてました(涙)

これから朝市に行く人へアドバイスするならば・・・

  • 中華そばは最後でも食べれるから他の店へ行くべし
  • しそ巻みそは1本だけ買うべし(その場で食べ切る場合)
  • 朝市には早い時間に行くべし(これに尽きる)

以上だ!!!

ラストミッションは朝市内にある珈琲屋さんでアイスコーヒーを飲むことだったんだけど、お目当てのお店はやっぱり閉まってたよね・・・。しょんぼり。

別のお店で〆のアイスコーヒー

ちょっぴり消化不良だけれど、岩手の活気ある朝市を垣間見ることができて嬉しかったです。

全国の朝市巡りたいなぁー。そのためには早起きできるようにならないとね・・・。

仏像巨大サークル!十六羅漢像と五智如来像

朝ごはんを食べた後は、ひとまず鉈屋町に向かっててくてくてく。すると、茂みから突如現れる石仏の頭・・・!??

ぴょこっ

なんと公園の広い敷地内に巨大な仏像サークル・・・!!なんだこのスケールのでかさは・・・!!!

木の背後に存在感

突然異空間が現れたので、びっくりしてしまいました。岩手を旅して感じたのは、お寺やこのような石仏群の規模が違うということ(ちょっと言葉では言い表せれない雰囲気。行く先々でそれを感じました)。それはどうやら度重なる飢饉によって多くの人が亡くなっていることに理由があるようです。

解説板

九州に住んでいると飢饉というものを身近に感じるものがなくて、岩手のあちこちで当たり前のようにこのような光景が存在することに少し驚いたし、東北の人たちがとても厳しい環境の中を生き抜いてきたことを強く感じました。

すぐ隣の塀にはキリスト看板もあったよ(キリ板ハンター)

ちょうど今はお盆の時期。お寺さんにお盆の雰囲気を感じに行ったりもしました。ちなみにわたしはGWに実家に帰省した時にお墓参りしてきました。お盆に行けないことをゆるしてご先祖さま〜。

永泉寺

試飲まつり、酒造 あさ開

お寺さんの目の前に酒蔵があったのでふらふらと吸い込まれます。わたしは旅先では日本酒を買って帰りたいのだ〜!!(数年前に南会津を旅した時に開眼した)。

あさ開さん

日本酒はあまり得意ではないのだけれど、おしゃべり上手なおいちゃんに進められるままグビグビと試飲。味おんちのわたしでも味の違いがわかって面白かった〜。そしてとても飲みやすくて美味しかったです。

次々に試飲させてくれるおいちゃん

ほんとはここでしか買えないというその場でボトルにつめてもらえる生原酒がほしかったけど、冷蔵じゃないといけないっぽい(夏場だし・・・無理・・・・・)。

限定に弱い

悩んだ末に「熟麗」という美しい名のお酒を購入。リュックに詰めて今日1日旅します・・・!!!(ほら、護身用の武器にもなるからさ)

ちなみに酒造の真ん前には先ほどのお寺さんがあって、門前には「禁葷酒」と刻まれた石碑が立っていました。

禁葷酒

これは、「酒やネギ、ニンニク類の持ち込みを禁止する」という意味だそうです。

(以下サイトより抜粋)

【お寺の雑学】門前によくあるアノ石碑「禁葷酒」いったい何を禁じてるの? | ライフスタイル - Japaaan

あぶなーい!お酒を買ってからだったら入れないとこだったわ・・・!!酒造の前に建ってるのがちょっと面白かったです。

大慈寺

朝っぱらからお酒を注入してちょっぴりいい気分になりながら、明日も訪れる予定の鉈屋町の大慈寺に事前リサーチしに向かいます(というほど大層なものではない)。

緑が美しい

盛岡舟っこ流し

お寺さんの山門横には舟っこ流しで流される船が展示されていました。

以下、舟っこ流しHPより抜粋▼▼▼

舟っこ流しの始まりは,今からおよそ280年ほど前,盛岡藩四代藩主 南部行信の七女 麻久子姫が川施餓鬼(かわせがき)の大法事を行ったものとされています。 1815年に津志田遊郭の遊女たちが乗った舟が氾濫した北上川で転覆し,溺れ死んだ霊を慰めるため、舟に位牌と供物を乗せて流すようになり、以後盛んに行われるようになりました。 いまでは祖先の霊を送り、無病息災を祈る行事となっています。

各町内会等で作られているらしく、散策中にそのいくつかみることができました。実際に川で燃えているところも見たかったなぁー(その頃には福岡に帰ってた)。

他の地区の舟

階段を登ってお寺さんに向かおうとすると、その途中にキャラ立ちしてるお稲荷さんがいらっしゃいました。

稲穂くわえてる!かわいい!!!

門をくぐってお寺さんへ。

この墓石のピラミッドが九州ではあまり見かけない気がしますが、東北特有のものなのでしょうか?(後日無縁仏ということが判明。教えていただき感謝です!)

湧き水

お寺さんを出てすぐ右の道を歩いていくと、人が集まっている場所がありました。

奥に見える屋根のある場所は何だろう?

青龍水

湧き水だ!!うれしい〜!!!

解説板

ひっきりなしに地元の人が訪れて、大きめのペットボトル何本分も汲んで帰っていきます。湧き水のある生活いいなぁ〜。先日訪れた大分県竹田市も湧き水の町で素敵だなぁと思ったよ。

一番左の屋根がついているのが飲み水、その次が米研ぎ、洗い物、足洗と用途が決められているそうです。なるほど〜!でもみんな飲み水汲みにきてる人ばかりでした

ちょうど水をきらしていたところだから早速わたしも汲もう!と思ったのに、どうやら設置されているコップの紐が切れてどこかに落ちてるみたい・・・。口をつけたペットボトルしかもっていないから水を汲めないないな・・・・・。

なんて残念がりながら写真撮っていると、水を汲みに来たおじいちゃんに「おいでおいで」されて、パイプから水が出ていることを教えてもらいます(中まで覗き込んでいなくて気づかなかった)。

わー!ありがとうおじいちゃんーーー!!!

あやうく飲めずにずこずこ帰るところだったよ〜。

さっそくじゃばじゃば!!!

ごくごくごく。うまーーーーーい!!!

おじいちゃんとの交流含めて、この湧き水がとっても大好きな場所になっていまいました。

水は無料ではあるのですが、飲んだらみんなも寄付しようね〜!

チャリン!

大慈清水

青龍水から近い車通りの多い道路沿いにもう1箇所湧き水があります。こちらもとても綺麗に整備されている印象でした。

古写真では洗濯する奥様たちが。井戸端会議の場だったんだろうねぇ

先ほどの青龍水もだけど、絵馬が奉納されているのも印象的でした。

白いお馬さま

久昌寺の山門

湧き水で喉が潤ったところで再び街をぷらぷらぷら。立派なお寺さんを見かけたので寄ってみます。

東北では卒塔婆の多さも印象に残りました

素晴らしすぎる山門!!!昭和8年に建立されたもののようです。

繊細な木の彫刻がすごい!!!!!

いいもんみれた・・・。とってもタイプの彫刻を見ることができて嬉しかったです。

さて、盛岡散策編を1本だけでまとめたかったのですが、思ったよりも写真が多すぎてまとめきれない・・・。というわけで、後編へと続きます。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑦台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

⑤台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【雷鳴轟く雨の盛岡編】

豪雨の遠野を脱出し、花巻駅から電車で北上。どうなるかと思ったけれど、なんとか盛岡入りを果たすことがきました!スリル満点で楽しかった!!!(無事脱出できたから言えることである)

盛岡駅

CONTENTS

盛岡

盛岡駅に着いてみてびっくり。と、都会ですね・・・!??今まで遠野にいたので、いきなりニューヨークに来たような気分。ちなみに盛岡は、ニューヨーク・タイムズ(電子版)の「2023年に行くべき52カ所」に選ばれているそうです。行くまでまったく知らなかったよ。うちの母親(情報通)まで知っていた・・・。

まずは駅前のビジネスホテルにチェックイン。今日から3日間ここを拠点にあちこち動きまわります。味気がないけれど仕方がない。さて、荷物を置いて早速出発!と行きたいところですが盛岡の街に轟く雷鳴・・・!!!間違いなく近くに落ちているよ・・・?

雷が落ちた時の瞬間の動画のスクショ。画像に乱れが・・・

どうやら遠野から雨雲を連れてきてしまったようだ・・・。今日は午前中にちょっと観光しただけで後は移動ばかり。このままだと1日の旅のトキメキ摂取量がぜんぜん足りないよ・・・!!

覚悟を決めて豪雨と雷鳴が轟く中、盛岡の街へと飛び出します。とはいってもこの雨。思うように身動きが取れないので、当初の計画ではじゅうぶんに時間が取れなかったお土産購入に時間を充てることにしました。

雨の盛岡をゆく

駅から繁華街へは結構離れています。それでもバスを使わずに歩くのは街を散策したいから。この雨でもその気持ちは変わることはありません。

商店街っぽいとこにきた

ひどい土砂降りであたりはどんより灰色です・・・。

神社の参道。いい感じの飲食店がありました

近くの川。鳥がチュンチュン雨宿りしてて可愛かった(頑張ったけど写真撮れず)

カッコいい建物を発見!!!(鼻息ふがふが)

さらに歩いていくと、かわいらしい水色の建物が見えてきました。1891年に「盛岡消防よ組番屋」として建てられた紺屋町番屋です。現在は交流体験施設として利用されていて、カフェなども入っているようです。

かき氷の文字が〜

ただし、今回の目的地はこちらではなく、その斜め向かいにある南部せんべい屋さん。

老舗白沢せんべい店

昭和11年創業の老舗白沢せんべい店です。ちなみにもうこの時には雨で髪の毛はぐちゃぐちゃだし(癖っ毛に湿気は大敵である)、足元もびしょ濡れでひどいありさまでした・・・。

母親に南部せんべいのお土産をリクエストされたので、せっかくだから昔からあるお店で買いたいなぁと。結果、大正解でした!

なぜなら釜神様に出会えたから・・・!!!

釜神様

店に入って商品を物色しながらふとカウンター上を見上げると・・・

どどぉぉぉーーーーーん!!!

ななななんというインパクト・・・!!!!!
亀裂の入った真っ白な眼が爛々と輝き、「ふははははは」という不敵の笑い声が今にも聞こえてきそうなお顔です!!!

ビックリしてお店のスタッフに尋ねてみると次のように教えてくれました。

  • 「釜神様」と呼ばれている。裏の釜で南部せんべいを焼いている。
  • 店主も「釜神様」がどこからやってきたのか、いつからあるのかわからない。
  • 相当古いものらしい。

それ以外の詳しいことがわからないとのことでした。気になって後日調べてみると、宮城と岩手南部(旧仙台藩領)で信仰されていることがわかりました。

以下、工房釜神 【釜神の伝説】より抜粋

火を取り扱う場所としての竈を大切にし、信仰の対象とする例は古くから全国的にみられることであるが、宮城県から岩手県南部にかけての地域では、特に、土間の竈近くの柱や壁に土や木の面をまつる風習がある。これ等の面は一般にカマガミサマと呼ばれ地域によってカマオトコ・カマズンツァン・カマノカミサマ(宮城県)、カマダイコク・カマベットウ・カマメンコ(岩手県)などと称されている。宮城県では昭和60年度に所在確認調査を行い、県内で約2000面、岩手県で約400面が確認されていが、最近家の新改築によるカマドの激減や、カマ神そのものの破損・移動・消失によって、体系的な研究は困難な状況になっている。

工房釜神 【釜神の伝説】には、上記の他にも釜神様について書かれた様々な文献の内容がまとめられていてとても面白かったです。興味のある方はぜひ。(ちなみにわたしは文章量が多すぎて最初あたりしか読めてない・・・汗)

釜神さまのパキパキに割れた目は、単なる劣化なのかと思ったら、上記サイトを読むともしかしてそうでない・・・?

すごい眼力

土製の釜神様の目や口には、白い瀬戸物やアワビ貝をはめることが多いらしい。こちらの釜神さまは木製だけど、白目の部分は白い貝や陶器のカケラのようにも見えるし、黒目部分は白目部分よりもキラキラしてる(もっとちゃんと見て質問すればよかったなー)。

旧仙台藩領である岩手県南部は盛岡は含まれないので、地域的には外れるけれど創業者の出身がそちら方面なのかな?とか、何か別の縁があってここに釜神様がやってきたのかな・・・?等と色々な妄想が掻き立てられてたのしい!!

単なる失敗だけど、あやしくいい感じに撮れた釜神さま

南部せんべい

もちろん南部せんべいも買ったよ〜!!ひとつひとつ手焼きしているらしい。

色んな種類がありました

店内には昭和な家電やポスター等も貼られていて面白かったです。

盛岡市八幡宮の境内で開催されたという「世界動物大博覧会」のポスターも!いつ開催されたんだろう?

こ、これは何かな・・・?

南部せんべいを買うだけでなく、意外なところで宮城〜岩手に伝わる独自の信仰を見ることができてとても嬉しかったです。

岩手県公会堂

次なるお土産品を求めて歩いていると、とんでもなくグッとくる建物に遭遇・・・!!

装飾も素敵

あれ?なんか南部せんべい屋さんに向かう途中で見かけたカッコイイ建物に似てる・・・?って思ったら、どちらも同じ岩手県公会堂。さっき見たのは正面側で、こちらは側面側だったようです。

1927年(昭和2)年に竣工したネオゴシック建築で、内装にはなんとアール・デコの意匠もあるというではありませんか・・・!!!(大好物)見てみたかったなー。盛岡にはこんな立派で素敵な建築が残っているんですね。雨でなければぐるっと一周して鑑賞したかったなー(根性無し)。

戸塚珈琲店

次に訪れたのは、公会堂からすぐ近くのカフェ&珈琲豆屋さんの戸塚珈琲店。旅先で珈琲豆を買って帰ることを楽しみのひとつにしている今日この頃。調べてみると盛岡にはたくさん喫茶店があって迷ったのですが、通り道でもあったこちらに伺うことにしました。

お店の前で傘をとじていると中から店員さん出てきました。ななななんと!今日は休業しているという・・・!!!(毎度お馴染み店が閉まってる呪い発動)ダメ元で珈琲豆だけでも購入できないかたずねてみるとオッケーとの返事が。ありがとうございます〜!!!

運命の出会い

店内には休業中にも関わらず喫茶店を営業する夫婦と、そのご両親の老夫婦、そして一匹のお犬の姿がありました。

とっても大人しい紅葉ちゃん。可愛いかった〜!

福岡から来たことを伝えるとその場にいたみなさまが何やらびっくりしています。単に遠いからかな・・・?と不思議に思っていると、なんと老夫婦はお盆帰省中で、今は福岡に住んでいるという・・・!!しかもわたしの住んでいるとこから近くてびっくり・・・!!!思わぬ出会いに店内は大盛り上がり。記念にみなさんの家族写真を撮らせてもらいました(思い出の写真)。ほんとみなさん素敵な人たちだった!ほんの数分だったけど、とてもしあわせな時間を過ごすことができました。また盛岡を旅した際には必ず訪れようと思います。ありがとうございました!

旅から帰ってきた週末に、さっそく買ってきた珈琲豆で珈琲を淹れて南部せんべいをいただきました。しあわせのひととき

せんべいの裏に「南部煎餅」の文字が入っているのにも個人的にはグッときた

岩手県産ワイン

自分へのお土産をゲットしたあとは、さらに酒屋さんで岩手産のワインを2本ゲット!!珈琲豆と同じく、わしゃ地元のお酒も買って帰りたいんじゃ〜。ほんとはワイナリーに行きたいけど近場で行けそうなところがなかったので、岩手産のワインを置いているお店を調べてこちらに伺いました(他にも置いてるところあるかも?)。

ワインの他にも色んなお酒が置いてました

リュックにあれやこれやをパンパンに詰め込んで最後に向かったのは・・・

西洋料理専門店ユキノヤ

地元の人たちに愛される昔ながらの洋食屋さんで夕ごはんをいただきます!

かわいいフォント

店内は老若男女問わず、地元の人たちでとても賑わっていました。その中に混ぜてもらえてうれしいな〜。

注文したのはハンバーグとエビフライ。

昭和テイストがたまらない

「わたし今、肉食べてる!」

って感じのハンバーグでとても美味しかったです。

盛岡の夜を歩く

地元に愛される洋食屋さんでお腹を満たし外に出ると、雨は止み、あたりは少しずつ暗くなってきていました。お散歩しながらホテルに戻ることにします。ユキノヤ近くの通りにも古い建物がいくつかあって嬉しくなりました。

素晴らしい建物と手描き看板

大智田中地蔵尊

そして突然現れたのは真っ赤な布で顔が覆い隠された巨大なお地蔵さま・・・!!!

お顔の中はどうなってるの???

その不思議な姿に胸をわしずかみ・・・(ドキドキドキ)。なんで赤い布でお顔が覆われているの?

1694(元禄7)年に建立されたもので、盛岡市指定有形文化財に指定されているらしい。そんなに古いお地蔵さまだったとは。とても綺麗だったので比較的あたらしいものなのかと思っていました。それだけ地元の人たちに大切にされてきたということなのでしょうね。

で、赤い布で顔か隠されている理由は??解説板にも理由が書いていないよ???

地蔵

き、気になる!!!そんなわけで、後日調べてみたらどれをみてもこんな風に顔を赤い布で隠してる写真は見当たらない・・・。

も、もしかして・・・

単に風で煽られて奇跡的に美しく布がかぶさってただけ・・・!??(ずっこけた)

そりゃ解説版に書いてないはずだぁー。あのときの感動を返して・・・。でも、勘違いだったとしても、あの時みた光景はとてもとても幻想的で美しかったです。

実際のお顔をみたい方はこちらからどうぞ。

なかなか見れないレアな姿を見れたと思うことにしよう

夕暮れのお散歩を楽しみながらホテル近くまでたどり着くと、すでにあたりは真っ暗になっていました。

橋を渡るとすぐに駅近のホテル。川沿いにはお店が連なっていました

遠野から盛岡まで雨に振り回された1日でしたが、なかなか楽しい1日だったなぁ。しみじみと思い返します。

ホテルにて

ホテルに戻ってからはコインランドリー戦争の始まりです(他の宿泊客との争奪戦!)。戦いに打ち勝ち、すべての準備を終えたのは23時前。そして明日は5時起き・・・!!!(白目)早々に就寝です。

ところで、東京から遠野、盛岡までの移動中、実はずっと台風情報と睨めっこ。台風の進路に合わせて飛行機や新幹線、宿の変更やキャンセルしたり、1日早く帰る予定まで組んでいました。でもなんだか進路がずれてる・・・??最初の計画のままで大丈夫そう・・・???(日頃のおこない????)

どうやら台風の心配もなくなったことだし

いよいよ明日から旅の本番です!!!(実はメインはこれからなのよ)

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑥台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

④台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【赤い願いごとの雨と遠野脱出編】

あんなに土砂降りにだった雨がおさまってきました。このチャンス逃すべからず・・・!!

CONTENS

宿を出発

チェックアウトをすませ、宿に荷物を預けたまま出発。傘はささずにパラパラと降る雨を体に受けながら、駅とは反対側へと歩いていきます。

宿を出て一番最初に見た景色。山からは綿菓子のような靄が立ち昇っています

建物の隙間に見える山と靄が美しい

古いバス停の墓場もありました

もう傘はいらないかと思ったら、再びドシャドシャ降り降り・・・。

水たまりの様子で雨の激しさがわかります

そうかと思えば青空が・・・。台風の影響なのか、雨が降ったり止んだりの奇妙なお天気です。

孤高の木。美しいとしか言えない

そして、昨日訪れた場所へと再び戻ってきました。

見覚えのある熊注意の看板

卯子酉様(うねどりさま)

もう一度「五百羅漢」を見に行く・・・わけではもちろんありません(そんな度胸はないんだぜ・・・?)。昨日時間がなくて行きそびれた「卯子酉様」が今回の目的。熊恐ろしロードが始まる前の看板は、左を指し示しています。

一番下の看板

すぐに赤い鳥居が目に入りました。

小さいながらも目立っています

こんなに近くにあったのね。五百羅漢の山深さからもっと遠くにあるのかと思ってちょっとビビってました。鳥居手前にある無人の社務所には、お札や周辺MAPも置いてあります。

熊注意・・・

鳥居の方に進んでいくと、雨に濡れた美しい芙蓉が咲いていて、まずはこの子に夢中になってしまいました。

雨つぶと透けた花びらのなんと美しいことよ

再び本降りの雨が降り出します。撮影は大変だけど植物が生き生きと美しく輝くので、わたしは雨の撮影がとても好きだったります。

芙蓉の撮影もほどほどに本命の卯子酉様の鳥居をくぐると、そこには息を呑む光景が広がっていました。連なった無数の鮮やかな赤い布が水たまりにも映り込んで無限に広がり、より一層幻想的な世界を生み出しています。

水たまりに映る赤

祠側から

解説板には以下のように書かれていました。

「境内の小さな池は淵のあとでここの片葉の葦に恋の願いを書いた紙を結びつけておくと願いがかなう伝えられています。『遠野物語拾遺』第35話にも不思議に男女の縁が結ばれたと書かれています。」(抜粋)

淵がない現在は葦にではなく、境内の木やロープに願い事を書いた赤い布を「左手だけで結ぶ」ことができれば願い事が叶うと言われているそうです。いつからそのようなやり方に変化していったのか気になります。左手で結ぶ意味も。

すぐにでも赤い布に願い事を書きたいところですが、あまりにもこの空間が素晴らしすぎて、まずは興味の赴くまま境内を見てまわることにします。

卯子酉様の小さな祠にもロープに結ばれたたくさんの赤い布が交差しており、まるで何かの結界のようにも見えてドキドキ・・・。

側面には印象的な剣が奉納されていました(ここでの謂れはわかりませんが、剣を奉納する神社は他にもあるようです)。

錆びた剣と赤い布の組み合わせはなかなかのインパクト

虎の絵馬も奉納されていました

胸を高鳴らせながら雨降る幻想的な赤い空間をひとりじめしていると、鳥居の方から人が近づいてくる気配が・・・。3人組の賑やかな観光客の姿がありました。

願い事を書いて結ぶ人たち

こんな街のすみっこにあるのに短い滞在時間に2組の観光客と遭遇。どうやらわたしが知らないだけで人気のパワースポットだったようです。

さっきまでの神秘的な世界は消え去り、再び戻ってくることはありませんでした。あの時の感覚はいろんなタイミングによって生み出されたものなんだろうなぁー。ほんの少しでも味わうことができてよかったです。

赤い布に願い事を書く

いよいよわたしも願い事を書いちゃうよ!新品の赤い布は祠の前に吊るされていて、100円をお賽銭に入れて自由に書くシステム。ペンも常備されていました。書く内容を真剣に考えて書き書き書き・・・。

えーっと、どこに結ぼうかな。一番ご利益ありそうなのは、やっぱり祠の真ん前・・・???左手でうまく結べるかしら・・・

よいせ、よいせ

む、難しいよーーーーー!!!

よし!できた!!!

どうにか左手だけで結ぶことができました。きっと叶うよね!!!

毎度おなじみセルフタイマーで自撮り

雨で悩んだけれど、行ってほんとによかった!今思い返しても雨の卯子酉様での時間はまるで夢のようで、遠野で訪れた数少ない場所の中で、一番思い出深い場所になりました。雨が降らなければきっとこんなにも感動していなかったかもしれません。降りすぎなのは困るけど、雨が降ったことに感謝です(この時は本当にそう思っていたんだ・・・それがまさかあんなことになるとは・・・・・)。

さて、時間があればすぐ隣の愛宕神社にも行きたかったけど、たっぷり卯子酉様と共に過ごしてあっという間にタイムリミット。荷物をピックアップしに宿へと戻ります。

猫ちゃんともお別れ。写ってないけど右下ではおばあちゃんが眠ってます笑

お世話になりました!!!

キリスト看板パラダイス

実は遠野、キリスト看板の宝庫でした。卯子酉様から遠野駅へと向かう道の壁という壁に、黒ベタにイエロー文字のあの看板がペタペタペタと。

同じような構図だけどみんな言葉は違うよ

このキリスト看板を作っているのは宮城県のボランティア団体らしいので(現在でも作られている)、近い県ではどこもこんなに多かったりするのかしら。あと、今まで見てきたのは結構古いものが多かったけど、こちらのキリスト看板はとっても綺麗!なんとQRコードまで貼られていました(初めて見た)。土地が違えばこんな違いもあるのね〜。新しい発見でした。

ピカピカだしQRコードも

こんな楽しみ方もできる遠野。街中のキリスト看板をコンプするのも面白いかもしれません。

たぬきケーキ

そういえば・・・!!

街中にたぬきケーキを販売しているケーキ屋さんがあることを思い出します。駅に向かう途中にあるので寄ってみることに。あるといいなぁ〜。

おたぬ!いた!!!

なんと双子のたぬきケーキ。ちょっと不気味可愛いファニーなお姿がたまりません。店主のおばあちゃんもなんだか可愛かったなぁ。この方が作っているのかと思うと、たぬきケーキへの愛しさがさらに増し増しになるのでした。

遠野駅でまさかのハプニング

おさまっていた雨がまたまたひどくなってきます。急いで駅に向かいましょ!

・・・え???

!!!!!!

な、ななななんと!大雨の影響で電車ストップしてました・・・涙涙涙

ホームには止まってるけど動かない電車

もちろん乗る予定だった電車は運休。さらに言うなら元々乗る予定にしてた早朝の電車も運休してたようです。予定通り宿を早く出発してたら、駅でボーゼンと立ち尽くしてたとこでしたねぇ・・・。駅とは正反対にある卯子酉様にも行ってなかっただろうし。朝食の時間を遅らせてくれたおばあちゃん!本当にありがとうだよ!!!

どうやら次の電車が出るのは13時頃。あわあわしながら窓口でチケットを購入する旨を伝えると、何やらその便も走るか怪しくなってきとのこと・・・(マジデスカ)。ほんとに今日乗らないといけない?なんて確認されたりもしましたがそれは最終手段です。あきらめないんだから・・・っ!!

とりあえずチケットを購入

たぬきケーキを食す

次の電車までの待ち時間は1時間半ほど。駅舎内にはわたしのために用意されたかのような(思い込み)テーブルと椅子が置かれていました。ショップではアイスコーヒーも販売されています。

駅構内のショップ

わーい!たぬきケーキをゆっくり食べる時間ができたよーーー!!

たぬきケーキとアイスコーヒーで、完璧なお昼ごはん(?)の完成です。

おめめデロリンな「たぬきケーキ」

そう、わたしは転んでもただでは起きない人間なのだ。この待ち時間を目一杯たのしみます。

豪雨の遠野脱出劇

たぬきケーキとの楽しいひとときを過ごしていたら、あっという間に電車の時間!駅には電車を待つ人々が次々に集まっていました。

「ほんとに走るの・・・?どうなの・・・・・??」

そんなざわざわとした空気が漂ってます。すると駅員さんから案内が。なんと!電車が走らないので代わりにバスが走るというではありませんか・・・!!初めての展開にワクワクです(おい)。

駅員さんに案内されて、駅の外へぞろぞろと大移動。

これに乗るのね・・・!

バスに乗り込み、いざ出発。遠野脱出劇のはじまりはじまり〜!!

遠野よ、さらば。また会う日まで〜

わたしが目指すのは盛岡。まずは在来線のJR花巻駅へと向かいます。

まさか電車の切符がバスの切符になるとは

まず驚いたのが車窓から見えた泥色の川・・・。

川に落ちたらイチコロだよ

泥色の川は怖かったけれど、移動中の車窓からの風景がとても美しくて息を呑みます・・・。

他の乗客たちもその美しい光景にうっとりしてました

ただしそんな穏やかなバス移動も最初だけ。途中からドシャドシャドシャ降りの雨ふたたび・・・!!!あまりもの激しい降りように事故らないかと不安になるほど。ちょっと命の危険を感じてしまいました・・・。怖かったのでシートベルトもしっかり締めた。

水たまりの上を走ってブシャー!の図

そんなわたしの不安をよそに1時間ほどで花巻駅へと到着。まずは無事遠野を脱出できたことに、ほっと胸を撫で下ろすのでした。

みんなよかったね!

そのまま花巻駅のホームへ。雨で少し遅れてはいたけれど、盛岡駅行きの電車に乗り込むことに成功します。待っててね、盛岡・・・!!

花巻も鹿踊が有名なんだね

盛岡へ出発!

最後に

そんなこんなで慌ただしく去ることになった遠野。飛行機の便を1日早めていなければ、ほぼ観光できていなかったと思うと、前乗りは英断だったなぁとしみじみ。

ただし、今回は近場の有名な観光地ばかりしか巡れなかったので、遠野の魅力をほぼ体験できていないと感じています。行くことができなかった場所の数々、街中の散策、遠野の鹿踊、泊まってみたい旅館もある。また再訪して今度はゆっくり遠野を味わってみたいです。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑤台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

 

③台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【民宿古軒と遠野ジンギスカン編】

本日のお宿は明治21年に建てられた民宿古軒さん。遠野駅から歩いて15分ほどの距離で、市街地からは少し外れた場所にあります。今回は遠野以外はすべて味気ない素泊まりビジホ。趣のある昔ながらのお宿に泊まりたい欲求を満たせるのはこの日しかありません。もちろん1泊2食付きで満喫するつもりさ・・・!!

奥にお稲荷さんの鳥居が見えているのにもグッときます

CONTENTS

民宿古軒

国の登録有形文化財にも登録されている及川家住宅(民宿古軒)。おばあちゃんと、その息子さんがメインで経営しているようです。あと看板猫ちゃんも〜。

わたしは2階のお部屋に案内されました。

部屋

最初クーラーがないことに気付いて不安に思ったけれど、窓を2箇所開けて扇風機まわしてたらぜんぜん暑さを感じずとても過ごしやすかったです。(気候的なものもあったのかもしれませんが)

部屋にはドアが二つあって、ちょっと迷路みたいな作りになっていました

グッとくる立札

おばあちゃん家にありそうなレトロなガラス窓

1階

1階の囲炉裏のある座敷の壁には、文化財に登録された際の新聞記事が飾られていました。

新聞記事

この記事によると民宿になったのは1979年からで、創始者の女将は今年で83歳らしい。ということはつまりおばあちゃんが初代女将!色々話しかけてくれるのですが耳が遠いので、こちらからは質問できないというほぼ一方通行なコミュニケーション笑。ニュアンスはわかるとのことで、大きな声で話したり、指を使って会話したりしてました。

さて、本日の夕食はこちらのお座敷でいただきます。

遠野ジンギスカン

夕食のメインはジンギスカン!まったく知らなかったのですが、遠野はジンギスカンが有名らしい。焼肉といえば牛ではなく羊なんだそうです。

歴史

ジンギスカンといえば北海道ですが、遠野のジンギスカンの歴史も昭和30年代からと案外古い。遠野にジンギスカンを広めたのが現在でも遠野でジンギスカン専門店を営む「あんべ」の創始者で、当時は遠野でも織物用として羊が飼育されており、輸入に頼らず新鮮な羊肉を身近に調達できたことからジンギスカンが爆発的に普及。その後、遠野で飼育されていた羊は食べ尽くされてしまったそうです笑(それほど美味しかったのか!?)

遠野ジンギスカンの歴史については「あんべ」さんのサイトに詳しいので以下サイトをどうぞ。

北海道のジンギスカンがタレに漬け込んだ肉を焼くのに対し、焼いてからタレにつけて食べるのが遠野スタイル。野外では「ジンギスカンバケツ」を使って食べるのも遠野独自のものらしい。精肉店やスーパーでも普通に貸し出しが行われているそうです。今回スーパーを訪れる機会がなかったので(ほんとはその土地の色が出るから行きたいんだけどねー)見る機会がありませんでしたが、次訪問した際にはもっとラム食文化を間近に感じてみたいと思いました。

ちなみにこちらは去年の11月に北海道で食べたジンギスカン

さて、ここまで話してきて、まるでわたしがラム肉大好き人間みたいになっていますが、はっきりいって苦手です!!!だって、あの独特の臭みが・・・。宿のチェックイン時に夕食はジンギスカンでいいかと聞かれ一瞬迷ったのですが、折角だから食べてみることに。

なかなか立派なラム肉です

おばあちゃんに急かされるまま(やり方よくわからない)一気に焼いて焼いて焼いて・・・

こんなんでいい???

・・・パクリ!

一気に焼いた

おや・・・?そんなにラム臭も強くなくて・・・美味しい!!(タレも美味しかった)ラム肉がちょっと苦手…って方も、折角だから勇気を出して食べてみるのもアリかもしれません。せっかくならその土地の名物を食べたいものね〜。ジンギスカンにしてよかったです!!

一気にラム肉焼いた後は、その油で野菜を炒めてということだったのでせっせとお野菜を焼きます。思わず生肉が乗ってた皿に盛って食べたんだけど、途中でそのことに気づく。明日以降お腹壊して旅どころじゃなくなったらどうしよう・・・。不安になって調べてみたら、ラム肉は寄生虫がいないから大丈夫っぽい・・・??豚肉や鶏肉じゃなくてよかったよー!これからは気をつけようね。うん。

ちなみにジンギスカンの他にもお刺身や焼き魚、汁物などがありました(写真全部撮ってないのなぜ)。

遠野はホップの一大生産地

ラム肉を食べるならビール!?

と思ってしっかりと観光協会内のショップで買ってきてました(古軒さんではお酒を出さないので予約時に持ち込みを案内されます)。

どちらかというと黒いビールが好きです。あわあわな写真撮ったつもりだったけど泡消えてるね・・・

これまた知らなかったのですが、遠野はビールの原料であるホップの一大生産地だそうです。実はビールもそんなに得意ではないのですが(ごめんなさい・・・)、ショップにはいろんな種類のご当地ビールが並んでいてたのしかった!旅先なら不思議とビールも飲めちゃうんだなぁこれが。繁華街には飲み比べができるお店もあるようです。行ってみたかったー!

おや?ビールの背後に何かひらひらしたものが・・・

神棚

実は古軒さんに荷物を預けにきた時にまずまっさきに目に飛び込んできたのがこちらの印象的な神棚でした。

左は・・・お稲荷さん?次は恵比寿様?大黒様?鏡餅?鏡餅とお稲荷さん?????

こんなの初めてみるよー!!!

どんな意味があるんだろう?この紙はどこで入手してるのかな??

などと色々と聞きたいことが湧き上がったのですが、おばあちゃに尋ねようとすると耳が聞こえないから息子さんに聞いてという。ただし息子さんは裏方の作業をしててなかなか表に現れないので聞く機会を逃してしまいました・・・。あぁぁ

昼間に見た博物館にも展示されてたけど、ちょっとしか解説なかったからなぁ〜。

以下その解説です。

「遠野の神棚は家族が集まる常居(じょうい)に儲けられることが多い。お社の他に、御札や稲荷、恵比寿・大黒等様々な神仏が一緒に祀られる賑やかな神棚が遠野の特徴である。」

博物館の切り絵もまた違った柄でした

もっと知りたい!とてもそそられる遠野の神棚でした。

予定の変更を余儀なくされる

夕ご飯を食べ終わったところで、おばあちゃんに朝食の時間を聞かれます。遠慮して「7時」とわたし(ほんとは6時40分頃と言いたい)。するとおばあちゃんに「ちょっと早い」と言われて7時半になったよ・・・苦笑

うん、予定していた電車に間に合わないね!盛岡に10時過ぎに着いて朝から観光するつもりでしたが仕方がない・・・(電車の本数が少ないからそれを逃すと4時間のタイムロス)。フリーダムなおばあちゃんとのこんなやりとり含めて面白かったです。

お風呂

ご飯を食べたあとはお風呂タイム。綺麗にリフォームされてて快適でした。トイレも綺麗なので、水回りを気にする方も大丈夫かと思います。

お風呂からあがったら猫ちゃんがお出迎え

朝早く起きなくてもよくなったので部屋でのんびりしているとゆれゆれの地震が・・・!!やっぱり怖い・・・。旅先で一人だし。ドキドキします。とはいっても今朝は朝の5時起きだったこともあって、少し時間がたてばすっかり忘れすやすやと眠りに落ちるのでありました。

朝目覚めると土砂土砂土砂降りの雨・・・!!!

窓を開けると風情のある格子。の隙間から見える雨!!!!!

1階へ降りて、土砂降りの雨を眺めながら朝食をいただきます。

しっかりと雨だねぇ・・・

スマホからは緊急速報!!(宿は避難指示の地区には入っていなかったけれど)さらに街中には避難のアナウンスも流れていました。

マジか

うーん、どうしたものか。キャリーケースもあるし、このままでは街中を散策することすら難しいぞ・・・。おばあちゃんと一緒に朝食を食べながらのんびり朝ドラを見ることしかできない・・・・・。

左のテーブルでおばあちゃんも朝食タイム。猫ちゃんも一緒!

食後のコーヒーのスプーンにも肉球

もうあきらめてチェックアウトの10時までお宿でのんびりしようとのろのろと身支度を整えます。

すると雨足が弱まってきた気がする・・・!出掛けるなら今しかない。宿に荷物を預け、昨日行きそびれたあの場所へと参りましょう!!!

雨の民宿古軒

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

④台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼