彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

②台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【熊への恐怖と運命の出会い編】

自転車の返却まであと1時間半。目的の場所には30分ほどかかります。急いでGO!!!

CONTENTS

レンタサイクルで郊外へ

マップアプリに案内されて自転車を走らせていると街からどんどん離れ、山が近づいてきます。

なんだかドキドキしてきます

自転車の横を車が次々に走り抜ける道路を外れて線路を渡ると、郷愁を感じる田園風景が広がっていました。

こんな風景が大好きなのだ

田んぼに囲まれた一本道の突き当たりを曲がり橋を渡ります。ついに目指している場所の入口に到着です。

ゴールはもう少し先

目指すは五百羅漢

自転車を止めて近づくと、入口には4つの場所を案内する看板が立っていました。

案内板

「程洞コンセイサマ」「五百羅漢」「愛宕神社」「卯子酉様」。

時間があれば全部周りたいところなのですが、時計を見るとすでに16時20分を回っています。レンタサイクルを借りた観光協会まで約10分ほどかかるとすると、わたしに残された時間はあと30分ほどしかない・・・。ひとまず「五百羅漢」に目的を定め、いざ出発!矢印が指し示す細道へと足を踏み入れます。

細道の入口付近には石碑がずらりと並んでいました。その中のひとつに大きく書かれた「山神」の文字が。

それぞれどんな意味のものなのだろう?

昼間に博物館で見た展示には、この「山神碑」について以下のように書かれていました。

「山神碑は山の神に遭遇した場所、山の神の祟を受けた場所に建立されるという。」

・・・・・一体何がここであったのぉーーーーー!??

ぶるぶると震えながら進むとさらにこんな看板が・・・

目をゴシゴシゴシ

く、熊ぁぁぁーーーーー!!!!!

わたしはね・・・山の神よりも何よりも熊が、熊が怖いんですよ・・・・・。

こんなこともあろうかと去年の秋田青森旅の時に入手した熊鈴も持ってくるつもりだったのに、急いで荷造りしたものだからスッカリ忘れてしまっていたんだ・・・。

しかしここまで来てズコズコと帰るわけにはゆきませぬ。スマホで音楽を大音量でかけながら薄暗い森の中に足を踏み入れ、恐る恐るギョロギョロと周囲に目を配らせながら前へ前へと進みます・・・。

熊よ・・・お願いだから出ないで・・・

するとすぐに森を抜けて開けた場所に出ました(ちょっと拍子抜け)。フェンスに囲まれた舗装された道の下を覗くと道路が走っています。この先にどうやら五百羅漢があるらしい。

道を渡り切ると再びあの危険を知らせる黄色い看板が・・・

熊出没注意

どうか!熊が出ませんように・・・!!!

ゴツゴツした苔むした岩の間をぬって少し傾斜した山道を登っていきます。(道という道はない)

一体どこまで続いているのか

何かが刻まれている岩がぽつりぽつりと点在していることに気が付きます。

何が刻まれているのかはよくわからず

これらは江戸時代の大飢饉により大勢の人たちが亡くなったことを悼み、お寺の和尚さんが岩に刻んだのだそうです。調べてみたら380体もの像があったもよう。わたしが見たものはほんの一部だったのですね。

もっとはっきり刻まれているのもあったのだろうけど、熊が怖すぎてゆっくり見ることができず。ほんの数分の滞在で退散!!!もうね、悲しいくらいぶれっぶれの写真しか撮れてませんでしたよね・・・。嗚呼、わたしに熊と戦える強い精神力と拳があれば・・・。

コンセイサマ(金精様)も拝みたかったけど、熊が怖いし時間もギリギリ。

右の絵はなんだろう・・・

逃げるように森を飛び出し自転車でダッシュ!なんとか営業時間内に自転車を返却。観光協会のショップで買った冷たくて酸っぱい山ぶどうのジュースを飲んでほっと一息つくのでした。

疲れた体が元気になる味でした

熊に怯えながら暗い森の中を歩くのはもちろん怖いんだけど、実はどこかワクワクしている自分がいるから不思議。やっぱりわたしはほんの少しのスリルがほしいのだなぁ。命を落とさないくらいのささやかな刺激。

観光客がわらわらいるカッパ淵と伝承館だけでは物足りず、欲求不満のまま1日が終わろうとしていることに焦燥感を覚えていたので、このちょっとしたスリルでほんの少し心が潤ったのでした。

運命の出会い

宿での夕食の時間が近づいていたので、そろそろ帰ろうかと宿に向かって歩いていると、途中で水がないことに気付きます。コンビニやスーパーを検索しても通り道にはないみたい・・・。うーむ、自動販売機はあっただろうか?観光協会のショップで買っておけばよかったなーなんて少し後悔しながら、街中へとUターンして水を求めてふらふらと彷徨うことに・・・。

すると一軒のお店が目に止まります。

少しだけ開いている扉

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扉には『本当にはじめての遠野物語』のポスターが貼られていました。わたしが遠野に行こうと漠然と思い始めた頃にタイムリーに発売され、ネットショップで購入した一冊の本。少し開いている扉から中を覗いてみると、棚にはその本をはじめ、いくつかの冊子や手拭いなどの商品が並べられています。

ふらふらと吸い込まれていくと、中には一人の男性の姿が・・・。

も、ももももももしや・・・

尋ねてみると、やっぱりこの本を作ったご本人さま!まさかこんなところでお会いできるとはーーー!!運命の出会いに静かに興奮するのでした。

『本当にはじめての遠野物語』

昔の言葉で書かれていて実は読むのが難しいらしいオリジナルの『遠野物語』。旅立つ前に福岡の大好きな古本屋さんLOMO BOOKSで『遠野物語』の復刻版を見させてもらったのですが、ちらっと中を見たら確かに難しくてわたしには読めそうにありませんでした。

撮影協力:LOMO BOOKS(福岡市)

その『遠野物語』の世界をわかりやすい文章と可愛いビジュアルで紹介した本が『本当にはじめての遠野物語』。この本を読んで『遠野物語』について少しだけ触れてから今回の旅にのぞんだのでした。

ネットショップで購入した本と、今回訪れた事務所兼ショップで購入した手拭い

著者である富川さんは2016年に遠野に移住してきた方で、まったく民俗学や踊りにも縁がなかったのに現在では民俗学についての本を書き、幕踊り系の鹿踊である「張山しし踊り」の舞手としても活動しているというのだからすごい。人生ってわからないものですねぇ。

さて、今回の岩手旅の目的は鹿踊。そんなわたくしでありますからもちろん興味津々に鹿踊についても話を伺います。昼間に博物館で鹿踊の装束を見てきたことを伝えると、なにやら部屋の奥に置かれていた家紋入りの布の包みをごそごそしだすではありませんか・・・。

はらりと布が落ちて目の前に現れたのは、ななななーんと!鹿頭さまぁぁぁーーーーー!!!

ジャジャーン!

部屋の奥に布にくるまれたものがあるなーって思ってたけど、まさか鹿頭さまが包まれていたとは・・・。ビックリです。

数年前に作ったmy 鹿頭で、それまではレンタル鹿頭だったらしいです。「そろそろ作るか?」と言われて作ることになったんだって。仲間に認めてもらったみたいで嬉しいではないかー!と、なんだかわたしまで勝手に嬉しくなりました笑

キリッとしてはる

重いんだろうなぁーと思っていたら、なんと持たせてくれることにー!!!う、うれしい・・・(昇天)。そしてやっぱりなかなかの重さ。これを頭に乗せて踊るんだもんねー。ほんとすごい。

鹿踊と現代の音楽を組み合わせた新しい試みもされているようで、今週末の8月26日には「遠野巡灯篭木」というイベントも行われるようです。わたしもそもそも数年前にインスタでコムアイとイベントをしている写真や映像を見て富川さんのことを知ったのだよね。

まだ色々と話していたいのに・・・18時30分から宿ごはんだよーーーーー!!

急いでお暇することに。その場に居合わせた東京から来たというご夫婦も一緒に会話して楽しい時間を過ごすことができました。いつか遠野の鹿踊も見にいきたいな!

夕暮れの街並み

最後にスペシャルなご褒美もらった気分!ルンルンで宿へと向かいます・・・が!!

「水ー!水を買いに来たんだったー!!!」

思わぬ出会いに興奮してすっかり忘れていたよ。またUターンするのは辛すぎるので、あきらめて宿へ向かうことに・・・。

ちょうど日が暮れ出した頃で、宿へと向かう途中にある風情ある建物が、夕陽を浴びてより一層美しく輝いていました。

この建物が遠野で出会った建物の中で一番好きでした

宿への帰り道で自動販売機を発見!心配していた水問題もこれで解決。これで干からびなくてすむー!安心して宿に向かうことができたのでした。

さぁて、宿に着いたらおたのしみの夕ご飯タイムですぞ!!!

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

③台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

①台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023【遠野編】

2023年のお盆休み。岩手に5泊6日ひとり旅してきました!(観光自体は実質3.5日ほど)今回の旅の目的は四国の鹿踊りのルーツである東北の鹿踊。

四国の鹿踊りについては以下のブログをどうぞお読みください▼▼▼

四国の鹿踊りとどう違うんだろう?共通点はあるのかな・・・?この目で確かめてみたい・・・!!!

そんな思いが募り、旅することを去年の暮れあたりからぼんやり考えておりました。

CONTENS

台風7号現る

そんなに前から考えていたはずなのに・・・本格的に計画を立て始めたのは出発の約1ヶ月ほど前(根っからのめんどくさがり屋)。コロナ禍明けのお盆休みを舐めてはいけません。いい感じのお宿は全滅。今回はマイルで東京まで飛行機で行き、そこから新幹線のルートでしたが、希望日時の飛行機も取れず、安くなる新幹線のチケットも入手できず、自業自得とはいえざんざんな結果に。

さらに、いよいよ旅立ちの数日前という時に、台風7号が誕生するという悲劇・・・!!なんとわたしがちょうど東京から飛行機で福岡へと帰る日に被っているではありませんか・・・(絶望)。

某ニュース番組の天気予報より

今年の前半、わたしはこのお盆旅のためにほぼ毎日弁当を作り、大きな旅も我慢して節約を重ねてきたのですよ・・・。それなのに!なんとういう仕打ちなの神様・・・!帰れないかもしれない旅に出るのは社会人として失格ですか・・・?でも!もう止められないのだ!!

そんな絶望的な状況の中、ふと予感がしたのです。フライト情報をチェックしてみると・・・なんと売り切れていたはずの便がスカスカに空いているではありませんか・・・!!!(みんな台風でキャンセルか日程を延期したのだと思われる)

こ、これは・・・行くしかない!!!!!

そんなわけで、旅を中止するどころか飛行機の便を1日早め、10日の仕事終わりの夕方に旅立つことに。それを決めたのが旅立ちの前夜。実は荷造りをまったくしておりませんでした・・・(究極のめんどくさがり)。バタバタと急いで準備を終わらせ、なんの心の準備もできぬまま出発することになったのでございます。

果たして無事帰ることができるのか・・・!??(そもそも旅ができるのだろうか・・・不安しかない)

行きはよいよい帰りはこわい

この日は東京駅近くのビジネスホテルに泊まり、翌朝の新幹線で岩手入りすることに。早朝5時起きという事実に震えながら急いで就寝。どうか寝坊しませんように・・・!!!

東京から岩手へ

なんとか寝坊せずに起きて、6時過ぎの新幹線に乗るために東京駅へ。

やまびこに乗るぞ

ホームに向かうと・・・とんでもない人人人・・・!!!

お、お盆ってこんななのね???ぜんぜん余裕ぶっこいていたよ・・・。

自由席はこんな状態

このままずっとたちっぱなのかしら・・・なーんて思っていたら、少しずつ人が降りて行き、途中でススッと座席をゲット!ほっとしたーーーーー。そんなこんなで3時間ほど揺られて新花巻駅へと到着です。わーい、初岩手だよーーー!!!

構内の天井がキラッキラしてた

釜石線ホームへと向かいます。

こっちだよ!

駅前のひろば。宮沢賢治で有名な花巻は今回通り過ぎるだけ

駅前でさっそく鹿さま発見!!!こんな日常の風景に溶け込んでいらっしゃるのねーーー。

え?もしかしてサイドにもいたりする?正面しか見てなかったー

乗り換えの電車の時間も迫っているので駆け足でホームへ向かいます。

かわいいフォント

駅に向かう通路の天井も『銀河鉄道の夜』チック

ホームで待っているとアナウンスが。どうやら地震があったもよう・・・(こわい)。点検で電車が遅れるとのことでした。

あ、きた!

遅れてやってきた電車が走り出したと思ったら、今度は鹿と接触してストップ・・・。なんかいろいろ起きる旅の初日。台風も迫ってきてるし、お天気はいいのにこれからの旅に暗雲が立ち込めているようで不安になります・・・。

遠野に到着

鹿と接触しつつも再び電車は走り出し、10時過ぎに最初の目的地である遠野へと到着。そう、あの有名な『遠野物語』の舞台です。

ついカッパをさがしてしまいます

ICカード使えなかったから、みんなも遠野に行く時は気をつけて!

後日都会の駅でICカードと一緒にこの紙を渡して解除することに。説明してくれた駅のおいちゃんが可愛いくて癒された

駅にスタンプカードがあったので、もちろん押します。旅の記念だよー。

こんなとこにもカッパ!不気味かわいい

実は『遠野物語』を読んだことがないわたくし・・・。なのになぜここへ?

民俗学が好きであるならやはり一度は通らねばならぬ道・・・!そうですよね?柳田國男先生・・・!!!

というわけで、そのような短絡的思考でこの地を旅することを決めたのでした。

遠野駅。めちゃくちゃ快晴です。

宿にチェックイン

さぁて、まず何をしよう・・・。

実はどこに行くかあまり決めていなかったので、とりあえず荷物を宿に預けて身軽になることにします。

あれ?思ったより遠い・・・。遠いな?そんな風に思いながらキャリーケースをガラガラと引きながら炎天下の遠野を歩きます。

可愛いオレンジの花

いい感じの建物や意匠がいろいろあってキュン!

10分以上歩いて到着。本日のお宿は「民宿古軒」さんです。

今回の遠野旅では遠野に泊まって応援クーポンを使用しました。登録されている宿の宿泊費が2000円引き+500円クーポンが2枚もらえるというお得っぷり!残りわずかで10月31日までらしいので、それまでに遠野に行かれる方はぜひ〜。

中身撮り忘れたので封筒で・・・

チェックインの手続きをしている間に冷たくて美味しい麦茶をいただきました。ありがたや〜。

白い馬〜!!!

そしてなぜか突然宿で飼っている猫が吐くという・・・。地震はあるは鹿と衝突するは猫は吐くは台風がくるはで一体何が起こっているの・・・?え?もしかしてわたしになにか憑いている???

またひとつ不安の種が植えつけられたところで、まずは腹ごしらえすることにします。

昼食

猫のいるお店でランチ。遠野は猫好きの人が多いのかしら〜。

お店に入るとテーブルに猫ちゃんが陣取っていました

気になるメニューいろいろ

味噌ラーメンをいただきます。

猫ちゃん外に出たがってニャーニャー

遠野市立博物館

お腹を満たしたあとは、目的のひとつだった遠野市立博物館の呪術展へ。

図書館の2階が博物館

裏側に周ると博物館の入口がありました。

ここにも鹿さまー!!!

目的は企画展の呪術展だったのですが、どちらかというと常設展の方が面白かったです。

常設展

遠野物語のオリジナル

絵がかわゆい!遠野の猟師に伝えられてきた狩りの秘伝書で、動物を殺生してもその報いを受けない呪文を授けられたことが記されているらしい。

興味深い絵馬がたくさん!熊もいる〜

有名なオシラサマ

ほんとは古いお寺さん巡ってこちらの供養絵額も見たかったんだけど、のろのろしすぎて時間的に無理でした・・・

人形送りのお人形かわいいー!展示のあちこちにあるモノクロ写真も素敵でした

そしてそして!もちろん鹿踊の装束にテンション上がっちゃうよねー!!!

青笹しし踊り装束。後ろ姿が異形めいてる

鹿踊には、幕を持って踊る「幕踊り系」と太鼓を持って歌い踊る「太鼓踊り系」の二つに分かれるらしい。遠野にもどちらの系統もあるらしいですが、ほとんどは「幕踊り系」で、ドロノキをカンナで削ったものをつけるので「カンナガラじし」とも呼ばれるそうです。

実際に装束を見てみて、これを被って踊るの・・・?と思ったよりも大きくて驚きました。

企画展「遠野物語と呪術」

常設展の奥に企画展示会場がありました。

写真に何かが写り込んでも責任は撮れないそうです・・・
かわゆい角大師や狼のお札たち。一番右のぬぼーっとした得体の知れない姿の「そみんぼう」気になる・・・!

他にもいろいろ興味深いものたちが。帰ってきてから思ったんだけど、図録なんで買わなかったんだろう・・・通販で買おうかな。

猫ちゃん!

色んな著名な漫画家さんのカッパの絵も展示されていました。

好き
自分の中で有名な方のだけ写真撮りました

カッパ探しているそうですよ?

レンタサイクルで遠野を巡る

10時に着いたというのにあっという間に14時。わたし・・・何か実りのあることしたっけ?このままだと死んでも死にきれない・・・!!!(大袈裟)

急いでレンタサイクルを借りに駅近くの観光協会へと向かいます。残念ながら電動自転車は全部出払っていてママチャリのみ(午前中にはまだあったのに!)。意外にも人気にようでびっくりです。

いざ、出陣!!!

まずは王道のかっぱ淵へと向かいます。

あ!カッパいたよ!

そして突如現れる不気味な人形群・・・。

なんかこの先にかっぱ淵あるそうですよ・・・

かっぱ淵

川沿いを歩いていくと、薄暗いちょっとした森の中に辿り着きます。

ん?なんか川にぶら下がってる・・・

き、きゅうり!!?

噂には聞いていたけれどカッパ釣りしてるんですね・・・!!!子供たちが「ママー、釣れないよー!」などと言って真剣に釣りをしているのが微笑ましかったです。

絵に描いたような夏休み

でも、こんなに人がいたら釣れないかもね?

めっちゃ観光地

遠野のかっぱは顔が赤いらしい。なのにこれまでみてきたかっぱは緑だらけだったねぇ。赤くすればいいのにねぇ。

解説板

乳首のぬいぐるみが奉納されてるの知らなかったー!ちゃんとお賽銭して拝んだからみてるはずなんだけどなー。我が注意力よ・・・。

お堂

馬っこつなぎ

ふと、カッパ淵の横の畑に気になるものを見つけました。

馬???

最初ロールシャッハテストみたいな黒い染みが見えるな・・・馬みたいだな・・・。なんて見てたらちゃんと馬だった!一体なんなのだろう・・・??

自分で調べもせずにTwitter(X)に問いかけてみると、博識なフォロワーさまから「馬っこつなぎ」ではないかと教えていただきました。ありがたやー!

田の神様をお迎えし豊作を祈る遠野の伝承行事らしいです。思わぬところで遠野の民間信仰に触れることができて嬉しい〜。

伝承館

カッパ淵を後にして向かったのは伝承館。

伝承館に向かう途中の石碑の下にも馬っこ発見〜。なぜにこんなところに

伝承館内には移築された「旧菊池家住宅」があります。

オシラサマを祀っているところに行きたいんだけどどこなのーーー?とよくわからずに中に入って奥へ奥へと進んでいくと・・・

オシラサマ

オシラサマのお部屋だ〜!!!

なんだかドキドキするよ

昔から東北全体で信仰されてきたオシラサマ。『遠野物語』では、そのオシラサマの始まりの話が記されていて、その内容がとっても美しくてトキメキ。美しい娘が馬を愛する話でした。馬は父親に首をはねられ殺されてしまうのですが、娘はその馬の首と天に昇っていったそうです。オシラサマの部屋へと至る通路には、その話をイメージしたモノクロ写真も展示されていました。

願い事が書けるようになっていたので、もちろんわたしも書きます。

色とりどりの布が置かれていたけど赤が一番人気なのか品切れでした
色んな人たちの願いごと。カッパの願いごとが可愛かったよ〜

わたしは馬のお顔に布をかけました(名前バレてますやん)

建物内にはほかにも気になるものが色々展示されていました。

虫追いまつりというものらしい。見てみたい〜

さて、レンタサイクルの返却は17時まで。ここから観光協会までは自転車で30分ほどかかります。あと1時間半くらい時間があるけれど、遠出するにはちょっと時間がたりない中途半端っぷり。うーむ、いちかばちかあそこに行ってみるか・・・。

急いで出発!間に合いますようにーーーーー!!!

かっぱ淵までの道中にあったいい感じの廃バス

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

②台風危機一髪!岩手お盆ひとり旅2023 へとつづく▼▼▼

【後編】真夏の田園ラプソディ!市来の七夕踊

2022年8月7日。いちき串木野市の大里地区で、市来の七夕踊の最後の奉納が行われました。本来なら2020年に行われるはずでしたが、コロナ・パンデミックにより延期を重ね、前回の奉納から3年後の2022年にやっと開催されることに。そのラスト奉納を、しかとこの目に焼き付けてきました。

CONTENTS

8月6日(土)

七夕踊は朝の8時から始まります。つまり当日ちんたら福岡を出発してたら間に合わない・・・。というわけで、七夕踊最後の奉納を見届ける旅は、その前日からスタートしました。博多駅から新幹線に乗り、川内駅で在来線に乗り換え、串木野駅に降り立ちます。いちき串木野市に来たからには必ず行かねばならない場所があるのです・・・。

その場所に向かって歩いていると、鹿児島や宮崎の田園地帯でよく見られるという田の神さぁがお出迎え。

第一村人発見

田の神さぁに挨拶をすませ、さらにてくてく歩いていくとついにそれが現れます。

パラゴン(喫茶店)

そう・・・、みんな大好きパラゴンです!!!

蔦に彩られた憩いの場

知らないよ!という方のために簡単に説明しますと、蒼井優もかき氷を食べに来たことがあるあのパラゴンです・・・!!(雑すぎる説明。かき氷本に載ってるらしい)

いつか食べたかき氷

地元に人にも愛されていて、夏はかき氷で大繁盛・・・!いつも多くの人で賑わっています。

店内にある「パラゴン」(スピーカー)

わたしも何度も何度も訪れたことがある大好きな喫茶店。2019年の七夕踊の際にも、もちろんここでお昼ご飯のピザを食べました。

サクッ!ペロッ!と食べれちゃうミニピザ

以前は車移動だったので、七夕踊当日にそんなこともできたのですが、今回は公共交通機関&徒歩移動。少し離れたところにあるので明日行くのはちょっと厳しい・・・。というわけで、今日訪問することにあいなりました。いちき串木野に来てパラゴンに行かないなんてそんな無礼は許されないのだ・・・!!

かき氷と迷いつつ、今回はパフェを注文。上に乗っている昔ながらの緑色のアンゼリカ(フキの砂糖漬け)にもなんだかホッとします。

嗚呼、写真見てたらまた行きたくなってきた・・・

自宅を出たのが遅い時間だったため、すでに時間は夕方。束の間のパラゴンを満喫した後は、徒歩で1時間ほどのお宿にのんびり散策しながら向かうことにします。

可愛い遊具の公園

貝殻が均一に並べられた見事なブロック塀

目と口の部分に穴を開けてお面にしたい大きな葉っぱ

植田正治的影と熊

真夏の強い日差しが濃い影を作り出します。

どうやら明日も暑くなりそうだ

民宿パレス

ふらふらと写真を撮りながら到着した本日のお宿。

レトロな丸窓

眉毛のキリリッとしたなんだか愉快なおじさまが出迎えてくれました。話が面白くてとっても印象に残っています。

80歳近くだけどすごい元気!外国の船長?してて、少し前までイタリアかスペインに行ってたとか、4ヶ国語くらいペラペラとか(ほ、ほんとに???)、ちょいちょい自慢挟んできて面白かったです(好き)。

わたしの部屋は「青木」でした

寝泊まりするだけならじゅーぶんなお宿。素泊まりだったのでご飯を調達。すぐ近くの肉々しい炭火焼き工房半バーク・ステーキ黒平さんでテイクアウトします。

勝負の日の前日には必ず肉を喰らうという大事な儀式

う、うううううまーーーい!!!

いやぁー、やっぱりThe 肉!!というような美味しいお肉を食べるとテンションあがりますね。明日のために体力もつけねばなりません。胃袋を幸せで満たし、今日は早々に就寝です。

8月7日(日)

市来駅

翌朝、電車に乗って一駅の市来駅へ。七夕踊最後の奉納にふさわしいスッキリとした青空が広がっています。

あ!虎発見!!!

七夕踊のモチーフがあちこに。電車で訪れるのは初めてだったから知らなかったよー!

駅舎のステンドグラス

駅舎前には立派な虎と虎捕りのモニュメントもありました。黒っぽい金属で出来ててめちゃくちゃかっこいい!!調べてみたらその筋で有名な会社が製作していて納得・・・。

モニュメント

虎も髪を逆立ててなんだかとてもパンキッシュ!!!

こんな最高にイケてるモニュメントもあるのに、今日その長い歴史に終止符が打たれるのかと思うと悲しくなってきます・・・。

七夕踊が最初に奉納される堀内之庭までは駅から歩いて約20分ほどの距離。もうあまり時間がないので急いで向かうことにします。

余談ですが、今回のブログで突然現れるモノクロ写真は生まれて初めて自家現像したフィルム写真です。そんな意味でも特別な最後の七夕踊になりました。

田の神さぁ!

堀之内庭

堀之内庭が見えてきました。すでにたくさんの人が集まっているようです。

まずは保存会の方から、七夕踊休止について話がありました。今回は感染症対策として、規模を縮小しての開催。虎や牛等の張り子のツクイモンは展示のみで、一部の行列も今回は出さないとのことでした。残念・・・。

前回はなかった集合写真の撮影も行われます。最後の奉納の思い出のための写真。悲しい・・・悲しすぎるよ・・・・・。

そして花笠を頭に乗せ、太鼓踊りの準備が始まります。

いい顔してる男の子

最後の奉納をカメラに収めようといろんなところで人がスタンバってます

いよいよ最後の七夕踊奉納がスタートです!!!

七夕踊についての由来や流れ等については、前回のブログに書いているのでここでは省略。知りたい方は前編を読んでね。

がんばれ男の子!

最初の太鼓踊りが奉納されると、お酒が振る舞われました。一番ドンが先に飲み、次にヤッサ(役者)、庭割(にわわい)・・・と、どうやら飲む順番があるらしい。昔は「到住免」という田んぼからとれた米で白酒を造っていたけれど、昭和15年酒税法に触れるとのことで、それ以後酒造りは禁止になったそうです。

中身は田崎酒造の「七夕」だろうか

ちなみに庭割というのは、踊に詳しい人が選ばれて七夕踊の全てを取り仕切る役目。踊りが行われている最中も、踊り手たちに色々と指示をしていました。頭に陣笠を被って、腰に毛皮を巻いているのも印象的!

かわいい・・・狸?

七夕踊大移動

掘之内庭での奉納が終わり、各々は次の踊り場へと大移動。

キラキラと光輝く田んぼの海の上をトラックで運ばれる虎

おそらく堀之内庭の端っこに置かれていたツクイモンたちは、トラックに乗せられ三番目の踊り場である門前河原へと向かうのでしょう。

あれ?今年の牛、なんだかいつもよりお顔が可愛い気がする・・・!!!(超好み)

このあとお牛もドナドナ運ばれていきました

ちなみに子のが2019年の時の牛。

牛は各部落が年によって交代で作るみたいだから、地区によって作り方が違ったりもするのだろうか?

ツクイモン以外の人たちは、みんなてくてく歩いて近くの神社へと向かいます。

あ!よくみたら左に田の神さぁが見切れてるよ・・・!!

通りには道標のような七夕飾り

一日中強い陽射しの中で踊り続ける人たちのために、とある民家の前には自由に飲めるように水とグラスが用意されていました。

なんて優しい世界。昔ではこれが普通だったのだろうけど、今ではとても珍しいもののように思えてしまいます。

鶴ヶ岡八幡宮(金鐘寺)

2番目の踊り場へと到着。

手水に映る夏

夏休み中の子供たち

境内をうろうろしてたら、なぜか地元のおっちゃんに呼ばれて、好きな飲み物とっていいといわれます。え?他の人たちはもらってなさそうなんだけど・・・いいの???

トラックの上のバケツでキンキンに冷やされているペットボトルたちの中から麦茶をチョイス。たま〜に旅先でおっちゃんに可愛がられる才能があるわたくし・・・。実はまた後で再びその才能が爆裂するのである。

ありがたくいただきます!

そして、奉納が始まります。

花笠がとても重そう

庭割のおいちゃんたち。かっこいい!

中心で踊るのは七夕踊の主役「太鼓踊り」

大名行列

美しい影

花笠や行列の飾りの影と木漏れ日が地面でゆれる姿がとても美しい。わたしはここでの奉納が本当に大好きです。

奉納を終え、再び次の踊り場へと大移動!休む暇もりません。

トンガリ帽の琉球行列

わたしを残してみんな車でひとっとび???あっという間にいなくなってしまいます。

ま、待ってよぉーーーーー!!!

人々を見送る田の神さぁの背中

門前河原

次の踊り場の門前河原ってどこだっけ!?

2度来たことあるのにちっとも場所を覚えられません。こっちかな?ちょっと焦りながら歩いていると、関係者っぽいおっちゃんを発見!早速捕まえて場所を聞くと、自分も行くところだからと案内してくれることになりました。ありがたや〜。

門前河原

門前河原ではいつもなら今頃暴れまくっているツクイモン(作り物)たちが、大人しく横一列に並んでじっとしていました。そう、今回は残念ながら展示だけなのだ・・・。

ミニ虎もかわいい〜

牛の前でにこやかな牛使
18歳の頃からずっと虎捕りしてるおいちゃん。めっちゃいい顔してる・・・

ここでもしっかり集合写真。

展示だけって思ってたら・・・

え!!虎の寸劇始まったよ・・・!!!!?

トラ!トラ!!トラ!!!

まさか見れるとは思ってなかったのでめちゃくちゃ嬉しかったーーー!!!!!!

虎に夢中になって他の写真あんま撮ってない・・・

午前中の奉納はここで終わり。ツクイモンが次々と運ばれていきます。

なんだか悲しい後ろ姿の鹿

お牛を積むのも一苦労

束の間の休憩

次の奉納まで4時間ほど。なかなかの空き時間です。ちょうどお昼ご飯の時間。きっとみんなも束の間の休息をとっていることでしょう。

近くのラーメン屋さんに向かって歩いていると、さっきまで門前河原にいたと思われる鹿ちゃんを発見〜。うれしい!

鹿も休憩中

「ラーメン 潮騒」で腹ごしらえ。歩いて行けるお店がここくらいしかなかったのだー。でも美味しかった!はず(一年前だから覚えてないんだ・・・ごめんよ)

ラーメンと半チャーハン。ほんとは餃子も食べたい欲張り人間です

その後はもちろんコンビニでクエン酸!

そう、わたしはクエン酸信者

実はこの日は殺人的な日差しで、先ほどの門前河原では人が倒れて救急車で運ばれるほどの猛暑でした・・・。わたしもぶっ倒れないために、クエン酸で体力回復を狙います。

奉納まであと3時間ほど。まだまだたっぷり時間があります。近くの田の神さぁ巡りもしたいけど歩き回るには暑すぎる。さぁて今から何をしよう・・・?

ひとまず先ほど奉納が行われた神社で涼むことにします。

夏の神社、なんて絵になるんだ・・・

近くにはポンポンポンとリズミカルに百合が咲いていました

蝉の鳴き声を全身に浴びながら、境内へと続く階段を登っていきます。

青空へと向かう階段

さっきまで多くの人でひしめき合っていた境内にはポツンと提灯だけが残っています。

ひっそりとした今の方がきっといつもの姿

提灯下の水の入った桶には、大きな葉っぱが被さっていました。

とても気になる

なんの葉っぱ?なんで葉っぱを乗せてるんだろう???そんな疑問が次々に浮かびます。すると片づけにきたと思われる地元の人が現れました。聞いてみると、里芋の葉とのこと。そういえば昨日同じ形をした葉っぱを見たことを思い出します。そうか、あれは里芋の葉っぱだったのか。

昨日見た里芋の葉っぱ

汚れが入らないように乗せていると言っていたと思うんだけど・・・一年前のことで自信がない。というか会話した気がするだけかも・・・もしかしたら人が来たこと自体暑さが見せた幻だったかもしれない・・・・・。

金鐘寺

地図や幟旗には「鶴岡八幡宮」と書いているのに、七夕踊の日程表には「金鐘寺」と書かれているのは一体なんでだろう?と疑問に思っていたら、神社の拝殿横に仏像が安置された小さな祠がありました。

解説板

金鐘寺自体は、明治2年の廃仏棄釈によって廃寺になったそうです(寺跡が近くにあるらしい)。鹿児島は廃仏毀釈が激しかったと聞くもんね・・・。つまり、太鼓踊はこの金鐘寺の和尚に向かって奉納されるもののようでした。なるほど〜。

一通り境内をぐるりと見たあとは椅子に座ってのんびり。時間はたっぷりあるのです。

嗚呼、なんてここは居心地がいいんだろう・・・。ここで奉納される七夕踊だけでなく、この神社自体がどうやら自分に合っていたようです。気付けばあっ・・・・という間に数時間が過ぎていました。何してたのかまったく覚えてないけれど、とても気持ちよかったことだけは覚えています。

少し早めに4番目の踊り場である「払い山」へと向かうことにします。すると今度はとある店先で可愛いミニ虎を発見!

かわいいよぉーーー

七夕から1週間後のお盆に、かつて大里一帯から周辺部落では、子どもたちが小さな牛や虎の張り子を作って引き回す習俗があったそうです。それを「盆トラ」や「盆のウシ」と呼んでいたとか。(昭和54年9月14日の新聞記事より)昭和54年の記事の時点で、「今では数部落でしか行われていない」と書かれていたので、果たして今も行われているのかどうか・・・。気になります(盆トラほしい。むしろ作ってみたい。盆トラ作りワークショップやりませんか??)。

払い山

払い山に到着。

払い山にずらりと並ぶのぼり旗も好き

払い山へと続く美しい田園に囲まれたここから再び行列が始まります。

直視できないほど眩しい緑

こんなとこまで感染対策のアルコール。いる???笑

この道から一番最初に現れるのは、本来なら鹿から始まるツクイモンたちなのですが、今回はひと足先に踊り場の払い山でくつろいでいました。

トラックで運ばれ登場する虎

払い山に到着。右にいるミニ虎はさっきの子なのかな?

鶴の餌撒きも見れました。

鶴も今回で見納め・・・

不思議な格好の琉球王行列も好きだったなぁ。

面白い踊り

プオーーーーー

とぼけた笛が特に好きでした

薙刀行列が太鼓踊りを先導します。

薙刀行列

女性ものの浴衣を着て、「粟踏み」と言ってトコトコ小刻みに進むのがとても印象的。太鼓踊りの前だけでなく後にもついて、後払いの役をします。

美しい動作で薙刀を振ります
住吉社中

写真で薙刀を振っているのは、いちき串木野市を中心に活躍する町芸者「住吉社中」の小糸さん。わたしは数年前にたまたま鹿児島市の天文館でその芸を見る機会があったのですが、それがとっても可笑しくて楽しすぎて・・・!!!

2019年の9月のことでした

2019年の9月に天文館で初めて住吉社中さんを知った時には、まさか七夕踊に出ている方とはまったく知りませんでした。でも、見返してみるとなんと約1ヶ月前に訪れた七夕踊の写真にしっかりと写っていたという・・・笑。そんな偶然もあるんだねぇ・・・。

小糸さんのインスタでは、その愉快なお人柄と共に、住吉社中の活動や、知らなかった日本文化や習俗などを垣間見ることができてとても興味深いです。

https://www.instagram.com/koito_sumiyoshi/

 

さて、話は薙刀行列に戻ります。

七夕の日には、薙刀行列が神社の前で薙刀のさやを払うと、必ず雨が降ったという伝えがあるそうです。戦後は薙刀を没収されて偽物を使っているので、いくらさやを払って天をにらんでも雨は降らないとか・・・。(「かごしま探検」昭和54年9月26日の新聞記事より)今年も降ることはありませんでした。

薙刀行列の後には、太鼓踊りが鮮やかな花笠を揺らしながら続きます。

なんてカラフルな世界

ここで写真をパシャパシャ撮っていると、門前河原に案内してくれたおっちゃんが再び現れました。なんと!七夕踊に関する資料をたんまり印刷して持ってきてくれたのです・・・!!(おっちゃんになぜかよくしてもらえる才能を発揮)

特に昔の新聞記事の切り抜きの内容が面白くて(歴史を感じて泣けてきた…)、それらの資料に助けられながら今回のブログをしたためております。ありがとうおっちゃん!!!!!

荒々しくホッチキスで止められてて可笑しかった

夜の堀内之庭での最後の奉納まで見届けたかったけれど、残念ながら翌日は仕事。帰りの電車の時間が迫っています。払い山で太鼓踊りが奉納されている途中で、泣く泣くこの場を去ることに・・・。

輪の中心で踊る太鼓踊りを見守る少年たち。これが最後に撮った七夕踊の写真になりました。

こうしてわたしの最後の七夕踊を見届ける旅は終わりを迎えたのでした。

帰りに撮った写真たち

映像で生き続ける七夕踊

なんと!わたしが払い山を去った後に、予定のなかった虎の寸劇が行われたそうです!!みたかったよーーー!!!

ありがたいことに、MBC鹿児島放送で特集された映像がアップされていました。18歳からずっと虎捕りをやり続けてきたおっちゃんのインタビューまで!ほんと泣いちゃうよ・・・!!!もうわたしの中で永久保存版の映像です。

奉納当日の映像だけでなく、準備映像の特集もありました。実際に見てみたかったツクイモンの作り方も・・・!!!なんとミニチュアの虎も出てました。「盆トラ」はこのくらいの大きさだったのかなぁ・・・。1960年の白黒の七夕踊の映像も流れてめちゃくちゃ貴重。昔は橋も河原も観客でびっしり!!こんな時代があったんだね・・・。

動画作っちゃいました!

プロが編集した映像の後になんですが・・・愛が溢れすぎて気付いたら動画作ってました!!(処女作にして最後の作品!??)

ほぼ初めての動画編集。ピンはあってないし手ブレも酷いのですが、3年間撮りためた映像や写真を元に、七夕踊の由来や流れについて簡単に紹介しています(約6分)。めちゃくちゃ頑張って作ったので!(アピール)よかったら優しい眼差しで見てもらえると嬉しいです。

※映像内に誤字あり(×堀内之庭→◯堀之内庭)

これからも受け継がれていく太鼓踊り

2022年で一旦休止となった七夕踊。なんと、一番の要である太鼓踊りは、今年も引き続き奉納されます!七夕踊保存会にかわり、新たに七夕踊伝承会が発足。2023年8月6日(日)10:00〜11:00に堀内之庭で奉納が予定されているようです。

太鼓踊りもほんと素晴らしいんだよー!!!

わたしもまた必ず見に行きたいと思っています。みなさまも是非。

まずは七夕踊休止後の一発目が無事奉納できるよう願っております。今世間を翻弄しているのろのろ台風よ、邪魔するんじゃないよ・・・???  七夕踊休止後初めての太鼓踊りは無事奉納されたようです!よかったーーー!!!(2023年8月7日追記)

最後に

七夕踊に出会えていなかったら、今のような旅する人生を送っていなかったかもしれません。本当に楽しくて大好きなお祭りでした。これまで400年以上守り続けてくれたことに感謝します。ありがとう&お疲れ様でした!!!

そしてまたいつか、完全な七夕踊が復活することを願っています(4年に1度とかでもいいから・・・ずっと待つから・・・・・)。

払い山での集合写真

集合写真を撮った後の、素が出るこの瞬間が密かに好きだったりする

終。

■参考文献・サイト

・『市来町郷土史』(市来町郷土史編集委員会 編)

・『速報七夕踊』(七夕踊保存会 発行)

・七夕踊で偶然出会ったおじさまにもらった資料(新聞記事の切り抜き等)

【使用カメラ】digital: SIGMA dp3 quattro、iPhone、film:CONTAX Aria、CONTAX T2

⑫竹田キリシタンを巡る旅【最終回】

向かった先は竹田キリシタン資料館から歩いてすぐの豊後竹田駅・・・の裏側。まさかこんな近くにあっただなんて・・・!!

CONTENTS

豊後竹田駅裏の天使?

「今は使われていない建物の隣に入口がある」と聞いていたので、その話を頼りに進んでいくと稲荷神社の隣にそれらしき建物が・・・。

建物もめちゃくちゃわたし好み!元はなんの建物だったのだろう?

左上に注目

滝!こんな近くに・・・!!!

フェンスで区切られた敷地と建物の間に細い路地があり、その先に小さな階段がありました。どうやらここが入口のようです。

昔はちゃんと案内板もあったらしい

階段を登るとさらに上へと続く階段があります。

落ち葉まみれの階段

下木石仏

駅から見えていた滝のすぐ隣に、その方はいらっしゃいました。

全体像

緑がかった崖と同化していて少し見えにくいけれど、よーく観察すると体の両側に放射状の線が伸びているのがわかります。

放射状に伸びる線

炎や後光のように見えなくもないけれど・・・。

資料館にはもっと明瞭に撮影された写真パネルが展示されています(どうやってこんなに鮮明に撮ったんだろう?次行った時に聞いてみたい)。

竹田キリシタン資料館より(撮影可)

これは・・・羽根だね・・・!!?

昨日見た迫力満点の磨崖神像とはまた違ったタッチ。こちらの磨崖仏(磨崖神?)は、まるで古代の彫刻のような原始的な雰囲気がしてなんだか見ててドキドキします・・・。宮崎駿が描く神話とかに描かれそうな雰囲気。巨神兵とかちょっと怖い感じの。言いたいことわかる??

横にも小さな磨崖仏がいらっしゃいました。こちらもわかりにくいけど、羽根の像とは違って従来の仏様の雰囲気。

見えずらいね

滝もこんなに間近に見ることができます。

落門の滝(下木の滝)

そしてもちろんあの月の灯りもこんな近くで見れちゃうぞ!

昨晩駅に到着した時にまんまと騙された月

豊後竹田駅に着いた時にまっさきに目に入った月。旅の最後の最後にこの場所にくることになるなんて、あの時はちっとも思っていなかったなぁ。なんだかとても不思議な気持ちです。

崖からは竹田の城下町を見渡すこともできます。こうやってみると山に囲まれていることがよくわかる。あの山の尾根にもキリシタンが眠っているのかしら・・・(尾根にキリシタン墓が多く残っているらしい)。

中央に見えるのが豊後竹田駅。ここからホームが見えるということは、ホームからもわたしが見えるということか・・・

岩下火伏稲荷神社

せっかくだから通り道にあった稲荷神社にも、帰りがてら寄ることにします。

明治初年の維新の頃、このあたりに火事が多く起こったことから火伏祈願のために伏見から御神体を勧請し、西光寺(検索したら神社のすぐ近くにあった)の庵を懇請し祀ったことが起源とのこと。

頭がパーなので最後がちょっとよくわからなかったのだけど、元々はお寺の小屋(庵)があった場所を神社にしたということ?なの???(見当違いなこと言ってたらすんません)。

その庵があった時から五角形洞窟の形をしていたのか、はたまた稲荷神社を作った際に掘ったもなのか・・・。

解説板

昨日訪れたお稲荷さん同様、こちらの洞窟も五角形洞窟。規模がめちゃくちゃおっきい!竹田市内にある洞窟の中で一番大きいそうです。

単に五角形に掘るんじゃなくて、二重に穴が掘られてて凝っている

今は何も置かれていない穴もありました。きっとお地蔵様や仏様が置かれていたんだろうね。左の大きめの穴は倉庫とかに使われてた空間だったりするのかな?

拝殿横には扉があって、横の穴と繋がっていました。

拝殿横の隙間。左に扉がある

洞窟をひとつの家として使用している感覚。この地に住む人たちにとっては洞窟が生活の一部だったのだね。

稲荷神社からの眺めもとってもよかった!タイミングよく電車が3台もとことこ走ってきてくれました。

よき眺め

下に降りてさらに撮らせていただきまぁーーーす!3台もあるのにずっと電車が止まって動かなかったので撮り放題。田舎の電車時間の本数よ・・・

五角形洞窟の稲荷神社、近くだとなかなか全体が把握しづらくていまいちピンときてなかったけど、遠くから見たらスケールでかくてめちゃくちゃかっこいいな!!

電柱と電線は心の消しゴムで消してください

五角形洞窟とキリシタンは関係するのか?

竹田は柔らかい溶結凝灰岩に囲まれた盆地だったことから岩を加工する技術が発達し、昔から神社やお寺、民間信仰の像などを、洞窟を作って祀ることが自然に行われていたのではないかなぁ。洞窟に埋め込む方が敷地を有効に使えるし。キリスト教が入ってきた時にも、教会を作ることより洞窟礼拝堂を作る方が人々にとっては自然だったのかも。現在竹田市内に多くの洞窟が残っているのは、さまざまな信仰の場として使用されていた証なんじゃないかなぁ・・・。なんて、素人ながら思いました。

哀しみのソフトクリーム

さて、荷物を受け取りに再び宿へと戻ってきました。最後にここでちょっとだけ休憩。まずはコーヒーをいただきます。

あわあわ

そして冷たくてあまーい・・・ソフトクリーム!!!

とワクワクしながらオーダーしたら、なーんと閉店間近で終わってた・・・。実は昨日宿泊した際も注文したらメンテナンス中で食べることができず、今日ぜったいに食べようと心に決めていたのでダブルパンチ。次来た時にはぜったい食べてやるんだからな・・・!

フェイクを見て心を慰めます

休憩している時にどうしても最後に行きたいお店を見つけてしまい、あわててお宿に別れを告げて出発。駅と逆方向だし切符も購入しなきゃだしギリギリ・・・。でもこの思いは止められないのだ!

たぬきケーキ

重い荷物をがらがら引いて、ぜーぜーいいながら訪れたのは西出開花堂・ファッションケーキ クローネ

つぶらな瞳のあの子をお迎えしにきたよ!

あったーーーー!!!

可愛い可愛いたぬきケーキ。売り切れてやしないかヒヤヒヤしたけれど、わたしのために残っていてくれました。かわいい子を自分へのお土産にゲットできてほくほく。せっかくのケーキをぐちゃぐちゃにしてしまわないよう、細心の注意を払いながら駅へと急ぎます。

もうあたりは夜に沈もうとしています

毎度お馴染みのうっかり

出発時刻に無事間に合って、窓口でチケット発券してもらってほっと一安心。ホームへ向かうとすでに電車が待っていました。

駅から見える滝ともこれで見納め・・・。

ついさっきまであそこにいたんだな

電車内でも先頭の窓からしつこく滝を撮っていたら、先ほど窓口でチケットを発券してくれた駅員さんがやってきました。その手には見覚えのあるケーキの箱が・・・。

ナイスガイの駅員さん!追いかけてくれてほんとにありがとう!!心優しい人たちに助けられてなんとか今日も生きております。

帰りの電車の中で忘れたことに気付いて号泣してるとこだったよ

豊後竹田駅を19時前に出発し、行きの時と同じように電車を乗り継ぎ&乗り継ぎ。

ピンクの別府タワー見れてうれしい

自宅に着いたのは日付が変わる数分前でした。もうこの頃には疲れ切ってて白目むいて泡を吹いています。次の日が休みでなければどうなっていたことか・・・。

翌朝食べた最高の「竹田の思ひ出モーニング」。たぬきケーキと、竹田の豆屋さんで購入したコーヒー。宿で購入したシナモンが練り込まれた食パンもめちゃ美味しかった!!

竹田キリシタンについて

明治以降に建てられた歴史的・文化的価値のある教会や、実際に「隠れキリシタン」の信仰が残っている地域は世界遺産に登録され、教会やキリシタンに関係する史料が残っていない竹田は未登録(世界遺産になることが必ずしもいいこととは限らないけれど)。それでも、この地にキリシタンの文化が花開き、息づいていたことは間違いないと実際に竹田の町を歩いてみて感じました。

また、『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市、令和2年3月改版)には以下のようなエピソードが書かれています。

禁教下の1738(元文3)年、今でいう自治会長の役割を担っていた商家の地下に礼拝堂があることが発覚し、長崎送りにされ処刑されるという事件がありました。踏み絵が行われている最中に床が抜け落ち、地下室の祭壇とマリア像(絵だったとも)が見つかったそうです。そのことだけでも驚きなのですが、商家の子孫の話がとても興味深いのです。以下抜粋させていただきます。

自分が中学生だった昭和20年のこと。今でも思い出す奇妙なことがあった。祖母は毎日、仏壇の前で本を開いて小声で何やら熱心に唱えていた。そこで、祖母に『おばあちゃんが見ているその本は何?何を唱えているの?』と聞くと、祖母はニタッと笑って、『さあ、何かな?お経かもな?』ととぼけた。だが、今になって思うと、その本はすべて平仮名で書かれていたので、あれはキリシタンの教義書である『どちりなきりしたん』だったのではないか。実際に仏壇の上にはマリア様の絵が掛けられていた。

それが真実ならば、このように禁教が解かれた後も誰に明かすわけでもなくひっそりと信仰を続けてきた人たちが、少なくとも昭和の初め頃辺りまでは竹田に限らず全国に存在したのではないか・・・。それがとても自然のことのように感じます。

最後に

竹田。好きな街がまたひとつ増えました。今回の旅では時間がまったく足りず、岡城にも行けなかったし城下町も満足に散策できず。三日月岩の前の水上の舞台で舞われる薪能も見たい!また必ず竹田に行こうと思います。その時にはまた大好きになったあのお宿に泊まりたいです。

宿の前にて

最後まで読んでいただきありがとうございました!!

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑪竹田キリシタンを巡る旅【謎の宝庫!竹田キリシタン資料館】

バスに揺られている間、もう眠たくて眠たくて眠たくて・・・。朝も昼もパン1個食べただけ。どうやら運動量に対してエネルギーが足りていなかったもよう。舟を漕いでいたらあっという間に城下町に戻ってきてました。時計をみると15時過ぎ。いよいよ竹田旅も終わりに近づいております。

コミュニティバスに乗ることが多い今日この頃

ほんとはこのまま竹田キリシタン資料館へと向かうつもりだったのですが、きっとこのままでは眠たすぎて何見ても頭に入ってこないよ・・・。まずは珈琲でも飲んでシャキッ!とさせることにします。

CONTENT

nageia coffee(ナギアコーヒー)

豊後竹田駅からも近い場所にあるnageia coffeeさん。なにやらとってもオシャンだよ・・・!竹田市出身というまだお若い店主が切り盛りしていました。数年前から同じ城下町内のお店で営業してて、今年の3月にこちらに移転オープンしたようです。

ピアノが置いてあったので尋ねてみると、なんと奥様が音楽家でちょうど明日この場所でコンサートがあるとのことでした

メインは珈琲豆の販売ですが、ちょっとしたカフェも併設。わたしは旅先で珈琲豆を買って帰るのが大好きなのだ!こちらでは浅煎り・中入り・深煎りの3種類の豆が用意されていました。パッケージもキューブ型でとっても可愛い〜。プレゼントにもよさそうです。

どれにしようかなー

浅煎りと中煎りを試飲させてもらうことに。

これまたオシャンな試飲グラスだなこのやろう

どれも美味しい!!!

いつもは浅煎りを買うことが多いのですが、今回は中煎りがとてもお好みだったのでお持ち帰り〜。

翌日早速飲んでみたらやっぱりとても美味しくてすぐなくなってしまいました。また竹田を訪れた際には必ずここで珈琲豆を買って帰ろうと思います!ちなみにネットショップでも購入できるので気になる方はぜひ。

パッケージがとっても扱いやすくて気に入ってしまった

嬉しいことに珈琲豆を購入すると、好きなドリンクを1杯無料でいただくことができます。珈琲の他にもいちごスカッシュも!(自家製シロップで季節によって変わるらしい)

メニュー

珈琲で脳内をバチーーーッと覚醒させるつもりだったけど、「自家製」という言葉に弱いわたくし・・・。いちごスカッシュの炭酸で目をシュワシュワっと覚ますことに。

いちごスカッシュ

めちゃくちゃ生き返ったーーー!!!

疲れ切っていた体が糖分でみるみるうちに元気に。シロップに漬け込んだ果肉が入っているのも嬉しかったです。

竹田キリシタン資料館

HPが全回復したところで、珈琲屋さんからもすぐ近くの竹田キリシタン資料館へと向かいます。もう帰るまで何の予定もないから閉館までたっぷり見てやるぞー!

・・・・・!?!??

大パニック・・・!!!

えーっと、えーっと、ついさっき珈琲屋さんに向かう途中に前を通った時はちゃんと開いてたよね・・・?え、なんで?なんで???

もう今日は営業しないってこと・・・!?!??

よーく見てみると、一番下に緊急連絡先が書かれています。超急ぎ!急ぎです!!焦りながらその番号にかけてみます。

電話に出た方に必死に事情を伝えると、なんと資料館を開けてくれることになりました!ありがたやーーーー!!!なんでも資料館にいた方が急用で締めることになったらしい。わざわざ他の方に出てきてもらうの申し訳ないと思いつつ、もう今夜帰らなければならなかったので本当に助かりました。

サンチャゴの鐘(銅鐘)

ほどなくして先ほど電話で対応してくださった救世主が現れます。資料館を開けてもらい中に入ると真っ先に目に飛び込んできたのが、通路の中央にドンッと鎮座するサンチャゴの鐘・・・!!!

サンチャゴの鐘

あれ?サンチャゴの鐘って、今朝「竹田市歴史文化館・由学館」で見てきたやつじゃない・・・??そう思った方はちゃんとわたしのブログを読んでくれてる人愛してるーーー!!!

そう、こちらにあるのはレプリカ。そもそもサンチャゴの鐘とは何なのか。まずはそこからだ・・・!

サンチャゴの鐘の謎

サンチャゴの鐘の表面には「十字架」と「HOSPTAL SANTIAGO」、製造年である「1612」の文字が浮き彫りにされています。長崎にあったイエスズ会の「サンチャゴ病院附属教会」のものと考えられていて、「銅鐘」の名で国の重要文化財にも指定。

江戸時代に日本で作られたとされる貴重なキリシタンベル

1612年といえば、江戸幕府による「禁教令」が始まった年。キリシタンへの弾圧が強まる中、長崎にあったたくさんの教会は次々に壊され、サンチャゴ病院も1620(元和9)年に失われました。

その後、サンチャゴの鐘はどういう経緯をたどってか、1871(明治4)年に岡城を取り壊す際、不浄蔵(禁教下でキリシタンから押収したキリシタン遺物を収納した土蔵)で発見されたといいます。諸説あるものの誰がどのように保管してきたのか、手がかりとなる記録は一切残されていないそうです・・・。

そもそも禁教下にわざわざ長崎から大分へ重い鐘をなぜ運んだのか?押収して収蔵するだけなら長崎に置いておくこともできただろうし、溶かして別のものに作り変えることもできたはず(実際に長崎ではキリシタンベルをお寺の鐘に作り替えられた例もあるそうです)。

謎!謎すぎるーーー!!!

この鐘に一体どんなドラマが隠されているのか・・・。答えの出ない数々の妄想が脳内でエンドレスに繰り広げられます。

複製の製作

レプリカは2012年に竹田市によって製作。レプリカとはいえ、成分や重さは本物とまったく同じ。その音色も再現されており、実際に鳴らすこともできます。たのしい!!!

相変わらず・・・気合いの入っていない動画の撮り方だけど、その音色を聞いてみて・・・。


www.youtube.com

実はこの動画は2回目の鐘の音。最初に鳴らした時にものっすごい大きな音がしてめちゃビビったので、ちょい控えめになってしまいました。

教会の鐘は祈りを捧げる時刻の合図として鳴らされるため、街中に響き渡るほどの大きな音がしないと意味がないのです。禁教になる前の長崎では、あちこちでこのような鐘の音が鳴り響いていたんだろうなぁ。

聖ヤコブ石像

「聖ヤコブ石像」(個人蔵)のレプリカも展示されています。なんとこの谷の真上にあるのが岡城の西の丸。この聖ヤコブ像はそこから落とされたと推測されています。

かわいいおじちゃん

所有者が少年だった昭和36年当時、キャッチボール中に逸れたボールを探しに行くと、自宅裏の谷にひっかかっている頭部を発見。親の代から御神体として「聖ヤコブ石像」を長年大事に管理してきたそうです(そういう話大好き)。

「聖ヤコブ」はキリストの十二使徒の中の一人で、スペイン語、ポルトガル語で「サンティアゴ」または「サンチャゴ」とも発音されます。その名から「サンチャゴの鐘」と共に長崎から持ち込まれたものではないかとも言われています。

その隣には「INRI石碑」のレプリカもありました。

キリがないのであとは自分で調べてくれぇーーーい!!

山の神

そしてさらにそのお隣には・・・山の神・・・!!!!!

この方たちに会いにきたのですよーーーー!!!

鳥の姿をした左の男神は三つ目、右の女神は一つ目。まるで妖怪のような異形の姿をした2体の石像。日本八大布教地であったかつて「朽網」と呼ばれた現竹田市直入町に残る山の神です。

キリシタンへの思いが強まったのは今年の初めではありますが、行き先を竹田にしたのは数年前にこの「山の神」の存在を知ったからでした。

「なぜキリシタン資料館に山の神の像が?」とは、1話目からずっと今回の旅行記を読んできた方ならもう思わないことでしょう。

女神、男神共に、胸の前で両腕をXに交差しています。X型は「聖アンデレ十字」と言われ、あの誰もが一度は見たことがあるであろうザビエルの肖像画も手をXに交差して描かれています。

『聖フランシスコ・ザビエル像』神戸市立博物館所蔵(Wikipediaより)

隠れキリシタンが「X」を十字に見立てて信仰した話が多く、目の「○」はマリアを意味するとも言われることから、この山の神を隠れキリシタンの信仰に使ったのではないかと伝えられています。直入にはこの他にも同じ形をした山の神が数体残っているのですって!見てみたいーーー!!

でも・・・でも・・・この山の神像もレプリカ・・・。うぅ、てっきりオリジナルが展示されていると思ってたよーーー!楽しみしていたのでちょっと残念でした。

驚異と怪異

ところで、旅から帰ってきてから約1ヶ月後、福岡市博物館で行われていた「驚異と怪異」展を見に行ってきました。(2023年3月11日〜5月14日まで開催)

youtu.be

今まであちこち巡回している展示ですが、福岡では九州限定の展示もあってめっっっちゃくちゃ面白かった!その展示の中には竹田の「山の神」の姿も・・・!!

女神のみ

解説にはやはり「キリシタン」の「キ」の字も書かれていませんでした

キャプションを見てみると・・・

え?これも複製・・・???

竹田で会ったあの子と感動の再会・・・!?と思いきや、わたしが竹田に行った時にはすでに会期が始まっていたし、大分県立歴史格物館蔵となっている。うーん、いったい何体レプリカが存在しているのか。気になります。

まぁ、レプリカだとしても精巧につくるには技術がいるし、わざと古く見せるように加工されたりもして面白いんだよね。レプリカや修復も奥が深い世界で興味津々です。

レプリカ勢揃いの図(竹田キリシタン資料館)

展示の仕方で複製でもオリジナルに見えたりする(福岡市博物館)

いつかオリジナルを拝める日がくることを願います!

宣教師の衣服

自分の中で目玉だった山の神や聖ヤコブ像はレプリカでしたが、実は展示されているもの中でも一番胸がキュン!としたのは宣教師の煌びやかな衣服でした。おそらく相当古いと思われる。身分の高い人に会う時の晴れ着的な衣装で、金糸がふんだんに使われていてなんて美しいの?着物の生地のようにも見えました。

イエズス会福岡修道院 泉類治(ルイス・フォンテス)神父より寄贈されたものとのこと

羊や心臓のたっぷりとした刺繍もとっても見事で大大大興奮・・・!!!

羊はキリスト

心臓もたまらんぞーーーーー

もっとこの衣装について聞けばよかったな。やっぱりその場でパッと言葉が思いつかなくて、後で色々聞きたいことが浮かんでしまうのであった・・・。

キリシタン遺物

この他にもたくさんキリシタン遺物が展示されているのですが、ひとつひとつ説明すると膨大な量になってしまうよ!そんなわけで、ぜひ実際に竹田を訪れ資料館に見にきてください。

ミステリアス!竹田キリシタン

資料館を開けてくださった方と話していると、なんと!今回の旅で大いに参考にさせていただいた『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)を著したご本人様であることが発覚!!!

さて、2冊あるのはなぜでしょう・・・?

待たせてしまったお詫び(そんな必要全然ないのに!)として、なんともう一冊いただいちゃったよ!!実はその時、持ってると言えなかったわたし・・・。言ったらもらえないかもと思って・・・なんて醜い心なのだ・・・・。

新品で購入できるところが見つからず、中古で購入したから綺麗なものがほしかったのだよーーー。帰ってきてから気づいたんだけど、紙の厚さも表紙の一部デザインも違っていて、わたしが持っていたものよりさらに1テーマ分ページが増えていました。もらってよかったー!!!

新品を購入できるのかはまたもや突然すぎて聞き忘れたので、欲しい方は問い合わせてみるのもアリかと思います。

最後に

ほんとは初日にこの場所に訪れて、色々と情報を得てからあちこち巡るつもりでした。でも、宿のご夫婦からキリシタンにまつわる情報を聞いた瞬間、心のままに予定を変更!そのおかげで雨に濡れた三日月岩も見れたし、スリル満点なキリシタン墓のある遊歩道を歩くことができたので後悔はありません。

そんなこんなでもうそろそろ閉館時間。この後は宿に荷物を取りに行って帰る予定でいたのですが、なんとすぐ近くにキリシタン関係の場所があるというではありませんか!最後の最後にそこを訪れ、旅を〆ることといたしましょう・・・。

■参考書籍・サイト

『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)

MISTERIO|TAKETA キリシタン 謎 PROJECT

サンチャゴの鐘 - Wikipedia

ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「宗教を越えて鳴り響く“長崎の鐘”」

広報竹田

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑫竹田キリシタンを巡る旅【最終回】へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑩竹田キリシタンを巡る旅【円形分水とカレーパン】

バス停から30分ほど歩いて訪れた籠目権現。ここからさらに40分ほど歩く覚悟を決めます。

CONTENTS

音無井路十二号円形分水

目指すは二階堂のCMでお馴染みの「音無井路十二号円形分水」・・・!!

www.youtube.com

昭和9年に完成した円形分水。円筒状の分水路に空いた20個の窓によって水は各集落に平等に分配されます。

道路標識にもちゃんと書かれていました。

あちこちに設置された看板を辿りながら歩いてきいます。

味のある手書き看板

八重桜が咲いていました

足はすでに限界を迎えています。ストップするときっともう一歩も前に進めない・・・。体に鞭打ちひたすら前に進むのだ・・・。

あ!見えてきた・・・!!!

もう少しで到着!早く近くで見たいよーーー

わくわく!

はい!立ち入り禁止ーーーーー!!!!!

ちっとも知らなかったよ・・・(号泣)

すぐ目の前にあるというのに・・・約40分もかけて歩いてきたというのに・・・これ以上近づくことができないだなんて・・・。

新鮮な気持ちを味わいたいために、あまり下調べをしない自分のせい。がっくり肩を落としながらも、この状況を「おいしい」と感じてしまう自分もいるから重症です。

なんとか近づかないでいい感じに撮れる角度がないものか・・・。

電柱・・・

うん!無理だね・・・!!

また雨がパラパラと降ってきたので、雨宿りがてら近くの東屋で昼食をとることにします。

朝ごはんの残り

円形分水を見ながら食べるカレーパンのなんと美味しいことよ。

最高のおかずです

円形分水の歴史

東屋には解説板がありました。

1693(元禄6)年 井路開削計画、1715年年着手したが通水に至らず諸般の事情で中止

1892(明治25)年 現在の円形分水まで通水

1934(昭和9)年 円形分水(十二号分水)竣工

1984(昭和59)年 土地改良施設維持管理適正事業により原形通り改修

なんと計画は江戸時代にまで遡るのですね。紆余曲折あり(発案した岡藩の家臣が、暴風雨による崩壊の責任を負って切腹したりとか・・・)、完成したのはその241年後。円形分水ができるまでは、水の配分でお互いに反目し合い、連日のように水争いが繰り返されたようです。豊かな水は争いの種にもなるのですね・・・。

円形分水の周囲にはあちこちに水路がありました。ここから各地に分配されるのかな?

「水は農家の魂なり」

解説の最後に書かれたこの一文。考えさせられます・・・。

帰り道

エネルギーも注入し、休憩してちょっと復活!滞在時間はほんの30分ほど。田舎で帰りのバスに乗り遅れたら一大事。急いでバス停に向かわねば・・・!ちなみにここから歩いて1時間以上かかるそうな・・・(白目)

すると雨がパタっと止む。今回の旅、怖いくらいついている・・・。そのままUターンするのはつまらないので、行きとは異なる道を選んで帰ることに。

すると小さな集落がありました。

木の電柱!たまらぬ・・・

好きすぎてふるえる・・・

立派なお家もあります。

蔵なのかな?

この道を選んでよかった・・・!!!

すぐ横には一面の田んぼ

さらに進んでいくと、公民館がありました。

なんだかいい感じの木造の建物・・・。

もっと近寄って見たいけど、地元のじじばば様たちが何やら作業してるみたい・・・。遠くから写真撮ってたら、指をさされたので「やばい!不審者と思われてしまう・・・!!」時間もなかったので、会釈だけして前に進むことにします。

今後の課題は時間に余裕を持つことと、コミュニケーション能力を高めて地元の人と会話することですね。もしかしたら籠目権現のことも聞けたかもしれないし。うーん、惜しいことをしたぜ・・・。

竹林を抜けると、行きの時に歩いてきた道に戻ってきました。

二股に分かれていて、行きの時は左の道を進みました

円形分水の看板は左の道を指していましたが、真っ直ぐ進んだ方が早く着いたような??

この白い矢印は何を意味しているのかな?

この後、道を盛大に間違い慌ててUターン!!

この先を進んではいけません・・・

やばい!ちょっと余裕を持って出発したはずなのに、いつの間にかバスの時間ギリギリだよ・・・!!坂道を競歩競歩競歩!!!

ほんとは時間があったら籠目権現をリベンジしたいと思ってたけど、ぜんぜんまったく時間が足りなかったわ・・・

あの悲しい猫の姿をまたみるのは辛いので(ごめんよー)、ショートカットできる畦道を見つけてそちらを通り抜けます。

ぜーぜー言いながらなんとか盛り返して15分前に到着!!!よかったーーーーー。

バス待ちをしていると再び小雨が・・・。濡れない場所に避難してことなきを得ます。

神様、なんてお優しいの?わたしが歩いている時は降らなんて・・・

定刻通りにバスが到着。再び城下町へと戻り、いよいよ旅も終盤です。

■参考サイト 音無井路円形分水  音無井路十二号分水 - Wikipedia

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑪竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑨竹田キリシタンを巡る旅【天国?地獄?籠目権現】

バスに乗ってゆらゆらゆら。たまに小さな集落を通り抜けますが、ほとんど自然に囲まれた田舎道。

小さなコミュニティバス

車窓からの風景

川沿いを走っていたと思えばぐるぐる螺旋を描きながら山を登りだします。

実は最初にこの旅を思いついた時は、城下町からレンタサイクルで行く計画でした(おそらく自転車で約2時間ほど)。雨予報で早々に断念したのですが、いざ通ってみるとどう考えてもわたしのヘタレ精神力ではこの道を自転車で往復するのは無理・・・。雨が降ってくれてほんとよかった!晴れていたら山の峠で途方に暮れながら自分を呪っていたとこだったよ・・・。

CONTENTS

猫と岩薬師

目的の場所に一番近いバス停に到着したのは10時前。日頃の行いがいいので(しつこいよ!)やっぱり雨は止んでいます。

すぐお隣は熊本県。ここからさらに30分ほど歩いて目的地へと向かうよ!

霧が立ち込めるのどかで美しい風景がひろがっています。

蛙の鳴き声が心地よい

わーい!猫と遭遇!!

すぐにいなくなってしまいました

撮らせてくれてありがとねーーー!!!かわいい野良猫に出会えたことを喜びながらクルッと前を向くと、なんと車に轢かれた猫の死骸が・・・(こんな話ごめんね)。

高速で視線を逸らし動揺する心を落ち着かせます。心なしかさっきの猫の模様と似ていたような?もしかしたら親子か兄弟だったのかも・・・。どんよりとした気持ちでその場を足早に通り過ぎました。

さっきまでの高揚した気持ちはシュンとしぼみ、脳裏には先ほどの猫の姿が焼き付いています。すると崖に嵌め込まれたお堂が目に入りました。「岩薬師」と書かれています。

五角形洞窟

あの猫を天国へお導きください・・・。猫のためというよりも、自分の心を落ち着かせるために願います。

真ん中にいらっしゃるのが薬師如来さま?周りをぐるっと囲っている小さな子たちも素朴で可愛らしかった。廃仏毀釈なのかお顔が削られている子も

気持ちを入れ替えて再び歩き出すと、今度は大きな橋が現れました。橋の上からは大自然・・・!!!

ずいぶん山深いとこにきたものだ

いつの間にか陽がさし、青空が見えてきました。

また午後から雨予報だけど、今はどうかこのままで・・・

天国と地獄の入口

ガードレールが一部だけ空いている場所に辿り着きます。

どうやらここから入るようです。昨日遊歩道の入口でも見かけた愛らしい白い花が群生しています。まるで天国への入口のよう・・・。

「シャガ」という植物。たぶん

と思ったら、今度はまるで地獄への案内人のような得体の知れない花が、道標のごとく行く先々に咲いています・・・。

「マムシグサ」。名前からしておどろおどろしい・・・。その名の通り毒を持っているそうです

この先に待ってるのは天国?それとも地獄・・・??

木々に囲まれた道

マムシグサに案内されるまま進んでいくと、鬼の洗濯岩のような濡れたギザギザ坂道が現れます。いい加減な靴だと滑ってしまいそう・・・。

なかなかの傾斜

横から見ると地面に一枚のギザギザの岩(コンクリート?)が乗っかっている感じ。

土砂降りとかだったら降りるの無理だったかも

無事降りることができてホッと一安心。顔を上げると目の前には土砂崩れ後のような荒れた風景が広がっています。

くるりと振り返るとひらけた空間に野晒し状態のお堂が。こんな状態ではありますが、どうやらちゃんと管理している人がいるもよう。長方形に崖をくり抜かれた穴には掃除道具が入っています。

崩壊しているのか屋根にはシートが被されています

中には仏像様がいらっしゃいました。建物や仏像も比較的新しいもののように見えます。

お邪魔します

でも、目指している場所はここではないみたい・・・。どこにあるのだろう?さっきから建物の背後から水が流れ落ちる音が聞こえてきて気になっていました。

おや?

この隙間、あやしいぞ・・・???

籠目権現

建物と崖の隙間を進んでいくと・・・

隙間の崖にも小さな石仏

通り抜けた先に現れた小さな滝・・・!まさかこんな空間が広がっていたなんてーーーーー!!!

綺麗な水

見上げると崖上に石仏がいくつか置かれているのが見えました。

細い木の枝に取り付けられた心許ないロープ・・・。まさかのプチ鎖場の登場です。

土砂降りだったらマジEND

足の踏み場を確認しながらよじ登っていきます(体重預けるの不安すぎたよ・・・涙)。登った先に現れたのは素朴な石仏たち。

わたしがわかるのは炎をしょった不動明王くらいです

これらの石仏の中で一風変わった様相のお方がいらっしゃいます。

中央の崖の隙間に嵌め込まれた祠

左下にいらっしゃるお方!

このお方にはるばる会いにきたのよーーー!!!

凛としたまなざし

剣を持ち、甲冑を着たまるで西洋の兵士のようなお姿。その背後の祠には十字架を表しているかのような細工が見て取れます。

石像の凛々しいお姿は、翼こそはありませんがまるで大天使ミカエルのよう・・・(天草のウマンテラさまの例もあります)。

実際にこの場所が潜伏キリシタンの信仰の場であったかは資料がないため不明。まるでその存在を隠すかのように建っているお堂も、いつから建っているのかもわたしは知りません。ただ、この周辺でもキリシタンが捕まったという事実はあるそうです。

新たな訪問者

やっと会えたことに喜び、夢中でシャッターを切っていると下の方からガサゴソと物音が。

ビクッとして振り向くとなんと!この場に似つかわしくない都会的な格好をしたひとりの男性の姿が・・!!!

手にはビデオカメラ

まさかのまさか!

秋田の某田舎で鬼コを見にきた青年とバッタリ遭遇した時同様、自分と同じ目的でやってきた殿方との偶然のご対面です・・・!!

▼▼▼その時の記事はこちら

いやぁー、吃驚ですね。こんな山奥に同じタイミングで遭遇するとは。しかし・・

やばい・・・また思う存分写真撮れない・・・。

好きに撮ってくださいとは言ってくれたものの、そういうわけにもいかず・・・。写真を撮り始めてほんの数分でしたが、バタバタと撮り終え再び鎖をつたって下界へ。キリシタンへの想いを馳せる余裕もなかったな・・・。

行きはよいよい帰りはこわい

なんでも仕事兼、趣味で東京から来ているとのこと(映像関係の仕事なのかな?)。もうこれは譲るしかありません。わたしは九州に住んでるからね!またくればいいんだし!!でもバスではもう無理かも。だれかわたしを車で運んで・・・

登ってるところを撮らせてもらう

せっかくだからわたしが登っている写真撮ってもらえばよかったな。惜しいことをしたぜ!

あわよくば帰りに車で城下町まで連れてってくれないかな・・・なーんて邪な考えがチラッと過りましたが、わたしにはまだ行きたい場所があるのです。

入口にまた戻ってきました

もう!足が!!痛い!!!

けれど帰りのバスの時間までまだたっぷりある。バス停からどんどん離れちゃうけれど・・・

がんばって!歩くぞ・・・!!!

■参考文献 『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑩竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑧竹田キリシタンを巡る旅【雨上がりの城下町】

目覚ましが鳴るよりも1時間ほど早く目が覚めました。カーテンを開けると外はどしゃぶりの雨・・・。

朝の6時過ぎでした

天気予報を確認するとどうやら今の時間帯が一番酷いらしい。その後は曇り、降っても1mm程度の雨予報。前確認した時よりもだいぶよくなってる!神様が味方してくれているようです。

CONTENTS

朝食

2度寝しないならスチャッと早めに起きて準備すればいいのに、布団の中でスマホ(ついったとかついったとかついったとか)をだらだら弄んでしまうからいけません・・・。

そうこうしているうちにあっという間に目覚ましが鳴りました。身支度を整えリビングへ。昨日宿のパン屋さんで購入したあれやこれやで朝ごはんです。もちろん湧水もいただくよー。

さぁて、どれを食べようか

宿泊客の2人組が食事しにやってきたのでちょっとだけ雑談。こういうお宿では、はじめましてな旅人たちとの何気ない会話がうれしいね。大大大の人見知りではあるけれど、フィーリングが合えばとっても楽しくお話しできるのだ。

竹田と登山

なんと2人は和歌山県からはるばる登山しにきたんだって!宿のご主人から聞いた話では、なんでも竹田は日本百名山に選ばれている3つの山に囲まれていて(山の名前ははわからぬ・・・)、1度に3つの山を制覇するのにちょうどいい位置にある竹田に泊まる登山客が多いらしい。なるほどねー!2人もやっぱりその3つの山に登るためにこちらの宿を選んだとのことでした。

そんなわけで、登山したい方もこちらの宿をオススメします!!(もはや宿のまわし者と化している)

朝の城下町

旅先での一期一会の出会いをたのしみつつ、いよいよキリシタンを巡る旅2日目の開始です。

外にでると・・・雨!止んでる・・・!!!

日頃の行いがいいから出かける時には雨が止みます(たわごと)

気持ちのいい朝。雨の上がった城下町を歩きます。

いい感じの持ち送り

雨が降った後の植物が好き

城下町の風情ある街並みに胸トキメキ。

右の路地がわたしを呼んでいる・・・

するする路地に吸い込まれていきます。

竹田のトンネルと山藤はセットなのかもしれない

廉太郎トンネル

現れたのは瀧廉太郎トンネル。トンネルを通ると瀧廉太郎のメロディーが流れるという仕組み。なんだか可笑しくて何度も往復したくなります。

本来のトンネルの名前は「溝川トンネル」。明治中期頃に掘られた素掘りのトンネルを、昭和62年にメロディートンネルとして改修して現在の形になったとのこと。

解説

禁教令が廃止されて18年後の1891年。瀧廉太郎は12歳〜14歳の時に竹田で過ごし、その家屋が現在では記念館として公開されています。このトンネルの先にあるのですが・・・もちろん時間が足りなくて行けません・・・涙涙涙

案内の看板とおもしろい形のミラー

クリスチャンだった瀧廉太郎

実は、上京した瀧廉太郎は洗礼を受け、キリスト教徒となります(竹田での滞在が影響したのかは不明。元々幼少の頃から身近に熱心なクリスチャンがいて讃美歌も歌っていたらしい)。

なーんと彼が作曲した有名な「荒城の月」は、後にベルギーのシュヴトーニュ修道院で編曲され「ケルヴィム讃歌」という讃美歌として歌われているんだって!

気になったのでYouTubeでさがしてみました。まずは本家の「荒城の月」。聞き馴染みのあるメロディーです。

www.youtube.com

そしてこちらが「ケルヴィム讃歌」。

www.youtube.com

う、美しい〜!教会で歌われていても違和感ない。むしろこっちの方が好き・・・。

なぜ讃美歌として歌われるようになったかは以下のサイトに詳しく書かれていました。興味深し。

『荒城の月』とヘルフィム賛歌 - 西戸崎キリスト教会 キリスト教会 西戸崎バプテスト教会 szch szch.jimdo.com

竹田市歴史文化館・由学館

お次は竹田市歴史文化館・由学館へ。

なにやら綺麗でオシャンね・・・!?

館内

と思ったらなんと隈研吾の設計。館内の写真を撮っていいかスタッフに訊ねると、展示品ではなく全体を撮るのであればOKとのこと。きっと建築目当てで訪れる人も多いんだろうなぁー。

窓から見える植物も美しかったです

で?隈研吾の建築を見にきたのでなければYOUは何しにここへ・・・?

そう、ここには竹田キリシタンにまつわる最大の謎、サンチャゴの鐘が展示されているのです・・・!!!!!見れてうれしい。サンチャゴの鐘についてはまた後のブログで取り上げますのでしばしお待ちを・・・。

実はこの場所にいたのはほんの2、30分ほど。今回は残念ながら館内の岡城ガイダンスセンターをちょろっと見ただけでした。なぜなら時間が!ないからだ・・・!!(毎度おなじみ)

城下町としばしの別れ

なぜそんなに急いでいるかというと、昨日に引き続き今度はバスに乗って城下町を抜け出し、郊外へと飛び立つからであります・・・!!ゆっくり城下町散策なんてできやしないよー。

バス停に向かっていると、武家屋敷通りに繋がる「歴史の道」の入口がありました。

のぼりたいけど我慢

歴史の道の入口を通り過ぎたあたりにバス停発見。

バス停

歩いてきた道を振り返ると・・・

キリスト看板!!!

キリスト看板を見つけると上がりますよね?(共感者求む)

バスを待っているとポツリポツリと再び雨が・・・。お願いだから降らないで・・・!!少し遅れてやってきたバスに乗り込り込み、目的地に着くまでに雨が止むことを願うのでした。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑨竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑦竹田キリシタンを巡る旅【古民家のホステル】

早朝からみっちり動き回って疲労困憊!そろそろ今朝荷物を預けたお宿へ・・・。

CONTENTS

城下町の街並み

お宿へと向かう途中、ちらほら素敵な建物に遭遇します。

こちらは洋風の建物。おでこの装飾と「谷」の木製フォントが素敵!

大好物

シックな黒漆喰(?)の壁の年季の入った商店も。

瓢箪型の看板も良き

今回は時間が限られたキリシタン旅。ゆっくり街を散策できなかったけど、ちょっと歩くだけでこんな風に出会えるのだから、きっともっと楽しい通りが隠れているに違いない。

いい感じのホルモン屋さんもありました。こんな味のあるお店にふらっと入って一杯やりたい人生だった・・・。

ひとり旅はできても、こういうお店に一人で入り切れないチキン

竹田の街をてくてくてく。

豆タイルと綿帽子

食彩 さきち屋

夕暮れ時にお宿へと到着。その頃にはもうくたくたで一歩も外に出たくない気持ちに・・・。最初は近くの温泉に行くつもりだったけれど、いよいよ雨も降り出してきたことだしお宿に引き篭もることを決意。宿に着いて早々テイクアウトできるお店を教えてもらい夜ごはんの調達です。

一歩も歩きたくないわたしの思いを知ってか知らずか、教えてくれたのは宿から歩いてほんの1分ほどの距離にある「食彩 さきち屋」さん。

おふくろの味的な最高の惣菜屋さん!その場にあるおかずでお弁当も詰めてもらえます。とっても人気で夕方頃にはあっという間に売り切れてしまうらしい。わたしはなんとかギリギリ間に合い、お弁当を作ってもらうことができました。よかったー!竹田には他にも色々と美味しいお食事処があるみたいなので、次行く時はいろいろ食べ歩きたいなぁ。

さて、夕食をいただく前に、本日宿泊するお宿をどうぞ召し上がれ〜!!

たけた駅前ホステルcue

外観

あぁ、もう大好きすぎますよね・・・。※撮影時間はまちまちです

前から、斜め前から、斜め後ろから。どこから見ても美味しい

築80年以上の古民家を改装したホステル。ちゃんと古さを残しつつ改修していて、もう宿のご夫婦含めて大好きだった・・・。

正面の扉から入ると、お宿の方が経営しているパン屋さんとカフェあります。

かどぱん。いい感じに色褪せた藍色の暖簾

パン屋とカフェの奥が宿泊施設になっていて、正面からも入ることができますが、宿泊者専用の出入り口も建物側面にありました。

ガラガラガラーっと扉を開くと当時のままの豆タイルがお出迎え。らぶ!

1F

ショップ

中に上がるとまずショップスペースがあります。オリジナルデザインの手拭いや、古い食器なども売られていました。奥様が古物商の免許を持っているようで、建物のあちこちに古道具があるのもわたし好みで嬉しかった!

県外のいい雰囲気のドミトリーのパンフ等も色々あって気になった

姫だるまのメッセージカード

金魚鉢かわいい〜
中庭

建物の中央には小さな中庭があります。

丸窓
お風呂場・トイレ

お風呂はシャワーのみ。お風呂でゆっくり疲れを癒したいお方は温泉に行くのがオススメです。割引の温泉券もお宿で販売してるとのこと。トイレは2階になくて、1階に2箇所あります。窓には昔ながらのネジネジ鍵でした。

なんて書いてる?
リビングスペース

とっっっても落ち着く空間で大好きだった。まるでおばあちゃんちにいるような感覚。やっぱり畳にコタツ最高だよねぇ(えーっと、たぶん掘りごたつだったと思うけど・・・どうだったけ?忘却)。キッチンもあるので自炊することもできます。

こちらにも湧水のサービスがありました。うれしいね!

2F

2Fは宿泊スペースになっていて、ドミトリーや個室があります。

中庭を上から

雨が降っていなければベランダでのんびりできるスペースも

熊本でいう「くまもん」と同じくらいどこにでもいる「姫だるま」
部屋

今回わたしが泊まるのは「蒼」のお部屋(個室)。

 

めちゃくちゃおしゃれで素敵ーーー!!!

とっても気に入ってしまいました。

ただし、やはりこちらのお家も前日に泊まったお宿と同じく耳栓必須。騒音が苦手なお方は洗面所に置いてある耳栓(100円)を購入しましょう(わたしは旅の7つ道具として必ず持ってきている)。

夕食

室内での飲食は禁止されているため、お弁当は共用スペースでいただきます。

惣菜屋さんのお弁当

え、めちゃくちゃ美味しいじゃん・・・!!!こんなお弁当屋さん家の近くにほしいよ〜。

ごはんを食べていると、ちょうど他の宿泊者がチェックインしているところに遭遇。聞き耳を立てていると、ご主人が相手が求めるものに合わせて色々と案内していて、その引き出しの多さに感動。竹田観光のコンシェルジュだわ・・・!!ディープな観光案内を求める方はこちらに宿泊することをオススメします。

ウェルカムドリンク

宿泊者にはウェルカムドリンクを1杯(半分の量)いただけます。うれしいね!

かぼすハイボール。わたしは柑橘を求めていたんだ・・・(疲れにはクエン酸よ!)

話上手なご主人が気さくに話しかけてくれました。竹田についてとても詳しいからてっきり地元の方なのかと思ったら、なんと地域おこし協力隊で関東から移住してきたとのこと。あちこち旅するようになってから地域おこし協力隊の方に出会う機会がほんとに多い。みなさん立派な考えを持ってて尊敬します!

ネットにない竹田キリシタン情報を知っているのも、研究者がよく泊まりにくるからその時に情報をもらうそうです。めちゃくちゃいい環境ね!また竹田に遊びに行く際には、ここで聞き込みしたいと思います笑

Relay Diary

蒼い部屋へと戻り色々と明日の準備をすませ、最後にこの部屋にしか泊まった人しか書けない&読めない日記帳を取り出します。普段なら書かないけれど、今回はなんだか書きたい気分。感謝の気持ちをしたためます。

蒼の部屋の主だけが読めるノート

朝から夜までずーーーっとホームランを打っているような1日でした。耳栓越しに優しく音を立てる雨音を聞きながら、ゆるやかに眠りへと落ちていくのでありました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑧竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑥竹田キリシタンを巡る旅【稲荷神社とキリシタン洞窟礼拝堂】

歴史が刻まれた細道を無事脱出できたのは16時過ぎ。暗くなるにはまだ時間があります。宿に戻る前に、もう少しだけキリシタンの痕跡を巡ることにします。

山茶花がぽてぽてと落下する坂道をくだる

CONTENTS

九戸稲荷

坂道を降りトンネルを抜けた先にそれはありました。

小さな階段を登ります

岩壁が五角形にくり抜かれた洞窟に祀られている久戸稲荷。

植物の葉や木の根で覆われています

土地の所有者によると、この洞窟が稲荷神社になったのはほんの十数年前とのこと。その前は何に使用されていたのかは不明らしいです。五角形洞窟頭上にある小さな窪みには、小さな十字架がはめ込まれています。

白い十字架

十字架自体は比較的最近取り付けられたもののようですが、この稲荷神社の洞窟も本来はキリシタンの礼拝洞窟として使用されていたのではないかと言われています。

実は、竹田市には同じような稲荷神社や用途不明の洞窟がとても多く、防空壕だったとも言われますが洞窟自体は戦前に作られたもの。なんとその数は城下町内だけでも軽く100を超えるそうです。

INARI(INRI)=稲荷

竹田に稲荷神社が出来始めたのは、禁教令が発令された直後から。キリストの磔刑で十字架の上に掲げられた罪状書きの「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM(ラテン語)」(「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意)の頭文字であるINRI。それにAを加えて「INARI=稲荷」とし、稲荷神社を隠れ蓑にして潜伏キリシタンたちは信仰を続けていたのではないか・・・。そう地元では伝えられているそうです。

鹿児島の某教会のキリスト磔の絵。頭上には「INRI」の文字(竹田とはまったく関係ないけど自分で撮った写真でこれくらいしかなかった・・・)

禁教令から5年後の元和3(1617)年に外国人宣教師によって書かれた手紙には、竹田地方では宣教師たちが山中の洞窟を転々としながら布教活動を行う様子が綴られているそうです。この九戸稲荷その洞窟のひとつだった可能性があると思うと震えます・・・!

九戸谷旧隧道

竹田は阿蘇山の噴火によって堆積した溶結凝灰岩の上に形成された町。溶結凝灰岩は比較的柔らかく加工しやすいため、竹田では最先端の石工技術が発展しました。カマボコ町と言われるほどトンネルが多いことや、周辺に磨崖仏が多いことにも納得です。

九戸稲荷のすぐ横にも、明治初期に掘られた隧道跡が残っていました。

草が茂っていてスムーズに前に進めない・・・。

f:id:salomery:20230622102528j:image

近づけてここまで。中に入る勇気は出ませんでした・・・(いや、それが正解。たぶん入っちゃだめ)

解説板

幕藩時代の竹田は、岡城と連なる断崖に囲まれており、さながら天然の要塞。町に入るには稲葉川沿いの細道と、道を横切る厳しい坂道を利用するしかありませんでした。

明治になって近代産業化のために多量の物資を運搬することが必要になり、数年間のうちに12箇所の隧道が掘られます。その中で唯一残る九戸谷隧道は、ツルハシとノミと火薬によって掘られた明治初期の掘削技術を知ることができる貴重な隧道のようです。(解説板より要約)

中の様子は真っ暗で、遠目ではその掘り跡を実際に見たり触ってみることはできませんでした。みみずトンネルですら古いと思ったのに、竹田に残る最も古い手掘りのトンネルに偶然遭遇することができてよかったです。

キリシタン洞窟礼拝堂(殿町洞窟礼拝堂)

先ほど訪れた九戸稲荷は、禁教時代に礼拝堂であったと証明されているわけではありません。ですが、これから訪れるのは正真正銘のキリシタン洞窟礼拝堂。武家屋敷通りの裏山にあり、作られた正確な年代は不明ですが、江戸時代の初め頃には存在していたと思われます。

近くには稲荷神社もあります

看板に案内されるまま奥へ奥へと進むと、木々に囲まれた岩壁に掘られた五角形の洞窟が見えました。この洞窟が発見されたのは昭和28年頃。当時は人が近づけないほど竹が密生していたそうです。

礼拝堂へと続く階段

中央の扉からは宣教師が入り、左右は信者が入る扉で男女別れていたとのこと

中に入ることはできませんが、洞窟内には祭壇があり、昭和30年代までは金色に輝いていたそうです。その上部には十字架が浮き彫りにされ、祭壇にはマリア像が置かれていたと伝えられています。

『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)より

解説板

岡藩の家老である古田重治が所有した土地ともいわれるこのキリシタン洞窟礼拝堂には、禁教下の元和年間(1617〜1620年頃の間)に外国人宣教師が隠れ住んでいたそうです。

三つの特徴

殿町洞窟礼拝堂には三つの特徴があります。

①祭壇をもつ五角形洞窟

②集会所のような大人数を収容できる洞窟を併設

右には大きな洞窟。残念ながら立入禁止

③儀式(洗礼)に使用される湧き水がある

礼拝堂の下の方に湧き水がありました

美しい植物

この特徴の三つを兼ね備えた他の五角形洞窟も残されているそうです。

遊歩道

この場所にいるときは全くわからなかったのですが、ブログを書くにあたって写真や地図を見返していると重大なことに気付いてしまいました・・・。

よーーーーく見てください。上!上の方・・・!!!

!!!!!

もしかしてもしかしなくても!

ついさっきまでわたしが歩いていた道ですよね・・・???

竹林に囲まれた荒れ果てた道

もうびっくり!まさか自分が洞窟礼拝堂の真上を歩いていただなんて・・・。そういえば遊歩道の地図を見たときに不思議に思ったのですよ。

遊歩道の真ん中に「キリシタン礼拝堂」の絵と文字が書かれていますが、通ってきた道にはどう見ても礼拝堂はありそうになくて一体なんだろうと思っていたのです。まさか下にあるという意味だったとは・・・。

今度遊歩道を歩く時は礼拝堂を意識して歩くつもりです。下を覗いたら何かしら見えたりするのかしら。礼拝堂からも歩く人を確認することができるのかも知りたい!体が分裂すればいいのに・・・な・・・・(ひとり旅人の悩み)。

最後に

不思議なことに、当時1万5千人以上のキリシタンがいたともいわれる竹田の城下町に教会が建てられたという記録は残っていないそうです。石工技術が発達した竹田では、教会の代わりに洞窟礼拝堂が昔から多く作られていたから、教会をそれほど重要視していなかったのではないか?ちょっとだけそんな風に思いましたが、真相は謎のままです。

時計を見るとちょうど17時をまわった頃。今日はこの辺にしといてやるぜ。雨予報だったにも関わらず、幸運なことに傘をさすこともなく乗り切ることができました。ちょっと降られちゃったけどね!

■参考文献・サイト

『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)

大分県竹田市の文化財『キリシタン洞窟礼拝堂』。まちで大切にされていた隠れキリシタンの遺構

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑦竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎