プロローグ
2021年最初の遠征先は、炭鉱で栄えた大牟田市。今回はあまり目的をはっきりと決めず、とりあえず商店街をぷらぷらしつつ、世界遺産にもなっている炭鉱跡も巡れたらいいなぁ〜とぼんやりと考えていました。
1月某日、全国的な寒波到来でわたしの住む福岡では近年稀に見る大雪。雪を撮りたい!!とワクワクしながら大牟田市へと向かいます。
(film)
すると!なんと!着いてみると晴れ!!!
それはそれは気持ちのいい青空が広がっていたのです…。
冬の透き通った青空。雪のゆの字もなかったよ…(film)
大牟田駅前に置かれている電車(iPhone SE2)
雪を撮ることはあきらめて、大牟田駅からぷらぷら寄り道しつつ、商店街のある方向へと歩いて行きます。
1950年(昭和25年)に建てられたというモダンな雰囲気の日本福音 ルーテル大牟田教会。(film) 先ほど調べたらなんとヴォーリズ建築とのことでした…!詳しいページを見つけたので興味ある方はどうぞ。
猫も気持ちよさそうに日向ぼっこ。(film)
大牟田で見つけた昭和の残照
銀座通商店街
まず着いたのは、大牟田駅と新栄町駅の間くらいに位置する銀座通商店街。シャッターが目立つものの、アーケード下では野菜や日用品等を売る人たちの姿も多く見られました。
(film)
アーケードの横筋の通りには営業してるのか不明の銭湯や、味のある飲み屋も。こういった道をそぞろ歩くのが大好きです。
(film)
銭湯(iPhone SE2)
商店街に隣接する神社へもご挨拶。御朱印の種類がめちゃくちゃたくさんありました。
大牟田神社(film)
そしてその神社を抜けると…
それはそれはたまらない路地が待っていたのです…。
魅惑的な裏路地
(film)
(iPhone SE2)
この激渋な路地を見ただけでも相当な興奮だったのですが、そう、これはどう見ても建物の裏側…。表側が果たしてどうなっているのか…!!期待に胸が高鳴ります。
突然ですが、私は好きな食べ物は一番最後に食べるタイプ。メインディッシュは最後に持ってきたいので、出来るだけ遠くから攻めていこうと嗅覚を働かせながらそろりそろりと進みます。
新銀座通
アトム企画気になる…(film)
まるでゴーストタウンのような雰囲気…。青い空とのコントラストが眩しいです。ゾンビ出てきてほしい。(iPhone SE2)
歩みを進めるごとにどんどん時代を遡っていくような感覚に。「新銀座」という言葉にも郷愁を感じます。
ちっとも新しくない「新銀座」。(iPhone SE2)
そして…ここで…
興奮MAX!!!
(film)
美養室に特殊美顔術と気になるワードが多すぎるぜ…(iPhone SE2)
あまりにも素敵すぎて息が止まるかと思いました。まるで昭和にタイムスリップしたかのよう…。映画のセットじゃなくて本物なのよね…??と、疑ってしまうような完璧すぎる空間に、ときめきが止まりません!!!
時代は令和だというのにこんな場所が未だに残っているだなんて…。再開発されずにずっと存在していたことにひたすら感謝するのでありました。
(film)
この日は土曜日でしたが、営業しているお店は一軒のみ(他のお店が今も営業してるかは不明)。コミュニケーション能力の高い人なら、お店の人にこの商店街についていろいろと話を聞くのでしょうが、根っからの人見知りなのでもちろん写真を撮るのみです…(無念)。
新銀座通のアーケードを抜けて、再び歩き始めます。
(film)
ひとりなのに思わず声に出して笑ってしまったよね。
近くにはこんな可愛らしいタイルも。(iPhone SE2)
ガード下食堂
こちらのガード下食堂(名前も最高!)にも胸をぐぁし!と捕まれました。
(film)
そして、猫よ、なんてベストポジションにいてくれるんだい…?映えてしまうじゃないか…(iPhone SE2)
残念ながらすでに閉店してるもよう。行ってみたかったなぁ…。
新栄町商店街
新銀座通から歩いて行ける新栄町商店街も、昭和レトロでめちゃ可愛かった。火の鳥に見えるけど、何をモチーフにしてるんだろう?
新銀座から新栄町商店街へ向かう途中で見つけた印象的な装飾。(iPhone SE2)
まだまだ歩いてない道がたくさんあったけど、お昼もだいぶ過ぎてお腹はペコペコ。他に行きたい場所もあったので、後ろ髪を引かれつつこの場を後にするのでありました。
エピローグ
新銀座通はいつできたのか?
後日知ったのですが、新銀座通はやはりその筋(?)の人たちの間では有名な商店街のようでした。ただし詳しい情報が出てこない…。もっと知りたくなったので、大牟田市役所にメールで問い合わせてみました。
結論から言うと、資料がほとんど残っておらず、昭和28年度以前には存在していたということしかわからないそうです(昭和28年度統計の大牟田市の統計年鑑に「新銀座商店街」の名称が初めて出てくる)。担当してくださった方がとても親切で、ありがたいことに古写真のデータを送ってくださいました。たくさんの質問にも丁寧に答えてくれて感謝感激!!
その写真を載せる前に、まずは新銀座通の区間について。第1区〜第4区から構成されていて、地図上でピンがたっているところが第2区、上に進むと第1区、下に進むと第3区、4区と続きます。
では、早速古写真と現在の新銀座通を見比べてみましょう。
以下の古写真はすべて『大牟田市の産業と観光』(昭和29年、夕刊大牟田毎日新聞社発行)より。※掲載許可いただきました。
昭和29年(1954年)以前の新銀座通(第1区)。女の子の笑顔がまぶしい。こんなに賑わっていたんだね。
令和3年(2021年)の新銀座通(第1区)。今ではひとっこひとりいない…。(film)
現在の第1区はアーケードも撤去されていて、だいぶ改修もされているのか古写真とはまったく違う雰囲気です。どちらかというと第3区の方がそっくりで、当時の面影を色濃く残していることがわかります。特徴的な形の看板はもしかして当時のまま…?
令和3年(2021年)の新銀座通(第3区)(film)
昭和29年(1954年)以前の新銀座通(第4区)。現在の写真と比較したかったんだけど写真撮ってなかったみたい…。
ちなみに「新銀座通」から50メートルほど南の「銀座通」のアーケードは、昭和30年に完成したとのこと。古写真ではまだ屋根がなく、めちゃんこ可愛いレトロなアーチがかかっています。たまらん!
アーケードができる前の銀座通。看板に「パインミシン」って見える。なんてかわいい名前なのだ!
奥に見える建物は松屋デパートで、空襲でも生き残った大牟田市民のシンボル的な存在だったそうですが、残念ながら今では更地になっています。
銀座通と新銀座通
「銀座通」と「新銀座通」、商店街としてはどちらが古いんだろう…?古写真を見ていたらそんな疑問がむくむくとわいてきました。見た目の印象だけで当たり前のように「新銀座」の方が古いと思ってたけど、名前から考えるともしかして「銀座通」の方が先…?
というわけで再び市役所の方に質問してみたところ、所蔵資料の中で「銀座通」の名前が最初に出てくるのが昭和16年、「新銀座通」が昭和28年なので、断言はできないけど「銀座通」の方が古くからあったのではないか…とのこと。やっぱり!「新銀座」なのにただの「銀座」よりも古めかしい…というちぐはぐ感の謎が解けてすっきりしたのでした。(ほんとうにたくさんの質問に答えていただきありがとうございました!)
今回、新銀座通に出会ったことで、三角屋根の骨組みの古い商店街に興味が出てきたので、今後もあちこち訪れてみようと思います(奈良にも行きたいところあるんだよね…)。
最後に
今の時代、ネットに情報が溢れていて、初めて見る時の感動が薄れてしまうこともしばしばだけど、今回のように予備知識皆無のまっさらな状態で、この素晴らしい空間を体験することが出来て本当に良かったと思いました。出来ればこのような出会い方をこれからもしていきたいなぁと思います。
↑こんなこと言った後に、おそろしい話をしていいですか…。前にも大牟田に一度行ったことがあったから、その時の写真が残ってないかiPhoneで検索してみたら…なんと新銀座通の写真が出てきたんですよ…。でもさ!いつでも初めて行ったような新鮮な気持ちで見れるって素晴らしいことだよね!うん!
平成28年(2016年)撮影の新銀座通(iPhone)。見逃してただけの可能性もあるけど、ボーリングのピンは無くなってた気がするー。
そんなわけで、新銀座をはじめとする大牟田の商店街界隈。最強にオススメです。
(film)
終