彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

⑫竹田キリシタンを巡る旅【最終回】

向かった先は竹田キリシタン資料館から歩いてすぐの豊後竹田駅・・・の裏側。まさかこんな近くにあっただなんて・・・!!

CONTENTS

豊後竹田駅裏の天使?

「今は使われていない建物の隣に入口がある」と聞いていたので、その話を頼りに進んでいくと稲荷神社の隣にそれらしき建物が・・・。

建物もめちゃくちゃわたし好み!元はなんの建物だったのだろう?

左上に注目

滝!こんな近くに・・・!!!

フェンスで区切られた敷地と建物の間に細い路地があり、その先に小さな階段がありました。どうやらここが入口のようです。

昔はちゃんと案内板もあったらしい

階段を登るとさらに上へと続く階段があります。

落ち葉まみれの階段

下木石仏

駅から見えていた滝のすぐ隣に、その方はいらっしゃいました。

全体像

緑がかった崖と同化していて少し見えにくいけれど、よーく観察すると体の両側に放射状の線が伸びているのがわかります。

放射状に伸びる線

炎や後光のように見えなくもないけれど・・・。

資料館にはもっと明瞭に撮影された写真パネルが展示されています(どうやってこんなに鮮明に撮ったんだろう?次行った時に聞いてみたい)。

竹田キリシタン資料館より(撮影可)

これは・・・羽根だね・・・!!?

昨日見た迫力満点の磨崖神像とはまた違ったタッチ。こちらの磨崖仏(磨崖神?)は、まるで古代の彫刻のような原始的な雰囲気がしてなんだか見ててドキドキします・・・。宮崎駿が描く神話とかに描かれそうな雰囲気。巨神兵とかちょっと怖い感じの。言いたいことわかる??

横にも小さな磨崖仏がいらっしゃいました。こちらもわかりにくいけど、羽根の像とは違って従来の仏様の雰囲気。

見えずらいね

滝もこんなに間近に見ることができます。

落門の滝(下木の滝)

そしてもちろんあの月の灯りもこんな近くで見れちゃうぞ!

昨晩駅に到着した時にまんまと騙された月

豊後竹田駅に着いた時にまっさきに目に入った月。旅の最後の最後にこの場所にくることになるなんて、あの時はちっとも思っていなかったなぁ。なんだかとても不思議な気持ちです。

崖からは竹田の城下町を見渡すこともできます。こうやってみると山に囲まれていることがよくわかる。あの山の尾根にもキリシタンが眠っているのかしら・・・(尾根にキリシタン墓が多く残っているらしい)。

中央に見えるのが豊後竹田駅。ここからホームが見えるということは、ホームからもわたしが見えるということか・・・

岩下火伏稲荷神社

せっかくだから通り道にあった稲荷神社にも、帰りがてら寄ることにします。

明治初年の維新の頃、このあたりに火事が多く起こったことから火伏祈願のために伏見から御神体を勧請し、西光寺(検索したら神社のすぐ近くにあった)の庵を懇請し祀ったことが起源とのこと。

頭がパーなので最後がちょっとよくわからなかったのだけど、元々はお寺の小屋(庵)があった場所を神社にしたということ?なの???(見当違いなこと言ってたらすんません)。

その庵があった時から五角形洞窟の形をしていたのか、はたまた稲荷神社を作った際に掘ったもなのか・・・。

解説板

昨日訪れたお稲荷さん同様、こちらの洞窟も五角形洞窟。規模がめちゃくちゃおっきい!竹田市内にある洞窟の中で一番大きいそうです。

単に五角形に掘るんじゃなくて、二重に穴が掘られてて凝っている

今は何も置かれていない穴もありました。きっとお地蔵様や仏様が置かれていたんだろうね。左の大きめの穴は倉庫とかに使われてた空間だったりするのかな?

拝殿横には扉があって、横の穴と繋がっていました。

拝殿横の隙間。左に扉がある

洞窟をひとつの家として使用している感覚。この地に住む人たちにとっては洞窟が生活の一部だったのだね。

稲荷神社からの眺めもとってもよかった!タイミングよく電車が3台もとことこ走ってきてくれました。

よき眺め

下に降りてさらに撮らせていただきまぁーーーす!3台もあるのにずっと電車が止まって動かなかったので撮り放題。田舎の電車時間の本数よ・・・

五角形洞窟の稲荷神社、近くだとなかなか全体が把握しづらくていまいちピンときてなかったけど、遠くから見たらスケールでかくてめちゃくちゃかっこいいな!!

電柱と電線は心の消しゴムで消してください

五角形洞窟とキリシタンは関係するのか?

竹田は柔らかい溶結凝灰岩に囲まれた盆地だったことから岩を加工する技術が発達し、昔から神社やお寺、民間信仰の像などを、洞窟を作って祀ることが自然に行われていたのではないかなぁ。洞窟に埋め込む方が敷地を有効に使えるし。キリスト教が入ってきた時にも、教会を作ることより洞窟礼拝堂を作る方が人々にとっては自然だったのかも。現在竹田市内に多くの洞窟が残っているのは、さまざまな信仰の場として使用されていた証なんじゃないかなぁ・・・。なんて、素人ながら思いました。

哀しみのソフトクリーム

さて、荷物を受け取りに再び宿へと戻ってきました。最後にここでちょっとだけ休憩。まずはコーヒーをいただきます。

あわあわ

そして冷たくてあまーい・・・ソフトクリーム!!!

とワクワクしながらオーダーしたら、なーんと閉店間近で終わってた・・・。実は昨日宿泊した際も注文したらメンテナンス中で食べることができず、今日ぜったいに食べようと心に決めていたのでダブルパンチ。次来た時にはぜったい食べてやるんだからな・・・!

フェイクを見て心を慰めます

休憩している時にどうしても最後に行きたいお店を見つけてしまい、あわててお宿に別れを告げて出発。駅と逆方向だし切符も購入しなきゃだしギリギリ・・・。でもこの思いは止められないのだ!

たぬきケーキ

重い荷物をがらがら引いて、ぜーぜーいいながら訪れたのは西出開花堂・ファッションケーキ クローネ

つぶらな瞳のあの子をお迎えしにきたよ!

あったーーーー!!!

可愛い可愛いたぬきケーキ。売り切れてやしないかヒヤヒヤしたけれど、わたしのために残っていてくれました。かわいい子を自分へのお土産にゲットできてほくほく。せっかくのケーキをぐちゃぐちゃにしてしまわないよう、細心の注意を払いながら駅へと急ぎます。

もうあたりは夜に沈もうとしています

毎度お馴染みのうっかり

出発時刻に無事間に合って、窓口でチケット発券してもらってほっと一安心。ホームへ向かうとすでに電車が待っていました。

駅から見える滝ともこれで見納め・・・。

ついさっきまであそこにいたんだな

電車内でも先頭の窓からしつこく滝を撮っていたら、先ほど窓口でチケットを発券してくれた駅員さんがやってきました。その手には見覚えのあるケーキの箱が・・・。

ナイスガイの駅員さん!追いかけてくれてほんとにありがとう!!心優しい人たちに助けられてなんとか今日も生きております。

帰りの電車の中で忘れたことに気付いて号泣してるとこだったよ

豊後竹田駅を19時前に出発し、行きの時と同じように電車を乗り継ぎ&乗り継ぎ。

ピンクの別府タワー見れてうれしい

自宅に着いたのは日付が変わる数分前でした。もうこの頃には疲れ切ってて白目むいて泡を吹いています。次の日が休みでなければどうなっていたことか・・・。

翌朝食べた最高の「竹田の思ひ出モーニング」。たぬきケーキと、竹田の豆屋さんで購入したコーヒー。宿で購入したシナモンが練り込まれた食パンもめちゃ美味しかった!!

竹田キリシタンについて

明治以降に建てられた歴史的・文化的価値のある教会や、実際に「隠れキリシタン」の信仰が残っている地域は世界遺産に登録され、教会やキリシタンに関係する史料が残っていない竹田は未登録(世界遺産になることが必ずしもいいこととは限らないけれど)。それでも、この地にキリシタンの文化が花開き、息づいていたことは間違いないと実際に竹田の町を歩いてみて感じました。

また、『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市、令和2年3月改版)には以下のようなエピソードが書かれています。

禁教下の1738(元文3)年、今でいう自治会長の役割を担っていた商家の地下に礼拝堂があることが発覚し、長崎送りにされ処刑されるという事件がありました。踏み絵が行われている最中に床が抜け落ち、地下室の祭壇とマリア像(絵だったとも)が見つかったそうです。そのことだけでも驚きなのですが、商家の子孫の話がとても興味深いのです。以下抜粋させていただきます。

自分が中学生だった昭和20年のこと。今でも思い出す奇妙なことがあった。祖母は毎日、仏壇の前で本を開いて小声で何やら熱心に唱えていた。そこで、祖母に『おばあちゃんが見ているその本は何?何を唱えているの?』と聞くと、祖母はニタッと笑って、『さあ、何かな?お経かもな?』ととぼけた。だが、今になって思うと、その本はすべて平仮名で書かれていたので、あれはキリシタンの教義書である『どちりなきりしたん』だったのではないか。実際に仏壇の上にはマリア様の絵が掛けられていた。

それが真実ならば、このように禁教が解かれた後も誰に明かすわけでもなくひっそりと信仰を続けてきた人たちが、少なくとも昭和の初め頃辺りまでは竹田に限らず全国に存在したのではないか・・・。それがとても自然のことのように感じます。

最後に

竹田。好きな街がまたひとつ増えました。今回の旅では時間がまったく足りず、岡城にも行けなかったし城下町も満足に散策できず。三日月岩の前の水上の舞台で舞われる薪能も見たい!また必ず竹田に行こうと思います。その時にはまた大好きになったあのお宿に泊まりたいです。

宿の前にて

最後まで読んでいただきありがとうございました!!

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑪竹田キリシタンを巡る旅【謎の宝庫!竹田キリシタン資料館】

バスに揺られている間、もう眠たくて眠たくて眠たくて・・・。朝も昼もパン1個食べただけ。どうやら運動量に対してエネルギーが足りていなかったもよう。舟を漕いでいたらあっという間に城下町に戻ってきてました。時計をみると15時過ぎ。いよいよ竹田旅も終わりに近づいております。

コミュニティバスに乗ることが多い今日この頃

ほんとはこのまま竹田キリシタン資料館へと向かうつもりだったのですが、きっとこのままでは眠たすぎて何見ても頭に入ってこないよ・・・。まずは珈琲でも飲んでシャキッ!とさせることにします。

CONTENT

nageia coffee(ナギアコーヒー)

豊後竹田駅からも近い場所にあるnageia coffeeさん。なにやらとってもオシャンだよ・・・!竹田市出身というまだお若い店主が切り盛りしていました。数年前から同じ城下町内のお店で営業してて、今年の3月にこちらに移転オープンしたようです。

ピアノが置いてあったので尋ねてみると、なんと奥様が音楽家でちょうど明日この場所でコンサートがあるとのことでした

メインは珈琲豆の販売ですが、ちょっとしたカフェも併設。わたしは旅先で珈琲豆を買って帰るのが大好きなのだ!こちらでは浅煎り・中入り・深煎りの3種類の豆が用意されていました。パッケージもキューブ型でとっても可愛い〜。プレゼントにもよさそうです。

どれにしようかなー

浅煎りと中煎りを試飲させてもらうことに。

これまたオシャンな試飲グラスだなこのやろう

どれも美味しい!!!

いつもは浅煎りを買うことが多いのですが、今回は中煎りがとてもお好みだったのでお持ち帰り〜。

翌日早速飲んでみたらやっぱりとても美味しくてすぐなくなってしまいました。また竹田を訪れた際には必ずここで珈琲豆を買って帰ろうと思います!ちなみにネットショップでも購入できるので気になる方はぜひ。

パッケージがとっても扱いやすくて気に入ってしまった

嬉しいことに珈琲豆を購入すると、好きなドリンクを1杯無料でいただくことができます。珈琲の他にもいちごスカッシュも!(自家製シロップで季節によって変わるらしい)

メニュー

珈琲で脳内をバチーーーッと覚醒させるつもりだったけど、「自家製」という言葉に弱いわたくし・・・。いちごスカッシュの炭酸で目をシュワシュワっと覚ますことに。

いちごスカッシュ

めちゃくちゃ生き返ったーーー!!!

疲れ切っていた体が糖分でみるみるうちに元気に。シロップに漬け込んだ果肉が入っているのも嬉しかったです。

竹田キリシタン資料館

HPが全回復したところで、珈琲屋さんからもすぐ近くの竹田キリシタン資料館へと向かいます。もう帰るまで何の予定もないから閉館までたっぷり見てやるぞー!

・・・・・!?!??

大パニック・・・!!!

えーっと、えーっと、ついさっき珈琲屋さんに向かう途中に前を通った時はちゃんと開いてたよね・・・?え、なんで?なんで???

もう今日は営業しないってこと・・・!?!??

よーく見てみると、一番下に緊急連絡先が書かれています。超急ぎ!急ぎです!!焦りながらその番号にかけてみます。

電話に出た方に必死に事情を伝えると、なんと資料館を開けてくれることになりました!ありがたやーーーー!!!なんでも資料館にいた方が急用で締めることになったらしい。わざわざ他の方に出てきてもらうの申し訳ないと思いつつ、もう今夜帰らなければならなかったので本当に助かりました。

サンチャゴの鐘(銅鐘)

ほどなくして先ほど電話で対応してくださった救世主が現れます。資料館を開けてもらい中に入ると真っ先に目に飛び込んできたのが、通路の中央にドンッと鎮座するサンチャゴの鐘・・・!!!

サンチャゴの鐘

あれ?サンチャゴの鐘って、今朝「竹田市歴史文化館・由学館」で見てきたやつじゃない・・・??そう思った方はちゃんとわたしのブログを読んでくれてる人愛してるーーー!!!

そう、こちらにあるのはレプリカ。そもそもサンチャゴの鐘とは何なのか。まずはそこからだ・・・!

サンチャゴの鐘の謎

サンチャゴの鐘の表面には「十字架」と「HOSPTAL SANTIAGO」、製造年である「1612」の文字が浮き彫りにされています。長崎にあったイエスズ会の「サンチャゴ病院附属教会」のものと考えられていて、「銅鐘」の名で国の重要文化財にも指定。

江戸時代に日本で作られたとされる貴重なキリシタンベル

1612年といえば、江戸幕府による「禁教令」が始まった年。キリシタンへの弾圧が強まる中、長崎にあったたくさんの教会は次々に壊され、サンチャゴ病院も1620(元和9)年に失われました。

その後、サンチャゴの鐘はどういう経緯をたどってか、1871(明治4)年に岡城を取り壊す際、不浄蔵(禁教下でキリシタンから押収したキリシタン遺物を収納した土蔵)で発見されたといいます。諸説あるものの誰がどのように保管してきたのか、手がかりとなる記録は一切残されていないそうです・・・。

そもそも禁教下にわざわざ長崎から大分へ重い鐘をなぜ運んだのか?押収して収蔵するだけなら長崎に置いておくこともできただろうし、溶かして別のものに作り変えることもできたはず(実際に長崎ではキリシタンベルをお寺の鐘に作り替えられた例もあるそうです)。

謎!謎すぎるーーー!!!

この鐘に一体どんなドラマが隠されているのか・・・。答えの出ない数々の妄想が脳内でエンドレスに繰り広げられます。

複製の製作

レプリカは2012年に竹田市によって製作。レプリカとはいえ、成分や重さは本物とまったく同じ。その音色も再現されており、実際に鳴らすこともできます。たのしい!!!

相変わらず・・・気合いの入っていない動画の撮り方だけど、その音色を聞いてみて・・・。


www.youtube.com

実はこの動画は2回目の鐘の音。最初に鳴らした時にものっすごい大きな音がしてめちゃビビったので、ちょい控えめになってしまいました。

教会の鐘は祈りを捧げる時刻の合図として鳴らされるため、街中に響き渡るほどの大きな音がしないと意味がないのです。禁教になる前の長崎では、あちこちでこのような鐘の音が鳴り響いていたんだろうなぁ。

聖ヤコブ石像

「聖ヤコブ石像」(個人蔵)のレプリカも展示されています。なんとこの谷の真上にあるのが岡城の西の丸。この聖ヤコブ像はそこから落とされたと推測されています。

かわいいおじちゃん

所有者が少年だった昭和36年当時、キャッチボール中に逸れたボールを探しに行くと、自宅裏の谷にひっかかっている頭部を発見。親の代から御神体として「聖ヤコブ石像」を長年大事に管理してきたそうです(そういう話大好き)。

「聖ヤコブ」はキリストの十二使徒の中の一人で、スペイン語、ポルトガル語で「サンティアゴ」または「サンチャゴ」とも発音されます。その名から「サンチャゴの鐘」と共に長崎から持ち込まれたものではないかとも言われています。

その隣には「INRI石碑」のレプリカもありました。

キリがないのであとは自分で調べてくれぇーーーい!!

山の神

そしてさらにそのお隣には・・・山の神・・・!!!!!

この方たちに会いにきたのですよーーーー!!!

鳥の姿をした左の男神は三つ目、右の女神は一つ目。まるで妖怪のような異形の姿をした2体の石像。日本八大布教地であったかつて「朽網」と呼ばれた現竹田市直入町に残る山の神です。

キリシタンへの思いが強まったのは今年の初めではありますが、行き先を竹田にしたのは数年前にこの「山の神」の存在を知ったからでした。

「なぜキリシタン資料館に山の神の像が?」とは、1話目からずっと今回の旅行記を読んできた方ならもう思わないことでしょう。

女神、男神共に、胸の前で両腕をXに交差しています。X型は「聖アンデレ十字」と言われ、あの誰もが一度は見たことがあるであろうザビエルの肖像画も手をXに交差して描かれています。

『聖フランシスコ・ザビエル像』神戸市立博物館所蔵(Wikipediaより)

隠れキリシタンが「X」を十字に見立てて信仰した話が多く、目の「○」はマリアを意味するとも言われることから、この山の神を隠れキリシタンの信仰に使ったのではないかと伝えられています。直入にはこの他にも同じ形をした山の神が数体残っているのですって!見てみたいーーー!!

でも・・・でも・・・この山の神像もレプリカ・・・。うぅ、てっきりオリジナルが展示されていると思ってたよーーー!楽しみしていたのでちょっと残念でした。

驚異と怪異

ところで、旅から帰ってきてから約1ヶ月後、福岡市博物館で行われていた「驚異と怪異」展を見に行ってきました。(2023年3月11日〜5月14日まで開催)

youtu.be

今まであちこち巡回している展示ですが、福岡では九州限定の展示もあってめっっっちゃくちゃ面白かった!その展示の中には竹田の「山の神」の姿も・・・!!

女神のみ

解説にはやはり「キリシタン」の「キ」の字も書かれていませんでした

キャプションを見てみると・・・

え?これも複製・・・???

竹田で会ったあの子と感動の再会・・・!?と思いきや、わたしが竹田に行った時にはすでに会期が始まっていたし、大分県立歴史格物館蔵となっている。うーん、いったい何体レプリカが存在しているのか。気になります。

まぁ、レプリカだとしても精巧につくるには技術がいるし、わざと古く見せるように加工されたりもして面白いんだよね。レプリカや修復も奥が深い世界で興味津々です。

レプリカ勢揃いの図(竹田キリシタン資料館)

展示の仕方で複製でもオリジナルに見えたりする(福岡市博物館)

いつかオリジナルを拝める日がくることを願います!

宣教師の衣服

自分の中で目玉だった山の神や聖ヤコブ像はレプリカでしたが、実は展示されているもの中でも一番胸がキュン!としたのは宣教師の煌びやかな衣服でした。おそらく相当古いと思われる。身分の高い人に会う時の晴れ着的な衣装で、金糸がふんだんに使われていてなんて美しいの?着物の生地のようにも見えました。

イエズス会福岡修道院 泉類治(ルイス・フォンテス)神父より寄贈されたものとのこと

羊や心臓のたっぷりとした刺繍もとっても見事で大大大興奮・・・!!!

羊はキリスト

心臓もたまらんぞーーーーー

もっとこの衣装について聞けばよかったな。やっぱりその場でパッと言葉が思いつかなくて、後で色々聞きたいことが浮かんでしまうのであった・・・。

キリシタン遺物

この他にもたくさんキリシタン遺物が展示されているのですが、ひとつひとつ説明すると膨大な量になってしまうよ!そんなわけで、ぜひ実際に竹田を訪れ資料館に見にきてください。

ミステリアス!竹田キリシタン

資料館を開けてくださった方と話していると、なんと!今回の旅で大いに参考にさせていただいた『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)を著したご本人様であることが発覚!!!

さて、2冊あるのはなぜでしょう・・・?

待たせてしまったお詫び(そんな必要全然ないのに!)として、なんともう一冊いただいちゃったよ!!実はその時、持ってると言えなかったわたし・・・。言ったらもらえないかもと思って・・・なんて醜い心なのだ・・・・。

新品で購入できるところが見つからず、中古で購入したから綺麗なものがほしかったのだよーーー。帰ってきてから気づいたんだけど、紙の厚さも表紙の一部デザインも違っていて、わたしが持っていたものよりさらに1テーマ分ページが増えていました。もらってよかったー!!!

新品を購入できるのかはまたもや突然すぎて聞き忘れたので、欲しい方は問い合わせてみるのもアリかと思います。

最後に

ほんとは初日にこの場所に訪れて、色々と情報を得てからあちこち巡るつもりでした。でも、宿のご夫婦からキリシタンにまつわる情報を聞いた瞬間、心のままに予定を変更!そのおかげで雨に濡れた三日月岩も見れたし、スリル満点なキリシタン墓のある遊歩道を歩くことができたので後悔はありません。

そんなこんなでもうそろそろ閉館時間。この後は宿に荷物を取りに行って帰る予定でいたのですが、なんとすぐ近くにキリシタン関係の場所があるというではありませんか!最後の最後にそこを訪れ、旅を〆ることといたしましょう・・・。

■参考書籍・サイト

『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)

MISTERIO|TAKETA キリシタン 謎 PROJECT

サンチャゴの鐘 - Wikipedia

ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「宗教を越えて鳴り響く“長崎の鐘”」

広報竹田

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⑫竹田キリシタンを巡る旅【最終回】へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑩竹田キリシタンを巡る旅【円形分水とカレーパン】

バス停から30分ほど歩いて訪れた籠目権現。ここからさらに40分ほど歩く覚悟を決めます。

CONTENTS

音無井路十二号円形分水

目指すは二階堂のCMでお馴染みの「音無井路十二号円形分水」・・・!!

www.youtube.com

昭和9年に完成した円形分水。円筒状の分水路に空いた20個の窓によって水は各集落に平等に分配されます。

道路標識にもちゃんと書かれていました。

あちこちに設置された看板を辿りながら歩いてきいます。

味のある手書き看板

八重桜が咲いていました

足はすでに限界を迎えています。ストップするときっともう一歩も前に進めない・・・。体に鞭打ちひたすら前に進むのだ・・・。

あ!見えてきた・・・!!!

もう少しで到着!早く近くで見たいよーーー

わくわく!

はい!立ち入り禁止ーーーーー!!!!!

ちっとも知らなかったよ・・・(号泣)

すぐ目の前にあるというのに・・・約40分もかけて歩いてきたというのに・・・これ以上近づくことができないだなんて・・・。

新鮮な気持ちを味わいたいために、あまり下調べをしない自分のせい。がっくり肩を落としながらも、この状況を「おいしい」と感じてしまう自分もいるから重症です。

なんとか近づかないでいい感じに撮れる角度がないものか・・・。

電柱・・・

うん!無理だね・・・!!

また雨がパラパラと降ってきたので、雨宿りがてら近くの東屋で昼食をとることにします。

朝ごはんの残り

円形分水を見ながら食べるカレーパンのなんと美味しいことよ。

最高のおかずです

円形分水の歴史

東屋には解説板がありました。

1693(元禄6)年 井路開削計画、1715年年着手したが通水に至らず諸般の事情で中止

1892(明治25)年 現在の円形分水まで通水

1934(昭和9)年 円形分水(十二号分水)竣工

1984(昭和59)年 土地改良施設維持管理適正事業により原形通り改修

なんと計画は江戸時代にまで遡るのですね。紆余曲折あり(発案した岡藩の家臣が、暴風雨による崩壊の責任を負って切腹したりとか・・・)、完成したのはその241年後。円形分水ができるまでは、水の配分でお互いに反目し合い、連日のように水争いが繰り返されたようです。豊かな水は争いの種にもなるのですね・・・。

円形分水の周囲にはあちこちに水路がありました。ここから各地に分配されるのかな?

「水は農家の魂なり」

解説の最後に書かれたこの一文。考えさせられます・・・。

帰り道

エネルギーも注入し、休憩してちょっと復活!滞在時間はほんの30分ほど。田舎で帰りのバスに乗り遅れたら一大事。急いでバス停に向かわねば・・・!ちなみにここから歩いて1時間以上かかるそうな・・・(白目)

すると雨がパタっと止む。今回の旅、怖いくらいついている・・・。そのままUターンするのはつまらないので、行きとは異なる道を選んで帰ることに。

すると小さな集落がありました。

木の電柱!たまらぬ・・・

好きすぎてふるえる・・・

立派なお家もあります。

蔵なのかな?

この道を選んでよかった・・・!!!

すぐ横には一面の田んぼ

さらに進んでいくと、公民館がありました。

なんだかいい感じの木造の建物・・・。

もっと近寄って見たいけど、地元のじじばば様たちが何やら作業してるみたい・・・。遠くから写真撮ってたら、指をさされたので「やばい!不審者と思われてしまう・・・!!」時間もなかったので、会釈だけして前に進むことにします。

今後の課題は時間に余裕を持つことと、コミュニケーション能力を高めて地元の人と会話することですね。もしかしたら籠目権現のことも聞けたかもしれないし。うーん、惜しいことをしたぜ・・・。

竹林を抜けると、行きの時に歩いてきた道に戻ってきました。

二股に分かれていて、行きの時は左の道を進みました

円形分水の看板は左の道を指していましたが、真っ直ぐ進んだ方が早く着いたような??

この白い矢印は何を意味しているのかな?

この後、道を盛大に間違い慌ててUターン!!

この先を進んではいけません・・・

やばい!ちょっと余裕を持って出発したはずなのに、いつの間にかバスの時間ギリギリだよ・・・!!坂道を競歩競歩競歩!!!

ほんとは時間があったら籠目権現をリベンジしたいと思ってたけど、ぜんぜんまったく時間が足りなかったわ・・・

あの悲しい猫の姿をまたみるのは辛いので(ごめんよー)、ショートカットできる畦道を見つけてそちらを通り抜けます。

ぜーぜー言いながらなんとか盛り返して15分前に到着!!!よかったーーーーー。

バス待ちをしていると再び小雨が・・・。濡れない場所に避難してことなきを得ます。

神様、なんてお優しいの?わたしが歩いている時は降らなんて・・・

定刻通りにバスが到着。再び城下町へと戻り、いよいよ旅も終盤です。

■参考サイト 音無井路円形分水  音無井路十二号分水 - Wikipedia

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑪竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑨竹田キリシタンを巡る旅【天国?地獄?籠目権現】

バスに乗ってゆらゆらゆら。たまに小さな集落を通り抜けますが、ほとんど自然に囲まれた田舎道。

小さなコミュニティバス

車窓からの風景

川沿いを走っていたと思えばぐるぐる螺旋を描きながら山を登りだします。

実は最初にこの旅を思いついた時は、城下町からレンタサイクルで行く計画でした(おそらく自転車で約2時間ほど)。雨予報で早々に断念したのですが、いざ通ってみるとどう考えてもわたしのヘタレ精神力ではこの道を自転車で往復するのは無理・・・。雨が降ってくれてほんとよかった!晴れていたら山の峠で途方に暮れながら自分を呪っていたとこだったよ・・・。

CONTENTS

猫と岩薬師

目的の場所に一番近いバス停に到着したのは10時前。日頃の行いがいいので(しつこいよ!)やっぱり雨は止んでいます。

すぐお隣は熊本県。ここからさらに30分ほど歩いて目的地へと向かうよ!

霧が立ち込めるのどかで美しい風景がひろがっています。

蛙の鳴き声が心地よい

わーい!猫と遭遇!!

すぐにいなくなってしまいました

撮らせてくれてありがとねーーー!!!かわいい野良猫に出会えたことを喜びながらクルッと前を向くと、なんと車に轢かれた猫の死骸が・・・(こんな話ごめんね)。

高速で視線を逸らし動揺する心を落ち着かせます。心なしかさっきの猫の模様と似ていたような?もしかしたら親子か兄弟だったのかも・・・。どんよりとした気持ちでその場を足早に通り過ぎました。

さっきまでの高揚した気持ちはシュンとしぼみ、脳裏には先ほどの猫の姿が焼き付いています。すると崖に嵌め込まれたお堂が目に入りました。「岩薬師」と書かれています。

五角形洞窟

あの猫を天国へお導きください・・・。猫のためというよりも、自分の心を落ち着かせるために願います。

真ん中にいらっしゃるのが薬師如来さま?周りをぐるっと囲っている小さな子たちも素朴で可愛らしかった。廃仏毀釈なのかお顔が削られている子も

気持ちを入れ替えて再び歩き出すと、今度は大きな橋が現れました。橋の上からは大自然・・・!!!

ずいぶん山深いとこにきたものだ

いつの間にか陽がさし、青空が見えてきました。

また午後から雨予報だけど、今はどうかこのままで・・・

天国と地獄の入口

ガードレールが一部だけ空いている場所に辿り着きます。

どうやらここから入るようです。昨日遊歩道の入口でも見かけた愛らしい白い花が群生しています。まるで天国への入口のよう・・・。

「シャガ」という植物。たぶん

と思ったら、今度はまるで地獄への案内人のような得体の知れない花が、道標のごとく行く先々に咲いています・・・。

「マムシグサ」。名前からしておどろおどろしい・・・。その名の通り毒を持っているそうです

この先に待ってるのは天国?それとも地獄・・・??

木々に囲まれた道

マムシグサに案内されるまま進んでいくと、鬼の洗濯岩のような濡れたギザギザ坂道が現れます。いい加減な靴だと滑ってしまいそう・・・。

なかなかの傾斜

横から見ると地面に一枚のギザギザの岩(コンクリート?)が乗っかっている感じ。

土砂降りとかだったら降りるの無理だったかも

無事降りることができてホッと一安心。顔を上げると目の前には土砂崩れ後のような荒れた風景が広がっています。

くるりと振り返るとひらけた空間に野晒し状態のお堂が。こんな状態ではありますが、どうやらちゃんと管理している人がいるもよう。長方形に崖をくり抜かれた穴には掃除道具が入っています。

崩壊しているのか屋根にはシートが被されています

中には仏像様がいらっしゃいました。建物や仏像も比較的新しいもののように見えます。

お邪魔します

でも、目指している場所はここではないみたい・・・。どこにあるのだろう?さっきから建物の背後から水が流れ落ちる音が聞こえてきて気になっていました。

おや?

この隙間、あやしいぞ・・・???

籠目権現

建物と崖の隙間を進んでいくと・・・

隙間の崖にも小さな石仏

通り抜けた先に現れた小さな滝・・・!まさかこんな空間が広がっていたなんてーーーーー!!!

綺麗な水

見上げると崖上に石仏がいくつか置かれているのが見えました。

細い木の枝に取り付けられた心許ないロープ・・・。まさかのプチ鎖場の登場です。

土砂降りだったらマジEND

足の踏み場を確認しながらよじ登っていきます(体重預けるの不安すぎたよ・・・涙)。登った先に現れたのは素朴な石仏たち。

わたしがわかるのは炎をしょった不動明王くらいです

これらの石仏の中で一風変わった様相のお方がいらっしゃいます。

中央の崖の隙間に嵌め込まれた祠

左下にいらっしゃるお方!

このお方にはるばる会いにきたのよーーー!!!

凛としたまなざし

剣を持ち、甲冑を着たまるで西洋の兵士のようなお姿。その背後の祠には十字架を表しているかのような細工が見て取れます。

石像の凛々しいお姿は、翼こそはありませんがまるで大天使ミカエルのよう・・・(天草のウマンテラさまの例もあります)。

実際にこの場所が潜伏キリシタンの信仰の場であったかは資料がないため不明。まるでその存在を隠すかのように建っているお堂も、いつから建っているのかもわたしは知りません。ただ、この周辺でもキリシタンが捕まったという事実はあるそうです。

新たな訪問者

やっと会えたことに喜び、夢中でシャッターを切っていると下の方からガサゴソと物音が。

ビクッとして振り向くとなんと!この場に似つかわしくない都会的な格好をしたひとりの男性の姿が・・!!!

手にはビデオカメラ

まさかのまさか!

秋田の某田舎で鬼コを見にきた青年とバッタリ遭遇した時同様、自分と同じ目的でやってきた殿方との偶然のご対面です・・・!!

▼▼▼その時の記事はこちら

いやぁー、吃驚ですね。こんな山奥に同じタイミングで遭遇するとは。しかし・・

やばい・・・また思う存分写真撮れない・・・。

好きに撮ってくださいとは言ってくれたものの、そういうわけにもいかず・・・。写真を撮り始めてほんの数分でしたが、バタバタと撮り終え再び鎖をつたって下界へ。キリシタンへの想いを馳せる余裕もなかったな・・・。

行きはよいよい帰りはこわい

なんでも仕事兼、趣味で東京から来ているとのこと(映像関係の仕事なのかな?)。もうこれは譲るしかありません。わたしは九州に住んでるからね!またくればいいんだし!!でもバスではもう無理かも。だれかわたしを車で運んで・・・

登ってるところを撮らせてもらう

せっかくだからわたしが登っている写真撮ってもらえばよかったな。惜しいことをしたぜ!

あわよくば帰りに車で城下町まで連れてってくれないかな・・・なーんて邪な考えがチラッと過りましたが、わたしにはまだ行きたい場所があるのです。

入口にまた戻ってきました

もう!足が!!痛い!!!

けれど帰りのバスの時間までまだたっぷりある。バス停からどんどん離れちゃうけれど・・・

がんばって!歩くぞ・・・!!!

■参考文献 『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑩竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑧竹田キリシタンを巡る旅【雨上がりの城下町】

目覚ましが鳴るよりも1時間ほど早く目が覚めました。カーテンを開けると外はどしゃぶりの雨・・・。

朝の6時過ぎでした

天気予報を確認するとどうやら今の時間帯が一番酷いらしい。その後は曇り、降っても1mm程度の雨予報。前確認した時よりもだいぶよくなってる!神様が味方してくれているようです。

CONTENTS

朝食

2度寝しないならスチャッと早めに起きて準備すればいいのに、布団の中でスマホ(ついったとかついったとかついったとか)をだらだら弄んでしまうからいけません・・・。

そうこうしているうちにあっという間に目覚ましが鳴りました。身支度を整えリビングへ。昨日宿のパン屋さんで購入したあれやこれやで朝ごはんです。もちろん湧水もいただくよー。

さぁて、どれを食べようか

宿泊客の2人組が食事しにやってきたのでちょっとだけ雑談。こういうお宿では、はじめましてな旅人たちとの何気ない会話がうれしいね。大大大の人見知りではあるけれど、フィーリングが合えばとっても楽しくお話しできるのだ。

竹田と登山

なんと2人は和歌山県からはるばる登山しにきたんだって!宿のご主人から聞いた話では、なんでも竹田は日本百名山に選ばれている3つの山に囲まれていて(山の名前ははわからぬ・・・)、1度に3つの山を制覇するのにちょうどいい位置にある竹田に泊まる登山客が多いらしい。なるほどねー!2人もやっぱりその3つの山に登るためにこちらの宿を選んだとのことでした。

そんなわけで、登山したい方もこちらの宿をオススメします!!(もはや宿のまわし者と化している)

朝の城下町

旅先での一期一会の出会いをたのしみつつ、いよいよキリシタンを巡る旅2日目の開始です。

外にでると・・・雨!止んでる・・・!!!

日頃の行いがいいから出かける時には雨が止みます(たわごと)

気持ちのいい朝。雨の上がった城下町を歩きます。

いい感じの持ち送り

雨が降った後の植物が好き

城下町の風情ある街並みに胸トキメキ。

右の路地がわたしを呼んでいる・・・

するする路地に吸い込まれていきます。

竹田のトンネルと山藤はセットなのかもしれない

廉太郎トンネル

現れたのは瀧廉太郎トンネル。トンネルを通ると瀧廉太郎のメロディーが流れるという仕組み。なんだか可笑しくて何度も往復したくなります。

本来のトンネルの名前は「溝川トンネル」。明治中期頃に掘られた素掘りのトンネルを、昭和62年にメロディートンネルとして改修して現在の形になったとのこと。

解説

禁教令が廃止されて18年後の1891年。瀧廉太郎は12歳〜14歳の時に竹田で過ごし、その家屋が現在では記念館として公開されています。このトンネルの先にあるのですが・・・もちろん時間が足りなくて行けません・・・涙涙涙

案内の看板とおもしろい形のミラー

クリスチャンだった瀧廉太郎

実は、上京した瀧廉太郎は洗礼を受け、キリスト教徒となります(竹田での滞在が影響したのかは不明。元々幼少の頃から身近に熱心なクリスチャンがいて讃美歌も歌っていたらしい)。

なーんと彼が作曲した有名な「荒城の月」は、後にベルギーのシュヴトーニュ修道院で編曲され「ケルヴィム讃歌」という讃美歌として歌われているんだって!

気になったのでYouTubeでさがしてみました。まずは本家の「荒城の月」。聞き馴染みのあるメロディーです。

www.youtube.com

そしてこちらが「ケルヴィム讃歌」。

www.youtube.com

う、美しい〜!教会で歌われていても違和感ない。むしろこっちの方が好き・・・。

なぜ讃美歌として歌われるようになったかは以下のサイトに詳しく書かれていました。興味深し。

『荒城の月』とヘルフィム賛歌 - 西戸崎キリスト教会 キリスト教会 西戸崎バプテスト教会 szch szch.jimdo.com

竹田市歴史文化館・由学館

お次は竹田市歴史文化館・由学館へ。

なにやら綺麗でオシャンね・・・!?

館内

と思ったらなんと隈研吾の設計。館内の写真を撮っていいかスタッフに訊ねると、展示品ではなく全体を撮るのであればOKとのこと。きっと建築目当てで訪れる人も多いんだろうなぁー。

窓から見える植物も美しかったです

で?隈研吾の建築を見にきたのでなければYOUは何しにここへ・・・?

そう、ここには竹田キリシタンにまつわる最大の謎、サンチャゴの鐘が展示されているのです・・・!!!!!見れてうれしい。サンチャゴの鐘についてはまた後のブログで取り上げますのでしばしお待ちを・・・。

実はこの場所にいたのはほんの2、30分ほど。今回は残念ながら館内の岡城ガイダンスセンターをちょろっと見ただけでした。なぜなら時間が!ないからだ・・・!!(毎度おなじみ)

城下町としばしの別れ

なぜそんなに急いでいるかというと、昨日に引き続き今度はバスに乗って城下町を抜け出し、郊外へと飛び立つからであります・・・!!ゆっくり城下町散策なんてできやしないよー。

バス停に向かっていると、武家屋敷通りに繋がる「歴史の道」の入口がありました。

のぼりたいけど我慢

歴史の道の入口を通り過ぎたあたりにバス停発見。

バス停

歩いてきた道を振り返ると・・・

キリスト看板!!!

キリスト看板を見つけると上がりますよね?(共感者求む)

バスを待っているとポツリポツリと再び雨が・・・。お願いだから降らないで・・・!!少し遅れてやってきたバスに乗り込り込み、目的地に着くまでに雨が止むことを願うのでした。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑨竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑦竹田キリシタンを巡る旅【古民家のホステル】

早朝からみっちり動き回って疲労困憊!そろそろ今朝荷物を預けたお宿へ・・・。

CONTENTS

城下町の街並み

お宿へと向かう途中、ちらほら素敵な建物に遭遇します。

こちらは洋風の建物。おでこの装飾と「谷」の木製フォントが素敵!

大好物

シックな黒漆喰(?)の壁の年季の入った商店も。

瓢箪型の看板も良き

今回は時間が限られたキリシタン旅。ゆっくり街を散策できなかったけど、ちょっと歩くだけでこんな風に出会えるのだから、きっともっと楽しい通りが隠れているに違いない。

いい感じのホルモン屋さんもありました。こんな味のあるお店にふらっと入って一杯やりたい人生だった・・・。

ひとり旅はできても、こういうお店に一人で入り切れないチキン

竹田の街をてくてくてく。

豆タイルと綿帽子

食彩 さきち屋

夕暮れ時にお宿へと到着。その頃にはもうくたくたで一歩も外に出たくない気持ちに・・・。最初は近くの温泉に行くつもりだったけれど、いよいよ雨も降り出してきたことだしお宿に引き篭もることを決意。宿に着いて早々テイクアウトできるお店を教えてもらい夜ごはんの調達です。

一歩も歩きたくないわたしの思いを知ってか知らずか、教えてくれたのは宿から歩いてほんの1分ほどの距離にある「食彩 さきち屋」さん。

おふくろの味的な最高の惣菜屋さん!その場にあるおかずでお弁当も詰めてもらえます。とっても人気で夕方頃にはあっという間に売り切れてしまうらしい。わたしはなんとかギリギリ間に合い、お弁当を作ってもらうことができました。よかったー!竹田には他にも色々と美味しいお食事処があるみたいなので、次行く時はいろいろ食べ歩きたいなぁ。

さて、夕食をいただく前に、本日宿泊するお宿をどうぞ召し上がれ〜!!

たけた駅前ホステルcue

外観

あぁ、もう大好きすぎますよね・・・。※撮影時間はまちまちです

前から、斜め前から、斜め後ろから。どこから見ても美味しい

築80年以上の古民家を改装したホステル。ちゃんと古さを残しつつ改修していて、もう宿のご夫婦含めて大好きだった・・・。

正面の扉から入ると、お宿の方が経営しているパン屋さんとカフェあります。

かどぱん。いい感じに色褪せた藍色の暖簾

パン屋とカフェの奥が宿泊施設になっていて、正面からも入ることができますが、宿泊者専用の出入り口も建物側面にありました。

ガラガラガラーっと扉を開くと当時のままの豆タイルがお出迎え。らぶ!

1F

ショップ

中に上がるとまずショップスペースがあります。オリジナルデザインの手拭いや、古い食器なども売られていました。奥様が古物商の免許を持っているようで、建物のあちこちに古道具があるのもわたし好みで嬉しかった!

県外のいい雰囲気のドミトリーのパンフ等も色々あって気になった

姫だるまのメッセージカード

金魚鉢かわいい〜
中庭

建物の中央には小さな中庭があります。

丸窓
お風呂場・トイレ

お風呂はシャワーのみ。お風呂でゆっくり疲れを癒したいお方は温泉に行くのがオススメです。割引の温泉券もお宿で販売してるとのこと。トイレは2階になくて、1階に2箇所あります。窓には昔ながらのネジネジ鍵でした。

なんて書いてる?
リビングスペース

とっっっても落ち着く空間で大好きだった。まるでおばあちゃんちにいるような感覚。やっぱり畳にコタツ最高だよねぇ(えーっと、たぶん掘りごたつだったと思うけど・・・どうだったけ?忘却)。キッチンもあるので自炊することもできます。

こちらにも湧水のサービスがありました。うれしいね!

2F

2Fは宿泊スペースになっていて、ドミトリーや個室があります。

中庭を上から

雨が降っていなければベランダでのんびりできるスペースも

熊本でいう「くまもん」と同じくらいどこにでもいる「姫だるま」
部屋

今回わたしが泊まるのは「蒼」のお部屋(個室)。

 

めちゃくちゃおしゃれで素敵ーーー!!!

とっても気に入ってしまいました。

ただし、やはりこちらのお家も前日に泊まったお宿と同じく耳栓必須。騒音が苦手なお方は洗面所に置いてある耳栓(100円)を購入しましょう(わたしは旅の7つ道具として必ず持ってきている)。

夕食

室内での飲食は禁止されているため、お弁当は共用スペースでいただきます。

惣菜屋さんのお弁当

え、めちゃくちゃ美味しいじゃん・・・!!!こんなお弁当屋さん家の近くにほしいよ〜。

ごはんを食べていると、ちょうど他の宿泊者がチェックインしているところに遭遇。聞き耳を立てていると、ご主人が相手が求めるものに合わせて色々と案内していて、その引き出しの多さに感動。竹田観光のコンシェルジュだわ・・・!!ディープな観光案内を求める方はこちらに宿泊することをオススメします。

ウェルカムドリンク

宿泊者にはウェルカムドリンクを1杯(半分の量)いただけます。うれしいね!

かぼすハイボール。わたしは柑橘を求めていたんだ・・・(疲れにはクエン酸よ!)

話上手なご主人が気さくに話しかけてくれました。竹田についてとても詳しいからてっきり地元の方なのかと思ったら、なんと地域おこし協力隊で関東から移住してきたとのこと。あちこち旅するようになってから地域おこし協力隊の方に出会う機会がほんとに多い。みなさん立派な考えを持ってて尊敬します!

ネットにない竹田キリシタン情報を知っているのも、研究者がよく泊まりにくるからその時に情報をもらうそうです。めちゃくちゃいい環境ね!また竹田に遊びに行く際には、ここで聞き込みしたいと思います笑

Relay Diary

蒼い部屋へと戻り色々と明日の準備をすませ、最後にこの部屋にしか泊まった人しか書けない&読めない日記帳を取り出します。普段なら書かないけれど、今回はなんだか書きたい気分。感謝の気持ちをしたためます。

蒼の部屋の主だけが読めるノート

朝から夜までずーーーっとホームランを打っているような1日でした。耳栓越しに優しく音を立てる雨音を聞きながら、ゆるやかに眠りへと落ちていくのでありました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑧竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑥竹田キリシタンを巡る旅【稲荷神社とキリシタン洞窟礼拝堂】

歴史が刻まれた細道を無事脱出できたのは16時過ぎ。暗くなるにはまだ時間があります。宿に戻る前に、もう少しだけキリシタンの痕跡を巡ることにします。

山茶花がぽてぽてと落下する坂道をくだる

CONTENTS

九戸稲荷

坂道を降りトンネルを抜けた先にそれはありました。

小さな階段を登ります

岩壁が五角形にくり抜かれた洞窟に祀られている久戸稲荷。

植物の葉や木の根で覆われています

土地の所有者によると、この洞窟が稲荷神社になったのはほんの十数年前とのこと。その前は何に使用されていたのかは不明らしいです。五角形洞窟頭上にある小さな窪みには、小さな十字架がはめ込まれています。

白い十字架

十字架自体は比較的最近取り付けられたもののようですが、この稲荷神社の洞窟も本来はキリシタンの礼拝洞窟として使用されていたのではないかと言われています。

実は、竹田市には同じような稲荷神社や用途不明の洞窟がとても多く、防空壕だったとも言われますが洞窟自体は戦前に作られたもの。なんとその数は城下町内だけでも軽く100を超えるそうです。

INARI(INRI)=稲荷

竹田に稲荷神社が出来始めたのは、禁教令が発令された直後から。キリストの磔刑で十字架の上に掲げられた罪状書きの「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM(ラテン語)」(「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意)の頭文字であるINRI。それにAを加えて「INARI=稲荷」とし、稲荷神社を隠れ蓑にして潜伏キリシタンたちは信仰を続けていたのではないか・・・。そう地元では伝えられているそうです。

鹿児島の某教会のキリスト磔の絵。頭上には「INRI」の文字(竹田とはまったく関係ないけど自分で撮った写真でこれくらいしかなかった・・・)

禁教令から5年後の元和3(1617)年に外国人宣教師によって書かれた手紙には、竹田地方では宣教師たちが山中の洞窟を転々としながら布教活動を行う様子が綴られているそうです。この九戸稲荷その洞窟のひとつだった可能性があると思うと震えます・・・!

九戸谷旧隧道

竹田は阿蘇山の噴火によって堆積した溶結凝灰岩の上に形成された町。溶結凝灰岩は比較的柔らかく加工しやすいため、竹田では最先端の石工技術が発展しました。カマボコ町と言われるほどトンネルが多いことや、周辺に磨崖仏が多いことにも納得です。

九戸稲荷のすぐ横にも、明治初期に掘られた隧道跡が残っていました。

草が茂っていてスムーズに前に進めない・・・。

f:id:salomery:20230622102528j:image

近づけてここまで。中に入る勇気は出ませんでした・・・(いや、それが正解。たぶん入っちゃだめ)

解説板

幕藩時代の竹田は、岡城と連なる断崖に囲まれており、さながら天然の要塞。町に入るには稲葉川沿いの細道と、道を横切る厳しい坂道を利用するしかありませんでした。

明治になって近代産業化のために多量の物資を運搬することが必要になり、数年間のうちに12箇所の隧道が掘られます。その中で唯一残る九戸谷隧道は、ツルハシとノミと火薬によって掘られた明治初期の掘削技術を知ることができる貴重な隧道のようです。(解説板より要約)

中の様子は真っ暗で、遠目ではその掘り跡を実際に見たり触ってみることはできませんでした。みみずトンネルですら古いと思ったのに、竹田に残る最も古い手掘りのトンネルに偶然遭遇することができてよかったです。

キリシタン洞窟礼拝堂(殿町洞窟礼拝堂)

先ほど訪れた九戸稲荷は、禁教時代に礼拝堂であったと証明されているわけではありません。ですが、これから訪れるのは正真正銘のキリシタン洞窟礼拝堂。武家屋敷通りの裏山にあり、作られた正確な年代は不明ですが、江戸時代の初め頃には存在していたと思われます。

近くには稲荷神社もあります

看板に案内されるまま奥へ奥へと進むと、木々に囲まれた岩壁に掘られた五角形の洞窟が見えました。この洞窟が発見されたのは昭和28年頃。当時は人が近づけないほど竹が密生していたそうです。

礼拝堂へと続く階段

中央の扉からは宣教師が入り、左右は信者が入る扉で男女別れていたとのこと

中に入ることはできませんが、洞窟内には祭壇があり、昭和30年代までは金色に輝いていたそうです。その上部には十字架が浮き彫りにされ、祭壇にはマリア像が置かれていたと伝えられています。

『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)より

解説板

岡藩の家老である古田重治が所有した土地ともいわれるこのキリシタン洞窟礼拝堂には、禁教下の元和年間(1617〜1620年頃の間)に外国人宣教師が隠れ住んでいたそうです。

三つの特徴

殿町洞窟礼拝堂には三つの特徴があります。

①祭壇をもつ五角形洞窟

②集会所のような大人数を収容できる洞窟を併設

右には大きな洞窟。残念ながら立入禁止

③儀式(洗礼)に使用される湧き水がある

礼拝堂の下の方に湧き水がありました

美しい植物

この特徴の三つを兼ね備えた他の五角形洞窟も残されているそうです。

遊歩道

この場所にいるときは全くわからなかったのですが、ブログを書くにあたって写真や地図を見返していると重大なことに気付いてしまいました・・・。

よーーーーく見てください。上!上の方・・・!!!

!!!!!

もしかしてもしかしなくても!

ついさっきまでわたしが歩いていた道ですよね・・・???

竹林に囲まれた荒れ果てた道

もうびっくり!まさか自分が洞窟礼拝堂の真上を歩いていただなんて・・・。そういえば遊歩道の地図を見たときに不思議に思ったのですよ。

遊歩道の真ん中に「キリシタン礼拝堂」の絵と文字が書かれていますが、通ってきた道にはどう見ても礼拝堂はありそうになくて一体なんだろうと思っていたのです。まさか下にあるという意味だったとは・・・。

今度遊歩道を歩く時は礼拝堂を意識して歩くつもりです。下を覗いたら何かしら見えたりするのかしら。礼拝堂からも歩く人を確認することができるのかも知りたい!体が分裂すればいいのに・・・な・・・・(ひとり旅人の悩み)。

最後に

不思議なことに、当時1万5千人以上のキリシタンがいたともいわれる竹田の城下町に教会が建てられたという記録は残っていないそうです。石工技術が発達した竹田では、教会の代わりに洞窟礼拝堂が昔から多く作られていたから、教会をそれほど重要視していなかったのではないか?ちょっとだけそんな風に思いましたが、真相は謎のままです。

時計を見るとちょうど17時をまわった頃。今日はこの辺にしといてやるぜ。雨予報だったにも関わらず、幸運なことに傘をさすこともなく乗り切ることができました。ちょっと降られちゃったけどね!

■参考文献・サイト

『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)

大分県竹田市の文化財『キリシタン洞窟礼拝堂』。まちで大切にされていた隠れキリシタンの遺構

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑦竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

⑤竹田キリシタンを巡る旅【もうひとつの武家屋敷通りとキリシタン墓】

今から向かう場所もドミトリーのご夫婦に教えてもらった場所。午後からの旅程をまるっと変更して、わくわくしながらその場所へと向かいます。

CONTENTS

竹田市街地

街中を歩きながら、ちょっとだけ寄り道して「ゆうれいトンネル」。名前に惹かれて行ってはみたものの、こちらは手彫りではなく何の変哲もない小さなトンネル。でも名前の由来がとっても気になります・・・(やっぱり幽霊が出るとかそんな話・・・!??)

通り抜けはせずにUターン

日露戦争の英雄、広瀬武夫(初めて知った)を祀っているという広瀬神社も通り過ぎます。近くには記念館もあるようです。行きたかったけど、時間がないんだ・・・

左に立ってるのが広瀬さん

鳥居横の食堂も昭和感満載でいい味出してます。遠目で見るとまるでマトリョーシカのような姫だるまがズラリ。

豊後岡藩名物「はら太」も気になる

近くの塀には、与謝野晶子の歌が刻まれたかわいい絵もありました。

竹田市と与謝野晶子はどんな縁があるのかな?

広瀬神社を通り過ぎたあたりからそわそわそわ。左に曲がる道が見えてくるはず。見逃さないよう注意しながら進んでいくと・・・。

あ!きっとここだ!!!

もうひとつの武家屋敷通り

城下町の竹田市街地には武家屋敷通りが残っています。岡藩時代には13軒の武家屋敷が連なっていたそうです。が、実は今回訪れるのはそこではありません。なんと観光パンフレットには載っていないもうひとつの武家屋敷通りがあるというのです・・・!!

ここであってるのかな・・・?少し不安になりながら進んでいきます。

階段を登った先に、左と右に曲がる道がありました。どっちへ向かえば・・・??左を見ると神社が、右は・・・なんだか足を踏み入れてはいけないような不穏な雰囲気・・・。

雨粒をまとった可憐な花が咲いていました

意を決して右へと進むと、鉄の階段が現れ、その先には螺旋階段が見えました。

異界へと繋がる螺旋階段・・・?

そういえば螺旋階段を登ると言っていたわ・・・!

この道で間違いないと確信。雨にぬれた階段を足を滑らさないように恐る恐る登っていきます。

一番上まで到着!

すると目の前に不安しかない鬱蒼とした細道が現れました。

どきどきどき

いよいよ冒険のはじまりです・・・!!!

ここからが一般的な竹田市の「武家屋敷通り」とは異なるもうひとつの「武家屋敷通り」。この通りに住んでいたのは比較的位の高い武士で、下の武家屋敷通りには下級武士が住んでいたそうです(もっと位の高い武士は、岡城内に住んでいた)。岡藩の兵士たちはこの道を通り抜けて岡城へと向かったのですって。そんな道を今から通るのだと思うとなんだかドキドキするーーーーー!!!

竹を模したコンクリート製の手すり!?

地面に敷き詰められた枯葉を踏みしめながら、一歩一歩進んでいきます。道は荒れ果ててはいるものの、竹を模した手すりや階段、コンクリートで舗装されている道もありました。おそらく昭和の頃に遊歩道として整備されたものの、いつの間にか忘れ去られてそのまま放置されたのでしょう。

道の途中では手すりが崩壊していたり、竹が倒れて道をふさいでいる場所もちらほら・・・。

枯れた竹が倒れて通せんぼ

荒れた道を歩いていきます

まだ16時前ではあったものの、そもそもお天気が悪い上に、背の高い竹が空を隠して光を遮り薄暗く、人の気配もありません(むしろ人に会った方が怖い・・・人じゃないものにも・・・)。ただ不思議なのは、下界から生活音が聞こえてくること・・・。自分がどこにいるのかイマイチよく分からないのですが、たぶん小高い山の尾根を歩いていていると思われます。竹藪の隙間から下を覗くとかすかに街が見えました。

倒れた手すりと下界

誰もわたしが今ここを歩いているとは思わないだろうな・・・。こんなに近いのにまるで遠い。別々の世界に存在しているような不思議な感覚です。

どんどん進んでいきます

障害物を避けながら進んでいくと、新たな試練が・・・。下には岩があり、その上に覆い被さるように階段が設けられています。なんだか今にも壊れそうなんですけど・・・!!?

崖下に転がり落ちる自分の姿を考えないようにして一気に突き進みなんとかクリア!!えーっと、こんなアクロバティックな道を通るとはちっとも想像してなかったよ・・・??

ひやっとする道を通り抜けると、今度はアスファルト舗装された道に出ました。

どこまで続いているのかしら・・・・

この辺りになると下から聞こえていた生活音も聞こえなくなり、いつの間にか本当の静寂。耳に入ってくるのは木々の擦れる音と、鳥の鳴き声だけ・・・。

ふと、疑問が頭に浮かびます。

えーっと、この道って通り抜けできるんだっけ・・・???

わたくし話を聞いてもすぐ忘れてしまう残念な脳みその持ち主。もしかしたら説明してくれてたかもだけど、ちっとも思い出せないよ・・・。今まで歩いてきた荒れた道を再び戻るのも怖くて無理!もう覚悟を決めて前に進むしかない・・・!!

後戻りはできませぬ・・・!!!

たとえ足を踏み外し崖から転げ落ちて身動き取れなくなったとしても、きっとドミトリーのご夫婦がここにいると気付いて救出してくれるに違いない・・・!そう信じて突き進みます。まるで登山する前に誰かに自分の行き先を伝えておく人の心境(いや、ほんと人に行き先伝えておくことって大事)。

キリシタン墓

そしてついに目の前に現れたのは、お・は・か・・・!

お墓です・・・!!!

実は、ここにきたのはキリシタンのお墓を見るためでした(最近お墓ばかり行ってる気が・・・)。この辺りにあるお墓はすべてキリシタンのお墓だそうです。

そしてなんと!このお墓のどれかに十字が刻まれているというのです・・・!!

「お騒がせしてすみません・・・」お墓の主たちに心の中でお詫びしながらその十字を探します。こわい・・・。みつからない・・・。こわい・・・。みつからない・・・。

こっちのお墓は倒れてる

このテトリスみたいな石は何・・・?って近づいたら墓石でした(泣いちゃう)

なぜこんな状態に・・・

どーやっても見つからない・・・。しかしいつ雨が再び降り出すともしれない薄暗い夕暮れ前の時間によくここに行こうと思ったな自分・・・。

三日月岩を見に行った時に川沿いの屋根の上にもあった月と太陽の灯籠もありました。こちらはものすごく古そうです・・・。

太陽と月

実は旅の前にリサーチした時に「月と太陽と十字(!)が刻まれている灯籠が旧武家屋敷通りにある」という情報を入手していました(写真も見た)。旧武家屋敷通りというのはおそらくこの道のことだよね・・・?最初この灯籠を見た時それかと思ったんだけど十字がない・・・。

あ〝ーーーーー!!一体どこにあるのー!!!(心の中の絶叫)

いつここから出られるかもわからず、雨や暗くなるのも心配で、ヘタレな自分はもう諦めて先へ先へと進むことにしました・・・。

無念である

足早に進みながらふと道の左側に視線を移すと、遠くに墓石のようなものがあるのが見えました。

「あそこにもお墓があるけど、ちょっと遠いしなんだか怖いな・・・」

諦めモードだったわたしはすぐにそんな風に思い、そちらには向かわず先を急ぐことにします。荒れ果てた道を突き進んでいくと、今度は今までとはまた違った雰囲気の苔むした階段が現れました。

雰囲気満点

水に濡れ青々とした葉や苔のなんと美しいこと!テンション上がってわたしのカメラが火を吹きます。

なにかと大変だけど、雨の日でよかったと思う瞬間です

そして勘のいい方ならすでにお気づきでしょう・・・。

そう、ここにもカマボコ石ーーー!!!

今まで見てきたものとは規模が違う数のカマボコ石

最初の頃に歩いてきた遊歩道として舗装された道とは違い、きっとこの階段は江戸時代からさほど変わっていないのだろうなぁー。何百年も前に自分と同じように兵士たちがこの階段を歩いたのだと思うとなんだかドキドキしてきます。

おや?なんだか先が明るいような・・・???

ひとすじのひかり

出口だーーーーー!!!!!

出口のすぐ隣にも何か建物?門?がありました

殿町芝原線遊歩道

生きて帰ってこれたよーーーー(大袈裟)。

めちゃくちゃ安心しました。

出口には味わいのある手書きの地図が掲示されています。どうやらわたしが通ってきた道は真ん中の赤いラインの「殿町芝原線遊歩道」だったもよう。

右下が現在地で、広瀬神社隣の道が出口。正規ルートを逆走していたようです

いつの間にか相当高い場所まで登ってきていたようで、道路からは街を見下ろすことができました。

後日譚

なんとなんと、後でドミトリーのご夫婦にもらっていた地図を確認してみると、ちゃーんと十字の刻まれている墓石の場所をマッピングしてくれているではありませんか・・・!!!

ドミトリーでいただいたお手製の地図(一部)

衝撃の事実。わたしが行くのを諦めた左側遠くに見えた墓石がそれだったようです・・・。今朝説明されたことをほんときれいさっぱり忘れていたことがこの地図で証明されましたね。歩く前にちゃんとみておけばよかったね。このばかちん。

しかも、地図左上の丸で囲っている場所も見逃してる!兵士たちが休憩した見晴らしのいい場所があると教えてもらっていたのにーーー。緑に彩られたカマボコ石の階段に夢中になってすっかり忘れてしまったよ・・・。

もうこれはリベンジ決定です。岡城にいく時間も取れなかったし、今度は岡城→兵士が休憩した場所→キリシタン墓地の順番で巡りたい。でも、雨の夕方前じゃなくて、爽やかに晴れた日の早朝が・・・いいな・・・。

兵士たちが岡城まで通り抜けた道は、インドア人間にはなかなかハードな道筋でした。でも、歩いている時は怖がりながらもスリルを喜んでいる自分もいて、わたしってこんな人間だったんだなぁーと新しい発見もあって楽しかった。ま、命はかけたくありませんけどね!みなさまもここを訪れる際には、歩きやすい服装と靴、誰かに行き先を告げておくことをお勧めします・・・。

兵士たちが歩いた道に落ちていた山茶花

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑥竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

④竹田キリシタンを巡る旅【雨に濡れた月を愛でる】

天気予報ではすでに雨マークの時間帯であるにも関わらず、幸運なことに今のところ止んでいます。いつ降り出すかもしれない雨に怯えながらジョアンさんを出発!

CONTENS

鏡処刑場跡

数分自転車を走らせていると、道路沿いに小さな広場が現れます。少し窪んだ空間の中央では3本の石塔が静かに存在感を放っていました。

岡藩の鏡処刑場跡です。

ここでは明暦年間から安永年間の間に、44名のキリシタンが火あぶりや斬首によって処刑されました。その中には小さな子供もいたそうです。

雨の処刑場ほど寂しいものはありません

中央と右の石塔には「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」の文字が刻まれています。これらは処刑された人々の霊を慰めるために天明年間(1781~1789年)に建てられたもの。一番左の短い供養塔は水害によって破壊された一部で、元々は「南無阿弥陀仏」と書かれていたようです。

「無」(下半分)「阿」(上半分)の文字が見えます

キリシタンたちを悼むかのように、石の隙間からタンポポが咲いていました。

とても印象的でした

江戸時代の処刑は見せしめの意味があるため、人の往来が多く、なおかつ都心から離れている(野犬がきたり悪臭が起きるから)郊外に設置されることが多かったようです。ここもまさにそんな感じ。

きっと石塔があることすら気付かず、ただ車で通り過ぎる人も多いんだろうなぁ。怖いという印象はあまりなく、ひっそりとしていて、ただただ寂しい・・・。そんな場所でした。

予定変更

当初はこの後すぐにレンタサイクルを返却し、街中をうろつく予定でした。が!今朝荷物を預けたドミトリーでわたしは素晴らしく有益な情報を得てしまったのだ。予定は変更せざるを得ません・・・!

トンネルを抜け・・・

さらにもうひとつのトンネルを抜けると・・・(朝から何回目?)

どんよりとした空を映した灰色の川が現れました。

稲葉川

いよいよぽつりぽつりと降り出した雨が水面に波紋を描いています。

不思議な植物

三日月岩

小雨に打たれながら川沿いを進んでいくと、しっとりと濡れて輝く細い月が目の前に現れました。

中国の山水画のような世界

木々の隙間から顔を覗かせている崖に刻まれた月の名は「三日月岩」。

解説板

以下掲示板より抜粋。

岡城二の丸月見櫓の北側、清水門を下り谷が開けると稲葉川のせせらぎが聞こえてきます。三日月淵といわれる川の深みに音は吸い込まれ、川の浸蝕作用によって岸壁となった阿蘇溶結凝灰岩に大きな三日月が彫られています。(中略)阿蘇溶結凝灰岩に彫られた月は、新月になる前、二十六日目ぐらいの月である。(中略)月の中には、元禄十五年八月堀之 の文字と灯明皿を置くための四つの台を彫り込んであります。(中略)この三日月は、一年前に茶屋ができ、三日月淵が殿の水浴場であったことから、殿様の風流遊びのために彫られたものです。

三日月岩と呼ばれつつも、なんと実際に彫られているのは二十六夜の月なのですね(三日月とは逆の形)。この月は五代藩主の久通侯の風流遊びのため、元禄15(1702)年に彫られたもので、つまりは今から約321年も前からあるというのだから驚きです。

三日月岩と二十六夜の謎

なぜ三日月岩と呼ばれているのに、三日月ではなく二十六夜の月が彫られているのでしょうか?お殿様が二十六夜を彫れと言ったの?それとも三日月を彫るように言ったのに、彫った人が間違った??(そんなことってある???)

突然ですが、ここで質問です。

「二十六」という数字聞いて何か思い出しませんか?

二十六・・・ニジュウロク・・・にじゅうろく・・・・・

日本二十六聖人記念館のレリーフ(長崎市)

二十六聖人・・・!!!

そう、秀吉の命によって処刑された外国人宣教師含む二十六名のキリシタン。二十六夜の月はこの「日本二十六聖人」を意味しているのではないかというのです・・・。

今朝ドミトリーでこの話を教えてもらった瞬間、テンションが爆上がりしてしまいました。なぜならわたしがキリシタンに対して深く掘り下げるきっかけとなったのが、今年の2月に長崎で訪れた日本二十六聖人記念館だったからです。まさか今回の竹田旅で二十六聖人の言葉を耳にすることになるとは・・・。

潜伏下のキリシタンたちは、観音像をマリアに見立てたり等、カモフラージュしながら信仰を続けてきたことは以前話した通り。ただ、キリシタンを取り締まる側の岡藩のお殿様が二十六聖人のことを思って崖に二十六夜を刻むというのは、正直なところなかなか無理がある話のような気がします(もちろん解説板にも二十六聖人やキリシタンについての記述は一切ありません)。

また、江戸時代には「二十六夜待ち」という二十六夜の月を拝む月待行事もありました。竹田市の三日月岩(実際は二十六夜)も、この二十六夜待ちに関係しているのでは・・・?と思いきや、解説板にははっきりと以下のように記されています。

月を信仰の対象とし、また月の出を待つという月待の民間信仰があるが、まったく関係ありません。

す、すごい言い切ってるね?(動揺)じゃあ「二十六夜待ち」でも「三日月」でもない、「二十六夜」の月が意味するものとは・・・??

わかっていることは、三日月淵と呼ばれる場所の崖になぜか三日月ではなく二十六夜の月が彫られているという事実のみです。

あなたはどう思いますか?

竹田薪能

実はこちらの三日月岩。毎年10月に水上舞台が作られ、一夜限りの薪能が行われているそうなのです!!

www.youtube.com

以下公式サイトより抜粋。

大分県竹田市において、400年前岡藩城主のために行われていた能楽。岡藩藩主の楽しみであった能楽は町人たちにも親しまれ、竹田城下町は元禄の頃より謡の聞こえる文化的な町であり、今も「お謡」として地域に継承される能の文化があります。(中略)岡城藩主中川久通が元禄十五年に彫ったと記録がある三日月岩前に設置された水上能舞台と水面に映る三日月が描き出す幻想的世界。非日常の中で感じる幽玄の美の世界で、全国でも竹田薪能でしか見ることのできない水上能舞台をお楽しみください。

竹田薪能HP

あぁ!なんて風流なのぉぉぉーーーーー!!!(素敵すぎて気絶)

次にここを訪れる時はきっと薪能を見にくる時だろうなぁ・・・。そんな予感をひしひしと感じながら三日月岩を後にするのでした。

河岸に降りるための階段の形も面白かった。お天気のいい日はここに座ってのんびり二十六夜を眺めるのもいいね

自転車を走らせていると、川沿いに恵比寿様のお顔がはめ込まれた瓦と、月と太陽の石灯篭が連なる通りが現れます。

この太陽と月の石灯篭は全国各地のお寺や神社等で見ることができます

美しいツツジと階段が印象的なお寺さんもありました。

光雲寺

この通り沿いにはどうやら岡藩主中川家の墓所があるようです。

おそらくこの扉の向こう側

実はこの石灯籠の通りを自転車でいったりきたりしてるわたくし・・・。最後の最後に訪れたい場所があるのに、そこにたどり着くための道どうにも見つからないんだよーーーーー!!!

ひ、ひめだるま・・・。惑わしているのはお前か・・・?

地図を見ながら途方に暮れていると、帰宅途中の中学生たちの楽しそうな談笑が聞こえてきました。するとその少年たちがぜったいに普通なら曲がろうと思わない細道にするすると吸い込まれていくではありませんか・・・。

遠くに見える三人組の少年たち

山にでも続いていそうな細くてゆるやかな坂道・・・。まさかここじゃないだろうと選択肢から排除していた道でした。でも、確かに残る道はここしかないような・・・?少年たちに追い付かないように自転車を押しながら恐る恐る進むことに(ストーカーおばはん誕生)。こ、心細いよ・・・。そんな気持ちを慰めるかのように、後ろからも女子中学生たちのきゃっきゃする話し声が聞こえてきます。

すると!ついに!!

みみずトンネル

着いたよーーーーー!!!

少年たちがいなかったら辿り着けなかったよ

小さくて細くてまるでみみずのようなトンネル。中に入ると味わい深い手彫りのアーチ。そうそう、わたしはこういう素朴なトンネルが見たかったのよ・・・。

竹田市街地にいくには必ずトンネルを通り抜けなければならず、それゆえ「蓮根町」と呼ばれているそうです。確かに今日だけで何回トンネルを通り抜けたことか。なんだか隠れ里みたいでオラわくわくすっだ!

手彫りにトキメキ

アーチの額縁が雨できらめく新緑を切り取り、まるで極上の絵画のようでした。

美しい

トンネルを抜けると市役所が現れます。

向かいに見えるのが市役所

出入口はだいぶ鬱蒼としていてこわいけど、このトンネルがなければぐるっと遠回りしないといけないものね。だいぶショートカットです。地元の人しか通らないような道だったりするのかな?そんなトンネルを通ることができてとても嬉しい。

市役所側から見たトンネル。落石注意きょわい・・・

もうひとつの二十六夜

みみずトンネルを通り抜け、あとはレンタサイクルを返却しに豊後竹田駅へひとっとび!本降りの雨に降られることなく帰ることができてほっと一安心です。

さて、街中へと戻る前に、昨晩見かけた駅裏の月の謎を解きにゆきましょう・・・。

こちらが昨晩わたしが見た月↓

真ん中に見える月で、右に見えるのが滝。つまり、月がある場所も崖のはず

駅の隙間から崖を覗いてみると・・・。

月ぃぃぃーーーーーー!!!

こちらも先ほど見てきたあの三日月岩と同じく人工的に作られた月。ただし崖には彫られておらず、どうやら照明のようです。昨日はこれを本物の月と間違えて写真撮ってたんだねぇ。あほだなぁーーー。

新旧の月を見比べてみては?

これにてレンタサイクルでの旅は終了。時間はすでに15時過ぎ。つっつけば今にもどしゃっと降り出しそうなどんより雲。本格的に降り出す前に・・・真っ暗くなる前に・・・わしにはゆかねばならぬ場所があるのじゃ!休憩する暇などありません。自分に鞭打ちいざ出発・・・!!

と、再び心を奮い立たせ向かったは良いけれど、まさか最後の最後にあんな試練が待っていようとは思いもよらないのであった・・・・・

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑤竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

③竹田キリシタンを巡る旅【大庄屋屋敷で春を食す】

気づけば予定をすでに30分オーバー!

3、40分ほど余裕をもって予定を組んでいたけれど、えーっとつまり、もうギリギリ・・・?ってこと???

CONTENTS

爆走自転車、竹田をゆく

移動中に目移りして、あれもこれもと写真に収めたくなるからいけません・・・。

「後藤祐次郎先生碑」と書かれた石碑。検索しても何もわからず・・・

わたしには次向かう場所に遅れてはいけない理由がありました。なぜなら予約していたから!!ここから自転車で約1時間ほどの距離。なかなか遠いけど、時間ぴったりに到着する感じだからセーフかな??焦りながらもこの時はまだまだ余裕がありました。

なにやら雲行きがあやしい

もう立ち止まらず写真も撮らず!よそ見しないで向かうんだからね・・・っっっ。

と、言ってるそばから相変わらずの豆腐の意志。

両脇の手作りお地蔵さまかわゆい

何やら素敵な石橋が・・・!これは立ち止まらずにはいられないやつ。寄り道はきっとこれで最後だから・・・ね・・・?

通りたい・・・通りたい・・・・・

石橋と並行に架けられた新しい方の橋の上から撮影します。このまま進めばいいのだけれど、あの橋の上を通ってみたい・・・。そんな欲求に駆られ、どうせ進行方向が一緒なら・・・と、ちょっと遠回りして石橋へと向かいます。

「すみよしばし」と書かれています

1922(大正11)年竣工の住吉橋の下では、岩の間を水が勢いよく流れていて、思わずその様子をずっと眺めていたくなります。

真っ白な蛇のような水流

今はきっと渡る人も少ないであろう石橋を渡って大満足。再びペダルをこぎ始めるも・・・

真ん中の道を通りたい

再び豆腐(立ち止まって写真を撮るの意)。

だってだって、こんな景色に出会ったら立ち止まらずにはいられないでしょ・・・?

しめ縄がぐるり

背後の丘の上には神社のお社と思しき建物の影が見えました。さらに進むとやはり神社が。

実は神社よりもわたしの目に飛び込んできたのは・・・

!!!!!

ここここここれはーーーーー!!!

この不思議な形をした石。実は、今回の旅でとっても重要なものひとつだったりします。が、いかんせん今は時間がない!泣く泣くこの場を去ることに・・・。

去る、というのは嘘で、この神社の目の前にも最高に趣のある建物が建っており、懲りずに写真を撮りまくるのであった・・・。

大好き!大好きだよぉぉぉ

おまえたち、わたしを前に進ませない気かい・・・??

神社の前にあるということは、旅館だったりしたのかなぁ

血が流れそうなくらい後ろ髪を強く引っ張られながら、前へ、前へと進むのであります・・・

蔦に赤煉瓦の煙突!パーフェクト!!!

数々の誘惑に何度も負け続けながら走り続けます・・・

臨場感

え!もう自転車のバッテリーのランプが「空」になってるよ!!!

大ピンチ

ここで電動自転車がストップしたらもう街中に戻れる自信はありません。泣きながら自転車を押して坂を登る絶望的な姿が脳裏に浮かびました。嗚呼、まだまだ先は長いというのに・・・。

とりあえず猫に癒しを求めよう・・・(現実逃避)

お、おまえ・・・そんな顔で俺のこと見てたんか・・・??

まずは何が何でも予約してる場所へと辿り着かねばならぬ・・・!!!

現実に戻って再び自転車を走らせます。焦るあまり地図アプリを2度も見誤り同じ道を行ったり来たり・・・。

わたしはいったい今どこにいるの???

時計を見ると絶望的な「11時25分」の文字。予約した時間はその5分後でした・・・。

もう、もうだめだ・・・・・。

覚悟を決めて2〜30分ほど遅れることを電話で伝えます(人間失格)。もっと早く連絡すればよかったのに直前になってしまったのは、頑張れば間に合うと思ったからなんだ・・・(人間失格)。

連絡したことで多少は落ち着きを取り戻し、今度は地図を見間違えないように慎重に慎重に・・・。が、地図アプリに今は誰も通っていないような旧道を案内されるのであった。

落石注意だよぉぉぉーーーー

もう前に進むしかない・・・!!!

臨場感

するとここでまさかの史上最高のトラップ出現!!!

うぁぁぁぁーーーーーー

ま、まさかこんな素敵な光景が現れるなんて・・・(感動のあまり咽び泣き)

おーさまのみみはろばのみみーーーーーー

自然の穴なのか、それとも人の手によって掘られた穴なのだろうか。中には水が溜まっています。

水が湧いているような感じはしなかったけど、昔の人が水汲み場として利用していたとか?そして枯れてしまって使われなくなったとか??疑問がどんどん浮かんできます。

でも、ゆっくり思いを馳せる時間はわたしには残されていないんだ・・・。おそらくこの道を通るのは最初で最後。急いでたからどこをどう通ったのかぜんぜんわからない。記憶と数枚の写真に焼き付け、この場を去るのでありました。

思わぬものを見れた感動に打ち震えながら、荒れ果てた旧道を通り抜けます。

車が通った跡があるということは、まだここを利用する人がいるということか

それからは脇目をふらず目的地に向かって一直線!なぜならぽつぽつと降り始めていた雨が、だんだん本降りになってきたから・・・!!天気予報ではもっと遅い時間から降り出す予定だったのに・・・

もうすぐ、もうすぐ着くからがんばって・・・!!!

こういう古い素朴な石橋大好き

古びた石橋を通り抜け、ついに目的の地へと到着・・・!

Café Johane(慈世庵)

この先に素敵な場所が存在することを予感させる石垣と階段が待っていました。

階段を登った先に現れたのはCafé Johane(カフェ ジョアン)さん。

周囲をゆっくり観察する余裕もなく駆け足で玄関へ。約20分遅れて到着です。

玄関先の姫だるま

まずは出迎えてくれたおじさまに平謝り!うぅ、ほんとすみません・・・。今回のことで、次からは1時間余裕を持って工程を組もうと心に誓うのであった。人に迷惑かけない人間になれるよう頑張ります・・・(もうだいぶ大人ですが)。

さて、気を取り直しまして・・・。こちらが本日のランチ会場です。

そう、わたしは懐石ランチ(2,000円!)を予約していたのだ・・・!!

貧乏旅とはいいつつも、旅の中で1度くらいはは贅沢したい・・・。キリシタンを巡る旅だというのに、当の本人は本日も欲にまみれながら生きております。

では、さっそく七つの大罪のひとつである「暴食」を極めることといたしましょう・・・。全然関係ないけど大昔に1度だけ観たブラピの映画「セブン」が忘れられない。

贅沢!懐石ランチ

席に座ると次々にお皿が運ばれてきます。まずはこちらの三品から。きっとタイミングよく運ぶ段取りで作ってくれてたよね、ごめんなさい・・・。

お庭を眺めながらいただきます

がしかし、いつもならもうお腹が空いているはずなのに、自転車猛ダッシュ&焦りのせいかなんだかちょっと気持ち悪いような・・・??せっかくの贅沢懐石ランチを心ゆくまで楽しみたいのに・・・。無理せずゆっくり食べることにしよう・・・。

まずはお寿司をぱくり。

上に乗ってる黄色いのはなんだろう?

自家製甘酒もとっても美味しい。このやさしい甘酒で気持ちが落ち着いたのか、気持ち悪さが少しずつ消えていきます。

自家製甘酒

蓋を開けると・・・茶碗蒸し!大好物なのよーーーー!!!

お出汁がきいててとっても美味しかった

使われている食器もどれもとてもよかった。得に甘酒が入っているカップとソーサーは装飾も美しく、相当古いもののように感じました。なんでもお祖父様が集めたものとのこと。よい趣味してらっしゃる〜。

美しい器でいただく美味しい料理。とても豊かな気持ちになる

お次はこちらの三品。

アスパラとローストビーフ、フキとセリの白和え、筍の煮物

ほんとどれも美味しかった!どちらかというと今までは苦手だった白和えもフキとセリがいい香りでとても好きだったし、筍の煮物もやさしい味付けで体が喜んでいます。

そして一番感動したのは、春を感じるこちらの品々。

目の前に広がる春

吃驚したのが天ぷらの盛り合わせ。上にのっているのはツツジ・・・!!!

躑躅(つつじ)の漢字表記も好き

ツツジの天ぷらなんて初めて見たし初めて食べた。味は正直よくわからなかったけど(たぶん衣にしっかりと味がついていた?味音痴の分析)、その雅で可愛らしい食べ物に胸がキュンキュンしてしまいます。もちろん山菜と川魚、卵焼き(めずらしい)の天ぷらも美味。

ツクシとワラビの炊き込みご飯も大変美味しゅうございました。

山菜が美味しく感じるお年頃

実はつくし初めて食べたし、ネバネバして塩味のあるワラビも好きだった。付け合わせの甘い赤紫蘇のお漬物(もちろん自家製)も美味しかったよー。ボキャブラリーが貧困すぎて美味しいしか言えない・・・

これらの食材はほとんどこの辺りで採れたものとのこと。どの料理も手間をかけて丁寧に作っていることが感じられて、お腹だけではなく心も満たされるようでした。

実はもうお腹いっぱい!美味しいのに胃袋がついていかない悲しみ・・・。胃袋が悲鳴をあげている中、一番最後に出てきたのが・・・

豆乳のおしるこ!!!!!

大粒の立派な小豆がこんにちはしているよ

何を隠そう小さい頃からわたしは根っからの小豆ぎらい・・・。小学校の給食でおしるこが出てきた時には食べることができず最後まで居残ってた記憶。

まさか最高のお食事の最後に、このような試練が待っていようとは。嗚呼、神様。これは遅刻したわたしへの罰ですか・・・?

もちろんせっかくのお料理を残すことなどできません。

飲み込むしかない・・・

意を決してまずはひとすくいおそるおそる口の中に運びます。あれ?あれあれ・・・??わたし・・・小豆食べれるようになってる!??思ったよりもぜんぜん平気で、満腹になりながらも完食してしまいました。よかったー!

さて、1度に2度も3度も美味しいものを求めがちな貪欲なわたくし。こちらを訪れたのは贅沢ランチをいただくためだけではなく、実はもうひとつ大事な理由がありました。

大庄屋(おおじょうや) 大津家

カフェを営むのは、大庄屋(昔の町長、市長の役割)であった大津家十六代目のご当主。現在のお屋敷は、1653年に岡藩3代目中川久清が建てた約370年もの長い歴史をもつ建物です。

室内に飾られていた昔のお屋敷の写真。当時は茅葺き屋根だったんだね

今回の旅の目的は「キリシタン」。そう、なんとこちらのご主人の祖先はキリシタンだったというのです。その信仰心は、大津家の立派なキリシタン墓や、十字があしらわれた家紋にも表されています。十字家紋はお屋敷の屋根瓦にもあるのですが、確認するのを忘れてしまいましたよね・・・。

ご主人にキリシタンに興味があって訪れたことを伝えると、いくつか資料や古写真を取り出して見せてくださいました。ありがたや・・・。

以下の資料は禁教下の1620年度の日本年報(布教のため来日したイエズス会士によって毎年作成された報告書)。そこには禁教下で宣教師を宿泊させた庄屋、ジョアン・ディエゴ(洗礼名)について書かれています。

見せてもらった資料の一部。ブレてる・・・

「Café Johane(カフェ ジョアン)」は、その庄屋というのが大津家であったのではないか・・・という思いからつけられたそうです。

いろいろな興味深いお話を伺いながら、ふと外を見るといつの間にか雨は止んでいました。市街地へ戻るチャンスは今しかありません。ゆっくりとお話を伺いたいところですが、そろそろお暇することに・・・。

四国八十八箇所巡りもできる

ちなみにジョアンさんでは、四国八十八箇所を一度に巡ることができます。

たくさん敷き詰められた小石の上には木の板が

壁にはたくさんの掛け軸が掛けられています。そしてその部屋の一角にあるのが一枚の木の板。下には各寺院の石が敷き詰められているそうです。つまりこの上を歩けば八十八ヶ所のお寺さんを巡ったことになるという!なんともお手軽な仕組み!!

めんどくさがりのわたしにぴったり

しかしわたくし、なんと歩きそびれてしまいました・・・。また再訪しなさいということなのでしょうね・・・。

お見送りしてくれるご夫婦に別れを告げて外にでます。

豊かな自然に囲まれたお屋敷

カマボコ石

敷地内の階段を少し登り、庄屋屋敷を眺めてから何気なく下に目を向けると・・・

こ、ここここここれは!

カマボコ石・・・!!!

カマボコ石とは竹田市内にある岡城跡の入口にもみられる、その名の通りカマボコ型の石。岡城はまるでヨーロッパの古城のようといわれることも多く、このカマボコ石はヨーロッパのクリスチャンの墓石と酷似していることからキリシタンに関係しているのではないかとも言われています。

つい先日、NHKの番組「歴史探偵」の島原の乱の特集で、このカマボコ石型のキリシタン墓碑が紹介されていました

ジョアンさんに向かう途中の神社にもありましたね・・・。

え?もしかしてほんとにキリシタン墓碑だったりする?

どうやら岡城だけでなく、竹田市内のあちこちに存在しているのかも・・・。こちらの神社にもぜひ再訪してお参りしたいです。

大津家のキリシタン洞窟

カマボコ石だけではなく、なんと敷地内にはキリシタン(外国人宣教師であったのではないかとも)を匿っていたといわれる洞窟も残されています。

洞窟は三つ

江戸時代初期に作られたという三つの洞窟のうち、一番右のほぼ五角形の洞窟内には祭壇のようなものがあります。

祭壇らしきもの

向かって一番左端の洞窟は汲み取り色のトイレとのこと。ほんとにここに人が住んでいたんだね・・・!?

 

庄屋といえば藩主の宿泊所でもあり、当時キリシタンの踏み絵も行われた場所。そのような危険な場所にキリシタン洞窟があることも、藩ぐるみでキリシタンを匿ったのではないかといわれる理由のひとつになっているようです。

ここからそう遠くない場所(歩いて20分くらいとおっしゃていた)にも、五角形に彫られたキリシタン礼拝堂が残されています。キリシタンへの弾圧が強くなるにつれ、もっと奥へと移動することになったとのこと。そこにも行きたかったけど、今回は雨の心配もあったので深追いせず・・・。

階段を登った左奥がキリシタン洞窟、右へ曲がるとお屋敷があります

ジョアンさん、とてもよかった!色々と取りこぼしたものがあるので再訪を心に誓うのでありました。また美味しい懐石料理も食べたいな。

■Café Johane(慈世庵)

 〒878-0001 大分県竹田市植木728 食事処おおつ (竹田ICから2分) 

TEL:0974-62-3914 営業時間:10:00 ~ 15:30 休業日:月、火

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

④竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎