彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

⑥竹田キリシタンを巡る旅【稲荷神社とキリシタン洞窟礼拝堂】

歴史が刻まれた細道を無事脱出できたのは16時過ぎ。暗くなるにはまだ時間があります。宿に戻る前に、もう少しだけキリシタンの痕跡を巡ることにします。

山茶花がぽてぽてと落下する坂道をくだる

CONTENTS

九戸稲荷

坂道を降りトンネルを抜けた先にそれはありました。

小さな階段を登ります

岩壁が五角形にくり抜かれた洞窟に祀られている久戸稲荷。

植物の葉や木の根で覆われています

土地の所有者によると、この洞窟が稲荷神社になったのはほんの十数年前とのこと。その前は何に使用されていたのかは不明らしいです。五角形洞窟頭上にある小さな窪みには、小さな十字架がはめ込まれています。

白い十字架

十字架自体は比較的最近取り付けられたもののようですが、この稲荷神社の洞窟も本来はキリシタンの礼拝洞窟として使用されていたのではないかと言われています。

実は、竹田市には同じような稲荷神社や用途不明の洞窟がとても多く、防空壕だったとも言われますが洞窟自体は戦前に作られたもの。なんとその数は城下町内だけでも軽く100を超えるそうです。

INARI(INRI)=稲荷

竹田に稲荷神社が出来始めたのは、禁教令が発令された直後から。キリストの磔刑で十字架の上に掲げられた罪状書きの「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM(ラテン語)」(「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意)の頭文字であるINRI。それにAを加えて「INARI=稲荷」とし、稲荷神社を隠れ蓑にして潜伏キリシタンたちは信仰を続けていたのではないか・・・。そう地元では伝えられているそうです。

鹿児島の某教会のキリスト磔の絵。頭上には「INRI」の文字(竹田とはまったく関係ないけど自分で撮った写真でこれくらいしかなかった・・・)

禁教令から5年後の元和3(1617)年に外国人宣教師によって書かれた手紙には、竹田地方では宣教師たちが山中の洞窟を転々としながら布教活動を行う様子が綴られているそうです。この九戸稲荷その洞窟のひとつだった可能性があると思うと震えます・・・!

九戸谷旧隧道

竹田は阿蘇山の噴火によって堆積した溶結凝灰岩の上に形成された町。溶結凝灰岩は比較的柔らかく加工しやすいため、竹田では最先端の石工技術が発展しました。カマボコ町と言われるほどトンネルが多いことや、周辺に磨崖仏が多いことにも納得です。

九戸稲荷のすぐ横にも、明治初期に掘られた隧道跡が残っていました。

草が茂っていてスムーズに前に進めない・・・。

f:id:salomery:20230622102528j:image

近づけてここまで。中に入る勇気は出ませんでした・・・(いや、それが正解。たぶん入っちゃだめ)

解説板

幕藩時代の竹田は、岡城と連なる断崖に囲まれており、さながら天然の要塞。町に入るには稲葉川沿いの細道と、道を横切る厳しい坂道を利用するしかありませんでした。

明治になって近代産業化のために多量の物資を運搬することが必要になり、数年間のうちに12箇所の隧道が掘られます。その中で唯一残る九戸谷隧道は、ツルハシとノミと火薬によって掘られた明治初期の掘削技術を知ることができる貴重な隧道のようです。(解説板より要約)

中の様子は真っ暗で、遠目ではその掘り跡を実際に見たり触ってみることはできませんでした。みみずトンネルですら古いと思ったのに、竹田に残る最も古い手掘りのトンネルに偶然遭遇することができてよかったです。

キリシタン洞窟礼拝堂(殿町洞窟礼拝堂)

先ほど訪れた九戸稲荷は、禁教時代に礼拝堂であったと証明されているわけではありません。ですが、これから訪れるのは正真正銘のキリシタン洞窟礼拝堂。武家屋敷通りの裏山にあり、作られた正確な年代は不明ですが、江戸時代の初め頃には存在していたと思われます。

近くには稲荷神社もあります

看板に案内されるまま奥へ奥へと進むと、木々に囲まれた岩壁に掘られた五角形の洞窟が見えました。この洞窟が発見されたのは昭和28年頃。当時は人が近づけないほど竹が密生していたそうです。

礼拝堂へと続く階段

中央の扉からは宣教師が入り、左右は信者が入る扉で男女別れていたとのこと

中に入ることはできませんが、洞窟内には祭壇があり、昭和30年代までは金色に輝いていたそうです。その上部には十字架が浮き彫りにされ、祭壇にはマリア像が置かれていたと伝えられています。

『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)より

解説板

岡藩の家老である古田重治が所有した土地ともいわれるこのキリシタン洞窟礼拝堂には、禁教下の元和年間(1617〜1620年頃の間)に外国人宣教師が隠れ住んでいたそうです。

三つの特徴

殿町洞窟礼拝堂には三つの特徴があります。

①祭壇をもつ五角形洞窟

②集会所のような大人数を収容できる洞窟を併設

右には大きな洞窟。残念ながら立入禁止

③儀式(洗礼)に使用される湧き水がある

礼拝堂の下の方に湧き水がありました

美しい植物

この特徴の三つを兼ね備えた他の五角形洞窟も残されているそうです。

遊歩道

この場所にいるときは全くわからなかったのですが、ブログを書くにあたって写真や地図を見返していると重大なことに気付いてしまいました・・・。

よーーーーく見てください。上!上の方・・・!!!

!!!!!

もしかしてもしかしなくても!

ついさっきまでわたしが歩いていた道ですよね・・・???

竹林に囲まれた荒れ果てた道

もうびっくり!まさか自分が洞窟礼拝堂の真上を歩いていただなんて・・・。そういえば遊歩道の地図を見たときに不思議に思ったのですよ。

遊歩道の真ん中に「キリシタン礼拝堂」の絵と文字が書かれていますが、通ってきた道にはどう見ても礼拝堂はありそうになくて一体なんだろうと思っていたのです。まさか下にあるという意味だったとは・・・。

今度遊歩道を歩く時は礼拝堂を意識して歩くつもりです。下を覗いたら何かしら見えたりするのかしら。礼拝堂からも歩く人を確認することができるのかも知りたい!体が分裂すればいいのに・・・な・・・・(ひとり旅人の悩み)。

最後に

不思議なことに、当時1万5千人以上のキリシタンがいたともいわれる竹田の城下町に教会が建てられたという記録は残っていないそうです。石工技術が発達した竹田では、教会の代わりに洞窟礼拝堂が昔から多く作られていたから、教会をそれほど重要視していなかったのではないか?ちょっとだけそんな風に思いましたが、真相は謎のままです。

時計を見るとちょうど17時をまわった頃。今日はこの辺にしといてやるぜ。雨予報だったにも関わらず、幸運なことに傘をさすこともなく乗り切ることができました。ちょっと降られちゃったけどね!

■参考文献・サイト

『ミステリアス!竹田キリシタン』(発行:竹田市)

大分県竹田市の文化財『キリシタン洞窟礼拝堂』。まちで大切にされていた隠れキリシタンの遺構

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑦竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

②竹田キリシタンを巡る旅【山藤と磨崖神像】

残念ながら滞在中の2日間は雨予報・・・。午後からお天気が崩れる予定です。雨が降り出す前に・・・急いで出発・・・っ!!

と、その前に。竹田市のキリシタンついてちょっとだけ解説。文章ばかりで眠くなる・・・という方はすっとばしてこちらへどうぞ。

CONTENS

豊後のキリシタン

現在の竹田市を含む大分県の大部分を占めていた豊後国のキリシタンの歴史は、キリシタン大名として有名な大友宗麟(義鎮)が、1551年にフランシスコ・ザビエルを豊後府内(現在の大分市)に招待したことに始まります。学生時代、大分に住んでたのにちっとも知らなかったよ〜。今思えば「府内」という名前の通りにもよく行ってた。

府内は初期のキリスト教布教において中心的な場所になりますが、豊後国を収める長である宗麟がキリシタンでなかったため(実際に洗礼を受けたのはザビエルに会ってから27年も後のこと)、信者は思ったように増えなかったようです。

そんな中、府内よりも先に豊後で初めて教会が建てられたのが、なんと今回の旅の舞台である竹田市。直入町と久住町の境にあった朽網(くたみ)地方でした。宣教師ルイス・フロイスが書き残した『日本史』には、その教会の美しさを絶賛する様子が書かれています。キリシタンに関係なくこの時代の日本の歴史を調べようとすると、たびたび出てくる『フロイス日本史』。やはりいつか読まねばな・・・。

ちゃんと日本語訳された本がありますが、こちらは原本の画像。めちゃくちゃ美しい・・・!!!(Wikipediaより)

熱心なキリシタンであった領主、朽網氏(洗礼名ルカス)によって、朽網地方は日本八大布教地にまで発展(朽網の他に、府内、平戸、博多、鹿児島、山口、京都、堺と有名な地域ばかり!)。この地には現在でも貴重なキリシタン遺跡が残されています(今回は訪問叶わず。また次の機会に・・・)。

朽網氏の失脚により、岡領内のキリスト教信仰は志賀氏の岡城がある竹田地方へと移ります。同じく熱心なキリシタンであった志賀氏が岡領を去った後、藩主なった中川氏もキリスト教には寛大であったようです。

そして、江戸幕府の禁教令により本格的なキリシタン弾圧が始まり、長い苦難の時代が訪れます。

豊後岡藩は「隠しキリシタン」だった?

竹田市内には数々のキリシタン遺物、遺跡が数多く残された土地。それは藩ぐるみでキリシタンを匿った「隠れキリシタン」ならぬ「隠しキリシタン」の里であったからとも言われています。

ただ、史料が残されていないため真実は定かではありません。なぜ史料がないのかというと、西郷隆盛の西南戦争中の戦い(1877年の茶屋の辻の戦い)の際、竹田の城下町のほとんどが焼失してしまったそうなんですね・・・。また、禁教下に潜伏して信仰するという性質上、キリシタンの証拠となるようなものを残すこと自体が難しいよね(カクレキリシタンの「オラショ」も口伝)。見つかったら酷い拷問の末の死が待っているのだから・・・。

※竹田キリシタンの歴史について参考にしたサイト、書籍等についてはブログの最後あたりでまとめますのでお待ちを・・・。

さて、今年の2月に長崎市を訪れ、日本二十六聖人記念館を訪れたことをきっかけに、今まで以上にキリシタンについて知りたい欲求が高まったことはブログを読んでいただいた方はご存知でしょう。

近場でどこか!どこかキリシタン縁の場所がないものか・・・!!(遠いと資金不足で行けない・・・)

ふと竹田の存在を思い出し、いてもたってもいられず今回旅立つことになったというわけです。

では、仕切り直しまして・・・

キリシタンを巡る旅、いよいよスタートです・・・!!!

自転車旅のはじまり

意気込んで出発したものの、自転車をこぎはじめてもすぐにストップ!何度もストップ!!なぜなら撮りたいものが次々と目の前に現れて前に進めないのだ・・・。

川沿いをマイナスイオンを感じながら進む

路傍のお地蔵さま

タイムリーに電車がやってきた

目的の場所まではおそらく自転車で1時間ほど。念の為30分余裕をもってスケジュールを組んでいました。が、まさかあんなことになろうとは・・・。

写真を撮りながらどんどん自転車を走らせます。坂でもへっちゃらよ!(電動自転車さまさま)

周りに見えるのは川と山ばかり・・・。と思ったら途中で鮮やかな赤い花の咲く商店を発見。

美しい

商店横のお宅前では猫が井戸端会議。家の中でもおばちゃまたちが井戸端会議してました

道中では様々な石像や碑石などに出会います。

しめ縄が飾られた岩

「水恩碑」と書かれた石碑も見かけました。

水に大きな恩恵を受けてきた土地なのだなぁ

昨日からずっと感じていることですが、竹田市ではいたるところに水が流れています。実は訪れる前は、キリシタン弾圧の暗い歴史と、四方を山に囲まれた土地という印象から、なんとなく閉鎖的で陰鬱な印象を持っていたのですが(失礼)、とてもすがすがしい爽やかな土地であると感じました。

あちこちで山藤が咲いているのも嬉しかった!優雅な藤棚も大好きだけど、素朴な山藤もとてもとても好きなのです。

ぽつぽつと紫の花が

藤の待合所

電動自転車さまさまの力を借りてひたすら漕いでいると、とんでもなく素敵な光景が目に飛び込んできました。

ひょえーーーーーーー!!遠目でもわかる失禁寸前の素晴らしさ!!!

大好きな山藤がここにも

我、昇天なり・・・!!!!!

「酒を飲むなら乗るな」の手書きの看板もイイ

興奮しすぎて何度も何度もシャッターを押してしまいました。なのでたくさん写真載せてます。許してね。

向かいにはバスの停留所があるのでどうやらここは待合所(元々は民家とかだったのを待合所として利用したのかな?)。

「下志土知」のりば

こんな素敵な待合所、全国を探してもきっとここにしかないよ・・・!!もうボロボロで山藤に侵食されつつあります。この季節でないと見ることができなかった光景に出会えてとても幸せです。

藤の花トンネル

名残惜しさを覚えつつ藤の待合所を後にすると、今度はトンネルが見えてきました。

トンネル怖い

嬉しいことに、ここにも藤の花が・・・!!!

これも山藤なのかな?今まで見てきた薄紫ではなく白い藤でした

横を通り過ぎるとふわっと鼻の奥に甘い藤の香りが・・・(幸せ絶頂)心なしかトンネルの中も藤の香りで満たされている気がしました。

ここを「藤の花トンネル」と名付けることにしよう(季節限定だけど)

でも!やっぱり!!

狭くて真っ暗なトンネルをひとりで通るの怖いよぉぉぉーーーーー!!!

振り返ったら手が伸びてくる映像が頭に浮かぶのを振り払いながら走り抜け、トンネル出ても振り返らずに必死で自転車をこぎ続けました・・・(マジ)。

トンネルを通り抜けた先にも藤

恐ろしき試練を乗り越え(大げさ)、いつの間にか大きな道路から外れ、水が勢いよく流れる橋へと辿り着きます。もうそろそろ目的地近くまで来ているはず・・・

The 自然

・・・あ!!!

ひっそりとたたずむ小さな鳥居

もしかして・・・???

上坂田磨崖神像

やっと着いたー!!!

激渋な佇まい

入口からもうトキメキです・・・。強風が吹いたら倒れてしまいそうな弱々しい鳥居。扁額にはかろうじて「神明社」の文字が見て取れます。鳥居の横には説明書きがありました。

上坂田磨崖神像(かみさかだまがいしんぞう)。「磨崖仏」はよく聞くけれど「磨崖神像」というのは初めて聞いた。どうやら洞窟内には仏ではなく、神像が彫られているようです。解説板にはキリシタンの「キ」の字も出てきませんが、この磨崖神像がキリシタンに関係しているのではないかと言われています。

さて、その真実はさておき、さっそく中へと足を踏み入れましょう!目の前には鬱蒼とした木々に囲まれた細い道が続いています。なんだかとっても怖いけど!怖さよりもワクワクが強すぎてもう瞳孔ひらいちゃうよ・・・!!!

冒険心に着火!

ドキドキしながら山道を進んでいきます。

道の横には水が流れていてとても心地よい

地面がぬかるんでいて靴が汚れてしまった

まるで行手を阻むかのように木々が倒れているところも・・・。日頃から人通りが少なく、整備されていないことが伺えます。

よく見るとここにも山藤

倒れた木の下をくぐり、ひるむことなく人気のない道をどんどん進んでいきます。

ほ、ほんとにこの先にあるのよね・・・?

曇り空で陽も届かず薄暗い。ちょっと、いやだいぶこわい・・・。だんだん心細くなってきました。

こんな誰も来ないようなとこで下に滑り落ちたら一巻の終わりかな・・・?

10分ほど歩いてついに現れたのは漆黒の闇。四角くくり抜かれた手彫りの小さな洞窟でした。

洞窟の中にいらっしゃるのは・・・

!!!

憤怒の形相の磨崖神像さま・・・!!!

迫力満点!!!

目はキッと釣り上がり、グッと歯を食いしばっています。その体は小さな洞窟内に収まりきれず、いまにも飛び出してきそう・・・!!!

こ、こここここここわい・・・・。

実は洞窟内に入ってまずまっさきに感じたのは恐怖の感情でした。磨崖神像への恐ろしさというよりも、場所の雰囲気にのまれてしまって・・・。

まずは洞窟正面の祠と神像さまたちに手を合わせ、ご挨拶と写真撮影のお願いをすることに・・・(毎度お馴染みのやつ)。

祠には柔和な表情の石像と、お供物の「鬼殺し」

祠の横には顔のない石像もいらっしゃいました。

この方も顔が曖昧のような。廃仏毀釈によるものなのか、自然に朽ちたものなのか

撮影をしていると、だんだんこの空間に慣れてきたのかいつの間にか恐怖は薄れて平気になっていました(人間は慣れる生き物なのさっ)。

磨崖神像の右横の壁には「嘉永六丑年」(1853年。「丑」は干支かな?)の文字。その頃に製作されたものと思われます。調べたらペリーが来航した年でした。黒船ーーーー!!!

縦書きで「嘉永六丑年」

洞窟内の手彫りの跡

洞窟の左側には石碑が嵌め込まれており、それにはおそらく「文政十二丑年」 (1829年)と刻まれています(違ったらごめん)。他にも文字が書かれてるけど・・・「當所新井○×来禄」・・・???うぅ、おらには読めねぇ・・・。

古文書とか読めたらたのしいんだろうなぁ

磨崖神像横に刻まれた1853年の24年前の1829年ということは、先に神明社を祀る場所として洞窟自体が彫られた年代が刻まれているのかなぁ・・・。誰か教えてください・・・

そう難しくなさそうなんだけど

それはさておき、1612(慶長17)年の禁教令から約240年後の1853(嘉永6)年に、こちらの磨崖神像さまが彫られたということですね。

「で?この磨崖神像がキリシタンと一体どう関係が・・・???」

そう疑問に思う方もいるかと思います。

潜伏キリシタン

潜伏キリシタンたちは仏教徒を装いながら、様々なものをキリストやマリアさまに見立てて祈りを捧げていました。その代表的なものとして挙げられるのがマリア観音

マリア観音(日本二十六聖人記念館の展示より)

では、ここで再び磨崖神像さまを見てみましょう。

首元には燭台と蝋燭、お賽銭もありました

羽!天使!!キ・リ・シ・タ・ン・・・!!!

と、単純にそう思いたくはなりますが、実は日本にも有翼の神様は存在しています(水を差してすまない)。迦楼羅(カルラ)や飯縄権現、秋葉大権現などがそれにあたります。

新小路秋葉山大権現

こちらは鹿児島県姶良市を散策している時に出会った秋葉さま。一目見て「大好き!!」となりました。

素朴で愛らしい

真っ赤な炎と羽を携え、足元をよーーーくみるとかわいいお狐ちゃんに乗ってるよ!かわいいいいいいい

解説板

秋葉権現は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で、火防の神様として信仰されています。秋葉山に伝説を残す三尺坊という修験者の神格化したものともいわれ、その姿は飯縄権現と同じく白狐に乗り剣と羂索(けんさく)を持った烏天狗の姿で表されるそうです。秋葉権現 - Wikipedia  飯縄権現 - Wikipediaより)

飯縄権現。仏像図彙 (1783年)。Wikipediaより。

秋葉権現と飯綱権現、ほんと見分けがつかない・・・。姿は烏天狗だし(烏天狗大好き!!!)。

件の磨崖神像も山岳信仰の影響があるように思えます。

天草のウマンテラさま

実は、数年前に天草の崎津を旅した時に、このような石像に出会いました。

羽!天使!キリシタン・・・!!?

崎津の隣村、今富で信仰されていたというウマンテラさま。現在は﨑津資料館みなと屋に展示されているこのお方も潜伏キリシタンに関係するものと言われています。

解説

解説には、潜伏キリシタンの指導者である「水方(みずかた)」(洗礼を授ける役)が「修験者(山伏)」であったことや、ウマンテラさまが修験道信仰のひとつとされる秋葉信仰に影響を受けている可能性について書かれています。

また、秋葉信仰だけでなく大天使ミカエルの影響もみることができるそうです。

キリスト教に詳しくない人でも、大天使ミカエルの名前は聞いたことある人もいるんじゃないかなー

確かに、背中に翼をたずさえ剣を手にし悪魔を踏みつける大天使ミカエルの姿は、同じく翼と剣を手に生き物(邪鬼?)を踏みつけるウマンテラさまの姿と重なります。

天草の崎津に旅した時の旅行記はこちらからどうぞ。

以上のことを踏まえて改めて磨崖神像の姿を見てみると、彫りの深い目鼻立ちや翼は西洋のそれを思わせます。長崎と大分という場所の違いはあれど、同じ禁教時代の日本(さらにいうなら距離の近い九州)。キリシタンたちが磨崖神像に祈りを捧げていたとしてもおかしくないような気がしてきました。

しかし何度も言いますが、史料がないためすべては想像に過ぎません・・・。

洞窟から外を眺める

湿気を含んだ鮮やかな緑がとても美しい

ただ、この場所が地域の人々にとって大切にされた信仰の場であったことは事実。キリシタンと無関係であったとしてもその価値は何も変わりません。

この地を実際に訪れ、空気感を肌で感じながら、磨崖神像さまにお会いすることができて本当によかったです。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

2023年ことはじめ・後編【直方散策の回】

直方駅のロッカーに荷物をつっこみ直方散策スタートです!

CONTENTS

須崎町商店街

直方駅に到着して真っ先に向かったのはこちら。

におう、におうぞ・・・!!!

前日、キャンプ場へ向かう前に少しだけ直方散策した時に遠目に見かけて、アンテナがピーン!と反応。ぜったい歩きたいと思ってた場所でした。

ぶるぶるぶる・・・よすぎてふるえる!!!

大好きな空間がそこには広がっていました。

やはり!俺の嗅覚に間違いはなかった・・・!!!

炭住と駅を結ぶ通りとして明治の頃から店が立ち並んでいたという須崎町商店街。今回は見逃してしまったけれど、カフェーの鑑札も残ってたみたい。

このアーケード商店街を抜けた先にも何やら哀愁漂う通りがあって歩きたくてワナワナしたけど、行きたい場所と正反対だったので今回は断念・・・。

印象的な電柱

どうやらこのまま進むと近くには筑豊電気鉄道の駅があったもよう。またローカル鉄道にも乗りたいなー。次のお楽しみにしたいと思います。

再び駅に近い方の商店街へと戻り・・・

ステンドガラス調のドームもあります

錆びた街灯

元銀行のある通りを抜けて・・・

ちょっと私は好きじゃない使われ方をしてて残念でした

向野堅一記念館(旧讃井病院)

たどり着いたのは向野堅一記念館。

可愛らしいハート

細部が美しい

元病院の建物だからなのか、十字や門の上にはハートのモチーフが。ちょっと可愛い教会のような雰囲気でとても印象的でした。

枯れた赤い薔薇が素敵でした

写真撮っていたらめちゃくちゃいい匂いが・・・。お隣は中華屋さんでとってもそそられたけど準備中の看板がーーー!坦々麺っ食べたかったよーーーっ!!!

江浦医院

この通りには他にも古い建物がいくつも点在しており、建築好きにはたまらない通りとなっております。すぐ近くにはまだ現役と思われる江浦病院も。玄関にはしめ縄飾りがありました。(1月前半は正月の雰囲気が感じられるので地方を歩くのがとても好き!)

直方谷尾美術館(旧奥野医院)

こちらも元病院。病院が連なる通りだったんだねぇ。奥にお続く木造建築は自宅として作られており、茶室も備えています。今回はさらりと外だけ見学。中はまた時間がある時に・・・。

本館(左)と新館(右)

右側の新館は1998年に増築した建物らしいのだけど、検索してもぜんぜん情報を見つけられず。この木の門とか凄すぎません・・・!??ライオンと不思議な生き物、わたしは大好物だよ・・・?

カッコいい!!!!!!

本館の建物に合わせてこんな美しい建物を新築したってこと?だよね??誰か詳細知ってる人教えてください・・・。

向かいの茂みには流れ星が落ちてた

収蔵庫(旧篠原邸)

近くには直方谷尾美術館(旧篠原邸)の収蔵庫もあります。当初は旅館を営んでいたそうで、その後篠原邸となり、米屋としても活用されたとのこと。

連鎖するWの影

多賀神社

そういえば遠征しているのにどこにも神社にお参りしてないな・・・と、一番近かった神社にもお参りに。

もももももも!!!

鳥と桃の土鈴も〜

神社の階段が印象的でした

帰ろうと駅に向かう途中、最後の最後にとても好みの廃スナックビルに出会えて嬉しかったです。

特に狸穴(マミアナ)が大好き

アーケードが夕焼け色に染まっていました

美しき光

直方散策これにて終了。またね!

最後に

2023年はモノクロフィルムの自家現像からスタート。冬キャンプと直方散策の現像は、大幅に現像時間を間違うという大ポカをやらかしてしまい、だいぶシャープでコントラストの強い仕上がりになってしまいました・・・。

ゆくゆくは写真によって現像方法も使い分けれるスキル身につけたい。こういう写真はコントラスト強い方がカッコいいもんね!

実は一番最初に現像したフィルムの仕上がりがとても気に入っているので(ビギナーズラック??)、まずはそれに近づけられるようになりたいです。今年は現像も頑張るぞ!という気持ちを込めて、一番最初の記事は自家現像写真多めにしてみました。早く遠くを旅して写真たくさん撮って現像したいな・・・。(いろいろと)がんばります!!!

一番最初に現像したフィルム。まるで夢の中のような柔らかい雰囲気がとっても好き!

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:OLYMPUS PEN FT(自家現像)※最後の写真のみKONICA AUTOREX

⑧秋の愛媛南予ひとり旅2022【野村町編】

「鬼ヶ窪」という魅力的な名前のバス停からバスに乗り、本日のお宿へと向かいます。

鬼の後ろには月と星

CONTENTS

entohouse BAR&GUESTHOUSE

山道を30分ほど揺られて下車。通り道には街灯もなくて真っ暗!こんなとこに宿がほんとにあるのかしら・・・?不安に思いながら月明かりと民家の灯りを頼りに路地をとぼとぼ歩いて行くと、突然オシャンな看板が目の前に・・・!!!

本日のお宿は、西予市野村町の古民家をリノベしたentohouse BAR&GUESTHOUSE。去年の11月にオープンしたばかりの宿兼BARで、最大2組が宿泊できる母屋の他に、BARの2階に最近オープンしたばかりのドミトリーがあります。

母屋

今回泊まるのはドミトリー(1泊5,000円)ではなく母屋の方。どうしても泊まってみたかったんだよ〜!!!

部屋

高い天井が素敵なの!

魅惑的な欄間

奥の部屋はシック

母屋には2部屋あり、台所や浴室やトイレは共用。ただし今日母屋に泊まるのはわたしひとり!というわけで、贅沢に一棟貸切状態に・・・!!一人で使うには広すぎるよーーーーー!!!(嬉しい悲鳴)

共用スペース

置かれてるものがどれもこれもとても好み

古道具好きにはたまらない空間が広がっています!!室内の調度品はほとんど周りの人たちからのもらいものなんだって。

洗面所

台所
嬉しい心遣いのお茶や、客が残していったという飲み物も飲み放題でした笑
縁側スペース

各部屋の縁側にも憩いのスペースが設けられていて、本やゲーム、レコードプレーヤーなども!やっぱりオシャンだ〜。

縁側にもいろんなアイテムが〜

お隣の部屋の縁側

母屋の宿泊は通常15,000円。今回は旅行支援なんちゃらのおかげで宿泊費9,000円+3,000円クーポン付きで宿泊することができました。ありがたや〜!

クーポンゲット!またもや大富豪に!!(1枚は前日の宿の残り)

BAR

母屋で一息ついたところで、お隣のBARへ。

BARの玄関タイルは当時のまま。外の玄関の端っこは欠けていたのだけど、台所のタイルを使って職人さんがいい感じに仕上げてくれたらしい。

オーナーはまだ若い女性で、西日本豪雨がきっかけで、関東から「地域おこし協力隊」としてこの地にやってきたそうです。なんて立派なのー!!!

イエローのセーターがお似合いのとっても可愛らしい方でした

ん?バーカウンターの左になんか置いてある・・・。

ななななんと!

わたしの好きなフリーダ・カーロの絵が・・・!!!

額のタイルとセーターのイエローがシンクロしてる〜

まさかこんなところで出会うとは思っていなかったのでビックリ・・・!!!知り合いからいただいたもので、ついさっき届いたばかりだという。メキシコ製の素敵な銅の額で、絵も一緒にメキシコからやってきたものなんだって。

メキシコ(死者の日に行きたい!)&フリーダ・カーロ好きがこのタイミングで宿に訪れる確率とは・・・?やはり運命なのか・・・???

絵自体はペラペラのプリントだったので、野村町に関係する絵にかえるかも・・・という話でした。

ここに飾ったら素敵なのでは?

BARの壁色がとってもいい色でした。野村町に来た時に見た田んぼの景色の色をイメージしたそうです。

牛小屋や蔵もあるので、今後リノベしてさらに活用していきたいらしい。ほんと若いのに素晴らしいなぁー!!応援したいです(勝手に)

夜ごはん

今宵はこちらのBARでごはんをいただきますよ!!

本日のメニュー

ごはんメニューはパスタとピザ。どれもこれも美味しそうなんですけど・・・。迷った末に「4種チーズのピザ」を注文。さっきまでいた卯之町の有名ピザ屋さんのものらしい。

見るからに美味しそう

ピザの生地がモチモチで美味しかった!チーズもめちゃ美味しかった!!他のも食べたくなるくらい美味しかったけど、全部食べ終わる頃にはお腹いっぱい・・・悔しい。

ラム酒のイベントをしたばかりらしい

ラムに力を入れているということだったので、せっかくなので飲んでみました。スッキリしてて美味しかった!!

今年のGWに秋田を旅した時に、同じように若い人が古いお家を宿とBARにしたドミトリーに宿泊したことを思い出しました。

あぁ、またあそこにも泊まりたいよ!!美味しいご飯とお酒と素敵なお宿を一度に楽しめるのは素晴らしいねぇ。

お酒を2杯ほど飲み、計算したわけではないのにもらったクーポン3,000円をピッタリ使い切って大満足!(端数おまけしてくれてありがたや〜)とても美味しいお料理とお酒、ごちそうさまでございました!!!

最後に八幡浜のみかんをもらってお別れ。とっても甘くて美味しかった!明日は八幡浜に行くからみかん買って帰るぞー。

こんな写真しかなかったよ・・・

お腹いっぱいになったはずなのに、母屋に帰って別腹デザートのパンをペロリ。栗のデニッシュも美味しかったけど、塩トマトのパンがめちゃくた大好きで美味しかったー!!!練り込まれているハーブがね、これまたたまらんの・・・。

(左)栗のデニッシュ(右)塩トマト

なんだか食べてばっかりじゃないか。しあわせです。おやすみなさい。

朝起きて窓の外を見ると、あたりは霧に包まれていました。

幻想的

夜には見えてなかったものがいろいろと〜。

玄関

野村町に伝わる泉貨紙(和紙)で作られた照明

住んでた人の痕跡

鍵をポストに入れて、チェックアウト。さよならまたね!

全貌が明らかに〜。石垣がよき

霧がとても濃い!!!

お寺

昨日降りたバス停に向かっていると、古そうなお寺がありました。鶏の鳴き声が聞こえるよ〜。

かわいい烏骨鶏〜!!

ぴんぼけしか撮れず・・・

住職さんが出てきたのでちょっとだけお話。ほんの数秒のやり取りでも、旅先で人と話すの好きだなぁ。

お寺さんの出口には芸術的な蜘蛛の巣が。霧でふんわりしててロマンチック・・・。

リアル蜘蛛は苦手だけど、美しい蜘蛛の巣は好き

再びバス停に向かって歩きます。

到着!

「大泉寺下」バス停に到着。さっきのお寺のことなのかな?

卯之町へと戻るバスに乗り、昨日は真っ暗で何も見えなかった車窓からの風景をたのしみます。すると素晴らしい光景が目の前に現れます・・・!!!

湖?川?の上に綿菓子のような霧?モヤ???

自然が作り出す不思議で美しい光景!!大興奮してしまいました。きっと色々な気候の条件が重なって起こる現象だよね。また野村町に行った時に見ることができるかな?できるといいなぁー。

最後に

今回、野村町にはこの宿に泊まるためだけに行きました。実は野村町のまだ先に行きたい場所があるので、それ合わせてまた泊まりたいなぁ。その時は野村町にもっと滞在して、町中をゆっくり散策してみたいと思います。

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⑨秋の愛媛南予ひとり旅2022へとつづく▼▼▼

⑦秋の愛媛南予ひとり旅2022【御荘/卯之町編】

外泊から再び御荘まで戻ります。愛南町から宇和島市内に戻るには、御荘で乗り換えないといけないのです。タイムロスな気がしないでもないけれど、まだ行けていない場所も色々あるので時間が許すかぎり巡ってみることに。最後の御荘散策はじめるよ!

CONTENTS

八幡神社

まずはおそらく昨日の御神輿が出発した場所と思われる八幡宮へ。コロナ前はここで賑やかな秋祭りが行われていたらしい。天狗とか!天狗とか!それが見たくて最初愛南町の秋祭りを見に行きたいと思ったのである。今回は見れなかったけどまたいつか・・・。

↓こちらのブログに天狗の山車が載っているのでぜひ見てみて。すごいインパクトだから!

鳥居をくぐったとこにある木が魅力的だった!

この木なんの木?

観自在寺

神社のあとはお寺さんへ。

四国八十八ヶ所の一番霊所の霊山寺から最も遠くに位置する観自在寺。お遍路さんの姿もちらほら見かけました。

うさぎの彫り物!来年は卯年だね〜

門の両脇にはなかなかの存在感とパワーあふるる仁王さまズも〜。

腹筋がおもしろい
阿吽

門の天井には干支の方位盤が!亀がかわいかったよぉーーーーー。

大好きだーーー!!!!!

実は本堂にまで入る時間がなくて、なんとこの門の前でUターン・・・・・。ご、ごめんなさい・・・。

めーーーっちゃダッシュしてバス停へ。なんとか間に合った!いつもギリギリ人間です・・・。

宇和島駅

愛南町から宇和島駅に到着!バス停の柑橘デザイン可愛い〜(行きの時は気づかなかった)。

爽やかラブリー

本当なら宇和島駅周辺をぷらぷらして、宇和島名物の鯛めし食べたり、前回とてもお世話になった民芸屋さんにも顔を出したかったのだけど(いつか必ずまた訪問します)、予定を前倒しして愛媛県西予市の卯之町へ行くことに。

またいつか!

卯之町

すでに西陽がさしていました。

卯之町駅に到着したのは16時過ぎ。前回も訪れて大好きだった町です。なんと駅舎は工事中!新しくなっていました。

卯之町は伝統的な建築様式が残っていて、こじんまりとしていて落ち着きのある街並みはとてもわたし好み。

うずうずまきまきな持ち送り

前回訪れた時にはなかった(もしくは気づいていなかった)オシャレな花屋さんもありました。

夕陽の柔らかな光に照らされて美しい

伝統的な日本建築だけでなく、素敵な洋風建築も!

昔は病院だったのかな?

レリーフもたまりません

いい感じのパン屋さんも発見。その名もブーランジェ。時間がないけど!やっぱり入っちゃうよね!!そしてやっぱり買いすぎちゃうよね!!!(パン屋あるある)

美味しそうかつセンスのいいパンが色々置いてありました

愛媛県歴史文化博物館

すごい急いでる。とても急いでる。なぜならもうすぐ閉館時間の愛媛県歴史文化博物館へ向かってるから!!!

ひたすら歩いて向かっていると・・・なんとなんとめちゃくちゃ遠いしくねくね坂が待っていた・・・!!!

もう陽も暮れて薄暗い

焦りながら駆け足で向かいます。永遠に着かないのではないか・・・と、気が遠くなりかけたところでやっと到着!

閉館まで1時間ほどしかなかったので、興味ないとこはすっ飛ばして館内でもめちゃ早足!!!お客もわたししかいませんでした。

動くへんなおっさんがいた(マジで誰だったんだろ・・・偉い人だったらすんません)

レトロ街並み再現ゾーンも、なかなかどうしてとてもよかった!!!

昭和レトロ好きはたまらない空間かと

ほとんどは撮影禁止なんだけど、いくつか撮影オッケーなところがアリ。一番の目的の展示が見れないのが怖かったので、こちらもじっくり見れずにダッシュダッシュ!!(残念すぎる)

そしてついにたどり着いたのが「祭り」ゾーン!!!

ここにきたかったのよーーーーーっ。他の展示ボリュームがすごすぎて、ほぼ他の展示を素通りして駆け足できたにも関わらず、ここに辿り着くまでけっこー時間かかったような・・・。

見事な龍の刺繍の山車

一番見たかった鹿ちゃんズに会えました!!!(めちゃくちゃ好みの子たちが展示されていた。いつか実際に見に行くぞ)

それだけじゃなく、なんも東北の鹿踊の装束も!!実物を見れて嬉しかったなぁー!撮影NGだったのが無念・・・。

うしろに映り込んでしまうのは仕方のないことです

この写真は牛鬼撮ってるんだからね!遠くにちらっといる鹿ちゃんたちを撮ってるんじゃないんだからね・・・!!!

南予地方の鹿踊りだけじゃなく、やっぱり本家も拝んでみたい。実際に東北の鹿踊りの装束を見て、さらにその気持ちが強まりました。まったく印象が異なる見た目だけれど、どんな違いや似た部分があるのかをこの目で確かめたいです。

館内の窓から見える真っ赤な紅葉が綺麗でした

鹿踊りや牛鬼、山車の他にも色々と気になる展示があったのですが、あっという間にタイムリミット!!もっとじっくりたっぷり時間をかけて見たかった・・・ぜんぜん時間が足りなかったよ・・・。図録がないのも残念だった。ぜひ作ってください。

超駆け足で展示を見て(大袈裟でなくマジで競歩った)ほぼ閉館時間ピッタリで外に出ると、辺りはすっかり夜になっていました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:CONTAX Aria

⑧秋の愛媛南予ひとり旅2022へとつづく▼▼▼

④秋の愛媛南予ひとり旅2022【鹿踊り・後編】

若宮神社へと続く階段を一気にかけのぼり、振り向くと海・・・!!!

右に見える建物が公民館

いよいよ神事が始まろうとしています。

CONTENTS

若宮神社

境内にはすでに地元の人たちが集まっていました。

神事待ちの少年たち

今か今かと待っていると、拝殿の中に入るように案内されます。

ぞろぞろと中へ

部外者のわたしも入っていいの・・・?

と、ドキドキするも大丈夫とのことだったので、地元の人たちにまざって見学させてもらうことに。

中央には御神輿が置かれ、右側に鹿踊の少年たち、左側に地域の人たち(わたしも)が座ります。神様に一番近い前の部屋には、関係者?(なんていったらよいのかしら?役員?)のおじさまたちが座ってました。

向かいに座る少年たち

旅立つ前、祭りに関して問い合わせた役場の方もきていて(その時対応してくださった方ではなく別の人だったけど、わたしのことが伝わっていたもよう)、神事の際の禁止事項を伝えられます。

「御神輿の中に神様を移す時は撮影禁止」とのこと。それがいつなのかわたしにわかるかしら・・・???と、ちょっとドキドキ。

神事

そうこうしているうちにいよいよ神事がスタート。神主による祝詞が静かに読み上げられていきます。神様が祀られていると思われる場所へと行き、何やらごそごそ・・・(暗がりでよく見えず)。

おーーーーーーー おーーーーーーー

さっきまでの穏やかな祝詞から一転、洞窟の中でお腹の底から出しているような振動した大声に変わります。まるでこの世ではない世界に呼びかけているかのよう・・・。どこかぞくっとするようなお畏ろしさを感じました。あまりにも異質だったので、ここが撮影してはいけない瞬間なのだと瞬時に理解。ほんの数分のことだったけれど、一番の衝撃でした。

お祓い

それが終わると神主さんが榊を手に、おじさまたちの頭の上をふりふり。次に鹿踊りの少年たち、次に外で待つ地元の人たち・・・と、次々にお祓いしていきます。

ふりふり〜

ぐるっとまわってついにわたしたちの番…!!!ワクワクしながら頭を垂れて、お祓いのふりふりを受け止めます。とっても清らかな気持ちに。払ってもらえてうれしいよーーー!!!

御神輿

再び役所の方が声をかけてきます。これから御神輿の中に神様を移す儀式があるとのこと(さっきのじゃなかったんだ!)。先ほどのように「おーーーおーーー」と声を出している時は神様が出てきている時だから、頭を下げて見ないように・・・とのことでした。

そっか、さっきも見てはいけない瞬間だったのか・・・。確かに頭を下げてる瞬間が多々あったような。知らなかったよすんません・・・。

おーーーーーー おーーーーーーー

再びその瞬間がやってきました。頭を下げてみないようにしていると、神主さんが目の前の御神輿へと勢いよく駆け寄り(想像)ゴソゴソガチャガチャ何かしている・・・!

こわい!!こわいよ・・・!!!(見えない時の音ってこんなに怖いものなのね。音だけのホラーもあるもんね)

だけどだけど!何をしてるのかみてみたい・・・・!!!

「おーーーー」の声を出している間だけ見ちゃいけないってことかな・・・?と勝手に自分のいいように解釈し、こっそり頭をあげてみます(おい)。

でもやっぱりこちら側からはよく見えなくて、ただガタガタゴソゴソと御神輿の中に手を入れて何かしていることだけがわかりました。

(ちなみに周りには、がっつり見ている人もいれば頭を垂れている人もいて、ちょうど半々くらいだった。そこまで厳密ではなかったらしい〜。ほっ)

結局何をしていたのかよくわからないまま、御神輿に神様を移し終えたようでした。

お供え

次は神主が地元の人たちに榊を手渡し、神様へ次々にお供えをしていきます。(観光客であるわたしは参加できない)

以上で神事は終了。(注:写真もたくさん撮れなかったし記憶もあやふやなので、内容は前後しているかも知れません)

神事というものをこんなにがっつり間近で見たのは生まれて初めてかも・・・。鹿踊り目当てで来たけれど、とっっっても興味深かった。「おーーー」の声を初め、動作や祝詞の内容等(コロナとも言っていた)、そのひとつひとつの意味をじっくり聞いてみたいよーーー。

神事から参加したことで、様々な祭りを最初から最後までみたい気持ちがより一層湧いてきました。なんならその準備から見たいのだー。今後そのチャンスがあれば、獰猛に食らいつきたいです・・・!!

鹿踊りとは

さぁて、お待ちかねの鹿踊りがはじまるよ〜!!!と、その前に簡単に「鹿踊り」についておさらい。

鹿の面を頭につけ、その面から垂れた布で上半身を覆い、太鼓を前に抱えて打ちながら歌い踊る。この「太鼓踊り」系の鹿踊りは、宮城県各地に普及、さらに東北・新潟・関東まで分布し、踊り手の数・踊り方・歌詞は多様である。その中で、雄鹿たちが雌鹿を尋ね探して遂に発見して喜ぶ「めじしかくし」という踊りが、旧宇和島藩領となる南予一円には定着、分布している。これらの鹿踊りは、宇和津彦神社から各地に伝播したとされるが、南予においても地域により鹿の頭数や踊り・歌詞に差異が認められる。

市指定 八ツ鹿踊り - 宇和島市ホームページ | 四国・愛媛 伊達十万石の城下町より拝借。

以前、吉田の秋祭りで見たのは七ツ鹿(昔は五ツ鹿だったもよう)だったけど、今回は五ツ鹿。地域によってその数は様々のようです(藩の権威や神社の社格が象徴されているとも)。雄鹿たちが1匹の雌鹿を探し求めて見つけて喜ぶストーリーなのね。子孫繁栄や五穀豊穣を感じさせるなんとも馨しい&福々しい踊り。美しいわ!

福浦の五鹿踊り

真紅の布が解かれ、鹿のお顔があらわになります。ついに鹿踊り奉納のはじまりです・・・!!!

準備完了!

はじまりはとっても静かな舞い。すり足ステップが印象的でした。

踊っているうちに、だんだん躍動感とリズムのある歌と舞いへと変化していきます。吉田の鹿踊りで聞いた歌詞やメロディーも!話では理解していたけれど、ルーツが同じであることを初めて実感した瞬間でした。

鮮やかなヘコ帯が眩しいね

炎天下の中、約15〜20分ほど踊り続けて終了!よくがんばったよーーー!!!

しかしこれで終わりではありません。少年たちはこれから集落内の家をすべて周り終えるまで、延々と踊り続けるのです・・・。

踊り終わるとまた頭をくるくる包みます

疲れたね!ひとまずお疲れさま

境内での神事はこれで終わりと思ったら、さっきまで鹿踊りを大人しく見ていた人々がなにやらビニール袋をゴソゴソと取り出して怪しげな動きを始めます・・・。

・・・!!!

餅まきの開始だよーーーー!!!!!

みんなこれを待っていたのか笑

餅をゲットするのが一番の目的なんじゃ???と思えるほどの白熱っぷり!撒かれる餅に群がる人、人、人。おもしろかったです。

わたしも記念に餅を1個だけゲットし、急いで階段を降ります。なぜなら鹿ちゃんズを追っかけたいから!!!

鹿ちゃんもトラックの上で休憩中

公民館前でちょっとだけ休憩したと思ったら、すぐにトラックに乗ってドナドナ・・・。

瑞々しい少年たち。眩しすぎて目がつぶれそうだ・・・

行き先はもちろんわからない!

それでもわたくし!!駆け足で追っかけます・・・っっっ

はい!あっという間に見失ったよ!!!

車が曲がった道はあのあたりだったような・・・?と、違う道に迷い込む始末・・・。

海、きれいね・・・

Uターンすると、鹿踊りの音が聞こえてきます。急いでその方向へダッシュ!!!

民家の前で、神社で舞っていた踊りよりも何倍速??な、ショートバージョンの舞いが奉納されていました(民家のため写真掲載は控えます)。鹿のお顔も布で包まれたまま。これがお着替えタイムの時に話してもらったやつかー。

踊り終わってニッコリ顔で民家から出てくる雌鹿役の男の子

このようにショートバージョンがあることを考えると、顔を包むのも宗教的な意味合いよりも、その方が舞いやすいからとかの利便性での理由なのではないかなぁー。短縮しないと全戸周ることなんてできないものね!(勝手な推測なので検討違いだったら申し訳ない〜)

そしてまた旅立ってしまう〜。嗚呼、なんていけずなの??

わたしものせてってーーーー

その後も行き先もわからぬままトラックでピュンといなくなる鹿踊BOYSをしぶとく追っかけるわたくしアーンド、踊り続ける少年たち。

影の濃さがこの日の暑さを物語ります

途中までいた愛南市のカメラ撮影の人も(少し話したところ、なんと御荘の御神輿の時にもいた人だった!)、役所の人も退散して、関係者以外残るのはいつの間にかわたしだけになっていました。

裏路地には黒猫

帰りのバスの時間までずっと追っかけようと思っていたんだけど、諸事情あり、わたしも早めに切り上げることに。ちょっとしょんぼり・・・。

公民館に寄ると、神事でお供えしていた榊がありました

若宮神社の境内の片隅にいた朽ちた狛犬

若宮神社には、秋なのに桜みたいのが咲いていた。不思議

最後に

今年愛南町内で唯一鹿踊りが奉納された福浦集落。違うバス停で降りるという致命的なミスを犯しつつも、鹿踊りの衣装を着替えるところも見学できて、最高に幸せでした。今後も色々な集落の鹿踊りをたくさん見て、衣装や踊り、歌等についてもっとわかるようになりたいなぁ。まだ2箇所しか見ていないので、自分の中で何かを語れるだけのデータが足りないのだ・・・。年に1度しかチャンスないけど、毎年のお楽しみにしたいと思います!(来年も行けますように!!)

さて、約3時間半ほどの滞在を終え、バスに揺られて再び御荘へと向かいます。車窓からは切なくなるほど美しい青い海と青い空。

さよなら、福浦

空にはいつの間にか白い月が登っていました。

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⑤秋の愛媛南予ひとり旅2022へとつづく▼▼▼

③秋の愛媛南予ひとり旅2022【鹿踊り・前編】

何隠そうわたくしは計画立て魔。今回の旅もきっちりルートやバスの時間を調べ上げ、万全の体制でのぞんでおりました。

それなのに・・・それなのに・・・

CONTENTS

若宮神社(久家)

11時半過ぎ、乗り込んだのは小さなコミュニティバス。ある一定の区間では、バス停に限らず好きな場所でおろしてもらえるという田舎のバスシステムにドキドキ!目指すのは愛南町で唯一今年鹿踊が奉納されるという福浦集落の若宮神社。注意しなければならないのは、同じ名前の神社が目的の若宮神社の前にもあるということ・・・!間違って降りてはいけない・・・そう思って、バスのルートや時間を検索できるアプリを起動し、GPSで現在地をチェックしながらバスに乗るという用心っぷり。

それなのに・・・それなのに・・・!!!

まず1つ目の神社を通り過ぎます。その神社前にも秋祭りののぼり旗が掲げられていました。そうこうしているうちに、同じくのぼり旗の2つ目の神社が。

ここだぁーーーー!!!

「すみません!ここで降ります・・・!!!」

人見知りがありったけの勇気を振り絞り、バスの運転手に声をかけます。ちゃんと止まってくれた!やったーーー!!!ちょっとした喜びを味わいます。

降りるとちょうど神社へと向かう神主さんがいたので、鹿踊のことを聞いてみることに。

「え?やるって言ってました??」と、不思議顔。近くにいた地元のおばちゃんらしき人も、ここでは鹿踊をやらないと言っている・・・。

(ん・・・?なんかおかしいぞ・・・???)

嫌な予感しながら、Googleマップで位置情報を確認すると・・・

なななななんと!!!やっちまいました・・・!!!!!

違う神社で降りてしまったよーーー!!!(絶望)

Googleマップよりスクショ

わたしが行きたい若宮神社はMAP下側のハートマーク。間違って降りたのが左上のフラッグマークの久家若宮神社。まだまだ遠い。ぜんぜん遠い。ここらへんには若宮神社がたくさんあるんだってよ・・・?ていうかなんのためにバスアプリまで使って位置情報確認してたんだ・・・??

次のバスは数時間後。もちろん歩いていけるような距離じゃない。歩いたとしても着いた頃には終わってるよ・・・!しかも地元のおばちゃんに福浦の鹿踊を見にきたと言ったら、「福浦も鹿踊やらないはず。福浦じゃなくて深浦では?深浦はやるって言ってたよ」というまさかの情報が・・・!!!

だって事前に問い合わせた時に役所のお兄さんが福浦でやるって教えてくれたよ!え?え?もしかして「福浦」と「深浦」似てるから間違ったとか・・・???

いろんなことが一度におきすぎて超絶パニック・・・!!!

昨晩からフェリーをはじめとする様々な乗り物を乗り継ぎ、15時間以上かけてはるばる福岡からやってきたというのに、まさか鹿さまたちに会えないままエンド?ジ・エンドなの・・・!!????

そういえば!近くにタクシーあったよね!!ひとまず急いで呼び出すことに。ありがたいことにすぐに到着!テンパりまくった状態で、タクシーの運ちゃんに事情を説明。それがおじちゃんがとっっってもいい人で、わたしの話を聞いて愉快そうに笑いつつも「大丈夫!もし福浦じゃなかったとしても、さっき私が降りたバスがすぐ折り返しでくるからそれに乗って深浦に行ったらいいよ」と、なんて冷静なアドバイス!さきほど御荘で御神輿に遭遇して餅をもらったことを伝えたら「きっといいことあるよ〜」とも。ほんとありがたかったよー!!心がすーっと軽くなりました。

ほんとテンパってたから写真がタクシーに乗っている間に窓から数枚撮ったこれくらいしかない・・・文字ばかりでごめん

若宮神社(福浦)

バスで100円で行けるところをタクシーで1600円ほどかけて、ついに目的の若宮神社へと到着!ドキドキの瞬間です・・・。ここでタクシーのおじちゃんからさらにアドバイス!「まずは神社に行く前に公民館(神社の手前にある)で聞いてみたらいいよ」と。おじちゃん、ほんとにありがとう・・・涙

言われるがままに公民館へと向かい、なにやら人の声ががやがやと聞こえる奥の部屋へと「すみませーん、すみませーーーーん」と言いながら足を踏み入れると・・・・

なななななんと!!!

目の前にはぶらさがる水玉模様の衣装と、少年たちが畳に大の字になって寝転がっている姿が・・・!!!!

聞くまでもなく!!!

鹿踊やってますよね・・・!!!!!

目の前に広がる光景に大興奮!!いつもなら人見知りっぷりを発揮するところ、すぐさま写真を撮らせてもらっていいか聞いていました。ありがたいことにOK!中に入り込んで自由に撮らせてもらうことに〜。やったー!!

間違って途中下車してタクシー乗ってなければ、こんな風に図々しくなれなかったかもだし、バスで普通に停車してたらそのまま神社に向かって生着替えシーンに遭遇できなかったかもしれない。タクシー代余計にかかってしまったけれど、これで正解だったのかも・・・としみじみ思うのであった。

そんなわけで・・・

鹿ちゃんドドーン!!!

やっと会えましたね

吉田の秋祭りの鹿さまたちは眉目秀麗なお顔立ちで、衣装も赤とネイビーでモダンで隙のない感じだったけど(かっこよくて大好き!)、福浦の鹿ちゃんズはなんだか脱力系でゆるゆる〜。「鹿」であることは一緒だけど、地域によって衣装やお顔はこんなに違うものなのね。やはりたくさんの鹿さまたちに会いにいきたい・・・。

吉田の鹿踊(2019年撮影)

福浦の鹿ちゃんのお顔は最初布で包むらしい。

手慣れた手つきで包んでいきます

昔からそうしてるので、なぜ顔を包むのかはわからないとのことでした。短い舞いの時は顔を包んだまま舞い、長い舞いの時は布をおろして舞うんだってー(これについてはまた後ほど)。

そうこうしているうちにお着替えタイムが始まるってよ・・・!!!

子供たちがのそのそと起き始めます。どうやら朝からずっと踊っているらしい。だからあんなにぐったりしていたのねー。それなのに突然やってきて騒がしくしてごめんね・・・。明日は平日だけどこの子たちは学校休みもらえるんだって。よかったね!

ちなみにここの集落は全戸300ほどあって、今年周るのはは200程度とのことでした(お葬式をしたところとかは遠慮したりするらしい)。いやぁー、大変だ!

男の人ふたりで着せていきます。大忙し!

衣装を着終わったら、最後に鹿の面を頭に被ります。年長の子供たちはもうひとりで取り付けれるみたい。もう何度か踊ってるんだろうね〜。鹿踊を踊るのは中学生くらいまでとのこと。着付けしている男性たちも小さい頃は鹿踊を踊っていたんだろうな。

かっこいいな!

一番小さい子はまだ取り付けられないようで、大人の人がやってあげていました。

もう!可愛いなぁーーー

この子がおちゃめでめちゃくちゃ可愛かった!実はこの子だけ雌鹿役。他の年長の子供たちは雄鹿とのこと。雌鹿は出来るだけ一番小さい子がするんだって。どおりで頭の飾りが一人だけ違うんだね〜。華やか!ススキや植物で飾られておしゃれしています。そして後ろに回って初めて気づく。

頭のところに・・・

なんと鳥居が〜!!!雌鹿が特別な存在というのがさらによくわかります。さらに色とりどりのヘコ帯でおめかし!角に巻くへこ帯は5本使うんだって。

おめかし完了!

まずは奉納する神社の前で記念撮影!

日差しがまぶしそう

みんなでぞろぞろ若宮神社へ。

なんてカラフル

いよいよ神事スタートです!!!

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④秋の愛媛南予ひとり旅2022へとつづく▼▼▼

香川徳島ひとり旅2022⑧【熊岡菓子店編】

辻駅を出発し、再び緑のトンネルを抜け・・・

とても素敵な電車の旅でした

到着したのは琴平駅。

こんぴらふねふね〜

もう十数年も前にこんぴら参りしたり、こんぴら歌舞伎を見に行って楽しかった記憶が蘇ります。今回は通り過ぎるだけ〜。また行きたいなぁ!

琴平駅で電車を乗り換え・・・

可愛いお姉さんたちが乗ってた!

琴平駅から一駅の善通寺駅で下車します。辻駅を出発してから約1時間ほど。四国旅ラストDAY観光のはじまりはじまり〜。

CONTENTS

善通寺ぶらぶら

昨日の曇り空とは打って変わってジリジリと焼け付くような太陽!!!my旅ではすっかり恒例のほっかむりスタイル(手ぬぐいでほっかむり)で街を散策します。

2度見されても気にしない太い心臓を手に入れたんだぜ?

駅前には早速魅力的な建物が〜!!!

乱立するアンテナもたまらない

ほっそーーーーー!!!

木のフォントも大好物

ポピーがきれい

壁には相当古いボロボロの広告?があってグッときた

味わいのある建物があちこちにあって楽しい〜。

商店街を抜けると・・・

なんじゃこりゃー!な素敵な木の装飾発見!!!

元々なんの建物だったんだろう?板で覆われてるけど、ショーウィンドウ的な役割だったのかな?

こちらの建物にはレトロな看板がたくさんついていました。

英語表記がたまらないね!

緑青の雨どいもたまらぬ!!!

善通寺

ひっそりと道端で存在感を放つ建物たちにふがふがと静かに興奮しつつ、観光客がたくさん訪れる大きなお寺さんへとたどり着きます。

お寺さん横にも素敵な建物

立派な五重塔

なんとなく入ってみると、なんとこちらが駅の名前にもなっている善通寺。弘法大師(空海)の誕生の地であるということを初めて知ります(無知ですんません・・・)。

仏像も拝観したけどとても素晴らしかった!(撮影はNG)

売店に気になるお茶

立派な木もありました。生命力に満ち溢れておるーーーーー!!!!!

きっとパワースポットの類にちがいない

仲良し三人組のお遍路さんも

熊岡菓子店

善通寺を通り抜け、路地に出ると人が列を作っているお店を発見!!!

好き

こちらが最初の目的地である熊岡菓子店。なんて素晴らしき建物なのだ〜!!!明治29年創業、建物は大正時代のものだそうです。お菓子が入っている木のケースもとってもいいのだよ〜。

割烹着姿でお店を切り盛りしているおばあさんの姿も絵になる!

暖簾には「カタパン」の文字。日本一固いカタパンが売られているそうです。そんなこともまったく知らず、軽く検索してっきり良さげな老舗のパン屋さんだと思って訪れたことは秘密・・・。

みんな何を頼んでいるのか様子を見ながら、一番固いという「石パン」をはじめ、丸ボーロや海老せん、クッキーなど数種類購入。

手際がものすごくよくて惚れ惚れしたよ!

美味しそうなバターケーキも!!!

何がすごいっておばさまたちの手際のよさ!しかも計算は暗算です・・・!!!見事過ぎてそれをみるだけでも価値アリ。待ってる間、充分楽しめたもの〜。

袋がこれまたかわいいの!!!

実はわたくし、おそらくカタパンを食べるのは初めて。その存在は文字だけでは知っていたものの、そんなに固い食べ物とはつゆ知らず。石パンを口に含んで飴のようにコロコロと転がして湿らせ柔らかくなった頃に噛むというのが食べ方のようです。そのままガリっと噛んだら本気で歯が折れそう・・・。お味はというとほんのり生姜の味がする控えめな甘味のあめ湯みたいでした。

熊岡菓子店のカタパンについて詳しい記事があったので、以下に抜粋させていただきます。(とても面白かったのでリンク先もぜひ読んでみて!)

カタパンの歴史は古く、考案したのは初代店主・熊岡和市さん。当時大阪の菓子店で大番頭をしていた和市さんに日本軍から軍用食の開発の依頼があったそうです。ちょうど日清戦争の頃だったといいます。戦地に赴く兵隊さんの常備食や非常食として「軽くて、日持ちがして、腹持ちも良い」という軍部の要望に応え、フランス料理にヒントを得て、和市さんが作り上げたのがカタパンだったのです。創業当時は“兵隊パン”と呼ばれていたそうです。

昔は軍食用として作られたカタパンですが、現在ではお遍路さんや、自衛隊ファン(善通寺市には基地がある)がお土産に買ったりするらしい〜。おじいちゃんたち歯、大丈夫なのかな・・・。

人気のカタパンは昼前に売り切れることもあるみたいなので、気になる方は早めにいくのがオススメ!無事カタパンをゲットしてほくほくです。

再び散策しながら、お次の目的地へてくてくスタート!!

「かさ」よきかな

可愛い提灯

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:CONTAX Aria

香川徳島ひとり旅2022⑨へとつづく▶︎▶︎▶︎

香川徳島ひとり旅2022 ⑥【哀しみのお花大権現編】

電車を乗り継ぎついぞ着いたのは徳島県みよし町の江口駅。

無人駅です

観光客が降りそうもないこの場所に、本日のメインディッシュが待ち構えているのだー!!!夕暮れが迫っていますが目的地はもう少し先。寄り道しながらてくてく歩いて向かいます。

アールデコな可愛い「持ち送り」発見

「心が燃えるとき 赤いチェリー」どゆ意味?

あ!目的地の看板が・・・!!

お花だいごんげーーーーん!!!

矢印の方向に進んで行くと、次々に看板が現れます。

地元の人からは「お花さん」て呼ばれてるのかしら

もう少しであなた様に会えるのね・・・(どきどき)

まだまだ看板!!!

ついに入口まできたーーー!!!

今はもう営業してなさそうなお土産物屋さん?

この緑の向こうにきっとあのお方が・・・!!!

竹林

錆びたお花食堂の看板

鬱蒼とした坂道を歩いている時に、キーンコーンカーンコーンと懐かしいチャイムの音が聴こえてきました。どうやら5時になったようです。

竹林を抜けると、廃墟となった建物が現れました。

お花食堂

どうやら昔はとても賑わっていたもよう。食堂やお土産物屋さんもあったんだねー。

廃墟を通り過ぎると、入口が見えてきました。

釣鐘が見えてきたので、とりあえず突いてみます。

満足である

なんだか思ったよりも立派なお寺さん。嫌な予感がしてきます・・・。

あのお方は一体どこにいらっしゃるのかしら・・・??

あれ?あれれ??

しししし閉まってるーーーー!!!??

しかも中を覗いてみても、わたしが会いたいお方はどこにもいらっしゃらない・・・!!!

普段はリサーチの鬼であるわたくし。実は今回、あまりこの場所に関する情報を入れずにきてました。なぜなら事前に情報をたくさん入れてしまうと感動が薄れてしまうから・・・。この場にくるまでは、わたしの会いたいお方はてっきり道端の無人のお堂に祀られているものだと信じ込んでいたのです。それがまったく違ったようで、ちゃんとした有人のお寺さんだったという(絶望)。それなら5時で閉まるよね・・・さっきのチャイムの音がまさか死の宣告だったとは・・・・・。

駅からダッシュしてたらもしかしたら間に合っていたかもしれないのにバカバカバカーーー!!!・・・と、後悔しても後の祭り。今わたしができること。それはご住職に土下座して(心の中で)頼み込むこと・・・!!!!!せっかくここまできたのになんの目的も達することができずにこの場を去ることなんてできない!!!めちゃ番犬として優秀な犬に盛大に吠えられながら、住職さんが住んでいると思われる建物へと向かいます。

怪しまれたのかピンポンを押すまでもなく、ご夫婦が外へ出てきました。ご住職と思われるおじいさんに聞くと、やはり拝観は17時までとのこと。そうですか・・・ではさようなら・・・。とはもちろんなりません!!!

ここは泣き落としするしかない!福岡からはるばるここめがけてやってきたことを切々とうったえます。が、まったく動じないご住職・・・。そこをなんとか・・・!!と、2、3度しつこくお願いしたところ、少しだけなら・・・と開けてくださることになりました!!(そうでもしないと帰らないと思われたのかも?)

本気で本気で申し訳ない!!&ありがとうございます!!!

というわけで、みんなはちゃんと17時までに行こうね・・・!!!

受付でパンフレットとお札をいただきました

拝観料を払って、ついに!ご対面・・・!!!

会えたーーー!!!

なんてびゅてぃーふぉーなおみ足!!!

そして住職のこだわりを感じるたわわに実ったお胸の桃色チラリズム!!!!!(きっと数ミリ単位で見える範囲を計算しているに違いない)

どきどきどき

坂出から山を越え谷を越え、約3時間半ほどかけてやって来たのは、こちらにいらっしゃる弁「財天さま」に会うためだったのだーーー!!!

え?「お花大権現さま」に会いにきたんじゃないの・・・?って思いますよね・・・。お堂の真ん中にいらっしゃるのがお花さん。弁財天さまのお姿に興奮しすぎて、失礼してしまいました。すみません・・・。しかも焦りながら撮ったから、ブレてる写真しかなかった・・・。

お花大権現由来(パンフより)

お花さんは元禄(1688〜1704)時代の人で、当地(東みよし町)の出身の人、または蜂須賀家の姫であったと言われている。播州のある城へ、城主の姫として、あるいは側室であったと伝えられている。

ある年、殿の不在中同輩の妬みを受け、お花は24歳にして絞殺された。その後、城中には奥女中が変死を遂げる怪事件が相続いて起こり、城内は修羅場と化した。帰城した殿は、お花の不在を怪異に不審を抱いていたところ、ある夜お花の姿がぼう然と殿の枕元に立ち、惨事のさまと性の御仏になることを告げた。不憫に思った殿は、早々城内に立派な祠堂を造り、お花の御霊を供養した。その後は、怪異も納まったという。

その後、善達という僧が、寛永14年に当地の西山路部落の観音堂に御霊を移され、祀られる内シンボル(陰陽物)を奉納するようになった。シンボル(性器)を祭るのは、原始時代の崇拝がルーツである。

なんで突然性の御仏になることを宣言するのかは謎だけども・・・。

あちこちにズラリと置かれている男根たちは、お参りされた方々が自分で作って奉納したものとのこと。すごい!!子宝祈願に東京から来られる方もいるそうです。

気になる絵

こちらの大きな木は「お花さんの穴禅定」。ちょうど影になって真っ黒だけど、穴が空いていて、そこをくぐると無病息災になるとか。もちろんくぐる時間もなく・・・。

もっとゆっくり拝観して思う存分写真も撮りたかったけど、蚤の心臓なので感謝を述べてすぐに退散することにしました。ちょっとしょんぼりしながら先ほど通り過ぎたお寺さん前にあるお花食堂もパシャパシャ。こちらもとっても魅力的でした。

中をちょっと覗いてみた

念願のお花大権現。下調べ不足で散々な結果に終わったけれど、少しだけでも拝観することができてよかったです。

でも!またいつか!!死ぬまでに必ずやリベンジするぞ・・・!!!木の穴もくぐってやるぞ・・・!!!!!

そう固く決意するのであった。

なんだかんだで忘れられない思い出

帰りは駅前の物産館に寄り道。カメラをぶら下げているのを見て興味を持ったのか、お店のおじさんに何を撮りに来たのか聞かれます。包み隠さずお花大権現に行って来たことを伝えると、笑いながら「すごいね」と言われました。何がすごいのかわからないけど、

ありがとうございます!!!

後悔を残しながも目的を果たし、電車に再び乗って本日のお宿へと向かいます。陽は山に隠れ、あたりは少しずつ夜に沈み始めていました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:CONTAX Aria

香川徳島ひとり旅2022⑦へとつづく▶︎▶︎▶︎

【06】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜神社巡りと盆踊り編〜

悪石島のお天気は今日も晴れ。容赦のない日差しが矢のように降り注いでいます。水筒に水をたっぷり入れて、覚悟を決めていざ出発!!!

CONTENTS

灼熱地獄坂、ふたたび

日陰になる自然遊歩道を通り抜け、上集落に向けて真夏の坂道を延々と登っていきます。

昨日と同じ場所からパシャリ!でも、昨日と決定的に違うところがひとつ・・・

(film)

そう!青い海に浮かぶ真っ白なフェリー・・・!!!

ツアー客を乗せて戻ってきたフェリーとしま2です。トカラ列島の宝島と小宝島の観光を終え、ついに悪石島入りしたもよう。今日がボゼの現れる日なのだと実感!静かに胸が高鳴ります。

上集落まであと十数分というところで、悪子さんたちや、昨晩キャンプ場で夕食を差し入れしてくれた島人の車が通ります(お礼言えてよかった!)。みんな親切に乗せてくれるいうのになぜか再び断るという・・・!!どうしても自分の足で上集落に辿り着きたくて・・・。もういい加減変な自分への挑戦心やめてほしい。

乗せてもらった方が島人とも交流できたし、気になっていた「水の子」の材料についても聞くことができたのにーーー!きっと灼熱の太陽に照らされ続け、思考が鈍っていたに違いない。後になって猛烈に悔やむのであった・・・・・。

上集落

どうにかこうにか2度目の上集落へ歩いて到着!

キャンプ場から1リットルの水でほんとギリ。歩きで移動される方は、大量の水を持って行くことをオススメします。水だけでなくもちろん塩飴的なものもね・・・!

コミュニティーセンターにはツアー客と思われるワゴンがみっしり!

今日になって一気に島の人口が増えた!穏やかだった島の雰囲気が一気に騒がしくなって、なんだかそわそわしてしまいます。

盆踊りの開始時間については様々な情報が飛び交っていて、コミュニティセンター周辺はちょっとしたカオス状態・・・笑。みんなボゼが現れる時間が気になって仕方ありません。

ちょうどコミュニティセンターに情報が入り、16時開始ということが判明。まだ時間があったので、昨日行けなかった場所を急いで巡ることにします。ゆっくり休んでる暇などないのだ〜!!!

神社巡り

悪石島にはいくつかの神社が点在しています。目的の神社に向かっていると、さっそく雰囲気満点の素敵ロードを発見!!!

(film)

南国の雰囲気がたまらない〜!!!

麦わら帽子でワンピース姿の女性を立たせたい・・・。

まるで血管のよう

島中坂森神社

まずは先ほどの素敵ロード近くにある島中坂森神社へと到着。境内には木漏れ日が降り注ぐ静謐な空間が広がっていました。

(film)

人気のなくてちょっと怖いけど、とても神聖な雰囲気でした。

鳥居に刻まれる鋸歯文(きょしもん)という悪魔祓いの意味があるギザギザの模様が目を惹きます。日本ではとトカラ列島でしか見ることができない鳥居の特徴で、東南アジアのラオスやタイの出入口の門にも見られるそうです。

鋸歯文自体は、鳥居以外だと弥生時代から古墳時代にかけての土器や古墳の壁画、飛鳥・奈良時代の河原などにもみられるとのこと。

鳥居について、参考にした人さまのブログやページ▼▼▼

『難易度高い!トカラ列島!宝島、悪石島、諏訪之瀬島での1人旅』鹿児島県の旅行記・ブログ by piston39さん【フォートラベル】

『2022年7月離島(6)トカラ列島(4)悪石島ー金山神社 坂森神社 ボゼ祭り施設 対馬丸慰霊碑 自然遊歩道 砂蒸風呂 湯泊温泉 御嶽』トカラ列島(鹿児島県)の旅行記・ブログ by 愛猫シロネコさん【フォートラベル】

鋸歯文 - Wikipedia

なんとこの鳥居の真ん中(それとも鳥居自体?)は通ってはいけなかったようです(1番目のブログに書いてた)。そうとは知らず堂々と歩いてしまったよね・・・。今のところなんともないから大丈夫・・・だと思おう!これから行くひとは気をつけてね!!

八幡神社

お次に向かったのは八幡神社。

八幡神社へと向かう途中で飼われていた牛(fim)

集落の中心からちょっと離れていて、歩くのが地味にきつかったー!ツアー客の車に追い越された時は「乗せてって〜!!!」と心の中で叫びましたよね・・・。

この道を進んでいくと、どんどん狭くて急な下り坂に

有刺鉄線を跨いで入ります

こちらが神社への入口。なんと有刺鉄線が張られています!これは人が入っては行けないという・・・意味ではなく、どうやらヤギが侵入しないためのようです。

ここにも魔除けの鋸歯文

人気のない鬱蒼とした竹林を進んでいきます。

やっぱりちょっとこわい・・・。雨の日とかだったら近寄れない雰囲気です

植物に侵食されたケースが(film)

奥には小さな鳥居もありました。

小さな鳥居にも鋸歯文。何かの儀式の跡も?気になる〜

上集落へ戻る時は来た道をUターンせず、まだ歩いたことがない道から帰ることにします。

あ!遠くに牛・・・!(film)

するとなんと!キャンプ場から上集落へと登って行く途中の灼熱地獄坂へと逆戻り!!!

なんという悪夢

ここに着いたとわかった瞬間、軽く絶望しました・・・(右の道から出てきた)。つまり上集落まであと0.9km!また同じ道を歩くんかい・・・!!!

ほんとどこにも日陰がないんだよ

マジで、気が遠くなるほど、キツかった・・・・・。

金山神社

どうにかこうにか再び上集落にたどり着いて、最後に訪れたのが金山神社。テラからも比較的近い場所にあります。ちょっと奥へいくとこんな人気のない森にたどり着くからドキドキ。

もちろんこちらの鳥居にも鋸歯文が刻まれていました。

神社巡りを終え、そろそろ盆踊りが始まる時間。テラへと戻ることにします。

乙姫さま

テラのすぐ隣の敷地には、今まで巡ってきた昔からある神社とはちょっと毛色が違う神社もあります。

(film)

『トカラ列島民俗誌』(下野敏見 著)によると、こちらは比較的新しい神様のようでした。

以下要約▼▼▼

1956年頃、悪石島出身の女性が神がかりしてガジュマルの木の根元を掘れとの暗示を受け掘り返したという。なんとそこから乙姫さまの骸骨が綺麗な形で出土し、首に曲玉をかけていた。その曲玉を御神体にして小さな祠を造って祀ったのがはじまり。

この他にも『トカラ列島民俗誌』には、集落内にある「ボゼ石」や、格子状に線が刻まれた石敢當(いしがんとう)についても書かれていて、ものすごぉーーーーーーーく見たかった!見たかったのに!!!時間がたりずに今もあるのか確認することができませんでした・・・。2回目に訪れた際の宿題として残しておこうと思います。

テラ

テラ入口前には、すでにツアー客たちが盆踊りが始まるのを今か今かと待っていました。

(film)

昨日入ることができたテラは、立ち入り禁止になっています。おそらくボゼを作るところを見せないためかと思われます(島の女性も見てはいけない)。その決まりも昔は緩かった時もあったようですが、今では厳重に守られているもよう。

もう少しで16時という頃、立ち入り禁止のポールが取り除かれ、ついに中に入ることが許されます・・・!!

ぞろぞろとみんな中へ

昨日は島人と数組の観光客と撮影班しかいなかったのに、今日はテラ内がみっしり!!

盆踊り待機中のおじさまたち

盆の最終日、ついに盆踊りが始まります。踊りは数種類あるようですが、1、2度ほど見ただけでは違いはよくわからず・・・。「長崎船」「花踊り」「俵踊り」「財布踊り」などなどなどいくつもあるらしい。

(film)

そして、昨日の盆踊りの時にはなかったものに気づきます。

(film)

こ、これは・・・!!!

「赤土」・・・!!!

それはテラで古くから使用されていたという手水の中に入っていました。この赤土は部落の上の決まったところから取ってきたもので(どこなのかしら!)、水で溶かすと絵の具のようになり、ボゼの衣装の赤色部分にはこの泥が使われています(黒の部分は墨)。

どんべいの器も生活感あってトテモイイ

ボゼの準備が着々と行われていると思うとワクワクが止まりません・・・!!!

「水の子」越しの盆踊り(film)

テラでの踊りが終わり、昨日と同じく小中学校に向かってぞろぞろと大移動。

かろやかにトラックで移動する島人も。うらやまし!(film)

本来なら、テラからすぐ近くの公民館横の空き地に移動して、再び盆踊りが行われ、その途中でボゼが登場するのが恒例でした。しかし、今年はコロナ禍以降はじめて観光客を受け入れての開催。今までの公民館では狭すぎるということで、今年は小学校での開催になったそうです(校庭に木が新たに植樹されたのもそれが理由らしい)。

公民館の空き地。確かに狭い

ぎゅうぎゅうの中でのボゼ、体感してみたかったなぁー。

みんなが小学校へと移動する中、ちょっと残ってお墓の写真を撮っていたら、島人から出ていくように諭されます。

きっと!ボゼが!最終準備するからですね・・・!!?(鼻血)

ずっとテラに居座っていたい・・・そんな願いはもちろん叶わず、後ろ髪を引かれながら小中学校へ。一体どのタイミングで、どこからボゼが現れるのか・・・。

ついに次回、夢にまで見たボゼの登場です・・・!!!

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:CONTAX Aria

【07】悪石島のボゼに会いに行こう!2022へとつづく▶︎▶︎▶︎

悪石島のボゼに会いに行こう!2022【記事リスト】

【00】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜前日譚〜

【01】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜島旅前夜編〜

【02】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜上陸編〜

【03】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜灼熱地獄坂編〜

【04】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜水祭り・盆踊り編〜

【05】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜キャンプ飯編〜

【06】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜神社巡りと盆踊り編〜

【07】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜ボゼ編〜

【08】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜最終回〜

【09】悪石島のボゼに会いに行こう!2022〜番外編〜