彷徨する旅のアーカイブ

旅先や日常で出会った「非日常」の記録

⑦竹田キリシタンを巡る旅【古民家のホステル】

早朝からみっちり動き回って疲労困憊!そろそろ今朝荷物を預けたお宿へ・・・。

CONTENTS

城下町の街並み

お宿へと向かう途中、ちらほら素敵な建物に遭遇します。

こちらは洋風の建物。おでこの装飾と「谷」の木製フォントが素敵!

大好物

シックな黒漆喰(?)の壁の年季の入った商店も。

瓢箪型の看板も良き

今回は時間が限られたキリシタン旅。ゆっくり街を散策できなかったけど、ちょっと歩くだけでこんな風に出会えるのだから、きっともっと楽しい通りが隠れているに違いない。

いい感じのホルモン屋さんもありました。こんな味のあるお店にふらっと入って一杯やりたい人生だった・・・。

ひとり旅はできても、こういうお店に一人で入り切れないチキン

竹田の街をてくてくてく。

豆タイルと綿帽子

食彩 さきち屋

夕暮れ時にお宿へと到着。その頃にはもうくたくたで一歩も外に出たくない気持ちに・・・。最初は近くの温泉に行くつもりだったけれど、いよいよ雨も降り出してきたことだしお宿に引き篭もることを決意。宿に着いて早々テイクアウトできるお店を教えてもらい夜ごはんの調達です。

一歩も歩きたくないわたしの思いを知ってか知らずか、教えてくれたのは宿から歩いてほんの1分ほどの距離にある「食彩 さきち屋」さん。

おふくろの味的な最高の惣菜屋さん!その場にあるおかずでお弁当も詰めてもらえます。とっても人気で夕方頃にはあっという間に売り切れてしまうらしい。わたしはなんとかギリギリ間に合い、お弁当を作ってもらうことができました。よかったー!竹田には他にも色々と美味しいお食事処があるみたいなので、次行く時はいろいろ食べ歩きたいなぁ。

さて、夕食をいただく前に、本日宿泊するお宿をどうぞ召し上がれ〜!!

たけた駅前ホステルcue

外観

あぁ、もう大好きすぎますよね・・・。※撮影時間はまちまちです

前から、斜め前から、斜め後ろから。どこから見ても美味しい

築80年以上の古民家を改装したホステル。ちゃんと古さを残しつつ改修していて、もう宿のご夫婦含めて大好きだった・・・。

正面の扉から入ると、お宿の方が経営しているパン屋さんとカフェあります。

かどぱん。いい感じに色褪せた藍色の暖簾

パン屋とカフェの奥が宿泊施設になっていて、正面からも入ることができますが、宿泊者専用の出入り口も建物側面にありました。

ガラガラガラーっと扉を開くと当時のままの豆タイルがお出迎え。らぶ!

1F

ショップ

中に上がるとまずショップスペースがあります。オリジナルデザインの手拭いや、古い食器なども売られていました。奥様が古物商の免許を持っているようで、建物のあちこちに古道具があるのもわたし好みで嬉しかった!

県外のいい雰囲気のドミトリーのパンフ等も色々あって気になった

姫だるまのメッセージカード

金魚鉢かわいい〜
中庭

建物の中央には小さな中庭があります。

丸窓
お風呂場・トイレ

お風呂はシャワーのみ。お風呂でゆっくり疲れを癒したいお方は温泉に行くのがオススメです。割引の温泉券もお宿で販売してるとのこと。トイレは2階になくて、1階に2箇所あります。窓には昔ながらのネジネジ鍵でした。

なんて書いてる?
リビングスペース

とっっっても落ち着く空間で大好きだった。まるでおばあちゃんちにいるような感覚。やっぱり畳にコタツ最高だよねぇ(えーっと、たぶん掘りごたつだったと思うけど・・・どうだったけ?忘却)。キッチンもあるので自炊することもできます。

こちらにも湧水のサービスがありました。うれしいね!

2F

2Fは宿泊スペースになっていて、ドミトリーや個室があります。

中庭を上から

雨が降っていなければベランダでのんびりできるスペースも

熊本でいう「くまもん」と同じくらいどこにでもいる「姫だるま」
部屋

今回わたしが泊まるのは「蒼」のお部屋(個室)。

 

めちゃくちゃおしゃれで素敵ーーー!!!

とっても気に入ってしまいました。

ただし、やはりこちらのお家も前日に泊まったお宿と同じく耳栓必須。騒音が苦手なお方は洗面所に置いてある耳栓(100円)を購入しましょう(わたしは旅の7つ道具として必ず持ってきている)。

夕食

室内での飲食は禁止されているため、お弁当は共用スペースでいただきます。

惣菜屋さんのお弁当

え、めちゃくちゃ美味しいじゃん・・・!!!こんなお弁当屋さん家の近くにほしいよ〜。

ごはんを食べていると、ちょうど他の宿泊者がチェックインしているところに遭遇。聞き耳を立てていると、ご主人が相手が求めるものに合わせて色々と案内していて、その引き出しの多さに感動。竹田観光のコンシェルジュだわ・・・!!ディープな観光案内を求める方はこちらに宿泊することをオススメします。

ウェルカムドリンク

宿泊者にはウェルカムドリンクを1杯(半分の量)いただけます。うれしいね!

かぼすハイボール。わたしは柑橘を求めていたんだ・・・(疲れにはクエン酸よ!)

話上手なご主人が気さくに話しかけてくれました。竹田についてとても詳しいからてっきり地元の方なのかと思ったら、なんと地域おこし協力隊で関東から移住してきたとのこと。あちこち旅するようになってから地域おこし協力隊の方に出会う機会がほんとに多い。みなさん立派な考えを持ってて尊敬します!

ネットにない竹田キリシタン情報を知っているのも、研究者がよく泊まりにくるからその時に情報をもらうそうです。めちゃくちゃいい環境ね!また竹田に遊びに行く際には、ここで聞き込みしたいと思います笑

Relay Diary

蒼い部屋へと戻り色々と明日の準備をすませ、最後にこの部屋にしか泊まった人しか書けない&読めない日記帳を取り出します。普段なら書かないけれど、今回はなんだか書きたい気分。感謝の気持ちをしたためます。

蒼の部屋の主だけが読めるノート

朝から夜までずーーーっとホームランを打っているような1日でした。耳栓越しに優しく音を立てる雨音を聞きながら、ゆるやかに眠りへと落ちていくのでありました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑧竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

③竹田キリシタンを巡る旅【大庄屋屋敷で春を食す】

気づけば予定をすでに30分オーバー!

3、40分ほど余裕をもって予定を組んでいたけれど、えーっとつまり、もうギリギリ・・・?ってこと???

CONTENTS

爆走自転車、竹田をゆく

移動中に目移りして、あれもこれもと写真に収めたくなるからいけません・・・。

「後藤祐次郎先生碑」と書かれた石碑。検索しても何もわからず・・・

わたしには次向かう場所に遅れてはいけない理由がありました。なぜなら予約していたから!!ここから自転車で約1時間ほどの距離。なかなか遠いけど、時間ぴったりに到着する感じだからセーフかな??焦りながらもこの時はまだまだ余裕がありました。

なにやら雲行きがあやしい

もう立ち止まらず写真も撮らず!よそ見しないで向かうんだからね・・・っっっ。

と、言ってるそばから相変わらずの豆腐の意志。

両脇の手作りお地蔵さまかわゆい

何やら素敵な石橋が・・・!これは立ち止まらずにはいられないやつ。寄り道はきっとこれで最後だから・・・ね・・・?

通りたい・・・通りたい・・・・・

石橋と並行に架けられた新しい方の橋の上から撮影します。このまま進めばいいのだけれど、あの橋の上を通ってみたい・・・。そんな欲求に駆られ、どうせ進行方向が一緒なら・・・と、ちょっと遠回りして石橋へと向かいます。

「すみよしばし」と書かれています

1922(大正11)年竣工の住吉橋の下では、岩の間を水が勢いよく流れていて、思わずその様子をずっと眺めていたくなります。

真っ白な蛇のような水流

今はきっと渡る人も少ないであろう石橋を渡って大満足。再びペダルをこぎ始めるも・・・

真ん中の道を通りたい

再び豆腐(立ち止まって写真を撮るの意)。

だってだって、こんな景色に出会ったら立ち止まらずにはいられないでしょ・・・?

しめ縄がぐるり

背後の丘の上には神社のお社と思しき建物の影が見えました。さらに進むとやはり神社が。

実は神社よりもわたしの目に飛び込んできたのは・・・

!!!!!

ここここここれはーーーーー!!!

この不思議な形をした石。実は、今回の旅でとっても重要なものひとつだったりします。が、いかんせん今は時間がない!泣く泣くこの場を去ることに・・・。

去る、というのは嘘で、この神社の目の前にも最高に趣のある建物が建っており、懲りずに写真を撮りまくるのであった・・・。

大好き!大好きだよぉぉぉ

おまえたち、わたしを前に進ませない気かい・・・??

神社の前にあるということは、旅館だったりしたのかなぁ

血が流れそうなくらい後ろ髪を強く引っ張られながら、前へ、前へと進むのであります・・・

蔦に赤煉瓦の煙突!パーフェクト!!!

数々の誘惑に何度も負け続けながら走り続けます・・・

臨場感

え!もう自転車のバッテリーのランプが「空」になってるよ!!!

大ピンチ

ここで電動自転車がストップしたらもう街中に戻れる自信はありません。泣きながら自転車を押して坂を登る絶望的な姿が脳裏に浮かびました。嗚呼、まだまだ先は長いというのに・・・。

とりあえず猫に癒しを求めよう・・・(現実逃避)

お、おまえ・・・そんな顔で俺のこと見てたんか・・・??

まずは何が何でも予約してる場所へと辿り着かねばならぬ・・・!!!

現実に戻って再び自転車を走らせます。焦るあまり地図アプリを2度も見誤り同じ道を行ったり来たり・・・。

わたしはいったい今どこにいるの???

時計を見ると絶望的な「11時25分」の文字。予約した時間はその5分後でした・・・。

もう、もうだめだ・・・・・。

覚悟を決めて2〜30分ほど遅れることを電話で伝えます(人間失格)。もっと早く連絡すればよかったのに直前になってしまったのは、頑張れば間に合うと思ったからなんだ・・・(人間失格)。

連絡したことで多少は落ち着きを取り戻し、今度は地図を見間違えないように慎重に慎重に・・・。が、地図アプリに今は誰も通っていないような旧道を案内されるのであった。

落石注意だよぉぉぉーーーー

もう前に進むしかない・・・!!!

臨場感

するとここでまさかの史上最高のトラップ出現!!!

うぁぁぁぁーーーーーー

ま、まさかこんな素敵な光景が現れるなんて・・・(感動のあまり咽び泣き)

おーさまのみみはろばのみみーーーーーー

自然の穴なのか、それとも人の手によって掘られた穴なのだろうか。中には水が溜まっています。

水が湧いているような感じはしなかったけど、昔の人が水汲み場として利用していたとか?そして枯れてしまって使われなくなったとか??疑問がどんどん浮かんできます。

でも、ゆっくり思いを馳せる時間はわたしには残されていないんだ・・・。おそらくこの道を通るのは最初で最後。急いでたからどこをどう通ったのかぜんぜんわからない。記憶と数枚の写真に焼き付け、この場を去るのでありました。

思わぬものを見れた感動に打ち震えながら、荒れ果てた旧道を通り抜けます。

車が通った跡があるということは、まだここを利用する人がいるということか

それからは脇目をふらず目的地に向かって一直線!なぜならぽつぽつと降り始めていた雨が、だんだん本降りになってきたから・・・!!天気予報ではもっと遅い時間から降り出す予定だったのに・・・

もうすぐ、もうすぐ着くからがんばって・・・!!!

こういう古い素朴な石橋大好き

古びた石橋を通り抜け、ついに目的の地へと到着・・・!

Café Johane(慈世庵)

この先に素敵な場所が存在することを予感させる石垣と階段が待っていました。

階段を登った先に現れたのはCafé Johane(カフェ ジョアン)さん。

周囲をゆっくり観察する余裕もなく駆け足で玄関へ。約20分遅れて到着です。

玄関先の姫だるま

まずは出迎えてくれたおじさまに平謝り!うぅ、ほんとすみません・・・。今回のことで、次からは1時間余裕を持って工程を組もうと心に誓うのであった。人に迷惑かけない人間になれるよう頑張ります・・・(もうだいぶ大人ですが)。

さて、気を取り直しまして・・・。こちらが本日のランチ会場です。

そう、わたしは懐石ランチ(2,000円!)を予約していたのだ・・・!!

貧乏旅とはいいつつも、旅の中で1度くらいはは贅沢したい・・・。キリシタンを巡る旅だというのに、当の本人は本日も欲にまみれながら生きております。

では、さっそく七つの大罪のひとつである「暴食」を極めることといたしましょう・・・。全然関係ないけど大昔に1度だけ観たブラピの映画「セブン」が忘れられない。

贅沢!懐石ランチ

席に座ると次々にお皿が運ばれてきます。まずはこちらの三品から。きっとタイミングよく運ぶ段取りで作ってくれてたよね、ごめんなさい・・・。

お庭を眺めながらいただきます

がしかし、いつもならもうお腹が空いているはずなのに、自転車猛ダッシュ&焦りのせいかなんだかちょっと気持ち悪いような・・・??せっかくの贅沢懐石ランチを心ゆくまで楽しみたいのに・・・。無理せずゆっくり食べることにしよう・・・。

まずはお寿司をぱくり。

上に乗ってる黄色いのはなんだろう?

自家製甘酒もとっても美味しい。このやさしい甘酒で気持ちが落ち着いたのか、気持ち悪さが少しずつ消えていきます。

自家製甘酒

蓋を開けると・・・茶碗蒸し!大好物なのよーーーー!!!

お出汁がきいててとっても美味しかった

使われている食器もどれもとてもよかった。得に甘酒が入っているカップとソーサーは装飾も美しく、相当古いもののように感じました。なんでもお祖父様が集めたものとのこと。よい趣味してらっしゃる〜。

美しい器でいただく美味しい料理。とても豊かな気持ちになる

お次はこちらの三品。

アスパラとローストビーフ、フキとセリの白和え、筍の煮物

ほんとどれも美味しかった!どちらかというと今までは苦手だった白和えもフキとセリがいい香りでとても好きだったし、筍の煮物もやさしい味付けで体が喜んでいます。

そして一番感動したのは、春を感じるこちらの品々。

目の前に広がる春

吃驚したのが天ぷらの盛り合わせ。上にのっているのはツツジ・・・!!!

躑躅(つつじ)の漢字表記も好き

ツツジの天ぷらなんて初めて見たし初めて食べた。味は正直よくわからなかったけど(たぶん衣にしっかりと味がついていた?味音痴の分析)、その雅で可愛らしい食べ物に胸がキュンキュンしてしまいます。もちろん山菜と川魚、卵焼き(めずらしい)の天ぷらも美味。

ツクシとワラビの炊き込みご飯も大変美味しゅうございました。

山菜が美味しく感じるお年頃

実はつくし初めて食べたし、ネバネバして塩味のあるワラビも好きだった。付け合わせの甘い赤紫蘇のお漬物(もちろん自家製)も美味しかったよー。ボキャブラリーが貧困すぎて美味しいしか言えない・・・

これらの食材はほとんどこの辺りで採れたものとのこと。どの料理も手間をかけて丁寧に作っていることが感じられて、お腹だけではなく心も満たされるようでした。

実はもうお腹いっぱい!美味しいのに胃袋がついていかない悲しみ・・・。胃袋が悲鳴をあげている中、一番最後に出てきたのが・・・

豆乳のおしるこ!!!!!

大粒の立派な小豆がこんにちはしているよ

何を隠そう小さい頃からわたしは根っからの小豆ぎらい・・・。小学校の給食でおしるこが出てきた時には食べることができず最後まで居残ってた記憶。

まさか最高のお食事の最後に、このような試練が待っていようとは。嗚呼、神様。これは遅刻したわたしへの罰ですか・・・?

もちろんせっかくのお料理を残すことなどできません。

飲み込むしかない・・・

意を決してまずはひとすくいおそるおそる口の中に運びます。あれ?あれあれ・・・??わたし・・・小豆食べれるようになってる!??思ったよりもぜんぜん平気で、満腹になりながらも完食してしまいました。よかったー!

さて、1度に2度も3度も美味しいものを求めがちな貪欲なわたくし。こちらを訪れたのは贅沢ランチをいただくためだけではなく、実はもうひとつ大事な理由がありました。

大庄屋(おおじょうや) 大津家

カフェを営むのは、大庄屋(昔の町長、市長の役割)であった大津家十六代目のご当主。現在のお屋敷は、1653年に岡藩3代目中川久清が建てた約370年もの長い歴史をもつ建物です。

室内に飾られていた昔のお屋敷の写真。当時は茅葺き屋根だったんだね

今回の旅の目的は「キリシタン」。そう、なんとこちらのご主人の祖先はキリシタンだったというのです。その信仰心は、大津家の立派なキリシタン墓や、十字があしらわれた家紋にも表されています。十字家紋はお屋敷の屋根瓦にもあるのですが、確認するのを忘れてしまいましたよね・・・。

ご主人にキリシタンに興味があって訪れたことを伝えると、いくつか資料や古写真を取り出して見せてくださいました。ありがたや・・・。

以下の資料は禁教下の1620年度の日本年報(布教のため来日したイエズス会士によって毎年作成された報告書)。そこには禁教下で宣教師を宿泊させた庄屋、ジョアン・ディエゴ(洗礼名)について書かれています。

見せてもらった資料の一部。ブレてる・・・

「Café Johane(カフェ ジョアン)」は、その庄屋というのが大津家であったのではないか・・・という思いからつけられたそうです。

いろいろな興味深いお話を伺いながら、ふと外を見るといつの間にか雨は止んでいました。市街地へ戻るチャンスは今しかありません。ゆっくりとお話を伺いたいところですが、そろそろお暇することに・・・。

四国八十八箇所巡りもできる

ちなみにジョアンさんでは、四国八十八箇所を一度に巡ることができます。

たくさん敷き詰められた小石の上には木の板が

壁にはたくさんの掛け軸が掛けられています。そしてその部屋の一角にあるのが一枚の木の板。下には各寺院の石が敷き詰められているそうです。つまりこの上を歩けば八十八ヶ所のお寺さんを巡ったことになるという!なんともお手軽な仕組み!!

めんどくさがりのわたしにぴったり

しかしわたくし、なんと歩きそびれてしまいました・・・。また再訪しなさいということなのでしょうね・・・。

お見送りしてくれるご夫婦に別れを告げて外にでます。

豊かな自然に囲まれたお屋敷

カマボコ石

敷地内の階段を少し登り、庄屋屋敷を眺めてから何気なく下に目を向けると・・・

こ、ここここここれは!

カマボコ石・・・!!!

カマボコ石とは竹田市内にある岡城跡の入口にもみられる、その名の通りカマボコ型の石。岡城はまるでヨーロッパの古城のようといわれることも多く、このカマボコ石はヨーロッパのクリスチャンの墓石と酷似していることからキリシタンに関係しているのではないかとも言われています。

つい先日、NHKの番組「歴史探偵」の島原の乱の特集で、このカマボコ石型のキリシタン墓碑が紹介されていました

ジョアンさんに向かう途中の神社にもありましたね・・・。

え?もしかしてほんとにキリシタン墓碑だったりする?

どうやら岡城だけでなく、竹田市内のあちこちに存在しているのかも・・・。こちらの神社にもぜひ再訪してお参りしたいです。

大津家のキリシタン洞窟

カマボコ石だけではなく、なんと敷地内にはキリシタン(外国人宣教師であったのではないかとも)を匿っていたといわれる洞窟も残されています。

洞窟は三つ

江戸時代初期に作られたという三つの洞窟のうち、一番右のほぼ五角形の洞窟内には祭壇のようなものがあります。

祭壇らしきもの

向かって一番左端の洞窟は汲み取り色のトイレとのこと。ほんとにここに人が住んでいたんだね・・・!?

 

庄屋といえば藩主の宿泊所でもあり、当時キリシタンの踏み絵も行われた場所。そのような危険な場所にキリシタン洞窟があることも、藩ぐるみでキリシタンを匿ったのではないかといわれる理由のひとつになっているようです。

ここからそう遠くない場所(歩いて20分くらいとおっしゃていた)にも、五角形に彫られたキリシタン礼拝堂が残されています。キリシタンへの弾圧が強くなるにつれ、もっと奥へと移動することになったとのこと。そこにも行きたかったけど、今回は雨の心配もあったので深追いせず・・・。

階段を登った左奥がキリシタン洞窟、右へ曲がるとお屋敷があります

ジョアンさん、とてもよかった!色々と取りこぼしたものがあるので再訪を心に誓うのでありました。また美味しい懐石料理も食べたいな。

■Café Johane(慈世庵)

 〒878-0001 大分県竹田市植木728 食事処おおつ (竹田ICから2分) 

TEL:0974-62-3914 営業時間:10:00 ~ 15:30 休業日:月、火

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

④竹田キリシタンを巡る旅へとつづく▶︎▶︎▶︎

長崎カメラさんぽ2023③【長崎ぶらぶら編】

あっっっっという間に正午を通り越して14時過ぎ。まだ行きたいところがあるのにぜんぜん時間が足りないよ・・・!!!

CONTENTS

だがしかし、朝パフェしか食べてないのでちょっくら一息入れたい・・・。というわけで、大好きな喫茶店を目指し電車でGO!!

ままままさかの長蛇の列。恐るべし、らんたんふぇすてぃばる・・・
増便しているのか意外にも早く乗れたからよかった

たくさんの人たちで賑わっている思案橋駅で下車。商店街を歩いていると、賑やかな音と人々がざわめく声が聞こえてきました。

中華な格好をした女の子たち

皇帝パレードに遭遇!!!ランタンフェスティバルの催しのひとつです。ゆっくり見学したいけど早足に駆け抜けて喫茶店へ。だってだって、人気の喫茶店なんだもの!満席で入店できなかったら泣いちゃうーーーー

愛しの「冨士男」に会いにゆく

大大大好きな冨士男!!またあなたに会いに来たよ!!!

長崎に行ったら必ずと言っていいほど訪れる喫茶店。まず外観からしてイケメンです。

まるで甲冑のような外観(未撮影だったので、2020年1月末のランタンフェス時に撮影した写真をば)

The 純!喫!茶!な、温かみのある内装もとっても素敵なのよ〜。

クラシカルな空間と芸者を描いた洋画の組み合わせがとっても素敵だし、白タイルの壁も特徴的(2020年撮影)

へっへっへ、みんなが皇帝パレードに釘付けになってる間に滑り込んでやったぜ・・・!!(わたしの後に入った人たちは断られていた)

店内からパレードを眺めるのも乙なものです

冨士男にきたら是非とも食べてほしいのがフルーツサンドたまごサンド(冨士男のメニュー表ではエッグサンドでした)。今までいろんなところで食べてきたけど、もしかしてここが一番美味しいのではないか・・・??(あ、あと東京の「はまの屋パーラー」さんも好き!)

うんうん唸りながらすっごい悩んでフルーツサンドを注文することに。ハーフ&ハーフできたらいいんだけどなぁ。だってどっちも食べたいいいい!!!

なーんとわたしのすぐ後に注文した人がパンの品切れで断られてました。あと一歩注文が遅れてたらフルーツサンドにありつけないとこだったよ!想像するだけでふるえる・・・っ

瑞々しきフルーツとクリームの断面

やっぱめちゃくちゃ美味しいな!!!

けど、そういえばつい数時間前にいちごパフェ食べたばっかりだったよな・・・たまごサンドにすればよかったな・・・(いつもメニュー選ぶ時に思考停止しちゃう人)

今回食べれなかったたまごサンドの写真も載せておきますね!こちらは去年の10月に食べた時のです(どんだけ行ってんだ)。

この時は同伴者がいたのでフルーツサンドも注文してシェア

ちなみに冨士男さんではお持ち帰りもできます。旅の帰りにで電車の中で食べるフルーツサンドのなんと美味しいことよ・・・(2020年撮影)。

わたしが女優だったら撮影現場に差し入れするわ!

長崎ぶらぶら

大好きな冨士男を満喫して、再び長崎カメラさんぽスタートです。

思案橋

まずは長崎を代表する歓楽街、思案橋周辺をぶらぶらぶら。道路の突き当たりに現れる印象的な石造りの建物はなんと交番・・・!!!

いつ頃の建物なのかは調べてもよくわからなかった・・・

この辺りはその昔日本三大花街のひとつといわれた「丸山遊郭」があった場所。交番の写真を撮った位置のすぐ横にはカステラの福砂屋本店があって、近くには見返り柳と当時の思案橋の一部が残っていたらしい。残念ながら見逃したー!(けど目の端には写ってた気がする)。

福砂屋本店の柵にはかわいい蝙蝠がいらっしゃいました

今回は丸山遊郭については深掘りせずに、歓楽街を抜けていきます。

「ロマン街」という名前がロマン

歓楽街ではスナックの名前やフォントをチェックしてしまうわたくしです。

「ニュー六本木」、「ます」いいね。新旧入り乱れてる感じ。

「新宿」(憧れからきたと思われる都会の地名を使った名前にグッとくる)や、「むぎばたけ」がお好みです。「恋連」のルビもいいね。

「淑子」や「恵子」など人名だと「淑子さんがママなのかな?いったいどんな女性なんだろう・・・」とか、「高千穂」などの地方名だと「宮崎から流れてきたのかな?どんな人生歩んできたんだろう・・・」とか。妄想がむくむくむくむくとふくらんできて楽しいです。

以上、スナック看板の楽しみ方のススメでした。

ギザギザギザ

生活を垣間見る

唐人屋敷

歓楽街を抜けると、唐人屋敷のある通りへとたどり着きました。

にゃん!

自家現像のモノクロフィルム、リールの巻き取りに失敗してなかなか不明瞭な写真になってしまいました(粗悪なスキャンのせいもある)。でもそれが逆に幻想的な雰囲気を醸し出していて、まるで昔の中国のように見えて(昔の中国知らないけど)お気に入りです。キョンシーでそうじゃない!?

カラーだとこんな感じ

こちらは「丸金温泉」という元銭湯の建物で、前々から一度訪れてみたかった場所でした。以下サイトに廃業前の昔の取材記事が載っていたので気になる方はどうぞ。

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

なんと、わたしが訪問した2月初めの頃には存在していたのに、3月初め頃(それとも2月末?)に取り壊されたもよう・・・。2月に上映されたばかりの映画『湯道』のモデルのひとつになった銭湯だったようで(すごいタイミングでの取り壊しだ)、残っていたら何かと活用できただろうに。残念でなりません・・・。

階段ぶらぶら

唐人屋敷の通りを抜け、自分がどこにいるのかよくわからないまま細い階段をワクワクしながら登っていきます。

長崎の階段を歩くのはたのしい

そして、長崎といえばねこ。ねこねこねこです。

君はNo.5?

長崎は尾曲がり猫が全国的に一番多いと言われているらしいのですが、今回は意識して見てなかったので確認することができず・・・。

カラスよけのカラス

そしてついにたどり着いたのが・・・

大浦国際墓地

そう、わたしは墓地に行きたかったのだ・・・!!!

墓地は墓地でも外国人が埋葬されている外国人墓地。長崎市内には3箇所の国際墓地があります。今回訪れたのは大浦国際墓地。1861(文久元)年に外国人居留地に近いこの地に作られ、1888(明治21)年に閉鎖。埋葬されたのは主に長崎港に停泊中に死亡した乗組員たちですが、長崎で生活して功績を残した外国人も眠っているそうです。

解説板

大浦国際墓地について詳しく書かれた下記サイトがおもしろかったです。長崎の調べごとをするとこちらのサイトがよく出てくる。すごい。

「ナガジン」発見!長崎の歩き方

中でも興味深かったのが、つい先ほどぷらぶらしたばかりの丸山で起きた殺害事件について。

1867(慶応2)年の夏、英国船の乗組員の青年2人が丸山で泥酔して外で寝てしまったところ、近くの茶屋で呑んでいた筑前藩の武士の目に止まり、もてあそぶかのように滅多切りにされてしまいます。筑前藩が殺害された2人の家族に賠償し、犯人たちは切腹ということで決着したものの、英国側は「江戸幕府は港町を徘徊する浪人から外国人居留地を守る力なし」と判断。 事件が遅まきの解決を見た頃には幕府は崩壊し、実権は維新の志士らの手にありました。上記サイトよりまとめさせていただきました

その殺害された外国人もこの墓地に眠っているのですね・・・。

もちろん墓地ですから、眠っている人たちに不敬があってはいけません。心の中で写真を撮らせてくださいとお願いしながらシャッターを押していきます(撮る行為自体が不敬と言われたらもう何もいえません・・・!)。

右奥のお墓には水兵さんが眠っているのか錨マークが描かれています

※これ以降のモノクロ写真は自家現像ではなく、お店でやってもらいました(スキャンはセルフ)。

やはりここにも猫

すでに17時を過ぎ、あたりが少しずつ暗くなってきました。

・・・こわい!こわいよ!!!

好き好んで墓地にきてるくせに今さらなんだと思われそうですが、やっぱり怖いんです超ぉーーー怖がりなんです。何も起こらないうちに急いで墓地を後にすることに・・・(ドキドキドキ)。

最後に

実は今回、長崎を訪れた理由のひとつが外国人墓地でした。外国の墓地って装飾がとても美しかったりするんですよね。あとやはり十字架に惹かれてしまいます。長崎市内にある残りの2か所の墓地もいずれ訪れてみたいです。

さて、前回のブログで今回が最終回と言ってましたが、勘のいい方ならお気づきでしょう・・・。そう、なんと最終回ではありません・・・!!!思いのほか長くなってしまったので次回へと続きます・・・嘘ついてごめんなさい。今度こそほんとに最後だから!!どうぞお付き合いくださいませ・・・ね?

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、FUJIFILM X-T3、iPhone SE2、film:KONICA AUTOREX(自家現像とお店)

長崎カメラさんぽ2023④【今度こそほんとに最終回】につづく▶︎▶︎▶︎

長崎カメラさんぽ2023②【日本二十六聖人編】

すでに予定を1時間オーバー!(いちごパフェの待ち時間分のロス・・・)。平和公園前から市電に乗って目的地の最寄駅で下車。長崎ならではともいえる細い階段を登っていくと・・・

マンホールには長崎市章の星マーク

CONTENTS

日本二十六聖人記念聖堂 聖フィリッポ教会(西坂教会)

青空に向かってニョキッ!っと生えるふたつの塔が現れます。

まるでうみうしのよう

長崎駅から近い丘の上にたつ「日本二十六聖人記念聖堂 聖フィリッポ教会(西坂教会)」です。

モザイクで書かれた「Veni Sancte Spiritus(ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス)」は、ラテン語で「聖霊来たりたまえ」の意。

目を凝らしてみてみると、双塔のてっぺんにある避雷針もとっても素敵!!!

左の塔には王冠、右の塔には鳩と光の輪

どことなくガウディの建築に似てる・・・!!!

そう、こちらの教会はガウディ研究の第一人者である今井兼次氏の手によるもの。

お花や十字架(もしかして鳩?)にも見える壁の飾り窓?もかわいい

では早速中に入ってみましょう〜。

入口

・・・はい!中の写真は1枚もありまっせん!!!

教会のお隣にある日本二十六聖人記念館(こちらも今井氏の設計)で確認したところ、撮影禁止と言われたもので。

ただ後日検索してみると、信者の方からOKもらって撮影している方がちらほら・・・。尋ねる人によって対応の仕方が違うのか、それとも最近NGになったのか・・・。うーむ、近くに寄った際にはまたチャレンジしてみようと思います!

そんなわけで、パンフレットに載っていた写真をどうぞお納めください。

温かみを感じると共にどこか近未来的な雰囲気。特徴的な天井や窓の形、ステンドグラスの色合いがそう思わせるのかな?お花のようにも見える窓の形は、精霊を象徴する鳩を表しているそうです。

以下サイトに綺麗な内部写真がたくさん載っていたので、気になる方はこちらをどうぞ。

日本二十六聖人

先ほどから何度も出てきている「日本二十六聖人」というワード。「いったい誰のこと・・・??」疑問に思う方もいらっしゃるかと思います。前回のブログでも少し出てきましたが、ここではもっと詳しく紹介。

写真だけ見たいという方はこちらに飛んでね!(でも読んだ方がより深く建築を見ることができると思うよ?)

伴天連追放令

1587(天正15)年、豊臣秀吉が「伴天連(バテレン:外国人宣教師)追放令」を発布します。この法令はあくまで外国人宣教師たちの追放が目的で、まだキリスト教を信仰すること自体は個人の自由とされていました。

秀吉のバテレン追放令 (吉利支丹伴天連追放令)(Wikipediaより)

秀吉は宣教師たち(イエスズ会)が深く関わっていた南蛮貿易は続けたかったので、この法令はそれほど実行力の強いものではなかったようです。そんな中、ついにキリシタンへの迫害を決定づける出来事が起きます。

伴天連追放令から9年後の1596(慶長元)年、猛烈な台風により土佐国(高知)にスペイン船が漂着。秀吉は船に乗っていた宣教師と乗組員たちを捕まえて積荷を没収します(当時の日本では無人船の積荷没収は法律的に認められていましたが、有人の場合は違法)。

ガレオン船(デューラー画)(Wikipediaより)

監禁された船員は尋問の際、「まず修道士たちを来させてから軍隊を引き込んでその国を征服するのだ」と言い放ちます(負け惜しみ?みたいな感覚??実際にはそのような計画はなかったと思われる)。この報告を受けた秀吉は激怒!!

ついに翌年、京都や大阪で外国人宣教師6名を含む24名のキリシタンが捕えられます。その中にはまだ12歳〜14歳の少年たちもいました。彼らは京都の一条戻橋で耳たぶを切り落とされ、見せしめのため京都〜大阪、堺を引きまわされた後、処刑地である長崎へとほとんど歩いて向かうことになります。

護送途中で2名のキリシタンが加わり、総勢26名のキリシタンが長崎の西坂(現在の記念館が建つ丘)でキリストのように十字架に磔にされ、槍に貫かれ処刑されます。これが日本で初めて為政者によって行われたキリシタン弾圧でした。

26人の処刑を描いた1862年の版画(Wikipediaより)。磔にされている人たちの中で一際小さく描かれているNo 9、10は12歳と13歳の少年でした。長崎市民は外出を禁止されていたにも関わらず、処刑場には約4千もの人々が詰めかけたそうです。

殉教について

処刑地とされた西坂は、キリストが十字架に架けられた「ゴルゴタの丘」に似ていることから、信者たちがこの地を処刑の場に願い出たと言われているそうです。

『磔刑』アンドレア・マンテーニャ作(ルーブル美術館所蔵)(Wikipediaより)

「殉教」というのは、信仰を守るために抵抗せずに死を受け入れること。つまり天草四郎が率いた島原の乱のように、武器を持って戦って死んだキリシタンの場合は「殉教」にはなりません(知らなんだ!)。

殉教は「キリストに倣う」という意味があります。どうやら当時「殉教願望」というものが一部であったようで、日本は世界で唯一その願望を満たすことのできる土地として一部の宣教師たちを惹きつけていたそうです。日本二十六聖人たちも処刑場に着くやいなや、これから磔にされる自分の十字架へと走り寄り喜んだといいます。

「殉教」を理解するには、キリスト教自体をもっと勉強しないとわからないと感じる。キリスト教が一体どんな宗教で、どんな儀式があり、それらにどのような意味があるのかなどなど…。

聖遺物

殉教したキリシタンの遺体や持ち物は、崇敬心から信者たちに「聖遺物」として扱われ、それを得るために信徒たちは殉教者の遺体に群がったといいます(聖遺物は薬としても用いられ、病気が治癒したなどという話もあるそうな・・・)。日本二十六聖人も80日間十字架にさらされている間、遺体の一部や衣類は持ち去られ、フィリピン総督が秀吉に遺体の引き渡しを要求した時には非常に少なくなっていたそうです。

フィリッポ教会内には、その日本二十六聖人の聖遺骨(殉教した日本人信徒3名の骨)も保管、公開されていました。

三名の殉教者の聖遺物(パンフレットより)

聖人

殉教した26名のキリシタンたちは、処刑から264年後の1862(文久元)年から翌年にかけて、カトリック教会によって聖人の列に加えられ「日本二十六聖人」と呼ばれることになります。彼らが処刑された丘は西坂公園として整備され、1962(昭和37)年にはイエスズ会により記念館と教会が建てられました。

※記事を書くにあたって参考にした文献等は最後にまとめています

西坂公園内の記念館前にある日本二十六聖人記念碑。舟越保武作

日本二十六聖人記念館

この地を訪れた当初、実は恥ずかしながら「日本二十六聖人」ついてまったくというほど知りませんでした。不思議な形の教会を見たくて訪れたところ、教会だけでなく記念館の建物もおもしろいし、記念館の中に入ってみると自分の興味があるカクレキリシタン関係の展示がたくさんあるではありませんか・・・!なんで今まで訪れなかったのだ・・・

外観

建物の西側と東側の壁面は、教会の双塔と同じく、今井氏により「フェニックス・モザイク」と名付けられた印象的な美しい陶片のモザイクで彩られています。

西側のモザイク

どうやら去年の2022年10月に初めての修復作業を終えたばかりだったもよう。NBC長崎放送で放送された修復作業の映像がとっっっても面白かったです。60年前の建築作業の貴重な映像も〜!!

今井氏は、二十六聖人が歩いた京都から長崎までの道のりをたどり、使われなくなった陶器を集め、メキシコやスペインの陶芸家から送られた陶器と共にフェニックス(不死鳥)・モザイク」として新しい命を吹き込みます。

西側の「信徳の壁」で描かれるのは灼熱の炎に焼かれる26の十字架。キリストを表すという中央の白い十字架には、まるで流れ星のように一筋の光が差しています。

有田焼なども使われているそうです

正面の「愛徳の壁」には、槍の形をした装飾があり、モザイクで彩られた槍の先端の赤は「血」を表しているとのこと(写真なくてごめん)。

なななんと!建物全体で「殉教」を表現しているのですね・・・!!!

右に見えるのが「愛徳の壁」。右下の屋根上部にはアヴェ・マリアの文字が。

こちらは東側の「望徳の壁」。今年修復作業が行われるそうです。

東側のモザイク。こちらは何を表現しているんだろう?

以下ページにはドローンで撮影された通常なら見ることができない角度(下からは見えない部分もモザイクで装飾されていたりする)からの映像を見ることがきます(正面の槍を表現した部分も見れるよ!)。

西側にあった木造のドアの装飾もとても素敵でした。

雨?雷?蝋燭や手、十字架などのシンボルが

内部

記念館は教会とは異なり、すんなり撮影OKをいただくことができました。

やはりどこか未来的で、ガウディのサグラダファミリア味を感じます

おそらくモチーフのひとつひとつに意味が込められているのでしょうが、キリスト教に疎いわたしにはそのすべてを理解することができず・・・。ただ、敬虔なカトリック信者だった今井氏がものすごい情熱でこの記念館を作り上げたことだけは強く感じることができました。

展示

記念館は、ザビエルの渡来から明治時代までの日本のキリスト教の歴史、キリシタン文化などを紹介する施設。ハイパー駆け足で見た中でわたしが特に気になったのはやはり「潜伏キリシタン」、「カクレキリシタン」関係の展示物でした。

マリア観音

キリシタンは禁教時代、表向きは仏教徒を装い、キリスト教の信仰を続ける者が数多くいました。その潜伏キリシタンたちは、聖母マリアに擬した観音像を信仰の対象にしたり、他にも様々な工夫を凝らしながら信仰を続けていきます。

こちらは潜伏キリシタンの祭壇を再現した空間。

土壁や障子、板戸や柱、瓦は廃屋となった島原の旧キリシタンの民家から移設したもの。正面右側寄りの柱の一部には細工が施され、マリア観音等を隠す仕掛けあります(実際はもっとわかりにくい場所にあるらしい)。

手前にあるのは「オラショ」(ポルトガル語でそのまま「祈り」の意)が書かれた紙で、天草の崎津の潜伏キリシタンが使用したものとのこと。

オラショ

明治6(1873)年に禁教令の高札(禁令や法令などを板札に書き、庶民に知らせるよう掲示したもの)が廃止され、キリスト教は自由に信仰できるようになります。

正当なカトリックに戻る者もいれば、潜伏時代と同様「カクレキリシタン」として信仰を続けていく者もいました(現在では、禁教令下のキリシタンを「潜伏キリシタン」、それ以降の人たちを「カクレキリシタン」と表記するのが一般的なようです)。

その現代の「カクレキリシタン」によるキリスト誕生を祝う儀式(クリスマス。長崎の五島では「お大夜」という)の映像も流れていました(時間なくてちゃんと見れなかったーーーー!!)。

その他にも様々な興味深い展示がありました。

崎津で発掘された白蝶貝に彫刻されたメダル

数年前に訪れてとても印象深い旅になった崎津に関する展示(「崎津コレクション」と明記されていた)も色々と展示されていたのも嬉しかった。

浦上天主堂でも展示されていた被爆天使像もいらっしゃいました。まさかこちらでもお会いするとは〜

ぱぱぱーーーーっと大急ぎで見ることしかできなかったので、もっと時間の余裕のある時に再訪したい。ここはちゃんと勉強して訪れた方がきっと数百倍楽しめる!と思います!!

参考にした書籍や映像作品

書籍

前回のブログを書いた時に、大浦天主堂での感動的な「信徒発見」のエピソードを知り、その時の情景がばーーーっと脳内で広がりました。それをきっかけに、もっと当時のキリシタンについて知りたいと思うようになり、次々にキリシタン関係の本を購入。最近はずっと本の虫になっています。

・『日本キリシタン殉教史 片岡与吉全集』片岡与吉(智書房)

めちゃくちゃおもしろい・・・!!!キリスト教の伝来からキリシタン弾圧が終わるまでの様々な出来事がこんもり綴られています。分厚くて文字も小さいから小難しい本かと思いきやとても読みやすい。情感あふれる作者の文章により、まるでその場で見てきたかのような感覚に陥ります。こちらの本を一冊読むだけでだいぶ理解が深まると思います。が、実はまだ「日本二十六聖人」の章までしかまだ読み終わっていません!続きが気になってぶるぶると震えております・・・(ブログを書き終えるまでおあずけ)。

・『概説 キリシタン史』浅見雅一(慶応義塾大学出版会)

慶應義塾大学通信教育部の教材として執筆された本。先述の本よりもお堅い内容ですが、片岡与吉の文章は主観が入っていると感じる部分も多々あり(キリシタンたちを美化しているような?)、感情的な視点ではなく客観的に資料を通して見えてくることが知りたいという方はこちらの本がおすすめ。わたしはどちらも大変面白く読みました(興味のない章はまったく頭に入らなくて飛ばしてしまったけれど・・・)。どちらかというと外国人宣教師側の歴史について多く書かれている印象です。

以上の2冊が今回ブログを書くにあたり主に参考にさせていただいた本。

まだ読んではいないけど、当時の日本で活動した宣教師のフロイスが書いたという『フロイス日本史』が気になっています。文庫で全12冊もあって1冊1200円ほどするので図書館でちまちま借りるしかないだろか・・・でも手元にほしいな・・・

この他にも以下の2冊を購入。

・『祈りの島 五島列島』(イーズワークス)

とても美しい写真の数々!!五島列島の教会がたくさん載っています。『樂(ra-ku)』という季刊誌を発行している会社が制作した冊子。他の特集号もとっても面白そう!今年初めに発売された長崎のガイドブックも気になります。

・『カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰』宮崎賢太郎(角川ソフィア文庫)

現代の「カクレキリシタン」について書かれた本。先述のキリシタンの歴史本よりも先に読み始めたのですが、最初の数章読み終わったところで「今はこれじゃない」となりました。まずは「カクレキリシタン」が生まれる前の歴史を知らなきゃ何もわからないなと。与吉さんの『キリシタン殉教史』を読み終わったらいよいよこちらに手を出す予定。たのしみです。

映像作品

実は本を読む前にドラマを1本観たのですが、まず映像から先に入ることで、本の内容がスッと頭の中に入ってきました。きっと本を先に読んでいたらわからない言葉などが出てきて「???」となっていたと思います。わたしみたいに歴史に疎くキリシタンについての予備知識も少ない方は、先に映像で触れておくのもオススメです。

・『天正遣欧少年使節 MAGI ~三人の賢者は東の果てからやってきた少年だった』

「天正遣欧少年使節」とは、信長の時代にイエスズ会の企画でヨーロッパへと赴き、ローマ教皇にまで会った少年たちのこと。

1586年にドイツで印刷された天正遣欧使節の肖像画。タイトルには「日本島からのニュース」と書かれています(京都大学図書館 蔵)。
右上:伊東マンショ、右下:千々石ミゲル、左上:中浦ジュリアン、左下:原マルチノ

Amazon Prime Videoで配信された作品で、若いイケメン俳優たちを使った萌えドラマか??と最初疑っておりましたが、奴隷や差別、暴力など地上波ではきっと無理だろうというような少しハードな描写もあり、考えさせられる内容も。しかしどうやら世間では賛否両論あるもよう。わたしは歴史オタでもないのであまり気にすることなく楽しめました(途中だれる部分もあったけど)。

ドラマでは描かれていませんでしたが、天正遣欧少年使節は秀吉による伴天連追放令の発布後に帰国。秀吉の前で楽器を演奏して大変喜ばれたというエピソードもあります。また、グーテンベルクの活版印刷機を持ち帰り、日本で初めての活版印刷も行われました。キリシタン弾圧が行われなければ、彼らはどんどん活躍の場を広げていただろうし、もっと評価されたんだろうなぁ・・・。

ドラマや本を読むことで、今までちっとも興味のなかった日本史に少しずつ興味が出てきました。キリスト教を擁護していた信長や、高山右近、千利休(キリシタンだったとも言われていて、茶道の作法にキリスト教の影響がみてとれるらしい。歴史に詳しくないのでこれが眉唾説なのかはわかりませーん)などなどなど。信長はキリシタンじゃないけど、もし彼が天下をとっていたら今とはまったく違う日本になっていたのではないか・・・そんな想像をしてしまいます。

信長は、宣教師が連れてきた黒人奴隷を家臣として召し抱えていました。琳派の1590年代の硯箱に描かれている左側の黒人は、その家臣「弥助」をモデルにしているという説もあるそうです(wikipediaより)
千々石ミゲル

ドラマの最後の数エピソードは短いドキュメンタリーになっていて、天正遣欧少年使節の少年たちのその後が語られます。先述した本に書かれていない最新の発見についての映像もありました。

イエスズ会に入りながらも数年後には4人の中で唯一棄教した千々石(ちぢわ)ミゲル。2014~2021年の間にミゲル夫婦の墓石の発掘調査が行われ、妻の遺骨わきに穴の開いたガラス玉や半円形の板ガラス片が発見されました。ガラス片は日本二十六聖人記念館所蔵の聖遺物入れに材質や形状が似ており、ガラス玉もその装飾かロザリオとして使われた可能性があるそうです。(以下記事より抜粋)

表向きは棄教しつつも、死ぬまでキリスト教を信仰していたのでしょうか・・・。

中浦ジュリアン

日本二十六聖人が処刑された西坂では、それ以降も多くのキリシタンが処刑されました。天正遣欧使節の中浦ジュリアンもその1人。

「穴吊り」で処刑される中浦ジュリアン(『概説キリシタン殉教史』より)

キリシタンの処刑方法には火炙りをはじめ様々なものがあったようですが、ジュリアンは「穴吊り」で殉教しました。「穴吊り」とは・・・?その恐ろしい処刑方法を知りたい方は以下をどうぞ・・・。

まずは掘った地面の穴に糞尿や生ごみを入れます。キリシタンを逆さ吊りにし、頭に血がのぼりすぐに死なないようこめかみに血抜きの穴を開け、地面の穴に頭を入れて板で塞ぐという・・・。苦しみを長引かせて転ばせる(棄教させる)ための処刑方法というわけです。こ、こわすぎるよ・・・!!!

次の映像の中でこの処刑方法を見ることができます(もちろん本物じゃないから安心して・・・!)。

・『沈黙-サイレンス-』監督 マーティン・スコセッシ

(ネタバレいやな人は飛ばしてね!)

キリシタン弾圧の中心的人物である井上さま役のイッセー緒方がすっっごいよかった!飄々としていて、それでいてどこか恐ろしくて深みがあって。あと、塚本晋也の最後のシーンもよかったよ。凄みを感じた。ああいうことが実際にあったのだよね・・・。

「転びキリシタン」(棄教した人のこと)って言葉もつらかった。外国人宣教師は棄教すると日本名を与えられ、日本人女性と結婚させられ、キリスト教を否定する書物を書いたりキリシタン弾圧の手伝いをさせられるという・・・。棄教を誰も責められないよ。誰しも弱い人間だよ・・・・・(わたしなら秒で転ぶ)。

最後に

ずっと昔から気になっていた「カクレキリシタン」。まさか2月に訪れた長崎旅で一気にキリシタンへの興味が加速することになるとは思ってもみませんでした。

今までわたしは現代に生きる「カクレキリシタン」というミステリアスな存在に、ミーハー感覚で興味を持っていただけなのだと思います。長くて苦しいキリシタン弾圧の時代があったからこそ生まれた存在なわけで、それを知らずして「カクレキリシタン」について語ることなどできないと今更ながら気づきました。

実はこれまで何度か五島列島への旅を計画したことがあります。その度に悪天候やその他の事情により行くことが叶いませんでした。それはもっとちゃんと勉強してから来なさいってことだったのかなぁーと思ったり。

来年あたり五島列島に行きたいなぁとぼんやり考え中。それまでに少しずつキリシタンへの知識を深めて万全の体制で臨みたいです(いざ旅立つ時にすべてを忘れている可能性あり・・・)。そして五島列島に限らず、全国のキリシタン史跡をめぐりたい。どうやら鹿踊りに続き、ライフワークのひとつに加わりそうな予感です!!

さて、「日帰り長崎カメラさんぽ」は次で最終回(スローペースの更新で申し訳ない)。前回に引き続き今回もずっしりみっちり真面目に書いてしまいました。ラストはもっと軽やかに〜。気楽に読める内容にしたいと思っているので、のんびりお待ちくださいませ。

こんなに長いブログを最後まで読んでいただきありがとうございました!

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、FUJIFILM X-T3、iPhone SE2

長崎カメラさんぽ2023③【最終回】につづく▶︎▶︎▶︎

2023年ことはじめ・後編【直方散策の回】

直方駅のロッカーに荷物をつっこみ直方散策スタートです!

CONTENTS

須崎町商店街

直方駅に到着して真っ先に向かったのはこちら。

におう、におうぞ・・・!!!

前日、キャンプ場へ向かう前に少しだけ直方散策した時に遠目に見かけて、アンテナがピーン!と反応。ぜったい歩きたいと思ってた場所でした。

ぶるぶるぶる・・・よすぎてふるえる!!!

大好きな空間がそこには広がっていました。

やはり!俺の嗅覚に間違いはなかった・・・!!!

炭住と駅を結ぶ通りとして明治の頃から店が立ち並んでいたという須崎町商店街。今回は見逃してしまったけれど、カフェーの鑑札も残ってたみたい。

このアーケード商店街を抜けた先にも何やら哀愁漂う通りがあって歩きたくてワナワナしたけど、行きたい場所と正反対だったので今回は断念・・・。

印象的な電柱

どうやらこのまま進むと近くには筑豊電気鉄道の駅があったもよう。またローカル鉄道にも乗りたいなー。次のお楽しみにしたいと思います。

再び駅に近い方の商店街へと戻り・・・

ステンドガラス調のドームもあります

錆びた街灯

元銀行のある通りを抜けて・・・

ちょっと私は好きじゃない使われ方をしてて残念でした

向野堅一記念館(旧讃井病院)

たどり着いたのは向野堅一記念館。

可愛らしいハート

細部が美しい

元病院の建物だからなのか、十字や門の上にはハートのモチーフが。ちょっと可愛い教会のような雰囲気でとても印象的でした。

枯れた赤い薔薇が素敵でした

写真撮っていたらめちゃくちゃいい匂いが・・・。お隣は中華屋さんでとってもそそられたけど準備中の看板がーーー!坦々麺っ食べたかったよーーーっ!!!

江浦医院

この通りには他にも古い建物がいくつも点在しており、建築好きにはたまらない通りとなっております。すぐ近くにはまだ現役と思われる江浦病院も。玄関にはしめ縄飾りがありました。(1月前半は正月の雰囲気が感じられるので地方を歩くのがとても好き!)

直方谷尾美術館(旧奥野医院)

こちらも元病院。病院が連なる通りだったんだねぇ。奥にお続く木造建築は自宅として作られており、茶室も備えています。今回はさらりと外だけ見学。中はまた時間がある時に・・・。

本館(左)と新館(右)

右側の新館は1998年に増築した建物らしいのだけど、検索してもぜんぜん情報を見つけられず。この木の門とか凄すぎません・・・!??ライオンと不思議な生き物、わたしは大好物だよ・・・?

カッコいい!!!!!!

本館の建物に合わせてこんな美しい建物を新築したってこと?だよね??誰か詳細知ってる人教えてください・・・。

向かいの茂みには流れ星が落ちてた

収蔵庫(旧篠原邸)

近くには直方谷尾美術館(旧篠原邸)の収蔵庫もあります。当初は旅館を営んでいたそうで、その後篠原邸となり、米屋としても活用されたとのこと。

連鎖するWの影

多賀神社

そういえば遠征しているのにどこにも神社にお参りしてないな・・・と、一番近かった神社にもお参りに。

もももももも!!!

鳥と桃の土鈴も〜

神社の階段が印象的でした

帰ろうと駅に向かう途中、最後の最後にとても好みの廃スナックビルに出会えて嬉しかったです。

特に狸穴(マミアナ)が大好き

アーケードが夕焼け色に染まっていました

美しき光

直方散策これにて終了。またね!

最後に

2023年はモノクロフィルムの自家現像からスタート。冬キャンプと直方散策の現像は、大幅に現像時間を間違うという大ポカをやらかしてしまい、だいぶシャープでコントラストの強い仕上がりになってしまいました・・・。

ゆくゆくは写真によって現像方法も使い分けれるスキル身につけたい。こういう写真はコントラスト強い方がカッコいいもんね!

実は一番最初に現像したフィルムの仕上がりがとても気に入っているので(ビギナーズラック??)、まずはそれに近づけられるようになりたいです。今年は現像も頑張るぞ!という気持ちを込めて、一番最初の記事は自家現像写真多めにしてみました。早く遠くを旅して写真たくさん撮って現像したいな・・・。(いろいろと)がんばります!!!

一番最初に現像したフィルム。まるで夢の中のような柔らかい雰囲気がとっても好き!

【使用カメラ】digital:SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:OLYMPUS PEN FT(自家現像)※最後の写真のみKONICA AUTOREX

⑪秋の愛媛南予ひとり旅2022【八幡浜観光・後編】最終回

再び自転車に乗り、最後の八幡浜保内町散策スタート!

CONTENS

八幡浜市保内町

保内町は県内で最初の銀行設立や四国で初めて電灯が灯るなど、江戸末期から昭和初期にかけて海運や紡績、木蝋、鉱山、養蚕など様々な近代産業で栄えた地域。現在でもその名残をあちこちで見ることができます。

カワイシ醤油

大正8年に設立のお醤油屋さん。アゴラマルシェでもこちらの商品を購入することができるようです。

こちらは何の建物かは不明だけど良き建物だ〜。

蔦びっしりのよき窓

素敵な煉瓦の塀。ドア部分がアーチになってるのがたまらないね〜。

美名瀬橋

こちらは江戸時代から現在に至るまで5回架けられている橋で、現在のものは昭和8年竣工の5代目。平成10年に原型を活かして改修されたそうです。

旧東洋紡績赤レンガ倉庫

美名瀬橋を渡ると「もっきんろーど」という木製の遊歩道沿いに旧東洋紡績赤レンガ倉庫が現れます。

もっきんろーど

明治20年に愛媛県で最初に設立された紡績会社で、四国で初めて電灯が灯ったのがこの場所。昭和35年に閉鎖し、現在では赤レンガ倉庫だけが残っています。

美名瀬橋と旧東洋紡績赤レンガ倉庫

愛媛蚕種(旧日進館)

明治17年創業の現役の蚕種会社で、大正8年竣工の木造3回建ての建物です。着物好きだから養蚕には興味ある〜。

愛媛蚕種-HOME 

洋風建築がくっついています

玄関、事務所棟、第一・第二蚕室が国登録有形文化財に指定されているそうです。見学もできたかもしれないけれど、時間がなかったので外観のみ。「時間がない」もうこの台詞いいたくなーい!来年はもっと生き急がずにのんびり旅できるといいな・・・(書きながら無理かもなって思ってる)。

内之浦公会堂

昭和12年、地域の公会堂として実業家の那須金市氏の寄付により建設された国登録有形文化財の建物。草書風の「公会堂」のフォントが珍しいような?控えめながら細部の装飾が光ります。塀の菱形のくり抜きも可愛いね!現在でも地域の集会所として利用されていて、2階には舞台を備えた畳式の大広間があるそうです。見たい!

さよなら、保内町

大急ぎで保内町を駆け抜けて(有名な建物だけをとりあえず蒐集)、今度は山越えルートではなく、川沿いルートで帰ります(もうあの薄暗いトンネルは通りたくないよ・・・)。

少しずつ陽も暮れ出していました

帰ってる途中にいい感じの建物発見

八幡浜みなっと

自転車を3〜40分ほど走らせて「八幡浜みなっと」に到着!自転車を返却します。レンタルしたとこじゃなくても返却できるのありがたい〜。

アゴラマルシェのカフェでお疲れ様のソフトクリーム!愛媛みかん味めちゃ美味かった!!

夕陽がまぶしいぜ

八幡浜港フェリーターミナル

当初の予定では八幡浜でギリギリまで遊んで最終便に乗り、翌日の午前中は別府をプチ観光して帰る予定でいましたが、午後にはワクチン接種を控えていたので大事をとって早めに自宅へと帰ることに(冷静に考えて詰め込み過ぎじゃ)。八幡浜ちゃんぽん食べたり、大正湯でもひとっぷろ浴びたかったな〜。

茜色に染まるフェリー待合室

17時25分発のフェリーに乗り込みます。どんどん沈みゆく太陽が美しい。

そして、夜が訪れます

れいめい丸

行きのフェリーは「あかつき丸」でしたが、帰りは「れいめい丸」。違うフェリーで帰れるの嬉しいな!あかつき丸よりも大人な雰囲気でした。2階へと登る階段かっこよくて好き。フェリーターミナルの受付のフロントの壁も同じような雰囲気でカッコよかったです(写真撮り忘れ)。

「宇」の文字ってカッコいいんだね!

新造船でもゲームコーナーは相変わらずあるんだね(もっと違う娯楽がほしい)

2等船室

夜ごはんはアゴラマルシェで調達した鯛めしおにぎりと唐揚げよ〜!

どれもめちゃ美味しかった!!唐揚げも揚げたてとかじゃないのに味がしみしみしててご飯がススム〜。最高の旅の〆でした。

20時過ぎに別府港へと到着!すでにこの時点でぐったり・・・。白目になりながら電車に揺られて自宅に帰り着いたのは0時前でした。自分よ、お疲れ様でございました!

最後に

愛南町に鹿踊りを見に行きたい・・・!!!

そんな思いから始まった今回の愛媛南予ひとり旅。一番の思い出はやはり、バスを間違って降りて焦りながらタクシーで福浦へと辿り着き、幸運なことにお着替えシーンを見学さえてもらえたことでしょうか・・・。終わりよければすべてよし!いろんなハプニングが自分の旅に彩りを添えてくれているのだなぁとしみじみ。これからもハプニングを楽しもうと思います!!

来年はどこに鹿踊り見に行こうかな

さて、この記事を書いているのは2022年12月31日の大晦日。来年行きたい場所はぼんやりと浮かんではいるけれど、自分が一体何を閃いてどこに行くのかはまったくの未知。今年だって東北を旅するとは思わなかったし(人形道祖神と鬼コ旅)、一番の驚きは自分の人生の中にアウトドアの「ア」の字もなかったのに、真夏に島でソロキャンプしたこと(悪石島のボゼ旅)。こんな操縦不可能な自分ですが、来年も当ブログをどうぞよろしくお願いいたします。みなさま良いお年をお迎えください〜。最後まで読んでいただきありがとうございました!!

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:CONTAX Aria

秋の愛媛南予ひとり旅2022リスト

①秋の愛媛南予ひとり旅2022【移動編】

②秋の愛媛南予ひとり旅2022【はじめての愛南町編】

③秋の愛媛南予ひとり旅2022【鹿踊り・前編】

④秋の愛媛南予ひとり旅2022【鹿踊り・後編】

⑤秋の愛媛南予ひとり旅2022【御荘散策編】

⑥秋の愛媛南予ひとり旅2022【石垣の里編】

⑦秋の愛媛南予ひとり旅2022【御荘/卯之町編】

⑧秋の愛媛南予ひとり旅2022【野村町編】

⑨秋の愛媛南予ひとり旅2022【卯之町編】

⑩秋の愛媛南予ひとり旅2022【八幡浜観光・前編】

⑪秋の愛媛南予ひとり旅2022【八幡浜観光・後編】最終回

⑩秋の愛媛南予ひとり旅2022【八幡浜観光・前編】

旅の最終日はレンタサイクルで八幡浜観光です。

CONTENTS

谷本蒲鉾店メセナドライブ

駅近くの谷本蒲鉾店でレンタサイクルの手続きをします(フェリーターミナル近くの「みなと交流館」でもレンタル可)。晴れてよかったー!!

まずはお昼ごはん!素敵建物に胸トキメキながら八幡浜を駆け抜けます。

よいアーチ

火の見櫓にトキメクお年頃

道の駅 八幡浜みなっと

どーや食堂

フェリーターミナル近くの「道の駅 八幡浜みなっと」内にある「どーや食堂」へ。目的はもちろん海鮮丼!!!

海鮮丼は、並、上、特選海鮮どーや丼の3種類。富豪であれば迷わず特選にするけれど無理ーーーー!!!というわけで、「上」をお願いしますっっっ。

先にお会計をすませて番号札を渡され、放送で呼ばれたら取りに行くシステム。外までアナウンスされるので、食堂隣のアゴラマルシェをぷらぷらしててもオッケー!なんてありがたいシステム。それだけ人気で待つことも多いんだろなー。

わたしはというと注文のタイミングがよかったからか、注文してすぐに海鮮丼にありつくことができました。よかった!!

嗚呼なんて美しい 海・鮮・丼・・・!!!

まるでケーキのような断面

美味しすぎて海鮮丼一気!!!「上」でも充分でした。わたしの隣の席の人が「特選」食べてたけどぜんぜん羨ましくなんかなかったんだからね・・・っ。

アゴラマルシェ

アゴラマルシェでお土産物をいろいろと購入。野村町の宿でもらってとっても美味しかった八幡浜のみかんや、大好きな柿も〜。もちろん重くて持って帰れないので発送にしました。

これから自転車でいっぱい走るから、夢にまでみた(うそ)蛇口から出るみかんジュースで喉潤すよっ。

コップぎりぎりまで入れたった

とある建築の見学を予約していたので、その時間に間に合うように余裕をもって出発。通り道に他にも見たい建築がいくつかあるのだー。

旧向灘郵便局

まずはこちらの建物!めちゃかっこいいーーーー!!!

装飾がとても好み

奥は和館と繋がっています。というか、元郵便局側の建物も、表側だけがコンクリート建築で、その後ろは木造建築(少ししか写ってないけど1枚目の写真がわかりやすい)。おぼっちゃまくんみたいだね!(令和に生きる若者には果たしてわかるのか)

ユニークな顔の魚

梅美人酒造

大正5年創業の梅美人酒造の前を通ります。素敵な煉瓦の煙突がー!!

ウメビジンの文字

梅美人酒造という名前からてっきり梅酒が有名なのかな?なんて思っていたけど、最初は日本酒メインに販売しており、今ではリキュールにも力を入れてるもよう。

敷地内の建物4ヶ所がそれぞれ文化財として登録されていて見学もできるらしいけど、いかんせん時間がなーーーい!!!お酒も物色することもできずに外観だけ眺めて通り過ぎます。

梅美人酒造

自転車で山越え

Googleマップを頼りに進んでいくと、え?えええ??なんかすごい坂登っていきますけど・・・???どうやら山を越えないといけないようです・・・(いつも爪の甘いリサーチ力)。電動自電車で助かった!

こここここわい!!!

徒歩用のトンネルがめちゃ怖かったーーー!!!

怯えながら走っているとなんと女の人の歌声が・・・っっっ(ついにでたーーーー!!!)

ん?ちあきなおみの…喝采?なんか怖くない・・・???

すると前から歩いてくる女性の姿が。わたしの存在に気づくと歌声はピタッと止まりました。面白くて怖さも吹き飛んだよ!お姉さん、ありがとう!!素敵なビブラートの効いたオペラ調の歌声でした。

トンネルを無事抜けて下り坂。下界に降りてもなかなか目的地に辿り着かなくて、思ったよりも遠かったことに初めて気付きます。アゴラマルシェを出発してから約50分。ついに目的地に到着!よい運動になりました。

旧白石和太郎邸洋館

外観

見学の予約をしていたのは、八幡浜市保内町にある旧白石和太郎邸洋館です。

大大大大大好きだ

明治30年代に鉱山業や紡績業で名を馳せた白石和太郎によって建てられた和洋折衷の擬洋館。

解説板

迎賓館やトレスメーカーが学院としても使用されたこちらの建物がほんとにわたし好みで・・・。とっっっても大好きでした!!

細部のあちこちがかわいい・・・

ミニチュアで作りたくなるようなコンパクトで可愛いらしいお姿。ブルーグレーの壁色もシックで素敵!黒漆喰というものらしい。

ドレメの看板

内部の一般公開は通常第2・4日曜日の10時〜16時。ただし、日時外でも管理人がいる場合は見学可。わたしは中もぜったい見学したかったので事前に予約してました。

玄関

見学の時間になったので、さっそく中を案内してもらいます。

ドアの金具も可愛いし、緑青にも胸トキメキ

真っ先に目に飛び込んでくるのが世界地図を背負った天井の天使!!!かわゆい〜。

ちょっとおまぬけフェイス

1階

とても居心地のいい空間が広がっていました。

当時のままの床

ドレメ時代に使用していた机

窓からは煉瓦塀が見えます

2階

2階へはどうやって行くの・・・?と思ったら、扉を開けると螺旋階段が。

2階へと続く扉の上部。なぜ全体を撮ってない・・・

大好物の螺旋階段

2階には全部で4部屋あって、ドアの作りも部屋によって引き戸(日本人用)だったり、ドア(外国人用)だったりと、細部にこだわりがあるとっても贅沢な作り。

天井飾りに果物カゴ!

アールヌーボーを感じさせるドアの装飾がたまりません

ドレメ時代の展示物もいろいろありました。生徒が作った洋服(レトロ可愛い!!!)や、ミシン、当時の生徒の写真などなど。

当時の生徒

飛び出てる金具のところに黒板を立てかけていたらしい

窓の鍵の金具も面白かったです。

「永」の文字

ちなみに窓ガラスはみんな大好物の歪みのある昔のゆらゆらガラス。

管理人さんがとても親切で、古写真や資料を見せてくれました。

2階の側面には窓がないのですが、昔は隣の家と繋がってて行き来できるようになっていたそうです。この写真の時に繋がってたのかな?

もっとゆっくり見学したかったけど、まだ見たい建築がいろいろとあったので、1時間ほどでお暇することに。

旧宇都宮壮十郎邸(元 二宮医院)

旧白石和太郎洋館の隣には1901(明治34)年竣工の旧宇都宮壮十郎邸があります。一時は病院として使用され、今は宇都宮家の方が住んでいるとのことでした。

旧白石和太郎洋館と旧宇都宮壮十郎邸の間の道には歴史を感じさせる煉瓦塀も残っていました。

煉瓦の隙間から緑

最後に

旧白石和太郎洋館は、小さいけれど見応えたっぷり!品があってとても可愛らしい建物でした。結婚式の前撮りでも使われているとのこと。雑誌に載ってる写真を見せてもらったらほんとに素敵だった!わたしが近くに住んでたら間違いなく前撮りはここでしますっ(相手おらんけどな)。

旧白石和太郎洋館の柵で咲いてた昼顔

もう少し自転車散策はつづきます。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑪秋の愛媛南予ひとり旅2022【最終回へとつづく▼▼▼

⑨秋の愛媛南予ひとり旅2022【卯之町編】

午前中は再び卯之町散策!

CONTENTS

宇和民具館

まずは2度目ましての宇和民具館へ。前回訪れてとっっってもよすぎて虜になった場所です。

以前の記事はこちら▼▼▼

宇和民具館のチケットと売られてたポストカード

常設展

こちらでも出迎えてくれるのは鹿ちゃんズ!!!前と同じ展示だけど、また違った視点で見ることができて楽しかったです(解説が増えていたのも嬉しかった)。

昨日訪れた博物館に展示されていた地区のものとはまた別の子たち

お顔立ちもシャープで、時代を感じさせるそのお姿にここに展示されるにまでの歴史を感じてドキドキしてしまいます。

そしてこちらの雌鹿ちゃんの頭にはしっかりと鳥居が!!!

雌鹿の頭

福浦の鹿踊りで頭の鳥居を見たばかりだったのでちょっと興奮。

福浦の雌鹿の鳥居

1793年に作られた現存する最古の鹿頭にも鳥居があるから、これが一番古い形だったりするのかしら??

東北の鹿踊りにも鳥居の形はあるのかな・・・?それとも南予地方独自のものなのか。まだまだ自分の中のデータが少なすぎる〜。これから少しずつ理解を深めていきたいと思います。

鹿ちゃんたちの足下には、東北の鹿踊りの可愛らしいお土産品も展示されていました(前はなかった!)。

ほしい

土台には花巻温泉の文字。今でも売られてたりするのかな?新品はなくても、東北周辺の骨董市や古道具屋さんとかに行ったらありそうだよね。旅した際には探してみようと思います!

鹿踊りの他にも、牛鬼の頭やこの地域にまつわる祭りや習俗についての展示もあります。暴れる牛鬼の古写真がたまらなかったよー!

今よりももっと風情のある街並みと時代を感じさせる人々。着物に洋傘いいわ!

生活にまつわる様々なものも展示されていて盛りだくさん!

スワン柄のかき氷削り機かわいい〜

企画展

今回の企画展は戦争に関するものでした。

アメリカ軍戦闘機の補助燃料タンク

収蔵庫

収蔵庫も見れるようになってるのもお気に入りなんだよ〜。

キラキラ看板

気になる謎のお坊さん人形

前回はロバのパン屋の企画展で、受付近くにその時の展示物が置かれていたのが嬉しかったです。

また会えたね!

これに乗ってセルフタイマーで記念写真を撮った思い出〜。なつかしい。

2019年撮影

また次回訪れた時の企画展も楽しみにしたいと思います。

開明学校

宇和民具館の目の前にはこれまた大好きな学校があります。明治15(1882)年に建築された擬洋風の小学校校舎です。以前の記事に卯之町の街並みについては色々写真載せているので、今回はさらっとだけ〜。

今回は外観のみを見学

開明学校と宇和民具館へと続く坂道も好き。正面にはお寺さんがあります。

前回も行けなかった米博物館にも行く予定でいたのに、今回も時間が足りずに断念・・・。(予定より1日早く帰ることにしたので時間が足りなくなった)。すぐ近くの古い教会も見たかったのにうっかり忘れてた〜。

エビスヤ食堂

散策してたら見つけた3階建ての木造建築!小料理屋さんらしいけど、今も営業しているのだろうか?

創業当時のものと思われる木枠の看板!大正ロマンな雰囲気

パン屋さん

再び昨日も購入したパン屋さんへ。好きになったらとことん!お目当ての塩トマトを爆買いだよー!!!といっても我慢して3つ。マジで大好きな味。あぁ、また食べたい。

駅にて

ちゃんと店員さんに昨日買って美味しかったのでまた来たことを伝えました。よいと思ったものは心の中に留めておくだけじゃなくて実際に伝えよう!そんな気持ちの今日この頃です。引っ込み思案で勇気ださないとなかなか言えないんだけど、伝えないと伝わらないもんね。

千鳥酒造場

お次は酒造屋さんへ。旅先ではお酒を買って帰るのが恒例になりつつあります。

実は昨日も行ったけど不在だったのでリベンジです。でもやっぱりピンポンおしても誰も出てこない・・・。インターフォンに書かれた携帯に電話してみると、なんと今は関東に出張中とのことだった!ほしい銘柄のお酒を置いてるお店も教えてもらったけれど売れ切れ・・・。残念!

今回は縁がなかったということで・・・。また卯之町には行くと思うので、次のたのしみにとっておこうと思います。お米博物館も残しているし、宇和民具館は何度行ってもイイからね・・・!!

酒造前にあった建物も素敵でした

卯之町駅

卯之町駅に到着すると、なんと駅舎のオープンセレモニーの真っ最中。まさか今日のオープンだったとは!

ゆるきゃらもいた

地元学生の吹奏楽部による演奏も

来年の干支はうさぎだから、きっと来年は盛り上がることでしょう。

兎の絵馬

遠くにゆるキャラの影

八幡浜へ

オープニングセレモニーに立ち会えてなんだか得した気分になりながら、電車に乗り込み八幡浜へと出発です!

ん?

窓からはなぜかマンモス!!!

お次はいよいよ旅の最終地点、八幡浜編へと突入です。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑩秋の愛媛南予ひとり旅2022へとつづく▼▼▼

⑧秋の愛媛南予ひとり旅2022【野村町編】

「鬼ヶ窪」という魅力的な名前のバス停からバスに乗り、本日のお宿へと向かいます。

鬼の後ろには月と星

CONTENTS

entohouse BAR&GUESTHOUSE

山道を30分ほど揺られて下車。通り道には街灯もなくて真っ暗!こんなとこに宿がほんとにあるのかしら・・・?不安に思いながら月明かりと民家の灯りを頼りに路地をとぼとぼ歩いて行くと、突然オシャンな看板が目の前に・・・!!!

本日のお宿は、西予市野村町の古民家をリノベしたentohouse BAR&GUESTHOUSE。去年の11月にオープンしたばかりの宿兼BARで、最大2組が宿泊できる母屋の他に、BARの2階に最近オープンしたばかりのドミトリーがあります。

母屋

今回泊まるのはドミトリー(1泊5,000円)ではなく母屋の方。どうしても泊まってみたかったんだよ〜!!!

部屋

高い天井が素敵なの!

魅惑的な欄間

奥の部屋はシック

母屋には2部屋あり、台所や浴室やトイレは共用。ただし今日母屋に泊まるのはわたしひとり!というわけで、贅沢に一棟貸切状態に・・・!!一人で使うには広すぎるよーーーーー!!!(嬉しい悲鳴)

共用スペース

置かれてるものがどれもこれもとても好み

古道具好きにはたまらない空間が広がっています!!室内の調度品はほとんど周りの人たちからのもらいものなんだって。

洗面所

台所
嬉しい心遣いのお茶や、客が残していったという飲み物も飲み放題でした笑
縁側スペース

各部屋の縁側にも憩いのスペースが設けられていて、本やゲーム、レコードプレーヤーなども!やっぱりオシャンだ〜。

縁側にもいろんなアイテムが〜

お隣の部屋の縁側

母屋の宿泊は通常15,000円。今回は旅行支援なんちゃらのおかげで宿泊費9,000円+3,000円クーポン付きで宿泊することができました。ありがたや〜!

クーポンゲット!またもや大富豪に!!(1枚は前日の宿の残り)

BAR

母屋で一息ついたところで、お隣のBARへ。

BARの玄関タイルは当時のまま。外の玄関の端っこは欠けていたのだけど、台所のタイルを使って職人さんがいい感じに仕上げてくれたらしい。

オーナーはまだ若い女性で、西日本豪雨がきっかけで、関東から「地域おこし協力隊」としてこの地にやってきたそうです。なんて立派なのー!!!

イエローのセーターがお似合いのとっても可愛らしい方でした

ん?バーカウンターの左になんか置いてある・・・。

ななななんと!

わたしの好きなフリーダ・カーロの絵が・・・!!!

額のタイルとセーターのイエローがシンクロしてる〜

まさかこんなところで出会うとは思っていなかったのでビックリ・・・!!!知り合いからいただいたもので、ついさっき届いたばかりだという。メキシコ製の素敵な銅の額で、絵も一緒にメキシコからやってきたものなんだって。

メキシコ(死者の日に行きたい!)&フリーダ・カーロ好きがこのタイミングで宿に訪れる確率とは・・・?やはり運命なのか・・・???

絵自体はペラペラのプリントだったので、野村町に関係する絵にかえるかも・・・という話でした。

ここに飾ったら素敵なのでは?

BARの壁色がとってもいい色でした。野村町に来た時に見た田んぼの景色の色をイメージしたそうです。

牛小屋や蔵もあるので、今後リノベしてさらに活用していきたいらしい。ほんと若いのに素晴らしいなぁー!!応援したいです(勝手に)

夜ごはん

今宵はこちらのBARでごはんをいただきますよ!!

本日のメニュー

ごはんメニューはパスタとピザ。どれもこれも美味しそうなんですけど・・・。迷った末に「4種チーズのピザ」を注文。さっきまでいた卯之町の有名ピザ屋さんのものらしい。

見るからに美味しそう

ピザの生地がモチモチで美味しかった!チーズもめちゃ美味しかった!!他のも食べたくなるくらい美味しかったけど、全部食べ終わる頃にはお腹いっぱい・・・悔しい。

ラム酒のイベントをしたばかりらしい

ラムに力を入れているということだったので、せっかくなので飲んでみました。スッキリしてて美味しかった!!

今年のGWに秋田を旅した時に、同じように若い人が古いお家を宿とBARにしたドミトリーに宿泊したことを思い出しました。

あぁ、またあそこにも泊まりたいよ!!美味しいご飯とお酒と素敵なお宿を一度に楽しめるのは素晴らしいねぇ。

お酒を2杯ほど飲み、計算したわけではないのにもらったクーポン3,000円をピッタリ使い切って大満足!(端数おまけしてくれてありがたや〜)とても美味しいお料理とお酒、ごちそうさまでございました!!!

最後に八幡浜のみかんをもらってお別れ。とっても甘くて美味しかった!明日は八幡浜に行くからみかん買って帰るぞー。

こんな写真しかなかったよ・・・

お腹いっぱいになったはずなのに、母屋に帰って別腹デザートのパンをペロリ。栗のデニッシュも美味しかったけど、塩トマトのパンがめちゃくた大好きで美味しかったー!!!練り込まれているハーブがね、これまたたまらんの・・・。

(左)栗のデニッシュ(右)塩トマト

なんだか食べてばっかりじゃないか。しあわせです。おやすみなさい。

朝起きて窓の外を見ると、あたりは霧に包まれていました。

幻想的

夜には見えてなかったものがいろいろと〜。

玄関

野村町に伝わる泉貨紙(和紙)で作られた照明

住んでた人の痕跡

鍵をポストに入れて、チェックアウト。さよならまたね!

全貌が明らかに〜。石垣がよき

霧がとても濃い!!!

お寺

昨日降りたバス停に向かっていると、古そうなお寺がありました。鶏の鳴き声が聞こえるよ〜。

かわいい烏骨鶏〜!!

ぴんぼけしか撮れず・・・

住職さんが出てきたのでちょっとだけお話。ほんの数秒のやり取りでも、旅先で人と話すの好きだなぁ。

お寺さんの出口には芸術的な蜘蛛の巣が。霧でふんわりしててロマンチック・・・。

リアル蜘蛛は苦手だけど、美しい蜘蛛の巣は好き

再びバス停に向かって歩きます。

到着!

「大泉寺下」バス停に到着。さっきのお寺のことなのかな?

卯之町へと戻るバスに乗り、昨日は真っ暗で何も見えなかった車窓からの風景をたのしみます。すると素晴らしい光景が目の前に現れます・・・!!!

湖?川?の上に綿菓子のような霧?モヤ???

自然が作り出す不思議で美しい光景!!大興奮してしまいました。きっと色々な気候の条件が重なって起こる現象だよね。また野村町に行った時に見ることができるかな?できるといいなぁー。

最後に

今回、野村町にはこの宿に泊まるためだけに行きました。実は野村町のまだ先に行きたい場所があるので、それ合わせてまた泊まりたいなぁ。その時は野村町にもっと滞在して、町中をゆっくり散策してみたいと思います。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2

⑨秋の愛媛南予ひとり旅2022へとつづく▼▼▼

⑦秋の愛媛南予ひとり旅2022【御荘/卯之町編】

外泊から再び御荘まで戻ります。愛南町から宇和島市内に戻るには、御荘で乗り換えないといけないのです。タイムロスな気がしないでもないけれど、まだ行けていない場所も色々あるので時間が許すかぎり巡ってみることに。最後の御荘散策はじめるよ!

CONTENTS

八幡神社

まずはおそらく昨日の御神輿が出発した場所と思われる八幡宮へ。コロナ前はここで賑やかな秋祭りが行われていたらしい。天狗とか!天狗とか!それが見たくて最初愛南町の秋祭りを見に行きたいと思ったのである。今回は見れなかったけどまたいつか・・・。

↓こちらのブログに天狗の山車が載っているのでぜひ見てみて。すごいインパクトだから!

鳥居をくぐったとこにある木が魅力的だった!

この木なんの木?

観自在寺

神社のあとはお寺さんへ。

四国八十八ヶ所の一番霊所の霊山寺から最も遠くに位置する観自在寺。お遍路さんの姿もちらほら見かけました。

うさぎの彫り物!来年は卯年だね〜

門の両脇にはなかなかの存在感とパワーあふるる仁王さまズも〜。

腹筋がおもしろい
阿吽

門の天井には干支の方位盤が!亀がかわいかったよぉーーーーー。

大好きだーーー!!!!!

実は本堂にまで入る時間がなくて、なんとこの門の前でUターン・・・・・。ご、ごめんなさい・・・。

めーーーっちゃダッシュしてバス停へ。なんとか間に合った!いつもギリギリ人間です・・・。

宇和島駅

愛南町から宇和島駅に到着!バス停の柑橘デザイン可愛い〜(行きの時は気づかなかった)。

爽やかラブリー

本当なら宇和島駅周辺をぷらぷらして、宇和島名物の鯛めし食べたり、前回とてもお世話になった民芸屋さんにも顔を出したかったのだけど(いつか必ずまた訪問します)、予定を前倒しして愛媛県西予市の卯之町へ行くことに。

またいつか!

卯之町

すでに西陽がさしていました。

卯之町駅に到着したのは16時過ぎ。前回も訪れて大好きだった町です。なんと駅舎は工事中!新しくなっていました。

卯之町は伝統的な建築様式が残っていて、こじんまりとしていて落ち着きのある街並みはとてもわたし好み。

うずうずまきまきな持ち送り

前回訪れた時にはなかった(もしくは気づいていなかった)オシャレな花屋さんもありました。

夕陽の柔らかな光に照らされて美しい

伝統的な日本建築だけでなく、素敵な洋風建築も!

昔は病院だったのかな?

レリーフもたまりません

いい感じのパン屋さんも発見。その名もブーランジェ。時間がないけど!やっぱり入っちゃうよね!!そしてやっぱり買いすぎちゃうよね!!!(パン屋あるある)

美味しそうかつセンスのいいパンが色々置いてありました

愛媛県歴史文化博物館

すごい急いでる。とても急いでる。なぜならもうすぐ閉館時間の愛媛県歴史文化博物館へ向かってるから!!!

ひたすら歩いて向かっていると・・・なんとなんとめちゃくちゃ遠いしくねくね坂が待っていた・・・!!!

もう陽も暮れて薄暗い

焦りながら駆け足で向かいます。永遠に着かないのではないか・・・と、気が遠くなりかけたところでやっと到着!

閉館まで1時間ほどしかなかったので、興味ないとこはすっ飛ばして館内でもめちゃ早足!!!お客もわたししかいませんでした。

動くへんなおっさんがいた(マジで誰だったんだろ・・・偉い人だったらすんません)

レトロ街並み再現ゾーンも、なかなかどうしてとてもよかった!!!

昭和レトロ好きはたまらない空間かと

ほとんどは撮影禁止なんだけど、いくつか撮影オッケーなところがアリ。一番の目的の展示が見れないのが怖かったので、こちらもじっくり見れずにダッシュダッシュ!!(残念すぎる)

そしてついにたどり着いたのが「祭り」ゾーン!!!

ここにきたかったのよーーーーーっ。他の展示ボリュームがすごすぎて、ほぼ他の展示を素通りして駆け足できたにも関わらず、ここに辿り着くまでけっこー時間かかったような・・・。

見事な龍の刺繍の山車

一番見たかった鹿ちゃんズに会えました!!!(めちゃくちゃ好みの子たちが展示されていた。いつか実際に見に行くぞ)

それだけじゃなく、なんも東北の鹿踊の装束も!!実物を見れて嬉しかったなぁー!撮影NGだったのが無念・・・。

うしろに映り込んでしまうのは仕方のないことです

この写真は牛鬼撮ってるんだからね!遠くにちらっといる鹿ちゃんたちを撮ってるんじゃないんだからね・・・!!!

南予地方の鹿踊りだけじゃなく、やっぱり本家も拝んでみたい。実際に東北の鹿踊りの装束を見て、さらにその気持ちが強まりました。まったく印象が異なる見た目だけれど、どんな違いや似た部分があるのかをこの目で確かめたいです。

館内の窓から見える真っ赤な紅葉が綺麗でした

鹿踊りや牛鬼、山車の他にも色々と気になる展示があったのですが、あっという間にタイムリミット!!もっとじっくりたっぷり時間をかけて見たかった・・・ぜんぜん時間が足りなかったよ・・・。図録がないのも残念だった。ぜひ作ってください。

超駆け足で展示を見て(大袈裟でなくマジで競歩った)ほぼ閉館時間ピッタリで外に出ると、辺りはすっかり夜になっていました。

【使用カメラ】digital:FUJIFILM X-T3、SIGMA dp3 quattro、iPhone SE2 film:CONTAX Aria

⑧秋の愛媛南予ひとり旅2022へとつづく▼▼▼